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想い深き流れとなりて 〜2、1人足りない
――まずい……かもしれない。手を打つ必要が出てくるか……。
今にも破れそうなまどろみの中で、菊坂静はそんな声を聞いた気がした。身体にまとわりつくような暑さに、軽く寝返りを打てば、薄皮一枚の眠りはあっけなく醒めた。窓の外からは、無慈悲な夏の朝日が差し込んでくる。
今年の夏は暑い。
心中溜息を漏らしながら、静は起き上がり、身支度をする。時折立ち寄るインターネットカフェに行ってみよう、と何となく思いついたのだ。否、無意識のうちに「何か」を感じ取っていたのかもしれない。
先日、とある殺人事件に関わって、その被害者を「送って」以来、どこか心の隅に何かしらの予感のようなざわつきが消えないのだ。
数時間後。
ネットカフェに到着した静を迎えたのは、人探し顔で辺りを伺っている瀬名雫だった。そして、案の定というべきか、静を見つけた雫は、ぱっと顔を輝かせる。
「静くん、ちょっとこれ見て」
挨拶もそこそこに、雫は手がちぎれんばかりの勢いで手招きすると、静が腰を下ろすのも待ちきれないとばかりにパソコンの画面を最大化して見せた。
抗う術もなく、静はその画面に見入る。
こんにちは。初めて投稿します。うちの近くにかなり古い小学校があるのですが、最近、毎晩毎晩この小学校の門の横の桜の木の下に幽霊が出るのです。それも、かなりたくさんいるみたいなんです。
私には姿が見えないのですが、話し声が聞こえるんです。なんだかわいわいと賑やかにやっているようなのですが、そのうちに、自分は川で溺れて死んだとか、戦争で何発銃弾を撃ち込まれて死んだとか、自分は南の島で病気になって苦しみ抜いたとか、自分は畳の上で死ねたとか、なんだかそういう話を始めるんです。で、いつも最後には1人足りない、誰がいない、と言い出して……。
職場の関係で、どうしても毎晩遅くにそこを通らなければならないんですが、怖くてたまりません。お願いです、調べて下さい。
「幽霊……」
ふ、と頭の中に何か予感めいたものがよぎった。
「ね、ね、『1人足りない』って何だろう? 気になるよね? 調べてくれない?」
そんな静の心中をよそに、雫が横からたたみかける。
「わかりました」
書き込みに引っかかるものを感じたのは事実だ。静は苦笑まじりに頷いた。
「ありがとう! じゃ、他の人にも声かけてみるね」
雫は満面の笑顔で頷くと、再びきょろきょろと辺りを見回し始める。
その間に、静は再び画面に目を落として投稿を読み直し、思案を巡らせる。幽霊たちはどうしてそこに集まっているのか、どうして自分の死んだ時のことを話すのか……。どちらにせよ、現場に行ってみないとよくわからない。けれど、やはりもっとも気になったのは「1人足りない」という部分だった。まるで、もう1人来るのが前からわかっているかのような言い方だ。
「もしかして……」
静は画面を見つめたまま、低い声で呟いた。先日の殺人事件の犠牲者、木下朱美を思い出したのだ。もし、霊たちの言うあと1人が朱美だったなら。霊たちもまた、何かの理由があって成仏したくてもできないでいるのかもしれない。朱美が自力で「向こう」への道を見つけられなかったように。
そうだとしたら、じっくり話を聞いて、手引きが必要なら成仏を手伝ってやりたい。どちらにせよ、既に十分苦しんだであろう死者たちにむち打つ気にはなれない。
「あ、紫桜(しおう)くーん」
そんなことを考えていると、傍らから雫の嬉しそうな声が上がった。どうやら、次の獲物を見つけたらしい。
「こんにちは、雫さん」
見れば、静と同年代くらいの少年が、年に似合わない老成された物腰で丁寧に雫に挨拶を返したところだった。
「ねね、紫桜くん、ちょっとこれ見て」
静にしたのと同じように、雫はなかば強引に少年をパソコンのモニタの前に連れてくる。少年は大人びた笑みを浮かべながら雫の後に従った。
「あ、こっち菊坂静くんね。静くんも、今回の事件、調べてくれるんだって。静くん、櫻(さくら)紫桜くん」
もはや雫の中では既に紫桜も調査を引き受けたことになっているらしい。意気揚々と互いを紹介して笑っている。けれど、紫桜はそれに怒る様子もなく、相変わらずの微笑みを浮かべて静にも挨拶を寄越すと、モニタを覗き込んだ。投稿を読み始めたのだろう、その顔から次第に笑みが消えて思案顔になっていく。
「あ!」
雫はといえばまた協力者を見つけたようだ。小さく声を上げると、向こうの方に歩いて行く。しばしの後に雫が連れてきたのは、シュライン・エマだった。
「こんにちは、紫桜くん、静くん。よろしくね」
既に雫はシュラインと話をつけてきていたらしい。事情を察した顔でシュラインは静たちに微笑みかけた。
「こんにちは、シュラインさん」
「こちらこそよろしくお願いします」
2人が挨拶を返せば、シュラインも笑顔で頷く。
「で、どこから手をつけようかしら?」
シュラインがさっそく本題を切り出した。
「僕は……、現場に行ってみないとよく分かりませんね……」
その切れ長の瞳を向けられて、静はゆっくりと口を開いた。
「じっくり当人たちの話を聞いてみたいと思います。何らかの事情があるのかもしれませんし」
「そうですね。可能なら俺も彼らとコンタクトをとってみたいと思います。ただ、まだ少し時間があるようですね」
紫桜がやや厳しい顔を崩さないままで、静の言葉に頷いた。
「この書き込み主の方に接触できないでしょうか? 気になる点がいくつかあって聞きたいのです。幽霊が出る時間は何時頃かとか、そもそも幽霊が出るようになったのはいつ頃からかとか」
少し躊躇った後で、紫桜は思慮深げに言葉を足した。
「この『1人足りない』というのが、気になるんです。しゃべっているだけじゃなくて、その1人を増やすために何か仕掛けたりしないでしょうか……?」
紫桜の懸念は静にもすぐに知れた。足りない1人を補うために誰かを引きずり込んだりしないだろうか、と心配しているのだ。そしておそらく書き込み主が怖がっているのもそこなのだろう。
「そのことなんだけれど」
シュラインが少し困ったような照れたような笑みを浮かべた。
「私は、小学校の同級生たちかと思ったの。この時期に1人足りないということは、夏休みにタイムカプセルを埋めた集まり、とかそういう線もあるのかな……と。それで、この小学校について当たりたいと思うのだけれど」
「ああ、なるほど。それなら幽霊たちの死因や場所がバラバラなことも説明がつきますね」
紫桜が感心したような声を上げた。静にとってもその線は盲点だった。
「でも、もちろん紫桜くんが心配するような線だって見過ごすわけにはいかないわね。夜までの時間も惜しいし、二手に分かれましょう。とりあえず書き込み主にメールを出すわ。そちらとの接触は2人に任せてもいいかしら?」
シュラインが軽く小首を傾げた。
「ええ、もちろん」
静と紫桜が頷けば、シュラインはさっそくキーボードを叩き始めた。今回の件で調査を始めるつもりでいるため、一度会って話を聞きたい旨と、くだんの小学校の詳しい位置を教えて欲しい旨を本文に書き、3人の連名で署名すると送信ボタンを押す。
そして、待つこと数分。休日であることが幸いしてか、書き込み主からの返信は意外と早く返ってきた。静と紫桜は書き込み主と数度メールのやりとりをして会う場所と時間を決めた。その間、シュラインは小学校の住所を手帳にかきつけ、地図をプリントアウトしていたようだった。
お互いに段取りが決まったのを確認すると、3人はネットカフェを後にした。
「がんばってねー」
雫の明るい声が3人の背中を押した。
約1時間後。待ち合わせ場所の喫茶店に現れた男を見て、静と紫桜は思わず顔を見合わせた。互いに、相手がまったく自分と同じことを考えていることを瞬時に悟る。
「あ、どうも、こんにちは。あの学校の幽霊のこと、調べてくれるんですよね?」
男は、おどおどとした目つきで2人を見上げた。
「はい、そうしたいと思っています。その上で少し気になることがあるので、詳しいお話を聞けたら、と」
紫桜が丁寧な物腰で応えると、男は2人を拝み倒さんばかりに泣きついた。
「はい、はい、何でも話します。だからあの幽霊たちを何とかして下さい。怖くてたまらないんです。お願いしますぅ」
見るからに気弱そうで、要領の悪そうなその男に、2人してアトラス編集部の三下忠雄を連想したのだ。ちょうど年頃も同じくらいとあって、顔が似ているわけでもないのに、雰囲気がそっくりなのだ。きっと、仕事も遅くて帰りが遅くなるのだろう、とすぐに想像がつく。
「で、早速ですが」
「は、はい!」
紫桜が切り出すと、男はびくりと身体を振るわせて背筋を伸ばした。
「幽霊の声が聞こえるようになったのは最近、ということは以前はそういう話し声はなかったんですよね?」
「え、ええ、なかったです」
「じゃあ、声が聞こえるようになったのはいつくらいからですか?」
「ええと……」
紫桜の問いに、男は記憶を辿るかのように目を宙に泳がせた。
「ここ半月くらい……かなぁ。最初はあんまり声も多くなくて、疲れているから空耳が聞こえるのかなぁ、なんて思っていたんですけれども、なんだかどんどん数が増えて、ここ3、4日あたりになってくると『あと1人』みたいな感じにまでなっていって……、ああ怖い」
男は自分の身体をかき抱いて――それは決して見目麗しい光景ではなかったが――またぶるぶると震えた。
ここ半月か、と静は心中独り呟いた。朱美の事件が1週間ほど前だ。時期的にやはり何かつながりがあるように思える。
「それで、幽霊が出るのはだいたい何時くらいなんですか?」
紫桜がさらに問いを重ねる。
「小学校の前を通るのが、だいたい……夜の10時から2時くらいなんですけど……、いっつもいるんです。ひょっとしたら一晩中いるのかも……」
「あと、その幽霊が出るようになった頃あたりに、何か気になることとか、異変があったとか、そういう話は聞いたことがありませんか? 何でもいいんです」
「さあ……。ちょっとわからないです……」
あとは、何を聞いても男は首をひねるばかりだった。どうやらこの男からこれ以上の情報は見込めまい。ちらりと目を遣ると、紫桜も同じことを考えているようだった。
「そうですか。どうもありがとうございました」
丁寧な礼を述べて席を立つと。
「お願いします、絶対何とかして下さいね」
男は再びすがるような眼差しを向けたのだった。
喫茶店を出ると、途端に何とも言えない蒸し暑い空気が2人を包み込む。まだ日没までには時間があった。
「暑いですね……。シュラインさんはまだ聞き込み中でしょうか?」
静は額を拭いながら口を開けた。もしも彼女がまだ聞き込み中ならそちらを手伝えるかもしれない。
「学校周辺でも聞き込みをしてみませんか? ひょっとしたらシュラインさんとも合流できるかもしれませんし」
紫桜もすぐに静の意図を汲んで、そう応える。
2人はそのまま問題の小学校を目指す道々、聞き込みを始めた。
小学校の幽霊の噂は、まだ噂段階で、知っている人は知っているし、聞いたことのない人は聞いたことがない、といった状況だった。知っている人にしても、高齢者などは「お盆が近いから帰ってきとるんじゃろ」とさして気にしている様子もない。
その他にここ半月くらいの異変についても、特にめぼしい情報を得られないうちに、2人は問題の小学校の前までたどり着いていた。
「あれが例の桜ですか……」
校門の横に植わった桜は、大樹とか霊木とか呼べるほどのものではなかったが、それなりの枝振りを広げ、たくさんの葉を茂らせていた。そして、その下には。
「……いますね、真っ昼間っから」
紫桜が少し呆れたような声をあげた。
「ええ……」
静も少し言葉に困りつつ頷いた。
桜の下には、戦時中のものと思われる国民服に身を包んだ壮年の男やら、まだあどけなさを残した顔立ちの若い男やら、背広姿の初老の男やらが集まって、酒を酌み交わしていた。その様子ときたら、まさしく四月になればどこの桜の下でも見られる、サラリーマンの宴会のようだった。
とても成仏できない無念さや、人に害をなすような恨みのようなものは感じられない。2人はしばし顔を見合わせた。が、こうしていても仕方はない。
「あの、こんにちは」
静は思いきって声をかけた。
「うん?」
何人かの男たちがこちらを振り向く。
「おお、やっと来たか、よう来た、よう来た、ささ、こっち来い」
おそらくは酒のせいだろう、頬を赤く染めた中年の男が手招きした。
「いや、しかし数が合わないんじゃないか? あと1人だったはずだぞ」
その横で若い男が首をひねる。
「お前ら、よく見んかい。この2人はまだ生きているぞ。わしらと同級のわけがなかろうて」
老人が笑い飛ばした。
「ま、この際誰でもいい。こうして会ったのも何かの縁というやつじゃ。さ、こっち来て一杯やってけ」
「いえ、あの、俺たちは未成年ですから……」
戸惑いがちながら、紫桜が酒の誘いはしっかりと断る。
「そうか、そりゃ仕方ないの」
「ところで、皆さんはここで何をされているんですか?」
脱線しっぱなしの話題に頭を痛めつつ、静は本題を切り出した。先ほど老人がこぼした言葉によると、どうやらこの集団は同級生連中らしい。年齢がばらばらに見えるのは、死んだ時の外見をそのまま装っているからだろう。
しかも、遺体の姿そのままではなく、外傷のないきちんとした姿をしているあたり、きちんと供養も受けて成仏しているはずだ。だとしたら、なぜこんなところに集まっているのだろう。
「いやな、昨日酒を差し入れてもらってな。ここの近所の人間か、知らん顔だったが、親切な人もおったもんじゃ」
すっかり出来上がった風の中年男が機嫌良く答えた。
「それって清めのお神酒じゃぁ……」
ぼそりと紫桜が呟く。
「いえ、そうではなくて、どうして『こちら』で酒盛りを?」
想定していたのと別の種類の忍耐力が要求されているのを感じつつ、静は問いを重ねた。
「そうそう、それじゃそれじゃ」
老人が口を開く。
「わしらがこの学校におった時にな、卒業記念に桜の木を植えたんじゃ。30年経って、この木が立派に育った頃にまた集まろうとな」
ようやく話が本題に入ったらしい。静は密かに胸を撫で下ろした。
「だがしかしどうだ、その前にあの戦争が始まってしまって、兵隊にとられる者もでてきてな」
若い男がその後を継いだ。
「さらに、あの桜自体がひっこぬかれてしもうたんじゃ。食べ物がないから校庭も畑にするちゅうてな」
老人が嘆く。
「ああ、いかん、戦争はいかん。俺は大陸の方に送られてな……」
「いやいや、俺なんか南方だぜ。食料はないわ、疫病は流行るわ……」
再び話が激しく脱線し始めた。傍らの紫桜は神妙な顔をして聞いているし、霊たちの話は熱を帯びてくるし、確かに話の内容は決して軽くはないしで、気安く口を挟める雰囲気でもなく、静は途方にくれつつも、霊の話を聞いていた。
「あら、静くん、紫桜くん」
その時、天の助けとでも言うべき声が降ってきた。小学校で聞き込みをしていたのだろう、シュラインが校舎の中から出てきたのだ。
「あ、シュラインさん」
「おお、べっぴんさん」
霊たちもざわめきたつ。
「……ひょっとして、いるの?」
シュラインが目を瞬かせる。どうやらシュラインにはこの霊たちの姿は見えていないようだ。書き込みの内容から、昼間は出ないと思い込んでいたのだろう。霊というものは、霊感の強くない人間には、いないと思っていれば見えないものだ。
「はい、たくさん」
紫桜が軽く肩をすくめて答えると、シュラインはしばし耳を澄ませているようだった。
「何じゃ、見えないのか、つまらんのう」
「ごめんなさいね。……でも声は今、聞こえたわ」
霊のぼやきに、シュラインは軽い苦笑を返した。
「で、何の集まりをしているのかしら?」
やはり美人は得と言うべきか、霊たちは我先にと、自分たちはこの小学校の同級生で、桜の元に集まる約束をしていたが果たせず、今集まっているのだが、どうやら1人足りないらしいという話をした。
「じゃあ、1人足りないというのは、誰が足りないのか名前はわかりますか?」
言いながらシュラインは古い帳面を開いた。どうやらこの年代の名簿らしい。
「あ、俺、これ」
「わしはこれ」
霊たちは次々に自分の名を指差した。そして、残された名は1つ。「上川隆三」とあった。
「ああ、そうだ、隆ちゃんだ」
「あの、勉強はできたけどひょろっこい」
どうやら名前を見て霊たちは級友を思い出したらしい。
「ここにおられないということは、ひょっとしたらこの方、ご存命なのかも」
シュラインの呟きは静の考えとも合致するものだった。
「じゃあこの方、こちらで探してみるわね」
「おお、頼むよ。せっかくこれだけ揃ったのだから、どうせなら全員で桜を囲みたいものじゃ」
「一応、冥土の方でも探してくるか」
言って、霊の1人が姿を消す。
「実は、聞き込みをしている時に、この地域や小学校の歴史を研究している人にお会いしたの。ちょっと聞いてみるわね」
シュラインは静と紫桜にそう告げると、携帯電話を取り出してどこかへとかけた。
「あ、先ほどお邪魔しました、シュライン・エマです。先ほどは大変お世話になりました」
丁寧に礼を告げた後で、シュラインは名簿に載っていた名前と住所を読み上げた。住所といっても当然当時のもの。今の区画とは異なる可能性が大きいのだ。
「ええ、ええ……、本当ですか!? ありがとうございます、本当に何から何まで」
電話の相手が調べものをしてくれていたのだろう、しばし沈黙の時間が続いた後に、シュラインの顔がぱっと輝いた。素早く手帳にメモを取りながら、電話の向こうに何度も頭を下げている。
「見つかったわ、上川隆三さん。ここからすぐ近くに住んでらっしゃるそうよ」
シュラインの言葉に、霊たちはおお、っとどよめきの歓声を上げた。
「行きましょう。もし出向いて頂けるなら頼んでみるわね」
「頼むよー、べっぴんさん」
霊たちのひやかしとも励ましともつかない見送りを受けながら、3人はひとたびそこを後にした。
「ええと、聞いた住所だとこの辺……。何でも、婿入りされて『神薙(かんなぎ)さん』になられているらしいのだけれど……」
シュラインの言葉に、静も紫桜も注意深く周りの民家の表札を見て回った。
「あ、シュラインさん、あれじゃないですかね」
紫桜が指差したのは、この辺りでも目立って大きな邸宅だった。目立ちすぎて却って目がいかなかったらしい。
「あ、どうもそれね。行ってみましょう」
シュラインが早速インタホンを押す。しばし待つが、返事はない。
「留守かしら?」
3人は軽く顔を見合わせて、もう一度インタホンを押す。やはり反応はない。諦めて一度戻ろうとした時、玄関のドアがゆっくりと開き、1人の老人が顔を出した。そのやせこけた顔は生気に乏しく、憔悴していて、3人は一瞬息を呑んだ。
「……こんにちは。あの、失礼ですが、神薙隆三さん……、旧姓上川隆三さんでいらっしゃいますか?」
しばしの躊躇いの後に、シュラインが切り出した。老人は怪訝そうに頷く。
「実は、あなたの小学校時代の同級生のことでお伺いしたのです」
シュラインは事情を手短かに説明し、遠慮がちに同行を頼めるか尋ねた。
「そうですか……。確かに桜の下に集まろうと約束はしましたが……、皆もう逝ってしまっているんですね……。わかりました、行きましょう」
意外なほどにあっさりと、神薙老人は同行を了承した。もっとも、どこか虚ろな表情はそのままで、静はその横顔をじっと見つめずにはおられなかった。
「おお、おお、隆ちゃんじゃ。すっかり年とって」
「まったく、意外だったなぁ、あのひょろっとした隆ちゃんが一番長生きするなんて」
「はは、身体が弱かったおかげで兵隊にとられず、まだ生きているよ」
霊たちの歓迎に、神薙老人は伏し目がちに答えた。
「うん? どうした、元気がないの」
霊の方が元気だというのも奇妙な話だが、当人たちはまったくそれを意に介する様子もない。
「……私も早くそちらに行きたい……」
「何だ? 何だ? どうした?」
老人の漏らした言葉に、静たちは顔を見合わせ、霊たちはかつての級友を取り囲んだ。
「もう、私には誰もいないんだ。孫夫婦と、ひ孫さえ……」
老人は震える声で続けた。しわがれ果てた手の甲に、涙が一粒、二粒と落ちてくる。
「……亡くなられたのか?」
「3ヶ月前、山道で事故に……。遺体はまだ見つかっていないが、谷底に落ちた車が見つかって……、あれじゃあとうてい生きてはいまいよ」
「でもまだ死んだと決まったわけでもなかろう」
霊たちは老人の背をさすり、あるいは顔を覗き込んで励ます。
「……じゃあ、冥土へ逝って探してくる。いなかったらまだこちらに来ていないということだし、いたら連れてくる。話くらいはできるだろう。お孫さんの名前は?」
霊の1人が言う。その言葉に、静は一瞬耳を疑った。彼の言う通りなら、彼らに限らず、霊たちはこちらと向こうを自由に行き来できるということになる。
「佑司(ゆうじ)……。神薙佑司。その嫁が瑞穂(みずほ)で、娘が希美(のぞみ)」
「よし、ちょっと逝って呼びかけてくるから待ってな」
言うなり、彼は確かに「向こう」へと飛び立って行った。そして、ほどなくして戻ってくる。
「隆ちゃん、いなかったぞ。お孫さんは向こうにいなかったぞ。瑞穂さんも、希美ちゃんもだ」
「よかったなぁ、よかったなぁ」
彼の報告に、霊たちは口々によかったよかったと繰り返し、神薙老人の肩を叩いた。
「ありがとう……」
老人は再びむせび泣く。
「さあ、せっかく全員揃ったんだ、ここはぱーっと」
再会の懐かしさも手伝って、霊たちはどんどん盛り上がっていく。
「ところで」
紫桜が頃合いを見計らったかのように、近くにいた初老の男の霊に声をかけた。静も何となくそちらに耳を向ける。
「どうして、今なんです?」
「ああ、それがな、三途の川が浅くなっててなぁ、ひょいと渡れてしもうたんでこっちに来てみたんだが」
「三途の川が浅くなった?」
思わず静は聞き返した。それはこの世とあの世の境目が危うくなっていることを意味する。
死という現象は、生物的には絶対的なものでありながら――、否、ある故に、というべきか――、精神的、霊的には非常に曖昧なものでもある。その証拠に、自分が死んだことを受け入れられず、あるいは遺された者の想いに引きずられて、実に簡単に死者は迷う。だからこそ、死神というあの世への水先案内人が存在するのだ。
「ふむぅ、最近は信仰心が薄れてきたせいかのう……、ま、それでともかくこっちに来てみたら、桜があったのじゃよ。わしらが植えたものはとうに抜かれてしもうたが、代わりの桜があるなら、果たせなかったあの約束を、ということになってな。ちょうど戦争がなければ、わしらもこれくらいに育った桜の下に集まれたろうからな……。それで、少しずつ仲間が集まってきたというわけじゃ」
「……」
あってはならないことが起こっている。そのことに静の顔はつい険しくなったが、男の方はあっけらかんとしたものだった。
「それで、貴方たちは……、これが終わったら……」
「ああ、ひと騒ぎ終わったら向こうに帰るよ」
霊の返事に静はとりあえず安堵の息をつく。そして、せっかくの再会劇に水を差すのを止め、昔語りに耳を傾け、思い出話に相づちをうった。
どれほどの時間が経ったろうか。
「さて、そろそろ帰るとするか」
「そうだな、隆ちゃんも疲れたろうし。生身の身体があるとこういう時に不便だなぁ」
思う存分話に花を咲かせて満足したらしい霊たちが腰を上げた。
「あんたたちも、ありがとう。隆ちゃん連れてきてくれて。おかげで全員揃ったよ」
「ありがとう、ありがとう。本当に親切な人たちもおったものじゃ」
静たちの方を向いて、霊たちが次々に言い募る。
「私からも礼を言わせておくれ。本当にありがとう」
神薙老人も深々と頭を下げた。その顔には生気が戻り、瞳は輝きを取り戻していた。
「いいえ。同窓会のお手伝いができてよかったです」
3人もにこりと笑顔を返す。
「じゃあ、みんな元気でなー。長生きしろよー」
口々に別れの言葉を告げて、霊たちは「向こう」へと旅立って行った。
「では、私も失礼します」
神薙老人も再び深々と頭を下げて、去って行った。
夏休みも盛りの学校には、あっけないくらいの静けさが訪れた。
「でも、無邪気な霊たちの集まりでよかったですね」
紫桜が穏やかに言う。
「こんなに時間が経っても、また集まって懐かしみあえる仲間って、素敵ね」
シュラインも微笑んだ。
「そうですね」
静も相づちをうった。が。
――三途の川が浅くなっててなぁ。
あの、霊の言葉が再び頭をよぎる。朱美を手引きした時の困難さを思えば、その言葉は嘘ではないのはよくわかる。あの霊は「信仰心が低くなったのか」とぼやいていたけれど、それだけで生死の境目が曖昧になったりすることはないだろう。現代では宗教の代わりに科学がそれを規定しているのだから。
何か、見過ごせないようなことが起こっているのではないか、どうしてもそんな想いを抑えきれない静だった。
<了>
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【5566/菊坂・静/男性/15歳/高校生、「気狂い屋」】
【5453/櫻・紫桜/男性/15歳/高校生】
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■ ライター通信 ■
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こんにちは。ライターの沙月亜衣と申します。
この度は、当シナリオへのご参加、まことにありがとうございました。毎度のことながら納品がぎりぎりになってしまい、誠に申し訳ございません。
皆様のおかげで、彼らは無事残りの1人と再会を果たすことができました。ありがとうございます。もっとも、事件自体はのほほんで終わったものの、それだけでは済まない部分も出てきましたが……。
今回はちょっとずつ違うものを皆様にお届けしていますが、間違い探し程度の違いでございます。お暇でお暇で仕方がない時にでも、他の方の分にも目を通して頂ければ幸いです。
菊坂静さま
こんにちは。前話に引き続きのご参加、まことにありがとうございます。
とても優しいプレイングを、ありがとうございました。本当、こんな奴らで申し訳ないです……。
が、静さんたちが受容的な態度で接して下さったのは、彼らにとって本当に救いだったと思います。
あと、実は今回の裏事件については、静さんは設定自体がまさに核をついている方なので、少し情報が多めに出がちだったかもしれません。
ご意見、苦情等ありましたら、遠慮なくお申し付け下さい。できるだけ真摯に受け止め、次回からの参考にさせて頂きたいと思います。
それでは、またどこかでお会いできることを祈りつつ、失礼致します。本当にありがとうございました。
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