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<東京怪談ノベル(シングル)>


果てなき残像



 十二年前。
 俺は高校生で、あの頃はまだ十二年に一度村で行なわれる豊穣祭が、単なる形骸化された祭祀だと信じて疑う余地もなかった。
 だから祭りの中心となる蛇巫と神楽舞師にどんな最期が待っているのかなど知る由もなく。ただ安寧とした空気の中で平凡な日常を過ごしていた。

――だが。
 豊穣祭が終わった翌日、蛇巫が神隠しにあって姿を消したと聞かされた時、俺の中に言いようのない怒りがこみ上げた。
「……鞍馬君を、好きだったら良かった」
 そう、彼女から告げられた祭りの前夜。
 自分に伸ばされた白い手を握り締めて、逃げろと告げる彼女の言葉を遮って共に在ることを選んでいたら、違う未来が待っていたのだろうか。
 ただ悔恨と、怒りと、喪失感だけが今の俺を作り上げた。
 十年以上経った今でも、依然行方の知れない彼女の影を常に追い求めている。
 それが既に恋愛感情ではなく、単なる意地だと解っていても――。


*


 大学の講師職に就いてから、数年が経っていた。
 村で唯一の医者になる!と大嘘をついて地元を飛び出し、研究室に身を置くようになって初めて、あの村の閉塞性を実感した。
 世の中には常人には到底理解できない事が多すぎる。差別、戦争、国会で繰り広げられる無意味な討論。だがそれ以上に、俺が居たあの村の閉塞性は異常だった。
 部外者を排除し、山神を祀り上げ、祭祀の実権を握る者を特別視して尊崇する。
 それで何が得られるのかと疑問に思わずには居られない程、あそこに居た連中は得体の知れない「何か」に縛られていた。
――否。
 むしろ縛られる事で安心していたのかもしれない。

 だが、彼らを縛り続けているものが何なのかを俺は知らない。誰もが口をつぐんで語ろうとはしない。
 大半の連中は本当に何も知らないのだろう。全てを知るのは、恐らく実際の祭祀に絡む連中だけだ。
 だがそんな奴らから真実を聞きだすのは不可能に近い。
 既に次代の蛇巫は選ばれ、舞師が選定されている。――じきに豊穣祭の月が来る。
 そうなる前に、もう二度とあんな思いをする人間が増えないように、今俺が出来る全ての事をしておきたかった。

「……終わらせてやるさ。全て」

 そう、独り言を呟いた時だった。
 不意に研究室の扉が開いて、一人の教授が入ってきた。この研究室の主であり、俺の恩師でもある教授だった。
 学部の授業があったのだろう。やや疲れ気味の教授を見ると、俺は読んでいた本から目線を外して挨拶をした。だが教授はその挨拶には返事をせず、おもむろに机を挟んだ俺の真向かいに座ると、
「君の文章はどこか生き急いでいる感が否めない」
 唐突にそう言って分厚い紙の束を黒い鞄から取り出し、スッと俺の前に差し出した。
 何事かと、目の前に置かれた紙の束を手に取ると、原稿用紙に記された文字が目に飛び込んできて、俺はああと軽く苦笑を零す。
 そこには、

『山神信仰に関する一考察
               祭導鞍馬』

 という二行が、パソコンから打ち出された無個性な文字で規則正しく羅列されていた。
 先日書き上げて提出しておいた自分の論文だった。

「……そうですね、自分でもそう思います」
 教授に言われた言葉を素直に肯定すると、「珈琲でも入れましょうか」と、つい先ほどまで読んでいた本の上に銀縁の眼鏡を置いて立ち上がる。
 向かうのは研究室に備え付けられた冷蔵庫。中にはビーカーが入っている。この研究室では全員が当然の如くビーカーで珈琲を飲むのだ。
 傍から見れば何をしているんだと呆れられてしまいそうな習慣だが、ここに集う人間にとってそれはごく自然な事で、教授ですら珈琲カップで飲むより遊び心があって面白いなどと言い出す始末。
 変わり者の集団……まぁ、類は友を呼んでいるのかもしれない。

 古い茶箪笥から珈琲メーカーを取り出してセットすると、電気ポットで既に暖められていた湯を注ぎ込む。白い湯煙が顔を掠め、視界がぼやける。
 程なくして独特の香りが研究室に立ち込め始めた。
「確かに考え方は斬新で面白いのだが、君の論は根拠の無いものが多すぎる。最初に結論があって、そこへたどり着く道筋を無理矢理作り出すのではなく、組み立てて行った先に答えというものが出てくるのだよ。こうでなければいけないという書き方は良くない」
 溜息混じりに届いた教授の声は、俺に幾許かの反抗心を芽吹かせた。だが
「考えるよりも先に行動してしまうのは俺の悪い癖ですね」
 と、苦笑交じりに返しながらその場を濁し、良い香りの立つビーカーを教授の前にコトンと置く。
「悪い癖だとわかっているなら、直す努力をしたまえ。学部時代から少しも変化が見られんよ君は」
「ははは、すみません。努力はしているんですが、結果に結びつかないんですよ」
 とりあえずこれは再考してみますと付け加えて、突っ返された論文を手にしたところで、まだ歳若い学生らが数名、遠慮がちに研究室へ入ってきた。
 教授に時間をとってもらえないかと打診している。
 手に専門書とプリントを数枚携えているから、恐らく講義に関する質問でもあるのだろう。
 俺は教授に用事があることを告げ、入れ替わりに入ってきた学生達に軽く会釈をすると、静かにその場を後にした。


*


 校舎を出ると、蝉の声と学生達の喧騒とが否応無しに俺の耳に届いた。
 キャンパス内に植えられた銀杏の葉の合間からは、容赦なく鋭い夏の日差しが降り注ぎ、全てのものを照りつけている。
 その生命にも似た強い日差しを受け止めて、俺は先ほど教授から言われた言葉を反芻していた。

「どこか生き急いでいる感が否めない」

 教授にそう告げられたのは、これが二度目だった。
 生き急いでいる……初めてそう言われた時は、「俺の何がわかるんですかと」酷く憤慨したものだ。
 だが今になって冷静に考えてみると、確かに生き急いでいるなと苦笑せざるを得ない。


 知りたい事があった。
 村の誰も確かめようとしなかった信実を、俺はどうしても知りたかった。
 知りたかったから答えを導き出せる場所を探し、研究職に就いた。
 純粋に学者を目指している訳ではないと言う気持ちが、俺の書く文章にも表れ、それに教授は気づいたのだろう。
 だが、自分の頭が導き出した結論は決して揺るぐ事がなく。結果、その結論だけが一人歩きをしてしまう。
 根拠の無い、資料の乏しい民間信仰を題材として取り扱えば、その筋から評価を得るのは困難を極める。だが根拠など時代の変遷と共に廃れてしまうのも事実だ。
 形骸化された器に後人が仮託した別の根拠が結び付けられ、それが定説となってこの世に残る事さえ存在する。俺が居たあの村の祭祀のように。

 だから今、俺が出来る全ての事は何かを考える。
 あの忌まわしい祭祀を終わらせるための知識と知恵を、時代の蛇巫に、時代の舞師に託せるように。
 いまだ果てない残像のように、脳裏に焼きついて離れない彼女の心を救えるように。
 それが既に恋愛感情ではなく単なる意地だと解っていても、今度こそ全身全霊をかけて闘うために。
 前を向いて歩き出す、その第一歩を――。



 <了>