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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


サマーナイト・クリスマス


「日和、こんな夕方からどこへ行くんだ?」
 そうっと玄関のドアに手をかけ、あわよくば気づかれないうちに出かけよう、なんて考えていた初瀬日和は、家の奥から響いてきた声に小さく声を上げてしまう。
 それからあわてて振り返り、取り繕うためにもにっこりと笑って見せた。
「……え、えっと、友達と花火に。お母さんにはちゃんと言ってあるわ」
「この前も行ったのにか?」
「こ、この前は、この前だし」
「それになんだ、その服は」
 奥の部屋から出てきてもいないのに、なぜ日和の服装が「見えて」いるのだろう。――あ、そうか、鏡の前で身支度していたの、見られてたんだわ。
 そうなると、きっと日和が出て行こうとする様子もずっと見張られていたに違いない。どうやら日和は、家人の察しの良さを侮っていたようだった。
「ちょっと出かけるぐらいなら、わざわざそんな服を着ていくことないと思うぞ」
「ね、この服……変?」
「変かどうかじゃない。あのな……」
 ついでとばかりに尋ねてみれば、歯切れの悪い言葉が返ってくるばかり。むぅ、と膨れつつ、日和はもういいわ、ときびすを返した。
「とにかく。行ってきます、帰りはちょっとだけ遅くなるから」
「おいこら日和、お前まだ高校生だろ!」
「じゃあね!」
「日和!」


 * * *


「……そんなわけでね、家を出てくるの大変だったんだから!」
「あ、そっか。そういえばこの前、みんな誘って花火行ったばかりだったな。あんまり何度も誘っちゃ、そりゃ日和怒られちまうよなぁ」
 夕暮れの海。ひと気のない、静かな砂浜だった。ここにいるのは日和たち二人だけ。
 日和は立ち止まり、傍らを歩く羽角悠宇をちらっと見上げる。目が合うと、悠宇は「急に誘って悪かったな」と困ったように肩をすくめつつ、日和の髪を優しくなでた。
 それで日和は――彼がささやくような声でそんな風に言うから、何もかも許してしまいたくなるんだわ。少しだけずるい、と日和は思う――慌てて言葉を付け加える。
「あ、で、でもね悠宇くん。私は……私は、その」
「ん?」
「今日、こうやって誘ってもらえて……嬉しかった、から」
 うつむきながらの言葉は、最後の方は波の音にかき消されてしまったかもしれない。ちゃんと伝わったかどうか不安で、慌てて日和が顔を上げると――そこに待ち受けていたのは、満面の笑みだった。
「……ん、知ってる」
「知ってるって、何が?」
「日和が、俺の誘いを嫌がってないってこと」
 心臓の鼓動、一拍の間。それから、もう! と軽く彼の体を押すと、あははと照れたように彼は笑った。


 ざん、と波が高く鳴る。
 高い位置で細かく散っている雲と、西の空を染めている幾重もの色のグラデーション。陽光に目がくらむばかりだった盛夏の頃と比べ、明らかに季節は移り変わっていこうとしている。夏休みももう終わりに近い。
 東の水平線から昇り始めているのは、赤銅がかった満月だ。
 少し前まで、海水浴客やサーファであれほど賑わっていた海に、今はたった二人きり。――ざん、ざざん。二人の会話の間を埋めるのは、ただ繰り返される波のリズム。
 満月が天に上がっていくにつれ、濃い藍のような夜の色が広がっていく。散らばる星たちの輝きは、今宵は満月に遠慮しがちだった。
 日和も、悠宇でさえも、口を開くのにちょっとだけためらってしまいそうな、静かで、凛とした空気。

「ね、悠宇くん?」
「んー?」
「今日……どうして誘ってくれたの?」
「んー」
「悠宇くん?」
「うーん、もうちょっと歩こうぜ。そこで話す」
 日和の手を軽く握り、そのまま日和の手を引くようにして、悠宇は前を歩き出した。
 行き先が分かっているような確かな足取り。だが決して早くはなく、日和に合わせられた速度。
 ――振り向かなくても、彼はきちんと日和のことを見ているのだ。
 宵を告げる、少し冷たい風が海から吹いてきた。長いスカートをあおられそうになり、日和は慌ててそれを抑えて――そしてふと、この服を悠宇くんはどう思ったかな、と思う。
 今日、日和が着てきたのは、真っ白なサマードレスだ。さりげなくレースがあしらわれている、日和お気に入りのデザインだったが、今年の夏はクローゼットの奥にかけたままで――それを、今日の誘いに思い切って着てみたのだ。
 ――そういえば、悠宇くん、この服どう思ってくれてるかな。
 鏡台の前で、何度も何度もくるりくるりとやった成果が出ていればいいのだけれど。


「なぁ日和」
 そんなことを考えていた時に、突然声をかけられたものだから、日和はまたびっくりしてしまった。
「な、なぁに?」
「あのさ。もしかして日和いま、すごくつまらなかったりするか?」
 振り向かないままの悠宇の言葉。見えないと分かってはいても、日和はまず何度も首を振った。
「そんなことないわ、だって、悠宇くんと一緒にいるだけで私は」
「よかった」
 日和の言葉の途中で、悠宇がくるりと振り向く。
 そこにはやっぱり、満面の笑みがあった。
「俺も今、すっげぇ楽しい」
 と、悠宇は背負っていたデイバックを砂浜に下ろし、しゃがみこんだ。慌てて日和もスカートをおさえてそれに従う。
 そして二人して覗き込んだバックの中から、悠宇が取り出したのは、小さなクリスマスツリーだった。
「……クリスマス、ツリー?」
「だけじゃないぜ、じゃーん」
 続いて取り出したのは、どう見てもホールケーキが入っていそうな白い箱。
「どうだすごいだろう」なんて悠宇は得意そうに笑ったが、目を白黒させるばかりの日和にようやく我に返ったようだ。「悪い悪い」と頭をかいている。
「どうして、ツリーと……ケーキ、よね? ここにあるの?」
「なぁ日和、南半球のクリスマスは真夏だろ?」
 ――悠宇はいつだって、場を明るくしてくれようと一生懸命だ。
 だから時々、彼の考えが突飛もなさすぎて、ついていけないことがある。
 きょとん、としてしまった日和に、ああごめんな変なこと言い出して、と軽い調子で悠宇は謝った。
 別にそういうのじゃないのだけど、と日和は苦笑する。
 それに意図が読めないながらも、自分を想って考えてくれたのだろうことは分かったから、嬉しいことには違いない。
「一度でいいから、真夏のクリスマスってやつを、日和と一緒に体験してみたかったんだ。でもそんな所まで、俺たち二人じゃ簡単には行けないだろ? だから、ちょうど真夏な今、クリスマスをやってみようかと思ってさ」

 ――日和と、一緒に。

 何気ない言葉に、日和の胸のうちがぽっと温かくなる。
 そして、そんなことを意識してしまった自分が少しだけ恥ずかしくて、「なんだか発想がユニークすぎるわ」なんて笑って見せたら、「でもお前だって体験してみたかっただろ?」と彼は口を尖らせる。
 その表情がとてもおかしくて、日和は今度は声を出して笑った。






 ざん、ざざん。
 誰もいない、静かな海。輪郭をぼやかせた満月が、夜の空に漂っている。
 ケーキを切り分けたのは、銀のケーキナイフではなく、悠宇のキャンプ用サバイバルナイフ。乾杯、とふちを触れ合わせたのは、シャンパングラスではなくコンビニの紙コップだ。中に入っているのだって、未成年らしく健全なティーソーダ。
「ごめんな日和。シャンパンだったらよかったんだけどなぁ」
「ふふ、悠宇くん、変なところで真面目なんだから。ティーソーダでも充分乾杯の気分を味わえるから大丈夫よ?」
「……なんだよ、そういう風に笑うなよなぁ。これでも結構、マジメに考えたんだぜ?」
「はいはい」
 肩を並べ、砂浜でお互いひざを抱えながら、海を向いてクリスマスケーキを食べる。
 明かりのない海は次第に闇を増してきた。まるで深遠にもつながっていそうな海を前にして、肩にそっと触れているぬくもりが優しい。
 原始、人は海から生まれたという。ならば海は、本来祈りの対象なのかもしれない。
 それなら夏の夜の海は冬の静かな夜に通じるものがあるのかもしれない、と日和は思った。
 ――なんて、少しだけ、『好きな人』の欲目が入っちゃったかな。
 悠宇以外の人にこの理屈を納得させることは、日和にも出来そうにない。


「よし、じゃそろそろ次に行くか!」
 日和がフォークを置いたのを見計らって、悠宇が立ち上がった。
「え、悠宇くん? 次って」
「なーに言ってんだ。クリスマスのメインはプレゼントだろ?」
 ――すっごいの用意してあるからな、びっくりするなよ?
 日和以上に、プレゼントをあげる側の悠宇が声を弾ませている。しかし、その様子を見て、急に日和の心に浮かんだのは、「なんとか引き止めなきゃ」という感情だった。
「あのね!」と大声を上げた日和に、悠宇は驚いたような目を向ける。
「なんだ?」
「……えっとね。ねぇ悠宇くん、もちろん私とっても嬉しいのよ? でも……プレゼントって言われても、私、何もお返し出来るものがなくって」
「当たり前だろ? 驚かせようと思って何も言わなかったんだから。ほら行こうぜ」
「待ってってば! ……私ね、あまり悠宇くんに、何かをもらってばかりだったり、頼ってばかりだったりするのはいやなの。いざという時、悠宇くんを支えてあげられるような、そんな対等な立場でいたいから」

 悠宇は軽く目を見張って、日和の次の言葉を待っている。
 ざざん――波の音。
 どうしよう、と迷っていたのはそれほど長い時間ではなかったと思う。それでも日和は必死に考え、そしてバックの中の手帳を取り出し、ペンを踊らせた。
「はいこれ、悠宇くん、約束」
「……なんだこれ」
 手帳から破られたページを手渡され、悠宇はそこに書かれた文字を闇にすかしてなんとか見ようとする。
「一年後の夏の、クリスマスプレゼント予約券。……また来年も、一緒に夏のクリスマスをしよう? ねっ、約束」



 ――ざん、ざざん。
 高まることもなく静まることもなく、淡々と繰り返される、夜の中の波の音。


 闇に浮かび上がるほど赤く頬を上気させた悠宇は、それからにぱっと笑い、ぎゅっと日和の手を握りしめて言った。
「ああ、約束だ」と。
「じゃあその時は、またその服着てきてくれよな。俺男だから良く分からないけどさ、その服は日和にすっごく似合ってると思うぜ?」