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<東京怪談ノベル(シングル)>


ある天才科学者のボヤキ

●夏の嵐
 台風が近づいていた。
「これは……今日は泊まっていったほうがいいかもしれませんね」
 宇奈月慎一郎は、がたがた揺れる窓際に立った。
 慎一郎の自宅はできたてほやほやピカピカとは言えない洋館だが、台風ごときでがたが来るほどやわじゃない。風も雨も強くなってきた中を帰るよりは良いんじゃないかと、王禅寺万夜に勧めた。
「そうですね……」
 万夜もソファーを立って、外を覗いた。雨が窓を叩いて視界が悪い。駄目そうだなあと重い空を見上げる。
 ふと慎一郎は視線を下に向けた。雨が玄関先の石畳を叩きつける中、黒い傘が見えた。
「誰でしょう、こんな雨の中を」
 そう呟く間に、玄関のチャイムが鳴る。
「ちょっと待っていてくださいね」
 と言って、慎一郎は玄関に向かった。

「こちらが宇奈月さまのお宅かなぁー、もう!」
 客人は覆面をかぶっていた。雨のせいでか、ぼやいている。
 雨避けに覆面などしているのではないだろうということはわかる。顔を見られたくないのだろうかと思いつつ、まずその点に突っ込むべきか悩みながら、慎一郎は応対した。
「そうですけどー」
 相手につられて間延びした返事を返す。
 客人は、年の頃は慎一郎と同じくらいか。25歳あたりだろう。がりの痩せ型だが、見えている部分の肌は若い気がした。特徴的な声……というか特徴的なイントネーションの青年だ。
「お願いがあって来たんだけど、聞いてもらえないかしらねー」
 外は嵐。そんな中をわざわざ来た人を追い返すのは非情というものだ。覆面を外さないところは、怪しいことこの上ないのだが。
 まあいいか。
 わずかの間を置いて、慎一郎はそう判断した。どうにかなるだろう、と。
「じゃあまあ、上がってくださいな」
 そして、応接間に戻る。
 応接間に入るとそこで待っていた万夜はぺこりと会釈して、三人掛けのソファーを横にずれた。
 覆面の客人は少しきょろきょろした後、一人掛けのソファーに座った。
 慎一郎はワゴンのポットからお茶を三人分淹れなおし、それを置いて、三人掛けのソファーのほうへ腰を下ろす。
「僕チャン、実は! 教えてもらいたいことがあるのよう」
 偉そうな割に、それとなく下っ端感の漂うオカマっぽさ。なんだかどこかで知っているような既視感を感じる。そんな気分を抱きつつ、慎一郎が訊き返すと。
「なんでしょう?」
「陽子原子炉の基本構造なんだけどねーん?」
「……はい?」

●ある天才科学者の苦悩
 原子炉の構造なんて、そもそも素人が知る必要のあることか。いや、ない。
 そんなものをなぜ知りたいのだと疑問に思うのは当然だろう。
 あっけに取られたのはわずかの時間で、とりあえず問うてみる……ところまでは、慎一郎の意識もすぐ戻ってきた。
「なんだってそんなことを知りたいんで?」
「それは聞くも涙語るも涙なのよう〜! 僕チャン!」
 客人はぽりぽりと胸のあたりを掻きながら、答える。
「は、はあ」
 さめざめ。
 泣いていても、どうもコミカルな印象がぬぐえないのは喋り方のせいだろうかと思いつつ、先を促してみる。
「それで……」
「実はねぇん、こー、何とは言えないんだけど、探してるものがあるのよん」
 主人の所望するあるものを探しているのだと、青年は言った。
「なんだけども、強敵がいて……きぃー!」
 ライバルが毎回邪魔をしにきて、上手くいかないのだとハンカチを噛み、地団駄を踏む。
 そこからしばらく、ライバルのぼやき話が続いた。
 まだ子どもだというのにライバルは滅法強くて、自律型の乗り物……ロボットに乗って現れる。そしてケンダマを改造した武器を振り回したり、パートナーの女の子はステッキ状にしたスタンガンを使ったりするのだそうだ。どうやらそれらはお手製らしく、ライバルは天才科学少年らしい。
「僕チャンだって、負けてないわよ!」
 聞いていくと、青年はやはり科学者であるらしかった。やっぱりロボットを作るのだという。
 こちらは人も乗れる巨大ロボット。
 ほうほう、と慎一郎も身を乗り出した。
「なんだけど、コレがかかるのよねぇ……」
 ぼやきつつ、青年は人差し指と親指で丸を作る。
 金だ。
 世の科学者の、多くがそこで躓くという研究費の問題。
「どうにか稼ぎ出してるんだけどねぇん……」
 足らないことも時にはある。それが敗北の原因になっているのではないかと、意外に真面目に青年は考えているようだった。
 そこでだ。
 少しでも節約はしたいが、開発費をケチると粗悪なものになって、負けてしまうかもしれないなら。
 運用費のほうを節約できないかという考えに至ったらしい。
「それで原子炉」
何か間違ってるような気がしなくもなかったが、客人はこれに膠着している状態を一気に打破する期待を寄せているようだった。
「そう、原子炉」
 ぐっ、と指を立てて覆面の顔をずいっと近づける。勢いにつられて、覆面が劇画調に見えた気がした。
 原子炉については初心者だが、天才科学者だから大丈夫らしい。本当にそうかどうかはさておいて、そう納得させられそうな勢いはあった。
「……わかりました! お教えしましょうっ!」
 勢いに押された結果。一肌脱ごうじゃありませんかと立ち上がり、慎一郎は本を一冊出してきた。
 後は愛用のバイオUを立ち上げて、ネットでわかりやすいページを探す。
「どれが一番安くいけるかしらねぇん」
「運用費が安くても、開発費が高いのは駄目ですよね」
 基本が一番かと軽水炉の説明から始める。
「加圧水型軽水炉とかがいいんじゃないですか。ロボットって言っても人間サイズじゃないんですよね」
 あれやこれやと教えて、時間は過ぎて。
「ああっ、僕チャンもう帰らないと!」
 ふと時計を見て、いきなり覆面の青年は立ち上がった。
 外は静かだった。台風の目に入ったのかもしれない。
「気がついたらこんな時間ですね。まあ、また何かありましたら」
 最後に、と、慎一郎は客人に名前を訊ねた。
「僕チャン? 僕チャンは」
 ぼそぼそと聞き取りにくい返事を残して。
「全国の女子高生のファンの皆すゎーんっ! 待っててチョウダイね〜〜〜〜」
 青年は嵐の隙間に飛び出していった。

「なんかすごい人でしたね」
 横で聞いていた万夜が、二人に戻ったところでそう呟いた。
「そうですねえ……やっぱり従者なんですね」
「従者?」
 そう、運命的に従者である名前を言っていったのだと慎一郎は答える。
「なんて言っていったんですか?」
「万夜クンの年齢じゃ知らないんじゃないですかねえ」
「えー?」
 教えて欲しそうに不満の声をあげる万夜に、慎一郎は耳元でひそひそと言った。
「彼、ボヤ……」
 また吹き出した風雨が窓ガラスを叩いて、声を掻き消した。
「…………」
 慎一郎は内緒話の邪魔をする窓を見る。
「ボ――」
 ひときわ音が大きくなった。
「……ダメっぽいですね?」
「ダ……ダメですか?」
 ダメっぽい。
 大自然の驚異がそう言っているらしい。
 ――そんな、ある天才科学者のボヤキを聞いた台風の日の午後。