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秋葉原 電脳異界事件
電脳異界化――秋葉原に住み、電脳世界の住人を自称する者にとって、それは忘れることができない事件の1つである。
数年前、秋葉原がまだ今ほどオタクの街として定着していなかった頃、秋葉原の片隅にある老舗コンピュータショップの店舗が突如として電脳異界化した。昼間の客足が多い時間帯。突然、店の周囲に放電現象が起こり、誰も店へ入ることも、そして店から誰かが出ることもできなくなったという。
異界化は1晩で解除されたが、店の中にいた何名かの客が行方不明となり、現在も発見されていない。原因は不明。何者かが引き起こしたのか、偶然によるものなのかも判明していない。
所轄の万世橋署では失踪事件として処理しているが、1部の刑事は早くも未解決事件になると噂している。
当時、各マスメディアでは大きく報道されたが、事件の進展はなく、すぐに終息した。しかし、一部のオカルト雑誌などでは、いまだに取り上げられることがあった。
そして、今日――
秋葉原にある大型家電量販店が電脳異界化したという情報がもたらされた。
「またかよ」
秋葉原にある老舗の執事カフェ「茶っと」でアルバイトをしていた常盤誠は、店内に設置されたコンピュータに知り合いのハッカーから情報が寄せられたのを見て、そう吐き捨てた。
この店は執事とは名ばかりで実際には美少年が接客してくれるボーイズカフェとも言われている。通常の喫茶店ではなくインターネットカフェのスタイルを取っている。その中でも誠は1、2を争う人気だった。だが、それは表の顔。彼の本章は「ボーン・フリークス」のHNを持つ凄腕のハッカーである。
数年前の電脳異界事件の際、誠は現場を見ていた。その異様さに背筋が凍りつくような思いであったのを今でも覚えていた。
「店長、ちょっと出てきます」
店から問題の大型量販店までは歩いて10分とかからない。
どうしても気になって仕事に集中できなかった誠は、執事姿のまま店を飛び出していた。
秋葉原駅の東側に建つ大型量販店の前は大混雑であった。
ちょっとした買い物のために店を訪れようとしていたジェームズ・ブラックマンは、建物全体を覆うように張り巡らされた紫電を見て眉をひそめた。
「なにかあったのですか?」
「さあ、なんだか良くわからないけど、店に入れないらしいんだよ」
近くにいた若者に訊ねると、そんな答えが返ってきた。どうやら紫電は見えていないようである。
(異界化、というやつでしょうかね……)
その状況からジェームズは数年前に秋葉原で起きた事件を思い出した。
ここにいても仕方ないので、引き返そうとしたジェームズの視界に、奇妙なものが飛び込んできた。
それは上空を飛び回る体長15センチほどの人形にしか見えない物体だ。その背中には羽が生え、いわゆる妖精のようにも見える。
この場にいる全員が建物に注目しているので、その妖精には気づいていないようだ。
ふと気になったジェームズは、どこかへ飛び去ろうとする妖精の後を追いかけた。
妖精は野次馬たちから離れ、近くの路地に入って行った。ジェームズが同じように雑居ビルの角を曲がると、そこには1人の青年がいた。
青年は妖精となにかを話していたようだが、不意に現れたジェームズに気がついて驚愕の表情を見せると、慌てて妖精を背後に隠した。
「ずいぶん、面白いものを飼っていらっしゃいますね」
「な、なんのことですか?」
若干、顔を引き攣らせながら青年が答えた。
「妖精ですか?」
「た、ただのフィギュアです」
そう青年が言った瞬間、その背後から妖精が姿を現した。
「ドリスはフィギュアじゃないよ!」
「あっ、バカ」
慌てて青年が妖精を捕まえようとするが、その手をするりと潜り抜け、ドリスと自らを名乗った妖精は抗議するように青年の周囲を飛び回る。
「ほう、これは珍しい」
ジェームズは怒った表情で飛び回るドリスを珍しそうに眺めた。
青年は観念したのか、常盤誠と名乗り、ジェームズに事情を説明した。
「電脳異界化?」
誠の言葉にジェームズは眉をひそめた。
「そうです。電磁境界化現象といってもいいかもしれません」
「それは、どういうことなのですか?」
「説明するより、一緒にきてもらったほうが早いかもしれません」
そうしてジェームズは誠とともに「茶っと」へ向かうことにした。
居候先で使っているパソコンが古くなり、買い換えようかと秋葉原へ来ていた榊船亜真知は、パソコンを探すために大型量販店へ行こうとしたところで事件に遭遇した。
「そのままにはしておけませんわね」
建物全体を覆うように張り巡らされた紫電を見て、すぐに只事ではないと判断した亜真知は、建物の中に入る手段を講じた。
中央通りを渡り、パソコンやアニメ関連の店が並ぶ路地を進むと、神田明神通りにある雑居ビルの階段を上がった。
階段を上がりきった二階にある「執事喫茶」の看板を一瞥して木製のドアを開けた。ドアベルが軽やかに鳴り、店にいた客が亜真知を見た。
店内は若い女性客で占められていた。それも中高生が圧倒的に多い。
「いらっしゃいませ」
黒いスーツを身に着けた少年が亜真知へ近づいてきた。店内には数台のパソコンが設置され、インターネットに接続されているようだ。雰囲気としては執事喫茶というよりもボーイズカフェに近いものがあり、そこにネットカフェを混ぜたような感じだ。
少年に案内され、席に着いたところで声をかけられた。
「おや? ミス榊船ではありませんか?」
その声に振り返ると、そこには1人の男性が立っていた。
以前、別の事件で行動を共にしたことがある人物だ。確か、名前はジェームズ・ブラックマンといったはずだ、と亜真知は思った。
「こんにちは。ブラックマンさん」
「お久しぶりです。そうだ。ミス榊船にも手伝っていただきましょう」
意味深なことを呟き、ジェームズは隣に立つ金髪の青年を見た。「茶っと」の従業員が着るのと同じ黒服を身に着けていることから、店の人間であると思われた。
青年は少し戸惑ったような表情を見せたが、小さくうなずきを返した。
「ブラックマンさん?」
ジェームズの言葉の意味が理解できず、亜真知は問い返した。
「ミス榊船は、駅前の状況、ご覧になられましたか?」
それが大型店舗の状況を意味しているのだと気づき、亜真知はうなずいた。
「それなら、話は早いですね。我々は、あの中へ入ろうと思っているのです」
「それは奇遇ですわね。わたくしも同じことを考えていました」
「そうですか。それは、なんともタイミングが良い」
亜真知の言葉にジェームズはにっこりと微笑んだ。
そこは、まさに異空間であった。
ドリスと亜真知の能力で電脳空間を解して大型家電量販店に侵入したジェームズと亜真知は、その異様な光景に一瞬、圧倒された。
「これはこれは、凄いものですね」
そう言いながらも、ジェームズはどこか楽しげな口調だった。
展示品などの配置は変わっていない。ただ、まるで宇宙空間にいるような闇と、そこかしこでスパークが空中を飛び交い、視覚的にはかなり酷い。
「このどこかに、魔神がいるのですね?」
――そうです――
亜真知の問いかけに、誠の声が脳裏に響いた。
――俺の調査が正しければ、この電脳異界化現象は、真界と呼ばれる平行世界の歪みによって引き起こされています。その歪みが生じる際、同時に出現した魔神を排除すれば、この現象は修復されるはずなんです――
「なるほど」
誠の声にジェームズはうなずいた。
真界に関しては、ジェームズも他の人間から聞いたことがあった。
真界とは、この世界と重なって存在する一種の並行世界である。別次元の世界と表しても良いかもしれない。そこは様々な事象が渾然一体となって混沌としている。個は特定されず、すべてが個であり全でもある。それゆえに真界をエネルギーの世界と表する者もいるが、それは正しくない。エネルギーは真界の一部でしかなく、すべてを表す言葉ではない。
時として真界は世界を写す鏡のような役割を果たすこともある。この世界と真界は表裏一体であるため、真界での異常は現世界での異常となる。その逆もまた然り。真界を見ることができれば、現世界の未来を予知することもできるかもしれない。
真界を覗くことができるのは「白眼」という特殊な瞳を持った者だけに限られている。「白眼」は生まれながらにして備わっているもので、能力的に後から備わるものでは決してない。唯一、後天的に「白眼」を手に入れたければ、「白眼」の能力を持つ瞳そのものを移植するより他はない。ただし、前例がないため、移植した「白眼」がきちんと機能するのかは定かではない。また、「白眼」を持つ者は真界から様々な現象を引き出すことができるとされている。
時折、この世界と真界の間に歪みが生じ、真界の事象が現世界に溢れ出すことがある。その範囲が大きいと噴火や地震などの天変地異になるという考えもある。また、歪みから溢れた事象が具現化し、それが悪魔と呼ばれるものの正体であると言う者もいるが、定かではない。しかし、今回の事象は、まさにその悪魔が引き起こしたものだ、と誠は断じていた。
――この場所を転送ポイントに設定しておきますから、なにかあったらここまで戻ってきてください――
その言葉に応じるように、展示されていたパソコンの1台の上に、まるでアニメーションのような矢印が浮かび上がった。
「まるでゲームの世界ですわね」
苦笑しながら亜真知が言った。
「じゃあ、レッツゴー!」
そして、場違いなほどに明るいドリスの声が辺りに反響した。
店舗内部は、さながら迷路のようであった。
しかし、ジェームズと亜真知はドリスを介した誠の情報支援により、今のところは迷うことなく進んでいるようだ。
その姿はダンジョンを進むゲームのキャラクターのようにも感じられ、ジェームズは思わず苦笑いを漏らした。
「しかし、それにしてもなにも出てきませんね」
魔神と聞いていただけに、その手下の魔物でも出現するのかと思っていたジェームズであったが、その予想は今のところ外れている。
「そのほうが良いではありませんか。それよりも、残っている人々を助け出さなくては」
これまでに数人の客とおぼしき人間を亜真知らは救出していた。
誠が設けたバイパスを使い、ドリスの能力で「茶っと」まで転送するという方法だ。
しかし、店の規模と店内にいた人間の数を考えると圧倒的に足りない。まだ、どこかに大勢の人間がいることは確実であった。
「ん?」
その時、ジェームズは床に1つの紋様が刻まれているのを発見した。
「これは……悪魔文字?」
「読めるのですか?」
ジェームズの問いに亜真知はうなずいた。
「これは、アスタロトの契約書でしょうか……」
「魔界の大公爵の?」
「恐らく」
再び亜真知はうなずいた。
アスタロトは呪術書グリモワールに登場する高位の悪魔である。悪魔学によれば。ソロモン72柱の魔神の1柱で、40の悪霊軍団を率い、序列29番に位置する公爵で、サタンに従う魔界4大実力者の1人とされている。
巨大な蛇にまたがり、右手には毒蛇を持ち、口からは毒ガスを吐き出す。過去と未来を見通す能力を持つとされている。同じく魔界4大実力者の1人である蝿の王ベルゼブブのそばに、ロバの姿で現れることもあるという。非常に残忍な性格でもある。
「それは、また厄介な敵ですね」
思わずジェームズの口から嘆息が漏れた。
序列29番目とはいえ、敵として対峙すれば厄介な存在であることに変わりはない。
同時に、真界と魔神(悪魔)になんらかの因果関係があることも推測できた。
本来、悪魔と呼ばれる存在は実態を持たない精神体のようなものだ。それが人間と契約を交わすことによって現実化し、人間世界でも活動を行えるようになる。
「先を急ぎましょう。嫌な予感がします」
少し焦ったように言う亜真知の言葉にうなずき、ジェームズたちは移動を再開した。
その紋様は、まるで彼らの道案内をしているように床へ刻まれていた。
パソコンフロアから、紋様をたどるように階を下りてきた2人は、地下駐車場に着いた。
「これは酷い……」
地下駐車場に広がる光景を見たジェームズは、思わず顔をしかめた。
無数の屍が積み上げられ、それらの死体を見たこともない化物が貪り食っている。
一見、死体には外傷がなく、眠っているだけのようにも見える。しかし、その土気色の肌を見れば誰もが死んでいると即断せざるを得ない。
「アスタロトです」
亜真知が呻くように告げた。
確かにその容姿は、伝説にあるアスタロトに酷似していた。
巨大な蛇の背には黒装束の美しい女性が立ち、嬉々とした表情で蛇が死体を喰らう様子を眺めている。
前回の電脳異界化事件も、このアスタロトが関与しているのであれば、行方不明の人間は同じように蛇が喰らってしまったのかもしれない。
だが、なぜアスタロトが現れたのだろうか。
悪魔は基本的に自己の能力だけでは現世界に現れることはおろか、関与することすらできない。何者かと契約しなければならないはずだ。
「この近くに契約者がいるということでしょうかね?」
――そうとも限りませんよ――
まるでジェームズの疑問を見透かしたかのように誠の声が聞こえた。
「どういうことでしょう?」
――俺は、ネットワーク上のどこかに、魔界があるんじゃないか、って考えているんです――
人間が作り出した広大な電脳空間。それは最早、1つの別世界と言っても良いかもしれない。
そこには有象無象の意識が集まり、様々な不可思議現象すら起こしている。
そうした電脳空間と魔界が、なんらかの要因によって1部がつながってしまったのではないか、と誠は考えていた。
魔界=真界と考えれば、電脳空間につながった歪みから事象が溢れ、それが原因で問題が発生するという可能性はある。この異界化現象が、その最たる例だが、これ以外にも常識では説明できない現象が電脳世界では数多く起きている。
――だから、今回のことも、特に誰かが契約して呼び出したんじゃなくて、ネットワークを巡っているうちに、偶然、悪魔と接触してしまったんじゃないかと思うんです――
「確かに、それはあるかもしれませんわね」
誠の言葉に亜真知がうなずいた。
きちんと契約を交わした人間がいるにしては、アスタロトの行動からは目的が感じられない。自分の欲望に従っているだけのようである。
無論、契約を交わした人間が、能力不足でアスタロトに喰われてしまったということも考えられる。だが、どちらにしても契約者がいないということに変わりはない。アスタロトを倒さなくては異界化は治まらないのだ。
「では、参りましょう」
亜真知の言葉が地下空間に流れた。
アスタロトとの戦闘は熾烈を極めた。なにぶん、通常の武器が通用しないのだから仕方がない。
「これはこれで、骨が折れますね」
巨大蛇の攻撃をかわし、無駄と思いながらも拳銃を撃って牽制ながらジェームズは独りごちた。
「ああ、もう弾がありませんね」
緊張感をかけらも感じさせない声音で呟くと、ジェームズは亜真知を見やった。
その視線を受け、亜真知はうなずく。
「悪魔よ。元の世界へお帰りなさい」
淡々とした亜真知の声が響いた。
次の瞬間、空間に凄まじい歪みが生じた。それは途方もない力であった。
全身に叩きつけられる力に抗おうと、アスタロトが身をひねる。しかし、大蛇の尾っぽから徐々に崩壊が始まった。
理力創造――亜真知の持つ能力の1つで、すべての『力』から任意の力、物質へ変換、または創造する力である。
だが、その崩壊も途中で止まった。
亜真知の表情が若干、翳りを見せる。
「通用しませんか?」
「いえ、効いているとは思うのですが……」
いささか自信なさそうに亜真知が答えた。
電脳神ともいうべき存在である亜真知は、こうした空間でこそ本来の力を発揮できるはずである。公爵位を持った悪魔であろうと、彼女の敵ではない。
「ムダだと思うよ?」
不意にドリスが現れ、亜真知の周囲を飛びながら言った。
「悪魔は多次元媒体だからね。やっつけるなら、全部ふっ飛ばさないとダメだよ」
「全部?」
「そう。全部」
面白そうに言うと、ドリスはどこかへ飛び去った。
その言葉に亜真知はなにかを考え込むように瞬間、沈黙した。
「あまり、使いたくはないのですが……」
その瞬間、アスタロトを構成していた原子、量子、素粒子、すべてが吹き飛んだ。
森羅万象――亜真知が操る究極の力場解放能力ともいえる。世界を支配する法則を自在に書き換え、すべてに干渉することができる。だが、様々な弊害を生むため、そうそう多用できるものでもない。
「おやおや、意外と呆気ないものですね」
自分の出番のなさに不完全燃焼さを感じつつも、どこかホッとしたようにジェームズが呟いた。
――これで、元に戻るはずです――
誠の声が、ドリスを介して脳裏に響いた。
誠の言葉は正しかったといえるだろう。
建物を覆っていた異界化は、アスタロトの消滅と同時に解除された。
しかし、アスタロトに殺され、そして喰われた人間は2度と姿を見せることはなく、警察では行方不明者扱いとなった。
また、いかなる要因でアスタロトが出現したのか、それが解明されることはなかった。
何者かが契約したのか、あるいは誠の言うように偶然の産物によるものなのかは不明のままである。その原因を追究しなくては、いずれ同じ事件が起きることは想像するに容易であった。
異界化を復元させるという目的は達成したものの、いくつかの謎は残されたように感じられた。
完
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
1593/榊船亜真知/女性/999歳/超高位次元知的生命体・・・神さま!?
5128/ジェームズ・ブラックマン/男性/666歳/交渉人&??
NPC/常盤誠/男性/18歳/執事カフェ「茶っと」従業員
NPC/ドリス/無性別/12歳/妖精
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■ ライター通信 ■
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毎度ご依頼くださり、ありがとうございます。
遅くなりまして申し訳ありません。
リテイクなどございましたら、遠慮なく申し付けください。
では、またの機会によろしくお願いいたします。
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