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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


歯車さんの押し売り

「暇なので、一緒に営業へ行こう」
「いきなりなんなんだ、はぐるま」
現れるなり己の言い分だけを主張したのは歯車という作業着姿の小柄な男で、顔がキツネというかネズミによく似ていた。肩から下げた鞄は大きく膨らんでいた。
 歯車の言う営業とは壊れたものを修理することなのだが、一つ困った癖があった。この男は修理をするついでに妙な改造を加えてしまうのだ。草間興信所の冷蔵庫が壊れたのを直してもらったときは、扉を開けるなり部屋中に吹雪が舞った。
「一緒にって、車でか?」
「いいや、それ」
指さされたのは、武彦が腰かけている二人掛けのソファ。
「シートの破れを直したとき、飛べるよう改造した」
本気か冗談か、と考える間もなく歯車はソファの背もたれに隠れていたボタンを押した。たちまちソファから翼とプロペラが突き出て、武彦と歯車を乗せたままベランダから飛び出していった。

 蝉の声が日傘の上に降ってくる、そんな猛暑であった。買い物帰りのシュライン・エマは片手にビニール袋をぶら下げて、もう片方で傘の柄をくるくると回していた。
 シュラインの日傘は黒い色に白の縁取りが入っており、ワンポイントのアクセントとして金色の蝶が刺繍されている。日傘のこの、蝶だけをじっと見つめているとだんだん目が回ってくるのだ。
 雲ひとつない青空の彼方からひゅるひゅるひゅると音がしたかと思うと、シュラインの目の前に見覚えのあるソファが墜落してきた。初めは気のせいかと、見覚えのあることが気のせいかと思ったのだが肘掛のところにある煙草の焦げ跡は、似せようとしても不可能な形をしている。
「・・・・・・」
おまけに乗っているのが武彦に、時々興信所の機械を修理してくれる歯車という知り合い同士。興信所のソファに間違いなかった。シュラインの頭の中に、蝉の声が一際高く響き渡る。
「なにしてるの?」
わざわざソファを運び出して日光浴でもあるまいし。馬鹿にしようと思えばいくらでもできる光景を目の当たりにすると、一応は真面目に訊ねてみなければならなかった。
「言いたくない」
そして武彦の言い分ももっともである。道の真ん中でソファにふんぞりかえる趣味は、武彦にはない。人の嫌がることをして楽しむきらいはあるのだが、そのために自分が目立つことは決してやらない男だ。そして、人から誘われると決して断れない気の弱いところも持ち合わせているのである。
「どうせ、歯車さんでしょ」
この暑いのに帽子もかぶらないで、とシュラインは武彦に日傘を傾ける。珍しく額から汗を滲ませる武彦は、買い物袋の中からミネラルウォーターを探す。
 そして、歯車は。

「・・・・・・壊れた・・・」
歯車は激しくうなだれていた。落下したときに傾いていたせいで、一本の足がぽっきりと折れてしまったのだ。自分の作成した機械が壊れるのを見るのは身を切られるような辛さで、さらに躁鬱の激しい歯車だったから落ち込むときにはとことんまで落ち込む。
「お前のせいだろ」
けれども武彦には、そんな歯車を罵る権利があった。なにしろ歯車が武彦を連れ出して、一人で運転して日傘の蝶に目を奪われ、勝手に落ちたのだ。
「もう、こんな奴放っておいて帰るぞ」
武彦はペットボトルを一気に飲み干し、立ち上がる。合皮のソファは焼けていて、触れているだけでも背中が湿る。今飲んだ水がそのまま汗に変わっていく感じだ。
 いつもなら武彦の傍若無人に付き合うシュラインだったが、今日は歯車を一人にはできないと思った。というより、今歯車を置いて帰ってしまうと。
「うちのソファ、どうするの?」
こんな道のど真ん中に放っておいたら、歯車ごと粗大ゴミ行きだ。言うまでもなく、今の興信所には新しいソファを買うお金なんてない。どの家具も家電もあと二年は使う予定なのだ、が、ほとんどが歯車の改良で半年ほど寿命を縮めている気がした。
 シュラインはあと一年半の寿命を覚悟して、しゃがみこんでいる歯車の肩を叩く。
「ねえ、直りそう?」
「・・・それが、あれば」
元気なくシュラインを見上げた歯車は、黒い日傘を指さした。その傘の持ち手が、ソファの足とぴったり同じ直径だった。きつねのように細い歯車の目ではあったが、目算は完璧なのであった。
「後で傘も直すから、な?」
「えっと・・・・・・」
「な?」
蝶の刺繍の黒い日傘は、シュラインのお気に入りだった。できることなら渡したくないのだが、なにをされるか知れない、歯車の声を聞いていると断ることがひどい困難に思われてきた。いつの間にか歯車の声は、普段の機械修理をねだる子供のようなそれに変わっていた。さっきまで落ち込んでいたのはなんだったのだろうか。
「なあ、なあ」
いつだってこうなるのだ。草間興信所にいる限り、歯車のおねだりにつきあわされる。武彦でさえ、諦めろという目をしていた。

 さっきまでソファを壊して落ち込んでいた歯車になら、今のシュラインの気持ちがわかるはずなのに。握り慣れた傘の持ち手が見る見るソファの片足に変わっていく様を、柄にもなくふくれっつらで執着するシュライン。日傘自体を提供してしまったので、直射日光の暑さで苛々しそうだった。
「?」
ふと、頭の上が涼しく陰る。雲でも出たのかと視線を上げたら武彦のジャケットが陽射しを遮っていた。
 夏だろうが冬だろうがハードボイルドを気取る武彦は、ジャケットを手放さない。向こうが透けて見せそうな安物を、シュラインは涼しそうねとよくからかっていた。
「・・・・・・」
相変わらず滝のような汗を流しながら、武彦はなにも言おうとはしない。こういうところも、ハードボイルドの男なのだ。こんな性格なのに、ソファで飛び回るなんてさぞ恥かしかったことだろう。
「ねえ武彦さん、ソファで飛ぶのってどんな感じ?」
けれどそんなメルヘンを味わってみたくなった、武彦と一緒にならば。
「ソファが直ったら、私も一緒に飛んでみたいわ」
「三人乗りじゃない」
武彦はつれない。歯車は子供のように小さいのだから、詰め込めば三人でも乗れるはずなのに。
「意地悪」
少し責めてみる。すると武彦はあっさりと、顔から火の出るようなセリフを言ってのけた。
「二人なら乗ってやる」
誰と誰が、と聞きたかったが唇が動かなかった。武彦の横顔は汗をかいているのに涼しそうで、けれど心中は逆に慣れないことを言ったせいで動転しそうなのだろう。シュラインは逆で、驚きが顔一杯に広がって火照っていた。
 それから数分、二人は言葉を交わさなかった。どうにか言葉を見つけたのは、武彦のほうだった。
「けど、残念だな。俺は操縦法を知らない」
メルヘンの固まりを操縦できるのは奇天烈な歯車だけだった。その歯車はソファの修理をとうに終え、シュラインの日傘の改造にかかっていた。
 あの傘でメアリー・ポピンズのように空を飛べればとシュラインは思った。シュラインもメルヘンは照れくさく感じるほうなのだが、今の気分は傘をさして空を歩いてみたかったのだ。

 だが、完成した新しい日傘は手動式だったのが自動開きになったこと以外、外見に変化は見られなかった。持ち手の先に小さなボタンがついているだけである。
「さ、使え」
「使えって言われても・・・」
だがなにか仕込んだのは明白である。なぜなら、日傘を開けとすすめる歯車がソファの陰に小さい体をさらにも小さくして隠れている。背もたれの上から茶色い髪の毛がわずかに覗いているばかりだ。
「開けばいいの?」
傘の先を歯車のほうへ向けると、やめろとますます身を伏せる。なんだか、とても危険な香りがする。一体歯車はお気に入りの日傘になにをしてくれたのだろうか。
「とりあえず、あっちに向けて開いてみろよ」
「そうね」
武彦に言われるがまま、人気のない道の向こうへ傘を向けて丸いボタンを押した。
 傘が開くと同時にパン、という大きな音がして強風が生まれた。それは標高数百メートルで受ける突風にも似ていて、シュラインは開いた反作用に吹き飛ばされかかる。周囲数十メートルに潜んでいた蝉が風圧に驚いて、一気に飛び立った。
「・・・お前、浮いたぞ」
倒れそうになったシュラインを支えた武彦は、呆然と呟く。
「軽いセスナくらいの噴射力はある」
武彦と喧嘩のときに使えば恐いものなしだとと歯車は笑った。だが、今現在のシュラインは喧嘩なんてするわけがないと信じていた。多分、この先一生ありえないというくらいに幸福を味わっていたのだ。そこへ頭から真っ黒な幕を落とされた感じである。
「・・・歯車さん」
今、シュラインがこの傘を使ってやりたい相手はすぐ目の前にいた。傘は、開くときはとてつもない威力なのに閉じるのは不思議にスムーズだった。
「目の前で開いてあげましょうか?」
今日会ったときから悲しんだりものをほしがったり機械に夢中になったり、いろんな表情を見せてくれた歯車だったが今また新たな一面を覗かせた。心のそこから怯えていた。
「歯車さん。私ね、二つほどお願いがあるの」
嫌とは言えない状況で頼みごとをするシュラインは、さすがに強かである。薔薇のように棘のある美しい顔で笑う。

 シュラインの二つの頼みごと。一つは言うまでもなく日傘を元通りにすることだった。ただしそれは、事務所に戻ってから。二つ目のお願いは
「歯車さんは、歩いて戻ってきてくださいね」
ソファは二人乗りだから、歯車は乗れないのだ。
 武彦もシュラインもソファの操縦法は知らなかった。けれど傘の風圧は、ソファをも飛ばすことができた。スピードはさほど出ないものの、ゆっくりと飛んでいればそれだけ二人きりの時間は長くなる。
「ねえ武彦さん、今夜はなに食べたい?」
「んー・・・・・・」
いなりずし、と歯車の好きなものを挙げるあたりは武彦らしかった。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

0086/ シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員

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■         ライター通信          ■
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明神公平と申します。
この話の楽しみは、皆様の道具を歯車がどのように
改造するかを考えるところです。
ただ所有アイテムにはなりませんが、ご了承ください。
最初にプレイングを読んだときは普通にほのぼのした
お話にしようかと思っていました。
でも、武彦さんとのシーンを強調したいと思ったら
なんだか急に歯車さんが邪魔になったもので
ちょっと意地悪なシュラインさまになってしまいました。
またご縁がありましたらよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。