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<東京怪談・PCゲームノベル>


過去の労働の記憶は甘美なり

「篤火、ちょっとバイトしない?」
 のどかな昼下がり…いつものように紅葉屋 篤火(もみじや・あつか)が蒼月亭でコーヒーを飲んでいると、マスターのナイトホークが唐突にこんな事を言い出した。
 バイトと言われてもこの店はさほど広くもなく、ナイトホークの他にも昼間は立花 香里亜(たちばな・かりあ)という名の少女が従業員として働いている。篤火は持っていたコーヒーカップをソーサーに置き、カウンターの中にいるナイトホークの顔を見た。
「夜サン、バイトってどうかしたんですか?まさか香里亜さんに逃げられたとか…」
 そう言いながらちょっと戯けてみせると、ナイトホークは苦笑しながらシガレットケースをポケットから出す。
「違う、勝手に逃がすな。香里亜は今日休み」
「冗談です。それにしても夜サンからバイトのお誘いとは珍しいですね」
 するとナイトホークは篤火の側に来て、小さな声でこう言った。煙草をくわえるナイトホークに、篤火がマッチ箱を差し出す。
「しばらくやってなかったけど、実は仕事の斡旋とかもやってる。東京暮らしが長いと色々噂とか聞くようになるしな…危険な仕事とかもあるけど、篤火に頼みたいのは個人的なバイト」
 個人的なバイト…。
 いったい何なのだろうか。どのような仕事かにもよるが、自分がこなせそうなものだったら引き受けてもいいかもしれない。カウンター内でカクテルを作れとか言われると、流石に困ってしまうのだが。
「どんなお仕事ですか?」
 コーヒーに添えられているクッキーを食べながら篤火がそう聞くと、ナイトホークは満面の笑みで微笑んだ。この様子ならおそらく自分がこなせる範囲の、簡単な仕事なのだろう。
「あのさ、今から酒の仕入れしてきてくれない?」
「はい?」
 ナイトホークからの話はこうだった。
 普段バーで使う酒はなじみの酒屋に運んでもらったり、ナイトホーク自身が自分の足で探している。だが、そのなじみの酒屋の店主の調子が悪く、配達に人を割けないのだそうだ。それに加え、蒼月亭は日曜日しか休みがない。
「本当なら香里亜に店任せて俺が買いに行く所なんだけど、休みの所呼び出しても悪いし、今日注文が偏ったら切らしちまいそうな酒とかがあるんだよ。大きな酒屋だったらいいんだけど、そこ親父さんだけでやってる小さな所でさ。おつかい程度に使うの悪いんだけど、常連じゃないとこういうの頼みにくくて…」
 そういえば夜の営業時にこの店に来る事は少ない。それはその時間、篤火が街角で辻占い売りをしているからなのだが、一体どんな酒類が蒼月亭で人気なのかは気になる。それに困っているナイトホークの頼みを断る理由はない。
 篤火はコーヒーを一口飲んで、笑って頷いた。
「いいですよ。夜サンの頼みですし、お酒を見るのは楽しいですから。何を買ってきたらいいのか、メモしておいて下さいね。じゃないと私が好きなのを勝手に買って来ちゃいそうです」
「サンキュー、篤火。すごい助かる。バイト代ちゃんと出すから」
 ちょっと買い出しに行くだけなのにバイト代とは。こういう律儀なところはある意味気持ちがいい。メモ用紙を出して色々と書き付けるナイトホークを見ながら、篤火は最後に一枚残っていたクッキーを口に入れた。ほんのりと優しく甘い歯触りが、研ぎ澄まされたようなコーヒーに良く合う。
「じゃ、お願い。いつもの酒屋の住所も書いてあるから、困ったらレジにいる親父に聞いて。多分荷物重たくなるだろうから、交通費も渡しとく」
 そう言ってナイトホークは、買い物メモと一緒に金の入った封筒を渡した。中を見るとちょっとした金額が入っている。
「持ち逃げしちゃうかも知れませんよ」
「そんな事したら、今度は別の誰かに『篤火捕まえて』ってバイト頼むから。それに、信用してない奴に買い物は任せないよ」
 お互い冗談だと分かっているからこそ言える事だ。そんなつまらない事で、居心地のいい場所にいられなくなるのは困る。
「コーヒー奢りにしとくから。多分向こうで分かってると思うけど、領収書店の名前で切っといて」
「じゃあ行ってきます」
 メモと封筒を大事にポケットにしまい、篤火は街の中へと歩いていった。

「ナイトホークの使いかい?すまないな、ちょっと腰やっちまって…」
 メモに書かれていた住所の場所は、個人でやっている小さな酒屋だった。レジから立ち上がろうとする店主を篤火は手で止める。
「いえいえ、お大事にしてください。メモを書いてもらったので、自分で探しますから」
「悪いな。にしても、ナイトホークもいつも真っ黒な格好だけど、まさか手伝いまで黒い服だとは思ってなかった」
 店主が言う通りナイトホークはいつも全身黒い服だ。篤火も日よけのサングラスに、普段から黒い服を来ている。ほんの偶然なのだが、確かに可笑しいかも知れない。
「さて。捜し物を始めましょうか」
 そう呟きながら篤火は店内を見渡した。店の中は酒を劣化させないように、ほとんど外から日が入らない作りになっていた。照明も強くなく、中の温度や湿度にも気が遣われている。
「夜サンが好きそうなお店ですね」
 大型のディスカウントショップなどでもいいのだろうが、同じ酒でも保存状態で味が変わる。この辺りはナイトホークのこだわりがあるのだろう。
「えーっと、『ビーフィーター』と『ビーフィーター・クラウン・ジュエル』」
 『ビーフィーター』というのはドライ・ジンの名前だ。ジュニパーベリーの香りが良く、カクテルのベースにもよく使われる。だが、その後ろに書いてある名前は初耳だった。
 ジンの棚を探すと、店などでもよく見る『ビーフィーター』の隣に、紫の瓶が一本だけ置いてあった。それをレジの方に持っていくと、店主がニヤッと笑う。
「ナイトホークも相変わらずだね。場所が場所なら扱いにくい酒なのにな」
「そうなんですか?」
「イギリスじゃカクテルにこれを使うと『あなたを歓迎します』って意味で、バーじゃ扱いに気を使うんだよ。まあ日本じゃどうだか分からねぇが、昔っからこいつにこだわりがあるみたいでね」
 昔から…と言う事は、ナイトホークはこの店との付き合いが長いらしい。店主は丁寧に瓶を拭き、満足そうに酒瓶を見つめる。
「『クラウン・ジュエル』の方もプレミアムで、免税店とかじゃないと手に入らなかったんだが、リバイバルされてね。入荷したって教えてやったら早速か」
 そう言いながらも店主は何だか嬉しそうだ。篤火も同じように笑いながら店主の話に頷く。
「夜サンお酒大好きですからね。昼でも瓶とか綺麗に拭いてます」
「あれはバーとかが性に合ってるんだろうな。人相手にしてないと退屈で死ぬタイプだ」
 その通りかも知れない。
 いつも誰かがいる店の中で、ナイトホークは人と話しながら日々を過ごしている。人と接し、好きな酒に囲まれているのは、ナイトホークにとっての幸せなのだろう。
「後は『シャルトリューズ』のグリーンと『クレーム・ド・カシス』…って、カシスいっぱいあるんですがっ!」
 ナイトホークはいつも頼んでいるから『クレーム・ド・カシス』で分かっているのだろうが、篤火は一体どの種類がいいのか分からない。なので、篤火はラベルが気に入った『ヴェドレンヌ クレーム・ド・カシス』を手に取った。
「何だか夜サンらしいメモですね…」
 『クレーム・ド・カシス』に関してはメーカーが書いてないのに、グレナデンシロップは『明治屋』とメーカー指定だ。その部分にこだわりがあるのだろう…多分。
「宝探しをしている気分になってきました」
 見た事もないような酒だけではなく、カクテルの飾りになるパールオニオンやチェリーなど、そういうのを探すのも楽しかった。自分が買った物が、ナイトホークの手でカクテルに代わり、カウンターを華やかにするのだと思うと、それだけで楽しい。
「これで全部ですか」
 レジに並べた商品を精算しようとすると、店主が篤火をちょいちょいと招く。
「兄ちゃん、まだ時間あるなら茶の一杯でも飲まないかい?」
 その言葉に篤火は腕時計を見る。蒼月亭の夜の営業までにはまだ時間があるし、ここでお茶をご馳走になってから帰るのもいいだろう。篤火はそっと居間に上がらせてもらう。
「夜サンとはお付き合いが長いんですか?」
 座布団に座りながらそう聞くと、店主は急須にお湯を注ぎ、茶を入れた。
「かれこれ十年は付き合ってるかな…その頃からあいつは全然変わらねぇが、いい酒飲みだから詮索はしてねぇけど、何か事情があるんだろうな」
 事情…と言う言葉に、篤火はふと考える。
 確かにナイトホークには、自分がまだ知らない「何か」があるのだろう。先日ナイトホークが誘拐されたのを助けに行った時、床には明らかに人一人分では足りないぐらいの血溜まりがあった。だが、それでもナイトホークは元気に帰ってきた。
 だが、だからといって付き合いに変わりがあるわけではない。ナイトホークが篤火に対して信頼を寄せつつも余計な事を聞かないように、自分も同じように接している。それでいいのかも知れない。
「不思議な人ですよね。夜サンがカウンターにいると何か安心するんですよ…だから、ずっとあそこにいて欲しいって思います」
 そう言うと篤火は出されたお茶を飲んだ。店主も何処か遠くを見ながら、同じように茶をすする。
「…だな。多分場所を変えても、あいつはずっと蒼月亭にいるんだろうけどな」
 その後は、二人とも黙って茶をすすっていた。

「ただいま帰りましたー」
 篤火が箱を抱えてドアを開けると、カウンターの中にいたナイトホークが慌てて受け取りにやってきた。結構な重量の箱を預け、篤火はカウンター席に座る。
「篤火、サンキュー。助かった」
 箱をカウンターの端に置き、ナイトホークは早速品物を確認し始める。適当にラベルで選んだ『クレーム・ド・カシス』に関して怒られないかと、篤火は内心冷や冷やだ。だが、ナイトホークは満足げに一つ頷く。
「うん、完璧だ。ヴェドレンヌのカシス使ってみたかったから、丁度良かった」
「はーぁ、安心しました。夜サン『クレーム・ド・カシス』しか書いてないから、どれ選んでいいか迷いましたよ」
 溜息をつく篤火に、ナイトホークがレモンの香りがする水を出す。グラスの外に白く霜が付くその冷たい水は、篤火の喉にスッと染みこんでいく。
「悪い、カシスに関してはこだわりなかったから。コーヒーでいい?」
「その前に、夜サンにお釣りとお土産渡しますね」
 コーヒーミルを用意しようとするナイトホークに、篤火はポケットに入れていた封筒と共に一本のジュースを差し出した。その缶には『焼き芋ドリンク』と書かれている。それを指さし、ナイトホークは篤火の顔をじっと見た。
「何でお土産が『焼き芋ドリンク』なの?」
「なんとなく夜サンこういうの好きそうな気がして」
「うん、嫌いじゃない。結構好き」
 そう言うとナイトホークは缶を開け、それをためらいもなくぐっと飲んだ。
 実は篤火も飲んだ事は全くないのだが、両替するために立ち寄ったコンビニで偶然そのジュースを見かけ、ナイトホークの土産に買ってしまったのだ。一体どんな味なのか多少興味はある。するとナイトホークが唐突に笑い出した。
「夜サン、美味しいですか?」
「あはははは…ねっとりと重たい芋の味。笑いがこみ上げるほど微妙。篤火も飲む?」
 人の感情や感覚は突き抜けると全て笑いになると聞いた事がある。と言う事は、多分かなり不味いのだろう。篤火は丁重に手を振ってそれを断る。
「いえ、私は夜サンが入れたコーヒーを飲みますから」
「焼き芋は喉潤わねぇわ…これ絶対流行らない」
 コーヒー豆を挽きながらも、ナイトホークはその妙なジュースを飲んでいる。本人が言う通り、微妙と言いつつ結構好きなのかも知れない。やがてゆっくりとコーヒーが入れられ、それと共に新しい封筒が差し出される。
「夜サン、これは?」
 ナイトホークは缶をちゃぽちゃぽ振りながら、ふっと笑う。
「少ないけどバイト代。受け取っといて」
 ああ、そういえばバイトだった。つい捜し物が楽しかったりして忘れていた。
 そう言えばナイトホークは自分にバイトを頼む時に『仕事の斡旋とかもやってる』と言っていた。それが一体どんな物なのか、篤火はちょっと気にかかる。
「すいません、夜サンが斡旋してる仕事ってどんなものがあるんですか?」
「んー…ピンからキリまで。普通の倉庫整理とかのバイトから、危険な仕事なら要人警護とか怪奇系のものまで色々。東京暮らしが長いと色々噂とか聞くようになるって言ったろ?」
 店で見せているナイトホークは、もしかしたら光の部分なのかも知れない。光が強ければ強いほど、闇もまた濃くなっていく。夜飛ぶ鳥の名は伊達ではないのだろう。
「それは一人では流石に怖いですね」
 篤火はそう言いながら出されたコーヒーを飲んだ。
 今日は買い物の手伝いだけでいいだろう。もしその仕事が自分に縁のあるものなら、多分今日のように、自分の元に転がり込んで来る。
「ま、何かあったら頼んでよ。さて、買ってきたばかりの酒で『マティーニ』でもご馳走するよ。お疲れ様」
「遠慮なく頂きます、夜サンの作るカクテルは美味しいですから」
 買ってきたばかりの『ビーフィーター』をナイトホークが開ける。それを見て篤火は店で聞いた言葉を思い出していた。
「イギリスではカクテルにこれを使うと『あなたを歓迎します』って意味だ」
 そんな事を思っているのかどうかは分からないが、少なくとも信頼はされているようだ。
 ミキシンググラスでかき混ぜられていたマティーニがカクテルグラスに注がれ、その中にカクテルピンが刺さったオリーブが入れられる。
「お待たせいたしました。バイト代の一部と言う事で」
 斜めに入り込む日差しの中、透明なカクテルがオリーブの影をカウンターに作っていた。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
6577/紅葉屋・篤火/男性/22歳/占い師

◆ライター通信◆
バイトシナリオ「過去の労働の記憶は甘美なり」に、最初にご参加いただきありがとうございます。水月小織です。
「バーのためのお酒の仕入れの手伝い」という事で、自分の趣味全開でお酒を探したりする話にさせていただきました。明治屋のグレナデンシロップは色が綺麗なのです。
レアジュースを買ってお土産に…というプレイングでしたので、「焼き芋ドリンク」などを買っていたりします。実在するジュースですが、ナイトホークが言った通りの味がします。
リテイクやご意見などはご遠慮なく言ってくださいませ。
また蒼月亭に遊びに来てください。