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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


想い深き流れとなりて 〜2、1人足りない

 軽いモーター音が響いて、自動ドアがスライドする。途端に、涼しい空気が流れ出てシュライン・エマの頬をなでた。
「やっぱりネットカフェは涼しいわね……」
 一歩足を踏み入れると、ついそんな独り言が唇から漏れた。それほどまでに、外は暑いのだ。
 とはいっても、もちろんただ涼を求めてここに来た訳ではない。大事な用があるのだ。
 シュラインは入店手続きを済ませると、すぐに一台のパソコンの前に座り、自分のメールをチェックする。
 そこに来ていた一通のメールを開き、熟読したあとに返信をする。文面にしばし頭を悩ませつつも、どうにか完結させ、送信する。
「ふー、終わったわ」
 重要な用件のメールを送信してしまうと気分が楽になるのは、誰しもが同じこと。シュラインは大きく息をつくと、軽くのびをした。と、その肩をつんつんとつつく者がいる。
「シュラインさん、こんにちは」
 振り向くと、このネットカフェの常連、瀬名雫がくりくりとした瞳を覗かせていた。
「こんにちは、雫ちゃん」
 シュラインが挨拶を返すと。
「ね、シュラインさん、ちょっと見て欲しいんだけれど」
 とさっさと用件を切り出し、雫はシュランの使っていたパソコンのマウスに手を伸ばした。彼女の用事というものは、決しておいしいケーキ屋さんを見つけたから一緒に食べに行こう、とかそういうのではあり得ない。
 まあ、ちょうど一仕事済ませたところだし、内容によっては付き合っても良いだろうとシュラインは微笑みを浮かべたままでされるがままにしていた。
 案の定というべきか、雫はゴーストネットOFFの投稿ページを開き、1つの記事を指した。そこには。

 こんにちは。初めて投稿します。うちの近くにかなり古い小学校があるのですが、最近、毎晩毎晩この小学校の門の横の桜の木の下に幽霊が出るのです。それも、かなりたくさんいるみたいなんです。
 私には姿が見えないのですが、話し声が聞こえるんです。なんだかわいわいと賑やかにやっているようなのですが、そのうちに、自分は川で溺れて死んだとか、戦争で何発銃弾を撃ち込まれて死んだとか、自分は南の島で病気になって苦しみ抜いたとか、自分は畳の上で死ねたとか、なんだかそういう話を始めるんです。で、いつも最後には1人足りない、誰がいない、と言い出して……。
 職場の関係で、どうしても毎晩遅くにそこを通らなければならないんですが、怖くてたまりません。お願いです、調べて下さい。

「ううん」
 それを読んでシュラインは軽く唸った。ふと、先日草間興信所に来た女の幽霊を思い出したのだ。彼女といい、今回の記事の幽霊たちといい、少し元気がよすぎるというか活動的すぎるというか、生き生きしすぎているような気がする。
「ね、気になるでしょ? 1人足りないって」
 雫が横から上目遣いで見上げた。
「そうね」
 シュラインが頷くと。
「ね、ね、じゃあ調べてくれる?」
 雫は満面の笑みを浮かべる。
「わかったわ」
「ありがとう、じゃ、こっち来て」
 言うなり雫はシュラインの手を引いた。雫に連れて行かれた先には、一台のパソコンの前に2人の少年が座っていた。どちらもシュラインには見覚えのある顔、櫻紫桜(さくらしおう)と菊坂静(きっさかしずか)だった。
「こんにちは、紫桜くん、静くん。よろしくね」
 こうなってくると聞かずとも事情は呑み込める。この2人もまた、雫に捕まったという次第だろう。
「こんにちは、シュラインさん」
「こちらこそよろしくお願いします」
 声をかければ、2人も挨拶を返してきた。
「で、どこから手をつけようかしら?」
 こうなると前置きもいらない。シュラインはさっそく本題を切り出した。
「僕は……、現場に行ってみないとよく分かりませんね……」
 静がゆっくりと口を開く。
「じっくり当人たちの話を聞いてみたいと思います。何らかの事情があるのかもしれませんし」
「そうですね。可能なら俺も彼らとコンタクトをとってみたいと思います。ただ、まだ少し時間があるようですね」
 紫桜がやや厳しい顔を崩さないままで、静の言葉に頷いた。
「この書き込み主の方に接触できないでしょうか? 気になる点がいくつかあって聞きたいのです。幽霊が出る時間は何時頃かとか、そもそも幽霊が出るようになったのはいつ頃からかとか」
 少し躊躇った後で、紫桜は思慮深げに言葉を足した。
「この『1人足りない』というのが、気になるんです。しゃべっているだけじゃなくて、その1人を増やすために何か仕掛けたりしないでしょうか……?」
 どうやら紫桜は、霊たちが足りない1人を補うために誰かを引きずり込んだりしないだろうか、と心配しているようだ。シュラインがこの投稿から連想したよりも、深刻な事実を想像しているらしい。
「そのことなんだけれど……」
 そうなると少し言い出しにくくはあったが、仮説は仮説。シュラインは自分の想像を口にした。
「私は、小学校の同級生たちかと思ったの。この時期に1人足りないということは、夏休みにタイムカプセルを埋めた集まり、とかそういう線もあるのかな……と。それで、この小学校について当たりたいと思うのだけれど」
「ああ、なるほど。それなら幽霊たちの死因や場所がバラバラなことも説明がつきますね」
 紫桜が感心したような声を上げた。
「でも、もちろん紫桜くんが心配するような線だって見過ごすわけにはいかないわね。夜までの時間も惜しいし、二手に分かれましょう。とりあえず書き込み主にメールを出すわ。そちらとの接触は2人に任せてもいいかしら?」
 シュラインが軽く小首を傾げた。
「ええ、もちろん」
 静と紫桜が頷く。シュラインはそれに頷き返すと、さっそくキーボードを叩いた。今回の件で調査を始めるつもりでいるため、一度会って話を聞きたい旨と、くだんの小学校の詳しい位置を教えて欲しい旨を本文に書き、3人の連名で署名すると送信ボタンを押す。
 そして、待つこと数分。休日であることが幸いしてか、書き込み主からの返信は意外と早く返ってきた。
 会う段取りを決めるためのその後のやりとりを2人に任せ、シュラインはメールに記載されていた小学校の住所を手帳に書き付ける。さらに、地図サイトにアクセスすると、小学校近辺の地図を打ち出した。念のため、先日の事件の被害者、木下朱美が亡くなった地点もマークしようと思っていたのだが、どうやら地図サイトでは同一ページには入らないようだ。そこは事務所に帰ってから住宅地図で確認することにして、とりあえずシュラインはパソコンの画面をプリントアウトした。
 その間に、静たちもどうやら書き込み主と話が決まったようだ。互いに段取りが決まったのを確認すると、3人はネットカフェを後にした。
「がんばってねー」
 雫の明るい声が3人の背中を押した。

 シュラインは、地図を見ながらまずは問題の小学校に向かった。これが幽霊の出るという木だろう、門の横には桜の木が枝一杯に葉を茂らせていた。大樹だとか霊木だとかいうような感じはしないが、そこそこの年数を感じさせる木ではある。その根元には「昭和48年植樹」とあった。
「48年か……」
 シュラインは軽く溜息をついた。この桜が植えられた年の卒業生なり入学生なりを想像していたのだが、霊の話している内容からすると、桜の方はずっと最近に植えられたことになる。
「ま、それでもいろいろ聞いてみないとね……」
 すぐに気を取り直し、シュラインは学校周辺の聞き込みを始めた。この学校の歴史や、桜についての逸話を主に聞き込むと同時に、学校に口利きをしてくれそうな人を探すのが目的だ。もしシュラインの仮説が正しければ、同窓生名簿が必要になってくるが、個人情報保護の風潮も強い昨今、直接校長に頼んだところで、おいそれと見せてくれるとは思えない。
 面倒な作業になることを覚悟していたシュラインだったが、幸運なことにすぐにそれにおあつらえ向けの人物を見つけ出すことができた。
 ちょうど数年前、この近辺に住んでいるとある郷土史家が小学校も含めたこの辺りの歴史を調査していたらしい。この辺りの住民は皆、彼が聞き込みに回ったことを覚えていて、その名刺をとってある者までいた。ありがたくそれを拝借したシュラインは、さっそくその高橋憲一という郷土史家に連絡を入れた。
 またまた幸運なことに、桜の木の下の幽霊話について調べていると言えば、彼はすぐに会ってくれることになった。
「校門の横のあの桜はですね、実は2代目なのですよ」
 未だ年頃は40前といったところだろうか。大学の助教授という肩書きをもつその男は、シュラインに紅茶を勧めながら、そう切り出した。
「2代目……」
 シュラインは丁寧に頭を下げてから紅茶のカップを手にした。ふわり、と心地よい香りが鼻先をかすめる。
「ええ、実は戦前に植えられた桜があったのですが、何でも卒業記念にね。ところが戦時中、食糧難が進む中で、抜かれてしまいましてね。校庭を畑にするというので、ああ、当時の小学校の作りだと、あそこは校庭の隅に当たるのですよ」
 古い図面を広げて見せ、高橋はシュラインに説明した。
「そうですか。では、初代の桜は戦前に植えられていたのですね」
 シュラインは念を押した。ならばやはり桜を植えた年の同級生という線が出てくる。
「つまり、あなたは、当時の卒業生たちの幽霊が桜の下に集まっている、とお考えなのですね」
 高橋が興味深そうな目でシュラインをしげしげと見つめた。
「ええ」
 シュラインが答えると、高橋は目を瞬き、そしてくすくすと笑い出した。けれどそれは馬鹿にしている、というような笑い方ではなく、むしろ悪戯っぽい笑い方だった。シュラインは反応に困って軽く首を傾げた。
「いえ、これは失礼。あなたのような理知的な話し方をする方が幽霊の存在を前提にして話されるのは意外だなぁと」
「ええと、まあ、それはいろいろとありまして……」
 前提とするも何も、いろいろと経験しすぎているのだから、そこは何とも返答のしようがない。
「いえ、その自由な発想が羨ましかったのですよ。学術の世界というものは実は狭いものです。僕が『幽霊を対象に聞き取り調査をしました』なんて言おうものなら、袋だたきに遭いますからね。……もし可能なら彼らに当時の話を聞いてきて頂きたいくらいです」
 高橋はにこにこと笑いながら便せんとペンを手に取った。
「校長宛に一筆書いておきます。きっとこれで協力してくれることと思います」
「本当にありがとうございます。助かりました」
 シュラインは深々と頭を下げた。

 高橋からの紹介状を手に、シュラインは再び小学校へと戻る。夏休み中の小学校は閑散としていたが、もちろん、教師たちは休みではない。校長への取り次ぎを頼み、紹介状を見せると、快く校長室に通してくれた。
「桜の下の幽霊ですか……」
 校長というものを絵に描いたら全くこんな感じだろうか。はげ上がった頭の、人のよさそうな初老の男は、冷房のよく効いた室内でもてらてらと光る額を拭った。
「実は、うちの職員の間でも姿を見たとか声を聞いたとかいうのがいましてな……。まあ、夏休み中ですから大きな騒ぎにはなっておりませんが、調べてもらえるならありがたいことで。高橋先生のご紹介なら間違いはないでしょうし」
 シュラインが経過を説明すると、校長は汗をふきふきそう言った。
「はい、その点は重々……。学校側にも元生徒さんにもご迷惑をおかけするようなことは致しません」
 シュラインも再びその点をはっきりさせた。
「くれぐれも頼みますよ……。桜を植えた年の卒業生、ですね」
 校長はもう一度念を押すと、重い腰を持ち上げた。書類棚の中から、古びた薄い冊子を持ってくる。
「ありがとうございます。お預かりします」
 シュラインはそれを受け取ると、校長室を辞した。
 昇降口から校舎を出て、正門にさしかかったところで、シュラインは足を止めた。静と紫桜が桜の下に立っていたのだ。それも、静はどこか困惑したような表情を浮かべ、紫桜は真剣なまなざしを宙に向かって注いでいる。あたかも、見えない誰かを相手にしているかのように。
「あら、静くん、紫桜くん」
 声をかけると、2人はくるりと振り向いた。
「あ、シュラインさん」
「……ひょっとして、いるの?」
 2人の様子からそう思って聞いてみると。
「はい、たくさん」
 紫桜が軽く肩をすくめて答える。その反応からすると、どうやら悪意のある霊ではないようだ。
 書き込み主の情報から、昼間はいないだろうと思い込んでいたシュラインだったが、いるとわかるとその存在くらいは感じ取れるかもしれない。一番鋭い耳に、シュラインは神経を集中させた。
「何じゃ、見えないのか、つまらんのう」
 すると、確かにそれらしい声が聞こえてくる。しかも、わずかながらろれつが回っていないようだ。ちょうど、ほろ酔い加減の酔っぱらいがしゃべるような。何となく、シュラインはなぜ紫桜が肩をすくめたのかがわかった気がした。
「ごめんなさいね。……でも声は今、聞こえたわ」
 姿は見えないのに、ごくごく近くから声が聞こえてくるという感覚は奇妙なものだったが、それも少し我慢すれば大したことはなさそうだ。
「で、何の集まりをしているのかしら?」
 シュラインはさっそく本題を切り出す。
「それがなぁ、話せば長いんじゃが」
「わしらがこの小学校におった時にな、卒業記念に桜の木を植えたんじゃ」
「30年経って、この木が立派に育った頃にまた集まろうと約束をしていたのだけれど」
「その前に戦争が起こって、ほら、この通り兵隊にとられる者は出るわ」
「桜自体も引っこ抜かれてしまって……」
 霊たちは口々に説明を始めた。話の内容自体は既に聞いたものと合致していたが、今語っている声には年老いたしわがれた声や若い張りのある声、そしてどこかあどけなさの残る高い声までが混じっていた。彼らがみんな本来は同い年なのだと考えると、その一人一人が歩んだ運命の妙が感じられるような気がして、何とも言いがたい感傷が湧いてくる。
「それで、結局果たせなかったのだよ」
「それで今、この桜の木の下に集まってみたんだけど」
「どうも1人足りない。誰だったかなぁ、と」
 霊たちが顔を見合わせているような気配がシュラインにも伝わってきた。
「じゃあ、1人足りないというのは、誰が足りないのか名前はわかりますか?」
 シュラインは、さっそく先ほど借りてきた名簿を開いた。
「あ、俺、これ」
「わしはこれ」
 霊たちは次々に自分の名を指差しているらしいが、その指先までは見えない。どれを指しているのかは、紫桜と静が教えてくれた。そして、「上川隆三」という1つの名が残された。
「ああ、そうだ、隆ちゃんだ」
「あの、勉強はできたけどひょろっこい」
 どうやら名前を見て霊たちは級友を思い出したらしい。
「ここにおられないということは、ひょっとしたらこの方、ご存命なのかも」
 シュラインは静と紫桜に呟いた。計算してみると、もう90に手が届こうかという高齢だが、あり得ない話ではない。ひょっとしたら身体を悪くして病院などで寝込んでいるのかもしれないが、ここに連れてくるなり、せめて言づてを頼むなりはできないだろうか。
「じゃあこの方、こちらで探してみるわね」
 シュラインは霊たちに声をかけた。
「おお、頼むよ。せっかくこれだけ揃ったのだから、どうせなら全員で桜を囲みたいものじゃ」
「一応、冥土の方でも探してくるか」
 霊たちは口々に応えた。
「実は、聞き込みをしている時に、この地域や小学校の歴史を研究している人にお会いしたの。ちょっと聞いてみるわね」
 シュラインは静と紫桜にそう告げ、携帯電話を取り出すと、高橋のところへかけた。数回のコール音が響き、先方が電話に出る。
「あ、先ほどお邪魔しました、シュライン・エマです。先ほどは大変お世話になりました」
 シュラインは丁寧に挨拶をした後で、簡単な経緯を説明した。事実はほぼシュラインの想像通りだったこと、足りない1人は「上川隆三」という名前であることと、当時の住所――現在だと区画変更があって違う住所になっていることだろう――を告げた。
「ああ、その方なら、確か数年前の調査でお話を伺ったと思いますよ」
「本当ですか?」
「ええ、ちょっと資料を当たってみます。少々お待ち下さい」
 その声を残して、受話器からは保留中のメロディが流れてくる。
「お待たせしました」
 2フレーズほど音楽を聞いた後に、高橋の声が戻ってきた。
「確かにこの方です。婿入りされて名字が神薙(かんなぎ)になっておられるはずですが、まだこの近くにお住まいですよ。住所は……」
 シュラインは慌てて手帳にペンを走らせる。高橋は、ゆっくりとした口調で住所を読み上げた後に、学校からのおおまかな行き方を教えてくれた。
「ありがとうございます、本当に何から何まで」
 シュラインは重ねて礼を述べた後に、電話を切った。
「見つかったわ、上川隆三さん。ここからすぐ近くに住んでらっしゃるそうよ」
 そう告げると霊たちはおおっ、とどよめきの歓声をあげた。
「行きましょう。もし出向いて頂けるなら頼んでみるわね」
「頼むよー、べっぴんさん」
 霊たちのひやかしとも励ましともつかない見送りを受けながら、3人はひとたびそこを後にした。

「ええと、聞いた住所だとこの辺……。何でも、婿入りされて『神薙(かんなぎ)さん』になられているらしいのだけれど……」
 位置的にはこのあたりで間違いなさそうだ。手帳に控えた住所と行き方に目を落としながらシュラインは呟いた。その言葉に、静と紫桜も周囲の民家を注意深く探してくれる。
「あ、シュラインさん、あれじゃないですかね」
 しばしの探索の後に紫桜が指したのは、この辺りでも目立って大きな邸宅だった。目立ちすぎて却って目がいかなかったらしい。
「あ、どうもそれね。行ってみましょう」
 シュラインが早速インタホンを押す。しばし待つが、返事はない。
「留守かしら?」
 3人は軽く顔を見合わせて、もう一度インタホンを押す。やはり反応はない。諦めて一度戻ろうとした時、玄関のドアがゆっくりと開き、1人の老人が顔を出した。そのやせこけた顔は生気に乏しく、憔悴していて、3人は一瞬息を呑んだ。
「……こんにちは。あの、失礼ですが、神薙隆三さん……、旧姓上川隆三さんでいらっしゃいますか?」
 しばしの躊躇いの後にシュラインは本題を切り出した。老人は怪訝そうに頷く。
「実は、あなたの小学校時代の同級生のことでお伺いしたのです」
 何かあったのだろうか、見るからに痛ましい様子のこの老人にずけずけと同行を求める気にはなれなかったが、だからと言って「失礼しました」と帰るわけにもいかない。シュラインは簡単に事情を説明して、同行を頼めるかおずおずと頼んでみた。
「そうですか……。確かに桜の下に集まろうと約束はしましたが……、皆もう逝ってしまっているんですね……。わかりました、行きましょう」
 意外なほどにあっさりと、神薙老人は同行を了承した。けれど、どこか虚ろなその顔には、やはり一抹の痛ましさがつきまとっていた。

「おお、おお、隆ちゃんじゃ。すっかり年とって」
「まったく、意外だったなぁ、あのひょろっとした隆ちゃんが一番長生きするなんて」
「はは、身体が弱かったおかげで兵隊にとられず、まだ生きているよ」
 霊たちの歓迎に、神薙老人は伏し目がちに答えた。
「うん? どうした、元気がないの」
 霊の方が元気だというのも奇妙な話だが、今はそんなことを言っている場合でもない。
「……私も早くそちらに行きたい……」
「何だ? 何だ? どうした?」
 老人の漏らした言葉に、シュラインたちは顔を見合わせ、霊たちはかつての級友を取り囲んだようだった。
「もう、私には誰もいないんだ。孫夫婦と、ひ孫さえ……」
 老人は震える声で続けた。しわがれ果てた手の甲に、涙が一粒、二粒と落ちてくる。
「……亡くなられたのか?」
「3ヶ月前、山道で事故に……。遺体はまだ見つかっていないが、谷底に落ちた車が見つかって……、あれじゃあとうてい生きてはいまいよ」
「でもまだ死んだと決まったわけでもなかろう」
 霊たちは口々に老人を励まそうとする。
「……じゃあ、冥土へ逝って探してくる。いなかったらまだこちらに来ていないということだし、いたら連れてくる。話くらいはできるだろう。お孫さんの名前は?」
 若者らしき霊が、決意を秘めた声で神薙老人に言い募る。
「佑司(ゆうじ)……。神薙佑司。その嫁が瑞穂(みずほ)で、娘が希美(のぞみ)」
「よし、ちょっと逝って呼びかけてくるから待ってな」
 それきり、沈黙がその場を支配した。どうやらその霊は言葉の通り「向こう」へ行ったらしい。誰もが口にする言葉を見つけられず、ただただそこに佇んでいた。そして、どれほどの時間が経っただろうか。
「隆ちゃん、いなかったぞ。お孫さんは向こうにいなかったぞ。瑞穂さんも、希美ちゃんもだ」
 先ほどの声がずいぶんと弾んだ様子で告げた。
「よかったなぁ、よかったなぁ」
 彼の報告に、霊たちは口々によかったよかったと繰り返す。
「ありがとう……」
 老人は再びむせび泣く。シュラインもこっそり目尻を拭った。
「さあ、せっかく全員揃ったんだ、ここはぱーっと」
 再会の懐かしさも手伝って、霊たちはどんどん盛り上がっていく。
「ところで、どうして今なんです?」
 が、シュラインの耳は紫桜が傍らの霊に話しかけた声をとらえていた。話の経緯はわかったが、なぜ今集まっているのか、ということなのだろう。
「ああ、それがな、三途の川が浅くなっててなぁ、ひょいと渡れてしもうたんでこっちに来てみたんだが」
「三途の川が浅くなった?」
 シュラインと同じように彼らの話を聞いていたのだろう、聞き返した静の声には驚きが混じっていた。確かに、一瞬耳を疑うような内容だ。そんなことはあり得るのだろうか。けれど、現実に今霊たちが騒いでいるわけだし、先日だってほとんど生者と変わらないような幽霊に出会ったのだ。冗談や嘘だと聞き流すわけにも行くまい。
「ふむぅ、最近は信仰心が薄れてきたせいかのう……、ま、それでともかくこっちに来てみたら、桜があったのじゃよ。わしらが植えたものはとうに抜かれてしもうたが、代わりの桜があるなら、果たせなかったあの約束を、ということになってな。ちょうど戦争がなければ、わしらもこれくらいに育った桜の下に集まれたろうからな……。それで、少しずつ仲間が集まってきたというわけじゃ」
 霊の方はしみじみとした口調であったが、そのことに対してさほど深刻にはとらえていないようだった。
「それで、貴方たちは……、これが終わったら……」
「ああ、ひと騒ぎ終わったら向こうに帰るよ」
 それで、静の方も一応は納得したらしい。シュラインも今はこの霊たちにその話を掘り返す気にもなれず、あとは皆して霊たちの昔語りに耳を傾け、思い出話に相づちをうった。
 そして、どれほどの時間が経ったろうか。
「さて、そろそろ帰るとするか」
「そうだな、隆ちゃんも疲れたろうし。生身の身体があるとこういう時に不便だなぁ」
 思う存分話に花を咲かせて満足したらしい霊たちが腰を上げた。
「あんたたちも、ありがとう。隆ちゃん連れてきてくれて。おかげで全員揃ったよ」
「ありがとう、ありがとう。本当に親切な人たちもおったものじゃ」
 シュラインたちの方を向いて、霊たちが次々に言い募る。
「私からも礼を言わせておくれ。本当にありがとう」
 神薙老人も深々と頭を下げた。その顔には生気が戻り、瞳は輝きを取り戻していた。
「いいえ。同窓会のお手伝いができてよかったです」
 3人もにこりと笑顔を返す。
「じゃあ、みんな元気でなー。長生きしろよー」
 口々に別れの言葉を告げて、霊たちは「向こう」へと旅立って行った。
「では、私も失礼します」
 神薙老人も再び深々と頭を下げて、去って行った。
 夏休みも盛りの学校には、あっけないくらいの静けさが訪れた。
「でも、無邪気な霊たちの集まりでよかったですね」
 紫桜が穏やかに言う。
「こんなに時間が経っても、また集まって懐かしみあえる仲間って、素敵ね」
 シュラインも微笑んだ。
「そうですね」
 静も相づちをうつ。
「さて、雫さんに報告を入れましょうか。きっと首を長くして待っているはずです」
 書き込み主もこの報告を聞けば安心することだろう。
「そうね」
 紫桜の言葉にシュラインも頷いた。

「そうか……、葉桜の下で同窓会、だったんだね」
 3人の話を聞いた雫はそう言って笑った。が、その顔はどことなく上の空だった。
「雫さん、どうかしたんですか?」
 紫桜がその表情にひっかかりを覚えたか、雫に尋ねた。
「うん……、ちょっとこれ、見てくれる?」
 言いながら雫はパソコンの前の席を紫桜に譲る。シュラインもそれを横から覗き込んだ。モニタに映っていたのは例によって例のごとく、ゴーストネットOFFの投稿欄だった。
「……これは……」
 紫桜が呟くのとほぼ同時に、シュラインも軽く眉を寄せていた。
 そこには膨大な数の新着メッセージが表示されていた。そして、その多くが「幽霊を見た」「ラップ音を聞いた」というような内容だった。
 三途の川が浅くなっていた、確かにあの霊はそう言った。それはすなわちこの世とあの世の境界が曖昧になっているということだ。それは、思った以上にこの世界に大きな影響を及ぼしているのではないか、単に一時的なものだというわけではなく。
「いくら何でも……、ちょっと多すぎるよね」
 雫がぽつりと呟いた。

<了>

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【5566/菊坂・静/男性/15歳/高校生、「気狂い屋」】
【5453/櫻・紫桜/男性/15歳/高校生】

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■         ライター通信          ■
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こんにちは。ライターの沙月亜衣と申します。
この度は、当シナリオへのご参加、まことにありがとうございました。毎度のことながら納品がぎりぎりになってしまい、誠に申し訳ございません。
皆様のおかげで、彼らは無事残りの1人と再会を果たすことができました。ありがとうございます。もっとも、事件自体はのほほんで終わったものの、それだけでは済まない部分も出てきましたが……。
今回はちょっとずつ違うものを皆様にお届けしていますが、間違い探し程度の違いでございます。お暇でお暇で仕方がない時にでも、他の方の分にも目を通して頂ければ幸いです。

シュライン・エマさま

こんにちは。前話に引き続いてのご参加、まことにありがとうございます。
そして、何より「参りました」。この一言に尽きます。
ぴったしカンカン大正解の予想もさることながら、最後の1人を彼らに引き合わせるというプレイングのおかげで、次話以降に向けて大きく話が動くこととなりました。

ご意見、苦情等ありましたら、遠慮なくお申し付け下さい。できるだけ真摯に受け止め、次回からの参考にさせて頂きたいと思います。

それでは、またどこかでお会いできることを祈りつつ、失礼致します。本当にありがとうございました。