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愛しの黒狼
「探偵のおじさん、助けて!」
勢いよく扉が開け放たれ、その第一声に草間は飲みかけの珈琲を噴出す。
戸口に立つのは6〜7歳の少女。
「何だ?オイ、こら!?ここは子供の来るところじゃ…」
「子供じゃないわ、レディに向かって失礼よ」
開口一番におじさんなどと、歯に衣着せない物言いをする奴の何処が淑女だと突っ込みたいところだが、それはまず置いておくとしよう。
「…そのレディとやらがうちなんぞにどんな助けを求めてきたってんだ?」
「アレクを守ってほしいの!」
「アレク…?」
察するにペットあるいはぬいぐるみか、人形の名前だろうか。
「アレクは人語を解す黒狼なのよ。ペットでもぬいぐるみでもないわ」
思考を読まれたのかと思ったが、多分顔に出ていたのだろうと少し反省する。
「――妖物ってわけか…人狼とかの類か?」
また怪奇がらみがとため息をつくが、ひやかしや子供の戯言という訳でもなさそうだ。
「アレクは何百年もの歳月長じた妖獣なの。それも特殊な一族で…その心臓には絶大な力が宿っているわ。それを狙っている連中がいるの」
小学生らしからぬ単語がポンポンと出てくることに違和感を感じつつも、草間は少女の話を聞いた。
「狙っている連中ってのは…?」
「虚無の境界」
その言葉に草間は一瞬思考が停止した。
全く想定していなかった展開だ。
「――を利用するつもりでいる連中よ。大規模なテロに打って出た虚無の境界は外部にも協力者を求めているわ。連中は虚無と対等に取引をする気でいる…その為に虚無に匹敵する絶大な力を欲しているの」
「…その為の妖獣の心臓ってわけか…」
本気で冷や汗かいたが、要はこれから虚無の境界にコンタクトをとろうとしている連中が、先方と同等またはそれ以上の力を得る為に、この少女の妖獣を狙っているということらしい。
「…連中の規模はまだそれほど大きくない。頭を叩いてしまえば散り散りになる程度の結束力よ。アレクを守って――」
「出来ることなら連中の頭も潰せ…と?最初の生意気な子供の口調は俺を油断させるためか?…アンタ……何者だ?」
見かけは小学生でも明らかに違う。
口調もいつの間にか大人のそれだ。
高峰心霊研究所や虚無の境界やIO2…どれかに関わる話を切り出せば、その他の組織についても多少なり知っていることがあるだろう。
これまでの経験上そう思っている。
少女は、いや、少女の姿をしたその者は浅くため息をついて苦笑する。
「だって最初からこの調子で話せばアナタ警戒して話聞こうとしないでしょう?――まぁ、体の成長は実験の後遺症で止まってるけれど、紛れもなく人間だから安心なさい」
ツッコミどころはかなり多いが、いちいち突っ込んでいては話も進まない。
草間は喉元まで出掛かっている言葉を飲み込む。
「今の名前はシャゼル=ベオク…IO2本部のオカルティックサイエンティストとして、かつてジーンキャリア研究に携わっていた者よ」
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■
「荒唐無稽ともいえる当方の話を信じてくださったこと…心より感謝します」
恭しく頭を下げるシャゼルに、自分のときと随分態度が違うなぁと訝しげな顔をする草間。
そんな草間を見てシュライン・エマは苦笑しつつ、彼の肩をぽんぽんと叩く。
「ささやかな望みがとても垣根の高い時もあるけれど、お手伝いしたい望みよね武彦さん」
またもや心臓に関係する依頼か…と思うと草間の胸中を容易に察することが出来た。
化け猫が運営する温泉旅館でまんまといっぱいくわされた草間。そして結局その化け猫にまた騙された。
それゆえ心臓というキーワードが彼の思いを複雑なものにしている。
「虚無の境界ね……この東京にこれ以上余計なものを持ち込ませるわけには参りません。怪異同士の潰し合いはともかく、単純な勢力拡大は容認しかねます」
そう告げて協力すると言ったのはパティ・ガントレット。目を閉じたまま、白杖を片手に佇んでいた。
「でっかい黒犬の心臓ねぇ…てーか心臓だけを何に使うんだか。もしかして食う為とか?」
天波・慎霰(あまは・しんざん)がシャゼルに尋ねると、何処からともなく声がした。
『犬ではない。私は狼だ』
その場にいた一同はぎょっとするも、声の主…アレクの姿はどこにもない。
「――アレク、協力していただくのだから『影』を飛ばすだけでいいから姿をお見せして」
『…わかった』
シャゼルの言葉にその声は応え、彼女の足元に落ちる影が揺れた。
足元の影が徐々に広がり、シャゼルの隣に伸びて大きく広がる。
そして平面にあったそれが徐々に盛り上がり、まっ黒な、大きな狼の形をとったのだ。
「これはアレクが私を通じて現した『影』よ。離れた場所にいる彼の意識を飛ばしてこの場で形にして見せているだけだから、今は触れることはできないわ」
それを聞いて慎霰はどれ、とばかりに手を伸ばすも、スカスカとすり抜けてしまうばかりでまったく手ごたえがない。
「犬も狼も大してかわりゃしねーって。形は殆どいっしょじゃん?」
『――念を押すだけ無駄か…まぁいい』
態度を改める様子のない慎霰に、影はため息をついたように僅かに動いた。
どうやら実体の方の動きをそのまま再現するらしい。
「パティさんも慎霰クンもお久しぶりね。とりあえず立ち話もなんだから、座って。ね?」
それぞれに席を勧め、お茶の用意をするシュラインは、チラリと『影』を見やる。
「(…黒狼といっても、アンドラスが随えてる狼とは……さすがに関係ないか)」
『厳密には私も判りかねるが、系統は天狼やオルトロス、ケルベロス、墓守グリムといったような、精霊や妖怪に近いモノなのかも知れない。さすがに悪魔の配下ではないと思うが』
「!あら」
お茶を持ってきたシュラインに、アレクがそう囁く。
思考を読む力まで?
人語を解する妖獣はよく耳にするけれど、さすがに思考を読む力を持った者は少ない。
ましてや遠く離れた場所からこれほどしっかりした形の分身を飛ばせるぐらいだ。
力の源である心臓が狙われているというのも頷ける。
「アレクのフルネームはアレクシス…守護者という意味だから、あながち間違いではないわね。犬も狼もイヌ科の生物だし、アレクの場合は単にそれでひと括りにできない存在だけど」
くすりと笑うシャゼル。考えてみればすべて何かしらを守る獣たちだ。
ということは、彼にも何か守るべきものが?
シャゼルの話からそんなことも考えてしまったが、これ以上横道にそれた話をしているわけにもいくまい。
アレクが人の心を読めると言うのなら尚更だ。
「――話を聞く限り…つまりは敵の目星はついてる、と。そういうことですよね?」
パティの問いにシャゼルは頷く。
シャゼルは端からパティを盲人とは思っていない様子だった。
その洞察力が、今まで敵の魔手から逃れてきた理由の一つなのだろう。パティの口元が僅かに弧を描く。
「敵は…虚無と手を結ぼうとしている集団の名はヨモツイクサ――…黒不浄を行い闇の呪法を高め、大勢の死霊使いを傘下にもつ集団…」
「頭目の正体とかはわかってんのか?」
ズズッと音をたてて茶をすする慎霰の問いに、シャゼルは苦笑気味に答える。
「…はっきりと、頭目の存在がわかっている訳ではないけれど…荒野の鬼神なんて二つ名ぐらいしか知らないの」
その二つ名を聞くなり、だっせぇ!と噴出す慎霰。
「それが単に持っている能力を示すのか…それとも、そのままの意味なのか…いずれにせよ、普通の人間ではなさそうね」
「とりあえずよ。こんな街中じゃあ守るのも攻めるのも無理ってモンだぜ。郊外の一軒家とか、敵が襲撃しやすく、こっちが罠を仕掛けやすいような場所はねーかな」
慎霰の言葉に、シャゼルはその手の作戦も含め、街中での戦闘を避ける為に一軒家を購入済みだと微笑む。
根回しのいいこった、と慎霰は笑う。
「それじゃあ、そこにアレクもいるのかしら?」
「その近くにいるってぐらいね。今ここで言えることは」
口元に指を当てて、詳細はここでは明かせないと言う。
敵が何処に潜んでいるか判らない上に、死霊使い以外にもどんな能力を持った輩がいるかわからないからだ。
「ではそろそろ向かいましょう。カムフラージュしているとはいえ、敵の詳細な能力がわかっていない以上いつ発見されるかわかりませんからね」
スッと立ち上がるパティ。それにシュラインも続いた。
「ともあれ、私は戦闘向きでもないし情報整理や二人の世話等中心に動いてるわね。武彦さん」
郊外に出るというなら、必要なものを色々と準備しなくては。
シュラインは興信所内にある物からかき集め始めた。
「俺の方はとりあえず、軽く罠の準備はしてきたからな。その一軒家の庭があるならばっちり仕掛けてやるよ」
「――よし。細かい説明は後で聞こう。…下手をすると虚無が介入してくる恐れがあるんだろう?そうなれば、アンタやその魔獣だけの問題ではなくなるからな」
虚無が絡むことになれば、零まで狙われる可能性が高い。
そして、下手をすればヨモツイクサにまで零が狙われる危険性がある。
「零、今回は留守番を頼む。誰もここに入れてはいけない。出来るだけ外へも出るな。扉にカギをかけて、ブラインドも降ろして…窮屈だとは思うが、俺たちが戻ってくるまで十分注意してくれ」
それまで会話に加わらず、シュラインと共にお茶出しや必要な物を揃える手伝いをしていた零は、ことの重大さにただ静かに頷いた。
勿論、零の力があればヨモツイクサの主戦力であろう死霊使いなど恐れるに足らずだろう。
しかし、万が一にもその死霊が…怨霊を取り込み力とする零の能力を逆手にとられでもしたらと思うと、彼女をこの依頼に同行させるべきではないと判断した。
「気をつけて…」
草間たちを送り出すと、零は静かに扉を閉めた。
「―――…お姫様とその従者を守って鬼退治か……冗談にもならんな」
煙草に火をつけ、草間は軽く紫煙を吐いた。
■
東京郊外にあるとある一軒家。
シャゼルの案内でやってきたそこはまだ開発中の地域らしく、建設中の家々がちらほらと並ぶ中に、広い庭を有し、鉄柵に囲まれた屋敷といっていいような立派な佇まいがある。
「視界も開けていて敵襲を知るにはちょうどいいでしょう。土地の中でも特に地脈の流れが強く安定した場所に立っている家を選んで購入した。トラップなどは好きに仕掛けてくれて構わないわ」
夜になれば敵の動きも活発になるから、その時は周辺住人が下手に騒いで事が大きくならないよう、誘眠作用のある薬を散布すると言う。
「木の葉は森へ隠せって格言に倣って、霊山等の土地自体が霊力ある場所や地脈の良い所等に力の質を同調させて判らなくしてしまえばって思ってたけど…」
「今の私で出来ることはすべてやったわ。エマ女史」
ただこれ以上は自分の力と知識だけではしのげないと判断したからこそ、怪奇探偵と名高い草間に依頼に行ったのだと。
そしてシャゼルが何度も怪奇探偵と口にするにするので草間の機嫌が余計に悪くなり、ふかす煙草の本数も増えていく。
「さってと。そんじゃまぁ俺はこいつらを庭に植えるとするか。皆なるべく庭に出ねぇように気ぃつけろよ」
慎霰が手にしているのは、異界『山界』に生息する植物で、普段は土の中で隠れているが、生物を感知すれば絡みつこうとする蔦である。
音楽が苦手という妙な特性があり、慎霰は仲間たちだけにこっそりと口笛吹いたり鼻歌歌ったりすれば寄って来ないと耳打ちした。
「俺は慎霰の援護にまわるよ」
屋敷の中へ入ってから、草間は二人にどう動くかと尋ねる。
勿論、シュラインは非戦闘タイプゆえに情報収集及びシャゼルとアレクの身の回りの世話にあたると言う。
「私は依頼人の警護を」
パティの姿に、慎霰はそれでか?と怪訝そうな顔をする。
今のパティは白杖をついている。
しかし彼女は盲人ではない。
あからさまに不安そうな顔をする慎霰に、パティは不敵な笑みを浮かべ、目を閉じたまま慎霰の立つ方向に顔を向ける。
「案じる必要はありません。これはお飾りですので」
目を閉じていても周囲のことはよくわかるし、なんら不自由などない。
だが今は、万が一邸内に敵が侵入した際を考慮して、敵を油断させる為に盲人を振りをしているのだ。
「ならいいけどよ」
もともと女性が苦手な慎霰は、ちょっとした事で泣き出すなよなよした女性は嫌いだが、この手のタイプは更に苦手かもしれない。と思った。
なまじ頭がきれて度胸が据わっている為に、些細なことでは動じない。
それだけならまだいい。
問題はそんな彼女らが十二分に力を発揮してこの依頼において貢献し、自分は微妙な貢献しかできなかった時のことを想像すると、体に力が入る。
「さて、それじゃあそろそろアレク本人?に会わせていただける?」
守る対象の事を知っておかねばいざという時にカバーしきれない。
詳細な事情を話すのは、ためらいが生じるところもあるだろう。しかしそれを明かしてもらわねば守りきれないかもしれない。
「まだ日も高い…今のうちに彼の元へ案内しよう」
屋敷の一角にある部屋。
妙な波動がバリバリと慎霰やパティの肌を刺激する。
「――…これは…」
「多重結界よ。進入コードを変更するから少し待ってちょうだい」
一度貼った結界に入れる者の数を途中から増やしたりなど並大抵のことではできやしない。
そんなことをするぐらいなら貼り直した方がはるかに早いのだ。
しかしシャゼルは貼り直す時の一瞬の隙が命取りなのだと。
「安心なさい。これは一般的な術者の用いる結界とは少し違うの」
言ったでしょう?ジーンキャリアの研究に携わっていたと。
そう言ってにやりと笑うシャゼルは、結界の一部に手を沿え、何語かわからない言葉をかける。
すると一瞬結界がゆれた。
「これでこの場にいる者だけはいつでも出入り可能よ」
さぁ、どうぞ。そう言われてくぐった扉の先には、部屋半分におびただしい量の注連縄が張られ、その中に身の丈二メートル以上の大きな黒い狼が座っている。
『おかえり、シャゼル』
「ただいま、アレク。調子はどうかしら?」
『今のところ問題ない』
シャゼルは一同を振り返り、まだ日も高いからその間にでも自分たちの事を説明すると言って微笑んだ。
■
「私がIO2でジーンキャリアの研究に携わっていたことは…言ったわね?実験の後遺症…というか副作用かしら。そのせいで体が元のサイズに戻らなくなってね。その時のメンバーだけならともかく、世代が代われば私自身を実験台にされかねなかったのでね…知能はともかく機動力が追いつかないという適当な理由をつけて、辞めさせてもらったわ」
そう簡単に辞めたと言うが、IO2という組織はその辺の会社と全く異なるものだ。
辞めるといってもおいそれと、簡単には辞めることなどできないだろう。
それこそ一生監視つきでもおかしくはない。
年配の、それこそ長年IO2に貢献したような人物ならともかく、今はこんな姿でも実験前まではシャゼルも普通の女性だったはず。
多大な功績をあげたからといってそうそう辞められるはずはない。
「まぁ、あっさり辞めたわけではないけどね。それなりの根回しはしたわよ?」
草間の考えていることなど容易に想像できたのだろう。
悪戯に微笑みながらシャゼルはそうのたまう。
「アレクの出来ることとか、ベオクさんが知っているまたは気になっていることがあれば教えてくださる?」
シュラインの言葉に、シャゼルは静かに頷いた。
「まずどの辺から話しましょうかね―――…アレクと出遭ったのは十数年前。組織を抜け、さてこれからどう暮らそうかと思っていた時に、いろんな国を旅していた頃だったかしら」
「その姿のままで?」
「この姿では何処へ行くにも大人の目があるでしょう?この姿で固定されてしまっても、一時的に体を変化させる薬はあるから、それを使って渡航したりしてたわね」
かばんの中には様々な薬が。
研究者時代に作成したものから、処世の為に使えると判断した薬とその材料の一部を抱えて。
「ヨモツイクサが接触してきたのもちょうどその頃…どこから私の辞職を嗅ぎつけたのやら…ま、嗅ぎつけたと言うよりは、妙な能力を持った子供がいるとでも聞き及んだのかしらね」
勿論、彼らの勧誘は断った。
これ以上組織というものに縛られたくなかったから。
ところが連中は執拗に接触してくる。
そして強硬手段に出ようとしていた頃だった。
「ドイツで、アレクに出遭ったの」
「ドイツで?」
「アレクシスと…アレクと名づけたのはその地でよ。出会った土地の言葉でつけたのよ。その時はまだ名前はなく、国では害獣と恐れられていたわ」
人の心を読み、人語を解し、『影』を操れる。
そして何より彼らの一族にはとてつもない生命力があった。
致命傷と言われるような傷を数分で回復させ、身体能力も通常の狼のそれとは段違い。
これで人の姿になれると言うならまさに天然の人狼。
長い間ジーンキャリアを研究していた、人工の亜人を作り出すことに専念していた自分の研究結果は、彼らの生命力の前には塵芥に等しかった。
野生の力。
オカルティックサイエンスですら、未だに超自然化で生み出された存在を超えることは出来ない。
そして、その時出遭った狼に。
アレクと名づけた彼に、自分は恋をした。
「やっぱり……研究者の性なのかしらね…彼を調べたくてしょうがなかったの。だから死にかけたところを助けてくれたアレクに…恩狼に対して本当に失礼なことだと思ったけれど、生態を調べたくて、ずっとつけまわしてたの」
それで暫くドイツに逗留していた。
彼自身、私の考えていることがわかっていたのだろう。
初めのうちは警戒して避けていたが、調べて気の済むものならと承諾してくれた。
「そこで彼が狼レベルの知能ではなく、人に近い…いえ人以上とも思える知能を持っているとわかったわ。情けない話…自分が本当に愚かしく思えたわよ。要はサッサと調べて帰ってくれ、そう言ってるんだからね」
まるで自分が本当に子供のようだった。
そこで急に彼の『内』を調べたいと思う衝動が消えてしまった。彼という個体への興味は尽きるどころか増すばかりだが。
「それでも、せめてその力の源が何なのかぐらいは…悔しいから調べておこうと思ったの。簡単に有り合わせで装置を組んで、彼を廻る力の中心を探ったわ」
「そして、それが心臓だった…と?」
「考えてみればそうなのよね。人も同じ。脳か心臓が力の核となっている場合が殆どよ。何かしらの依り代を持っていない限り、何が宿るにしても要は脳と心臓だわ。人間でいうサイコパスなんかも力の元は前頭葉の一部だしね」
古来から心臓というものは様々な呪的メカニズムの要となっている。
心臓が力の源でも何らおかしいことはない。
アレクの一族も、彼と同様に心臓を核にしてその力が循環している。
「彼にも群れがあった…そしてその群れの仲間すべて、彼のように力があった。でも群れのリーダーであった彼に匹敵する力の者は一頭もいない」
彼自身も、どのぐらい生きてきたとか、何が出来るのかとかいろいろ話してくれたと言う。
「そして…ドイツで生活を始めて十年が経ったわ」
この姿のまま街中では暮らせない。
山小屋の一つで自給自足の生活をしながら、時折やってくるアレクと共に生活していた。
しかし、それをあのヨモツイクサが嗅ぎつけた。
名前からするに日本国内が活動の主体だと思っていたからこそ油断していた。
奴らは自分と共に行動するアレクの存在にいち早く目をつけた。
「連中は私たちに接触してきたわ。勿論、彼が力の強い妖獣であるとひと目で見抜いていた連中は、私に付きまとわない代わりにアレクをよこせと言ってきた……アレクも私も、連中の意に従えば何をされるかなんて想像できた。だからこそ断った」
それからというもの、今まで以上に連中はしつこく迫ってくる。
このままでは彼の一族すら危ない。
それは彼もわかっていた。
「……だから、連中が他の一族に気づく前に…私たちはドイツを離れたの………本を糺せばすべて私の責任よ。私がドイツに滞在したから、連中に目をつけられてしまったのだわ」
「―――それで……その責任を取る為に…?」
「私一人では完全に連中を潰すなんてできないわ…悔しいけどね。連中を潰す。その為にはどんな事だってやってやる…貴方たちに協力を頼んだのも、どんなことでもの一つよ」
尻拭いを手伝わせるような事を依頼して、御免なさいね。と、シャゼルは苦笑した。
「…そうね…確かに尻拭いね。だけど、放っておくことも出来ないのよ」
IO2での経歴なんてどうでもいい。
妖獣がいるのも全く構わない。
ヨモツイクサという、怪異を操る集団がいても、直接関わらなければこちらから動くことはない。
けれど。
そのヨモツイクサが虚無と接触を図ろうとしているなら話は別だ。
「貴方の事情はともかく……アレクを連中にとられる事が、虚無の勢力を増すことに繋がるのは阻止しなきゃならないわ」
「―――…全ての神魔滅すること、それが私の最終目標……。ですが今はお生きなさい、憎い怪異よ。そして…新たなる生命を創ろうとする人間よ」
魔人マフィアの頭目であるパティにもそれ相応の事情がある。
自分を含むすべての神魔を滅することが彼女の目的。
その為に、怪異を操る勢力の拡大だけは真っ先に阻止しなければならない。
自分がすべてを滅ぼせるだけの力を手に入れるその日まで。
人工の亜人を生み出す研究に携わっていたシャゼルに、妖獣であるアレクに、彼女の言葉は向けられる。
「ま、そいつの持ってる能力とか、アンタの経歴とかはこの際どーでもいいよ。それよりもまずは…これから来る連中をどう迎撃するかってことじゃねーか?」
コンコンと庭に面した方向の窓を軽く叩く慎霰。
外はすっかり日も落ちて、夜の帳が下りている。
「嫌な臭いがプンプンするぜ。無数の腐臭が近づいてきやがった」
「来たか!」
慎霰の言葉に、草間も身構える。
人は少なくても住宅地。
なるべく大きな音を立てないようにと思えば、草間が扱う得物はたかが知れている。
「正体不明な連中と戦うのに飛び道具使えないのは痛いが……それでいちいち警察に嗅ぎつけられても困るしな」
「一応、サイレンサーつきの銃と銀の弾丸は用意してあるけれど……」
それを使うのは最終手段ということで。
しょっぱなからバンバン使えるほど儲かってないからな、と苦笑する草間。
もしもの時の為に、それはシュラインが装備することになった。
「気をつけてね、武彦さん、慎霰クン」
庭がざわめく。
幾つもの気配が屋敷を取り囲んでいる。
「…郊外とはいえ住宅地。アンデッドの投入はないでしょう。屋敷には死霊対策だけは施してあるわ」
よくよくいろんな所をみれば、窓や電化製品回り、水回りにはすべて呪符や退魔効果のある聖句が記されている。
「霊体は電気を媒介に結界内に侵入できると、聞いたことがありますね」
よくここまで徹底して結界を張り巡らせたものだと、パティは感心する。
「それでも完全じゃないわ。霊的なモノだけを警戒していたら、実は実戦部隊並の生身の兵を投入されたケースもあるからね」
勿論、三人寄れば文殊の知恵とは言わないが。
■
暗がりの中、幾つもの死霊が街中を彷徨っている。
「……チッ!なんだここは…操れそうな人間が誰一人いやしねぇ」
数少ない住人は、シャゼルのまいた誘眠香で深く眠らされている。
夢を見ることもなく。ただ深く。
夢を見せて精神の隙を作って憑依させることも出来なければ、脳も体も深く眠っているので憑依しても動かせない。
とどのつまりその程度のレベルの死霊使い。
敵の前衛がどの程度のレベルなのかぐらい、シャゼルは把握している。
頭を潰せば結束力を失くすといったのもその為。
荒野の鬼神に並ぶような、奴の右腕たる者すらヨモツイクサにはいないのである。
それでよく虚無と対等の立場に立とうとするものだと、ヨモツイクサに加担している身ながら常々感じているこの男。
だが、それもこの男なりの処世術なのだろう。
稀有な能力を持っているが為に周囲からは迫害され、腕を請われた時だけ媚び諂う一般人たちに嫌気がさしていた部分もある。
だからこそ何かきっかけがほしかった。
更なる力を、権力を有するきっかけがほしかった。
実際ヨモツイクサに加担してから、頭目である荒野の鬼神に死霊使いが使用する高レベル術具の製造法も教えられた。
「……魔狼の心臓か……他の死霊使いや邪術師連中に渡すわけにはいかねぇよなぁ」
その血一滴たりとも。
他の連中はまた別の任務に当たってる。
先に独自に調べたところ、自分が引き受けている以上の任務は与えられていない。
ならば、今がチャンスだ。
自分の力を誇示する。荒野の鬼神の信頼を勝ち取り更なる力を得る為には今しか、この任務しかない。
「さぁ死霊共。舞台の幕が上がったぜ。思う存分蹴散らしてきやがれ!」
■
「…冷たいな…」
パティが触れると、窓は氷のように冷たく、室内との温度差で水滴がついている。
「外に霊が集まってきているのね」
通常、ゴーストハウスなどで霊が行動を起こしたその時に室内の温度が低下する現象が起こり、騒霊現象が起きるとその時動かされた物体は僅かに温かく感じられるというが、区切りのない外でこれだけ気温が下がっているということは、それだけ霊がこの屋敷の周辺に集まっているということ。
「霊自身が意識するであろう縄張りの境界線の意味も込めて、柵を設置したからね。柵の中のこの屋敷の周辺だけ、今は真冬並みに下がってるんじゃないかしら」
「でもそれなら慎霰クンが用意したトラップはどうなるの?」
慎霰が庭に仕掛けた異界『山界』の蔓植物。
異界の産物とはいえ、この温度低下現象の中で活動できるのだろうか。
そんなことを気にしていた矢先、庭の方から金色の光が見えた。
「!何かしら」
「どうやらあの少年の力のようですね」
カーテンの隙間から庭の方向を見ると、刀身から金色の妖気が陽炎のように発せられた小太刀を、慎霰が掲げているのが見える。
慎霰の、天狗族の妖具。小太刀『忌火丸』
所有者が武具と同調することによって様々な変化を起こす。人間の武具よりも軽量で、天狗特有の敏捷性を活かした剣術に適している。
「ちぃっ死霊ばっかでめんどくせぇな!ちゃっちゃと頭を叩くか!」
天狗特有のその俊敏さを活かし、慎霰は襲い来る死霊をなぎ払いながら前進する。
死霊使い自身に、死霊を操る他肉体的に何かできることがあるわけではない。
それゆえ屋敷を攻撃していても本人は遠く離れたところから、死霊を通してその状況を見ているのだ。
「げっ!何だあのガキ!?」
人間ではない。
こんな話は聞いていない。
ガキと魔獣一頭だけという話ではなかったのか。
「荒野の鬼神…ッ嵌められた!?」
死霊使いは急に焦りだした。
その動揺が死霊たちにも伝わったのだろう。急に統率が取れなくなっていた。
「なんだぁ?」
死霊使いの集中力が途切れかけている。
慎霰が死霊を蹴散らすスピードが増す。
「アイツか!」
「げぇっ!?」
あっという間に、慎霰が死霊使いの喉元に忌火丸を突きつける。
すると屋敷を覆っていた死霊の集団は散り散りになり、外気も通常の気温に戻った。
「!気温が……もうやったのかしら?」
「…死霊使いは抑えたのでしょうけど、妙ですね。彼一人で制圧できる程度の規模しか送り込まれていない?」
アレクの心臓に執着し、力を得て虚無と対等の立場に立とうとするにしては必死さが感じられない。
妙だ。
何かがおかしい。
パティの六感がそう告げている。
「――どうやら慎霰一人でも十分だったようだ」
「!武彦さん、大丈夫だった?」
ノックもなしに部屋に入ってきた草間に驚いたシュラインは、慎霰とともに迎撃に向かっていた草間が死霊に攻撃を受けなかったかどうか心配した。
「いや、俺はなんとも…慎霰が即行で片をつけてくれたんでな…」
「危ない!!」
シャゼルがシュラインを突き飛ばした。
『シャゼル!!』
何が起こった?
今目の前で。
草間の手にはナイフが。
そこから滴り落ちる、真っ赤な血。
「武彦さん!?」
「………っあ………!」
よろめくシャゼルが床に倒れこむ。
「草間さんではない?何者!」
「正真正銘、草間武彦本人さ。でなけりゃここへ入ってこれるはずもないだろう?『瑠璃色の鳩』」
「貴様!」
魔人マフィアの頭目であることは、草間とて多少なりとも知っているだろう。
しかし自分につけられた異名までも彼が知っているわけがない。
「噂に聞いているよ……若き頭目。魔人・亜人を束ねる組織の存在を。その頭目の矛盾した思想をな!」
「……草間さんに憑依されたか…ッ」
最大のミスだ。
まさか憑依されるとは考えてもいなかった。
「ベオクさん!ベオクさんしっかりして!!」
シャゼルの腹からはおびただしい血が流れ、白いフリルを真っ赤に染めていく。
「……ほらね……計算外の要素は……何処にでもあるの、よ…」
「喋らないで!お願いだから!!」
衣服を破って止血をするも、シャゼルの体は子供の体だ。
いかに中身が成人であろうとも老婆であろうとも。
『シャゼル!』
「そこから出てはダメ!!」
血を吐きながらアレクを制止しようとするが、彼はそんなことには一切耳を貸さない。
そのまま結界を突き破り、シャゼルのもとへ駆け寄る。
『今治してやる!死ぬなシャゼル!!』
「だめ、よ……やめて、アレク…これ以上……」
人でなくなりたくない。
「ベオクさん…?アレク…?」
困惑するシュライン。
草間に憑依した何者かと対峙するパティも、その様子を背中越しに見守る。
「ほう……そんなことまでできるのか…」
「黙りなさい。これ以上近づけさせはしない。『荒野の鬼神』」
「…なんですって…?」
パティの言葉にシュラインは振り返る。
草間の中の者も、その言葉に一瞬驚いたような顔をするが、すぐににやりと不敵な笑みをうかべる。
「お察しの通り……ヨモツイクサ頭目、荒野の鬼神とは私のことだ」
「死霊使いを囮にして……こちらの情報は筒抜けだったわけですね…」
シャゼルが草間たちに協力を依頼したこと。
草間の下にどんな者が集まってきたかなど。
すべては…
「嵌められたんだよ。コイツもな」
「慎霰クン!」
慎霰の隣にはふらふらと揺れながら佇む見ず知らずの男が一人。
状況から見て催眠状態にあるようだ。
「こいつは何も知らなかった…それどころか頭目である荒野の鬼神についても、何一つ知らなかったんだぜ?それでコイツ、自分の意識が途切れる前になんていったと思う?」
荒野の鬼神に嵌められた、と。
それを聞いて荒野の鬼神は高らかに笑った。
「際になってようやく気づいたのか!鈍い奴だ」
お前の野心などお見通しだった。荒野の鬼神はそう呟き、死霊使いをあざ笑う。
「………」
何を思ったのか、慎霰は死霊使いにかけた催眠を解いた。
すると正気に戻った死霊使いはここは何処だとばかりにうろたえる。
「あ!さっきのガキ!?こ、ここはどこだ……魔狼!?」
「やれやれ…まさかここまで使えない奴だったとはな…」
草間の声ではない。
その声に、死霊使いの表情が変わる。
「………その声は荒野の鬼神…?何故だ?何故俺を嵌めた!!」
「私は忠実な手駒がほしかっただけだ。有能な手駒がな。だが…十数年経ってもろくな者が集まらない上に集まるのはお前のような半端な野心家ばかり」
もう面倒くさくなったのだと。
「虚無など私だけで掌握してくれる!」
その為には力が。
絶大な力が必要。
「させません!」
パティの拳法が荒野の鬼神目掛けて繰り出される。
「武彦さん!」
「!」
「その判断が命取りだ。『瑠璃色の鳩』」
強烈な念動力がパティの体にのしかかる。
突然上から巨大な石でも置かれたかのように、床に突っ伏した状態で身動きが取れない。
「くっ…!」
奥の手とばかりにパティは開眼してその姿を捉えようとした。しかし。
中身は荒野の鬼神でも、視界に入るその姿は草間本人のもの。
パティの呪いがかかるのは草間本人だ。
「来ないで!」
アレクはシャゼルに治癒の力を送っている為動けない。
ならば自分しかいない。
銃口を草間へ向ける。
使うことがないと思っていた銀の弾丸。
念の為に事務所にあったストックを持ってきただけなのに。
まさかそれを草間に向けることになろうとは…
「来ないで!!」
撃たせないで。
シュラインの願いなど通じるはずもなく、荒野の鬼神は一歩一歩近づいていく。
ところが。
「!」
「あ〜ぁカッコ悪ぃ……だが、この場はこいつらに恩を売っといたほうがよさそうだ!」
「貴様…」
慎霰に道具を奪われた死霊使いは攻撃するすべもなく、草間の体を羽交い絞めにする。
だが、念動力が死霊使いを襲い、体が軋みを上げる。
「ぐあぁっ」
「そのまま押さえてろ!」
その俊敏さで一瞬にして草間の視界に入り込んだ。
「天狗は修験者の魂が変化したものだって言われるぐらいになぁ。神通力にゃあちょいと自信があんだよ。てめぇその体から追い出してやる!!」
「なっ…!?」
慎霰の拳が草間の鳩尾に沈む。
「武彦さん!」
「!」
慎霰が拳を突きたてた瞬間、パティの体のかかる重圧も消えた。
そして、草間はその場に崩れ落ちた。
慌てて駆け寄るシュラインは、草間の呼吸や脈拍を確かめる。
「……よかった……」
正常な音。
ホッとしているシュラインを後目に、慎霰やパティは険しい表情のまま。
「まだ終わってねぇぞ」
のそりと起き上がったのは、草間にしがみついていた死霊使い。
気配が違う。
「…今度はそちらに憑依しましたか…勝機を与えてくれた者ですが、仕方ありません」
パティは慎霰にぼそりと、自分の視界に死霊使い以外入らないように誘導してくれと囁く。
何か策があるのだろうと踏んだ慎霰は、静かに頷き、その指示に従った。
「盾にする材料はなくなってしまったが…まぁいい。コイツも最後に役に立ったというわけだ」
慎霰が忌火丸で荒野の鬼神に斬りかかる。
すると素手のはずなのに、その一撃が腕で受け止められてしまった。
「なんだと!?」
「本当の死霊使いってなぁ、媒介が無くてもこんなことができるんだよ」
忌火丸の切っ先と荒野の鬼神の腕の間に何か蠢くものがある。
これは…
「!死霊!?」
小太刀を引いて距離をとった慎霰。
「さすがに天狗の小太刀はきくなぁ…死霊がだいぶ飛んでしまった」
結界を張ったシャゼル自身の意識がない以上、あれだけしっかり張っていった結界は用を成さない。
「…荒野の鬼神も、死霊使いだったのね…」
ようやく意識を取り戻したシャゼルが、よろめきながら体を起こす。
『シャゼル、まだ完治していない。じっとしていろ!』
シャゼルをかばいながら前に立つアレク。
そして、気絶したままの草間を抱き起こし、シャゼルの傍に寝かし、シュラインがアレクの前に立った。
『女史、貴方も危ない。私の後ろに隠れろ!』
「そうはいかないわ!貴方を守るのが依頼ですもの!こればかりは聞けない」
銀の弾丸が込められた銃を構えながら、シュラインはアレクに声をはる。
「出来れば殺したくはねぇが…そうもいってられねぇな!」
慎霰の剣戟が繰り出され、そのつど荒野の鬼神は死霊をまとった腕でそれを受ける。
そのたびに消滅していく死霊の声が頭に響く。
「今よ!」
「?」
「わかった!」
パティの合図でその場から離脱する慎霰に荒野の鬼神は身構える。
何をする気だ。
「―――もうひとつの異名を知るがいいわ」
パティの眼が開かれる。
「何?」
その瞳はしっかりと死霊使いの姿を、荒野の鬼神を捉えた。
「なっ…あが!ごふっ…」
死霊使いの体が悲鳴を上げる。
「覚えておくといい。このアイスブルーの瞳を」
開いた目の視界に入れた事物に対し、さまざまな呪いを与える。それがパティの瞳に隠された力。
「お、のれ…ッ」
「あっ 野郎!」
慎霰が中空を見上げると、死霊使いの体から黒い靄のようなものが抜け出し、そのまま窓をすり抜けて去っていった。
「逃がしたか…」
舌打ちする慎霰に、パティは目薬を差しながら心配ないと告げる。
「逃した時の事を考えて…呪いの強度をあげておきました。死霊使いの肉体は呪いの侵食で既に事切れております。あちらも…」
中に入っていた荒野の鬼神の魂にも、彼女の呪いは届いている。
時間差というだけの問題。
「肉体にたどり着く前に、魂は四散するでしょう」
おかしい
視界がゆがむ
あんな未知数の力を持っているとは
妙だ
体が見えているのに近づけない
何故だ
何故だ 体から遠ざかっていく
あのままでは体が死んでしまう
おい
何故近づけない
何故だ!!
遠くに見える己の体に近づく手下。
声をかけても返事がなく、そのままぐしゃりと、体が崩れていく。
パティの呪いが、魂の先に繋がった肉体さえも侵したようだ。
そして、ヨモツイクサ頭目『荒野の鬼神』の変死によって、集団は蜘蛛の子散らすように跡形もなく消えた。
すべてが、終わった―――
■
「…随分と己の力を過信していた輩だったみたいだな」
目覚めた草間に状況説明をするシュライン。
パティはいつものように目を閉じたまま。
慎霰はまったく活躍どころの無かった草間をケラケラと笑う。
そして。
「皆さん、このたびは本当に有難う。本当に……」
アレクによる治癒が完了したシャゼルは、今までの搨キけた才女を思わせる態度とは違い、涙を流し感謝の意を述べる。
草間も慎霰も、女に泣かれることほどうろたえる事はない。
慌てる二人をよそに、パティは依頼料は後日受け取りに行くとだけ言い残し、屋敷を後にした。
そして、先ほどのシャゼルの言葉が頭に残っているシュライン。
「あの、ベオクさん?さっきの言葉は……」
「――明日、依頼料と成功報酬を持って興信所に伺うわ。その時……きっとわかるはずよ」
貴方が抱えている疑問が。
シュラインが何を言いたかったのか察したのだろう。
シャゼルはそれだけ告げるとアレクとともに屋敷を後にした。
■
翌日、シャゼルが指定した時間に一同集まっていた。
「……何がわかるのかしら…」
「ベオクに何か言われたのか?」
草間の言葉に、何でもないのよと苦笑する。
そして、約束の時間がきた。
事務所の扉の前に写る人影。
「え…?」
妙だ。
シャゼルは子供の姿。
あの高さのすりガラスに影が映るはずはない。
「遅くなってしまって御免なさい。小切手にしようかと思ったけれど、現金の方が信用があるでしょうから。準備に手間取ってしまったわ」
声が僅かに違う。
扉が完全に開き、視界に入った人物を見てシュラインは驚いた。
「ベオク…さん…?」
目の前に佇むのは、長い金髪の美しい女性。
年の頃は、二十代後半。
「これが、昨夜の答えよ。エマ女史」
「確かに、昨日の奴と同じ匂いがする…どうなってんだ?」
眉をひそめる慎霰。
「やはり、既に人ではなくなっていたのですね」
パティはため息混じりに呟く。
何より一番ショックが大きかったのはシュラインだ。
昨夜の、人じゃなくなるとかすれる声でつぶやいた言葉の意味がわかってしまったから。
「―――…依頼しに来た時点で…貴方は既に半分以上、人をやめていたのね?」
「正確には…殆ど、かしら。だから最後の砦だった…命の流れには手を加えなかったのだけど…」
昨夜のアレクによる治癒で、僅かに残っていた人の部分が、人としての命の流れが止められてしまった。
「アレクを怨んではいないわ…ただ少し悲しいだけ。あれだけ人工的に人外のものを誕生させる研究をしていたというのにね…」
いざ自分のこととなると、僅かでも残っていた自分の人間の部分が愛しく思えた。
「アレクの力はね。望めばなんだって出来るものなの。ただ、彼がそれを望まないだけ…人語を解したり、心を読んだり、影を飛ばしたり出来るのは、それが必要だと思ったから…」
そして、望めば何でも出来るといっても、今までやった事のないことをしようとすれば、当然制御など出来るはずがない。
シャゼルもそれを分かっていたからこそ、アレクにやめろと言ったのだ。
そして推測どおりに、シャゼルの体は最後の人としての部分を失い、完全なる妖物になってしまった。
「でも後悔はしない。これからはずっと一緒にいられるんですもの。姿も…実験の後遺症前の本当の年齢から、昨日までの七歳の姿まで自由に変えられるようになったわ」
薬を使うことなく。
「有難う。皆さんには、心より感謝します…」
これからは互いの時が止まるまで。
何十年。
何百年。
共に塵と化すまで。
「――おめでとう…」
シュラインの言葉にシャゼルは微笑み、そして興信所を去っていった。
何故その言葉を選んだのか、シュラインにも分からない。
けれど、言葉にしたからには、心の奥でそう思ったからなのだろう。
そして興信所から遠ざかるシャゼルの背中を窓から見送り、ふと空を見上げれば。
涼しげな秋の空が広がっていた――…
―了―
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1928 / 天波・慎霰 / 男性 / 15歳 / 天狗・高校生】
【4538 / パティ・ガントレット / 女性 / 28歳 / 魔人マフィアの頭目】
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■ ライター通信 ■
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こんにちは、鴉です。
シュラインさん、いつも御愛顧頂き感謝至極。
パティさん慎霰さん初めまして。
このたびは【愛しの黒狼】に参加頂き、まことに有難う御座います。
最初に入って下さった方には、遅くなってしまい大変申し訳なく…
それぞれの個性やプレイングを活かしきれたかどうかやや不安もありますが、お気に召しましたなら幸いです。
ともあれ、このノベルに関して何かご意見等ありましたら遠慮なくお報せ下さい。
この度は当方に発注して頂きました事、重ねてお礼申し上げます。
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