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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


過去との決着 その2

 15年前、新宿駅のホームで起きた暴行殺人事件。その被害者は高校に入学して間もない草間武彦の同級生であった。
 時効まで2週間。被害者――湯島浩太の父親に依頼され、15年前の事件を調べ始めた草間であったが、事件の風化などもあり調査は困難を極めていた。
 そんな中で、調査を行った面々はいくつかの情報を入手する。

「先ほど、ホームを見てきたのですが、献花されていました。あれは、どなたが?」
「ご両親とお姉さんかな? 交代で備えていらっしゃるようですよ」
 しかし、草間の記憶によれば湯島に兄弟はいない。彼は1人っ子であった。同級生というのなら、まだ話はわかる。だが、駅員が「お姉さん」と証言したということは、少なくとも亡くなった湯島浩太よりも年上に見えたということなのだろう。
 当時、15歳だった高校生が、年上の女性と知り合うものだろうか。出会い系のサイトなどが乱立する現代ならば可能だが、15年前はそうしたサイトもなく、携帯電話すら満足に普及していなかった。

 また、湯島の幼なじみからは「もしかしたら、浩太は犯罪と関わっていたかもしれないんです」という情報がもたらされた。
「中学時代、あるときを境に、急に羽振りが良くなったというか、中学生とは思えない金の使い方をするようになったんです。浩太は親からの小遣いだって言ってましたが、今、考えると、なにかしらの犯罪に手を染めていたんじゃないかと……」
 湯島が犯罪に関わっているという理由に、その人物はそうした理由を挙げた。
 15年前、草間と同じ高校生であったはずの湯島は、なにをしていたのか。彼は本当に犯罪へ手を染め、それが原因で殺されなければならなかったのか。そして、今も献花を続ける女性は何者なのだろうか。

 忘れ去られた15年前の真実。
 それは、いったいなんなのだろうか。

 夜になり、草間興信所には疲労を顔に浮かべた面々が集まっていた。事務所で留守番をしていた草間零が手料理をテーブルに並べ、一同をねぎらおうとしていた。
「とりあえず、腹ごしらえをしよう」
 真剣な顔を突き合わせていた一同であったが、草間武彦の一言で食事が始まった。せわしなく料理と口の間に箸を往復させながら、それぞれが入手した情報を明かし、明日からの調査をどうするか打ち合わせた。
「気になるのは、その女性だな」
 草間の言葉にシュライン・エマがうなずいた。
「てっきり、お姉さんと思っていたのだけれど、違ったのね」
 草間から湯島に兄弟がいないことを聞いたシュラインは、新宿駅に引き返して職員からその女性に関する詳しい話を聞いていた。駅員の話では毎月、5日に女性は現れるということであった。シュラインは湯島の命日かとも考えたが、湯島が殺されたのは20日だという話を草間から聞いていたため、それは違うと思い直した。
 そして、ふと気がついた。湯島の命日から2週間ほど遅れて、その女性は花を供えているのだと。恐らく湯島浩太の両親などが、20日に献花へ訪れることを考え、意図して日にちをずらしているのだろう。湯島の殺害現場へ花を添える女性。しかも15年間、1回として欠かされたことはないと複数の駅員が証言した。無論、湯島の両親も献花を怠ったことはないため、駅のホームには毎月2つの花束が供えられているということになる。
「その女性がなにかを知っているということは、充分に考えられるわ」
 15年にも亘って献花を続けてきた女性である。湯島となにかしらの関係があったと考えるのが自然だろう。ともすれば、15年前の事件に関わっているかもしれない。
「もしかしたら、湯島少年が犯罪に携わっていたという証言と、関係があるのかもしれませんね」
 食後のコーヒーを楽しみながらジェームズ・ブラックマンが言った。豆が挽きたてなので香りが良い。相変わらず貧乏探偵でいる割には煙草とコーヒー豆だけは欠かしたことがないという不思議な事務所だ。
「その話は、ちょっと信じられないな」
「まあ、武彦がそう思う気持ちはわかりますけどね。特に15年前ですから」
 昨今では10代の少年による犯罪も珍しくはなくなったが、15年前ともなれば今ほど派手ではなかったはずだ。犯罪を行う若者は、いわゆる暴走族や不良などと呼ばれていた時代である。まだ日本のどこかに平和が残っていたような時だ。
 草間の記憶では湯島は決してアウトローな人間ではなかった。そして、それはジェームズが湯島の同級生たちに行った聞き込みでも明らかとなっている。今でこそ表向きは真面目で通っている若者が犯罪を重ねるということは多くなったが、15年前にそうした類いの若者がいたのかとなれば、それは大いに疑問であった。
「ですが、そうした証言があったのは事実です。それが思い違いにせよ、調べてみる価値はあると思いますが?」
「そうだな。あらゆる可能性を調べる必要はあるな」
 手がかりが少ない今、信じられないという理由だけで情報を無視している余裕はなかった。たとえ、それが亡くなった湯島の汚点を穿り返すようなことであったとしても、15年前の真相を探り出すために必要な行為であるといえた。
「今、わたしたちに取れる行動は大きく分けて3つね。1つ目はテープの入手。2つ目は女性の正体を調べること。3つ目は湯島くんが犯罪に関わっていたという証言が事実なのかを明確にすること」
「3つ目は、引き続き私が調べましょう」
 シュラインの言葉にジェームズが答えた。それに反対する者は誰もいなかった。むしろ、そのほうが良いという考えが全員の胸中にあったに違いない。
「じゃあ、わたしは女性について調べるわ。いいかしら、武彦さん?」
「ああ、いいさ。それなら、俺は監視カメラの映像を探してこよう」
 そうして翌日の調査方針が決定した。

 調査2日目。シュラインは湯島宅を訪れることから始めた。父親は出勤して不在だったが、母親が出てシュラインを家へ招き入れてくれた。かつては美人だったのだろうと想像できる50代の女性だが、子供の心労が重なったせいか年齢よりも老けて見えた。
「突然、申し訳ありません」
「いいえ。お気になさらないでください。こちらこそ面倒なことを頼んでしまいまして」
 アポイントメントもなく訪れたことを詫びたが、母親は微笑を浮かべて受け流しただけだった。その表情からは、どこか諦めにも似た思いを感じ取り、シュラインはいたたまれない気持ちになった。草間たちによって犯人が逮捕されることを期待する半面、15年も逃げ延びた人物が今さら捕まるはずはないと考えている様子が見え隠れしていた。
「それで、今日はどのような?」
「息子さんが亡くなられたホームに、どなたかが花を供えられているというのは、ご存知ですか?」
 シュラインは単刀直入に訊ねた。その質問に母親は意外そうな表情を一瞬見せたが、心当たりがあるのか小さくうなずいた。
「はい。何度か、花が供えられているのを見ました」
「その献花をなされている方を見たことはありませんか?」
 しかし、その言葉に母親は首を振った。
「駅員さんによると、花を供えているのは女性らしいのです。しかも、15年前から毎月、欠かさずに行われているようです。どなたか、心当たりはありませんか?」
「15年前からですか?」
 母親は驚いた顔をした。それは死んだ息子にそこまで花を手向ける人間に心当たりがないということの表れであった。一口で15年と言ってしまえば簡単だが、毎月5日に同じ場所へ献花を欠かさないというのは大変なことである。そこには殺された湯島浩太に対する強い想いが感じられる。それは愛情なのか。それとも懺悔の念なのか。
「いいえ。そういった方に心当たりはありません」
「そうですか。では、息子さんの葬儀のときに、見慣れない方がご焼香なさったりはしていませんでしたか?」
 母親は目をつぶり、15年前のことを思い出しているようだったが、やがて瞼を開けて静かに首を振った。
「ごめんなさい。覚えていません」
 その答えはシュラインが予想していたものであった。すでに15年も昔のことで、しかも大事な1人息子を殺されて気が動転していたに違いない。そんな状態で焼香に訪れた人間を把握し、その中から特定の人物を見分けろというほうが無理な話だ。
「では、お墓のほうに、ご家族以外の方が参られているような気配は今までにありましたか?」
「いいえ。そういったことは特に……」
 ということは献花を続けている女性は浩太の墓がある場所を知らないのかもしれない。あるいは単に家族と顔を合わせることを避けて墓参りはしていないだけなのか。
 シュラインは念のために浩太が眠っている墓の場所を聞いた。
「では、息子さんが亡くなる前に良く遊びに行っていた場所などはご存知ですか?」
「いえ、特には……息子は夜遊びなどもしませんでしたし……」
「失礼を承知でお訊ねしますが、お母さまから見て、息子さんは、いわゆる不良と呼ばれるような人間と付き合いなどはあったと思われますか?」
「いいえ。真面目な子でしたし、そういったことはなかったと信じています」
 それはジェームズが聞き込みから得た情報と矛盾していた。無論、同級生が単に勘違いをしているだけという可能性のほうが高い。しかし、親に隠れて悪さをする子供は今も昔も確実に存在している。湯島がそうでなかったとは言い切れない。
 その後も母親から情報を引き出そうと様々な質問をぶつけてみたが、特に有益と思える話は聞けなかった。習い事もしておらず、少なくとも母親が把握している範囲に湯島浩太と女性の接点はなさそうであった。
 そこでシュラインは浩太の部屋を見させてもらうことにした。15年前のまま、息子の部屋をそのままにしてあると母親は自嘲気味に笑って言った。心のどこかで息子の死を受け入れることができないのか、息子の思い出を壊さずにいたかったのか。
 2階にある浩太の部屋へ入ると、埃の臭いが鼻を突いた。掃除はされているようだが、人間の出入りが少ない部屋には生活感というものがまるで感じられない。
 なにか手がかりになりそうな物はないかと、シュラインは丁寧に部屋の中を調べた。この15年間で両親も同様のことをしてきたはずである。しかし、草間の手伝いとはいえ、調査業務を行っている人間と素人とでは着眼点が異なってくる。両親が見落としているものがないかとシュラインは期待した。
(これは……)
 机の引き出しの奥に転がっていたマッチ箱をシュラインは発見した。なんの変哲もない黒い紙の箱だ。その表面には小さく店の名前が記されている。
 15歳の少年が煙草を吸っていたのだとしても、別に驚くようなことではない。体に害はあるが、背伸びをしたい年頃でもある。今も昔もそうした少年少女は多い。
 しかし、シュラインが気になったのは、そのマッチ箱が飲食店などで配布されている物にしては、落ち着きすぎているということであった。まるでクラブかバー、大人が通う店に置かれているような雰囲気が、その黒い箱にはあった。
 これが手がかりになるかもしれない。そう考えてマッチ箱をバッグに収めると、母親に礼を言ってシュラインは家を後にした。

 15歳の少年が携われる犯罪とはなにか。そのことをジェームズは考えた。普通に考えるのであれば暴力団の下請けということになる。トルエン、覚醒剤、麻薬など末端の売人はいつの時代も若者が関与することが多い。そして、それは同時にいつでも切り捨てることが可能な使い捨てとして扱われることも意味している。
 ジェームズは湯島浩太が切り捨てられたのではないか、と考えていた。基本的に昔からどの暴力団も違法薬物の扱いは法度としている。終戦直後の混乱期は別として、警察の締め付けが厳しくなってきてからは、構成員が麻薬売買で逮捕されたとしても「組員の単独で組側はなにも知らなかった」という意見を押し通す。組として組織的な関与を臭わせれば、幹部ごと持って行かれて暴力団は壊滅的なダメージを受けることとなるからだ。
 そこでジェームズは新宿界隈を縄張りとしているいくつかの暴力団を訪ねた。無論、以前から付き合いのある暴力団といえども、公式に麻薬の売買に関与していることを認めるわけにはいかない。いくらジェームズ仕事の付き合いがあり、信用しているとはいえ、どこから警察に情報が漏れるかはわからないためだ。しかし、それでもオフレコならば、という約束でジェームズに話をしてくれる人間は何人かいた。そうした人間の1人と、ジェームズは西新宿のホテルにあるティーラウンジにて会っていた。
「では、湯島浩太という人間は知らないと?」
「ああ。少なくとも、俺の知っている人間じゃないね。今もそうだが、下の下まで把握しきれているわけじゃないんでな」
 音を立ててコーヒーをすすりながら男は答えた。年齢は40歳を少し越えたところであろう。関東最大の広域指定、東和会系列の暴力団にいる男で、15年前は新宿駅の地下街でシンナーやトルエンの販売に携わっていたという話であった。当時、末端の構成員であっただけに、街で違法薬物を売っていた売人に関しても詳しかったが、それでも湯島浩太の名前は出てこなかった。
 これで10人近くの人間に話を聞いたが、すべて空振りだった。その誰もが15年前当時の新宿を良く知る事情通だ。ここに来てジェームズは自分の読みが外れたかもしれないと思うようになっていた。
 15年前、新宿駅のホームで殺害された少年の報道は世間を賑わせたはずだ。当然、湯島を知っている人間であれば、殺されたのが浩太であったことはすぐにわかったはずである。そこまで「派手に」死んだ人間を誰も覚えていないということは、やはり同級生の思い違いでしかなかったのかもしれないという疑念が再び首をもたげてきただけであった。
「15年前だったな?」
 礼を言い、ジェームズが席を立とうとした時、不意になにかを思い出したかのように男が声を発した。
「ええ。15年前の事件です」
「関係ないかもしれないが、15年前といえば、ちょうどカプセルが流行った頃だ」
「カプセル?」
 怪訝そうな表情を見せたジェームズであったが、しばらくして思い出した。
 カプセル。誰かが売り出した新型の覚醒剤だ。粉末状にした覚醒剤を医療用のカプセルに詰めただけだが、それが若者を中心に爆発的に流行した。今も昔も「シャブはダサい」という考えが少年少女たちにはある。「キめるならコーク」そう言ってはばからない若者も決して少なくない。覚醒剤もコークも体に害があるという意味では同じ代物だ。
 覚醒剤が「ダサい」とされる要因の1つに、注射器や吸気用具などの道具が必要とされる点があるだろう。その点、マリファナやコカインなどは手軽に摂取することができ、見た目も「カッコいい」というわけだ。体への害よりも、外見の格好を重視する若者ならではの短絡的な思考とも言える。
 無論、国内で覚醒剤が流通していないわけではない。だが、その利用者の多くは肉体労働者や運転手など、体や神経を酷使する職業に従事する人間が圧倒的に多い。それは覚醒剤の持つ作用により、服用からしばらくは神経が過敏になり、肉体が活性化されたかのような錯覚に陥るためだ。今でもそうした業種では覚醒剤が横行していると言われている。
 逆に若者たちの間で流行しているのはマリファナ、コカインなどの手軽に摂取できるタイプの麻薬。今でこそ覚醒剤はスピードと呼ばれ、若者たち間でも蔓延しているが、15年前は少し違っていた。覚醒剤はあくまで「ダサい大人のやる物」と思われていた。
 そこで誰かが考えたのが手軽に摂取できる覚醒剤、カプセルだ。その手軽さと見た目のカッコ良さから10代の若者を中心に爆発的に流行した。しばらくしてカプセルは姿を消したが、それ以降は普通の覚醒剤がスピードとして受け入られるようになった。覚醒剤は中毒性が強い。カプセルの常用者となった人間が、そのまま禁断症状に耐え切れず自然と覚醒剤に手を出すようになったのだ。
「そういえば、そんな物もありましたね」
「いつの間にか消えてしまったがな。確か、流行しだしたのが15年前だったはずだ」
 そのことをジェームズは思い出していた。確かに当時、カプセルと呼ばれる経口摂取型の覚醒剤が流行した。しかし、その供給元に関しては最後まで判明されなかったはずだ、とジェームズは記憶していた。警察はその販売ルートの解明に全力を尽くしていたし、東和会を始めとする大手暴力団も市場へ介入しようと躍起になっていた。
 だが、最後の最後までどこで作られ、誰が供給していたのかを突き止めることは誰にもできなかった。東京の繁華街を縄張りとする各暴力団も、カプセルの思いがけない流行で少なからず打撃を受けたと聞いたこともあった。
「カプセルを扱っている組織は、最後まで断定することができなかったと聞きましたが?」
「そのとおりだ。おかげで、ウチも少なからず打撃を受けた。どこかのヤクザがやってるってんなら、文句の言いようもないが、あれだけの物をどこの組も知らないってんだから不思議だった」
「どこの組も、ですか?」
「そうだ。東京の主だった組を通さずに、あのカプセルってヤツは売られていた」
 それは奇妙な話であった。無論、違法薬物は暴力団にとって重要な資金源であることに変わりはないが、彼らの専売特許というわけでもない。ノウハウさえあれば、素人でも密売を行うことは可能だ。しかし、いかにアマチュアとプロ犯罪者の垣根が曖昧になってきたといえども、その組織力を鑑みれば暴力団に匹敵する組織はそうそうない。
 素人やアマチュアが麻薬や覚醒剤の密売に手を出したところで、暴力団ほど大規模な販売は不可能であるし、なによりも下手に手を広げれば「縄張りを荒らした」として暴力団などの犯罪組織から手痛い仕打ちを受けることが目に見えている。それがあるからこそ素人やアマチュアは違法薬物の密売に手を出さないのだ。
 そこで、ふとジェームズは思いついた。湯島浩太がカプセルの密売に関わっていた可能性はないのだろうか、と。暴力団も介さず、15歳の少年が覚醒剤の密売に関与できる確率はどれほどのものなのか。また、それが事実だったとしても、湯島1人で行えたとは思えない。誰か共犯者がいたはずだ。そこまで考えたところで、ジェームズはその考えが当たっているような気がした。湯島がカプセルの密売に携わっていたのなら、その仲間割れで殺されたということも考えられるからだった。

 マッチ箱に書かれていた店の名前は「遠海」とあった。だが、東京中の店を探しても15年前から営業している同じ名前の店は見つからなかった。都内に遠海という名前の店はいくつかあったが、それらはすべて数年のうちに開店された新しい店でしかなかった。念のため、それらの店に電話で問い合わせたが、15年前には開店していないと素気ない答えが返ってきただけだった。
 繁華街の店はサイクルが早い。下手をすれば1年のうちに2回、3回と名前が変わる店も少なくない。特に湯島が出入りをしていたのが新宿だとすれば、15年前にあった店の名前を覚えている人間など皆無と考えたほうが良いかもしれない。歌舞伎町や大久保界隈では1ヶ月のうち、何軒もの店が名前と場所を変えてオープンしているからだ。
 同級生であった草間ならば知っているかもしれないと思い、シュラインは電話で訊ねてみたが、その返答は芳しくなかった。だが、それも仕方のないことだと言えるだろう。草間と湯島はたいして付き合いがあったわけではない。また、15年前は草間も高校生であった。草間が並の学生ではなかったとしても、そうした店を把握している可能性は低い。
 その日、日が暮れてからもシュラインは「遠海」という店を探し続けたが、湯島が通っていたと思われる店を見つけ出すことはできなかった。

 夜、再び事務所に戻った面々は情報交換を行った。また、草間がテレビ局から借り受けてきた監視カメラの映像を確認するという作業も平行して行われた。映像は15年前のもので当時、新宿駅に設置されていた監視カメラの精度が悪かったせいと、磁気テープの劣化によって映像は明らかに不鮮明なものとなってしまっていた。
 それでも犯行の瞬間を確認することはできた。
 画面の下側から2人の男に小突かれるようにして湯島と思しき人物が現れた。湯島を含む3人は周囲にいる人々を気にするでもなく、ホームの先端へ向かって歩く。その後ろから別の2人が警戒するように辺りを見回しながら歩いてくる。そのことから湯島の殺害に関わったのは最低でも4人だということがわかった。
 ホームの先端で湯島と2人の男がなにかを言い争っているようにも見える。男の1人の右手に長い棒状の物体が見えた。それが凶器に違いないと認識した瞬間、最上段から勢い良く振り下ろされた凶器が湯島の頭部に叩きつけられた。反射的に頭を押さえてホームに倒れ込んだ湯島へ、2人の男は容赦なく蹴りつけた。
 しばらくして男たちは攻撃を止めると、身動きすらしなくなった湯島を残して立ち去った。時間を確認すると、現れてから立ち去るまで5分と経っていない。これでは仮に目撃者がいたとしても、男たちの顔を満足に覚えているとは思えなかった。突発的な犯行だったのか、それとも計画的なものだったのかは不明だが、鮮やかな手口には違いなかった。
「これじゃあ、本当に顔が判別できないわね」
 映像を見終わったところでシュラインが呟いた。以前、草間も新宿署の刑事から同様の意見を聞いていた。これではデジタル処理を施したところで意味はないだろう。
「武彦さん、湯島くんの死因はわかっているの?」
「それも調べてきた。というより、この映像を貸してくれた編成局長が、事件当時、報道にいたらしくて、その人から話を聞くことができた。湯島の直接の死因は内臓破裂による出血多量だそうだ」
「体内出血ということでしょうね」
 駅員の証言では血痕などはなかったということだった。しかし、この映像を見る限り内臓破裂ということは充分に考えられた。2人の男によって腹部を蹴られている。打ちどころが悪ければ衝撃で内臓が破壊されてもおかしくはない。
「この映像を見て思ったんだが、こいつらは湯島を殺す気はなかったんじゃないかな」
「どういうこと?」
 思いがけない草間の言葉にシュラインは驚いたように問うた。
「ケンカなのか、別の理由があるのかはわからないが、ちょっと痛めつける程度にしか考えてなかったのだと思う。そうでなければ、人を殺しておいて、こうも簡単に立ち去れるとは思えない」
「確かにそうですね。この4人は、どう見てもヤクザとは思えない。殺すつもりでいたのなら、そもそもこんなところでは行わないでしょうし、殺したという認識がなかったからこそ、こうして何事もなかったかのように立ち去れたとも考えられますね」
 男たちが立ち去るシーンを再生しながらジェームズが言った。確かに草間やジェームズが言うようにも見える映像であった。ちょっと痛めつけ、湯島が気絶したと勘違いして男たちは立ち去ったとも思える。殺したという認識がなければ慌てる必要すらない。
「ご両親には申し訳ありませんが、不運な事故だった、という言い方もできますね」
 腹部を蹴られた程度では内臓破裂は起こさないという人間もいる。しかし、当たりどころが悪ければ、たいした威力でなくても簡単に胃や肺は損傷する。湯島の場合がまさにそれだったのだろう、とジェームズは思った。
「問題なのは、事故にしろ、意図的なものにしろ、こいつらが湯島を殺したことには変わりないということだ」
「武彦さん。この4人に見覚えは?」
「ないな。少なくとも同級生ではないような気がする」
「そう……」
 暴力団ではないかもしれないというジェームズの意見を受けて、まず考えられたのは学校関係者ということであった。同級生や先輩などだ。しかし、草間の証言を信じる限り、高校の同級生というわけではなさそうだ。
「可能性としては、湯島少年が携わったとされている犯罪の関係者ですね」
「そうだな。それに関する情報は?」
「難航していますね。新宿にあるいくつかの暴力団に当たってみましたが、湯島少年を知っている人間はいませんでした」
 コーヒーを飲みながらジェームズは答えた。
「ただ、気になる情報はありました。15年前に流行した、カプセルという違法薬物をご存知ですか?」
「いや」
「そうですか。そのカプセルというのは、要は覚醒剤なのですが、それを密売していたのは暴力団ではなく、素人のようなのです」
「どういうことだ?」
「このカプセルの密売ルートは警察も暴力団も把握していません。当時、暴力団ですらカプセルの密売に携わることができず、少なからず打撃を受けたそうです。事情通によれば、アマチュア、あるいは素人が関わっていたのではないか、ということでした」
「まさか、それに湯島が関わっていたとでも言うのか?」
「可能性としては非常に低いですが、ありえないわけではないと思います」
 その言葉に草間は小さくうめいた。同級生がそこまでの犯罪に関わっているとは想像していなかったに違いない。
「暴力団のルートで湯島少年の名前が出てこない以上、私はその線で調べてみようと思います。もしかすると、無駄骨に終わるだけかもしれませんが」
 確率としては、かなり分の悪い賭けだと言えた。そもそも、湯島がカプセルに関わっていたというのはジェームズの勘でしかない。
「シュライン。そっちのほうはどうだった?」
「まだ、お店は発見できていないわ」
 シュラインはため息混じりに首を振った。
「お店とは?」
 その話を初めて耳にしたジェームズがシュラインのほうを向いた。シュラインは湯島の部屋から見つけたマッチ箱を取り出してジェームズへ見せた。
「これを湯島くんの部屋で発見したのよ。例の女性と知り合ったのが、ここかもしれないと思って探しているんだけど、見つからなくて」
「また、懐かしい名前ですね」
 マッチ箱に記された名前を見たジェームズが不意に言った。
「ジェームズ、知っているのか?」
 何気ない口調で発せられたジェームズの言葉に草間は驚きの声を漏らした。それはシュラインも同じであったらしく、驚きの表情をジェームズへ向けていた。
「知っています。いえ、いました、といったほうが良いでしょうね。今は潰れてしまってないはずです」
「確かに、同じ名前の店はいくつかあったけれど、15年前から続けているところは1軒もなかったわ」
「そうでしょう。確か10年ほど前に潰れていますから」
 決して短くない付き合いだが相変わらず謎の多い人物だ、とジェームズを見詰めながら草間は思った。
「それで、どこにあった店なんだ?」
「歌舞伎町です。ゴールデン街」
 ジェームズは詳しい場所を草間とシュラインに説明した。ゴールデン街は花園神社から区役所通りの方向へ向かってある、いわゆる100軒店などと呼ばれる小さな店舗の集合体だ。戦後間もなくから営業している店も少なくなかったが、東京都庁が西新宿へ移転したことに伴う地上げにより、その多くが廃業に追い込まれた。
 一時はゴールデン街そのものの取り壊しも噂されたが、今では限られたいくつかの店が細々と営業している。近年は若い店主が店舗を借り、新しい感覚で営業する店も増え始め、若干の活気を取り戻しつつあるようにも感じられる。
「じゃあ、わたしは明日、その店があったところを確かめてみるわ」
「わかった。俺はこの映像を元に同級生なんかを当たってみる。もしかしたら、知っている奴がいるかもしれないからな」
「では、私は引き続き、カプセルについて調べましょう」

 久しぶりに訪れるゴールデン街は、どこか時代に取り残されたような印象をシュラインに与えた。まるで昭和の時代にタイムスリップしてしまったかのようだ。時刻は昼前。まだ開店している店はない。夜から明け方にかけてが営業時間だ。
 当然ながらジェームズから聞いた場所に「遠海」はなく、別の店が入っていた。店の名前は「雪華」とあった。まだ昼前だというにも関わらず、看板を出している。若干、訝しく思いながらもシュラインは扉を開けて店に入った。
「いらっしゃい」
 扉を潜ると同時に柔らかな声がかかった。見るとカウンターの内側に和服を着た女性が立っていた。年齢はシュラインよりも少し上といったところだろう。艶やかな黒髪を結い上げている。余計なアクセサリーは身に着けておらず、化粧も薄い。
 店内は薄暗いが陰気な雰囲気は微塵もない。カウンターの前にストゥールが4つ。それだけの小さな店だ。内装には木がふんだんに使われていた。恐らく樫と思われる木目が壁や床に表れている。雑音はなく、ただ静かにフランク・シナトラが流れている。それ以外はゴールデン街だということを忘れさせるほど静かな店だとシュラインは思った。
「お1人ですか?」
 入ってきたのがシュラインだけと見て、女性は意外そうに言った。
「ええ。大丈夫かしら?」
「どうぞ。お好きな席にかけてください」
 微笑みながら女性は言った。決していやらしさを感じさせない笑みだ。女性であるシュラインですら、その笑みで好感を抱いてしまったかのような錯覚に陥った。
「なにか、お飲みになられますか?」
「では、フローズン・マルガリータを」
 女性の背後の店にあるジンやラム、リキュールの数々を眺めてシュラインは言った。下手なバーよりも数が揃えられている。
 女性は慣れた手つきでミキサーにテキーラ、ホワイトキュラソー、レモンジュース、クラッシュドアイス、そして砂糖を入れてかき混ぜる。氷がシャーベット状になったところでミキサーを止めて中身をカクテルグラスに移すと、半月に切ったライムを添えた。
 グラスの縁に塩を盛らず、スノースタイルとしないのはシュラインが女性であることを考慮したせいかもしれない。このほうが甘口で口当たりが良い。
 和服の女性がカクテルを作るというのも、どこか妙な話だが、少なくとも出されたマルガリータは美味いとシュラインは感じた。
「いらっしゃるのは初めてですね」
 フランク・シナトラのアルバムが別のものに変わったところで女性が言った。
「そうですね。この店になってからは」
 女性は不思議そうな表情でシュラインを見た。
「以前、遠海という店がありましたよね」
「ええ。お客さまが聞いたことがあります。お年を召された男の方が1人でやっていらしたそうですね」
 シュラインは小さくうなずいた。その情報はジェームズが聞いたものと同じであったからだ。だが同時に、自分ではなくジェームズに来てもらったほうが良かったのかもしれないとも思った。彼のほうが以前の店についても詳しい。
「実は人を探しているんです」
 場違いな言葉かもしれないと思いつつ、シュラインは口にした。
「探偵さんでいらっしゃるのですか?」
「ええ、そうです。以前あったお店に良くきていた人が、お付き合いされていた方だと思うのですが」
「男性ですか?」
「いいえ。探しているのは、女性です」
「その方のお名前は?」
「それが、わからないんです。それで困っています」
 口許にかすかな苦笑いを浮かべて言うと、シュラインは再びカクテルに口をつけた。
「その男性の方の名前もおわかりにならないんですか?」
「いえ、男性のほうはわかっています」
 好奇心からか、それとも別の理由からなのか、女性はシュラインの言葉に興味を示してきた。それを見たシュラインは、ふと目の前にいる女性が自分の探している女性なのではないか、と思った。年齢的にもそう食い違いはしないだろう。湯島が殺害された15年前、この女性は20歳かそこらであったに違いない。
「その男性は、湯島浩太というのですが、ご存知ありませんか?」
 その瞬間、女性の顔から一切の表情が消え去った。その顔は怒っているようにも、すべての感情を押し殺しているようにもシュラインには見えた。
「もしかして、あなたが新宿駅のホームに花を供えていらっしゃるのではありませんか?」
 女性の反応から、自分の推測が正しいのではないか、という確信を得たシュラインは思い切って訊ねてみた。
「そうです。湯島くんが亡くなった場所には、毎月、行っています」
 シュラインは思わず歓喜の声を漏らしたい衝動に駆られた。ここまで上手く事が運ぶとは思ってもいなかったからだ。無論、運が良かったという感は否めないが、それでも探していた女性が目の前にいることをシュラインは素直に喜んだ。
「15年前、湯島くんになにがあったんですか?」
 それは女性に出会ったら必ず訊ねなければならないことだとシュラインは思っていた。毎月、湯島の殺害現場に花を供えている人間ならば、15年前になにがあったのかを知っているに違いない、という思いがシュラインにはあった。
「それは、わたしにもわかりません」
「わからない? 本当ですか?」
 シュラインは女性が嘘をついているのではないかと疑いの目を向けた。女性が過去を詮索されたくないために知らないフリをしている可能性も充分に考えられた。
 すると、女性はカウンターの内側から名刺を取り出し、シュラインへ渡した。そこには店の名前と同じ「雪華」という女性の名前が記されていた。意味がわからずにシュラインが女性を見ると、その視線を察したようで女性は苦笑いを口許に浮かべた。
「雪華というのは妹の名前なんです。わたしの本名は冬華。2人とも冬に生まれたものだから、母がそう名づけてくれたんです」
「じゃあ、お店の名前は妹さんの?」
「そうです。それに、あなたが探しているのは妹のほうだと思います」
 その言葉でシュラインは胸中に嫌なものが広がるのを感じた。
「どういうことですか?」
「15年前、湯島くんとお付き合いしていたのは、妹なんです」
「つまり、あなたは親しくなかったって言うんですか?」
「そうではありません。わたしも親しくしていました。でも、湯島くんがなにをしていたのか、それを知っているのは妹であって、わたしではありません」
「では、その妹さんは、今どこにいらっしゃるんですか?」
「行方不明なんです。15年前から」
 目の前が暗くなったかのような錯覚をシュラインは覚えた。ここに来て振り出しに戻されたという気持ちが絶望とともに彼女を襲った瞬間であった。

 15年前の薬物密売に関して調べることは容易な作業ではなかった。ましてや、それが暴力団すら関与していないとなれば、当時の関係者を探し当てることすら非常に困難な作業である。いくら交渉人として裏社会に顔が利くジェームズであっても、過去のことを調べるのに、これほど手を焼くとは思ってもいなかった。
 そんなジェームズが目をつけたのは覚醒剤である。いかにカプセルが新型の違法薬物として若者に受け入れられたとはいえ、その中身は紛れもなく覚醒剤だ。素人にしろアマチュアにしろ、暴力団などの犯罪組織とは違って簡単に入手できような代物ではない。そこに裏社会との接点があるに違いないとジェームズは考えたのだった。
 15年前、大量に覚醒剤を購入しようとした人間を調べれば、カプセルを製造し、密売していた連中にたどり着くことができるとジェームズは結論づけた。
 古くから盛り場を歩き、仕事をしていたジェームズにとって、過去に勢力を誇っていた暴力団、覚醒剤をシノギにしていた組を思い出すことは別に難しいことではない。
 ジェームズは東和会系列、八十八組の事務所を訪ねた。昔から管理売春と覚醒剤でシノいできた新宿きっての老舗だ。人数こそ200人程度と決して多くはないものの、本部へ納める上納金と歴史から、東和会でも中核を成す組織の1つであることは間違いない。
 だが、ジェームズにとって用があるのは八十八組にではない。15年前、八十八組よりも手広く覚醒剤を扱っていた暴力団があった。あまりに派手にやりすぎてしまったため、警察に目をつけられて壊滅に追い込まれてしまったが、その暴力団にいた組員の1人が、現在はこの八十八組にいることをジェームズは知っていた。
「お久しぶりですね」
 応接室に入り、ソファーに腰掛けていた人物を見てジェームズは言った。歳の頃は30代半ばといったところだろう。
 男の名前は咲島圭吾。八十八組の組長代行を務める人物だ。上部組織である東和会からの出向という外様の身分でありながら、その辣腕を買われて組長代行にまで上り詰めた男である。しかし、咲島は生粋の東和会の人間というわけではない。15年前、新宿でかなりの勢力を誇っていた田口組という小さな組にいたところを引き抜かれたのだ。
 12年前、田口組は潰れた。覚醒剤を手広く扱いすぎたために警視庁に目をつけられたのと、組長だった田口が何者かに殺害されたため、組として存続できなかったのだ。組長がワンマンで引っ張る小さな組には良くある話である。ジェームズと出会った当時、咲島は20歳そこそこの若造で、田口組も健在であった。
「今日はなんだ?」
 ジェームズを案内した若い組員が部屋から完全に立ち去ったことを確認して咲島が口を開いた。
「田口組のことで少し話を聞きたくなりましてね」
「また懐かしい名前を……」
 苦笑混じりの声が咲島の口から漏れた。彼にとってはなくなってしまった古巣であると同時に、懐かしい思い出でもあるのだろう。
「カプセル、覚えていますか?」
「ああ。大昔に流行ったシャブだ」
「今、それについて調べています」
「そんな昔のこと、突きまわしてどうするつもりだ?」
 ジェームズはこれまでのことを説明した。ヤクザである以上、咲島も完全に信用できる人物というわけではないが、そこいらのヤクザよりははるかにマシである。目先の利益を優先するのではなく、長い目で物事を見ることができる。だからこそ、外様の身分でありながら八十八組の組長代行を任されるようになったのだろう。
「なるほどな。15年前の殺しか」
「そうです。別に田口組の過去をどうこう、というわけではありません。ただ15年前当時、この新宿に流れ込んでいた覚醒剤の8割は、田口組を介していたと言われていましたから、カプセルに関しても原料はその辺りから入手されていたと、私は考えているのです」
「そのカプセルの薬物指紋は、わかっているのか?」
 薬物指紋とは、覚醒剤に含まれる成分の分量などによって製造された国、地域と特定する技術である。日本の北里大学によって開発された技術で、原材料であるエフェドリンの残留量を計測したり、覚醒剤を結晶化させる段階での温度などの特性によって判別する。
「いえ、警察の記録を見てみましたが、判別できなかったようです」
 ジェームズの答えに咲島はしばらく沈黙した。その様子は果たしてジェームズに話して良いものか、なにかを迷っているようにも見えた。
「だとしたら、それは田口のオヤジのところから流れた物である可能性は高いな」
「どういうことですか?」
「旧日本軍が、兵士に覚醒剤を使わせていたという話は知っているか?」
 その言葉にジェームズはうなずいた。兵士の恐怖を取り除くため、または不眠不休での行軍を可能とするために一部の部隊で覚醒剤が用いられていたというのは有名な話である。
「それが、なにか?」
「田口のオヤジが、どういうルートで調達したのか今となってはわからないが、オヤジの話では旧日本軍が残した覚醒剤だということだった」
 咲島の話では、旧日本軍の覚醒剤を入手した田口が、咲島ら組員に覚醒剤を密売させていたということであった。古い代物であるため、純度は低いだろうが覚醒剤であることに変わりはない。そうして田口組は勢力を一気に拡大させたということだった。
「もし生きているなら、江川という男を探してみろ。そいつが知らなければ、田口組はカプセルには関与していないってことだ」
「江川ですね?」
「昔、田口組にいた男だ。最後に聞いた話じゃ、大久保にいるってことだった」
 うなずいてジェームズは立ち上がった。咲島が嘘をついているとは考えなかった。彼はこれからのジェームズとの関係を天秤にかけ、そして田口組について話したのだ。古巣やかつての仲間よりも、現在の八十八組長代行としての立場を選んだということでもあった。

 江川という男について調べることは、さして難しいものではなかった。かつて田口組にいた江川、そう聞いて回れば簡単に喋る人間など少なくない。江川の自宅は大久保のイラン人やコロンビア人が多く住んでいる安アパートの一室であった。
 今にも崩れ落ちそうな錆びた階段を上がったジェームズは、ボロボロの木製ドアをノックした。しばらくして中から痩せぎすの男が現れ、どこか焦点の合わない血走った目でジェームズを見つめた。たいして背は高くなく、頭は綺麗に剃られている。頬もこけ、病的な印象を与えたが、目だけは異様な光を湛えている。その様子から男が覚醒剤の常用者であり、今も覚醒剤が作用していることをジェームズは理解した。
「江川さん、ですか?」
「なんだ、てめえは?」
 明らかに警戒した様子で男は言った。スーツ姿のジェームズを私服警察官と思ったのかもしれない。
「私、ジェームズ・ブラックマンと申します。江川さんでいらっしゃいますか?」
「ああ、そうだよ」
「ちょっと田口組のことを聞きたくて、お窺いしたのですが」
「田口組? 知らねえな」
 ぶっきらぼうに答えて江川は扉を閉めようとした。だが、ジェームズはドアの隙間につま先を突っ込んで、それを制した。江川の瞳に剣呑な光が宿る。ドアに隠れていて江川の左半身は見えない。その手に包丁などが握られている可能性を考えたが、それはないだろうと判断した。そこまで警戒していないし、意識もトんでいないはずだ。
「知らないはずはないでしょう。あなたは田口組の人間だったはずです」
「知らねえもんは、知らねえんだよ」
 苛立ったように吐き捨てて江川はジェームズの足を蹴った。しかし、ジェームズは動じた様子も見せず江川の顔を見据えた。
「あまり、手間をかけさせないでください」
 淡々と言ってジェームズはドアを引いた。チェーンロックが引きちぎれ、ドアが開くと同時にジェームズの拳が男の顔に直撃した。不意の一撃に江川は顔を押さえながら三和土に倒れこんだ。その口許から赤いものが滴り落ちる。
 ジェームズは室内へ踏み込むと、江川の腹部を蹴った。うっといううめきが漏れ、江川は反射的に体を丸くすると、胃の中身を吐き出した。饐えた臭いがジェームズの鼻を突いた。三和土には胃液が散らばった。
 もう1度、江川を蹴ってジェームズはドアを閉めた。あまり他人に見せられるような光景ではない。近所の住民に目撃されれば警察を呼ばれる恐れもあった。
「あなたが、田口組にいたということはわかっているのです。余計な手間をかけさせないでください」
 江川の顔を覗き込むようにして言うと、引き攣った顔のまま江川はうなずいた。
「15年前、あなたは組長からの指示で、覚醒剤を扱っていましたね?」
「あ、ああ」
「その時、あなたから大量に覚醒剤を買った人間はいますか?」
「何人かいる」
「そうですか。では、その名前を教えてください」
「もう忘れちまったよ」
「リストは思っているんじゃないですか?」
 覚醒剤や麻薬の密売というのは、品物があればすぐにできるというものではない。商品の性質上、大っぴらに販売することができないため、品物を必要としている人間に、こっそりと売る必要がある。そのため、顧客名簿が必要となる。たいていは組の人間から名簿が回され、それを基にして商売を広げるということになる。
 江川の言葉で部屋から名簿はすぐに見つかった。それを江川に見せ、リストの中から1度に大量の覚醒剤を購入していった者の名前を挙げさせた。江川は小売人に商品を卸していた仲買人だ。小売人とて大量の品物を江川から入手するわけだが、そうした中でも「異常」に大量の覚醒剤を購入した人間がいるはずだとジェームズは考えていた。
 江川から教えられた名前の中に、ジェームズは見知った名前を見つけた。須田正人。その名前は高校で入手した名簿に記されていた名前と同一のもので、ジェームズに「湯島が犯罪に関わっているかもしれない」と告げた同級生の名前だった。
 偶然ということも考えられた。だが、それだけで片づけるわけにはいかない。湯島が関わっていたと考えるカプセルに、同級生の名前が浮かんでくれば、これはどう見ても無関係や偶然とは思えなかった。

 草間の調査は正直なところ、当てが外れたという状態であった。かつての同級生や教師たちに監視カメラの映像を見せたが、誰1人として湯島を殺害した人物の顔を知る人間はいなかった。無論、映像の不鮮明さから顔を判別することは無理だが、その全体の雰囲気から判別してもらおうと草間は考えたのだ。しかし、それも徒労に終わった。
 若干の落胆とともに草間が事務所へ帰ると、いつもいるはずの零の姿がなかった。そして、室内は派手に荒らされており、何者かが押し入ったことを示唆していた。草間が動揺を隠せないでいると、不意に事務所の電話が鳴った。
「はい。草間興信所」
「今、調べている件から手を引け。さもないと、女が死ぬことになる」
 男の声で淡々と告げられた内容に、草間は零が拉致されたことを悟った。
「誰だ、おまえは!?」
「女を助けたければ、手を引け」
 そこまで言うと、唐突に電話は切れた。草間は受話器を叩きつけ、近くにあった机を蹴った。これは明らかに草間たちから手を引かせようとする何者かの妨害であった。15年前、湯島が殺された理由を調べ、そして犯人を探している草間らに危機感を抱いている人間がいるということである。
 こうなる可能性を考えていなかったわけではない。ジェームズがカプセルの件を持ち出してきた時点で、湯島の殺害に組織的な関与があったことも充分に考えられた。だが、零ならば大丈夫だろう、と高をくくっていた自分に腹が立った。

 完


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
 0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
 5128/ジェームズ・ブラックマン/男性/666歳/交渉人&??

 NPC/草間武彦/男性/30歳/草間興信所所長、探偵

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■         ライター通信          ■
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 毎度、ご依頼いただきありがとうございます。九流翔です。
 遅くなりまして申し訳ありません。長々となってしまいましたが、今回はこのような調査結果となりました。また、今回も皆様に同じ文章をお届けしておりますが、それは情報交換がなされているためと考えてのことです。
 次回は最終回となり、怒涛の展開が予想されます。湯島少年を殺害した犯人は1回目、2回目で登場した誰か、ということになっております。次回も参加していただける場合は、犯人の名前を明記してくださると助かります。
 では、またの機会によろしくお願いいたします。