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<東京怪談ウェブゲーム 神聖都学園>


idは何よりも深し

 曰く。
 女子更衣室を覗く“何か”がいる。
 曰く。
 女子の家庭科実習を覗く“何か”がいる。
 曰く。
 女子のプールの授業を覗く“何か”がいる。
 曰く。
 女子ばかりの吹奏楽部の練習を覗く“何か”がいる。
 曰く。
 女子の体育の授業を覗く“何か”がいる。
 
 
 「というわけで、響先生。調査の方宜しくお願いしますよ。噂話じゃすまない規模になってしまったのでね」
 「な、なななななななんで私なんですか!?」
 「だって響先生、吹奏楽部の顧問でしょ」
 「でも、でもでも!体育の八千穂先生や家庭科の舞草先生や水泳部の双樹先生だっていらっしゃるじゃないですか!」
 「皆さん怖がってねぇ。その点、響先生は怖くないでしょ。普段から、怪奇現象なんて無い!って仰ってるんだし」
 「あぅ・・・・・・えと、それは・・・・・・」
 カスミは今までの勢いは何処へやら、一気に萎んで腰が引ける。教頭は気の弱そうな表情で天辺だけが異常に豊かな頭をかきながら、話を続ける。
 「女生徒の覗きなんて羨ま・・・・・・ゲフンゴフン!とにかく、由々しき事態なんですよ。吹奏楽部の練習にだって支障が出るでしょ。一週間以内に何とかして下さいよ」
 「ええっ!?ちょ、ちょっと教頭先生、待って下さ・・・・・・」
 制止の声も空しく、教頭はさっさと席を立って何処かへと行ってしまった。
 「ど、どうしよう・・・・・・」
 
 
 「・・・・・・というわけで、何とかして頂戴」
 「え。いや、何とかって何すればいいんですか」
 「その、怪奇現象を解決してくれればいいの。先生、ちょっと職員会議が一週間続けてあるからお手伝いできないけど、宜しくね、御陵くん」
 御陵くん、と呼ばれた少年は、神聖都学園高等部の制服を着ている。パッと見た様子では極ありふれた男子高校生だ。
 「や、あの、先生。俺ただの占い師見習いだから」
 「教頭先生の話だと、“何か”は女子しか居ない時にしか出ないそうよ。だから女子は結構見かけている子が多いみたい。特に何をするわけじゃなくて、覗いているだけなんですって」
 「人の話し聴けよ!!」
 「でも覗きって、御陵くんは男の子だから判らないかもしれないけど、本当に気持ち悪いのよ。学園の女子の為に頑張って、ね?」
 「拝んだって無理ですよ。俺お祓いなんて出来ませんから」
 「じゃあ頼んだわよ、除霊委員!」
 「勝手に妙な役職振らんで下さい」
 言うが早いか、カスミはさっさと逃げ出した。御陵は呼び止めようとしたが、あの様子では協力すらしてもらえないだろうと諦め、嘆息した。
 自分でも言うとおり、居場所を探り当てる事くらいはできるだろうが、御陵は霊退治なんて出来ない。
 まずはそういう事が出来る奴を募らなければならない。
 この学園は広いし、部外者もゾロゾロと出入りしているから、呼び掛ければ物好きな奴達が集まる事だろう。
 しかし面倒な事になった、と御陵は思い切りため息をついた。
 
 
 
 
 
 御陵・黎一郎はカスミがそそくさと去った後、大きくため息を付いた。
 「ため息を一つすると幸せが逃げていくよ〜」
 「のわっ!」
 背後からの突然の声に、御陵は大きなリアクションを取って後ずさる。声の主はケヴィン・トリックロンドだった。臨時ではあるが、神聖都学園高等部の英語教師だ。御陵のクラスもケヴィンの受け持ちである。
 「な、なにしてんすか、先生!」
 先生。
 この言葉はある意味禁句である。
 ケヴィンの事をそう呼ぶと、何故かもんどりうって悦―喜ぶのだ。最近はそれなりに落ち着いてきたようだが、口の巧い生徒がケヴィンを煽てて小テストの問題用紙を手に入れたという伝説がある。真偽の程は深い深い闇の中。
 「そう、僕は先生・・・・・・」
 前髪を払ってポーズを決める。風の無い状態にもかかわらず軽やかに髪が流れる。そしてそのポージングがやたらと格好良く、決まっているのがなんだか性質が悪い。
 数人の女子生徒が二人を、というかケヴィンを遠巻きに見ながら、きゃあきゃあと盛り上がっている。黙っていれば、ファッション誌で“抱かれたい男No.1”になる俳優よりも余程整った顔立ちをしているから、ケヴィンのファンも相当数に達している。彼女たちもその一部だろう。
 「だから協力してあげよう!なんたって僕は、英国紳士である上に教師だからね!生徒の安全は護っちゃうよ〜★」
 「話し聞いてたんですか?」
 「ウン」
 満面の笑みで答えるケヴィン。それを見ていて、御陵はちょっぴりしょっぱい気持ちになった。
 ―ならもっと早くにでてきてくれればいいのに、と。
 ケヴィンの事だから、事態がより面白くなるまで黙っていたのだろう。間違いない。
 「じゃ、お祓いとか出来るんですか」
 「んにゃ、出来ないよ★」
 グッ、と親指を突き出しガッツポーズ第二弾。この大きな自信は何なのだろう・・・・・・。
 再び大きくため息をついたとき、二人の男子生徒が通りかかった。
 「二人とも、なにしてんの?」
 顔を上げると、そこには長身で鋭い雰囲気を持つ鳥有・大地(うゆう・だいち)と、何処と無く不機嫌そうな整った顔立ちをした環和・基(かんなぎ・もとい)だった。
 二人とも派手な服装はしていないのだが、通りすがって女子生徒が思わず振り向いてしまうよう顔立ちをしているので、人を寄せ付ける雰囲気をしている。
 しかし大地はパッと見キツい印象だし、基は不機嫌だと思われがちなので、遠巻きに見られているだけにとどまっている。大地と基の愛想が韓流スター張りに良かったら、学園中は毎日大変な騒ぎになる事は間違いない。
 とろこで御陵は大地や基とクラスや学年は違ったが、少しばかり面識があった。
 なのでついつい愚痴になりかかる様な、カスミからの頼みごとの内容を伝えた。
 「実はさ・・・・・・」
 
 「覗き魔ね・・・・・・悪趣味な」
 呆れ果てた様子の基は、呆れ果てて呟いた。
 「とりあえず変態確定だな」
 大地の方もため息交じりに断言した。
 「そういえば、クラスの女子が騒いでいたよな。なにに騒いでいるのかまでは判らなかったけど、覗き魔なんて出てたんだな」
 「料理研究部の女子達も言ってたな」
 「Mr.鳥有とMr.環和も知ってたのかい?」
 「噂を聞きかじった程度ですけど」
 「よし!じゃあ皆で学園の平和のために一肌脱ごうじゃないか!」
 ケヴィンが大地と基の肩を大きく叩く。基はその力に負けたのか少しバランスを崩したが、大地が咄嗟に腕を持って支えたおかげで倒れずには済んだ。ちなみにケヴィンはまったくのお構い無しだ。
 大地と基は暫く顔を見合わせていたが、御陵のすがる様な視線と態度に負けた。
 やる気満々のケヴィンに振り回されそうなのを哀れんだのかもしれない。
 まずは大地が作戦第一案を出した。
 「じゃあ、現れそうな箇所に散らばった方がいいんじゃないか?」
 「目撃されたのは、更衣室とか家庭科室とか、体育館とかだ」
 「なら俺は家庭科室行ってくる。女子が不安がってたから」
 大地は料理研究部ではないが、時々顔を出していて顔馴染みなのだ。家庭の事情ですっかりと主夫っぽくなってしまっている要因の一つに、料理研究部―略して料研―への出入りがある。そこで新作レシピを仕入れては叔父に腕を振るうのである。
 基に“生活臭がする”と言われてはヘコむのだが、自分でも自覚しているのがまた哀愁を誘う。そしてその姿は女子の格好の餌食となる。
 「じゃあ俺は情報収集してくる。出た所の近くに居る人に話しを聞いてくるよ」
 「なら俺もそうするよ。特に何か思い当たることもないし」
 基の案に御陵が乗る。大義名分は“基が倒れたとき一人だと危ないから”だ。
 ケヴィンはしばらく迷っていたが、何かを思いついたらしく基達について行く事になった。
 「みんな、何かあったら連絡くれな」
 片手を上げて、一足先に大地が家庭科室へと向かった。残る三人もまずはじめに更衣室へと向かうことにした。



 シュライン・エマは神聖都学園を訪れていた。用件は彼女が勤めている興信所関連のものだったが、詳しくは守秘義務が発生するのでナイショ。である。
 途中、カスミと会ったので、学食でお茶をする事になった。時間が時間なので、人気はなく、食堂のおばちゃんとシュラインとカスミだけがいる。昼時は生徒で芋洗い状態になるのだが、今はガラリとしすぎていて少し物足りない。
 「覗き魔?」
 「そうなのよ〜。今うちの除霊委員が調べているんだけどねー」
 どういう流れでそうなったのかは定かではないが、カスミは事件のことをため息混じりにシュラインにこぼした。本日はため息祭りのようだ。カスミの場合幸せが逃げていくというよりも婚期が逃げていきそうだ。勿論本人には秘密である。生徒に好かれているのと婚期とはまた別物なのである。
 「それは大変ね。警察に相談した方が良いのではない?」
 「教頭先生がね、騒ぎを大きくしたくないみたいなの。ほら、うちは私立校じゃない?変な噂が立って次年度の新入生が減ると困るらしいのよ」
 シュラインは苦笑した。
 生徒の事を考えたらそんなのんきな事を言っている場合ではないと思うのだが、経営が関わるとなるとそれも死活問題になる。後者の意見が勝手だと思えるほどシュラインは子供ではない。
 「それ、カスミさん達先生方には被害は出ていないの?」
 「そう、そこなのよ!!」
 ガンとプラスチック製の安物のコップをテーブルに叩きつける。その拍子に中の水が宙に浮く。シュラインは驚いて目をパチクリさせた。
 「私達には何の被害も無いのよ!!一体どうして!?何が問題なのよ!着替えシーンは確かに少ないけど、生徒達だって着替えだけを覗かれているわけじゃないのに!」
 がばっとテーブルに頭を押し付けて嘆く姿は、彼氏に二股を掛けられた挙句あっさりと捨てられた微妙なお年頃のOLの様である。
 「やっぱり十代の肌には二十代は敵わないって言うの!?あんな小娘達には無い大人の色気って言うものが私達にはあるじゃないのよぅ!!」
 「カスミさん、落ち着いて・・・・・・」
 嘆きの理由がヒシヒシと判る為か、シュラインは優しくカスミの肩を叩く。
 十代の頃にはひたすら若さのエネルギーに甘えていたが、そう、二十歳を少し過ぎた頃から実感するのだ。水を弾かなくなったとかではない。まだまだ十分に水は弾く。
 ―決して強がりなどではなくて。
 日に焼けやすくなったな、とか。
 擦り傷の治りが遅いかな、とか。
 そういうほんの些細な事が気になってくるのである。
 ふと外を見ると、小さくだが女子生徒が体育の授業でグラウンドを走っている。
 ああ、若さが眩しい・・・・・・。
 シュラインは二十六歳、まだまだ若いのだが、やはり十代は羨ましいものだ。
 「それにしても今日は暑いわねぇ・・・・・・」
 生徒がいない状態なので冷房が厨房にしか入っていない為か、食堂は日当たりも良いので結構暑い。たまに厨房から流れてくる冷気が逆に暑苦しい。
 シュラインはツイードのジャケットを脱いで、椅子にかけた。下は薄い水色のチューブトップ。手で仰いで見るが、温い風しか来ないのが切ない。
 「シュラインさんは色が白くていいわよねぇ〜・・・・・・」
 白くしなやかなシュラインの細腕をカスミが羨ましそうに見つめる。少し二の腕の辺りが気になるカスミとしては大層羨ましい腕なのである。
 ジィ、とカスミからの視線とは別に、シュラインは何かの視線を感じた。ゾクリと背中に悪寒が走る。ふと後ろを振り向くと―
 奴が、いた。
 その姿は白くて半透明で辛うじて上半身が人間の形を保っていて、下半身は煙草の先から出ている煙の様に不定形だ。
 べっとりと大きな窓ガラスに張り付いて、シュラインのしなやかで柔らかそうな首から肩にかけてのラインをジッと見つめている。
 「・・・・・・っ!!」
 あまりのおぞましさにシュラインは叫ぶよりも早く、手元にあったコップを思い切り投げつけた。
 ガシャン!と大きな音がして、水が窓ガラスに張り付いた。
 が。
 奴はちょっといきかけてる目をしながら窓ガラスをすり抜けて、奇声を発しながらシュラインの周りをぐるぐる回って何処かへと去っていった。

 “・・・・・・若くない・・・・・・ピチピチじゃないぃぃぃぃぃ!!!”
 
 肩を抱いて座り込んだシュラインの耳に、はっきりと奴の奇声が届く。
 はじめは呆気に取られていたものの、徐々に事態が掴めてきてふつふつと怒りが湧いてくる。
 カスミの方は奴を見てあまりにもショックだったのか既に気絶して床に倒れている。シュラインの肩がワナワナと震える。
 「・・・・・・カスミさん、ちょっと起きて」
 「・・・・・・う〜ん・・・・・・・・・・・・はっ、私ったら今何を?」
 「覗き魔拿捕、協力させてもらうわ!!」
 端正な顔を怒りに染めて、シュラインはカスミの手を強く握った。
 
 
 
 一方その頃。
 基、ケヴィン、御陵の三人は女子更衣室に向かっていた。決して疚しい気持ちなどない。そう、決して。
 道中ケヴィンは何やら考え込んでいたようだが、基は全く気にかけずに二年生用の更衣室へと進んでいたし、御陵は何を考えているのかが怖くて聞けなかった。
 何しろ漏れ聞こえる独り言は、「やっぱりツインテール」とか「眼鏡と白衣は外せない」とか「胸元は開けた方がいい」・・・・・・等々。その長く美しい金髪を高々と左右に持ち上げて髪型がどうなるのかイメージトレーニングしている。凄く御機嫌なのが余計に怖い。
 二年生用の女子更衣室の前に、一人の少女がいた。肩までの艶やかな髪をしていて、セーラー服が彼女の健康美と清潔感を際立たせている。
 三人の気配に気が付いたのか、少女は、顔を正面に向けた。
 まっすぐな目をした、意志の強そうな印象の少女だ。
 「・・・・・・」
 「・・・・・・」
 嘘なんてつけないような、そんな鋭くてまっすぐな視線に射抜かれ、御陵は固まってしまった。
 しばしの沈黙の後、基がゆっくりと口を開く。
 「なぁ、何か知ってるか?」
 「え?」
 「俺達、覗き魔の調査に来たんだけど、いまいち実態がつかめないから聞き込みに回っているんだ。知っている事があったら教えて欲しい」
 しかし基は少女に話しかけたのではなく、壁に向かった話しかけている。
 少女も御陵も呆気に取られて口が開きっぱなしになっていたが、ケヴィンだけは基の背後から壁を覗き込むようにして、一人で納得している。
 「成程ねぇ〜。確かに、ここの人達の方が目撃しやすいだろうね。Mr.環和、目の付け所が通だね!」
 パンパンと軽く両肩を叩かれて、基がちょっと煩そうに振り返る。
 「先生、ちょっと静かにしてよ。聞き取りづらいから」
 “先生”という響にまたしても心打たれたケヴィンは、口を両手で覆って黙った。しかし身体はうらはらにステップを踏んでいる。相当嬉しいらしい。ちゃんと足音が立たないようにしているあたり、余程嬉しかったのだなぁ、というところが垣間見える。
 某怪奇探偵に対する態度とは大違いだ。
 基が話しかけた“ここの人達”というものは、いわゆる浮幽霊である。基の瞳は少しばかり特殊なので、そういった類がはっきりと見える。しかも他人が見えていないとは露ほども思っていない。
 暫く基とその人は話しこんでおり、そこにたまにケヴィンが合いの手を入れる。
 取り残された感の二人は、仕方なくというか沈黙の気まずさに負けて自己紹介を始めた。
 「あたし、赤星・壬生(あかぼし・みお)。覗き魔が出たって言うから、退治しに来たのよ」
 キリリとした強い眼差しを、更衣室へと向ける。
 感心したのだが、女の子が覗き魔退治なんて如何なものか。もしかしたら逆に捕まって、あんな事とかそんな事とかされてしまうかもしれないのに。っていうちょっとイケナイ想像をした御陵は、壬生にこっそり心の中で謝る。
 「最近の男って言うのはこれだから・・・・・・情けないったら無いわ!」
 腕を組んで片足をトントンと上下させる。よく見ると足元は来賓様スリッパだ。パコパコと情けない音も同時に聞こえてくる。
 「なんて不届きなこと!絶対許せないわ!このあたしがぶっとばしてやるから!」
 怒りに燃える壬生の瞳には、逆巻く炎が見えた。
 話が終わったらしい、基とケヴィンにも壬生の事を話す。
 「ノンノン!駄目だよ、そいつぁ危険だ、Miss・赤星!君に何かあったらどうするんだい!?」
 なんでイギリス人英語教師が「ノンノン」なんてフランス語を使うんだ?
 素朴な疑問が基の頭を掠めたが、大した問題ではないしイギリス人だってフランス語を話したっていいじゃないか・・・・・・どうでもいいし。
 「だーいじゃうぶ。まーかせて!僕にいい案があるからさ★」
 ケヴィンの取ったガッツポーズに、高校生三人は何の意味を見出せない。
 なんかノリノリなのが逆に不安をそそる。
 「Let’s GoGo!」
 先頭を切ってケヴィンはさくさく歩き出した。足が長いので歩幅が大きいからか、あっという間に教室3つ分ほど移動していた。
 「―ここの人たちは、覗き魔はボヤけていたって言ってるよ」
 「ボヤけていた?どういう事かしら」
 この際、基の言う“ここの人たち”には触れずにおく事にしたのか、壬生は疑問も投げずに基の言葉に続いた。もしかしたら、壬生は細かい事は気にしないタイプなのかもしれない。壊れそうな繊細なものがあったら、むしろ先んじて破壊してくれる様な気がする。
 「生身の人間じゃないのかもしれないな」
 「幽霊って事?どっちにしろ不届き千万だわ!絶対にとっちめてやるんだから!」
 決意も新たに、壬生は勢いよくケヴィンを追いかけて行く。残された基と御陵は、顔を見合わせて肩をすくめて二人を追いかけた。
 ケヴィンと壬生の歩みが速いので、追いかけるのは大変だった。途中、基が何度かふらついた。
 
 
 
 家庭科室では女子が騒いでいた。
 覗き魔が出たのではなくて、大地が訪ねてきたからだ。
 「うっそー、鳥有君、わざわざ来てくれたの!?」
 「あたし達の事、そんなに心配?」
 「やっぱ優しいよねー、鳥有君!」
 不安がる様はどこへやら。彼女達は多分個人的最高の笑顔で大地を取り囲んでいる。
 背が高くて落ち着いた印象で、何でも小器用にこなせる上に、顔立ちまで整っているのだから、大地は大変女子にモテる。
 モテるのだが、女子の間で協定が結ばれているのか、あまり告白はされない。
 ―不安がってる様に見えたのは気のせいだったのか・・・・・・?
 壁際に後ずさりながら大地は心の中でため息を付いた。
 「環和君も犯人退治、してくれてるの?」
 「あ、ああ、まぁ。行きがかり上だけどさ、放っておくのもアレだし」
 「「「やっさしー!!」」」
 またも女子が黄色い声を上げる。
 大地と基、別名神聖都学園のツートップ。
 「・・・・・・でも、覗き魔って女子しか居ない時に出るのよね」
 部長がポツリと呟く。
 その言葉に他の女子達が待ってましたと言わんばかりに、大地の腕を捕らえる。
 冷や汗をかきながらとてつもなく嫌な予感を抱き、何とか振りほどこうとするも、何故か全然身動きが出来ない。大地はかなり力が強いのだが、細っこい女子高生すら振りほどけないとは。
 戦慄が背中を走る。
 正面から部長が迫って来る。
 「・・・・・・」
 突然、にっこりと笑ったかと思うと、勢いよく大地の学ランのファスナーをおろす。
 「ぎゃあっ!!な、ななななな何するんですか、先輩!」
 「何って、脱がなくちゃ」
 「なんで脱ぐ必要があるんですか!!」
 「だ・か・ら。覗き魔は女子しか居ない時にしか出ないんだから」
 本能が悟った。自分が何をさせられるかを。
 「だ、駄目ですよ、先輩。だって俺180以上あるんですよ?」
 「大丈夫よ。モデルとかバレーボールの選手なんて、9割方180センチ以上あるわよ」
 「肩幅だってあるし」
 「気にしない、気にしない。私達に任せて」
 部長が目配せすると、一年生の部員が二人、喜び勇んで家庭科準備室へと走っていく。にこにこと笑っている部長や部員達はとても可愛らしい。可愛らしいのだが、それでも大地は戦慄せずにはいられない。
 両腕を掴んでいた女子達がさり気無くするすると学ランを脱がしていく。
 「ぅわっ!ちょ、なにしてんだよ!」
 「気にしない、気にしない。私達に任せて」
 先程の部長と同じ台詞を繰り返す。
 女子達がわさわさと簡易会議を始める。
 ―Tシャツは脱いでもらった方がいいかな?靴下もルーズに履き替えてもらう?リップは色つき程度がいいかなぁ?どうせなら思い切ってグロスにしない?ファンデは3番でいいよね?髪型どうする?いっその事マニキュアとかもしてもらっちゃう?ビューラーどこにある?・・・・・・
 普段はあまり取り乱す事がないのに、大地は今途轍もなく焦っている。
 女子達は黒いボックスを持ち出してきて、何か見た事もないような小道具を取り出して、あーでもないこーでもないと作戦会議。
 化粧品売り場の独特のにおいが鼻につく。
 「「せんぱぁ〜いっ、持ってきましたぁ!」」
 一年生が報告に戻ってきた。ばばんと大地の目の前に突きつけられたものは、神聖都学園の制服だった。−女子の。
 青と紺の間の様な色合いの、目の前にいる女子達が着ているものと寸分違わないデザイン。
 ただし、サイズは女子用のではあり得ない。
 「鳥有君」
 「あたし達の事、守ってくれるわよね?」
 「頼りにしてるからねっ」
 にじり寄る女子達の姿に怯えた大地は、もしかしたら生まれて初めてかもしれない、心からの叫び声をあげた。
 その声は、学園中に響き渡った。
 
 「・・・・・・」
 「・・・・・・やだぁ」
 「・・・・・・ちょっとぉ」
 「・・・・・・どうします、先輩?」
 着替え(追剥に近い状態で脱がされたといったほうが正しい)を済まされ、女子達の腕を振るったメイクも終わり、完成された大地は、女子達が言葉を失うのに十分だった。大地は心に999のダメージを追った。残りHP1。
 結果として、あまりにも美少女になったのである。
 肩幅のよさに目を瞑れば、国民的美少女コンテストでもミスユニバースにでも選出されても遜色ないだろう。腿のしっかりした具合は、膝丈のスカートで巧みに隠されている。尚且つ丈の長さは清純さも醸し出している。
 短めの髪型はムースをつけて軽めにして、ボーイッシュな感じに仕上げた。
 大地自身は鏡に向かって、魂の抜けた様な表情のまま固まっている。
 (・・・・・・はは・・・・・・どこからどう見ても立派なオカマさんだ・・・・・・)
 周りの評判は耳に入らず目にも入らず、ヘコみまくっていた。
 しかしこの制服はあまりにも大地にピッタリだ。
 肩周りもフィットしているにもかかわらず、少し腕を回してもピチピチ感は全くない。腰周りもベルトを使っていないのにずり落ちてくる様子も一切ない。プリーツの広がり方もとても綺麗だ。
 「何でこんなにピッタリなんだ・・・・・・?」
 「裁縫実習での力作よ」
 「へぇ・・・・・・」
 感心した大地は、腕を上げ下げしてその上出来振りに感心した。
 恐らくは綿密に図ったのであろう。一体そのサイズをどこで手に入れたのだろう・・・・・・。身体測定ではここまで綿密には図らないのだから。
 部員達の顔は、みんな“悔しいけど負けたわ、鳥有君”と言わんばかりのものだ。
 ピッタリの服装・・・・・・。
 ハッ、と大地は気が付いた。
 以前推理漫画で、殺された相手にピッタリサイズのドレスやタキシードが届く、というものがあった。もしかして、自分はこの女子部員に殺され・・・・・・?

 ・・・・・・そんな事があったらむしろ女装したまま校内一周してやる。
 
 大地は自分の考えに呆れた。こんな格好をさせられているから思考が変な方向に行くんだ。
 頭を振って考えを払ったとき、窓の外に人影が見えた。
 「誰だ!?」
 言ってからすぐに後悔した。
 生身の人間であったのなら、声を出さずに油断した所をひっ捕らえられたかもしれない。
 女子は大地の声に覗き魔がまた出たものだと思い、きゃあきゃあ言いながらめいめい隠れている。
 家庭科室には入り口が3か所ある。
 二つは廊下側に面している2か所の扉と、校庭に面している外付けの扉。
 大地は躊躇いなく外付けの扉を勢いよく開けて外へと飛び出した。のだが、意識しない内に慌てていたのか、縁に躓いて転んでしまった。
 「「わぁっ!!」」
 大地以外の声がした。同時に、温かくて硬い様な柔らかい様な感触が唇に触れる。口の内側と歯がぶつかって痛かった。血は出ていない様だった。
 「ってぇ〜・・・・・・悪ぃ、急いでたんだ」
 謝罪をしても相手の男子生徒の反応はない。頬を押さえて大地をじっと見つめている。一緒にいるジャージ姿の男子も、大地に魅入っている。
 女装したったバレた!?
 自分でもよく判るほど大地は青ざめた。ごまかしを兼ねて話しかける。
 「い、今変な奴が通らなかったか!?」
 「・・・・・・」
 男子生徒は二人揃って旧校舎の方角を示した。
 大地は「サンキュー!」と言って、上履きのまま校庭を走っていった。
 二人の男子生徒はその後姿をじっと見つめている。
 「・・・・・・今のコ、チョー可愛くなかった?」
 「俺・・・・・・一生ほっぺた洗わねぇ・・・・・・」
 
 
 
 シュラインが表情にこそ出していないが、かなりご立腹の様子で食堂から出た時、その食堂のすぐ近くにある第2格技場に数人の人影が見えた。
 基と壬生には面識があった。もう一人の男子生徒には見覚えがなかった。
 そのうちの一人、少女の姿を確認してシュラインは声をかけた。
 「壬生ちゃん?どうしたの、こんな所で」
 「あ、シュラインさん」
 基が、少しクラクラしている風なので、シュラインはハンカチと、念の為に持っていたポケットクーラーを手渡した。
 「―あ、ありがとうございます」
 「いいえ」
 白い顔で礼を言う基に、シュラインは笑顔で返す。
 他校生の壬生が何故神聖都学園に居るのかと尋ねると、どうも彼女達も覗き魔を捕まえようとしているらしい。
 「是非!私も協力させて頂くわ!」
 「そうよね!覗き魔なんて絶対にぶっとばしてやりましょうっ!」
 女性陣二人は固く手を握り合っている。同盟が結ばれたようだ。ジークジオン!って違うか。
 「でもあんた達、なんだってこんな所に居るの?」
 「・・・・・・先生が良い案があるから待ってろって」
 ポケットクーラーを顔に当てたり首筋に当てたりして、基は涼を取りつつ答えた。
 「もう10分くらい入ったままなの」
 第2格技場は食堂の半分ほどの大きさに見えた。基に構造を聞くと、1階は柔道場2面、2階が剣道場になっているらしい。だが柔道場としては使われていない演劇部の部室兼舞台になっている。数年前の演劇部の顧問が新しく出来た柔道場に柔道部が移動するどさくさに紛れて演劇部名義にしたらしい。実話である。
 演劇部は、柔道場を巧い具合に利用して、畳を壇上に持ち上げて簡易舞台を作り上げて文化祭や定期発表会の時に活用している。
 「中に入りましょ。クーラーは効いてないでしょうけど、直接日が当たらないだけマシだと思うわ」
 「先生がまだ入るなって」
 「でも環和君も顔色悪いし。あの中扉の中に入らなかったら平気よ」
 シュラインは基の腕を優しく取って立たせて、壬生や生徒―御陵を伴って玄関口に入る。
 中は思ったよりも涼しかった。日が当たらない所に加えて、コンクリート製だったのが幸いしている様だ。
 4人は玄関に腰掛けて、待っていた。
 そういえば、とシュラインが口を開きかけた時、背後で大きくババン、と引き戸が開く音がした。
 「お・待・た・せ〜!」
 両開きの引き戸の中央には、絶世の美女が居た。
 少したれた目と、クリーム色の豊かな髪をツインテールに結い上げピンクのリボンでまとめている所が、愛らしさを出している。白衣をまとい、下にはかなり胸の開いたキャミソールを着ていた。大きくて形の良い胸が程よく見えて色気が漂っている。スカートの丈は膝上10cm、白い太ももが眩しい。お色気要素満載だが伊達眼鏡がいやらしさを感じさせない。
 顔立ちは、ケヴィン・トリックロンドによく似ている。極めて似ている。酷似しているどころかぶっちゃけ本人じゃねえ?みたいな思いが4人の脳裏を駆け巡る。
 「・・・・・・先生?」
 「ケ、ケヴィンさん?何してらっしゃるの?」
 呆気に取られた基と、目をパチパチさせたシュラインがほぼ同時に問いかける。
 「あっ、Miss.エマ!こんにちは〜★」
 やはりケヴィンで間違いないらしい。シュラインを見つけてたいそう嬉しそうに笑う。
 「でも今の僕はケヴィンじゃないよ、けび子って呼んでv」
 「・・・・・・ネーミングセンス最悪・・・・・・」
 見惚れる事もなく、基が冷静に突っ込む。しかし突っ込み所はそこではないんじゃないか、と御陵は思った。
 「じゃあ、トリックロンド先生は囮作戦開始するの?」
 壬生からの“先生”呼びにケヴィンは身悶えしている。両腕を抱えて恍惚の表情である。
 「Miss.赤星!僕は男だよ、先生だよ!?生徒を守るのが使命なんだ!」
 どさくさに紛れて、壬生の手をがっしりと握りながらケヴィンは自分にちょっぴり酔っていた。酔ってはいても、嘘ではないらしい。
 「今のこの僕のスーパーバティを持ってすれば、囮捜査なんてお手の物さ!」
 「でも先生、男じゃなかった?」
 「僕は変態できるのさ★」
 変態。動物の正常な生育過程において、ごく短い期間に著しく形態を変えることを表す。
 間違っても、一般的に健全でないとされる性的嗜好、という意味の変態ではない。
 紛らわしいが、変体と書くと“体裁が異なる”という意味合いがあるので、敢えて変態と書く。ケヴィンには申し訳ないのだが、悪いのは日本語であるので勘弁して頂きたい。
 「ケヴィ・・・・・・けび子さん、申し訳ないのだけど」
 律儀に、女性体での名前を呼んで、シュラインがどことなく怒りのこもった口調で忠告する。
 「あのやろ・・・・・・コホン、犯人は女子高生しか覗かないタイプの様よ」
 何時も通りの冷静な表情特徴ではあるが、やはり潜在的な怒りは隠しきれないらしく、全員がそれを感じていた。
 「じゃあ、この“男子生徒が憧れてやまないお色気保健室のおねーさん”スタイルだと囮にならないのかぁ」
 折角衣装に凝ったのに。
 少し大きめな白衣の袖を掴んで、くるりんと一週回って、暫く立ちすくんで何事か考えているらしく、小首を傾げて宙を見つめていたが、良い事を思いついた様で豆電球が光ったかと思ったら格技場内にある小部屋にスキップで入っていった。
 「エマさん、なんで女子高生にしか興味が無いって知ってるんですか」
 「・・・・・・ちょっとね」
 シュラインにしては珍しく曖昧な返事だったが、言葉の裏にある“何か”を感じ取って、基はそれ以上追求しなかった。
 「そういえば家庭科室を見に行った鳥有って人、どうしたのかしら」
 「ああ、大地。家庭科室で待ちに入っているんじゃないか?」
 「どうせなら、彼の方に出ないでこっちに出て欲しいわ!」
 血気盛んな壬生はスリッパのまま息巻く。是が非でもぶっとばしてやりたいのだろう。基は壬生を見上げながらポケットクーラーを頭から頬に移した。
 「これならどうだい!?」
 ぼと。
 基の手からポケットクーラーが落ち、シュラインが頭を抱え、壬生が大きく口を開ける。
 今度のケヴィン・・・・・・けび子は、なんとお色気保険医からジョブチェンジして女子高生になっていた。
 ツインテールは変わらず、胸元の開いたセーラー服にやはりスカートは膝上10cm。ルーズソックスにもちゃんとは着替えてある。室内に何故靴があるのかは謎だが、ちゃんとチョコレート色のローファーに履き替えてある。
 「さすが演劇部だねぇ〜、色んな服が一式揃ってるよ」
 やはり変態能力の一部なのか、顔立ちは先程よりも幼くなっている。
 「先生」
 「違うよ、Mr.環和!嬉しいよ、僕をそんなに慕ってくれているのは嬉しい!確かに僕は金曜8時の教師物の連ドラに主演できるかもしれないけど!今の僕は教師ではなくて、神聖都学園の一生徒のけび子なんだよ!」
 ―その割には何でセーラー服・・・・・・?
 自然と基の頭をそんな疑問が掠めたが、一々問うのも面倒なので止めておいた。
 「じゃ、けび子さん。ひょっとして囮になるつもりなのか?」
 「勿論だよ!今の僕は生徒に身をやつしているけど、やはり僕は教師なんだよ、臨時だとしても!」
 ちょっとズレた所はあるかもしれないが、生徒の事を考えているという事はやはりありがたいものだ。
 けび子は可愛いポーズをとってシュラインに見せている。結構可愛いのがまた何とも言えない。
 「あ、ホラホラ。Mr.環和。君も着替えて」
 「はぁ!?」
 座っている基の腕をけび子は掴んで立たせる。
 「俺が?何に着替えるんです?」
 「女子の格好だよ。Miss.赤星に囮になれなんて言わないよね?」
 「・・・・・・」
 それを言われると、返す言葉はない。基は低体温で低血圧だが冷血漢ではない。女子に危険な目にあわせるのはどうか、とは確かに思っている。しかし自分みたいな虚弱体質が囮になるんだろうか?
 「ハイハイ、さっさと着替える、着替える〜★」
 強制的に基は小部屋に引きずり込まれる。その様子を、不謹慎だな、とは思いつつもシュラインはついつい苦笑して見送った。
 暫くの後、けび子だけが戻ってきて、また満面の笑みで御陵も引きずっていく。彼はこっそり女装を免れたと思っていたので、「助けてぇぇぇぇ・・・・・・!」と叫びながら小部屋へ消えていく。
 当然シュラインと壬生は止めなかった。
 面白がっているわけではない。犯人逮捕に必要だと思ったからだ。疚しい所はない。決して。
 
 
 5分ほどしてから、3人が出てきた。
 けび子はセーラー服姿のまま、基はジャージ姿だ。ただし女子用。それだけで背の高い女子にも見える。顔立ちが繊細に出来ているのと、体の線が細いのが手伝っているのだろう。あと髪型は少し寝かせて毛先を広げている。ちょっと憮然とした表情だ。御陵もけび子と同じセーラー服だったが、似合うか似合わないかは可哀相なので問わないであげてほしい。
 「これで大丈夫だね★」
 シュライン、壬生と併せて、うら若い美少女5人組の完成である(約一名美少女になりきれなかったのが居るがとりあえずスルーで)。
 もう一人、美少年から美少女になったメンバーが居る事を、この時点ではまだ誰も知らない。
 「でさ、どうせならもっと大人数で囮作戦を展開しない?」
 「それは良い考えだと思うけど・・・・・・でも女子生徒を危険な目に合わせるのは反対だわ」
 「・・・・・・別に先生一人でも良いんじゃないの?」
 ボソリと基が呟く。彼としてはジャージとはいえ女子者を着せられて不本意なのだろう。尤もである。
 「何言ってるのよ、情けない!」
 「勿論、女の子を危険な目にはあわせないよ。男子生徒を女装させれば良いんだよ」
 サムズアップしながらケヴィンはサラリとえげつない事を言った。
 「健・康・診・断★とかどうよ!」
 ―女装した男子生徒の健康診断・・・・・・。
 ちょっとみんなゲンナリした。
 「でも結構良い案かもしれないわね。少なくとも女生徒に危険を及ぼす事は無いと思うし」
 「保険の先生の役は、僕がやるよ。本物の先生にお願いするのもアレだし」
 とんとん拍子で話しを進んでいるらしい。
 「そうなると、あんたどうするんだよ。危ないんじゃないの?」
 「あら、見くびらないでほしいわ。出て来たら絶対にあたしがぶっ飛ばしてやるんだから!」
 「・・・・・・ぶっ飛ばすって、また物騒だな・・・・・・」
 「得意技は、一本背負い大外払い腰スペシャル!」
 “一本背負い”という名称から、基は、壬生が柔道をやっているのだと判った。基は高校女子柔道には疎かったので知らなかったが、壬生の実力は相当なもので、同階級ではほぼ無敵なのだ。高校進学以来、公式戦では無敗を誇る。今年の冬には福岡で開催される国際試合に出場する事も内々に決まっている程だ。
 「じゃ、二人とも、行きましょう。環和君、申し訳ないのだけど、保健室まで連れて行ってもらえるかしら」
 「先生は?」
 「お着替え中」
 クスリと笑いながら、シュラインは小部屋の方を指差した。先ほどのセクスィ保険医に戻るらしい。
 「いいですけど、男子生徒どうやって集めるんですか?女装するなんて言ったらみんな嫌がりますよ」
 「大事の前の小事ってヤツよ。環和君だって女子ジャージ着ているじゃない」
 「そりゃま、そうだけど・・・・・・」
 大きくため息をついて、基は頭を振った。出来るだけ考えないようにしていたのに。こんな事になるのなら、大地と一緒に家庭科室に行けば良かった。
 しかし結果として、こちらに来た方が精神的被害は少なかったと思われる。何しろ家庭科室には、追剥が居るのだから。それも、トラウマを背負わされそうな、キョーレツなのが。
 
 
 
 暫く闇雲に走ってみたが、それらしい人影もそれらしくない人影も見当たらなくて、大地は途方に暮れた。人に見つからなかったのは唯一の救いであるかもしれない。先程の男子生徒は大地を知らない上に気付かなかった様だから、まだ良かった。
 もし同級生にでもこの格好を見られたら・・・・・・。
 いくら女装したからって、友人やクラスメイトならすぐに気づくだろう。
 「ぅう・・・・・・」
 我に返って空を見上げると、太陽が殴りたくなるほど照り付けていた。
 そういえば、基達はどうしただろう。
 ふと思い出して、メールで連絡を取ろうと思ったのだが、制服のポケットに入れたままにしてあったので家庭科室に置きっ放し状態だ。
 どうするか、と思っていた時に、すぐ左側の教室―保健室から、ガラスを叩く様な音がした。振り向くと、外側に面している扉の窓ガラス部分を、基が叩いていた。心なしか髪形と服装が変わっていた様に見えたが、基であるのは間違い無さそうなので、扉を開けてみた。
 「何だよ、基。ジャージなんか着て」
 声をかけたが、基の反応はない。大地を直視しない。
 「保健室に居たのか。あれ、でも皆別行動?」
 一歩中に入る。部屋の半分がカーテンで仕切られていて、その向こう側には大人数の気配と衣擦れの音が聞こえる。
 「エマさん?どうしたんですか、ウチの学校に何か用でも?」
 カーテンの中ではなく、こちら側に妙齢の美女を見つけた。大地も会った事のある、シュラインだった。他に大きく目を見開いている美少女も居たが、彼女に面識はなかった。後ろ向きで俯いている女子も居た。
 「・・・・・・もしかして、Mr.鳥有?」
 「先生?なんで保健室に・・・・・・って!な、なんで女になってんですか!?」
 保健室にある机には、ケヴィンが座っていた。それも女装・・・・・・ではなく、完全に体型が女性になっていた。勿論服装も女性物だ。
 「そういうMr.鳥有だって随分と美人になってるじゃない」
 ケラケラと笑いながら、大地をボールペンで示した。
 「・・・・・・ぎゃぁぁぁぁぁぁ!」
 すっかり失念していたので、認識まで少々時間がかかった。
 基、シュライン、セーラー服美少女が大地を驚いた顔で見ていた理由がようやく判った。
 ケヴィンは大地の格好が気に入ったらしく、側に来て褒めちぎった。
 こんな事で褒められても嬉しくないやい・・・・・・。
 がっくりとうなだれた大地の肩を、誰かが優しく叩いた。
 基だった。
 「似合うな」
 哀愁漂うトーン。
 よくよく見れば基の着ているジャージも自分たちのと少し違う。まじまじと見ていると、基が嘆息しつつ教えてくれた。
 「・・・・・・男子を女装させて囮作戦だってさ」
 暇そうにしていて、且つ線の細い男子を10数人ケヴィンが(色気で)連れて来て、そしてカスミが校内でわざとらしく、“緊急企画・ドキッ★女子だらけの身体測定!!”を開催すると触れ回っている。
 「可愛いじゃない」
 「本当・・・・・・モデルさんみたいよ、鳥有君」
 壬生とシュラインの賛辞も素直に受け取れない。というか受け取りたくない。
 俯いていた女子が顔を上げる。―御陵だった。同じ境遇にある様で、大地は健全な同情を隠せなかった。ただし、大地は美少女になったが、御陵はあからさまな女装だった。違和感バキバキ。
 カーテンが開かれると、女装した男子生徒がわんさかいた。目に痛い。胃にも悪い。神経に障る。
 「開始はあと・・・・・・15分後だよ、女子っぽく振舞ってよね、みんな★」
 ケヴィンがウィンクする。外見まるきり女性なので、男子生徒が色めき立つ。脱力しかけてる大地の袖を基が引いて、小声で教える。
 「・・・・・・あいつら皆、先生の胸元に釣られてやってきたんだ」
 大地はスチール製の本棚に頭をぶつけた。
 大きな音がして、全員大地の方を見た。
 
 
 
 身体測定が始まったが、一向に現れる気配はない。敏感な基や大地にも感じられないのだから、近くにも居ないのだろう。シュラインが身長体重を読み上げ、壬生が用紙に書き込んで、ケヴィンがなかなかに様になっている仕草で問診と検診をしている。男子生徒3人は終わった振りをして、椅子に腰掛けている。
 「やっぱり本物じゃないと駄目なのかなぁ」
 ポソリと御陵が呟いた。
 「でも女子だと可哀相だしなぁ」
 大地と御陵、二人声を揃えて、「そうなんだよなぁ」と大きくため息をつく。
 真ん中には基が座っていたが、ちょっと様子がおかしかったので、大地が肩を揺すろうとした時。
 
 その場に居た、恐らく全員が、急激な眩暈を感じた。
 
 貧血とも立ち眩みとも違う性質の眩暈だ。
 クラクラする頭と目だったが、基だけがすっくと立っているのを、大地は見た。どことなく体つきが丸みを帯びているようにも見えたが、女子用ジャージを着ているのと眩暈の所為だろう。
 かすむ頭を必死で覚醒させようとしたがなかなか巧くいかない。
 ケヴィンやシュライン、壬生も机に突っ伏している。
 
 全ては、基の力である。
 厳密に言えば、基の中に眠る、元(はじめ)が引き起こしたのだ。
 (さてと。みんなを可愛く変身させちゃいますか♪)
 全員眩暈の所為で基の表情は見えないが、基はニヤリと笑った。普段からは想像すら出来ない様な、無邪気で悪戯っぽい笑みだ。
 それもその筈、厳密に言うと、今基は基ではない。
 “元”である。
 普段は基が眠らない限り表に出てこない元ではあるが、【吸魂】という能力を起こし、強制的に人格交換を行ったのだ。基は今精神の眠りについている。
 【吸魂】は、周囲の人間の精気を吸い取り眩暈を起こさせる。その大量の精気があるからこそ、強制的に覚醒状態になる事ができるのだ。
 普段の元は基の負担にならない様、表立って活動したりする事はない、弟思いの優しい姉だが、今回は別らしい。
 (それにしても、大地君てば美人になったわね〜。んもう、基だってジャージなんかじゃなくて、せめて制服に着替えれば、大地君に負けないくらいの美人になれるのにっ)
 倒れ掛かっている大地の顔を覗き見て、本人が聞いたら思い切り反発しそうだ。
 「じゃ、行くわよっ」
 ようやく元が声を上げる。完璧な女性口調だが、声は基のままなので、女の子にしてはちょっと低い。その言葉に何人かが反応したが、基の様子をはっきりと認識できそうな者は居なかった。
 元が右手を振るう。指先がキラキラと光に包まれ、流れるように保健室中に広がっていき、元、ケヴィン、シュライン、壬生以外の生徒に光が散りばめられる。
 光は生徒達に付着した途端、その輝きを増して生徒達を包んでいく。
 「・・・・・・うぅ・・・・・・」
 元々の精神力の強さからか、本物の女子だからか定かではないが、壬生が頭を振って机から顔を上げた。続いて、ケヴィン、シュラインも少しは眩暈が治まってきたようだ。
 (あらやだ。無意識に女の子から貰う量、少なくしちゃったかしら)
 今、元は基の外見なのだが、身体は女性化している。胸だってあるので、意識のある子に見られたら面倒だし、万が一にでも、基が変な趣味だと思われたら一大事である。自由奔放に振舞う元だが、基に関する事はかなり丁寧に対応する。なんといっても、たった一人の大切な弟なのだ。
 倒れている生徒たちは、皆体付きが柔らかくなっている。
 (本物の女の子を囮になんて出来ないものね。男らしい所見せてもらいましょ)
 元は魔法で、男子生徒全員を女性化させた。
 (女装に反応しなくても、身体だけは本物なんだから、きっと来る筈よ)
 姿勢を正し、窓の外を含め視野を広げる。刻々と時間は過ぎていくが、現れる気配は無く、元の心が焦燥感で満たされていく。
 今回はあまり長く【吸魂】を続けていると、生徒達の体力に危険が出ると判断し、時限式の魔法にして10分経つと自動的に女性化が解け、元の姿に戻るようにしたおいたのだ。
 (ちょっとぉ、早く着てくれないと、みんなが危ないじゃないの!)
 時計の針がそろそろ10分経過した事を示す。元も基の容姿に戻らなければ、弟に変な疑いがかかるかもしれない。
 (この辺が潮時かしら・・・・・・)
 ふぅ、と一息ついて、自分の女性化を解く。あと2分もしないうちに他の生徒の女性化も解け、精気の吸収も止まるから生徒達も目を覚ます。
 
 グラリと基の世界が回る。
 ペタリと床に尻餅をつき、暫くぼう、として頭で考えを巡らせる。
 ―俺は今何してたっけ?・・・・・・まぁいいか。どこも痛くないし。いつもの事だ。
 頭を振って周りを見渡すと、生徒達が殆ど倒れていた。取り合えずすぐ隣にいた大地の肩を揺さぶり、呼びかける。
 「大地、おい、大丈夫か?」
 それを皮切りにしたのか、ケヴィン、シュライン、壬生も身体を起こす。
 どことなく大地の体つきが丸みを帯びているようにも見えたが、女子の制服を着ている所為だろう。
 「・・・・・・何なのかしら、急に眩暈がして・・・・・・」
 「ーまさか、覗き魔じゃないでしょうね!」
 フラフラしているシュラインの隣で、復活の早かったらしい壬生が息巻く。急激に立ち上がったものだから、本物の立ちくらみを起こしてふらついた所をケヴィンが支える。
 「だとしたら、僕も不甲斐ないな。覗き魔程度にしてやられるなんて・・・・・・」
 普段の愉快犯的表情からは想像も付かない、苛烈な表情を一瞬だけ見せる。大地はまだボウとしていたが、そのケヴィンの表情を見て、すぐに目が覚めた。背筋に冷や汗が走る。大地は、本当にこういう時に流す汗は本当に冷たいのだと実感した。声が巧く出ず、嘆息が細く出る。
 珍しく基に支えられて立ち上がる。
 「いつもと逆だな」
 少し微笑みながら、基は大地に言う。大地はまだ巧く声が出なかったから自重気味に笑みを返した。しかし、いつもと違うのも悪くはない。
 その時、基とケヴィンの神経の末端を何かがかすめた。
 弾かれたように、基は外を見て、ケヴィンは振り返る。
 遅れて大地が、その三人の様子を見てシュラインと壬生が一緒に外を見る。
 そこには―
 
 
 エクトプラズムみたいな、形が曖昧な“モノ”が、保健室の窓ガラスに張り付いていた。上半身は辛うじて人間と思える形で、顔の様な部分も見て取れる。
 表情は極めて緩んでいる。ヨダレが出そうなくらいだ。勿論女生徒(男子だけど)を見たからだろう。
 「あっ!アイツが覗き魔よ!」
 まだふらつく身体を気丈に立ち上がらせ、名探偵の孫が犯人を示す時の様にまっすぐと覗き魔を指し示す。
 「え、確かかい、Miss.エマ!」
 「間違いないわ、あいつ食堂にも出たのよ!!ちょっとみんな、早く捕まえに行くわよっ!!」
 普段は冷静沈着なシュラインとは思えない。本来はシュラインがいきり立つ他のメンバーを沈静させる役割だが・・・・・・。
 基、大地、ケヴィン、壬生は事情を知らないが、まあ年頃のお嬢さんは年齢・肌のハリツヤについて言われると普段は見せない感情をあらわにしてしまうものなのである。
 シュラインの迫力に負けた大地は、格好も気にせずに外へと走る。壬生もそれに続く。二人とも相当な瞬発力の高さだ。
 大地と壬生に気付いた覗き魔は、見るからに慌てて保健室の壁を突き抜け、そのまま廊下へと更に抜けていった。
 大地と壬生が、きびすを返して追いかける。保健室の引き戸を勢いよく開けた為に、開いて出たら反動で閉まった。
 「あいつ・・・・・・あっちは・・・・・・」
 「何かあるの?」
 覗き魔と、大地・壬生が向かった先は、部室等が増築される予定地だった。
 「古井戸があるんだよね。蓋がしてあったみたいだけど」
 残る三人も、歩いて後を追う。急げるほど基の体力というか気力が回復していなかったからである。
 「・・・・・・そういえば、着工した時期と、覗き魔騒ぎが始まったのって同じくらいですね」
 「あ、そうだねぇ、Mr.環和の言う通りだ」
 「じゃあもしかして、その古井戸が関係しているとか?」
 「かもしれないね」
 「・・・・・・でも」
 ぽそりと基が異論を唱えるが、本人も意図しなかったくらい小さかったので誰の耳にも入らなかった。
 −悪意があるようには見えなかったんだよな。覗きなんてしているのに。
 
 
 
 「ちっくしょ・・・・・・どこ行きやがった・・・・・・」
 肩で大きい息をしながら、大地が吐き捨てる。声が高い。まだ元のかけた魔法が解けていないのだ。大地と壬生が気付いていないのは走ってきたから息が上がった所為だと思っているからである。
 壬生はもともと鈍感だが、大地まで気付かないとは。無理矢理女装されられたのが余程ショックで神経が鈍っているのかもしれない。
 辿り着いたのは校舎から随分離れている場所で、周りは林に囲まれている。林と言っても鬱蒼としたものではなく、ちゃんと舗装された道があり、話しの中程には広場があり生徒の憩いの場になっている。
 その近くに新しく部室等が出来ることになったのだが、開校以前よりも前からある古井戸が潰されるとか何とかという話を、大地は小耳に挟んだ事がある。
 「ふぅん・・・・・・。でもまだ潰されていないわね。蓋は開いているみたいだけど」
 壬生が井戸を点検する。足元に落ちている小石を中に落とし、水の有無を確認し、何も無いのを確かめる。潰されてもおかしくない、古い枯れ井戸なのは間違いないようだ。
 その時、大地の体が光り、そしてその光はすぐに収縮する。元の魔法が解けた証だ。
 しかし二人は魔法がかかっているなんて全く思って居なかったから、思わず顔を見合わせて首をかしげる。
 「―おい」
 「―判ってるわ。あたしに任せて」
 大地が壬生の背後にあるに気付き、目配せする。壬生も同様に気づいており、呼吸を整える。
 パキ。
 折れた枝を踏む音がし、その足音が徐々に、確実にこちらに近付いてくる。
 
 あと三歩・・・・・・。
 あと二歩・・・・・・。
 あと一歩・・・・・・。
 
 壬生が勢いよく振り返る。
 そしてすぐさま袖を掴み、投げる。
 「ぎぃやぁぁぁぁぁ!!!」
 地面に叩きつける前に、ぐん、と体が浮かせ、起き上がらせ、釣り手をコンパクトに組み、釣り手を引き込みながら間合いをややつめ、軸足を相手の足の外側へすばやく踏み出し、引き手を一気に自分の腰脇あたりへ引き込みつつ、釣り手のひじを相手のあご下へ持っていき突き上げる・・・・・・だけでも終わらず、更に前回りさばきで相手を右前すみに吊るすように崩し、右脚後部を相手の右大腿前部にあて、払いあげる。
 「す、すげぇ・・・・・・!」
 壬生の得意技、一本背負い大外刈り払い腰スペシャルである。
 まさに流れる様な動きに、大地は素直に感嘆の声を上げる。磨かれた技というものは、迫力だけではなく美しさまで持つというのか。
 しかも投げられた相手は地面に叩きつけられてなどいない。ひれは壬生の投げ技が非常にレベルの高いものだということを証明している。投げ技が下手だと、相手を地面に叩きつけて痛がらせるだけで終わってしまうからだ。叩きつける寸前に引き上げれば良いのだが、そのタイミングが難しいのだ。
 「あんたが覗き魔ね!この不埒者、不心得者、不届き者!」
 壬生は最近の女子高生はまず言わない様な言葉で罵倒する。
 まだ壬生に袖口を掴まれたままの相手の姿を確認する為に、顔大地は顔を覗きこむ。背広を着ているから男なのは確かなようだが、顔がいまいちよく見えない。
 「きょ・・・・・・」
 目を回している男は―
 「・・・・・・教頭・・・・・・先生・・・・・・?」
 「何で疑問系なのよ」
 「いや、頭っつーか、髪の毛が・・・・・・」
 何気なく足元を見ると、そこにはフサフサの黒い毛の塊が落ちていた。
 男の顔は神聖都学園高等部の教頭に間違いないが、頭はすっかりと寒々としている。また落ちている毛の塊に目をやり、そしてまた男の頭へと視線を移す。
 ―やっぱりヅラだったのか・・・・・・。
 生徒達の間でまことしやかに囁かれていた噂だった。
 すっかり目を回して意識を飛ばしている教頭を見て、大地はなんだかしょっぱい気持ちになった。
 「教師であるのに、女子を覗くだなんて・・・・・・最低だわ!」
 「でも意外だ。教頭は、そりゃいい先生ってイメージは無かったけど、こんな事するなんて」
 古井戸にもたれかからせる状態にして座らせ、回復を待つ事にした。
 「それに、この覗き魔逮捕、教頭がウチの音楽教師に頼んだのが始まりなんだってよ。それっておかしくないか?」
 「罪の意識に苛まれたんじゃないの?」
 「それ言われるとなぁ・・・・・・」
 腕を組んで悩んでいる大地と対照的に、壬生は仁王立ちで教頭を睨んでいる。目が覚めたらもう1度叱りつけなければ気がすまない。ちなみに壬生はまだスリッパである。
 「おぉーい!二人ともー!」
 校舎の方からケヴィンの声がした。
 揃って振り返ると、ケヴィンだけではなく、基とシュラインもいた。基は暑さにやられている様だったが、眩暈がするほどではないようだった。シュラインに導かれて、日陰に入る。幸い周りに木陰は多い。
 「あれ、教頭先生ってば、なにしてんの」
 「こいつが覗き魔よ!」
 高らかに壬生が宣言する。
 「ええ!?だってカスミさん―響先生は教頭先生に頼まれたって・・・・・・」
 シュラインは慌てて訂正する様に壬生に言う。庇うつもりは無いのだろうが、驚いているのだろう。
 ケヴィンが落ちていた毛の塊―かつらを手に取り、被ってみたり回してみたりと遊んでいたが、教頭の頭に載せてやった。
 ただし、正確な位置とはまったくの逆の位置に。
 ケヴィンは自分でやったことに対してゲラゲラ笑っていたが、大地も笑うのを堪えていたようだ。
 シュラインの一睨みで、ケヴィンは肩をすくめて舌を出し、軽く乗せる感じでかつらの位置を戻した。
 「安物ってすぐ判るんだなぁ。僕こんなに間近で見たの初めてだ」
 しみじみとケヴィンは呟き、かつらを見つめる。
 大地と壬生も覗き込み、頭を見ると、あからさまに網目が見えた。
 二人は何となく気まずい気持ちで顔を見合わせ、そして目を逸らした。
 「ー先生は、若い頃よくここに来てたらしい。井戸に何か叫んでたってさ」
 木陰から基が言った。
 「30年位前の事だからよくは覚えていないって。ただ、半年もしないうちにこなくなったってさ」
 壬生はパチクリと大きな目で何度も瞬きをした。
 基は壬生達の事は見ていなく、別方向を向いていた。ただ、まるで誰かと話している様にも見えたから、更衣室の前でもしていた様に、“何か”と話をしているのかもしれない。
 の見込みの早いシュラインは、すぐさま基に問いかけた。
 「ね、環和君、もう少し詳しく知っている方はいないかしら」
 「・・・・・・居ないみたいだ。本人に聞いた方が良いんじゃないかな」
 「そう、ね」
 「んじゃあ、手っ取り早く起こしちゃおうか」
 ウキウキとしながらシュラインの隣をスキップで通ったケヴィンを見て、シュラインはゾクリとした。言うまでもなく、嫌な予感である。
 ケヴィンさんちょっと待って、という前に、ケヴィンは行動を起こしていた。
 目を回している教頭の耳元で何か囁いている。左手を教頭の右肩に当てて、その仕草がなんとも色っぽい。勿論、彼はまだ女性化を解いていない。何故かと言えば、気に入ったからである。それ以外の理由は無い。
 「・・・・・・ね、センセ」
 最後の一言が一際色気があり、大地と基の様な青少年すらドキリとさせた。
 「・・・・・・はっ!」
 ガバチョと教頭が起き上がる。慌てた様子で左右を見渡し、そしてケヴィンの姿を見かけて顔を額まで赤くした。
 「こっ、これは・・・・・・・どうしたのですかな!?」
 ケヴィンの手を図々しく握ったままで、教頭はにやけ顔で問いかけた。
 「何白々しい事を言っているのよ、この覗き魔っ!」
 ぐいっと壬生が襟を持ち上げ締め上げる。
 「ち、違・・・・・・いや、違わない、けど・・・・・・厳密には、違・・・・・・う・・・・・・」
 キュウキュウ締め上げられて余程苦しいのか、言葉が途切れ途切れになっている。
 「待って、壬生ちゃん。話しを聞いてみましょう。何か判るかもしれないわ」
 シュラインの取り成しに、壬生はちょっと不満そうだったが結局襟を放した。
 「・・・・・・教師になって最初に配属されたのが、この神聖都学園でね・・・・・・」
 ポツポツと教頭が思い出話を語り始めた。
 基は大きく欠伸をして、ジャージの上着を脱いで頭から被った。基の目的は覗き魔を捕まえる事であり、覗き魔の―教頭の思い出話になんて興味は無い。
 「私も当時は若かった・・・・・・まだ23だったのだよ。教師と言ったって色々やりたい盛りの23だったのだよ!若くてピチピチの女子高生が居りゃー、目じりの一つも下がるこたぁあるだろう!男として、つい目がいくのはしょーがないじゃないかっ!!」
 「知るかぁ!!」
 教頭の力説に、若さ溢れる大地は間を置かずに反論した。シュラインは怒りと呆れが織り交ざった表情で頭を抱えている。基はジャージの下から情けないものを見る目を容赦なく向けるし、壬生は指をパキパキと鳴らして話が終わったら、公言通り即ぶっ飛ばせる様に構えている。
 ケヴィンだけが教頭の話を聞く意思があるようだが、それは教頭のアホさ加減が楽しくなったからだろう。それ以外にはあり得ない。と思われる。
 「しかしだからって曲がりなりにも教師なんだから、生徒の尻ばかり追いかけている訳にもいかず・・・・・・私は夜な夜なこの枯れ井戸に向かって・・・・・・」

 『女子高生、女子高生、女子高生、女子高生、女子高生が大好きだー!!』
 
 「半年程続けていたら、ついに何も感じなくなってね・・・・・・空しい思い出だよ・・・・・・」
 「そら空しいわ・・・・・・」
 脱力仕切った大地が呟く。
 壬生は無言で教頭に近付き、ぐいと奥襟を掴んで―背負い投げをした。今度はドスンと鈍く重たい音がした。容赦なく地面に叩きつけたらしい。叩きつけられた教頭に、ケヴィンが近付いて胸ポケットから油性ペンを取り出し、額になにやら書き込んでいく。
 「成程ね・・・・・・あれは幽霊なんかじゃなくて、無意識層が形を持ったってわけか。何かの拍子に蓋が外れて、“女子高生が好きでたまらない”っていう感情だけが暴走して覗き魔になったのね。でも井戸に封じられていたなんて、面白いわね」
 「何が面白いの?」
 小首を傾げて、壬生がシュラインに問いかける。シュラインは苦笑して答えた。
 「無意識層ってね、精神分析学の概念の一つよ。感情、欲求、衝動をそのまま自我に伝える機能の事で、大抵“イド”と言われているわ」
 「イドが井戸の中に入ってた、ってわけか」
 基が座り込みながら言葉を継いだ。座り込んだようだが、顔色は悪くなっていないので貧血を起こしたわけでは無さそうだ。壬生が「ふぅん」とシュラインの知識と基のまとめに感心した。
 「あ」
 突然落書きをしていたケヴィンが素っ頓狂な声を上げた。
 「どうしたんだよ、先生」
 隣で落書きの様子を見ていた大地が声をかけた。
 「いや、あのね。覗き魔は、Miss.エマの言う通り、イドなわけじゃない」
 「そうですね」
 「だからさ、教頭センセに戻すのがいいかな、と思ってさ」
 「成程」
 「陣を書いて元に戻そうと思ったんだけどね、途中までは覚えていたんだけどさ」
 不貞腐れてイジイジと地面に“の”の字を沢山書いていく。
 そんな事したって忘れたアンタが悪いんじゃないか・・・・・・と大地は思ったが、ケヴィンなりに教頭や女子の事を考えた結果だろう。
 なんかすごく楽しんで書いていた様だったが、状況を楽しんでいるのでもなく、覗き魔と教頭が一緒になったらどうなるかが見てみたいとかでもない。と信じたい。
 「ケヴィンさん、これ使えないかしら?」
 シュラインがバックから差し出したのは、一冊の古びた本だった。
 受け取ったケヴィンの顔が、ページをめくる度に嬉しそうな顔になっていくのがはっきりと判る。
 「ナイスナーイス、Miss.シュライン!これかぜあれば万事オッケイだよ★」
 ウィンクをして、ケヴィンは極上の笑顔になる。本来は男なのは承知しているが、それでも大地をドキリとさせるのに十分過ぎる程のものだった。
 「エマさん、それなんですか?」
 ジャージを頭から方に移した基が表紙を撫でながらシュラインに問いかける。壬生や大地も興味があるらしく、シュラインを見つめる。
 ケヴィンは目当てのページを見つけて、教頭の額に陣の続きを書き込んでいく。
 「いやぁ、最近物忘れが酷くてねー。歳は取りたくないや」
 とか何とか呟きながら、鼻歌交じりだ。
 「あの本ね、知り合いの霊能者が貸してくれたのよ。うちの仕事内容上、知っていて損はないだろうからって」
 所謂魔法書の類の様だ。だからケヴィンの望む陣の書き方も記してあるのだろう。
 「かんせーいっ★」
 ケヴィンは立ち上がり、覗き込んでいた高校生トリオを下がらせた。
 そして背筋を伸ばし、瞳を閉じている。4人が見守る中、ケヴィンは厳かな雰囲気に包まれていく。普段の、というか先程までのケヴィンとは似ても似つかない。
 ざわざわと葉がざわめき、空気がピリピリしてくるのが誰の肌にも感じ取れた。
 その時。
 「―来た」
 瞳を開けたケヴィンが5時の方向を向く。その方向からは、奇声を発した、覗き魔(意識体)が凄まじいスピードで教頭の額目指して飛んできた。
 「あ!アイツ戻ってきたわ!」
 壬生が最初に気付き、指で示す。
 「っていうか、本当に戻しちゃって良いの?」
 「大丈夫大丈夫。元々一つだったものが二つになっている方が不自然なんだからさ♪」
 基が心配そうにケヴィンに尋ねたが、実に単純で簡潔な答えが返ってきた。
 
 “ケケケケェェェェェ!!!”
 
 奇声を発して、そのまま教頭の額に描かれた陣のド真ん中に入り込んでいく。
 教頭から光があふれ出し、それは彼全体を包み込んでいく。
 「これで、覗き魔騒ぎは収まるのかしら・・・・・・?」
 「また出たら、もう一度あたしがこの不届き者をぶっ飛ばしてやるから安心して、シュラインさん!」
 「・・・・・・そうね、壬生ちゃんも居るから、大丈夫ね」
 実際、壬生の笑顔は頼もしかった。
 大地は先程の壬生の華麗で力強い投げ技を目の当たりにしたから、他の誰よりも頼もしさを感じていた。
 基はまだ気を失ったままの教頭を見つめていたが、ケヴィンからペンを受け取り、頬に落書きをした。
 それを見て、ケヴィンは大爆笑した。泣く程の大爆笑である。
 笑い声に振り返った4人も教頭の頬を覗き込む。
 暫しの沈黙。
 後に全員で顔を見合わせ、基はニヤリと、大地は腹を抱えて、ケヴィンはやはり涙目で地面を叩きながら、シュラインは口元を押さえて肩を震わせ、壬生はいい気味だわ、といわんばかりに、それぞれ思い思いに笑った。
 多分5人とも、なんてバカらしい顛末だったんだという思いも手伝って、なかなか笑いは止まらなかった。
 しかし―
 こんなバカらしい事も、たまには悪くない。
 誰かがポツリと言った後、誰かが、女装はもうイヤだけどな、と言った。
 太陽がほんの少しだけ傾き始めた時刻に、覗き魔騒動は一応の終結を見た。
 
 
 
 後日。
 シュラインと壬生は神聖都学園の食堂に呼び出された。
 ちゃんと男性体に戻ったケヴィンと、女装していない大地と、比較的顔色のいい基が居た。
 ちなみに御陵は、保健室で倒れて以来すっかり忘れられていて、拗ねているらしいので、この場には居ない。居ても大した役には立たないのではっきり言ってどうでもいい。
 「いやぁ、結局教頭先生さぁ、学校辞めちゃったんだよ」
 「あら、そうなの?」
 「懲戒免職ってヤツ?」
 「違う違う」
 苦笑交じりにケヴィンが答える。パックジュースを飲んでいた基が、ゆっくりと口を開く。
 「第二の青春楽しみたいって、クラブの皿回しになるんだってさ」
 皿回し。所謂DJ。
 シュラインと壬生がポカンした顔のまま、基を凝視した。
 「本当らしい。うちのクラスのヤツも、何人か見たってさ」
 困りきった表情の大地は、缶コーヒーを飲んだ。シュラインと壬生には、ちょっと高めの、350mlペットボトルのお茶が出されている。
 「僕もさぁ、ちょっと行ってみたんだけどね。すっごいハジけてたよ、結構見もの」
 ケタケタとやはりいつもの確信犯めいた、ケヴィンらしい笑い声が食堂に響く。
 「ま、これで一件落着って所ね」
 「ーそれが、そうでもないんだ」
 基がチラリと大地を横目で見る。大地は暫く基を非難するように見ていたが、笑いを堪えているケヴィンに、「諦めろ」と言う様に肩を叩かれてテーブルに突っ伏した。
 怪訝そうにシュラインと壬生が顔を見合わせる。
 「これが高額で出回っているんだ」
 無造作に差し出されたのは、恐らくは写真だ。1,500という数字が書き込まれている。裏返しになっていたので、受け取ったシュラインは表に返して絶句した。
 壬生も覗き込んで、そのまま沈黙する。
 が。
 しばらくの後、シュラインは大地同様テーブルに顔を埋めて肩を震わせている。壬生はテーブルを叩いて大爆笑した。
 写っていたのは―
 
 あの時、料理研究部の女子達に無理矢理着替えさせられて、国民的美少女並に可愛くなった、鳥有・大地その人であった。
 「なんかね、Mr.鳥有のファンクラブまで出来たらしいよ。“謎の美少女を探せ!”って感じで」
 料研の女子達は沈黙を守ったままらしい。
 当然の事ながら大地に似ている、という事で、大地に問い合わせが殺到しているらしい。
 
 今回の覗き魔騒動の一番の被害者。それは―
 
 
 ファンクラブが出来てしまった、鳥有・大地であると、5人は確信し、当事者以外の4人はやっぱり笑いが止まらなかった。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】

【2200 / 赤星・壬生(あかぼし・みお) / 女性 / 17歳 / 高校生】

【5826 / ケヴィン・トリックロンド / 男性 /137歳 /神聖都学園英語教諭/蟲使い】

【5598 / 鳥有・大地(うゆう・大地) / 男性 / 17歳 / 高校生】

【6604 / 環和・基(かんなぎ・もとい) / 男性 / 17歳 / 高校生、時々魔法使い】

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■         ライター通信          ■
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 はじめまして、そしていつもお世話になっております。八雲 志信と申します。
 今回ご参加頂き誠にありがとうございます。
 軽いノリが目的でしたが、ちょっと悪乗りしてしまったかもしれません・・・・・・。
 問題がありましたら、どうぞご遠慮なくリテイクして下さいませ。
 またご縁がある事をお祈り申し上げます。