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<東京怪談・PCゲームノベル>


過去の労働の記憶は甘美なり

「何か変わった話はありませんか?」
 蒼月亭でランチを食べながら烏有 灯(うゆう・あかり)は、マスターのナイトホークにそう呟いた。童話作家である灯は、最近小学校高学年向けの現代物ミステリーの原稿を依頼されたのだが、上手いアイディアが出ずにここ数日困っている。
 するとナイトホークは吸っていた煙草を灰皿に置きながら、少し考えた。
「変わった話ね…何か気分転換になった方がいいの?」
「そうですね。何も浮かばない時は本当に頭が真っ白になってしまうんで、ちょっと変わったことがあるといいなとか思っているんですけど」
 溜息ばかりついていてもアイディアは浮かんでこない。ある程度何を書こうかは考えてあるのだが、その輪郭がいまいちはっきりしてこないのだ。それを気付いたかのように、ナイトホークが灯の側に来る。
「烏有さんさ、フリーライターの麗虎のこと知ってたよな?」
「はい、知ってますが…」
 フリーライターの松田 麗虎(まつだ・れいこ)の事は知っている。月刊アトラスの編集部で顔を合わせたこともあるし、以前この店でイベントをした時に携帯の番号も教えてもらっている。一度ゆっくり顔を合わせて話をしたいと思っているのだが、お互いのスケジュールが合わないのでまだその機会はない。
 彼がどうかしたのだろうか…灯はオムライスを食べていたスプーンを置き、グラスに入っている水を飲む。
「麗虎が『取材手伝い』が欲しいから、誰かやりたそうな人がいたら紹介してって言ってたんだけど、良かったらついてってみたらどう。向こうも取材だけど、何か面白そうなことやってるらしいし」
 それはどんなことなのだろう。アトラス編集部などで聞いた話では、麗虎は取材から写真までほとんど一人でやっているらしい。その取材の手伝いをしたら、もしかしたら何かいいアイディアが浮かぶかも知れない。それに色々と話をしたいとも思っているのに、これを逃すとその機会がなくなってしまう。灯は顔を上げ、ナイトホークにこう言った。
「じゃあ、俺で良かったら…」
 その時だった。ドアベルを鳴らして誰かが入ってくる。
 灯は漂ってくる煙草の香りで、麗虎が店に入ってきたことを知った。

「灯さんが手伝ってくれるなら、すごくありがたい。軽いバイトだと思って気軽に手伝って」
 カウンターでコーヒーを飲みながら、麗虎は灯の顔を見て屈託なく笑った。いつも麗虎が吸っているキャビンの箱がカウンターの上に無造作に置かれている。
「バイトなんて二十代初めの頃以来です。すぐ迷子になる非力な作家ではあまりお役に立てないかもしれませんが…」
 灯がとんでもない方向音痴と言うことは麗虎も知っている。おずおずとそう言うと、麗虎はそんな事を全く気にしないというように、箱から煙草を一本出した。
「全然構わないよ。行く場所が場所だから荷物持ってくれる人が欲しいし、多分灯さんなら結構楽しめると思う」
 麗虎の話では、『サキュバス』の取材で最近あちこちの廃墟を回っているらしい。
 『サキュバス』自体は割と特殊なサブカルチャー誌で、ドラッグの特集などのアングラな話題を扱っているかと思えば、真面目に民族問題の特集を組んだりもしている。その中でも麗虎が書く記事が結構面白く、実は灯も密かに読んでいたりする。
「辺鄙なところにある廃墟だと、一人で行って何かあると困るから同行者を連れてってたんだけど、俺が廃校とかそういうのばかり好んで行くもんだから、皆一緒に行ってくれなくなっちゃって。でも、今回は山の中だからそんな怖くない」
「廃墟ですか…」
 そう言いながら灯は昔いた島のことを思い出していた。
 自分がいなくなってからあの島はどうなったのだろうか…廃墟という言葉を聞き、胸の奥で何かが詰まる。
「灯さんが嫌だって言うなら無理には勧めない。でも今度行く廃墟は色んな意味で綺麗だから、見せたいなって気持ちもある」
 その言葉を聞き灯は決めた。アイディアが浮かぶとかそういうのは一度横に置いて、麗虎について行ってみよう。そうしているうちに何かが見えるような気がする。
 灯は一度目を閉じ、麗虎の顔を見てしっかりとこう言った。
「行きます。俺で良ければ連れて行ってください」

 それから数日後、灯は麗虎の運転する車に乗ってその廃墟へと向かっていた。高速道路に乗り、かなりの距離を走らないとたどり着けないようだが、麗虎は全く気にせず車を運転している。
「長距離運転の後で取材なんて大変そうですね」
 助手席で灯がペットボトルのお茶を飲みながらそう言うと、麗虎はハンドルを握ったままチラと灯を見る。
「運転好きだし、道がいいから結構平気。ハードな取材にも慣れてるよ」
 取材と言っても灯は一体何を用意したらいいのか全然分からなかったが、靴やマグライト、軍手などの必要な装備は全て麗虎が用意していた。
「あ、灯さん。普通の靴だと危ないから、俺が履いてるコンバットブーツ使って。足からうつる病気持ってないから」
 靴のサイズはさほど変わらなかった。麗虎の話では、廃墟はあちこちに釘や針金などが落ちていることがあり、普通の靴では危険なのだという。
「俺に靴を貸して、麗虎さんは大丈夫なんですか?」
「ああ、ジャングルブーツとか好きで何足か持ってる。それより灯さん靴きつくない?」
「大体同じぐらいだから、大丈夫です」
 そこに向かいながら、二人は色々な話をしていた。
 麗虎の弟と灯の甥が同じ学校のクラスメートだと知って驚いたり、最近麗虎が個人的に取材をしているネイティブアメリカンの儀式の話や、灯が書いている小説の構想など、お互い話題が尽きる事がない。
 麗虎のように面白い文章を書けるなら、小説家などになっても良さそうなのにずっとフリーライターをやっているのは何故なのだろう。知り合いになってからその記事を遡って読んだりしたのだが、もっと有名になっても良さそうな記事を書いていたりもする。
 車は高速道路を降り、やがて山の中へと入っていった。そのまま走っていくと、やがて山の斜面に古びたコンクリートが見えてきた。どうやらそこが目的地らしい。
「あれは何の建物なんですか?」
「鉱山の跡だよ。ここから結構ハードだから、覚悟しといて」
 そこから少し進んで車を止め、麗虎は灯にリュックを手渡した。そこに飲み物などが入っているらしい。カメラの入った重そうなバッグなどは麗虎が自分で持っている。
「虫除けあった方がいいかな…」
「あ、ちょっと待っててください」
 山の中で虫さされになったりするのは大変だろう。そんな事もあろうかと、灯はミントの精油を持っていていた。それを香らせながら呪歌を唱えると、辺りにまとわりついていた虫たちが遠ざかる。
「すごいな、灯さん。普通の虫除けだとあまり効かないんだけど、これなら取材しやすい」
 嬉しそうに笑う麗虎を見て、灯も自然と笑みがこぼれる。
「お役に立てて良かったです」

 鬱蒼と茂った木々の間を進み、やがてその廃墟が近づいてきた。
 コンクリートは古びて苔むし、当時の面影は全くない。所々風化して砂に戻っているところもある。
「まず採鉱所後に行ってみるか。一応当時の地図はあるんだけど、多分あまり役に立たないな」
「あちこち風化してますね。あまり奥に行ったら危険かも知れません」
 そう言いながら足場の悪い道を歩く。山の中を歩くことには、灯はさほど苦労しなかった。街の中を歩くよりも心地よいし、自分がどう進めば目的の場所に行けるのかが分かる。もしかしたら自然の中にいるせいかもしれない。
「灯さん意外と体力あるな」
 麗虎も歩き慣れているのだろう。最初は灯に気を遣ってゆっくりと進んでいたのだが、ついてこられることが分かったのかいつものペースで歩いていく。
「山歩きは得意なんです」
 廃墟に近づくと、大きな鉄の柱が曲がったまま立っていたり、格子状の鉄骨だけになった壁などが見えてきた。その間をくぐり抜け中に入ると、麗虎はふっと上を見る。
「灯さん、見上げてみて」
 言われた通りに顔を上げ、灯は思わず声を漏らした。
「うわぁ…」
 それは時間が作り出した不思議な空間だった。
 柱は苔むし、壁のトタンは錆びて穴が開いており、ガラスも一部しか残っていない。三階建てぐらいありそうな高い天井はコンクリートが崩れ落ち、鉄骨だけになっている。
 その隙間から漏れる光が自分達を照らしていた。光の筋があちらこちらから降り注ぎ、埃や瓦礫だらけの床に反射している。その瓦礫の間からは草が生え、花が咲いていた。
「遺跡みたいですね…」
 灯は折りたたみの三脚を組み立てる麗虎を手伝いながら、そんな事を口走っていた。麗虎はカメラを用意しながら灯の言葉に頷く。
「遺跡みたい、じゃなくて場所によっては遺跡そのものかな。人の手が入って、人がいなくなって忘れ去られていく…遺跡と違うのは、誰も保護や保存しようとしてないから、やがて土に帰る所ぐらいか」
「そうかも知れませんね…こんな所に来たのは初めてです」
 口から出た言葉がしんと静まりかえった空間に響き渡る。お互い黙っていると、風の音や鳥の鳴き声が壁越しに聞こえる。おそらく最盛期にはここにもたくさんの人がいたのだろう。だが、今は朽ち落ちるままになっている。所々に残っている人がいたという証拠が生々しい。
 それに見とれていると、麗虎が灯にデジカメを渡した。
「灯さんが気になったところとか撮って。いいのがあったら記事に使うから」
「えっ、いいんですか?」
 そう言って戸惑うと麗虎が笑い、その声が響く。
「取材手伝いに来たんだから、いいも何も撮ってもらわないと。こっちのはメインの写真だけど、俺の目だけだとどうしても撮るところが偏るから他人目線の写真が欲しいんだ」
 それはいつもの麗虎とは違う取材中の目だった。三脚にカメラをセットし、真剣に写真を撮っている。それを見て灯も気になった場所を撮った。
 天井から差し込む光、瓦礫の中に咲いた花…はがれ落ちたペンキの側には緑の苔が分厚く生えている。
「あ、鳥…」
 そう言いながら灯は鉄骨越しに空を見上げた。大きく崩れ落ち穴が開いている天井の所に鳥が留まっている。鳥が逃げないように灯はシャッターを切った。そして麗虎の方を振り返る。
「………」
 それは一枚の絵だった。
 廃墟の中に立ち、天を仰ぐ麗虎の姿。
 それは光の差し込み具合で、まるで祈っているようにも見える。灯はそっとカメラを構えその姿を撮った。シャッター音に麗虎が気付き、灯の方を見る。
「灯さん、何撮ってるんだよ」
「何か撮りたくなったんです…」
 それを聞き、麗虎が灯の側に近づいた。覗き込むように自分が写った写真を確認し、呆れたように苦笑する。
「うわー、何か恥ずかしい。撮られると思ってなかったから、すげぇ無防備だ…消していい?」
「ダメです。印刷して記念にもらおうと思ってたんですから。だから消さないでください」
 自分が言った言葉にあっけにとられる麗虎を見て、灯は思わず赤面した。今何かを言われたら、訳の分からないことを口走ってしまいそうだ。他意があるというわけではなく、本当に撮りたかったら撮っただけで…。
「い、いや、あのっ…その…」
 何か言わなきゃ…と慌てている灯を見て、麗虎はくすくす笑ってポケットから煙草と携帯灰皿を出した。そして灯の頭をポンと撫でる。
「分かった、消さない。でも、なるべく廃墟撮って」
「そ、そうします…」
「じゃあ、三脚片づけて外出ようか。灯さんに見せたいところあるから」

 麗虎が見せたいと言ったところは、水が溜まった大きな人工の池だった。元々ここは銅山だったらしく、水には銅が溶け出して青く澄み切っている。
 その脇に三脚を立て、麗虎は斜面に立っている廃墟を眺めていた。
「麗虎さんは取材とか全部一人でやるんですね。俺は何でも担当さんに任せ切りなので、全て自分やってるのを見ると尊敬してしまいます」
「自分で見た物を伝えるのが好きだからね。それに家に籠もってられないから、面白そうなことがあるとすぐ飛び出すし。だからフリーライターは性に合ってる」
 両手を上げ麗虎が背筋を伸ばす。
「廃墟もさ、人がいた匂いがあるのが好きなんだ。ガキの頃から勝手に空き家とか、廃病院とか入って怒られてたから、今とやってること変わらない」
 それを聞いた瞬間、灯の脳裏に何かがひらめいた。誰もいない廃墟を探検する麗虎の姿が、自分が書こうとしていた小学校高学年向けの現代物ミステリーに重なる。人がいた匂いを感じ、耳が痛くなるような沈黙の中で少年は何を考えていたのだろう…それだけで話が書けそうな気がする。
「麗虎さん、まだ廃墟取材はやるんですか?」
「ん?東京戻ったら東大の研究所の廃墟見せてもらいに行くけど」
「その時にもお手伝いさせてもらっていいですか?俺、小学校高学年向けの現代物ミステリーの原稿を頼まれてて、今まで全然思いつかなかったのがここに来て色々浮かんできて…」
 風が木々を鳴らした。
 鏡のように澄んでいた水面がゆらゆらと揺れる。
 断られるかも知れない…と灯が緊張していると、麗虎はポケットから煙草を出して悪戯っぽく笑った。
「灯さんがついてきたいっていうなら…っていうか、そうなると俺が灯さんの取材手伝いのバイトみたいだな」
「いや、あくまで俺は麗虎さんの助手で。あ、ここの写真も撮っておこう」
 恥ずかしさをごまかすようにデジカメを用意する灯を見て、麗虎も同じように三脚からカメラを構えた。

 それから数ヶ月後、あの時麗虎と一緒に行った廃墟特集が載った『サキュバス』が灯の手元に送られてきた。
 それと同じぐらいの時期に、「うゆうあかり」の書いた高学年向けのミステリー『廃墟の守護者』がベストセラーになり、あちこちで話題になっていた。
 あの時麗虎の手伝いをしなかったら、きっとこの話は書けなかっただろう…灯は出版社から送られてきた本を大事そうに眺める。
「麗虎さんに送らなきゃ」
 表紙に写っていたのは、あの時廃墟で灯が撮った天を仰ぐ麗虎の姿だった。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
5597/烏有・灯/男性/28歳/童話作家

◆ライター通信◆
「過去の労働の記憶は甘美なり」にご参加ありがとうござます。水月小織です。
麗虎の取材手伝いと言うことで、廃墟に取材に行く…という話でしたが、プレイングを見て仕事よりも二人で色々と話すのが中心になってしまいました。廃墟は味がありますね…生活感のある廃墟はちょっと怖いですが、外から見るのは好きです。
リテイク、ご意見などはご遠慮なく言ってくださいませ。
また機会がありましたらよろしくお願いいたします。