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享跳温度
みーんみーんみーん。
蝉の声は夏の代名詞とも言えるが、同時に暑さを力強く強調しているかのようにも感じられた。
「暑い」
ぽつり、と伍宮・春華(いつみや はるか)は言葉を漏らした。一緒に歩いている保護者は「もう少しだから」と彼を嗜める。
「だってさ、蝉がめっちゃ鳴いてるし。暑さ倍増なんだよな」
「そんな事言ったって、仕方ねぇだろうが」
隣を歩いていた、天波・慎霰(あまは しんざん)は呆れ気味に突っ込む。
「仕方ないのは分かってるんだけどさ、やっぱりこう……口にしておきたいっつーか」
「口に出されると、逆にこっちまで暑い気がしてくるんだけどな」
「気のせいじゃない?」
「気のせいだったら、どうしてこんなにも汗がだらだらと出るんだろうなぁ?」
ぽんぽんと繰り広げられる会話に、一緒に歩いていた保護者が「まあまあ」と二人を嗜めた。もうすぐ着くから、とも伝える。
その言葉に、春華はにっと笑って「それもそっか」と嬉しそうに言った。一方の慎霰は、ため息混じりに辺りを見回す。
こちらをじろじろと見ている大人が、何人もいた。訝しげに、ひそひそと眉間に皺を寄せながら話している。
明らかに、この三人連れに対して陰口を叩いていた。いや、もっと言えば春華に向かって言っているのだ。
「また、天狗の奴が来たよ」
「さっさと、いなくなればいいのに」
露骨な言葉に、慎霰は不愉快となる。オブラードに包むなんて事すらしていない、ストレートな春華に向けられた悪意。
慎霰は春華がきっと何か言い返すだろうと身構えた。こんな直接的な悪口を黙って聞いている玉とはどうしても思えないからだ。暴れだしたら、ある程度でとめてやらねば、とまで思う。
だが、春華は何もしなかった。
聞こえていないはずなんて無いのに、胸を張って颯爽と歩いていた。悪意たっぷりの言葉や、邪険にする視線など気にする様子すらなく。
そうして、慎霰が驚いている間にも保護者の家へ到着した。やはり嫌な感情をむき出しにしている家の中を通り、春華と慎霰は一番奥の部屋へと通された。
「……おい、春華」
部屋の中でとりあえず落ち着き、慎霰は春華に話しかける。保護者は挨拶があるため、この部屋にはいない。春華と慎霰、二人きりである。
「何?」
「お前、これって」
嫌な感じじゃないか。
そう言おうとした慎霰を、春華は肩を竦めながら「まあね」と答える。
「この町ってさ、あんまし俺にいい感情を持ってないし」
京都の片隅にある小さな町は、保護者の里帰り先だ。住人の大半は力の大小があるものの、退魔師だ。その為、力がある無しに関わらず、妖怪などの存在を知っている。勿論、古に封印された天狗が春華であるという事も。
それ故、町の大人たちは春華に対してよい感情を抱いていない。警戒し、封印し直せばいいとまで思う者もいる。
「何を言ってるかなんて、簡単に想像がつくなー」
春華はそう言ってけらけらと笑う。その様子に、慎霰は不思議そうに春華を見つめる。春華がそれに気づき、慎霰に「何?」と尋ねた。
「いや……言い返さねぇんだな、と思って」
「あいつらを怒らせたって、今更封印なんてされないってのは分かってるんだけどさ。つまらない事にはなりたくないじゃん」
「つまらない事?」
「だからさ、学校行けなくなったら」
ああ、と慎霰は納得する。だからこそ、春華は大人しくしていたのか、と。
「聞いている限りでは、あまり良いものじゃねぇな、里帰りってのも」
「そうか?」
「ああ。だけど、その割に春華はこの里帰りを楽しみにしてたが、何でだ?」
慎霰がそう言うと、春華はくすくすと笑いながら「あれあれ」と言って庭へ続く縁側を指差す。
すると、庭を囲む垣根からひょこひょこ、と巨大な山が生まれた。否、山ではない。人間の頭だ。人間の頭が、垣根の上にひょっこりと出てきたのだ。
「何だ?あれは」
「俺の楽しみ」
春華は、にっと悪戯っぽく笑い、縁側に座ってサンダルを履き始めた。いつの間にか持ってきていた、サンダルを。
「慎霰も来いよ。サンダル、お前のもあるし」
「あ、ああ」
不思議そうな顔のまま、慎霰も春華の後に続く。サンダルを履いて庭に出ると、改めてこの家が所有する庭の広さを実感した。退魔師の家だから、ちょっとした鍛錬などは庭でやるのかもしれない。
慎霰が感心しながら見回していると、垣根の頭が顔へと代わった。垣根に腕を引っ掛け、庭を見下ろすようにしている。
そこに並んだのは、少年達だった。にぱっと笑うその顔は、人懐っこい雰囲気をかもし出している。彼らは春華を見、一層の笑顔を見せた。
「よ、兄ちゃん」
「よ、お前ら。元気にしてたか?」
「あったり前じゃん。兄ちゃんがいない間、色々特訓してたんだぜ?」
子ども達と春華は顔を見合わせ、にっと笑う。慎霰はそこでようやく、納得した。
向けられる嫌な視線や、投げつけられる直接的な悪意。それらを学校に行けなくなったらつまらないから、とあえてスルーしていた春華。それだけ聞くと、この町に来る里帰りは酷く嫌なものにしか思えない。それなのに、春華はこの里帰りを楽しみにしていたのだ。
その理由は、目の前で繰り広げられる会話で分かった。春華は、少年達と会うことを楽しみにしていたのだろう。
「そっちは、始めてみる兄ちゃんだな」
「慎霰っていうんだ。俺の仲間で……」
「先にこっちに来たらどうだ?それでは手が痛いだろう」
春華の言葉をさえぎり、慎霰はそう子ども達に言った。子ども達は「それもそっか」と口々に言い合い、垣根から降りて裏戸へと回り始めた。
子ども達の姿が見えなくなってから、慎霰はため息をつく。
「どうしたんだ?慎霰」
「どうしたもこうしたもねぇよ。お前、あれはこの町の子だろう?」
「ああ。どいつもこいつも、面白いんだぜ?」
「そうじゃなくて」
慎霰は、ぐっと拳を握りしめる。
町を歩いてきて、この家に入ってきて、一度たりとも春華にいい感情を抱いている者を見ていない。それは春華が天狗だからだ。逆を言えば、天狗と分からなければそのような悪い扱いはしないかもしれない。
子ども達が春華に対して仲良く出来ているのは、そのお陰だろうと慎霰は考えたのだ。大人達がどれだけ春華を嫌っていようとも、子ども達は春華が天狗である事を知らないのではないか。だからこそ、春華に対して臆する事も嫌悪する事もないのではないか。
そうであれば、子ども達に自らの正体を言うのは得策ではない。決して。
慎霰がそういおうとした瞬間、裏戸から入ってきた少年達がぱたぱたと駆けながらやって来た。
「改めて、兄ちゃん久々!」
「お前らも久々!」
「で、こっちの兄ちゃんは初めまして」
「あ、ああ。初めまして」
にぱっと笑う少年達に改めて言うと、春華がにっと笑いながら「それでだな」と口を開く。
「慎霰は、俺と同じように天狗なんだぜ」
「ばっ……」
自ら正体をばらす奴がいるか、と慎霰は慌てた。こんなに春華に慕っている子ども達に、わざわざ距離を作らせるような事を言うなんて、と。
子ども達は一瞬大きく目を見開いたが、次の瞬間ぱああ、とより一層顔を輝かせた。
「すっげー!こっちの兄ちゃんもかよ!」
「え?」
慎霰は子ども達の様子に、思わず小首を傾げる。春華の方を見ると、にやにやと楽しそうに笑っている。
「お前ら……知ってるのか?春華も、天狗だって」
「知ってるよー。でもさ、兄ちゃんも天狗なんだろ?」
「ああ」
「すっげー!なあなあ、羽は?」
「兄ちゃん、羽出して!羽」
子ども達は嬉しそうに慎霰の周りを囲んだ。皆が揃って慎霰に翼の要求を出す。
「春華兄ちゃんも見せてくれたぜ?」
「そうだよ、だったら慎霰兄ちゃんだって、見せてくれたっていいじゃん!」
「ねぇねぇ、見せて見せて!」
わくわくとした目を向けられ、慎霰は子ども達を見回し、次に春華を見た。春華は相変わらず楽しそうに笑い、慎霰を見ていた。それくらい、いいじゃないかと言わんばかりに。
慎霰は一つため息をつき、小さな声で「仕方ねぇな」と言って翼を出した。ばさ、という音と共に慎霰の背に翼が生じた。
美しく、力強い天狗の羽が。
現れた翼に、子ども達は「おおー」と感嘆の声を漏らした。そして一気に慎霰の方に大はしゃぎで群がり、翼の羽をぎゅっと掴む。
「すっげ綺麗!」
「春華兄ちゃんのもすげーけど、慎霰兄ちゃんのもすげー」
子ども達は口々にいい、羽を掴む。慎霰はそんな子ども達の様子に戸惑っていると、春華がにやにやと笑いながら「すげーか?」と言って近づく。
「普通の鳥の羽と、大差ないと思うんだけどなぁ」
春華が子ども達に言うと、子ども達は「違う違う!」と口々に言う。引っこ抜いてしまった慎霰の羽を、大事そうに持ったままで。
「……春華、お前確信犯だな?」
楽しそうに笑っている春華を見、慎霰が恨みがましそうに言う。春華は「そうかなぁ?」と言いながらも、にやける顔を止める気はないようだ。
してやったり。
そんな心の声が、聞こえてくるかのようだ。
「お前、絶対予想してただろ?こうなるのを」
「いやいや、わかんなかったなー」
「嘘付け!さっき、こいつらお前の羽根も見たって言ってたじゃねぇか」
慎霰が春華と言い合っていると、その様子が楽しかったのか、周りにいた子ども達がけらけらと笑った。慎霰は軽くむっとしつつも、流石に子ども達を怒る気にはならない。
「ま、いいじゃん。遊ぼうぜ!」
「おう!兄ちゃん、今日はこれしようぜ、これ!」
子ども達はそう言って、ビーチボールを取り出す。
「ビーチバレーか。よっしゃ、やるか!」
「今回、兄ちゃんは二人いるから、一人ずつチームに来てくれよ!」
子ども達はそう言ってチーム分けを始めた。慎霰は、羽をしまいながら気づく。声に気づいた大人たちが、庭の方へと目を向けているという事を。
肩を竦めながら春華を見ると、春華はこれから始まるビーチバレーの事を考えているのか、楽しそうにチーム分けの様子を見守っていた。
「楽しいか、春華」
慎霰が尋ねると、春華は嬉しそうに笑って「勿論」と答える。
「慎霰は、楽しくないのか?」
逆に尋ね返され、慎霰はチーム分けをする子ども達を見つめる。皆、楽しそうにチーム分けのじゃんけんをやっていた。ポケットには、慎霰から引っこ抜いた羽を大事そうに入れたままで。
慎霰はにっと笑い、首を横に振る。
「楽しいな」
「だろ?」
にっと笑い合うと、チーム分けをしていた子ども達が「始めるぜ、兄ちゃん達」と声をかけてきた。春華と慎霰はそれに答え、子ども達の元へと向かった。それを見てひそひそと大人達が話しているのは分かったが、あえて無視をする。
慎霰が天狗である事を「凄い」としか言わない子ども達。その子ども達と一緒に遊ぶのに、どうして楽しくない訳があろうか。
「春華」
「ん?」
子ども達に近づきながら、慎霰はにっと笑いながら春華に話しかける。
「俺も、この里帰りが気に入ったぜ」
慎霰の言葉に、春華はにっと笑いながら「だろ」と返した。
ぽーんと弾むビーチボールの柄は、艶やかな緑をしたスイカであった。
<跳ぶような温度を享け・了>
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