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<東京怪談ウェブゲーム 神聖都学園>


闇からの呼び声

「最近コンピューター室から変な声が聞こえる」
 そんな噂がまことしやかに流れ始めたのは、夏休みに入って補習や夏期講習が始まった頃だった。
 神聖都学園は都内ではかなり大きな学園で、夏期講習時には外からの生徒もやってくる。人が多いということは、それだけ噂も尽きないということだ。だから毎日のように何処かで変な事件や噂が立つのも珍しくない。
「アホか。それより今は進学講習とハラペコの方が問題や」
 松田健一(まつだけんいち)は学食内で古典の参考書を開き、校内で買ったパンを食べながらその話を聞いていた。運がいいのか悪いのか、今まで「超常現象」という物にお目にかかったことがない。出来れば見てみたいとも思っているのだが、そう思うとかえって見えないらしくその機会もやってこない。
 その声は何かを召還する声のようだと言われており、皆怖がってコンピューター室に近づこうともしない。
「そんなに言うなら、肝試し代わりにそのコンピューター室とやらに行ってみようや。夏休みのイベントって事でお一つ」

「それがどうして『肝試し』と繋がるのか分からないんだが」
 健一の言葉に貧血気味の頭を抱えてこう言ったのは、同じ神聖都学園高等部の三年である環和 基(かんなぎ・もとい)だった。基は霊などの存在を普通に見ることが出来、それを当たり前の物だと認識している。なので、その「異音」についても良くあることだろうと思っていた。
 健一は二個目のパンの袋を開けている。基からすると霊の存在よりも、小柄な健一が参考書を開きながら大量にパンを食べている方がある意味怖い。
「基先輩、霊とか信じない方なん?」
「信じないも何も、そこ…」
 そう言って学食の隅を指さそうとした瞬間だった。基の後ろから烏有 大地(うゆう・だいち)が現れそれを遮る。大地と基は友人同士で、基が霊などの存在を「当たり前のもの」として認識していることもよく知っているが、他の人はそうはいかない。これで怪談が一つ増えました…では笑えない。
「何…あ、大地か」
 自分を遮ったのが大地だと言うことに気付き、基はまた学食の椅子に座り直した。大地は持っていた冷たい缶ジュースを基に渡し、同じように椅子に座る。
「よう、松田。古典の講習どう?」
「どないもこないもどつぼやわ。数学とか物理とか、計算でぱっと出るのは得意なんやけど、古典は無理。見てるだけで腹減る」
 そんな事を言っている健一達の近くには、神聖都学園高等部の国際課の一年の紅林 ヨシュア(くればやし・よしゅあ)や、他の高校から講習を受けに来ている菊坂 静(きっさか・しずか)が座っている。何となく所在なさげにしていたら、健一がニコニコと笑いながら「飯喰うなら人数多い方が楽しいから、こっち来ーや」と誘ったのだ。
「そういう大地は数学の講習どない?」
「あーあーあ、聞こえない。数学なんか聞こえない」
 どうやらそれぞれ苦手分野があるらしい。静は学食で買ったミカンゼリーを食べ、ヨシュアは家から持ってきた弁当を食べながら話に参加している。
「僕は英語とか自信ないかな…」
「ヨシュアは英語なら喋れる。でも、日本語まだ苦手」
 周りではまだ「コンピューター室の異音」についての話が続いている。大地は自分が持っていたおにぎりを一個健一に渡しながら、それに耳を傾けた。
「噂、日増しに増えてるな」
 渡されたおにぎりを早速食べながら、健一は顔を上げる。
「大地、夏の思い出作りに一つ乗らん?コンピューター室まで肝試ししようや」
「何か出るのか?」
「実家のお好み焼きぐらい奢ったるけど…あと、数学関係なら教えるわ」
 高校生のパワーというのは基本的に間違った方向に向く。それが日々進学講習などで遊びに行く暇がない者達ならなおさらだ。大地は机から身を乗り出す。
「よし、俺乗った。基も乗るよな」
 いきなり自分の名前が出てきたことに、基は驚きながら缶ジュースを持ったまま大地の顔を見る。
「どうして俺まで…」
 すると一緒に座っていた静やヨシュアも手を挙げる。
「僕も参加したいです。夜の学校って何かそれだけで楽しいですよね」
「ヨシュアも行きたい。声が何か気になる。それにオコノミヤキ食べたことないから、食べてみたい」
 そんな事を言っているうちに、昼休み終了を告げるベルが鳴った。健一は古典の参考書やパンの袋を片づけながら、口におにぎりをくわえたまま喋る。
「おういうおあっああ…」
「…パンの袋持ってやるから、おにぎりを手に持って喋れ」
「松田、行儀悪い。お米、神さまいるから粗末にすると怒る」
 ヨシュアと基が横から参考書とパンの袋を持つと、健一はおにぎりを口から放して深呼吸をした。何だか餌を取られると思っている猫科の猛獣の子供のようだ。
「講習終わったらまたここ集合で。その時に詳しい話しようや」

 講習後、五人はまた同じ場所に座っていた。皆はそれぞれパックのジュースなどを飲んだりしているのだが、健一だけは何故かラーメンとカツ丼を食べている。
「お昼ご飯食べてましたよね?」
 その見事な食べっぷりに静が感心していると、健一と大地が普通に顔を見合わせる。
「松田はうちらの学年で唯一『早弁許可』だからな。こいつ食わないと倒れるんだ」
「だって腹減るし、しゃあない」
 その様子を見ながら基は「モグラのようだ」と思った。確か一日に体重の何倍もの食べ物を取らないと死ぬとか本で読んだことがある。
 ヨシュアはその食べっぷりが珍しいのか、自分の持っていた菓子を健一に与えた。
「ヨシュア、食ってええの?」
「求められている者に与えるの当然。健一ハラペコ、だから食べるといい」
「ありがとな、ヨシュア。代わりにラーメン一口食っていいよ」
 その様子を見ながら、大地は一枚の紙を出した。講習中や休み時間中、メールをしてみたり話を聞いたりして情報をまとめていたのだ。
「大地ってマメだよな」
「松田がおおざっぱすぎるんだ」
 もしかしたら自分が調べなかったら、適当な時間に忍び込むつもりだったろうか…そう思うと何だか恐ろしい。
 大地が調べた情報では、その声がするという時間帯は夜と言うことだった。吹奏楽のコンクールで時間外まで練習を許可されていた部員が、その声を聞いていた。鍵のかかったコンピューター室の中から、明らかに何かを呼ぶような声がしたというのだ。
「性別とかが分かればいいんだが」
 基がそう言うと、大地は困ったように首を横に振る。
「それが、機械音が加工されたみたいな声で男女は分からないって言うんだ。声の話が出始めたのは夏休みに入ってからで、人がいない時にその声がするらしい。誰かが使ってるとダメらしいんだ」
「声用心深い。人いるとダメ。ヨシュア達いるの気付かれたら、きっと声出てこない」
 ヨシュアの提案に皆が考え込む。おそらくそこで張り込んでいると、そのまま朝という大変どうしようもない結果になるかも知れない。そこに静が顔を上げる。
「コンピューター室の隣って何の教室になってます?」
「…資料室だな。あそこは鍵が甘い」
 皆が思い出すより前に基がそう言う。資料室の鍵は前々から鍵が壊れているのだが、さほど重要な物も入っていないので鍵はそのままになっている。それを聞き、健一がにっと笑う。
「じゃ、一旦家帰って色々物持って午後七時に校門の前で集合して、資料室に入っとこ。それぐらいの時間だと天文部とか活動しとるから出入りしても不審にならんし。それで人がいなくなってからコンピューター室に忍び込む言うことで。異議のある人ー」
 その言葉に大地が小さく手を挙げる。異議があるわけではなく、その時間は夕飯を作っている時刻で、どっちにしろ家から出て行ける気がしない。
「大地来られんの?」
「いや、夕飯作らなきゃならないから俺と基は後で行く。松田、隠れておいて資料室の窓を開けてくれるか?夜食持って来てやるから頼むな」
「分かった、一番後ろの窓開けとくわ。夜食ならパンより米、出来るならおにぎりで」
 それを聞き、静は密かに自分もおにぎりを作って持ってこようと思っていた。コンピューター室の異音も気になるが、健一がどれだけ食べるかも気になる。
「健一、ヨシュアも何か持ってくるか?」
「んー、自分が必要と思うものでええよ。じゃ、軽くもう一杯うどん喰って帰るかな…」
 その言葉に思わず全員が心の中で突っ込んでいた。まだ食うのか…と。

「ちーっす」
 午後七時。神聖都学園高等部の正門の前で、健一はラフな私服にワンショルダーのバッグを持って静とヨシュアを待っていた。そして二人を連れて何事もないように、すたすたと二階の資料室まで歩いていく。
「夏休みっても、海もどこも行ってないから休んだ気せんわ。二人とも何か夏っぽいことした?」
 何気ない健一の質問に、静やヨシュアが考える。
「僕はよく行くお店のイベントで、浴衣で花火とかしました」
「日本の夏、ヨシュアがいたところより涼しい。だから過ごしやすい。それにスウェット・ロッジはもっともっと暑い」
 私服で歩いていてもさほど気にもしないのか、すれ違った教師達も普通に挨拶をする。もしかしたら生徒数が多すぎて、受け持ち生徒以外の顔を覚えていないのかも知れない。
「『スウェット・ロッジ』って、サウナみたいな中でやる儀式よな」
「健一よく知ってる。スウェット・ロッジ、誕生の儀式。やったことあるのか?」
 ヨシュアが珍しく嬉しそうな顔をして聞くので、健一は戸惑いながらも資料室のある廊下を見た。人影がなく、教室の鍵も壊れたままだ。
「いや、俺はやったことないけど、兄貴が取材で行ったことがあって話に聞いた。兄貴最近そっち方面の記事よう書いとるから」
「アニキ?」
「兄弟のことです…Brotherでいいのかな」
 それで意味が分かったようだ。ヨシュアは静の説明を聞き、笑って頷く。そうしているうちに健一はそっと音を立てないようにドアを開け、二人を呼び寄せた。
「今のうちや…中入れば後はいくらでも喋れるから」
 資料室に入り込み、健一は大地に言われた通り一番後ろの窓の鍵を開ける。
「暑かったら少し窓開けて風入れよか」
 窓からは涼しげな風が入ってきている。健一はバッグを肩から降ろし、床の上で色々と確認をしている。
「何持ってきたんですか?」
 健一が持ってきたのは侵入手助け用のロープと工具セット、虫除け用のハッカ油を薄めたスプレー、そしてモバイル用のパソコンだった。あとはおにぎりや凍らせた飲み物が入っている。
「健一、パソコン何に使う?」
「んー、何かあった時に使えるかな思って。取りあえず腹が減っては戦が出来んから、何か食べよか」
「あ、僕もおにぎり持ってきました。ヨシュア君は梅とか大丈夫かな…」
 静はそう言いながら、自分で作ってきたおにぎりを二人に差し出した。それを健一は嬉しそうに受け取る。
「静、ありがとう。ヨシュア梅干し好き、だから大丈夫」
「わーめっちゃ嬉しいわ」
 夏の夕暮れの教室で、三人はそっとおにぎりを食べながら話をしていた。人の足音が聞こえると息を潜め、遠ざかるとクスクスと笑う。学生ならではの醍醐味だ。
「松田さんって、一日どれぐらい食べるんですか?」
 静の質問に健一は指を折りながら考える。
「学校通っとる時は起きて朝飯食って、学校着いたら持ってきたおにぎり食って、二時間目と三時間目の間に一個目の弁当食って、昼休みに弁当と学食で何か食って、六時間目終わったら買っといたパン食って…」
「い、いや、もういいです。そんなに食べるんですね」
 自分の指に着いたご飯粒を食べながら、健一は窓の外を見た。窓から見える空は、隣の部屋で怪奇現象が起こっているなどと信じられないような綺麗なグラデーションだ。
「でも別に病気とか、腹に虫がおるって訳でもなくて、本当にハラペコなだけ。兄貴はよく『前世の呪いで餓鬼道に堕ちた』とか言うけどな」
 そう言いながら笑う健一に、何かが憑いているような気配はない。それは静からもヨシュアからも分かる。そもそも何かが憑いているようなら、こんなに人懐っこく元気ではいられない。
「さて、大地と基先輩何時頃来るんかな。メールでも打ったろか」

 午後八時。健一の携帯電話が短く震えた。電話を開くとそこには大地からのメッセージが入っている。
『今行く』
「ずいぶん短いメールだな」
 敷地内に人がいないことを確認しながら、基は大地の携帯を覗き込んだ。するとさほど時間がかからないうちに返信が来る。
『早よ来い』
 何だか殺伐としたやりとりだ。基は溜息をつきながらも、大地の背中にしがみつく。
「あのさ…大地。イモリみたいな潜入だよな…つか、何で俺はこんなへばり付き…」
 やや不本意だが、鍵のかかった校舎に入り込むには仕方ない。
「これしか方法ないんだから仕方ないだろ」
「…一階の窓を開ければ良かったような気もする」
「そういう事はもっと早く言え」
 大地は背中に基がいることなど気にならないというように、力強くどんどんと上を目指して上っていく。肩越しに上を見上げると、資料室の後ろの窓からロープがたらされる。
 その時だった。
「基、どうした?」
「いや、今何かに見られてた気がした」
 「何か」ではなく「誰か」の気配がした。その気配を知っているはずなのに、それが誰だか思い出せない。だがその気配は基が気付いたのと同時にふっとかき消える。
 そんな事を考えている間に窓までたどり着いたようだ。中から静やヨシュアが手を取り二人を中に引っ張り込む。
「基先輩こんばんは。大丈夫ですか?」
「二度と窓から侵入なんてしないって気にはなった」
 窓から下を見て基は思わずぞっとした。大地に力があるとはいえ、手でも滑らせていたら怪我どころでは済まないかも知れない。そんな基をよそに、大地と健一は栄養ドリンクのCMごっこに興じている。
「ファイトー…って何で一発って数えるんやろな」
「一個ー!じゃ、力出なそうだろ」
 大地は窓を閉め、懐中電灯を付けた。そして持ってきたおにぎりを健一に差し出す。
「ほら、具だくさんおにぎり。何か変わったこととかあったか?」
「今のところ…」
 その刹那、誰もいないはずなのに資料室の外から何かが開けられる音がした。
「しまっ…」
 だが、ドアを開けたのは意外な人物だった。

「どうしてあなた達がここにいるの?」
「それはこっちの台詞ですよ」
 ドアの中にいた健一達と、ドアを開けたシュライン達は驚きを隠せないままお互い絶句していた。シュラインやデュナスが見たことがないのは、背の低い猫科の猛獣の子供のような少年と、日本人ではない少年の二人だけで、大地や基、静には面識がある。
「静の知り合いか?まあ入れ」
 ヨシュアがそう言いながらデュナス達を教室に入れ、ドアを閉める。健一は見つかったと言うよりも大地が持ってきたおにぎりを食べるのに忙しい。それにこの二人は学校の関係者ではないようだ。関係者ならこんなにそっとドアを開ける必要はない。
「ちょっとちょっと、説明してちょうだい。まさかあなた達がコンピューター室の異音の原因…って事はないわよね」
 困ったようにきょろきょろするシュラインに、健一が何か言おうとする。
「いあ、おえあえんえん…」
「俺が説明するから、松田は黙って飯を食え」
「あい」
「飲み物いります?」
「あい」
 静が苦笑しながら持参してきた水筒から水を出して健一に渡した。
 話をしてみると、どうやらお互い「コンピューター室の異音」について調べに来たらしい。その「音」はコンピューター室に人がいると聞こえないという話を聞き、シュラインは借りてきた鍵を見つめながら溜息をつく。
「仕方ないわね。今から帰れって言わない代わりに、一緒に行動しましょ。何かあった時に責任者がいた方が君たちもいいでしょ」
「ありがとうございます」
 何故か正座をしながら学生達がぺこぺこと礼をするのを見て、デュナスがくすっと笑う。
「学生の頃はいろいろやりますよね。ところで、そちらの二人とは初めてなんですけど、お名前は?私はデュナス・ベルファーというものですが」
 デュナスが自己紹介をすると、二人が顔を見合わせながら自分の名を名乗る。
「紅林ヨシュア。日本語あまり上手くない、よろしく」
「神聖都学園高等部二年、松田健一。常にハラペコ」
 その名前を聞きシュラインが何かに気付いたように健一の顔を見た。
「松田君って、もしかしたらフリーライターのお兄さんがいない?ちょっと変わった名前の…」
「あ、それ多分兄貴やわ。ふつつかな兄がお世話になっとります」
 おにぎりを持ったまま頭を下げる健一を見て、シュラインとデュナスが笑う。そう言われれば雰囲気とかが確かに似てなくもない。
「まあつもる話は後にして、取りあえず声がするまで待ちましょう…って、基さんは誰と話をしてるんですか?」
 皆がコンピューター室の異音の話などをしているのを横目に、基は明後日の方向を見て何かを喋っていた。静に言われると、基は平然と皆の顔を見る。
「いや、警備員の巡回時間やルートを聞いてた」
「誰に」
「この人」
 そう言って基が指さした先は虚空だった。基の『現瞳』では当たり前に見えているのだが、それを全員が認識できていないのを基はいまいち理解していない。それを聞き大地は頭を抱え、静とシュライン、デュナスは困ったように笑い、ヨシュアはうんうんと頷いた。
「どこにでも精霊いる。基、精霊と話できる、すごい」
 健一はそんな二人を見て一生懸命何かを見ようとする。
「全然見ーひんわ。俺も幽霊見たり金縛りにかかったり、取り憑かれたりしてみたいわ」
 それを聞き、基はそっと健一を見た。多分その願いは一生叶わないかも知れない。健一の回りには超常現象や霊の類が近寄れないバリアのような物がある。相当強い霊でもなければ取り憑くことはおろか近づくことも出来ないだろう。夢を壊さないために黙っておくことにするが。
「それにしても、どれぐらいの時間なんでしょうね…」
 デュナスがそう言いながらそっと時計のバックライトで時間を見る。生徒が声を聞いていると言うことは真夜中ではないはずだ。ただの噂なのか、それとも本当に何かを呼んでいるのか…。
「ねえ、軽食作ってきたんだけど食べる?もしかしたらおにぎりとかでお腹一杯かも知れないけど」
 シュラインが差し出したサンドイッチを見て、健一が丁寧に両手を合わせる。
「パンはおやつなのでありがたく頂きます」
 それを聞き、静や基、大地とヨシュアは心の中で「まだ食べるんだ…」と思っていた。もしかしたら、コンピューター室の異音よりも恐ろしいのは、健一の腹の中かも知れない…。

 午後九時。
「そろそろ一度コンピューター室に入って様子を見てみたいわね。基君、警備員の巡回は何時頃なの?」
 シュラインが鍵を持って立ち上がった。声がするしないに関わらず、カスミから鍵を借りたからには様子だけでも見ておきたい。基はまた虚空に向かって何かを喋り始める。
「午後七時の巡回を抜けたから、次は十一時みたいだ。後は朝まで人が来ないらしい」
 それを聞くと、皆立ち上がって伸びをし始めた。いよいよここからが真骨頂だ。そう思うと何だか妙にドキドキする。
「ヤバイ、何か緊張してきた」
 大地が思わず口走ると、デュナスが同意したように頷いた。
「こういうのって、後々思い出になるんですよね…」
 そっと皆で資料室を出て、シュラインは静かに鍵を開けた。人が来ない事は分かっているのだが、やっている事が多少後ろめたい事もあり、妙に緊張する。そしてコンピューター室に全員が入り込んだ。
「皆ちゃんといるかしら?」
「大丈夫です。灯りをつけると怒られそうなので、懐中電灯であちこち見てみましょう」
 静は持っていた懐中電灯の明かりを調節した。基と健一は一番前にあるパソコンをチェックしていく。
「特に基盤不良とかそういうのじゃないみたいだけどな…起動させてみるか」
「じゃ、基先輩。俺モバイル持ってきたから、こっちから繋がるか確認するわ」
 ヨシュアは辺りをきょろきょろしながら何かを感じ取っていた。よく分からないが、この『場』には何かの存在を感じる…持ってきていたホワイトセージの香に火を付けようとした時だった。
「………?」
 ブン…という独特の電子音と共に、パソコンが起動していく。だが、いつもの起動画面ではなく、画面には何か魔法陣のような物が描かれていた。ヨシュアは香を焚くのを止め、基と健一の顔を見る。
「これつけたのお前達か?」
「違う…全部が一度に起動するようなプログラムはされていない。それに…」
 そう言って基が指を指した先には、健一が持ってきたモバイル用のパソコンがあった。だがそれも同じように起動しており、画面にはやはり魔法陣が描かれている。
「こんな起動画面入れとらん…」
「何か、声がします」
 静が言うようにパソコンのスピーカーから声がする。ヨシュアは香を焚き、その『存在』が何を言おうとしているのかを確かめようとした。悪意がある者なのか、それとも何か別の者なのか…。
「お前、何を求める?」
 何かを呼ぶような響き。それは少しずつ音をずらし、だんだんと大きな声になっていく。だが、その奥で小さな声がするのを皆は聞き逃さなかった。
『お願い…私を呼ばないで…私を起こさないで…』

「………?」
 蒼月亭の中で翠はその「何かを呼ぶ響き」に気付いていた。
 これは召喚の呪だ。しかも本来ならたくさんの人物を使ってやるはずの、死者召喚の禁呪…確かにパソコンを使えば発音を間違えることも、精神力が尽きることもないだろう。
 しかしそれで呼び出された者が、必ずしも正気を保っているとは限らない。肝試しにしては相手が厄介すぎる。
「どうした、翠」
「いや、ちょっと外の空気を吸ってくる」
 そう言って翠は外に出て、空間移動の術で皆の元へと飛んだ。
 一体誰が死者を呼び出そうとしたのか…そして何をする気なのか。
 場合によっては、とんでもないことになるかも知れない…。

 その瞬間、コンピューター室の入り口が一気に開けられた。
「…ここの生徒達か?」
 そう言って扉を開けた男はコンピューター室の灯りを付けた。中にいた皆は暗さに目が慣れていたため、その光に一瞬目を細める。
「あの人、医学部の助教授だ…」
 大地はその顔に見覚えがあった。風邪をひいて神聖都学園の医学部付属の病院にかかったとき内科の担当が彼だったのだ。それを聞き、ひょっこりと現れた翠が口を出す。
「内科のお医者様が召喚術とは物騒ですね」
「うわ!」
 今までいなかったはずの翠が一緒にいることに、デュナスは驚きを隠せない。だが、どこから来たとか、何故ここにいるかとかを聞いている暇はなさそうだ。男はパソコンの画面を満足そうに見て、ニヤッと笑う。
「どうしても声が足りなかったが、どうやら君が持ってきてくれたパソコンで全てが揃ったらしい。感謝するよ」
 最後の一台は、どうやら健一が持ってきたモバイルのことらしい。それを聞き、ヨシュアが香を焚いたまま顔を上げる。
「お前、何を呼び出す気だ?」
「あの声は『私を呼ばないで』って言ってました。貴方はそれでも何かを呼ぶんですか?」
 静とヨシュアの言葉に男が喉の奥で笑う。その様子を見ながら、デュナスはフランス語のサークルでやったフリートークの話を思い出していた。
『助教授が奥さんを亡くしてから、ちょっと様子がおかしい』
 もしかしたらそれは、目の前にいる彼のことなのかも知れない。だとしたら、呼び出す者は…。
「『私を呼ばないで』だと?そんな事を言うはずがない…妻が病に倒れてから、私は色々なものにすがった。だが、医学も神も妻を救ってはくれなかった…」
 パソコンから響く声は止まらず続いている。健一は強制終了のコマンドを何度も入れているのだが、それを全くパソコンが受け入れない。それどころか電源を切っても起動し続けている。
「あかん、パソコン止まらん…」
「こりゃ何か呼ばれるまで続くな。それが手に負える者だったらいいんだが」
 何かか呼び出される気配。それはだんだん近づいてくる。だが、大きな力というわけではなく、もっと些細で密やかな気配…大地もそれに気付いたように息を飲む。
「もしかして、貴方は奥様を呼び出そうと?」
 シュラインの質問に返事はなかった。死んだ妻を蘇らせようとするのは、今も昔も変わらないのか…その想いはあまりにも強く、あまりにも悲しい。そしてその結末も同様に。
「でしたら、呼び出してみては如何ですか?」
 翠がそう言いながら健一や基達をそっと自分の方に寄せた。男は召喚術が完成されることに夢中で、全くこっち側に興味を持っていない。
 そして声が止まると共に、全てのパソコンが起動を止めた。
「あれは…誰だ…?」
 ややしばらくの静寂の後、大地が絞り出すようにそう呟く。コンピューター室の真ん中に立っていたのは…確かに女だった。だがあちこちの皮膚が醜く崩れ落ち、生前の面影は全くない。
『どうして私を呼び出したの…』
 その言葉から漂うのは圧倒的な悲しみだった。死んだことが悲しいのではない。この姿のまま呼び出されたことが悲しいのだろう。
 呼び出されさえしなければ、美しい思い出のまま心の中で生きて行けた。
 死というのは時として残酷だ。その循環の間に永遠の美しさはない。もしそれがあるとしたら、それは心の中だけだろう。
 驚愕の表情を隠せない男に、翠がふっと笑う。
「貴方の愛した奥方ですよ。貴方が呼び出してやってきたんです…さあ、その手を取ったら如何です?」
「嘘だ…嘘だ嘘だ嘘だ…」
 女の眼窩から一筋の涙がこぼれた。それを見て、静がそっと近づきハンカチを差し出す。
「だから貴女は呼ばれたくなかったんですね…」
 ホワイトセージの香が漂い、その煙の中に美しい女性の姿が見えた。それがおそらく彼女の生前の姿だったのだろう。皮肉なことにその姿は呼び出した者には見えず、自分達にだけ見えている…。
 男に近づき殴りかかろうとする大地をデュナスが一生懸命止めた。
「大地君、やめてください!彼を殴ってもあの人は喜ばない!」
「そんな事分かってる…だけど、あんたの愛ってのは、姿が変わったぐらいで怖じ気づくような物なのか?」
 そんな大地の前に基が出た。大地は両親を事故で亡くしている。だからこそ、余計に自分勝手に死者を呼び起こした男の事が許せないのだろう。
「まるで黄泉平坂だな。イザナギとイザナミのように人は禁忌を犯してしまう…って、もう聞こえてないか」
 自分の妻だったものを凝視しながら、男は放心していた。死んだ妻を蘇らせ、その代わりに自分の心を殺してしまった…後味は悪いが、これが彼の運命だったのだろう。ある意味本望かも知れない。
 健一は自分のパソコンを閉じ、手の甲で目をこすった後そっと彼女の元に近づく。
「俺が面白半分の肝試しなんかやったから…」
 その言葉に彼女は首を横に振る。それはシュラインや翠にも分かっていた。
 もし健一達が肝試しなどをしなくても、いつか彼女はここに呼び出されていただろう。そしてその時に二人きりだったら、その時の方が彼女の悲しみは深いはずだ。少なくともここに皆がいた事で、彼女のために怒ったり泣いたりしてくれる人がいる…その方が彼女にとっても嬉しいはずだ。
「死はまた生まれるための旅、きっとまた幸せなれる」
 ヨシュアのホワイトセージの香が一層強く香った。その煙の中で、彼女は笑いながら放心したままの男に近づいていく。
『一緒に連れて行ってもいいかしら…心が死んでしまったこの人を一人にしておけない』
「いいの?眠っていた貴女を無理矢理呼び出した人なのに」
 戸惑いを隠せないようにシュラインがそう聞くと、笑う代わりに香の煙が揺れた。
『それでも愛してるの…』
 その言葉を聞き翠が呪を唱える。それが唱え終わると二人の姿は消え、元の学校の静寂の中清らかな気が漂っていた。

「何か、俺のせいで悪い事したような気がする」
 午後十一時。二十四時間営業のファミレスで、健一は溜息をついていた。だが食欲は相変わらずのようで、しっかりと目の前のハンバーグセットを食べている。
 ヨシュアはそんな健一の顔を覗き込みながらふっと微笑んだ。
「健一悪いことしてない。だから悲しむと皆も悲しい。ヨシュアの知ってる教えにこういう言葉ある。『答えがないのも答えのひとつ』」
 その言葉を聞き、大地がアイスコーヒーの中の氷をストローでつつく。
「そうなのかも知れないな。俺はあいつに腹立ったけど、あの人はそれでも愛してるって…俺にはその気持ちがよく分からない」
「でも、イザナギの頃から男は同じ事を繰り返す。そういうものかも知れないな」
 ドリンクバーからアイスコーヒーのお代わりを持ってきた基が席に着く。その妙に達観した言葉にシュラインとデュナスが苦笑した。
「何か基君、年寄りみたいよ」
「なっ…」
「一度言ってみたい台詞ですね。でも、私は一生言えないかも知れません」
 そう言いながらやっと笑いが出たところで、静は疑問に思っていた事を聞いた。
「そう言えば、翠さんはどうしてあそこに来たんです?別に怪現象を調べにという訳じゃないですよね」
「ああ、それですか…」
 もう過ぎた事なので話してもいいだろう。実は麗虎に頼まれて様子を見に来たという事を告げると、健一は何かを思い出したようにがばっと顔を上げた。
「何か『猛烈に嫌われてるから顔合わせにくい』とか言ってましたよ」
「違う!それ、兄貴が俺から金借りてて返してくれんだけや。返してもらわな」
 その様子を見て皆がほっと一息つく。どうやら少しは元気になったらしい。翠はそれを聞き呆れた。弟に金を借りて顔を合わせにくいとは。この借りはいつか返してもらわなければ。
「松田、飯喰って忘れよう。一人前なら奢る」
「そうするわ。にしても、怪奇現象ちゅうか、何かもの悲しい話やったわ」
 溜息を付き合う大地と健一に、翠がくすっと笑う。
「そうですね…いくら心から愛していても、死んだ者を蘇らせたりしちゃいけないんです。それが分かっただけでも糧にはなってますよ…」

 コンピューター室の異音は、ある日を境に噂にものぼらなくなった。
 その代わりコンピューター室の中に、時折ハーブの香りが風と共に舞い込む事があるという。
 そしてその部屋では、今日も恋人達が仲良く語り合っている…。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
6604/環和・基/男性/17歳/高校生、時々魔法使い
5598/烏有・大地/男性/17歳/高校生
5566/菊坂・静/男性/15歳/高校生、「気狂い屋」
6545/紅林・ヨシュア/男性/15歳/シャーマン・高校生

0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
6392/デュナス・ベルファー/男性/24歳/探偵
6118/陸玖・翠/女性/23歳/(表)ゲームセンター店員(裏)陰陽師

◆ライター通信◆
皆様ご参加ありがとうございます。水月小織です。
今回は「コンピューター室の異音」を探るという事で、学校を舞台にしてみました。でも、これを悪用すると邪神が呼べますね…皆様は呼ばないでしょうが。
学生側と大人側でオープニングなどが多少変わっていますので、読み比べるのも楽しいかも知れません。
皆様に見せ場を作り、NPCが全く役に立たない話になってます。ずっと何か食べていたような気が…。
リテイクなどがありましたら、ご遠慮なく言ってくださいませ。
ご縁がありましたら、またよろしくお願いいたします。