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決戦の日 〜おはぎと、ちゃわんむし〜
言わなくちゃ――。
菊坂静は膝の上に握られた拳を見下ろす。
早く言わなければ、そう、早く!
「あ、そろそろ帰る時間だね静君。気をつけて帰るんだよ?」
ああ、まずい! 早くしないと! でもどうやって誘ったらいいんだろう?
汗が出る。なんだか掌がじっとりしている。
病室の隅にあるダンボール箱の中に無造作に積まれた本の山がなぜか視界に入った。ベッドの真正面に置いてある液晶テレビの周囲に散らばったDVDのケースも。
「どうしたの? 静君?」
「欠月さんっ!」
思い切って顔をあげる。ベッドの上に居た欠月がきょとんとして、イスに座る静を見ていた。
「こ、今夜、僕の家に泊まりませんか!?」
静のそんな言葉に仰天したように、欠月は目を見開いている。静は自分の発言にハッとして、慌てて赤面した。
「え、あ、いや、へ、変な意味ではなくてですねっ、た、たまには、息抜きも必要っていうか、えと、あの」
狼狽し過ぎて何を言っているのかワケがわからなくなってきた。
欠月は吹き出すと、くすくす笑った。
「ふふっ。わかったよ。泊まりに行けばいいの?」
「え……い、いいんですか!?」
「いいよ。ボクを襲いたいならそうしてくれても構わないけど」
さらっと笑顔で言われてしまい、静が真っ赤になった。
「なっ、何を言うんですか!」
「まあ一般的に見て、襲うのはボクのほうかな? キミは攻めるタイプじゃないもんね」
「……欠月さん、からかって遊んでるでしょう……?」
気づいて、じとりと見遣って言うと欠月はクスクスと笑う。これはもう、からかっている。間違いない。
「だって静君の反応が可愛いからさ〜。ボクかキミが女の子なら良かったのにねえ?」
そう言われて、静は一瞬、想像してしまった。欠月が……女の子だったら?
う、うわっ。
(似合う! 可愛い、絶対!)
自分も女顔ではあるが、欠月の比ではないだろう。可愛い少女になるか、美人でキリッとした娘になるかは……実際に欠月が女にならなければわからないだろうが。
「まあボクは自分が女でも、たぶん、襲うほうだろうなぁ」
ぷくく、と笑いを堪える欠月の声に、静はむすっとした。頬を膨らませる。
「変な想像させないでください!」
「…………キミが女の子なら、今頃ぺろっと食べてるとこだよ?」
にやっと不敵に欠月が笑ったので、静は驚愕してから頬を赤く染めた。眉根を寄せる。
「か、欠月さんて手が早いんですか……?」
「さあねえ。でも、ボクってほら、結構独占欲強くて、嫉妬深いみたいだし。ボクに愛された女の子はちょっと可哀想だよね」
「そうですか……? 羨ましいと、思いますけど」
「ボクなしではいられない身体にしちゃうよ、きっと」
ははっと軽く笑って言う欠月の言葉が、本気か冗談かわからなくて静はちょっと困った。飄々としている欠月が執着する様など、想像できないのだ。
というか。
「発言が怖いですよ、欠月さん!」
「あははっ。そお?」
*
文月紳一郎は台所に立っていた。
静の話だと、欠月が今夜泊まりに来るらしい。
「……欠月君が家に来るのか……私も料理をして持て成すべきだな」
包丁に光が当たって紳一郎の顔を照らす。なんだか恐ろしい光景であった。
ちょうどその時、玄関のドアが開いた。
「ど、どうぞ。とは言っても、何度か来たことありますよね」
「そうだね」
静と欠月の声が聞こえて、紳一郎はふむ、と玄関のほうへ向かう。包丁を片手に現れた紳一郎を見て、静は青ざめた。
「え……? 文月さん、何やって……?」
「おかえり静。いらっしゃい、欠月君」
「こんばんは。お世話になります」
愛想のいい笑顔で返す欠月の横で静は「ええーっ!?」と欠月を見る。この光景でも動じないとは、さすがと言うかなんと言うか。
「じゃなくて! なんで包丁なんて持ってるんですか!?」
「欠月君が来るというので、料理でも作ろうかと思ってな」
「ギャーッ!」
静が蒼白になって絶叫をあげた。思わず欠月が驚いて身を引く。
静は急いで靴を脱いであがると、紳一郎から包丁を取り上げようとした。
「いいですってば! 僕が料理をしますからっ! 文月さんは何もしなくていいです!」
「そうはいかないだろう。せっかくなのだし、私の手料理も欠月君にご馳走したい」
生真面目な顔で言われても。
紳一郎の料理は、はっきり言おう。物凄く不味い。見た目は一級品でも、味が問題なのだ。なにせ砂糖と塩を平気で間違ったり、小麦粉と重曹を間違えたりと、味に関することで失敗ばかりするのだ。
欠月の命が危険だ!
(ここはなんとしてでも止めないと! 欠月さんは、僕が護る!)
妙な使命感を感じて静は紳一郎から包丁を取り上げた。
「ダメです! 今日は僕が欠月さんを持て成すんです! 文月さんはおとなしくしててくださいっ!」
「…………」
今にも噛み付きそうな静の様子に、紳一郎は無言だったが「そうか」と小さく呟いた。どことなく、寂しそうに見えなくもない。
*
今日のこの日のために、たくさん練習してきた。その成果が出るといいけれど。
手際よく茶碗蒸を作っていく静は、同時に惣菜も作っていく。
(欠月さんが喜んでくれたらいいな……)
そう思ってつい、にやにやしながら作っている様子を……紳一郎が不審そうに見ていた。
居間にあるソファに座っている紳一郎と欠月。紳一郎はテレビを見ている欠月に視線を戻した。
「欠月君、調子はどうだ?」
「いいですよ?」
視線だけ紳一郎に向けて欠月は応える。今日は眼鏡をしていないんだな、と紳一郎は思った。
「……君はなんの病気なんだ? 静にこの質問をするといつも落ち込んで答えないんだが」
「あー……ちょっと特殊なんですよ。時々身体の制御が効かなくて、倒れちゃうんです」
「……神経の病気か?」
「そうかもしれませんね」
にっこりと微笑む欠月は、それ以上の質問を許さない雰囲気を発していた。
なんとなく、しん、と静まってしまい、静の鼻歌と、彼の料理を作る音とテレビの放送音だけが居間に響いた。
(む……欠月君はちょっと変わった子だな)
実はちょっとどころではないのだが、紳一郎はそれだけ思って終わりだった。
テーブルの上には和食を中心とした料理が並べられた。全て静のお手製である。
もちろん、彼の自信作である「茶碗蒸」と「おはぎ」も並べられていた。というか、メインがそれであった。
「……静、これはバランスが悪い……」
「さあ欠月さん、こっちに座ってください」
言いかけた紳一郎の声を遮って、嬉しそうにする静が欠月の背中を押してイスに座らせた。その横の席に静も腰掛ける。紳一郎ものろのろとイスに座った。
欠月は並べられた料理を眺めた。静はその様子をどきどきしながら見ている。
紳一郎は両手を合わせた。
「では、いただ……」
「ダメー! 一番最初は欠月さんなのっ!」
静に止められて、紳一郎はそのままの姿勢でしばし停止した。
「さ、欠月さん食べてください!」
きらきらと瞳を輝かせる静に苦笑しながら、欠月は両手を合わせて「いただきます」と言うと茶碗蒸を食べ始める。
緊張して彼の様子を見る静は、心臓が破裂しそうだった。あれだけ練習して、不味いとか言われたら……!
もぐもぐと食べていた欠月はにっこりと微笑む。
「美味しいよ、静君」
「ほっ、本当ですか?」
「ほんと」
ぱあっと顔を輝かせた静は、おはぎを欠月に勧める。
「こ、こっちも食べてください」
「そんなに急がなくてもちゃんと食べるよ」
わかってはいるが、早く感想が聞きたいのだ。静の様子を見て、欠月はおはぎに箸を伸ばす。
口に運んで食べる欠月を、静は恐る恐る観察した。茶碗蒸の時も普段と同じ、平然とした感じだったのだが、おはぎを食べた欠月はちょっと照れ臭そうにした。
(!? その反応はなんですか、欠月さん???)
困惑する静の横で、なんだか妙に嬉しそうにする欠月。……ちょっと、かわいい。
口に入れた分を食べ終えた欠月が静を見遣った。
「美味しいね、こっちも」
声がさっきより嬉しそうだ。どうやら欠月は甘いもののほうが好物らしい。
(! う、うわ! 欠月さん、本当に嬉しそう!)
嬉しい! つられてにっこり笑う静に、紳一郎が尋ねる。
「……それで、私はもう食べていいのか?」
*
食べ終えた食器類の後片付けをしていた静は、冷蔵庫に作った覚えのない佃煮が入っているのを発見した。
気になって手を伸ばし、口に少し運ぶ。刹那、静はその場で転倒した。
痙攣する静に気づいて、欠月がびっくりして居間からやって来た。
「ど、どうしたの、静君?」
悶絶している静は応えることができない。欠月は静が食べていた佃煮に手を伸ばした。
(ああ……! ダメですって、欠月さん! それを食べちゃ、ダ、だめ……!)
思ってはいても声には出ない。どうやら自分の居ない間に紳一郎が作って置いていたものだったらしい。やはり強烈な味だ。
ぱく、と欠月が食べた。彼は平然とした顔でもぐもぐと食べる。
「ユニークな味だなあ。あ、そっか。調味料間違えてるのか〜」
呑気に言っている欠月は冷蔵庫を閉めた。
「これじゃ、普通の人の味覚にはキツいな。静君、お水汲んであげるね」
なんで平気なんだ???
静は欠月の言葉に頷きながら、欠月への謎を深めていったのである…………。
*
風呂からあがった欠月を、静は和室へ案内した。
「あの、ここを使ってください。お布団はすぐ敷きますから」
「……なんだ。静君の部屋で寝るんじゃないの?」
言われた瞬間、静が耳まで赤くして動揺する。
「え? ぼ、僕の部屋ですか?」
あの簡素で物の少ない殺風景な部屋に欠月が居てくれるのは嬉しい。静は元来、寂しがり屋なのだ。
嬉しいけれど、恥ずかしかった。
「い、いいですけど……何もないですよ?」
「は?」
「欠月さんの病室みたいに、本とかたくさんないですし、テレビも……」
「今から寝るのになんでそんなものいるの?」
疑問符を浮かべている欠月の声に、なぜか余計に羞恥心を感じた。
和室のドアの前でそんなやり取りをしているのを、自分の使っている部屋のドアから顔を覗かせて見ていた紳一郎は小さく呟く。
「……仲がいいんだな、本当に」
見られているとは気づかず、静はどうしようと赤くなったり青くなったりと、悩みまくっていたのであった。
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