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<東京怪談ウェブゲーム 神聖都学園>


闇からの呼び声

「最近コンピューター室から変な声が聞こえる」
 そんな噂がまことしやかに流れ始めたのは、夏休みに入って補習や夏期講習が始まった頃だった。
 神聖都学園は都内ではかなり大きな学園で、夏期講習時には外からの生徒もやってくる。人が多いということは、それだけ噂も尽きないということだ。だから毎日のように何処かで変な事件や噂が立つのも珍しくない。
「アホか。それより今は進学講習とハラペコの方が問題や」
 松田健一(まつだけんいち)は学食内で古典の参考書を開き、校内で買ったパンを食べながらその話を聞いていた。運がいいのか悪いのか、今まで「超常現象」という物にお目にかかったことがない。出来れば見てみたいとも思っているのだが、そう思うとかえって見えないらしくその機会もやってこない。
 その声は何かを召還する声のようだと言われており、皆怖がってコンピューター室に近づこうともしない。
「そんなに言うなら、肝試し代わりにそのコンピューター室とやらに行ってみようや。夏休みのイベントって事でお一つ」

 そんな事を高校生達が話していたその頃…。
 シュライン・エマは翻訳の仕事で大学の方へ足を運んでいた。今回頼まれた仕事は専門用語が多いので、こうやって教授と直接話をしなければならないこともある。
 コンピューター室の噂を聞いたのも、そんな仕事上の話をしている時だった。
「夏特有の怪奇騒ぎも最近はパソコンとか携帯とかで、時代と共に変わっていくんですね…」
「はい?」
 最初シュラインがその話を聞いた時、何を言っているのか分からなかった。頭がいい人たちの中には最初から自分の中に思考過程や答えがあるので、往々にしてこのように難しいことから話題に入る者がいる。
 その話に関して詳しく聞くと、どうやら最近高等部にあるコンピューター室から何かを呼ぶような声がするという話らしい。それに興味をそそられ、シュラインは響 カスミの元を訪れた。
「カスミさん、こんにちは」
 音楽室のドアを開けると、カスミは弾いていたピアノを止め微笑みながら挨拶をする。
「シュラインさん、こんにちは。今日はどうしたの?」
 怪奇現象を否定しつつ、実は一番の恐がりであるカスミにこの話を聞くのは酷かと思いながらも、シュラインは高等部のコンピューター室の異音の話をした。すると、カスミは怖いようなそれでいて笑い飛ばそうとするような微妙な表情をする。
「生徒達の噂なのよ。夏だからどうしてもこういう話がね…」
「でも大学の教授から私が聞いたぐらいだから、結構な噂になってるんじゃない?」
 大学…と聞いた途端、カスミは困ったように溜息をついた。どうやらこの様子だと幼稚舎から大学までの噂になっているらしい。まだ学内だけならいいのだが、今は夏期講習中で他校からも生徒が講習を受けに来ている。この噂が大きくなったら厄介だ。
「そうなのよ。噂が大きくなって、何か起こる前に調べてもらえない?多分パソコンの不調とかだと思うんだけど、念のため、ね?」
 カスミのその様子にシュラインが苦笑する。
「最初からそのつもりよ。よかったら話を聞かせてくれないかしら」
 それは不思議な現象らしい。
 コンピューター室のマシンは全て電源を切って鍵を掛ける。それなのに、何故か全てのマシンに電源が入り、そこから何かを呼ぶような声がするというのだ。
「最初は一台だけだったのよ。だから終了が上手く行かなかったのだと思っていたの…でも、それが日に日に一台ずつ増えていって」
 シュラインはカスミの話を聞きながら不安なものを感じていた。アトラス編集部で聞いた『カッコウ』の事などが心の隅に引っかかる。結局記事には出来なかったようだが、もしそのような存在が肉体を求めているのだとしたら…。
 思案深げなシュラインにカスミが不安げな表情をする。それに気付いたようにシュラインは微笑み、カスミにこう言った。
「何かあってからじゃ大変だから調べてみるわ。で、よかったらコンピューター室の鍵を貸して欲しいんだけど…」

「今日のフリートークのお題は『学園内の気になる噂』で。フランス語で話してくださいね」
 デュナス・ベルファーは神聖都学園のフランス語サークルで、講師のアルバイトをしていた。本当は探偵なのだが、悲しいかなその稼ぎだけでは生活がままならないので「フランスに在住していた事があり、正しいフランス語を話せる」という条件で、講師として短期のアルバイトをしているのだ。講師をやっていればフランス語を使う機会もあるし、自分の発音を褒められるのは生粋のフランス人であるデュナスからすると、大変に嬉しいことだ。多分日本人には理解できないだろうが。
 すると「医学部の助教授が、奥さんを亡くしてからちょっと様子がおかしい」という話から始まって、気が付くと何故か「高等部のコンピューター室から何かを呼ぶような声が聞こえる」という話で盛り上がっていた。的確なフランス語が出てこないのか、いつの間にか日本語で話すほどの盛り上がりようだ。
 デュナスは手をパンパンと叩き、それを遮る。
「はい、フランス語で話してください。でも、日本は学校の怪談とか多いですね」
「先生が通っていた学校にはそういうのはないんですか?」
 生徒に興味津々で質問され、デュナスは少し考える。
 ヨーロッパの歴史はある意味血の歴史だ。古い場所ほどその手の話は尽きない。ヴェルサイユ宮殿も、バスチーユ広場も怪奇話と無縁ではないのだ。
「うーん、街自体のあちこちが幽霊だらけでしたからね。ヨーロッパは革命や魔女狩りの血なまぐさい歴史がありますから、学校でというのはなかったです。はい、フリートークですから皆さんがお話ししてくださいね。言葉を覚えるのに一番いいのはとにかく『聞く』ことと『話す』事ですから」
 やんわりと質問をかわし、皆の話を聞いているうちにデュナスは何だか不安になってきた。
 コンピューター、何かの呼び声。以前ネットの中で出会った『カッコウ』のことが気に掛かる。彼の身体はあの廃墟で破壊されたが、彼の存在自体は未だネットワークの海の中を漂っているのかも知れない。もし彼だとしたら、自由に動ける身体を欲していたから、誰かに危害を加える恐れもある…。
「先生、話聞いてました?」
「えっ?それは何だか美味しそうですね」
 デュナスの言葉に全員が爆笑する。
「やっぱ聞いてないー」
「先生聞いてなかった時、絶対『何だか美味しそう』って言いますよね」
「あ…あはは…」
 デュナスは笑ってごまかしながらも、その「高等部のコンピューター室の声」について調べようと思っていた。丁度サークル用のテキストも作成するつもりだったし、今晩にでも部屋を借りることにしよう…。

「親から電話がかかってきてさ…」
 夕暮れの蒼月亭で、陸玖 翠(りく・みどり)は、カウンターの隣に座っていた松田 麗虎(まつだ・れいこ)からカクテルを奢られながら、何故か麗虎の話を聞く羽目になっていた。
「何かありましたか?」
「俺さ、高校二年の弟がいるんだけど、どうやら弟が真夜中に何かやらかす計画立ててるらしいって、親から電話が来た」
「…それはそれは大変ですね」
 心底面倒くさそうに、翠は麗虎の会話に頷く。高校生ということだし、大方肝試しとか夜中に公園で花火とかの類だろう。麗虎も心の中ではそう思っているのか、面倒くさそうに煙草に火を付ける。
「俺は野放しなんだけどさ、健一…って俺の弟なんだけど、小学四年の時に突然家の養子になったんだよ。何の事情があったとかは俺も十歳違いだから聞かなかったけど、親が妙に心配するんだよな」
 唐突にそんな話をすると言うことは、どうやら麗虎は自分に何か協力をして欲しいらしい。翠は麗虎の顔をじっと見る。
「まどろっこしい話は面倒なので、本題を言ってください」
「…弟の様子見てきて」
「自分で見てきたらいいでしょう、自分で」
 そう言うと、麗虎は困ったような表情をして灰皿に灰を落とした。その落ち着かない指の動きが、妙に理由ありげだ。
「それがさ…俺、今猛烈に弟に嫌われてんの。だから顔合わせにくいんだよね」
 面倒で放置したい気持ち満々だが、以前アトラス編集部で仕事を一緒にした時に麗虎が体を取られそうになったこともあるし、お互い顔を合わせにくいという中で何かあったら目覚めが悪い。翠は溜息をつきながらこう言う。
「片手間でよければ探してあげますよ。何もなければいいのですが、少々気にも掛かりますしね」

「あら、デュナス。こんな所でどうしたの?」
「シュラインさんこそ、ここで会うなんて珍しいですね」
 夕暮れの神聖都学園高等部の廊下で、シュラインとデュナスは何故か顔をつきあわせていた。どうやらこの様子だと、お互い同じものを追っているらしい。そして、疑っているものも全く同じ…。
「ちょっと離れて話さない?一般教室なら鍵がかかってないと思うから」
「そうですね、立ち話もなんですし」
 二階は三年生のクラスがある。二人はその中に入り、適当に腰掛けた。西日が差し込んでくるように眩しい。
「デュナスはどうしたの?もしかして依頼?」
「いや…実はフランス語サークルのアルバイトで…」
 デュナスはそのサークルでのフリートークでこの噂を聞いたということだった。それで妙に気になって、テキストを作成するという名目で、コンピューター室を借りに来たついでに、その音について調べるつもりだったらしい。それを聞き、シュラインも自分がここに来た時にその噂を聞いたことを教えた。お互い商売敵というわけではないし、何度か一緒に仕事をしたことのあるので、一緒なら何か危険があっても心強い。
「シュラインさんも『カッコウ』が気になって?」
 デュナスがそう言うと、シュラインは笑って頷く。
「ええ、アトラス編集部での話も聞いたわ。もし『カッコウ』がまた活動をしていたらと思って、ネットに入って天狼にも聞いてみたけど、そっちは特に何もないみたい」
「そうですか。別件だったらいい…って、良くないですね。皆さん怖がってますし、何かある前に正体を探らないと」
 デュナスの言う通りだ。
 たとえ自分達の勘が外れていたとしても、既にその声を聞いた者がいる事は確かだ。誰かに被害が及ぶ前に何とかしなければならない。シュラインは座っていた椅子からすっと立ち上がる。
「同じ物を追いかけてるなら一緒にやりましょう。その方が何かあっても安心だわ」
「そうですね。私が役に立つのは主に肉体労働なので、頭脳労働になったらお任せします。まず何か調べるところとかありますか?」
 それを聞き、シュラインは少し考え込む。
「そうね…ブレーカー位置や電力状態を確認して行きましょう。どうしてコンピューター室なのかが気になるのよ…」
 音を出すもの。それが必要ならスピーカーでも放送室でもいいはずだ。なのに何故コンピューター室でなければならないのか。しかも最初は一台で、それが日に日に増えているとは。デュナスはそれを聞き眉間に皺を寄せる。
「シュラインさんはラブクラフトの小説を読んだことがありますか?」
「えっ?もしかしてクトゥルー神話のラブクラフトの事かしら」
「ええ、そうです。そのものを召喚するためには正しい発音をしないと呼び出せない。でも…」
 パソコンであればそれが可能かも知れない。
 そこまで言うとデュナスはふっと力を抜いて微笑んだ。考えすぎにも程がある。それで易々と何かを召喚できるのであれば、もっと現実と異世界との境界線はあやふやになっているはずだ。シュラインもふぅと溜息をつく。
「何はともあれ原因を探りましょ。本当にクトゥルーが現れたらシャレにならないわ」

「麗虎、今日の飲み代はお前の奢りで」
 翠は蒼月亭内から神聖都学園の高等部まで七夜を飛ばして追跡をしていた。麗虎の弟とは面識はないが、見せられた写真と教えられた特徴で追えるだろう。ただ「分からなくなったら一番小さくて一番食う奴が弟だ」とは、何とも乱暴ではあるが。
 まだ時間は午後八時…肝試しをするにはまだ明るいかも知れない。何はともあれ高等部の中に人がいるか捜索してみることにした。教師じゃなくて、学生がいそうな所…。
「あれは何をやっているのやら」
 学校の雨樋を伝って背の高い少年が、細い少年を背負って外から学校内に侵入しようしているのが見える。それはよく見ると烏有大地と環和基だ。二階の教室からロープを垂らしているのも見える。
「………」
 遊びにしては少々危なっかしい。その教室の中には菊坂静と、見たことのない少年二人がいる。そのうちの一人は日本人ではないようなので、おそらく背が小さくて猛獣の子供のような目つきの少年が麗虎の弟なのだろう。だが基の『現瞳』の能力はちょっと厄介だ。ただの肝試しに、大人が口を出すような野暮な真似はしたくない。
「これもまた風情なのでしょうね」
 夏になれば涼を求め怪談話に花を咲かせ、夜遅くまで外に出て遊びたくなる。それはいつの時代も変わらない…そんな事を思って、ジン・リッキーを頼んだ時だった。
「おや?シュライン殿とデュナスではありませんか」
 高等部の中で二人がなにやら話をしているのが見えた。
 肝試しの付き添いという雰囲気ではない。二人は電気のブレーカーやケーブルの位置を調べているようで、なにやら真剣だ。
「ただの肝試しではない?」
 デュナスやシュラインが脅かし役というのも考えにくい。もしかしたら何か肝試しのネタになるような「原因」があって、二人はそれを「究明」しようとしているのかも知れない。まあ、自分には関係のない話ではあるのだが。
「………」
 何か起こってから助けに行ってもいいだろう。取りあえず今は冷たいジン・リッキーでも飲みながら様子をうかがっていよう。それが一番だ。

 デュナスとシュラインは校舎を回り、ブレーカーの位置やケーブルなどの位置をチェックしていた。ブレーカーは突然停電してもデータが飛ばないよう、予備電源もあるようだ。
「流石私立の学校ですね」
 そんな事にデュナスが感心していると、シュラインがクスクスと笑う。
「ここは色々いわくのある場所だから、そういうことに関して敏感なのよ」
 学校には多かれ少なかれ噂があるものだが、神聖都学園に関してはそれが「噂」の域に留まらない。実際に不思議なことが起こり、また何処かへ消えていく…学校という性質上人は流れて行くものだが、ここには流れずに留まっているものが多すぎる。
「さて、どこかで時間でも潰しましょう。お腹空いてない?」
「あ、私はあんパンがありますので…」
 そう言ってコンピューター室の近くを通った時だった。シュラインは歩みを止め、口の前に人差し指を立てる。
「何かありましたか?」
 そっとデュナスがそう聞くと、シュラインはコンピューター室の隣にある資料室を指さした。自分の聴音の能力でなければ気付かなかっただろう。かなり小さい声で話し、気配にも気を遣っているが、中に誰かがいるのが分かる。
「もしかしたら、今回の異変の原因かも知れないわ」
 二人でそっと近づくと、鍵が壊れているのが見えた。おそらく中に入っている物に大した価値はないのだろう。もしかしたら空き教室を物置にしているのかも知れない。
「………」
 懐中電灯を構え、中にいる者達がパニックにならないようそっとドアを開ける。
 だが、中にいたのは意外な人物だった。

「どうしてあなた達がここにいるの?」
「それはこっちの台詞ですよ」
 ドアの中にいた健一達と、ドアを開けたシュライン達は驚きを隠せないままお互い絶句していた。シュラインやデュナスが見たことがないのは、背の低い猫科の猛獣の子供のような少年と、日本人ではない少年の二人だけで、大地や基、静には面識がある。
「静の知り合いか?まあ入れ」
 ヨシュアがそう言いながらデュナス達を教室に入れ、ドアを閉める。健一は見つかったと言うよりも大地が持ってきたおにぎりを食べるのに忙しい。それにこの二人は学校の関係者ではないようだ。関係者ならこんなにそっとドアを開ける必要はない。
「ちょっとちょっと、説明してちょうだい。まさかあなた達がコンピューター室の異音の原因…って事はないわよね」
 困ったようにきょろきょろするシュラインに、健一が何か言おうとする。
「いあ、おえあえんえん…」
「俺が説明するから、松田は黙って飯を食え」
「あい」
「飲み物いります?」
「あい」
 静が苦笑しながら持参してきた水筒から水を出して健一に渡した。
 話をしてみると、どうやらお互い「コンピューター室の異音」について調べに来たらしい。その「音」はコンピューター室に人がいると聞こえないという話を聞き、シュラインは借りてきた鍵を見つめながら溜息をつく。
「仕方ないわね。今から帰れって言わない代わりに、一緒に行動しましょ。何かあった時に責任者がいた方が君たちもいいでしょ」
「ありがとうございます」
 何故か正座をしながら学生達がぺこぺこと礼をするのを見て、デュナスがくすっと笑う。
「学生の頃はいろいろやりますよね。ところで、そちらの二人とは初めてなんですけど、お名前は?私はデュナス・ベルファーというものですが」
 デュナスが自己紹介をすると、二人が顔を見合わせながら自分の名を名乗る。
「紅林ヨシュア。日本語あまり上手くない、よろしく」
「神聖都学園高等部二年、松田健一。常にハラペコ」
 その名前を聞きシュラインが何かに気付いたように健一の顔を見た。
「松田君って、もしかしたらフリーライターのお兄さんがいない?ちょっと変わった名前の…」
「あ、それ多分兄貴やわ。ふつつかな兄がお世話になっとります」
 おにぎりを持ったまま頭を下げる健一を見て、シュラインとデュナスが笑う。そう言われれば雰囲気とかが確かに似てなくもない。
「まあつもる話は後にして、取りあえず声がするまで待ちましょう…って、基さんは誰と話をしてるんですか?」
 皆がコンピューター室の異音の話などをしているのを横目に、基は明後日の方向を見て何かを喋っていた。静に言われると、基は平然と皆の顔を見る。
「いや、警備員の巡回時間やルートを聞いてた」
「誰に」
「この人」
 そう言って基が指さした先は虚空だった。基の『現瞳』では当たり前に見えているのだが、それを全員が認識できていないのを基はいまいち理解していない。それを聞き大地は頭を抱え、静とシュライン、デュナスは困ったように笑い、ヨシュアはうんうんと頷いた。
「どこにでも精霊いる。基、精霊と話できる、すごい」
 健一はそんな二人を見て一生懸命何かを見ようとする。
「全然見ーひんわ。俺も幽霊見たり金縛りにかかったり、取り憑かれたりしてみたいわ」
 それを聞き、基はそっと健一を見た。多分その願いは一生叶わないかも知れない。健一の回りには超常現象や霊の類が近寄れないバリアのような物がある。相当強い霊でもなければ取り憑くことはおろか近づくことも出来ないだろう。夢を壊さないために黙っておくことにするが。
「それにしても、どれぐらいの時間なんでしょうね…」
 デュナスがそう言いながらそっと時計のバックライトで時間を見る。生徒が声を聞いていると言うことは真夜中ではないはずだ。ただの噂なのか、それとも本当に何かを呼んでいるのか…。
「ねえ、軽食作ってきたんだけど食べる?もしかしたらおにぎりとかでお腹一杯かも知れないけど」
 シュラインが差し出したサンドイッチを見て、健一が丁寧に両手を合わせる。
「パンはおやつなのでありがたく頂きます」
 それを聞き、静や基、大地とヨシュアは心の中で「まだ食べるんだ…」と思っていた。もしかしたら、コンピューター室の異音よりも恐ろしいのは、健一の腹の中かも知れない…。

 午後九時。
「そろそろ一度コンピューター室に入って様子を見てみたいわね。基君、警備員の巡回は何時頃なの?」
 シュラインが鍵を持って立ち上がった。声がするしないに関わらず、カスミから鍵を借りたからには様子だけでも見ておきたい。基はまた虚空に向かって何かを喋り始める。
「午後七時の巡回を抜けたから、次は十一時みたいだ。後は朝まで人が来ないらしい」
 それを聞くと、皆立ち上がって伸びをし始めた。いよいよここからが真骨頂だ。そう思うと何だか妙にドキドキする。
「ヤバイ、何か緊張してきた」
 大地が思わず口走ると、デュナスが同意したように頷いた。
「こういうのって、後々思い出になるんですよね…」
 そっと皆で資料室を出て、シュラインは静かに鍵を開けた。人が来ない事は分かっているのだが、やっている事が多少後ろめたい事もあり、妙に緊張する。そしてコンピューター室に全員が入り込んだ。
「皆ちゃんといるかしら?」
「大丈夫です。灯りをつけると怒られそうなので、懐中電灯であちこち見てみましょう」
 静は持っていた懐中電灯の明かりを調節した。基と健一は一番前にあるパソコンをチェックしていく。
「特に基盤不良とかそういうのじゃないみたいだけどな…起動させてみるか」
「じゃ、基先輩。俺モバイル持ってきたから、こっちから繋がるか確認するわ」
 ヨシュアは辺りをきょろきょろしながら何かを感じ取っていた。よく分からないが、この『場』には何かの存在を感じる…持ってきていたホワイトセージの香に火を付けようとした時だった。
「………?」
 ブン…という独特の電子音と共に、パソコンが起動していく。だが、いつもの起動画面ではなく、画面には何か魔法陣のような物が描かれていた。ヨシュアは香を焚くのを止め、基と健一の顔を見る。
「これつけたのお前達か?」
「違う…全部が一度に起動するようなプログラムはされていない。それに…」
 そう言って基が指を指した先には、健一が持ってきたモバイル用のパソコンがあった。だがそれも同じように起動しており、画面にはやはり魔法陣が描かれている。
「こんな起動画面入れとらん…」
「何か、声がします」
 静が言うようにパソコンのスピーカーから声がする。ヨシュアは香を焚き、その『存在』が何を言おうとしているのかを確かめようとした。悪意がある者なのか、それとも何か別の者なのか…。
「お前、何を求める?」
 何かを呼ぶような響き。それは少しずつ音をずらし、だんだんと大きな声になっていく。だが、その奥で小さな声がするのを皆は聞き逃さなかった。
『お願い…私を呼ばないで…私を起こさないで…』

「………?」
 蒼月亭の中で翠はその「何かを呼ぶ響き」に気付いていた。
 これは召喚の呪だ。しかも本来ならたくさんの人物を使ってやるはずの、死者召喚の禁呪…確かにパソコンを使えば発音を間違えることも、精神力が尽きることもないだろう。
 しかしそれで呼び出された者が、必ずしも正気を保っているとは限らない。肝試しにしては相手が厄介すぎる。
「どうした、翠」
「いや、ちょっと外の空気を吸ってくる」
 そう言って翠は外に出て、空間移動の術で皆の元へと飛んだ。
 一体誰が死者を呼び出そうとしたのか…そして何をする気なのか。
 場合によっては、とんでもないことになるかも知れない…。

 その瞬間、コンピューター室の入り口が一気に開けられた。
「…ここの生徒達か?」
 そう言って扉を開けた男はコンピューター室の灯りを付けた。中にいた皆は暗さに目が慣れていたため、その光に一瞬目を細める。
「あの人、医学部の助教授だ…」
 大地はその顔に見覚えがあった。風邪をひいて神聖都学園の医学部付属の病院にかかったとき内科の担当が彼だったのだ。それを聞き、ひょっこりと現れた翠が口を出す。
「内科のお医者様が召喚術とは物騒ですね」
「うわ!」
 今までいなかったはずの翠が一緒にいることに、デュナスは驚きを隠せない。だが、どこから来たとか、何故ここにいるかとかを聞いている暇はなさそうだ。男はパソコンの画面を満足そうに見て、ニヤッと笑う。
「どうしても声が足りなかったが、どうやら君が持ってきてくれたパソコンで全てが揃ったらしい。感謝するよ」
 最後の一台は、どうやら健一が持ってきたモバイルのことらしい。それを聞き、ヨシュアが香を焚いたまま顔を上げる。
「お前、何を呼び出す気だ?」
「あの声は『私を呼ばないで』って言ってました。貴方はそれでも何かを呼ぶんですか?」
 静とヨシュアの言葉に男が喉の奥で笑う。その様子を見ながら、デュナスはフランス語のサークルでやったフリートークの話を思い出していた。
『助教授が奥さんを亡くしてから、ちょっと様子がおかしい』
 もしかしたらそれは、目の前にいる彼のことなのかも知れない。だとしたら、呼び出す者は…。
「『私を呼ばないで』だと?そんな事を言うはずがない…妻が病に倒れてから、私は色々なものにすがった。だが、医学も神も妻を救ってはくれなかった…」
 パソコンから響く声は止まらず続いている。健一は強制終了のコマンドを何度も入れているのだが、それを全くパソコンが受け入れない。それどころか電源を切っても起動し続けている。
「あかん、パソコン止まらん…」
「こりゃ何か呼ばれるまで続くな。それが手に負える者だったらいいんだが」
 何かか呼び出される気配。それはだんだん近づいてくる。だが、大きな力というわけではなく、もっと些細で密やかな気配…大地もそれに気付いたように息を飲む。
「もしかして、貴方は奥様を呼び出そうと?」
 シュラインの質問に返事はなかった。死んだ妻を蘇らせようとするのは、今も昔も変わらないのか…その想いはあまりにも強く、あまりにも悲しい。そしてその結末も同様に。
「でしたら、呼び出してみては如何ですか?」
 翠がそう言いながら健一や基達をそっと自分の方に寄せた。男は召喚術が完成されることに夢中で、全くこっち側に興味を持っていない。
 そして声が止まると共に、全てのパソコンが起動を止めた。
「あれは…誰だ…?」
 ややしばらくの静寂の後、大地が絞り出すようにそう呟く。コンピューター室の真ん中に立っていたのは…確かに女だった。だがあちこちの皮膚が醜く崩れ落ち、生前の面影は全くない。
『どうして私を呼び出したの…』
 その言葉から漂うのは圧倒的な悲しみだった。死んだことが悲しいのではない。この姿のまま呼び出されたことが悲しいのだろう。
 呼び出されさえしなければ、美しい思い出のまま心の中で生きて行けた。
 死というのは時として残酷だ。その循環の間に永遠の美しさはない。もしそれがあるとしたら、それは心の中だけだろう。
 驚愕の表情を隠せない男に、翠がふっと笑う。
「貴方の愛した奥方ですよ。貴方が呼び出してやってきたんです…さあ、その手を取ったら如何です?」
「嘘だ…嘘だ嘘だ嘘だ…」
 女の眼窩から一筋の涙がこぼれた。それを見て、静がそっと近づきハンカチを差し出す。
「だから貴女は呼ばれたくなかったんですね…」
 ホワイトセージの香が漂い、その煙の中に美しい女性の姿が見えた。それがおそらく彼女の生前の姿だったのだろう。皮肉なことにその姿は呼び出した者には見えず、自分達にだけ見えている…。
 男に近づき殴りかかろうとする大地をデュナスが一生懸命止めた。
「大地君、やめてください!彼を殴ってもあの人は喜ばない!」
「そんな事分かってる…だけど、あんたの愛ってのは、姿が変わったぐらいで怖じ気づくような物なのか?」
 そんな大地の前に基が出た。大地は両親を事故で亡くしている。だからこそ、余計に自分勝手に死者を呼び起こした男の事が許せないのだろう。
「まるで黄泉平坂だな。イザナギとイザナミのように人は禁忌を犯してしまう…って、もう聞こえてないか」
 自分の妻だったものを凝視しながら、男は放心していた。死んだ妻を蘇らせ、その代わりに自分の心を殺してしまった…後味は悪いが、これが彼の運命だったのだろう。ある意味本望かも知れない。
 健一は自分のパソコンを閉じ、手の甲で目をこすった後そっと彼女の元に近づく。
「俺が面白半分の肝試しなんかやったから…」
 その言葉に彼女は首を横に振る。それはシュラインや翠にも分かっていた。
 もし健一達が肝試しなどをしなくても、いつか彼女はここに呼び出されていただろう。そしてその時に二人きりだったら、その時の方が彼女の悲しみは深いはずだ。少なくともここに皆がいた事で、彼女のために怒ったり泣いたりしてくれる人がいる…その方が彼女にとっても嬉しいはずだ。
「死はまた生まれるための旅、きっとまた幸せなれる」
 ヨシュアのホワイトセージの香が一層強く香った。その煙の中で、彼女は笑いながら放心したままの男に近づいていく。
『一緒に連れて行ってもいいかしら…心が死んでしまったこの人を一人にしておけない』
「いいの?眠っていた貴女を無理矢理呼び出した人なのに」
 戸惑いを隠せないようにシュラインがそう聞くと、笑う代わりに香の煙が揺れた。
『それでも愛してるの…』
 その言葉を聞き翠が呪を唱える。それが唱え終わると二人の姿は消え、元の学校の静寂の中清らかな気が漂っていた。

「何か、俺のせいで悪い事したような気がする」
 午後十一時。二十四時間営業のファミレスで、健一は溜息をついていた。だが食欲は相変わらずのようで、しっかりと目の前のハンバーグセットを食べている。
 ヨシュアはそんな健一の顔を覗き込みながらふっと微笑んだ。
「健一悪いことしてない。だから悲しむと皆も悲しい。ヨシュアの知ってる教えにこういう言葉ある。『答えがないのも答えのひとつ』」
 その言葉を聞き、大地がアイスコーヒーの中の氷をストローでつつく。
「そうなのかも知れないな。俺はあいつに腹立ったけど、あの人はそれでも愛してるって…俺にはその気持ちがよく分からない」
「でも、イザナギの頃から男は同じ事を繰り返す。そういうものかも知れないな」
 ドリンクバーからアイスコーヒーのお代わりを持ってきた基が席に着く。その妙に達観した言葉にシュラインとデュナスが苦笑した。
「何か基君、年寄りみたいよ」
「なっ…」
「一度言ってみたい台詞ですね。でも、私は一生言えないかも知れません」
 そう言いながらやっと笑いが出たところで、静は疑問に思っていた事を聞いた。
「そう言えば、翠さんはどうしてあそこに来たんです?別に怪現象を調べにという訳じゃないですよね」
「ああ、それですか…」
 もう過ぎた事なので話してもいいだろう。実は麗虎に頼まれて様子を見に来たという事を告げると、健一は何かを思い出したようにがばっと顔を上げた。
「何か『猛烈に嫌われてるから顔合わせにくい』とか言ってましたよ」
「違う!それ、兄貴が俺から金借りてて返してくれんだけや。返してもらわな」
 その様子を見て皆がほっと一息つく。どうやら少しは元気になったらしい。翠はそれを聞き呆れた。弟に金を借りて顔を合わせにくいとは。この借りはいつか返してもらわなければ。
「松田、飯喰って忘れよう。一人前なら奢る」
「そうするわ。にしても、怪奇現象ちゅうか、何かもの悲しい話やったわ」
 溜息を付き合う大地と健一に、翠がくすっと笑う。
「そうですね…いくら心から愛していても、死んだ者を蘇らせたりしちゃいけないんです。それが分かっただけでも糧にはなってますよ…」

 コンピューター室の異音は、ある日を境に噂にものぼらなくなった。
 その代わりコンピューター室の中に、時折ハーブの香りが風と共に舞い込む事があるという。
 そしてその部屋では、今日も恋人達が仲良く語り合っている…。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
6604/環和・基/男性/17歳/高校生、時々魔法使い
5598/烏有・大地/男性/17歳/高校生
5566/菊坂・静/男性/15歳/高校生、「気狂い屋」
6545/紅林・ヨシュア/男性/15歳/シャーマン・高校生

0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
6392/デュナス・ベルファー/男性/24歳/探偵
6118/陸玖・翠/女性/23歳/(表)ゲームセンター店員(裏)陰陽師

◆ライター通信◆
皆様ご参加ありがとうございます。水月小織です。
今回は「コンピューター室の異音」を探るという事で、学校を舞台にしてみました。でも、これを悪用すると邪神が呼べますね…皆様は呼ばないでしょうが。
学生側と大人側でオープニングなどが多少変わっていますので、読み比べるのも楽しいかも知れません。
皆様に見せ場を作り、NPCが全く役に立たない話になってます。ずっと何か食べていたような気が…。
リテイクなどがありましたら、ご遠慮なく言ってくださいませ。
ご縁がありましたら、またよろしくお願いいたします。