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砂の盾
もう誰にも邪魔はさせない。
これからはずっとずっと一緒にいよう。
僕は永遠に君を愛し続ける。
たとえ先に逝ってしまっても、僕は君だけを愛し続ける…。
「ちょっと相談に乗ってくれますか?」
そう言って草間興信所に入ってきたのは、喪服に金髪というアンバランスな格好の青年だった。青年はポケットから黒い名刺入れを出しながら武彦に挨拶をする。
「菊花葬祭でエンバーマーをやってる夜守鴉(よるもり・からす)です。以前は大変ご迷惑を。これ、皆さんで召し上がってください」
そう言って差し出されたのは和菓子屋の熨斗がかかった箱だった。それを受け取りながら武彦は鴉を応接セットに通す。
「今日はどのようなご相談でしょう?」
「実は、この前の葬儀が変だったんで、その相談を」
…どうやらまた普通の事件ではないらしい。武彦はポケットから残り少ない煙草を取り出して火を付ける。
鴉が勤めている菊花葬祭は、エンバーミング単体の受付もやっている。家族だけで小さく葬儀をする場合は会場なども使わないので、エンバーミングと火葬場までの行き帰りだけをやることもあるらしい。
「で、この前自殺した若い女性のエンバーミングをしたんだけど、やっぱり小さい葬儀で若い男の人が一人だけ付き添いって感じだったんですよ」
「まあそういうこともあるだろうな」
だが、鴉は武彦の話を聞いた後、自分のポケットから缶コーヒーを出してこう言った。
「…俺が家に運んだときと、火葬場に行くときの柩の重さが微妙に違ってた」
それを聞き、武彦の手が止まる。鴉は缶コーヒーを飲み、カン!と音を立ててそれをテーブルに置いた。その表情は頭痛をこらえるかのように憂鬱に満ちている。
「そして火葬中に男が消えて、骨上げされたのは人じゃなかった…おそらく男は遺体を持って何処かに消えたんだと思う」
確かにエンバーミングされている遺体なら、腐敗することもないだろう。だがそれは死者の尊厳を傷つける行為だ。まして死亡した者が自殺だったのであれば、なおさら安らかに眠らせてやりたい。
「その『二人』を探せと言うことですか?」
その言葉に鴉は黙って頷いた。
「なぜ気づいたらすぐに中を確認しない?」
興信所の中で書類の片づけをしていた黒 冥月(へぃ・みんゆぇ)は、鴉の話を聞きそう指摘した。おかしいと思ったのならすぐに開ければ気が済むことだ。だが、鴉は相変わらず憂鬱そうな表情をしたまま困ったように肩をすくめる。
「残念ながら遺体の重さが時間変化で変わることは良くあるから、俺の一存で開けることは出来ないのよ。下手すると賠償問題にも関わるし。それにその日は友引明けで、火葬場のスケジュールもギリギリだった…まあ、友引明けの忙しさによる葬儀社の怠慢だと言われたら否定できない」
葬儀会社付きのエンバーマーとはいえ、正式な社員でない鴉が棺持ちをやったという時点でかなりその日は忙しかったのだろう。
シュライン・エマは補充用の煙草と灰皿を武彦に差し出しながら、鴉に向かって色々と確認をする。
「菊花葬祭に提出された火葬許可証が本物なら、死亡届は正規なはずよね?その辺りの手続きで遺体女性身元情報は入手可能かしら」
「火葬許可証を偽造することは難しいから、その辺の書類は会社まで取りに行ってくればあるよ。検案書とかも必要?」
「お願いできるかしら」
シュラインがそう言うと、鴉は空になった缶コーヒーの缶を持って立ち上がる。
「じゃ、一旦失礼します。また来ますんで、料金の相談とかはその時に…」
軽く会釈をし、去っていく鴉の背を見ながら武彦は溜息をついた。そして冥月の方をチラリと見て煙草を一服する。
「冥月、お前この仕事に乗り気じゃないだろう」
武彦の言う通りだった。確かに冥月は捜し物が得意ではある。だが、元暗殺者という仕事柄、死者への尊厳などを特に感じたこともない。冥月にとって、親しくない者の遺体は肉塊、つまり『物』でしかないのだ。それも自殺だというのならなおさらだ。
ふん…と鼻を鳴らしながら、冥月は吐き捨てるように言葉を放つ。
「大体これは窃盗紛いの事件だ。警察の仕事だろう」
「そいつはそうかも知れないが…」
機嫌が悪そうな冥月と、その言葉に顔をしかめる武彦の間にシュラインが割って入った。どちらの意見も分かるし、この興信所は仕事を選んでいられるような状態ではないのだ。
「何か理由があるのかも知れないわね。夜守さん、死者の声が聞こえるって言ってたし…また来るみたいだから、その時に聞いてみない?」
それを聞き冥月がふぅと息を吐く。
「まぁ仕事は仕事だ。宗教感を否定する気もない」
「………」
無言で煙草を灰皿に押しつけながら、武彦も溜息をついた。
多かれ少なかれここにやって来る事件は『訳あり』だ。それを武彦自身はよしとはしていないのだが、事件の方がやってくるのだから仕方がない。
「夜守さんが帰って来る前に、こっちも協力してくれそうな奴らに連絡しておくか…多分一筋縄ではいかない事件だろう」
そう呟きながら武彦は新しい煙草に火を付けた。
「何か人がいっぱいだ…」
書類ケースを持って草間興信所に帰ってきた鴉を出迎えたのは、先ほどの三人だけではなかった。一度顔を合わせたことのある陸玖 翠(りく・みどり)や、鴉の個人的知り合いであるジェームズ・ブラックマン、他に三葉 トヨミチ(みつば・とよみち)と菊坂 静(きっさか・しずか)が椅子などに座って待っている。
「鴉、貴方も大変ですね」
そう言うジェームズに、鴉は困ったようにふっと笑う。
「仕方ないね、こればかりは」
遺体が消えた…という話を前もって武彦から聞かされていた皆は、それぞれ聞きたいことがあるようだ。まず、冥月が先陣を切って疑問をぶつける。
「遺体が変だと気付いたのはお前だけだったのか?」
一つだけ頷く鴉。
「内々だけでやる葬儀だと、火葬場に運べば後は家まで送るために一人いればいいだけだから。その日は忙しかったから俺が火葬場に残ってて、骨上げの時に人間じゃないって気が付いて、その時にはもう男が消えていた」
忙しかったと言うことは、おそらく火葬場にもたくさんの人がいたのだろう。
「夜守殿は彼の側にはいなかったのですか?」
翠がそっと質問をすると、横からジェームズが口を挟む。
「基本的に火葬場の待合室で、葬儀社の人が待つことはないのですよ。そうでしょう?」
「ブラックマンさんの言う通り。手伝いの人専用の待合室みたいなのがあって、そこで二時間ぐらい待ってたかな…」
静やトヨミチはその説明を聞いていた。葬儀に参列したことはあっても、葬儀社の話を聞くことはほとんどない。そこから色々と手がかりを掴もうと考える。
シュラインは鴉が持ってきた書類を見て、それを声に出して読み上げた。
「伊藤 かなえ、二十三歳…都内に住んでいたのね。遺書はなしで、亡くなったのは住んでいた場所じゃなくて都内のビジネスホテル。自殺方法は服薬と手首の切り傷による失血死。服薬って事は、通院歴とかあったのかしら?」
鴉はそれに首を振る。
「そこまでは分からない」
出されていたお茶を飲みながらトヨミチが顔を上げた。連れ去った男を捜すのは他の人の方がいいだろうが、亡くなった彼女からアプローチをした方が自分の力を役立てられるだろう。静もそれに気付いたように鴉の顔を見た。何となく静は鴉に自分と似たような力を感じる。
「夜守君は霊感はある方?その亡くなった女性は、何か思いを残してこの世にとどまっている感じはなかったか?」
「夜守さん、どうして彼女が自殺をしたのか…彼女から何か話を聞いてませんか?」
それはジェームズやシュライン、翠や冥月も気になっていたことだった。鴉が死者の声を聞けるということは既に知っているが、今日はまだその事を一つも話していない。すると鴉が唸るように腕を組んだ。
「問題はそこなんだわ」
「…それが私達に仕事を依頼した理由ですか?」
ジェームズの言葉に鴉が頷く。
「俺は死者の姿は見えないし感応能力もないけど、声ははっきり聞こえるし話も出来る。エンバーミング中にも話はしてたんだけど、どうも歯切れが悪いんだよね」
それを皮切りに鴉は自殺した彼女の話をし始めた。
とにかく彼女は『これで苦しまなくてすむのね…これで終わり』ということを何度も何度も呟いていたらしい。どうして死んだのかなどの理由は全く話さず、ただそれを強く強く言っていたという。
そして遺体が亡くなったのに気付いた時に聞こえたのはこんな言葉だった。
「『まだ私を解放してくれない…』って言ったきり、声が一つも聞こえなくなった。その声があまりにも悲しそうで、それで個人的に相談に来たわけ…警察に届けてもいいんだけどさ、それをよしとしてくれるかなって思ったら、足が自然にここに向いた」
鴉の能力は霊の心までを読めるわけではなく、あくまで『話をするだけ』のようだ。なので相手が黙り込むと声を聞くことが出来なくなる。
「手がかりが漠然としすぎてますねぇ」
翠が面倒そうに溜息をつく。それを横目に冥月は、シュラインが持っていた書類を色々と見た。エンバーミングの際に使った写真があるので、女性の顔はそれで分かったのだが男の顔が分からなければ探しようがない。
「おい、その男の身体的特徴の詳細を教えてくれ。お前はそいつを見ているだろう」
「年齢は二十代半ばぐらいで、黒髪で神経質な感じだった…あ、左の薬指に指輪してた。翼っぽいデザインの」
それを聞くと冥月はすっと立ち上がる。
「よし、私はその女の家に行って手がかりを探す。何か他の手がかりが見つかったらすぐ教えてくれ。誰か一緒に行く奴はいるか?」
トヨミチが小さく手を挙げた。その部屋に強い想いが残っているのなら、そこから何かが掴めるかも知れない。
「俺も一緒にいくよ。幽霊には会えないにしても、強く想いが残されている物があればそこからトレースできるかもしれないから」
「そうだな。私は霊能力の類はないから、一緒に行ってくれると助かる」
シュラインは持っていた書類をトントンと揃えながら、鴉を安心させるように微笑んだ。
「私は交友関係とかを調べてみるわね。本当は犬骨から犬種が分かればいいんだけど、それは難しいわよね…」
人間であればいいのだが、流石にそれを求めるのは酷かも知れない。取りあえず働いていた会社などを訪ねてみれば、確実に何かが分かるだろう。
「私は亡くなったというホテルの部屋に行きましょうか。その辺りから原因が掴めるかも知れません」
翠は式を使って彼女が自殺した原因を探る事にした。一体何に対して『これで終わり…』と言っていたのか、その辺りが気になる。
静は少し考えてから、そっと鴉に声をかけた。
「夜守さん、良ければその火葬場まで連れて行って貰えませんか?時間的に無理ならそこまでの道を教えてくれるだけでいいです」
自分の腕時計を見ながら、鴉は何かを確かめるように目を細めた後で静の顔を見る。
「…住所だけでもいいの?」
「それで構いません」
「シュラインさんの持ってる資料の中に入ってる。ブラックマンさんはどうすんの?俺、仕事があるからまた会社に戻らないといけないんだけど」
今までと違う砕けた声で、鴉がソファーの背もたれにもたれてジェームズを見上げた。
「私はまず貴方の家に行かせていただきましょう。何かあったらすぐ皆さんに連絡はしますので、ご心配なさらぬよう」
自殺したという彼女が住んでいたのは、ワンルームの小さなマンションだった。
トヨミチと冥月がそこに行くと、管理人の女性が鍵を渡しながらやりきれなそうに溜息をつく。
「丁度良かったわ、明日業者さんが来て部屋を片づけちゃう所だったから…まだ若かったのに、自殺なんてねぇ」
「何か彼女に関して知っていることはありますか?」
辺りの雰囲気を和らげながら、トヨミチは質問をした。決して興味本位ではなく、彼女の死を悼みその真相を掴みたい事を相手に伝わるように慎重に話しかける。その雰囲気が伝わったのか、管理人は何かを思い出すように色々と話し出した。
「伊藤さんはいい娘さんだったわよ。ゴミ捨ての日も守っていたし、会ったら必ず挨拶もするし…でも、よく夜に車で男の人が訪ねてきてたわね」
「それは二十代半ばぐらいの神経質な感じの男か?」
冥月の言葉に管理人が頷く。
「そうよ。伊藤さん仕事が遅くなることがあったりしたんだけど、その時もずっと待ってたりして、ちょっと変だから警察に通報しましょうかって言ったんだけど『心配性なんです』って…もしかしてストーカーだったりしたのかしら」
その可能性はあるかも知れない。二人はその車種などを聞いた後丁寧に礼を言い、彼女の部屋の鍵を開けた。まだ電気は止められてはいないようで、スイッチを入れると蛍光灯がつく。灯りがついてまず目に入るのは、食器棚の上にある小さな仏壇だった。
「ご両親の写真みたいだ」
トヨミチはそこに近づき残された想いを探る。そこからは彼女が両親に対して一生懸命手を合わせる様子が見て取れた。他に病院の薬袋があるところを見ると、通院歴はあったのかも知れないが。
「ずいぶんこざっぱりした部屋だな」
冥月は生活感がほとんどないようなその部屋を見て呟いた。電気が止められているのに何かがおかしい。台所にトヨミチが近づき、冷蔵庫を開ける。すると開ければつくはずのライトがつかず、コンセントが抜かれているのが分かる。無論中身も空っぽだ。
「冷蔵庫の中身を処分してからの自殺なんだろうか…」
「さあな、私には自殺する奴の気持ちなど分からん」
そう言いながら冥月は部屋の中を歩き、本棚の上に伏せられていた写真立てを見た。そこには海をバックに生前の彼女と一緒に神経質そうな若い男が写っている。その写真を冥月は写真立てから出した。
おそらくこの男が遺体を持ち去ったのではないだろうか。だが写真立てが伏せられていたということは、彼女の心は既に男から離れていたのかも知れない。自殺した原因もその辺りにあるのだろうか…鴉に聞いた『…これで終わり』という言葉を思い出しながら、冥月は眉をひそめた。少なくとも遺体を持ち去られてまで一緒にいる事を、彼女は決して望んでいないだろう。それだけは分かる。
溜息をつき、冥月が振り返ろうとしたときだった。目の端に黒ずんだ指輪が見えた。それは翼をモチーフにした指輪で、ドレッサーの小物入れの中に無造作に置かれている。
「三葉、これを見ろ」
「えっ…わっ、とと!」
すっかり硫化して黒ずんでいるその指輪を、冥月がトヨミチに放り投げる。それを受け取った瞬間だった。指輪を中心にして彼女の強い想いが流れ込み、思わず前後不覚になる。
ケンジは私を愛してない…あの人が愛しているのは自分だけ…。
もう嫌。いつか来るはずのいい事なんて、もう待たない。
私は私の人生を生きたい。ケンジに振り回されて自分をすり減らすのは、もうやめにする。
指輪が首輪に変わる前に、私は私を取り戻さなくちゃ…。
「…葉…三葉!」
冥月に肩を掴まれ揺さぶられ、トヨミチはやっと我に返った。指輪に込められた想いがあまりにも強く、悲しみに溢れていたのでそれが一気に流れてきたのだ。軽く頭を振り、額に手を当てながらトヨミチは息を吐く。
涙さえ出ないほどの悲しみ。束縛される事がこんなに辛く、悲しく、絶望する程の想いだとは。この想いをこのまま留まらせるわけにはいかない。
「黒君、彼女を連れ去ったと思われる男の名前が分かった。『ケンジ』って名前だ」
それと同時にトヨミチは思っていた。
彼女はもしかしたら自殺したのではないかも知れないと。
シュラインは武彦と共に伊藤 かなえが勤めていた会社を訪ねていた。
そこは小さな印刷会社で、彼女は自殺する前にその会社を退職していたらしく、従業員達はシュライン達に言われて初めて彼女の死を知ったようだった。
「嘘…伊藤さん、好きな事がしたいから仕事を辞めるって言ってたのに」
あまりに唐突すぎて、悲しみが実感できないのだろう。事務員の女性達が呆然としたようにそう呟く。それを刺激しないように、シュラインは彼女の事を聞いた。
「何か悩んでいたとか、そういう事に心当たりはないかしら?」
「どちらかというと大人しい人だったんで…でも、彼氏が結構束縛するタイプの人だったかな」
「うん、会社の飲み会の時でもすごく頻繁に電話がかかってきてたりしてた」
それをメモしながら、シュラインは思わず考え込む。もしかして、鴉が聞いた『まだ私を解放してくれない』という言葉はそこにかかっているのかも知れない。
愛というのは時に厄介だ。想う気持ちが強すぎれば、相手を縛り付け苦しめる事になる。でもそれは、愛に似ているけれど愛ではない。相手を尊重する気持ちがなければ、それはただの思いこみだ。
「他に何か知ってる事とかあるかな。趣味とか…」
考え込んでいるシュラインの代わりに武彦がそう聞く。その言葉に女性達は何か目配せをするように顔を見合わせ、そっと目を伏せた。
「あの…伊藤さんが仕事を辞めるときに、忘れていった物があるんです」
「忘れ物?」
二人いた女性の一人が奥の方へ行き、大きな茶封筒を持ってくる。その中から出されたのは鍵のかかる日記帳のような物だった。
「それに気付いて携帯に電話したんですけど、その時に『そのうち取りに行くから持っていて』って言われたんです」
シュラインと武彦は顔を見合わせた。
『そのうち取りに行く』と言う事は、彼女は本当に死ぬ気だったのだろうか。それを受け取りシュラインは深々と頭を下げた。
翠が案内されたビジネスホテルの部屋は、シングルの狭苦しい部屋だった。既に清掃は終わっているようで、ホテルも普通に営業をしている。
「ここに彼女が残っていればいいのですが」
強い想いは呪となり、時として霊を縛り付ける事がある。翠は彼女が倒れていたというベッドの前に手をかざした。そして霊に向かってそっと話しかける。
「何故貴女は自殺などをしたのです?」
翠は鴉と違い、その場に霊がいなくても言葉を交わす事が出来る。その気を少しずつ探りながら、彼女がいる場所へとリンクし会話を試みる。
「……死のうなんて思ってない」
か細い声が聞こえる。それと共に大人しそうなロングヘアの女性の姿が見えた。自殺と聞いていたのに死ぬ気ではなかったとは…翠は更に心の奥を探るように言葉を続けた。
「貴女は自殺したではないのですか?」
その問いに、彼女は寂しそうに笑って俯いた。死した事を悔やんだりしているわけではなさそうなのに、何故そんなに悲しそうなのか。翠は更に言葉を続ける。
「教えてください。そうでなければ、私達は貴女を解放してあげられませんよ」
「私を解放してくれるの?」
「ええ。でも、それは貴女が何故亡くなったのかを教えてもらってからです。その後ちゃんと貴女の体も取り戻してあげますから」
ぽろ…と彼女の目から涙が落ちた。彼女は泣きながら翠に訴える。
恋人がいた。最初はものすごく好きで、自分がいないと彼は死んでしまうのではないかと思っていた。でもそれは間違いで、彼が本当に愛していたのは「私を愛している自分」で、本当に私の事を愛しているわけじゃない。何度も別れようとしたけど、その度に彼は別れるぐらいなら死ぬと言いながら己の身を傷つける事があり、それが恐ろしかった。
きっとこのままじゃ、私は一生彼に縛られたままだ。
だから私は彼から逃げることにした。仕事を辞め、そのまま失踪する事で。
でも、彼は私を見つけてしまった。
そして気付いたら…私は何故か死んでいた…。
彼女とのリンクを切ると翠は深く溜息をついた。
死者が望むならまだしも、一方的なのは相手を大切に思ってないのと変わらない。その男は自分の事しか考えていないのだ。だから別れ話を切り出されては自らの命を盾に脅し、無理矢理つなぎ止めようとする。
だがこのまま放っておく訳にはいかない。今のままではいくら解放したところで、男の想う気持ちが強すぎてまた縛り付けられてしまう。
彼女が『これで苦しまなくてすむのね…これで終わり』と鴉に言ったのは、死んだ事で解放されたという諦めに似た気持ちがあったのかも知れない。自分の死の真相を訴えるほどの気持ちはもう残っていなかったのだ。
翠はフロントに礼を言うと、溜息をついて歩き出した。
「まったく、人の気持ちというのは厄介ですねぇ」
最近の火葬場は煙突がないらしい。静は喪服代わりの学生服を着て、人の多い火葬場の中を歩いていた。
「天国への梯子がなくなったみたいだ…」
煙すら燃焼させる所で焼かれてしまったら、その魂はどこへ出て行けばいいのだろう。静はそんな事を考えながら、座れる場所を探す。するとどこからか霊がやってきて、静の隣に同じように座った。
「こんな所にどうしたの?」
それはとても静かな霊だった。こういう場所はもっと霊達がざわめいているのかと思っていたが、静の予想に反して霊達はものすごく大人しく、かえって生者の方が騒がしいぐらいだ。
「ここは、静かですね」
「後は天に昇るだけだから。ここでは生きている人の方がうるさいぐらいだわ…あなたは私達と同じぐらい静かね」
そう言って霊はくすっと笑った。もしかしたらこの霊は、自分と同じ死神の一種なのかも知れない…静はそう思いながら会話を続ける。
「この火葬場に、人の代わりに犬が入った棺が来たのを知っていますか?」
「知ってるわ。だってここで犬が焼かれるなんて珍しいもの。あなたは本当にここに来なきゃいけない人の事を知りたいのね」
その通りだ。静が吃驚していると、その霊はふっと笑う。
「私も探して欲しかったの。だけど私はここから出て行けないから…その犬の棺と一緒に来て、途中で出て行った人の案内を貸してあげる」
その瞬間、静の目の前にラブラドールレトリバーの霊が現れた。それは彼女の代わりに焼かれたという犬なのかも知れない…人懐っこそうな瞳が静を見上げる。その頭をそっと撫で、静は霊に問いかけた。
「あなたはここにずっといるんですか?」
「そうよ。私はここに来る人に梯子をかけてあげるのが役目だから…でも、梯子が登れなくて困っている人もいるの。良かったらその人達を登らせてあげて。そして、全てが終わったらその子にも梯子をかけてあげて」
火葬場に煙突がなくなり天国への梯子がなくなっても、こうやって梯子をかける役目の者がいる。静はそっと目を閉じ、登れないまま静かに眠っていた者達をそっと導いた。
「ありがとう」
「いえ、お礼を言うのは僕の方です。さて、行こうか」
その言葉にレトリバーは精一杯尻尾を振って答えた。
ジェームズは鴉の家の処置室を見せてもらった後、葬儀会場になったという男のマンションに行っていた。処置室の方には特にめぼしい思念が残っていなかったので、ジェームズは鴉に話を聞いてここまでやってきたのだ。
「ウイークリーマンションですか」
そこは家具などが揃っている所で、葬儀の間だけそこを借りていたようだった。確かにこれなら面倒な手続きを踏まずに部屋を借りる事が出来る。
鴉からは「エンバーミングした遺体を運んで、次の日の出棺まで俺達は介入しなかったから、その間に変えられたのかも知れない。出棺に来たときには、もう蓋に釘が打ってあった」と聞いている。ジェームズはその場に残っていた残留思念を探った。ここが遺体をすり替えた現場だとしたら、その焦りや緊張が深く残っているはずだ。
「………」
ジェームズの視線がその時まで遡る。棺の蓋を開け、彼女を抱き上げるその冷たさや重さまでが手に伝わる。
「これからはずっとずっと一緒だ…もう誰にも邪魔はさせない…」
切ったと言う左手に視線をやると、そこはパテで修復されたのか傷一つ残っていなかった。その体をかき抱きながら、うわごとのように繰り返す。
「愛してる…どこにも逃がさない。僕は君だけをずっと愛し続ける…」
それと同時にジェームズに伝わってきたのは、不思議な光景だった。
ホテルの部屋。そこに侵入すると彼女はぐっすりと寝ている。今まで見た事もないような安心しきった寝顔。それを見た瞬間心の隅に憎しみが沸き上がり、荷物の中から薬を取りだし、それを彼女の口に流し込んだ。
「………!」
元々自傷癖があったのかも知れない。傷だらけの彼女の手を取り、同じように何度も何度も刃物で傷を付ける…そこから血があふれ出し、シーツを赤く染めていく。
「君が僕から逃げるからだ…僕はこんなに愛しているのに。だったら誰にも邪魔はさせない。僕は君と一緒にいたいだけなのに、どうして分かってくれない…」
彼女の左手の薬指には薄れかけた指輪の痕…。
小柄な彼女は、自分の飼っていた犬と大体同じぐらいの重さだった。犬には薬を与えて殺し、彼女の代わりに棺に入れる。先に棺に釘を打ち、お別れを済ませたと言っておけば特に介入はしないだろう…何なら釜に入れるときに「見ないでやって欲しい」と言ってもいい。そしてその間にここに戻り、彼女と一緒に家へ帰る…。
ジェームズは残留思念を探るのをやめ、呆れたように溜息をついた。身体だけあったとしても、それを永遠の愛というのなら単なる形だけの悲しいものだ。心がその場にないのにそれでも愛というのであれば、それは偽りのものでしかない。
「砂の城ですね」
遠くから見れば城に見えるが、波や風で脆く崩れ去ってしまうもの。
彼は彼女の心をつなぎ止められなかった代わりに、その身体だけをつなぎ止めようとしたのだ。今にも波に倒れそうになっている城に住む、偽りの王として。
そう思って立ち去ろうとしたときだった。ジェームズの携帯が武彦の電話番号を示しながら小さく鳴る。
「はい、ジェームズ・ブラックマンですが」
電話の向こうでは冥月や、シュライン達の話し声が聞こえた。どうやらそれぞれ情報を手に入れ、一度集っているらしい。
「おい、大変な事が分かったから一度こっちに戻ってこい」
「それは、彼女が自殺ではないと言う事ですか?」
一瞬の沈黙。
「…調べてたのか」
「ええ、それが仕事ですから。彼の居場所は突き止められそうですか?」
「静が案内を連れてきた。いつ頃戻れる?」
興信所に戻った皆は、お互いの情報を交換しながら溜息をついていた。
自殺だと想っていた彼女が自殺ではなかった事。ケンジという名の彼から解放されたがっていた事、そして死してなおそれが叶えられない事…。
「自殺ではないと言う事は、検視が間違っていたという事か?」
呆れたように冥月が言うと、シュラインは全員のお茶を運びながら溜息をつく。
「自傷癖と通院歴があったから、そうなってしまったのかも知れないわ。自傷癖のある人が、死ぬ気じゃない自傷で亡くなってしまう事はよくあるから」
出されたお茶に手も付けず、トヨミチはシュラインが受け取ってきた日記を読んでいた。それはまるで誰かに宛てるような口調で、今までケンジと彼女の間に起こった出来事や自分の考えなどが書かれている。
その日記の最後のページはこんな言葉で締められていた。
私は仕事を辞め、田舎に帰ってやり直そうと思います。
私が私を取り戻すために…これを取りに来て、いつか『こんな事もあったんだな』と笑えるように。
「…これを書く事で、彼女は自分を見つめ直し始めたんだ」
何もしなければ共依存のまま終わっていただろう。だが、彼女は自分で立ち上がり、自分の心を書く事で整理し始めたのだ。最初は遠慮がちに…そして最後には自分を立て直すような想いがこの日記帳からトヨミチに伝わってくる。
「でも、夜守殿に真相を伝える気力は、死んでしまった時点で失ってしまったのですね…」
やり直そうとしていた矢先に殺されてしまったのでは、そういう気持ちにもなるだろう。それは仕方のない事だ翠は思っていた。それよりも、彼女を解放してやりたい。縛り付けられたままでは、いつか解放されたいという強い想いで悪霊になってしまうかも知れない。
ジェームズと静は皆の会話を黙って聞いていた。
静にはまだそこまで想うほどの相手はいないが、そこまで愛されたとしてそれが幸せなのか不幸なのかが分からない。でも飼っていた犬を殺してまで、この世に身体を繋ぎ止めておきたいという気持ちはとても悲しいという事だけは分かる。
静の隣にいるレトリバーが、そっと静達を見上げた。
「大丈夫、君のご主人様はちゃんと見つけてあげるから」
「とにかく、その方がいる場所に行かなければなりませんね。鴉にも連絡しておきましょう…遺体を取り戻して、もう一度ちゃんと葬儀を出してあげなくては」
お茶を飲みながらジェームズは溜息をつく。
人の心理として、逃げるときには何故か人のいない方に行くという習性があるが、おそらくさほど遠くには行っていないだろう。遺体を持ったままであちこち行くのは怪しまれるし、かといって一緒に死ぬという気でもなさそうだ。一緒に死ぬ気なら、彼女を殺したあとで後を追えばいいのに、そうせずに遺体を持ち去ったと言う事は彼女の身体が欲しいのだろう。それがある事で、自分の愛を確かめるために。
「…それなら人形でも同じじゃないか」
「それがそう行かないのが厄介なのですよ」
吐き捨てるように言い放つ冥月に、ジェームズは湯飲みを持ったままそう答えた。
「愛してる…ずっと愛してる…」
灯りも付けず、暗い部屋の中でケンジはずっと彼女の冷たい身体を抱きしめていた。
自分が想像していたよりも遺体は美しかったが、口やまぶたなどはしっかりと閉じられ開く事はない。冷たい細胞は指を押し戻さず、身体も力なくもたれかかってくるだけだ。
だがそれでも良かった。
これでもう言い争う事も、自分から離れていく事もない。彼女の永遠を手に入れたと思えば、死んでいる事などはさほど問題ではない。エンバーミングされた遺体は美しいままで自分の側にいてくれるだろう。
「これからはずっと一緒だ…」
そう呟いた瞬間だった。かき抱いていたはずの遺体が腕からスッといなくなる。それと同時に玄関のドアが開き、灯りが付けられた。
静が連れてきた犬に伴われてやって来たのは、どこにでもありそうな普通のペット同居可のマンションだった。翠が管理人に聞いたところでは、確かにここの五階に住む奥井 ケンジというサラリーマンの飼っていた犬の姿を最近見ないという事で、トヨミチ達が調べてきた名前とも一致する。
「私の役目はここまでだ、後は任せた。そいつの心情など私はどうでもいい」
影の能力を使い中から鍵を開け、遺体を自分の元に引き寄せた冥月は、遺体を軽々と持ち上げ皆の後ろに下がった。そこに走り込もうとするケンジを、ジェームズが押し止める。
「返せ!どうして邪魔をする…」
「貴方は彼女を殺し、その身体まで引き留めようとするのですか?」
それを聞き、半狂乱のケンジはものすごい力でジェームズを避けようとする。その姿を見て、静やシュラインの心が痛む。
これは、愛じゃない。愛によく似た偽物だ。
砂で出来た盾のように脆い何かで自分の心を満足させようてしている。だが、所詮砂で出来た物が永遠に残るわけがない。
トヨミチは一歩前に進み出た。彼女の想いを伝えなければならない…既に黒ずんでしまった指輪を差し出すと、自然に彼女の想いが流れ込み言葉になる。
「永遠なんてない。貴方からもらった指輪も、付けずにいたらこんなに黒ずんでしまった…それと同じぐらい、私の心も変わってしまった」
自分の人生を取り戻すために、別れる事を決心した彼女の心をトヨミチは即興劇で伝えていった。殺された事を恨んではいない、ただ縛り付けられるのが悲しいだけだと。自分を手元に置きたいほど愛してると思っているが、それは本当はそうしている自分を愛しているのだと…。
それに合わせシュラインは、ケンジの方を見る。
「奥井さん、貴方は一体何が欲しいの?人の心は変わっていくもの。もし貴方が彼女以外の人を愛してしまったとき、その時彼女をどうしてしまうつもりなの?」
「…っ…心変わりなんてしない。僕はただ、かなえとずっと一緒にいたいだけなんだ!」
後ろの方で翠が溜息をついた。
まるで子供のわがままだ。殺してまで一緒にいたいなど、相手の幸せを全く思っていない。結局この男は自分の周り以外の世界がないのだ。
「彼女がそれを全く望んでいなくてもですか?」
「嘘だ…愛してるって、僕の側にいるって…」
ジェームズが押さえていたケンジの身体から力が抜ける。そこに、静の隣にいた犬が走り寄っていく。
「代わりに殺されても、それでも君は彼が好きなんだね…」
殺してでも、身体を側に置き愛を信じていたい。
殺されて霊になっても、その想いを相手に伝えたい。
たった一つの間違いが、全ての歯車を狂わせていく。この男がつまらない事をしなければ、どちらも自分の生を生きて行けたのに。静は何かをこらえるように言葉を出す。
「僕は貴方が誰を愛してたとか全然知らない…でも、貴方が間違っている事だけは分かります。貴方は自分のエゴのために人と犬を殺した…僕は貴方を許せない」
思わず力を出しかけたときだった。ふわっと誰かの手が静の頭に置かれ、それで静は落ち着きを取り戻す。それはトヨミチの大きな手だった。
「人には永遠という言葉はありません。それは生きていても死んでいても同じです…時間が経てば想いも変わっていく。だからこそ出会いと別れがあるんです…彼女を解放してあげてください。本当に貴方が彼女を愛しているのなら」
トヨミチの言葉に続いたのは、ケンジの泣き叫ぶような慟哭だった。その隣ではレトリバーの霊が、いつまでも慰めるようにケンジに向かってすり寄っていた。
その後遺体を取り戻し、奥井 ケンジは遺体をすり替えた事を認め警察に自首した。大事にならなかったのは、警察の検視ミスもあったからだろう。
「しかし、分からんな。そんなに愛していたのなら、どうしてその気持ちすら理解できなかったんだ」
冥月は興信所で調査書を作りながらそう呟いて伸びをした。それを見てシュラインと翠が苦笑する。
「そうね。愛されるのは嬉しいけど、そこまで縛られたらもう愛じゃないわよね」
「愛というのはお互いがお互いを思いやる気持ちがあってこそです。一方通行なのは寂しいだけですねぇ」
そう言いながら三人は武彦の顔を見た。その六つの目に気付き、武彦が思わずたじろぐ。
「何だ何だ、俺は遺体を残してまで永遠なんて作る気はないぞ」
「まあそうだろうな。ほら、報告書出来たぞ」
気まずそうに煙草に火を付ける武彦に、冥月はできたての報告書を投げるようによこした。シュラインは灰皿を渡しながらそれを横から受け取る。
「そんな事されたら困っちゃうわ。それじゃなくてもここ、片づけても片づけても物がたくさんだし…あら、翠は帰るの?」
手を振って興信所を出て行こうとする翠をシュラインは呼び止めた。翠はくすっと笑いながら興信所の外を指さす。
「実は私、今回の報酬代わりに夜守殿に仕事を見学させてもらう約束をしたんです。なので、私の報酬分は計算しなくてもよろしいですよ」
それを聞き、冥月が溜息をつく。
「それを先に言え。折角私が調査書を作ったのに、計算し直さなきゃならないじゃないか」
まだ残暑は残っているが、空はもう高い。きっと彼女の心も、今は空のように澄んでいるに違いない。
その空には天に昇っていくような飛行機雲が浮かんでいた。
fin
◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
5128/ジェームズ・ブラックマン/男性/666歳/交渉人 & ??
2778/黒・冥月/女性/20歳/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒
6118/陸玖・翠/女性/23歳/(表)ゲームセンター店員(裏)陰陽師
6205/三葉・トヨミチ/男性/27歳/脚本・演出家+たまに役者
5566/菊坂・静/男性/15歳/高校生、「気狂い屋」
◆ライター通信◆
「砂の盾」ご参加ありがとうございます。水月小織です。
永遠などというものはなく、そう思いこむ心は砂のように脆く…というテーマで作ったオープニングだったのですが、皆様のプレイングで広がりを持つ話になりました。おかげで鴉や草間氏はちょこっと顔出しという感じになっています。
ラストですが、女性陣と男性陣でちょっと違っておりますので、確かめてみてください。
縛り付けられる永遠というのは悲しいものですが、自分にも何処か当てはまるのではないかと自省しつつ書かせていただきました。やはりお互いの想いがあってこその愛です。
リテイク、ご意見などはご遠慮なくお願いします。
また機会がありましたら、是非ご参加下さいませ。
シュラインさんへ
いつもご参加ありがとうございます。
プレイングの鋭さと細かさに、いつも驚かされていたり助けられたりしております。全てのプレイングを反映させられなくてごめんなさい。
聞き込みなどに回っていただきましたが、愛にも色々と考えていただいてます。
またご参加下さいませ。
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