コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


想い深き流れとなりて 〜2、1人足りない

 夏真っ盛り。ここは熱帯かと思わせるような強い陽光がアスファルトにじりじりと照りつけていた。まるで、町中を歩いているだけで人間の蒸し焼きができてしまいそうだ。
「暑い……な」
 櫻紫桜は軽く溜息をつく。高校生離れした老成した雰囲気を持ち、何事にもさして動じることのない紫桜だが、さすがにこの暑さにはたまりかねた。
 そして、それだけではない。なんだか最近、よく霊に遭遇するような気がするのだ。霊感のある紫桜にはある程度は慣れたことだが、やはりこの暑さのせいだろうか、常に無意識に神経をそばだててしまうような煩わしさは否めない。
 再び溜息をついた紫桜の目が、とある建物を捉えた。いわゆるインターネットカフェというやつだ。少し涼んで行くのも悪くはないだろう。どうせ時間は余っているのだし。
 こう思って自動ドアの前に立ったのは、幸運だったのか不運だったのか。
「あ、紫桜(しおう)くーん」
 店内に一歩踏み入れるや、元気な少女の声が降ってきた。このネットカフェの常連、瀬名雫がぶんぶんと手を振っているのだ。
「こんにちは、雫さん」
 紫桜もにこやかに返事を返す。が、雫が声をかけてくるということは、用件はただ1つしかないということも、紫桜は十分にわかっていた。そして、それを断る術もないことも。
「ねね、紫桜くん、ちょっとこれ見て」
 案の定というべきか、雫は半ば強引に紫桜の手をとると、一台のパソコンの前へと連れてきた。その前には、既に雫の餌食となったのだろう、紫桜と同じくらいの年の少年が座っていた。
「あ、こっち、菊坂静(きっさかしずか)くんね。静くんも、今回の事件、調べてくれるんだって。静くん、櫻紫桜くん」
 雫は意気揚々と2人を引き合わせた。紫桜は、静にも挨拶をしてから、パソコンのモニタに目を移す。表示されているのは、これも案の定、怪奇サイトゴーストネットOFFの投稿欄だった。

 こんにちは。初めて投稿します。うちの近くにかなり古い小学校があるのですが、最近、毎晩毎晩この小学校の門の横の桜の木の下に幽霊が出るのです。それも、かなりたくさんいるみたいなんです。
 私には姿が見えないのですが、話し声が聞こえるんです。なんだかわいわいと賑やかにやっているようなのですが、そのうちに、自分は川で溺れて死んだとか、戦争で何発銃弾を撃ち込まれて死んだとか、自分は南の島で病気になって苦しみ抜いたとか、自分は畳の上で死ねたとか、なんだかそういう話を始めるんです。で、いつも最後には1人足りない、誰がいない、と言い出して……。
 職場の関係で、どうしても毎晩遅くにそこを通らなければならないんですが、怖くてたまりません。お願いです、調べて下さい。

「……」
 紫桜はその投稿に、思わず考え込んだ。
 投稿の情報を見る限り、ここに出る幽霊は死んだ時期や場所、死因さえもバラバラだ。それがどうして一カ所に集まっているのだろう。それに、「1人足りない」とはどういう意味なのか。ひょっとしたら、しゃべっているだけではなく、この霊たちは足りない1人を埋めるために動き出したりはしないだろうか。七人ミサキのように、この国では霊たちが一定の数だけ集まろうとするという話は多々聞かれる。
 それにもしそうでなくとも、例えば第三者が何らかの目的のために霊を集めているのだとしたら。この欠けた1人が埋まった時に何が起こるのか、それを見極める方法はないだろうか。
 どちらにせよ、この投稿だけでは足りない情報を書き込み主から聞き取り、あるいは霊たちに直接コンタクトをとるしかないのだろうが。
「こんにちは、紫桜くん、静くん。よろしくね」
 そんな紫桜の思考に、涼やかな女性の声が割り込んだ。ふと顔を上げれば、雫がまた連れてきたのだろう、シュライン・エマがコケティッシュな笑みを浮かべていた。
「こんにちは、シュラインさん」
「こちらこそよろしくお願いします」
 2人が挨拶を返せば、シュラインも笑顔で頷く。
「で、どこから手をつけようかしら?」
 どうやら既にシュラインは投稿を読んでいたらしい。さっそく本題を切り出した。
「僕は……、現場に行ってみないとよく分かりませんね……」
 静がゆっくりと口を開く。
「じっくり当人たちの話を聞いてみたいと思います。何らかの事情があるのかもしれませんし」
「そうですね。可能なら俺も彼らとコンタクトをとってみたいと思います。ただ、まだ少し時間があるようですね」
 紫桜は頷きつつも、付け加えた。書き込み主の情報によると、幽霊が出現するのは深夜。今はまだ真夏の午後の日差しがさんさんと降り注いでいる。日没にまでさえ、たっぷり数時間はあるのだ。
「この書き込み主の方に接触できないでしょうか? 気になる点がいくつかあって聞きたいのです。幽霊が出る時間は何時頃かとか、そもそも幽霊が出るようになったのはいつ頃からかとか」
 次の言葉を言うべきか言うまいか、紫桜はしばし躊躇した。だが、仮説は仮説だ。言っておいて損はないはずだ。
「この『1人足りない』というのが、気になるんです。しゃべっているだけじゃなくて、その1人を増やすために何か仕掛けたりしないでしょうか……?」
 一番の懸案を口にすれば、静もゆっくりと頷く。が、シュラインは少し困ったような照れたような笑みを浮かべた。
「そのことなんだけれど……、私は、小学校の同級生たちかと思ったの。この時期に1人足りないということは、夏休みにタイムカプセルを埋めた集まり、とかそういう線もあるのかな……と。それで、この小学校について当たりたいと思うのだけれど」
「ああ、なるほど。それなら幽霊たちの死因や場所がバラバラなことも説明がつきますね」
 紫桜は感嘆の声をあげて手を打った。なるほど、それなら「1人足りない」という言葉にも得心がいきやすい。
「でも、もちろん紫桜くんが心配するような線だって見過ごすわけにはいかないわね。夜までの時間も惜しいし、二手に分かれましょう。とりあえず書き込み主にメールを出すわ。そちらとの接触は2人に任せてもいいかしら?」
 シュラインが軽く小首を傾げた。
「ええ、もちろん」
 静と紫桜が頷けば、シュラインはさっそくキーボードを叩き始めた。今回の件で調査を始めるつもりでいるため、一度会って話を聞きたい旨と、くだんの小学校の詳しい位置を教えて欲しい旨を本文に書き、3人の連名で署名すると送信ボタンを押す。
 そして、待つこと数分。休日であることが幸いしてか、書き込み主からの返信は意外と早く返ってきた。静と紫桜は書き込み主と数度メールのやりとりをして会う場所と時間を決めた。その間、シュラインは小学校の住所を手帳に書きつけ、地図をプリントアウトしていたようだった。
 お互いに段取りが決まったのを確認すると、3人はネットカフェを後にした。
「がんばってねー」
 雫の明るい声が3人の背中を押した。

 約1時間後。待ち合わせ場所の喫茶店に現れた男を見て、静と紫桜は思わず顔を見合わせた。互いに、相手がまったく自分と同じことを考えていることを瞬時に悟る。
「あ、どうも、こんにちは。あの学校の幽霊のこと、調べてくれるんですよね?」
 男は、おどおどとした目つきで2人を見上げた。
「はい、そうしたいと思っています。その上で少し気になることがあるので、詳しいお話を聞けたら、と」
 紫桜が丁寧な物腰で応えると、男は2人を拝み倒さんばかりに泣きついた。
「はい、はい、何でも話します。だからあの幽霊たちを何とかして下さい。怖くてたまらないんです。お願いしますぅ」
 見るからに気弱そうで、要領の悪そうなその男に、2人してアトラス編集部の三下忠雄を連想したのだ。ちょうど年頃も同じくらいとあって、顔が似ているわけでもないのに、雰囲気がそっくりなのだ。きっと、仕事も遅くて帰りが遅くなるのだろう、とすぐに想像がつく。
「で、早速ですが」
「は、はい!」
 紫桜が切り出すと、男はびくりと身体を振るわせて背筋を伸ばした。
「幽霊の声が聞こえるようになったのは最近、ということは以前はそういう話し声はなかったんですよね?」
「え、ええ、なかったです」
「じゃあ、声が聞こえるようになったのはいつくらいからですか?」
「ええと……」
 紫桜の問いに、男は記憶を辿るかのように目を宙に泳がせた。
「ここ半月くらい……かなぁ。最初はあんまり声も多くなくて、疲れているから空耳が聞こえるのかなぁ、なんて思っていたんですけれども、なんだかどんどん数が増えて、ここ3、4日あたりになってくると『あと1人』みたいな感じにまでなっていって……、ああ怖い」
 男は自分の身体をかき抱いて――それは決して見目麗しい光景ではなかったが――またぶるぶると震えた。
「それで、幽霊が出るのはだいたい何時くらいなんですか?」
 紫桜がさらに問いを重ねる。
「小学校の前を通るのが、だいたい……夜の10時から2時くらいなんですけど……、いっつもいるんです。ひょっとしたら一晩中いるのかも……」
「あと、その幽霊が出るようになった頃あたりに、何か気になることとか、異変があったとか、そういう話は聞いたことがありませんか? 何でもいいんです」
「さあ……。ちょっとわからないです……」
 あとは、何を聞いても男は首をひねるばかりだった。どうやらこの男からこれ以上の情報は見込めまい。同じことを感じているのだろう、静がちらりと視線を送ってよこした。
「そうですか。どうもありがとうございました」
 丁寧な礼を述べて席を立つと。
「お願いします、絶対何とかして下さいね」
 男は再びすがるような眼差しを向けたのだった。

 喫茶店を出ると、途端に何とも言えない蒸し暑い空気が2人を包み込む。まだ日没までには時間があった。
「暑いですね……。シュラインさんはまだ聞き込み中でしょうか?」
 静が額を拭いながら口を開けた。もう依頼人との話は終わったし、彼女がまだ聞き込み中ならそちらを手伝おうということなのだろう。
「学校周辺でも聞き込みをしてみませんか? ひょっとしたらシュラインさんとも合流できるかもしれませんし」
 紫桜もちょうど、最近他に異変が起こっていないかなど、学校周辺で情報を集めたかったところだ。一も二もなく頷いて、そのまま小学校への道々、聞き込みを始めた。
 小学校の幽霊の噂は、まだ噂段階で、知っている人は知っているし、聞いたことのない人は聞いたことがない、といった状況だった。知っている人にしても、高齢者などは「お盆が近いから帰ってきとるんじゃろ」とさして気にしている様子もない。
 その他にここ半月くらいの異変についても、特にめぼしい情報を得られないうちに、2人は問題の小学校の前までたどり着いていた。
「あれが例の桜ですか……」
 静がぽつりと呟いた。
 校門の横に植わった桜は、大樹とか霊木とか呼べるほどのものではなかったが、それなりの枝振りを広げ、たくさんの葉を茂らせていた。そして、その下には。
「……いますね、真っ昼間っから」
 呟いたその声に、ついつい呆れが混じってしまうのはこの際致し方ないだろう。
 別に構わないのだ、「いる」だけなら幽霊が昼間からいても。だが、この幽霊たちときたら。
「ええ……」
 静も言葉に困っているのだろう。その声には明らかに困惑の色が混じっていた。
 桜の下には、戦時中のものと思われる国民服に身を包んだ壮年の男やら、まだあどけなさを残した顔立ちの若い男やら、背広姿の初老の男やらが集まって、酒を酌み交わしていた。その様子ときたら、まさしく四月になればどこの桜の下でも見られる、サラリーマンの宴会のようだった。
 とても生きている人を無理矢理引きずり込んでどうのこうの、というようなタイプの霊には見えない。せいぜいが無理矢理酒を飲まされて、ひょっとしたら一芸くらい要求されるのが関の山だろう。
 2人はしばし顔を見合わせた。が、こうしていても仕方はない。
「あの、こんにちは」
 思いきったように静が霊たちに声をかけた。
「うん?」
 何人かの男たちがこちらを振り向く。
「おお、やっと来たか、よう来た、よう来た、ささ、こっち来い」
 おそらくは酒のせいだろう、頬を赤く染めた中年の男が手招きした。
「いや、しかし数が合わないんじゃないか? あと1人だったはずだぞ」
 その横で若い男が首をひねる。
「お前ら、よく見んかい。この2人はまだ生きているぞ。わしらと同級のわけがなかろうて」
 老人が笑い飛ばした。
「ま、この際誰でもいい。こうして会ったのも何かの縁というやつじゃ。さ、こっち来て一杯やってけ」
「いえ、あの、俺たちは未成年ですから……」
 この奇妙な流れについていけないものを感じつつも、紫桜は酒の誘いはきっぱりと断った。
「そうか、そりゃ仕方ないの」
「ところで、皆さんはここで何をされているんですか?」
 話題の切れ目を狙ったかのように、静がすかさず本題を切り出した。
「いやな、昨日酒を差し入れてもらってな。ここの近所の人間か、知らん顔だったが、親切な人もおったもんじゃ」
 すっかり出来上がった風の中年男が機嫌良く答えた。
「それって清めのお神酒じゃぁ……」
 思わず紫桜は呟いた。きっと酒を撒くなり供えるなりした人は、霊たちに宴会をやってほしくてそうしたわけではないはずだ。むしろ、「どうかこれでお引き取りを」という気分だったに違いない。
「いえ、そうではなくて、どうして『こちら』で酒盛りを?」
 辛抱強く、静が問いを重ねる。
「そうそう、それじゃそれじゃ」
 老人が口を開く。
「わしらがこの学校におった時にな、卒業記念に桜の木を植えたんじゃ。30年経って、この木が立派に育った頃にまた集まろうとな」
 ようやく話が本題に入ったらしい。どうやらシュラインの言っていた路線が正解だったようだ。。
「だがしかしどうだ、その前にあの戦争が始まってしまって、兵隊にとられる者もでてきてな」
 若い男がその後を継いだ。
「さらに、あの桜自体がひっこぬかれてしもうたんじゃ。食べ物がないから校庭も畑にするちゅうてな」
 老人が嘆く。
「ああ、いかん、戦争はいかん。俺は大陸の方に送られてな……」
「いやいや、俺なんか南方だぜ。食料はないわ、疫病は流行るわ……」
 霊たちの話が熱を帯びてき始めた。どれほど戦争中にいかに辛い思いをしたか、を口々に語る。今の日本は、この人たちの犠牲の上にあるのだと紫桜は真剣な思いでそれに耳を傾けた。
「あら、静くん、紫桜くん」
 不意に、聞き覚えのある声が降ってきた。振り向くと、学校内で聞き込みをしていたのだろう、シュラインが校舎から出てきたところだった。
「あ、シュラインさん」
「おお、べっぴんさん」
 安堵の混じった声で静が呼べば、ほどよく出来上がった霊たちも妙に色めき立つ。
「……ひょっとして、いるの?」
 シュラインが目を瞬かせた。どうやら、シュラインにはこの霊たちの姿は見えていないらしい。
「はい、たくさん」
 紫桜が軽く肩をすくめて答えると、シュラインはしばし耳を澄ませているようだった。
「何じゃ、見えないのか、つまらんのう」
「ごめんなさいね。……でも声は今、聞こえたわ」
 霊のぼやきに、シュラインは軽い苦笑を返した。
「で、何の集まりをしているのかしら?」
 やはり美人は得と言うべきか、霊たちは我先にと、自分たちはこの小学校の同級生で、桜の元に集まる約束をしていたが果たせず、今集まっているのだが、どうやら1人足りないらしいという話をした。
「じゃあ、1人足りないというのは、誰が足りないのか名前はわかりますか?」
 言いながらシュラインは古い帳面を開いた。どうやらこの年代の名簿らしい。
「あ、俺、これ」
「わしはこれ」
 霊たちは次々に自分の名を指差した。そして、残された名は1つ。「上川隆三」とあった。
「ああ、そうだ、隆ちゃんだ」
「あの、勉強はできたけどひょろっこい」
 どうやら名前を見て霊たちは級友を思い出したらしい。
「ここにおられないということは、ひょっとしたらこの方、ご存命なのかも」
 シュラインが呟く。確かにだいぶ高齢にはなっているだろうが、あり得ない話ではない。
「じゃあこの方、こちらで探してみるわね」
 シュラインが霊たちに声をかけた。「あと1人」に危害が及ぶわけではないことが判明した以上、紫桜にも異論はない。むしろ、かつて果たせなかった再会のお膳立てに役立てるなら、できるだけの力を貸したいという思いの方が強かった。
「おお、頼むよ。せっかくこれだけ揃ったのだから、どうせなら全員で桜を囲みたいものじゃ」
「一応、冥土の方でも探してくるか」
 言って、霊の1人が姿を消す。
「実は、聞き込みをしている時に、この地域や小学校の歴史を研究している人にお会いしたの。ちょっと聞いてみるわね」
 シュラインは静と紫桜にそう告げると、携帯電話を取り出してどこかへとかけた。
「あ、先ほどお邪魔しました、シュライン・エマです。先ほどは大変お世話になりました」
 丁寧に礼を告げた後で、シュラインは名簿に載っていた名前と住所を読み上げた。住所といっても当然当時のもの。今の区画とは異なる可能性が大きいのだ。
「ええ、ええ……、本当ですか!? ありがとうございます、本当に何から何まで」
 電話の相手が調べものをしてくれていたのだろう、しばし沈黙の時間が続いた後に、シュラインの顔がぱっと輝いた。素早く手帳にメモを取りながら、電話の向こうに何度も頭を下げている。
「見つかったわ、上川隆三さん。ここからすぐ近くに住んでらっしゃるそうよ」
 シュラインの言葉に、霊たちはおおっ、とどよめきの歓声を上げた。
「行きましょう。もし出向いて頂けるなら頼んでみるわね」
「頼むよー、べっぴんさん」
 霊たちのひやかしとも励ましともつかない見送りを受けながら、3人はひとたびそこを後にした。

「ええと、聞いた住所だとこの辺……。何でも、婿入りされて『神薙(かんなぎ)さん』になられているらしいのだけれど……」
 シュラインの言葉に、静も紫桜も注意深く周りの民家の表札を見て回った。あまり聞かない名字だけに、すぐ見つかると思ったのだが、なかなか見当たらない。
 ふ、と紫桜は顔を上げた。正面に目立って大きな邸宅がある。大きな家というのは家自体は目立つが、表札は目立ちにくい。それに、何となく探しているのはこの家ではないような気になってしまうのだ。
 念のため、と紫桜はその家の表札を探してみた。しばしの後に見つかったそれには、確かに「神薙」とある。
「あ、シュラインさん、あれじゃないですかね」
 紫桜が指差せば、シュラインは手帳の住所に再び目を落とした。
「あ、どうもそれね。行ってみましょう」
 シュラインが早速インタホンを押す。しばし待つが、返事はない。
「留守かしら?」
 3人は軽く顔を見合わせて、もう一度インタホンを押す。やはり反応はない。諦めて一度戻ろうとした時、玄関のドアがゆっくりと開き、1人の老人が顔を出した。そのやせこけた顔は生気に乏しく、憔悴していて、3人は一瞬息を呑んだ。
「……こんにちは。あの、失礼ですが、神薙隆三さん……、旧姓上川隆三さんでいらっしゃいますか?」
 しばしの躊躇いの後に、シュラインが切り出した。老人は怪訝そうに頷く。
「実は、あなたの小学校時代の同級生のことでお伺いしたのです」
 シュラインは事情を手短かに説明し、遠慮がちに同行を頼めるか尋ねた。
「そうですか……。確かに桜の下に集まろうと約束はしましたが……、皆もう逝ってしまっているんですね……。わかりました、行きましょう」
 意外なほどにあっさりと、神薙老人は同行を了承した。

「おお、おお、隆ちゃんじゃ。すっかり年とって」
「まったく、意外だったなぁ、あのひょろっとした隆ちゃんが一番長生きするなんて」
「はは、身体が弱かったおかげで兵隊にとられず、まだ生きているよ」
 霊たちの歓迎に、神薙老人は伏し目がちに答えた。
「うん? どうした、元気がないの」
 霊の方が元気だというのも奇妙な話だが、今はそんなことを言っている場合でもない。
「……私も早くそちらに行きたい……」
「何だ? 何だ? どうした?」
 老人の漏らした言葉に、霊たちはかつての級友を取り囲んだ。
 紫桜たちも顔を見合わせたが、声をかけるのもはばかられるような雰囲気で、とりあえず黙ってそれを見守った。
「もう、私には誰もいないんだ。孫夫婦と、ひ孫さえ……」
 老人は震える声で続けた。しわがれ果てた手の甲に、涙が一粒、二粒と落ちてくる。
「……亡くなられたのか?」
「3ヶ月前、山道で事故に……。遺体はまだ見つかっていないが、谷底に落ちた車が見つかって……、あれじゃあとうてい生きてはいまいよ」
「でもまだ死んだと決まったわけでもなかろう」
 霊たちは老人の背をさすり、あるいは顔を覗き込んで励ます。
「……じゃあ、冥土へ逝って探してくる。いなかったらまだこちらに来ていないということだし、いたら連れてくる。話くらいはできるだろう。お孫さんの名前は?」
 若者の霊が、決意を秘めた目で神薙老人に言い募る。
「佑司(ゆうじ)……。神薙佑司。その嫁が瑞穂(みずほ)で、娘が希美(のぞみ)」
「よし、ちょっと逝って呼びかけてくるから待ってな」
 言うなり、彼は姿を消した。言葉の通り、「向こう」に探しに行ったのだろう。彼が持ってくるのは吉報なのか悲報なのか。ほどなくして、若者の霊は「こちら」に戻ってきた。
「隆ちゃん、いなかったぞ。お孫さんは向こうにいなかったぞ。瑞穂さんも、希美ちゃんもだ」
「よかったなぁ、よかったなぁ」
 彼の報告に、霊たちは口々によかったよかったと繰り返し、神薙老人の肩を叩いた。
「ありがとう……」
 老人は再びむせび泣く。
「さあ、せっかく全員揃ったんだ、ここはぱーっと」
 再会の懐かしさも手伝って、霊たちはどんどん盛り上がっていく。
「ところで」
 紫桜は頃合いを見計らって、近くにいた初老の男の霊に声をかけた。
「どうして、今なんです?」
 彼らがここに集まっている理由はわかったけれど、それがどうして今なのか。ずっと気になっていたのだ。
「ああ、それがな、三途の川が浅くなっててなぁ、ひょいと渡れてしもうたんでこっちに来てみたんだが」
「三途の川が浅くなった?」
 そばで聞いていたらしい静が驚いたような声を上げた。
「ふむぅ、最近は信仰心が薄れてきたせいかのう……、ま、それでともかくこっちに来てみたら、桜があったのじゃよ。わしらが植えたものはとうに抜かれてしもうたが、代わりの桜があるなら、果たせなかったあの約束を、ということになってな。ちょうど戦争がなければ、わしらもこれくらいに育った桜の下に集まれたろうからな……。それで、少しずつ仲間が集まってきたというわけじゃ」
 霊はしみじみとしたような目で桜を見遣った。
「それで、貴方たちは……、これが終わったら……」
「ああ、ひと騒ぎ終わったら向こうに帰るよ」
 静の問いに、霊は穏やかに応えた。静も軽い安堵の息をついたようだった。
 それからは紫桜たちも宴に水を差すのをやめ、彼らの昔語りに耳を傾け、思い出話に相づちを打った。紫桜には想像することしかできないような遠い昔の話も、和やかな再会劇のおかげだろうか、すんなりと耳に入ってくる。
 こうして、どれほどの時間が経ったろうか。
「さて、そろそろ帰るとするか」
「そうだな、隆ちゃんも疲れたろうし。生身の身体があるとこういう時に不便だなぁ」
 思う存分話に花を咲かせて満足したらしい霊たちが腰を上げた。
「あんたたちも、ありがとう。隆ちゃん連れてきてくれて。おかげで全員揃ったよ」
「ありがとう、ありがとう。本当に親切な人たちもおったものじゃ」
 紫桜たちの方を向いて、霊たちが次々に言い募る。
「私からも礼を言わせておくれ。本当にありがとう」
 神薙老人も深々と頭を下げた。その顔には生気が戻り、瞳は輝きを取り戻していた。
「いいえ。同窓会のお手伝いができてよかったです」
 3人もにこりと笑顔を返す。
「じゃあ、みんな元気でなー。長生きしろよー」
 口々に別れの言葉を告げて、霊たちは「向こう」へと旅立って行った。
「では、私も失礼します」
 神薙老人も再び深々と頭を下げて、去って行った。
 夏休みも盛りの学校には、あっけないくらいの静けさが訪れた。
「でも、無邪気な霊たちの集まりでよかったですね」
 最初にいろいろ心配したのが嘘のようだ。少々騒がしくはあったが、和やかな再会劇の余韻を残したままで、紫桜は呟いた。
「こんなに時間が経っても、また集まって懐かしみあえる仲間って、素敵ね」
 シュラインも微笑んだ。
「そうですね」
 静も相づちを打つ。
「さて、雫さんに報告を入れましょうか。きっと首を長くして待っているはずです」
 そして、あの臆病な書き込み主も、安心させてやらねばなるまい。
「そうね」
 紫桜の言葉にシュラインも頷いた。
 
「そうか……、葉桜の下で同窓会、だったんだね」
 3人の話を聞いた雫はそう言って笑った。が、その顔はどことなく上の空だった。
「雫さん、どうかしたんですか?」
 紫桜はその表情にひっかかりを覚えて尋ねた。
「うん……、ちょっとこれ、見てくれる?」
 言いながら雫はパソコンの前の席を紫桜に譲る。モニタに映っていたのは例によって例のごとく、ゴーストネットOFFの投稿欄だった。
「……これは……」
 思わず紫桜は呟く。
 そこには膨大な数の新着メッセージが表示されていた。そして、その多くが「幽霊を見た」「ラップ音を聞いた」というような内容だった。あの霊が言っていた、「三途の川が浅くなった」というのはどうやら思った以上にこちらに影響を及ぼしているらしい。
「いくら何でも……、ちょっと多すぎるよね」
 雫がぽつりと呟いた。

<了>

□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

【0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【5566/菊坂・静/男性/15歳/高校生、「気狂い屋」】
【5453/櫻・紫桜/男性/15歳/高校生】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

こんにちは。ライターの沙月亜衣と申します。
この度は、当シナリオへのご参加、まことにありがとうございました。毎度のことながら納品がぎりぎりになってしまい、誠に申し訳ございません。
皆様のおかげで、彼らは無事残りの1人と再会を果たすことができました。ありがとうございます。もっとも、事件自体はのほほんで終わったものの、それだけでは済まない部分も出てきましたが……。
今回はちょっとずつ違うものを皆様にお届けしていますが、間違い探し程度の違いでございます。お暇でお暇で仕方がない時にでも、他の方の分にも目を通して頂ければ幸いです。

櫻紫桜さま

こんにちは。この度のご参加、まことにありがとうございます。またお会いできて非常に嬉しいです。
丁寧な疑問点のご指摘と、調査計画をありがとうございました。こんな真相で済みません……。
でもきっと危惧なさっていた事態でなければ快く手伝って下さるだろうと、そして昔話にも付き合って下さるだろうと、年寄りたちに付き合って頂きました。今の若人にいろいろしゃべって、彼らも非常に満足したと思います。どうもありがとうございました。

ご意見、苦情等ありましたら、遠慮なくお申し付け下さい。できるだけ真摯に受け止め、次回からの参考にさせて頂きたいと思います。

それでは、またどこかでお会いできることを祈りつつ、失礼致します。本当にありがとうございました。