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『千紫万紅 ― 秋桜の花の物語 ―』
覚えておいてね、私の事―――
彼女は蒼白な顔でそう笑いながら呟いた。
秋桜の花が咲いていた。
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子どもの泣いている声は苦手。
だけど子どもの笑い声は大好き。
だから泣いているその子の顔を笑わせる事への暇を私は私に問うつもりは無かった。
立てた小指を近づけた私を泣き顔でその子は見つめてくる。
私はにこりと微笑むのだ。
優しく、
温かに。
小さな者への愛おしさを込めて。
幼き日の自分が与えてもらった優しさ、
水に砂糖菓子が溶けるように私の心にふわりと溶けていたそれを、
私は掬い取り、
結晶化させて、
それをその子にあげる。
もう泣かないで。
笑って、と。
脳裡に浮かぶのはあの大切な日。
和紙をお爺さんに貰った時の事。
和紙を私が愛するようになった思い出が生まれた日。
「指きり」ゆっくりと唇を動かすと、
その小さな唇も同じように動いた。「ゆびきり?」
「うん。お姉ちゃんがお嬢ちゃんの仔犬は探してあげる。だから、ね。絶対、大丈夫だよ」
絶対、大丈夫だよ。
それは魔法の言葉。
どれほど心細くって哀しい時にかけてもらえると嬉しい言葉だったろう?
自分の思い出を探ってみても、それは確かだった。
心細くって、
悲しいからこそ、
夕暮れ時の道で独り迷子になって泣いている時に通りがかりの優しい人に頭を撫でてもらえた時のような安心感。
絶対、大丈夫だよ。
―――迷う時、ギリギリの場所に居る時、だけどそう言ってもらえると、自分が立つピアノ線のような硝子の細すぎる糸がしかし確かな道となって、私はその言葉をかけてくれた人の手を握って、前に歩いてこれた。
だから私はここに居て、
そして泣いていた女の子と指切りしている。
優しさは環を成す。
人に貰った優しさは、だから他の誰かに。
そうして人から人へと継がれていく優しさが環を成して、故に世界は優しい。
「「指きり、げんまん、嘘ついたら、はりせんぼん、のーます。指切った♪」」
二人でそう歌って、それから二人で笑った。
そしてぱたり、と人形のように小さな身体が私に抱きついてくる。
震えていた。
「大切なお友達から貰った子なの。その子は天国のお花畑に居るの。その子が笑っていられるように、もう泣いちゃわなくってもいいようにわたしが、あの子を大切にするって決めたの。その子の分まで。だからおねえちゃん、ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
痛いほどに純粋無垢な想いは私の心の中に溶け込んできた。
その幼い汚れ無き心が感じている痛みも、
優しさも、
誓いも、
共感できたし、
想像できた。
だから私は、その子をぎゅっと抱きしめる。
「ありがとう、でいいんだよ」
「うん、ありがとう」
その女の子の友達はわずか10歳で白血病で亡くなってしまったそうで、その友達の両親から大の仲良しだったその女の子が形見分けで仔犬をもらったそうだ。
きっとご両親もその犬の事を見るのが辛かったのだろう。
女の子はその仔犬、柴犬が自分と同じぐらいに友達の女の子に大切にされていたのを知っていた。
だから彼女は同じくらいにその柴犬を大切にしたのだ。
そうする事が、彼女なりのその友達への友情の証明だったのだと思う。
袖触れ合うも多少の縁。
―――この世には偶然なんて無いと言う。
ならばその女の子たちの出逢いにも別れにも意味はあったのだろう。
それは幼い子どもの心、魂には過酷だったと思う。
でも、だからこそそれを乗り越えられた時、あの女の子はきっと素敵な人になれるのだと思う。与えられた試練の分だけ。
私も多くの人に触れ合って、そして時にはその人たちを見送ってきたから、だから私なりに導き出した、そういう運命の意味。
だからきっと、私があの子の近所で、あの子のお母さんに和紙の創作人形を教えていた事にも意味はあって、
私が仔犬を探す事も必然だった。
だからこそ私はそれを一生懸命やろうと思う。
必然だからこそ、それに意味はあるのだから。
そしてそういう事は抜きにしても、あの女の子の泣き顔を満面の笑顔の花にしてあげたいと思うから。
「ねえ、お爺さん、そうですよね」
見上げた蒼い空はどこまでも広く青くって、そんな抜けるように蒼い空のどこかにあるお花畑でお爺さんが優しく微笑んだような、そんな気がした。
だけど仔犬は本当にどこに行ったのかしら?
「迷子の迷子の仔犬ちゃん♪ あなたのお家はどこですか? 名前を聞いてもわからない♪ お家を聞いてもわからない♪ わんわんわ〜ん♪ わんわんわ〜ん♪ 泣いてばかりいる仔犬ちゃん。犬のおまわりさん♪」
「おや、迷子の子が仔犬なら、おまわりさんは猫さんじゃないですか? 猫はにゃぁ〜、にゃぁ〜って」
くすりと笑うような優しい声。
私は反射的に振り返ってしまう。
空を舞った髪が前方を塞いで、
やがてはらりと顔を触りながら落ちた髪、
見えるようになった後ろの正面。
そこに居たのは白さんだった。
顔が一瞬で熱くなった。
きっと耳まで赤い。
白さんは優しく青い眼を細める。その顔は優しい。
だからこそ意地悪だ。
てぇい、と私は両手で白さんの胸を押して、
それで白さんはようやくくすくすと笑い出した。
今度はぽかぽかと両手で白さんの胸を叩いて、
それから私は回れ右。
髪の毛先が白さんの顔に触れたのがわかる。
「………」
沈黙。
私は顔半分だけ振り返る。
白さんはにこにこと優しく微笑んでいる。
そしてそのままその顔で右手の人差し指一本立てて、
「やっぱり迷子の子が仔犬なら、おまわりさんは猫さんでしょう。みゃぁー、みゃぁーです」
「白さん」
私が上目遣いで見ると白さんはおどけたように軽く両手を上げた。
私はそんな白さんに頬を膨らませて、だけどそれを維持できなくって、それで素直にくすくすと笑った。
「気付いていたのなら、声をかけてください。それは反則です」
「いえ、だってアトリさんが楽しそうに歌っておられたから」
「それは、でも歌を歌っていた時に後ろに人が居た事を知るほど恥ずかしい事はないんですから」
ふい、っと私はそっぽを向く。
そしたら白さんは、
「じゃあ、罰ゲームで迷子の仔犬さんを一緒に探しましょう。わんわん、って」
その白さんの言葉に私が胸に抱いていた感情なんて消えてしまうようで、私の顔は私自身のその想いを簡単に気取らせてくれるように花が咲き綻ぶように自然と微笑んだ。
「はい」
私は白さんに居なくなってしまった柴犬の仔犬の事を、
その子の飼い主さんたちの事を説明した。
「近所はもう探しつくして、だからこれから少し街の方へも足を伸ばしてみようと思ったんですけど。でも、どこを探せばいいのか………」
自分で自分の声がしょんぼりしていくのがわかった。
ひとりで探していた時は、前向きな事しか考えないようにしていたのに、
白さんが一緒になって探してくれる事になると、つい後ろ向きな事を考えてしまう。
それは独りでは背負う事が重すぎてできなくって、
だけど二人なら、
「大丈夫、見つかりますよ。ええ、絶対に大丈夫」
頭二つ分上にある場所で励ますように微笑んでくれる顔を見て、私は泣きたくなった。
張り詰めていたものがその優しい笑みに、溶け出すのだ。
それは信頼の証。
私はこんなにも弱い自分を見せられるほどこの人に心を許していた。
「絶対、大丈夫」
私の頬が埋められた白さんの胸の奥から聞こえてくるメロディーは緩やかで温かかった。
「でも本当にどうやって探せばいいのでしょう?」
私が小首を傾げると、白さんは私にウインクした。
「柴犬君の気持ちになって考えて見ましょうか?」
「え、柴犬、君の気持ち?」
「そう」
白さんは頷く。
私は瞼を閉じる。
その方がトレースしやすい。
「柴犬君は今の飼い主さんを嫌いでしょうか?」
私は考える、というのではなく、記憶を探ってみた。
いつも女の子と柴犬は一緒に居た。
仲が良かった。とてもとても。
きっと二人は一緒に居る事で心の隙間を埋めていた。
忘れるためではなく、
忘れないために。
それが嫌だったのなら、半月前、引き取られた時に逃げている。
「いいえ」
「では、前の飼い主さんの事は? もう、忘れてしまった?」
―――何故か白さんの声は悲しげだった。
まるで自分こそがその柴犬のように。
二つの大好きという感情の間で揺れ動くような、そんな心悲しく大切な、痛みのある声。
ああ、そうだ。
私はあの女の子も柴犬も一緒に居る事で亡くなってしまった子を大切に思っていると感じた。
そしてそれは決して間違いじゃないはずだ。
だったら、
「わかりました、白さん。柴犬君が居る場所が」
そこの場所は携帯電話で女の子のご両親から家の住所を聞き、その家を訪ねて、聞いた。
柴犬の前の飼い主さんのお墓がある場所。
まだ真新しいお墓の前に柴犬の仔犬がちょこんと座っていた。
小さな瞳は真っ直ぐにお墓を見ていた。
まるでお話をしているように。
このお墓に来た時から白さんは何故かあまり喋らなくなった。
こっそりと隣の白さんを見ると、胸がずきりと痛んだ。
そこに居た白さんはまるでそのまま世界の空気に溶け込んで消えてしまいそうなぐらいに儚く見えたから。
「行きましょうか?」
「え?」
「柴犬君を迎えに。じゃないと、帰られないから。柴犬君は。自分からでは、離れられない。大切すぎて。どちらも心の奥底から帰りたい場所だから」
「はい」
私は頷き、
それから白さんの手を繋ぐ。
そうしたのは、それはあなたの事のようにも聴こえたから。
それが私は、哀しいから。
だから………。
どうかそれが私のエゴだというのなら私は謝ります。
世界の全てがあなたを責めても、私は謝ります。
だから、もしもそれがあなたにとって余計な事だったのなら、あなたはあとどれだけ謝れば、私を許してくれますか?
「すみません」
白さんがぽつりと言った言葉に私は頭を振った。
「ありがとう、で、いいと思います。私もあなたにそう言ってもらえると心が、温かくなるから。ね、白さん」
「ええ。ありがとう、アトリさん」
風が吹いて私の髪を虚空に遊ばせた。
だからちょうど良いと思った。
それが帳となる。
あなたはきっと泣き顔を見られたくないと思っていただろうから。
繋ぐ手は、今のあなたがここに居るという証。
「うん。見つけたよ、柴犬君。うん。うん。これから届けに行くから、待っていてね」
会話を終えて私は携帯電話を折り畳んだ。
ここは駅前の角。
私は何やら怪しい人のように角から駅の改札口を覗いている。
本当に怪しさ爆発だ。
今の私を私が見たら、きっと早足でその場は離れて、携帯電話で警察に通報している。
私がここで何をしているかと言えば見ての通りに怪しい事をしているのだ。
画策している。わんこを連れて電車に乗る方法を。
「本当にやるんですか?」
白さんが少し居心地悪そうにしている。
私は右腕で柴犬君を抱きながら左手で拳を握った。
「はい。だって申請を出せば電車やバスにだって乗れますけど、でも時間がかかってしまうんですもの。だから、うん、不良行為です」
それに何だか微熱に浮かされているようなそんな火照りの中で私はドキドキとしている。面白い悪戯を思いついてそれを試すような子ども染みた高揚感。それが楽しい。
確かに犬を車内に持ち込むのは悪い事だけど、でもやっぱり早く届けたいし。ええ、罰は後で自分から何かをしますから、だから神様、お願いします―――。
「よし、行きましょう、白さん。強行突破です!」
私はさも日焼けと冷房対策です、という感じでワンピースの上に着込んだジャケットの前のボタンをとめて、それでジャケットの下に柴犬君を隠した。
「うん、完璧です」
私が満足してそう言うと、白さんは目を丸くして言った。
「いきなり何ヶ月、って」
もちろん私は白さんににこりと笑って見せた。
白さんが優しく私に寄り添って、私はそれこそ6ヶ月の妊婦さんです、という感じで二人で改札をくぐった。
改札は機械で自動化されているとはいえ隣にはちゃんと駅員さんが居る。
私がドキドキしながら横目で駅員さんを見ると、駅員さんは私と白さんを仲むつまじいラブラブの新婚さんとでも思ってくれたのかものすごく微笑ましそうにしてくれていた。
目が合ってぺこりと頭を下げてくれる。
ちょっと罪悪感。
心の中で何度も懺悔して私たちは電車の中に乗り込んで、白さんと見合わせた顔に苦笑を浮かべあう。
「だけど、ちょっとそれが楽しいです」
ちろり、と舌を出すと白さんはくすりと笑ってくれた。
電車は動き出し、その心地の良い振動が私の身体にシートから伝わった。
電車は最初は大勢乗客が居たけど、都心から離れるに従って人が少なくなっていき、窓の向こうの風景が山や川ばかりとなるとがら空きだった。
幸いにも電車の乗り継ぎは無く、この電車に乗ったまま目的地の県へは行ける事になっていた。
私と白さんが腰掛けたのは二人用のシートが向かい合っている席で、
私たちが座る席の前の席には短くはない時間の間に色んな人たちが座った。
「何ヶ月なの?」
目の前に座った幼い子ども連れの、そう私とは歳が離れていない女性が笑顔でそう聞いてきて、私が6ヶ月です、というと、
「じゃあ、もうつわりの酷い時期も抜けて、お腹の中で赤ちゃんが動き出す頃ね」
なんて、自分の体験談とかアドバイスを私に聞かせてくれて、
それから降りる間際に白さんに旦那さんの在り方なんかを教授なんかしていて、それは見ていてすごくおかしくって、そしてちょっぴりと白さんに同情してしまった。
後ろに流れていくように見える女性に手を振る。
眠ってしまった子どもを背負っていた彼女の顔はものすごく凛としていて、綺麗で、私もいつかあんな顔ができる優しい良い母親になれるだろうか、などと真剣に考えてしまった。
「大丈夫。類は友を呼ぶ。それは夫婦でも一緒ですから。優しくって聡明なアトリさんなら良い人と結ばれますよ」
だなんて白さんが言うから、私は照れてしまった。
だけど白さんと夫婦に間違われるのもまんざらじゃないな、などと思った事は、ナイショだ。
って、私がそう思っていた事、隣の白さんにばれていないよね?
向かいのお婆さんにもらった冷凍蜜柑を食べながら私が横目で白さんを見ると、穏やかな顔で亭主とはつわりで苦しむ女房の我が侭は黙って聞いてやらねばならん、とやっぱりご教授されている白さんと目が合って、私は慌てて顔を左右に振った。
そんなこんなで私たちが夫婦に間違われる時間も過ぎ去って、私たちはようやっとホームに降り立った。
電車の中では私が折ってあげた鶴やキリン、鯨を手に持って、もう片方の手を私にふってくれている子が泣きそうな顔をしていた。
見送られる側から見送る側にと転身して、わずか20分のその子との時間が頭の中を駆け巡って、何だか私まで泣いてしまいそうだった。
白さんを見るとやっぱり私を優しい顔で見てくれていた。
「さあ、行きましょうか?」
「はい」
私たちは最後の身重の妻に亭主が寄り添っています、という感じで歩き出そうとする。
そしたら、
「待って。そっちの改札口の駅員は推理小説マニアで、キセルする客やらスリ集団、置き引きを捕まえる事を駅員の業務よりもライフワークにしている奴だから、向こう側からの改札口で出て。バス乗り場には遠回りだけどね」
―――え?
何故だか耳のすぐ傍で吐息を吹きかけられながら耳打ちされたような気がした。
それでいてだけどどこかすごく遠くの場所から声をかけられたような………
「どうしましたか、アトリさん?」
それを空耳、と受け流すには、だけど忍びないような善意とそして、祈りにも似た思いを感じたから、だから私は、
「あちらの改札口から、出ましょう」
そう白さんに提案した。
駅の改札口を出て、バスの時刻表を見ると、まだバスが来るまでには時間があった。
だから私は白さんに柴犬君を任せて、駅前のデパートに入った。
デパートの正面玄関に入って直ぐの所に居る案内所の女の人にペットショップの場所を聞いてみた。だけどここには生憎とペットショップもペット用品の売り場も無い事も教えられ、私は少しだけしょんぼりとする。
と、
「あの、7階のアジア洋品店の売り場に行けば竹細工のバスケットがありますから、それを代用すればどうですか?」
確かに私は犬を入れるためのバスケットを探しているんです、という目的を話した覚えも無いのに、そう教えてくれた。
表情に、出ていたのだろうか?
私はその女性にお礼を言い、
今度じっくりと、帰りにでもまたゆっくりと見たいな、と思えるセンスの良いそのお店で竹細工のバスケットを買って、白さんの所に戻った。
バス停の椅子に座った白さんはだけど、柴犬を腕に抱いたまま眠っていて、
私はしばらくの間、白さんが起きるまでそのどこか幼い寝顔を眺めていた。
「あ、バス…」
「あと45分後です」
まだ眠そうな顔をする白さんに私は笑いながら言った。
「あ、あの、ひょっとして僕が寝てたせいで」
「大丈夫。しっかりと白さんの寝顔、堪能させていただきましたから。ほら、この通り写メも。だから、全然」
携帯電話で撮った写真を見せたら白さんは苦笑した。
さて、あと45分も私はこうして白さんとゆっくりと喋れるようだ。
それが楽しいと心の奥底から思えた。
あらかじめ電話しておいた時間からだいぶ遅れてしまったが、しかし彼女は家の前で私たちを待ってくれていた。
駆け寄ってきたその子は私たちの少し前で転んでしまって、私は慌てて彼女に駆け寄って、立たせてあげる。
スカートや服についた埃を払って落としてあげようとする私に彼女は抱きついてきて、
「ありがとう。ありがとう。ありがとう」
何度も言ってくれた。
私は嬉しいやら心配やらで苦笑してしまって、
それから彼女にバスケットの蓋を開けて、柴犬の顔を見せてあげると、また彼女は私に抱きついてきて、私はとても温かいものを感じながらその彼女をぎゅっと抱きしめた。
「どういたしまして」
【ending】
すっかりと私と白さんは女の子の家でご馳走になってしまった。
最終電車で何とか帰れそうな時間、人が余り居ない駅のホームで私は椅子に座りながら船を漕ぎ始める。
ものすごく眠くって、だけど眠るのが何だか躊躇われる、そんな感じ。
白さんと一緒に居られる時間を眠るのは何だか勿体無いし、
それにずっと一緒に居た小さな温もりが無くなってしまったのが寂しかった。
すっかりと情が移ってしまったあの愛らしい柴犬の姿が焼きついた瞼の裏。
それを見るのが何だか嫌で、それに泣いてしまいそうだったから。
半ば意地になって瞼を開いていると、そのまま深い眠りに落ちそうなそんな不思議な浮遊感に襲われて、
そして、
駅のホームの蛍光灯よりも仄かに明るい明かりの下にかわいらしいショートカットの女の子を見た。
彼女はにこりと微笑み、
眠っているのと起きているのとの間に居る私は、
その彼女にそんな感覚の中で微笑んだ。
「ありがとう」
彼女の唇がそう動いて、
それから彼女の小さな手に握られていた秋桜の花が私の足の上にあった手に手渡された。
お礼、そうおませさんのようなイメージを感じさせる雰囲気で呟き、そうして彼女は、彼女を照らす明かりの中を昇っていった。
それは夢だったのだろうか?
私は不思議に思いながら手の上にあるかすかな重みに目を落とす。
そこには確かに秋桜の花があって、それは私が瞬きした瞬間に髪留めに変わっていて、
それで横から伸びた白さんの手がそれを手に取って、そうしてそれを私の髪に飾ってくれた。
「良かったですね。本当に。全て」
優しく微笑む白さんに私は頷き、
それから、
「ごめんなさい。白さん、少し眠くって。電車が来るまで寝させてもらってもいいですか?」
「ええ、どうぞ」
私は髪をとめる髪留めの感触を感じながら思ったよりも広い白さんの肩によりかかって、そうしてまどろみの海に身を任せた。
瞼の裏にいる柴犬は、仲の良さそうな二人の女の子の間でとても楽しそうに、嬉しそうに尻尾を振っていて、
私はそれを本当に心から良かったな、と想った。
温かい気持ちで一杯になって、もう寂しくは無い、と完全に眠りに落ちる前に、そう思った。「うん、本当に良かったよ」
「おやすみなさい、アトリさん」
→closed
++ライターより++
こんにちは、柏木アトリさま。
いつもありがとうございます。
このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。
ご依頼、ありがとうございます。
アトリさんと柴犬の仔犬とのお話、プロットを拝見してすごく素敵で可愛らしいお話だなー、と想いました。^^
それにこちらの案も乗せて、と書かせていただいたのですが、いかがでしたでしょうか?
少しでもPLさまに楽しんでいただけていましたら幸いです。^^
柴犬の迷子、何故そうなってしまったのだろう? などと考えて、それで今回のお話の大本のストーリーが生まれました。
アトリさんの温かで優しげな雰囲気、
そして以前にお任せしてもらえたお話で知ったアトリさんと和紙職人のお爺さんとの過去。
優しさは受け継がれていく、環を成す、環を成して還る、そういう感じはいつも私自身が感じている事で、だから泣いている女の子にアトリさんが優しくして、
そういう必然には必然の理由があって、
そしてアトリさんが一生懸命に事に当たって、その応えが還ってきて、って。
そういう私の好きな感じを、思っているような事を交えつつ、少しでもPLさまに楽しんでもらえるようにアトリさんの物語を紡がせていただきました。
少しでもお気に召していただけていましたら本当に幸いだと想います。
最後の眠ってしまうシーンは、その光景を想像すると本当にアトリさんの寝姿は愛らしいですよね。^^
それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
ご依頼、ありがとうございました。
失礼します。
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