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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


夏風邪店員、居ります。


 ジワジワと鳴くセミの声も落ち着きはじめ、夏も終わりを迎えようというある日。
 綾は助手席に恋人の瞳子を乗せ、すっかり馴染みとなった古書店【天幻堂】に向かって車を走らせていた。
 立秋を過ぎたとはいえ日差しはまだ暑い。綾は据え付けのサンバイザーを下ろすと、額に浮かんでいた汗を拭う。
 すぐに赤信号にかかり、ゆっくりとブレーキを踏み込む。
 微細な振動の後に停車したのを確認して、瞳子は綾に声をかけた。
「きつねさん、喜んでくれると良いんですけど……」
 瞳子はその手に紙袋を抱えていた。
 袋の中には箱詰めのクッキーと『かるかん』が包まれている。それぞれ、店主ときつね、飼い猫に贈るためのものだ。
「喜んで……くれるとは思いますが、照れ隠しで『ありがた迷惑だ』という反応をしそうですね」
 ひとの親切にはとことん天の邪鬼なバイト店員のこと。二人で顔を見合わせて微笑む。
 【天幻堂】の本は、そのほとんどが安価で売られていた。条件さえ合えば、店主の判断で買い手に「引き取らせる」こともある。
 綾や瞳子も何度かそういった経緯で本を譲り受けたことがあり、バイト店員であるきつねからも、常にタダ同然の価格で本を購入していた。
 すっかり店が気に入った二人は、何か別の形で感謝の気持ちを伝えたいと、手土産を持参して店に向かっている途中だったのだ。
「きつねさんのお部屋、またお掃除できるかな」
 瞳子の独白をよそに、綾は青信号を認めてブレーキから足を離す。
 前方左右の安全確認すると、徐々にアクセルを踏み込んでいった。



 ほどなくして目的地へ到着した二人は、店のそばにある空き地へ車を停め、入り口の前に立った。
 紙袋を抱えた瞳子が、ガラス越しに店をのぞき込んで「あれっ」と声をあげる。
「きつねさん、いないですね」
 しかし、サボリ癖のあるバイト店員の姿が見えないのはいつものことだ。
「レジの奥にいるのかもしれませんよ。とりあえず日差しもきついですし、中に入りましょう」
 店員の姿は見えなかったが、店の扉は開いている。閉店しているというわけではないらしい。
 綾が扉を開け、瞳子をうながす。
 先に店内に入った瞳子が、「こんにちはー」と間延びした声をかけるが、店からは誰の声も返ってこなかった。
 連日この店で鳴り響いている騒々しい音楽さえ、今日はなりをひそめているようだ。
 綾はいつもと変わりない店内をいぶかりながらも、瞳子のいるレジ前に並んだ。
 店は弱めの冷房がかかっており、ひんやりとしたその空気は薄暗い店内を伴って洞窟を思わせる。
「お店が開いているのに、誰もいないというのはおかしいですね」
 ぐるりとあたりを見渡すが、店主も飼い猫の姿も今は見えない。
 繁盛している店ではないが、ここも一応は「商品」を取り扱う店だ。防犯上、店主かきつね、飼い猫の誰かが必ず待機しているはずなのだが……。
 と、レジの奥から一匹の子猫が現れた。店で飼われているキジ猫で、二人も良く見知っている店番猫だ。
 子猫は二人に向かって小さく鳴くと、今度は座敷の奥に向かってにゃーんと鳴き続ける。
「……?」
 綾と瞳子が不思議そうに奥をのぞき込むと、『うるさい、うるさ〜い!』と、力のない女の声が聞こえた。
「……きつねさん、ですよね?」
 瞳子が確認するように綾を見上げる。
 綾も「そのはずです」と頷き、レジの奥へ回って、部屋に上がることにする。
 レジの奥には、上がってすぐに広めの座敷がある。
 座敷の四方は一対が壁に。もう一対が戸になっていて、それぞれ別の空間に続いている。
 つまり、綾と瞳子の入ってきたレジ側の入り口の正面向かいに、もうひとつ、ふすまの出入り口があるのだ。
 そこが、バイト店員であるきつねの部屋になっている。
 瞳子と綾が座敷に上がると、子猫がきつねの部屋のふすまをカリカリとひっかきはじめた。
 盛大な咳と悪態が聞こえてくるのは、そのふすまの向こうからだ。
『こら〜。このふすま張り替えんのにいくらかかると思ってんの。アンタを三味線にしたって足りないくらい――』
 セリフが言い終わる前に、ガラッとふすまが開け放たれる。
 そこには、ギョッとした表情のきつねの姿があった。
 訪れた二人と、眼が合う。

 ピシャッ

 間髪入れずにふすまが閉ざされ、奥から鼻声の「蛍の光(閉店音楽)」が聞こえてきた。
『え〜、誠に申し訳ございませんが〜、当店はこれをもちまして閉店となります。またのご来店を〜、心よりお待ちしておりま〜す』
 きょとんとふすまを見つめる瞳子に、「やっぱり」という表情の綾。
 とはいえ、きつねがいるとわかっていながら、ここで帰るわけにはいかない。
 歌い続ける「蛍の光」をよそに、瞳子は容赦なくふすまを開け放った。
「きつねさん! 今日はいつものお礼にと思って、心ばかりの差し入れを持ってきたんです。はい、どうぞ皆さんにも……って。あれ?」
 手に持っていた紙袋を渡そうとしたところで、瞳子はきつねの様子がいつもと違うことに気づいたらしい。
 服装は見慣れたTシャツにジーパン、白衣……ではなく、藍色の地味な浴衣姿だ。浴衣といっても寝間着代わりに着るような代物で、さらにこの季節にもかかわらず、上に半纏(はんてん)を羽織っている。
 いつもはひとつ括りの髪も、今日は三つ編みに結っていかにも病人、といった様相だ。
 当の本人の雰囲気もどこか違う。例えるなら覇気が足りないように思われた。
 三人の間に一瞬沈黙が流れ、遅れて、きつねがゴホッと咳をつく。
 「ああ」と、綾が手を打つ。
「風邪ですか」
 言いながらも「まさかね」、という表情。
「……何よその顔。そうよ風邪よ。絶賛発熱中! 全身全霊で風邪ひいてゲッホゴッホ。……もー!」
 見てわかることを聞くなとばかりに、意地になって言い返したところで咳き込む。
 何が悔しいのか、ひとり唸っては地団駄を踏みはじめた。
 言わんこっちゃないと、子猫が彼女の足下から心配そうに見上げている。
「きつねさんは、絶対に風邪をひかないと思ってました」
 それを聞いた瞳子が微笑みながら告げる。表情を見る限り、その言葉に悪気はない。と思われる。
「夏風邪ですしね……。まぁ、刑部さんは『馬』や『鹿』じゃなくて、『キツネ』なんですけど」
 あははと笑いあう二人を前に、きつねはガックリと肩を落とすしかなかった。
「……とにかく。今日は老師も買い付けでいないし、アタシもこんな状態だし、今誰も相手できないんだよね。欲しい本があればレジにお金置いてってくれればいいんで。じゃ。サヨナラ」

 ピシャッ

 無理やり会話を終了させようとしたが、そうはいかない。
 やはり容赦なく、それでいて力強くふすまを開き直し、瞳子がきつねに向かって身を乗り出した。
「それなら任せてくださいっ!」
 いいかげん横になろうと思っていたのだろう。
「……何を任せろって……?」
 熱と気だるさで、うんざりとした表情のきつねが振り返る。
「ちょうど良かった。お菓子と『かるかん』だけじゃ、僕たちの気持ちとしては物足りないかなって、思っていたところなんです」
 瞳子の後ろから、綾がいつもの人好きのする笑みを浮かべて続ける。
「刑部さん。今日は一日、安心して休んでいてください」
 彼がこの表情を浮かべるとき、ロクなことにならないのをきつねは良く知っている。
「私たち二人で、お店番とか、家事とか、お掃除とか、お掃除とか! 力一杯お手伝いしますから!」
 そしてこの瞳子の申し出に、さらにきつねは頭を抱え込んだ。
「力一杯、ノーサンキューよ! いつもいつも、アンタら二人揃うとロクなことないんだから!」
 彼女は以前、自分の母親が店を訪れようとしていた時のことを思い出していた。
 その日は「掃除」という名目で瞳子に部屋を荒らされ、「親切」という名の綾の気遣いでとんでもない地獄をみたのだ。
「だいたいなんで掃除が二回も出てんのよ! 一回で良い……じゃなくて、アンタの掃除なんて二度とゴメンよ!」
 すかさず瞳子に向かってビシィ! と指を突きつける。
 しかしそこはそれ、綾と瞳子の二人のこと。
「まぁまぁきつねさん。そんなに叫ぶと熱が上がりますから」
「実際問題、お店にひとがいないのは不用心ですしね。ま、大船に乗った気で僕たちに任せてください」
 瞳子に背中を押され、きつねは無理やり布団の中へ押し込められた。
 彼女は意味もなく腕まくりをすると、手に持っていた紙袋からクッキーを取り出してきつねに差し出す。
「これ、差し入れです。きつねさんはこれでも食べて、ゆっくりしていてくださいね」
 にっこりと笑うその様子だけ見れば、愛らしい少女に看病を申し出てもらっている、という、とてもありがたい状況なのだが……。
「あ、猫さんのために『かるかん』も持ってきたんですよ。今開けますね」
 足下でにゃーにゃーと騒ぐ子猫に待つように言うと、瞳子は缶詰を手に台所へ向かう。
 「きつねさーん。猫さん用のお皿ってどこですかー」という声が聞こえたと思った次の瞬間には、瞳子のいる方向からけたたましい金属音が鳴り響いていた。
 きつねの顔に、「ヤッパリ」という表情が浮かんだ。
「瞳子! 動くな! しゃべるな! 息を吸うな! 今すぐ行くからそこでじっとしてなさい!」
 きつねは持っていたクッキーの箱を放り投げると、大慌てで台所へ向かう。
 しかし時すでに遅し。
 彼女が向かった後も、「皿を出す」という作業からはほど遠い壊滅音が途絶えることはなかった。
 言わずもがな。
 子猫はその様子に恐れをなし、好物の『かるかん』を断腸の思いで諦め、屋外へ逃亡したという。

 一方、綾はきつねと瞳子の微笑ましい(と思われる)交流に満足し、店番をするために表へと向かっていた。
 とはいえ【天幻堂】の店番など、あってないようなもの。
 書架の整理を行っても良いが、どのみち一日店員では大がかりなことはできない。
 さてどうしたものかと考えていると、レジ横に面白いものを見つけた。
 いつもきつねが貼り紙を書く際に使っているであろう広告の裏紙と、油性マジックが置いてあったのだ。
「今は僕たちが来ているとはいえ、風邪でひとり留守番なんて……。刑部さんも寂しい思いをしていたに違いありません」
 裏紙を一枚拝借し、きつねの真似をして用件を書きつける。
 書き上がった紙を眺め、「よし」と呟くと、綾はその張り紙を店の外へ張り出した。

『夏風邪店員、居ります。
 お見舞い・差し入れ大歓迎!
 その他・御用レジ代理店員話掛。』

 綾の貼り紙に御利益があったのか。きつねの風邪がそんなに珍しかったのか。
 貼り紙の導きによって、その日は一日中見舞客が訪れ続けた。
 純粋に見舞ってくれる者だけなら良いが、弱ったバイト店員を一目見ようという物好きな客も多く、きつねは一日中絶えることのない自分の見舞客を相手に、座敷でお茶を出すハメに陥っていた。
 しばらくして。
 風邪をひいている身で、叫んだり、怒鳴ったりの無茶がたたったのだろう。
 お昼を過ぎるころにはきつねの発熱も最高潮。
 なぜか足の踏み場が無くなっていく台所や座敷。弱ったきつねを満足そうに眺めて去っていく馴染みの客達。
「いい加減にしろー!」
 高熱に冒されたきつねの意識は、そうしてぽっくりと、闇に沈んでいったのだった。



 次にきつねが目を覚ました時、周囲はすっかり薄暗くなっていた。
 のそりと起きあがり、布団に埋まったまま辺りを見渡す。時計を見ると夕方を回り、そろそろ夕飯の準備を、という時刻だ。
 立ち上がろうとして、枕元に置いた覚えのない盆があることに気づく。
 ペットボトルに入った水に風邪薬が添えられているのを確認し、おおかた綾と瞳子が置いていったものだろうと推測する。
 さらにその周りには、見舞客がもってきた差し入れの果実類が並んでいた。そこだけ見れば入院患者の病室を覗いているようだ。
「まったく、アイツらときたら……」
 と、苦笑しながら風邪薬を手にした時だ。
 盆の上の、一枚のメモ用紙が目にとまった。
 拾い上げ、目を通す。

 『早く良くなってくださいね。』

 病人へ向けての常套句だな、と笑い、しかし悪い気はしない。
 次に二人が来た時は少しくらい割引してやるかと考える。
 が、そのメモは半分に折り曲げられた状態で、よく見るとまだ下に続きがあった。
 どうせ連名で名前でも書いてあるんだろうと、メモを開くと――。

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 早く良くなってくださいね。





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 追伸

  母君に連絡しておきましたので、
  看病に来てくださるようですよ。


        槻島・綾、千住・瞳子より

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「……母君?」
 母。
 きつねにとって最大の禁忌であり、あってはならない単語がそのメモには記されていた。
 なぜ彼らが母の連絡先を知っているのか。
 いや。考えるまでもない。相手は破天荒な掃除娘と不運を呼び込む喰えない男だ。
 彼らなら部屋を荒らした(掃除した)時に、連絡先の書き置きを見つけるなどたやすいに違いない。
(違う。そうじゃない。今考えるべきことはそうじゃない)
 迫り来る現実から逃れようとする自分を奮い立たせ、きつねは胸中で必死に戦っていた。
 このメモはきつねが倒れている間に書かれたものであって、すでに事態は動き始めているということだ。
 こんなところに座り込んでいる場合ではない。
「逃げなければ。今、すぐに!」
 決意を胸にすっくと立ち上がった、ちょうどその時。
 店の扉を開け放つ轟音が静寂を割き、続いてヒステリックな女性の怒号が響き渡った。
『聞きましたよきつねさん! せっかく風邪をひかない「ウマ?」「シカ!」な子になるよう育ててきたというのに、いったいいつから夏風邪に負けるような脆弱な子になってしまったというの!? 母は悲しい!』
 間違いない。間違いようがない。
 ふすまの向こうから響いてくる、あの女の声は……!
『ま、ひいてしまったものは仕方ありません。どうせきつねさんは薬を買うお金もないだろうと思って、優しい母がた〜んとネギを持ってきました。あなたに薬は贅沢品! 風邪なんて民間療法で十分です。さぁきつねさん、ここに居るのはわかっています。観念して出ていらっしゃい!』
 迫り来る魔女の声を前に、きつねは思わず吠えていた。
 綾が、この現場を予想せず母親を呼んだなどとは思えない。
 つまり全ては、あの喰えない男の置き土産というわけだ。
「槻島ーーーー! 一度ならず二度までも! 覚えてろーーーーー!!!!」
 だがもちろん、吠えると居場所が知れてしまうわけで。

 ズバーーーン!

 開かれたふすまの向こうには、数ヶ月ぶりの再会となる母、そのひとの姿があった。
「見ぃ〜つけた〜」
 ニヤリと笑うその顔に、きつねは生きながらにして地獄の鬼を垣間見る。
「さぁネギを! ぐるっと! 盛大にその首にお巻きなさい!」
 畑から抜いたままの、土のついた長細いネギを両手に母親が迫る。
 捕まってなるものかと、娘は見舞い品の果物を投げつける。
「『ウマ?』『シカ!』はどっちだ! 大体そのネギ用法間違ってるし!」
 魔女は投げられたメロンをキャッチし、不敵な笑みを浮かべる。
「ふふふ。昔から言うでしょう。困ったときは≪長いネギに巻かれろ≫と!」
「それ、超使い方間違ってるしーーー!」
 ふんぞり返る母。泣き叫ぶ娘。
 店の外では、涼しい風がアスファルトの熱気をさらっては吹いていく。
 夕焼け空に、女たちの虚しい言葉の応酬がいつまでもいつまでも響き渡っていた。


 結局。
 魔女は一週間に渡り古書店【天幻堂】に滞在し、きつねの看病(という名の更正)に努めたという。
 その間、体調不良を伴ったきつねが、数ヶ月ぶりの地獄を見たのは言うまでもない。



 了