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<東京怪談・PCゲームノベル>


覚醒前夜祭 三の宴


「これは誰のせいでもないのです」
 赤い、赤い泉が静かに広がる。
 水面の中心には、よく出来た人形のような少女。
 彼女の背から胸へと突き抜けた無機の刃は、既にない――それを成した本人も闇へと姿を飲まれて行った。
 本当に人間なのかと疑いを抱きたくなるほど、何もかもが『人』からかけ離れた少女だったのに。ただ溢れ出る紅が、その考えを嘲笑うように彼女も『人』であったことを現実世界へ押し付ける。
「全ては、まだ始まったばかり――終わりでは、ありません」
 色を失くした指先が、力なく宙を指す。
 彼女だけが視ることが出来る光が、おそらくその先へ続いているのだ。
「道は無限に……望むことを止めぬ限り」
 ことり。
 全てが投げ出され、示された導だけが心の中に刻まれる。
 訪れる静寂。沈んだ指先が、赤い泉に小さな水音をたてた。


●開幕

 ふっと最後の灯が落ちる。
 かつかつかつと冷たい足音をたてて去っていくのは、フロアー内に併設された飲食店の責任者のものか。朧な視界では確たる証拠を得られず終い――聞きなれたものではないから、見知った誰かでない事だけは分かるけれど。
 世界に立体感を浮かび上がらせるのは非常灯の心許ない光と、星を砕いて散りばめたような地上の瞬き。
 眼下に広がる眠らぬ都市は、計り知れない数の思惑を懐に抱き、今日も仮初の夜へと沈んでいる。
「……へー、透明マントは実用化可能とかいう話は聞いたことあったけどな」
 何もなかったはずの場所から、感動を帯びた声が響く。
「まぁ、手品のようなものですね。光の屈折率を変えることであるはずのものを見えなくするのは可能とういことです」
「なーんてさも『簡単です』な風に言っちゃえるのはセレスティさんだからよね」
 一つ、また一つと声が加わる。
 それと同時に、彼らを覆っていた水の幕がするりと剥がれ落ちて宙に還っていく。露になる人の姿。
「葵さんのヒントで場所の特定は容易だったんだけど……こうも簡単にいくとはちょっと驚きね」
「それだけ有益な特技の持ち主がいた――そういうことだ。私が知らぬ場所をシュラインが知っていたというのと同じに」
 ある種のステータスシンボルとなりつつある東京都心の超高層建造物。日中だけでなく深夜近くまで多くの人々が溢れるそのビルの、頂に限りなく近い場所にある人影は五つ。
 訪れるのは普通の客を装った。
 それからそのまま、誰もいなくなるのを待っただけ――もちろんその為にはセレスティ・カーニンガムの有する水を操る能力が必要不可欠だったのは言うまでもない。
 どこか拍子抜けした風のシュライン・エマに、動きやすそうな水色のワンピースに身を包んだ葵は淡々と応えを返した。
「ところで……火月さん。これ」
 いつの間にか窓辺に移動していた火月に、シュラインは背中から声をかける。
 室内の光より、外に溢れる千々の輝きから生まれる明るさの方が勝る室内、振り返る火月の表情はシュラインからは伺い知る事はできない。
 けれどいつもより僅かに早鐘を叩く火月の鼓動が、シュラインに彼女が平素より緊張していることを知らしめた。
「別に、深い意味はないの。ただお守りにって」
 火月が好む真紅のパンツスーツ。そのジャケットの胸ポケットに、シュラインは静かに一羽の折鶴をしまいこむ。以前、美和からもらったもの――導きの欠片。
 西と東に分かれた斎院の家。因縁が決して浅いものではない事を知ってはいるが――否、知っているからこその気持ちを込めて。
 至近距離でシュラインの青い双眸が、まっすぐに火月を捉える。安心させるような笑みを湛えて。
「……ありがとう」
「いいえ、どういたしまして」
「それじゃ、夜への呼びかけを始めましょうか」
 二人の女性の間にふわりとした雰囲気が舞い降りたのを見計らい、セレスティは大きなガラスの向こうに広がる世界へ歩みを寄せた。
 空調設備のスイッチを切られた室内には風などないはずなのに、銀の細糸のようなセレスティの髪は、意思をもったように緩やかに波を描いて広がる。
 研ぎ澄まされる五感。
 波紋のように輪を描いて広がる感覚は、この空間内に溶け込む目覚めを待つ意識の存在を、既に捉え始めている。
 が――しかし。
 キンっと甲高い音に似た乱雑なノイズ。それをシュラインの耳とセレスティの感覚が捉えたのはほぼ同時。
 吸い寄せられるように、居合わせた全員の瞳が歪みを生じ始めた虚空へと注がれる。
「来るとは思っていたがな」
「お客さん、到着ってとこか」
 溜息にも似た葵の呟きに、天城・鉄太が軽く嘯きながら右手を天へと突き出した。


●夜の宴

「自身の攻撃が邪魔になってんじゃ、かなり意味ないよな」
「だからってボケーっとしてるわけにもいかんだろうがっ」
 ギンっと硬質な刃同士がぶつかり合う音が、フロアー内に響き渡る。合わせて散る火花は、交差する閃きが確かな殺傷力を持つ確たる証。
 誰もが想定していた通り、静寂を破って来訪したのはGKだった。
 割れた空間から姿を現した時には、既に構えられていた硝子の輝きを持つサイズ。それは彼がここにやってきた意図を明確に物語る。
 最初の一太刀は空を裂いて近くの壁に無残な傷跡を残した。
 そして二の太刀からは、鉄錆色に変色した髪を躍らせる鉄太が掲げた巨大な無機の刃とぶつかり合う。実際質量を伴う攻撃には、それに見合った手段で応じるより術がない――つまり、この場でGKに真っ向から相対することが出来るのは鉄太だけ。
 隙をみてセレスティも操る水で援護を試みるのだが、あまりに早すぎる二人の動きに、対象を絞りあぐねる。
「いかんな。このままではじきにこの場に人が来る」
 チラリと葵が馳せた視線はエレベーターホールに繋がるドア。監視機器類はセレスティの手腕で麻痺させる事が可能だが、鋭すぎる気配のぶつかり合いまでを帳消しにする手段はない。
「でも……それでも」
 先ほどまで一帯を満たしていた静寂は既にない。夜へ呼びかけを行う条件は失われた――かのように思われた。
「それでもね。やっぱりユゲくんはユゲくんだって私は思うのよ」
 戦う力はない。
 ならば、語りかける。思いの丈を。
 GKとは、いわば役職のような呼び名。彼の本当の名前は京師紫――今ではない、過去の並相世界から召喚された少年。だがしかし、この世界にはもう一人の京師紫がいる。元よりここに在る青年が。
 二人の京師紫。
 だからこそ、シュラインはGKを『ユゲくん』と呼ぶ。この世界に異界より訪れた少年に与えられた、たった一つの彼だけの呼称。
「ユゲくん……ユゲくんはユゲくんなのよ。他の誰でもない、唯一無二のあなた。確かに、似ているのかもしれない――けれどそれは、親が親であり子が子であり、それぞれが個であるのと同じで」
 鋭利な刃が白い閃光を放つ中、真摯な気持ちを乗せたシュラインの言葉が静かに心を絡めとる。
 撃を交わしあう二人をいつの間にか薄く包んでいるのは水の膜。戦いの波動を少しでも外へと漏らさないように、というセレスティの試みだろう。
 それにそっと手を添え、シュラインは聖なる歌を謳うように瞳を伏せた。
 ひやりとした水の感触。それはまるでGK自身の固く閉ざされた心のようだと思えば、瞼の裏に不器用な少年の顔が浮かぶ。
「何かを肯定したからと言って、それが何かを否定する事には繋がらないの」
 刹那の攻防に、か細い迷いの糸が忍び込む。
 生み出される困惑――それを見逃すほど、鉄太は甘くはない。
「そうやって……っ!」
 拮抗していた力のバランスが崩れた瞬間、鉄太の大剣がGKのサイズを弾き飛ばす。続けざまに繰り出された斬撃は、咄嗟にGKが編み出したシールドを力任せになぎ払う。
「……っは……っ」
 相殺しきれなかった衝撃に、GKの体が宙を滑り背中から壁に叩きつけられる。
 その凄まじさを物語るように、フロアー全体が僅かに軋んだ。
「鉄太さん、そこまでで」
 本能がそうさせるのか。なおもGKに切りかかろうとする鉄太の腕を、セレスティの指がゆるやかに諌める。
 静けさを取り戻す室内。
 とくり、とくり。
 不可視の波動が先程より近くに来ているのを感じ、セレスティは薄く笑んだ。この感覚には覚えがある――そう、それは御霊の覚醒の前兆。
「常々思っていたのですけれど。GK……貴方自身が夜という存在そのもののようですよね」
 それはシュラインも思っていたこと。セレスティの言葉に、シュラインもGKに向かって静かに歩み寄る。
 全てを拒絶するように俯いたまま身じろぎさえしない少年。その彼を慈愛の心で包み込むように。
 一歩、また、一歩。
「安らぎと絶望、それはまるで表裏一体。どちらも張り詰めた先にあるもの……独りになった時の様な、独りから解放される直前の様な」
「チガウ……」
 小さな小さな独白が、シュラインの耳にだけ届く。
 それは孤独な少年の魂があげた叫びの声。否定しなくては、己の足元が瓦解していきそうな不安と恐怖。
 安らぎを知らぬまま、絶望の中だけで生きてきた子供の心。けれど、安らぎを得ることも怖くて。
「二つは死を連想させるかの様だけれど――でも、この二つ感じる事出来るのは生きているからこそ。死に近く最も遠い、夢やまどろみそのもの」
 つっと、シュラインの指先がGKの肩に触れる。
「誰が……っ!」
 反射的に竦んだ肩は、自分でも驚きだったらしい。堪らず張り上げた声は、みっともないほどに語尾が掠れていた。
 それを宥めるようにGKに触れる手が増える。幼子にするように、ふわりとGKの頭を撫でる優美なセレスティのそれは、ゆるゆると漆黒の髪を梳く。
「不安が続けば何事も絶望に変わってしまいますが、朝や昼、光を感じさせるものが側にあれば、不安を拭い去って安らぎをもたらすものになると思うのです」
 暗に人は一人では生きられないのだと指し示すセレスティ。GK、彼もまた『人』なのだと。
 そうして同時に、たった一人。
 この孤独な空間で外界を眺め続けた御霊に呼びかける。
 これまでの御霊の覚醒よりも、その存在をより明らかに感じられるのは、源を同じくするGKがこの場にいるからか。
「魂を持つものは、表面だけの存在は不安定です。裏面もあるからバランスを取る事ができると思うのすよ――だから恐れないで」
「俺はっ……俺は恐れてなんかっ」
「ユゲくん」
 呼び、抱き締める。
 母親が我が子を慈しむように、シュラインはGKを己の腕の中へ抱き込む。
 触れた部分から伝わるのは、GKの確かな鼓動。人に非ざる者から産み出された存在ではあるが、彼自身はより人に近い――否、人そのものと言ってもいいほどに。
 生きて、いるのだ。
「安らぎと絶望は、生きていく上……そして個が成長する為に最も過酷で必要な要素。私はあなたのその先が見たいの」
 どくん、どくん、どくんっ
 GKの心臓が脈打つリズムに、別の誰かのものが混ざる。
「いらっしゃい……貴方の目覚めの時です――想衣(そうい)」
 ぼんやりとGKの存在が二重になるように、新たな魂の姿が彼に被った時、万感を込めて、セレスティがその名を告げた。
 その――瞬間。
『ほうら、言った通りだろう―――全ては平等であらねばならぬ、と。平等であるからこそ、受け入れられるのだと』
 くつくつと響く低い笑い声。
「いかんっ!」
 葵が短く舌を打つ。
 ぞわりとした紫(むらさき)の気配。どろりと流れ込み、ぐにゃりと歪んでGKを包み込む――もう一人の存在ごと。
「ダメ、待って!」
 連れて行かれぬよう、シュラインが腕に力を込めた、その時。
「え?」
 火月の胸に収められていた折鶴が、金色の光を放った。
 迷いし者をまっすぐに導く輝き。
『そう……だから、言ったであろう――なぁ、鉄太』
「しまった――鉄太さんっ!」
 紫胤の声が告げた予想外の人物の名に、セレスティが鋭く反応する。
 振り返りざま、ありったけの水に呼びかけ鉄太の四肢を戒めようと無数の奔流を解き放つ。
 が、それらは虚しく冷たい床に水溜りをつくっただけ。標的には届かぬまま、飛沫を上げて舞い落ちる。
『不公平は――哀しいことだ……解き、放て』
 ――――世界が、割れた。


●解放者

「だって、そうじゃないかっ。紫鬼の末に産まれた京師が受け入れられて、その上GKまでもが当たり前のように認められてるのにっ」
 それは、心臓を握りつぶされそうなほどの苦渋に満ちた叫びだった。
 心と魂と――彼の存在全てが悲痛な訴えに身を焦がす。
「火月だってそうだ。同じ斎院の家に生まれながら、ずっと自由に奔放に生きている――なのに、美和さまだけ、美和さまだけ、美和だけがっ!」
 何が起こったのかは、すぐには分からなかった。
 元より薄暗かった視野にはさほど変化は感じられない。だからその質が根本的に変化していることになど気付くはずなどない。
 都会的な無機の香りだけが漂っていたはずのフロアーは既になく、ゆらゆらと不思議な炎が揺らめく清らかな静謐さに満たされた空間。
 都会の真っ只中にいたはずの彼らは、今そこにいる。
 それは、強制的に空を渡った結果。
「……なるほど、西の姫の意識を辿ったのか」
 冷静に状況を判断するのは葵。しかし彼女の声は誰の耳にも届いてはいなかった。
 愕然と見開かれた瞳が捉えたのは、豪奢な衣装に身を包んだ少女の姿。
 そして彼女の胸を貫いた、無機の刃。
「器を壊さない限り、解放の鍵を得る手段はない。解放されなければ、永遠に美和はずっとこのまま……このまま、こんな役目に縛り付けられたまま一生っ!」
 もし、血の涙を流すことが出来るのなら。この時、鉄太は間違いなくそれを瞳から溢れ出させていただろう。
 それほどの狂おしさを込めた声。
 けれど裏腹に、彼の赤い瞳は乾ききっていた。
 流す涙は既に枯渇しているかのように。
「鉄……太さ、ん?」
 未だ目の前の光景が信じられないシュラインが、見えない糸に操られるようなぎこちない動きで手を差し伸べる。
 腕の中からGKの姿が消えていることなど、あまりに凄惨な状況を前に思考回路の中から弾き出されていた。
「この世に平等に生を受けたんだ。人として生きる権利が美和にもあったはずなんだ、縛られることなく。だったら……縛ったものをぶっ壊すしかない――そう、だろ?」
 少女――西斎院・美和だけを見ていた鉄太の瞳が、シュラインに向けられる。
 苦い笑い、まるで誰かに許しを請うような。
「鉄太さん――でも、それじゃ」
「要らないっ! 否定の言葉なんて。俺は――もう、俺は決めたんだっ」
 ズっと肉が引きずられる音を立て、鉄太の剣が力任せに美和の体から引き抜かれる。途端に、噴き出したのは美しい真紅。
「っ!」
 呪縛されたかのように動けなくなっていた火月が、たまりかねて駆け出す。
「来るな……」
『そう、来てはいけない。お前は我らと対極を既に選んだ者なのだから』
 鉄太が切先を火月に向けた瞬間、彼を虚空から抱く腕が現れた。
「紫胤……?」
 疑問形を含んだセレスティの呼びかけに、一帯の大気が丸ごと震えるような笑いが響く。
「久しいな……名を、呼ばれるのも――否、それだけ闇とともにあったということか」
「ユゲくんっ!」
 紫色の毒々しいまでに美しい女の傍らにGKの姿を見つけ、シュラインが弾かれたように声を上げる。それにGKが僅かに眉根を寄せ苦しげな表情を見せたのは、シュラインの瞳が捉えた幻か。
「ふふ、礼を言わねばなるまい――おかげでこれは新たな夜の力を手に入れた。そして……西の姫も」
 紫胤の右手がこれ、と指したGKの腕に絡む。そして左手は鉄太の頬をあやすように撫でる。
「苦しむことはない。これで全てに平等を与えられる力を得られるのだから」
 さぁ、と歌うように紫胤の声が二人を促す。
 そして現れた時と同じ唐突さで、三人の姿が闇へと吸い込まれて行く。ゆらりゆらりと、陽炎のように踊りながら。
 待って、と引き止める心は、紫胤から放たれる無言の圧力によって無慈悲にも封じられたまま。
『私が望むのはただ一つ――全ての命が平等であることだ。何にも支配されることなく、戒められることもなく……そう、何もかもから』
 言葉の終わりは、虚空から響いた。
 まるで最初から何事もなかったかのように。
 けれどその願いを否定し嘲笑うように、血塗れた美和の姿だけは場に留まっている。
「美和さん……っ!」
 駆け寄る姿に、美和はうっすらと瞳を開く。
 そして奇跡のように美しい微笑の花を咲かせた。


●覚醒

「一命は、とりとめました」
 翌朝、西斎院邸。
 個人の邸宅であることが信じられないほどの治療用施設に囲まれて、美和は静かな眠りについていた。
 傍らには、深夜からの騒動にも疲弊の色を伺わせぬ凛とした天城・緑子の姿。
 六本木にいたはずの彼らが飛ばされたのは、この西斎院邸における最深部――美和の祈りの間だった。
 駆けつけた緑子に全てを委ねた――いや、委ねるしかできなかったのだが――後、葵が大よその事態のあらましをシュラインとセレスティに語って聞かせたのだが。
 それによると、心だけで事態の成り行きを見守っていた美和の気配を辿り、GKが強制的に門<ゲート>を開き、居合わせた全員をこの地に運んだというのだ。
「アレは導き手として、いかなることも見守る責務があるからな」
 割り切るように喋る葵の声のトーンもやや硬い。謂わば斎院の家が『神』と等しく崇める時の御霊の欠片である彼女にとっても、この事態は胸に痛いことなのだろう。
「セレスティさんのおかげです。血を、止めて下さったのでしょう?」
 広いリビング。
 シュラインが以前ここを訪れたのは、雪が降る日だった。赤子のように何も知らないアッシュに雪遊びを教えようと――笑いが絶えなかったあの日。
 重苦しい沈黙に支配されたその部屋を、緑子が訪れたのは随分と日が高くなってからのこと。
「いえ……思い至るのが遅く、随分と流れた後でした……」
 柔らかなソファーに全身を預け、セレスティは俯きながら悔恨の念を漏らす。
 鉄太の様子がどことなくおかしかったのには気付いていたのに。だからこそ、最後の御霊の欠片である夜の覚醒へ彼を伴ったのだ。
 監視の意味を含めて。
 けれど、まさかこんな事になるなんて想像だにしていなかった。
 GKとの戦いの最中、鉄太が漏らした『そうやって……っ!』と言う短い台詞が、セレスティの頭の中で幾度となく繰り返される。
 彼はいったいどういう思いで、GKに呼びかけるシュラインやセレスティの声を聞いていたのだろう。
「いえ、それだけして頂ければ十分です――というか、それより術はなかったと思いますので」
 鉄太の振るうのは無機の剣。
 あの刃に貫かれた有機の傷は永遠に癒えることはない。
 だからそれ以上の施しようはないのだと、そして美和が起き上がることはないのだと告げ、緑子は視線を床へと落とした。
「……アッシュちゃん、疲れて寝ちゃったわ」
 そう言うシュラインの顔色も、己の膝を枕に眠る少女とさほど変わらない。
 セレスティと対面になる形でソファーに座していたシュラインは、大人たちのただならぬ気配に怯え泣いていた純白の少女の髪を優しく梳く。
 同じ屋敷に住んでいるのだ。ざわめきに目を覚ましたアッシュは、運び出される美和の姿を目撃している――それの意味することも、きっともう分かっているのだろう。
 そして誰も問いかけぬ、鉄太の不在の理由も。
「……馬鹿な兄、です」
 緑子が立ち尽くしたまま、静かに笑った。
「私達、天城の家に生を受けた者は西斎院の家を守る為だけの教えを受けます。それは既に盲信に近いのだと……私もわかってはいます」
 自嘲めいた緑子の口調は、身を切るような痛みが含まれている。冷静さを失わない彼女が見せる、一人の人間としての姿。
 だから、シュラインもセレスティも口を挟むことなく、無言のまま彼女の弁に耳を傾ける。
「ですが……鉄太は……美和さまのことを『主』としてだけでなく――妹のように思ってしまっていたのでしょう」
 異様な緊張に支配された室内の空気が、肌に突き刺さるようで辛い。
「鉄太は……あなた方に――いえ、世俗に関わりすぎてしまったのです。人としての温もりを求めてしまうほどに」
「それは……っ」
「罪ではない、そう仰りたいのでしょう?」
 たまらずシュラインが挟んだ言葉を、緑子が静かに受ける。
 だが、全てを射抜くような強い光を秘めた緑色の瞳に、シュラインは固く唇を引き結んだ。
「確かに、天城に生まれなければそれは罪ではなかったのかもしれません。しかし私たちは天城に生まれたのです。それを忘れてしまった鉄太は……人に焦がれた鉄太は、おそらくいつの頃からか紫胤の声を聞いてしまった……」
 現れ出でる、彼女の覚悟。
「私達は定められて生を受けたのです。違えてはならない約束がある――私は、そう思っています」
 鉄太と同じ色をした緑子の薄茶の髪が、肩口で小刻みに揺れる。それは押さえきれない静かな怒り。兄へ――主たる者へ刃を向け、『干渉の守護者』としての務めを放棄した我が身の分身への。
「人の価値観はそれぞれ、ということでしょう」
 込み上げる思いが強いのか、さらに何事かを言い募ろうとした緑子の言葉尻を、セレスティが静かに奪い取る。
「それより、今後へ向けてについて話し合いませんか? これからどうしたらいいのか、とか。どうしたいのか、とか」
「そうね、その方が色々な意味で建設的だわ」
 穏やかな寝息をたてるアッシュを起こさぬよう、細心の注意を払いながらシュラインが席をたつ。じっとしてはいられない気持ちに、体を突き動かされる。
「美和さんも言っていたわ。道は無限だと、望みさえすれば……諦めなければ」
 何が正しいのか、誰をどうしたいのか、なんてまだ分からない。
 けれど最後に見たGKの表情を忘れることはできない、そして鉄太の叫びを無視し続けることもできない。
 それに紫胤がどう動くのかも――
「ですが……美和様という支えを失った今、私だけではこの場所にある転移門を稼動させることはできません。私には感知することしかできないのです……鉄太がいなければ、干渉を食い止めることもできません」
「なら、開ける役目は僕が担わなきゃならないってことだね」
 己の力を緑子が嘆きかけた時、不意に飄々とした声が新たに場に割って入った。
「京師さんっ!」
「やや、シュラインさんお久し振り。えーっと、そっちの人がセレスティさんだよね? 夢の中ではどうも♪」
 場にそぐわぬ暢気さを前面に押し出せるだけ押し出して、にっこりと笑うのは京師・紫――その人。過去や未来の世界から一時的に訪れたのではない、正真正銘のこの世界に存在するべき絶対の。
 何も言わなくともピタリと馴染む彼の纏った気配は、シュラインに確証を抱かせるには十分だった。
「ごめんなさい、開いてたから勝手に入らせてもらったわ」
 隣で緑子に乱入を詫びるのは、いつの間にか姿を消していた火月。
 それまで部屋の片隅で押し黙っていた葵が、呆れと感嘆を含んだ溜息を零す。
「まったく。お前の図太さを褒めるべきか、それとも西の姫の周到さを褒めるべきか」
「そりゃー、僕としてはどっちもってとこかな。彼女の折鶴が、夜……あぁ、想衣って名付けられたんだっけ? 彼の完全覚醒を助けてくれたおかげでこうして僕が目覚めることができたわけだし」
 ま、結局そのあとGKに吸収されちゃったみたいだけどね。
「もう心臓に悪いんだからっ! 起きたのなら、さっさと時空なり何なりを渡ってとっとと私たちの目の前に現れればいいじゃないっ!」
 想衣の事を案じようとした紫だったが、それは成される前に勢い良く詰め寄るシュラインによって途絶えさせられた。
 やり場のない思いの全てをぶつけるように、軽く握った拳を紫の胸の上へ連打するシュライン。
 それを痛い痛いと言いながらも、紫は笑って受け止める。
「ようやく本物にお目にかかれましたね」
「はは、どーも。お手柔らかにどーぞって感じかな?」
 ソファーから優美な動きで立ち上がったセレスティに、紫がはにかんだように笑う。
 GKよりラフな黒衣に身を包んだ青年。発する気配はぎりぎりまで抑えてあるが、その紫の瞳に宿るものが彼の奥の深さを初対面であるセレスティにも感じさせる。
「ってわけで、干渉の監視者のおねーさん。転移門の方は僕がなんとかするんで、リサーチの方はこれまで通りよろしくね」
「なっ……」
「今はそれしかない――妥協するべきところだよ、それは分かるでしょ。それに僕は火月を選んだ『人間』だ」
 紫に対する強い嫌悪の念があるのだろう。突然の紫の申し出に明らかな難色を示しかけた緑子。だがすかさず続けられた紫の言葉は彼女の退路を断つ。
「僕が、あの子――過去の僕に対して態度を決めあぐねた結果がこれだ。だからせめて、これくらいはするよ……シュラインさん、長い間ごめんね?」
 再会の意を込めて、紫がシュラインの手を取る。
 GKによって異空へ紫が封じられた時、その場に居合わせたのもシュラインだった。紫が絡む騒動にことごとく巻き込まれている彼女に対し、紫は小さく詫びる。
「そう思うんだったら、これからはピンシャン働いてよねっ」
「って!」
「そうですね、私も京師さんのご活躍をぜひ生で拝見してみたいですし」
「うわー……僕ってナマケモノが売りなのにー」
 整理のつかないことは山のようにある。それらに対し踏ん切りをつけるように、シュラインは腕の筋肉と言う筋肉を総動員して紫の手を握り返す。
 手荒い歓迎に、思わず紫が悲鳴を上げたところへ、今度はセレスティが含みを持たせた笑顔でとどめを叩きつけた。
「そういうことで……いいわね、緑子」
「――それしか道がないと、理解できます……私個人の感情はともかくとして」
 再会と出会いに束の間の歓喜に沸く三人を横目に、火月と緑子が互いの手を取る。
「違うわ。これしか道がないんじゃないのよ。この道がある限り、諦めない限りその先には希望が繋がっていくのよ――美和の言葉の通りに」
 火月が笑う。
 その瞳が好戦的な金色に燃えた時、ソファーに取り残されていたアッシュの寝顔が、朗らかな笑顔に変わった。


●続く螺旋

 そして、闇の中。
「紫が起きてしまったのは少々残念だが……それでも……のぅ、GK――否、想衣と呼ぶべきか」
 自分の問いかけに、無言を返す少年に紫色の女は新しい玩具を手に入れた子供のように軽やかに笑った。
「ははは、新たな名を得てどう転じて行くかもまた見物だな」
 そしてその隣で、赤い瞳の青年はただ静かに目を伏せる。
 固く握り締められた彼の拳。小刻みに震えるほど力の込められたそれは、爪で浅い皮膚を引き裂いて鮮やかな紅を表面へと浮かび上がらせていた。
「解放するのだよ、全てのものを。人の魂を縛るものは何もなくなる」
 ありのままに生きよ。
 内に眠る喜怒哀楽の全ての箍を外して。


 全てが動き始める。
 辿り着く先は、まだ見えない。
 結論はいかようにも――この世を生きる全てのものが、選ぶことを止めぬ限り。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名】
  ≫≫性別 / 年齢 / 職業
   ≫≫≫【関係者相関度 / 構成レベル】

【0086 / シュライン・エマ】
  ≫≫女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
   ≫≫≫【緑子+2 アッシュ+2 GK+5 紫胤+2/ S】

【1883 / セレスティ・カーニンガム】
  ≫≫男 / 725 / 財閥総帥・占い師・水霊使い
   ≫≫≫【アッシュ+1 GK+4 / A】


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■         ライター通信          ■
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 こんにちは。毎度お世話になっておりますライターの観空ハツキです。
 この度は『覚醒前夜祭 三の宴』にご参加下さいましてありがとうございました(礼)。これにて無事、覚醒前夜祭の閉幕でございます。みっちりお付き合い下さいまして、本当にありがとうございました!
 何だかこう……「えぇえぇっ!?」と思われてるかなぁ、とか危惧したりしつつ――ですが、これでかなり良好な結果に落ち着いたほうだと思っております。はい。

 シュライン・エマ様
 GKのこと、いつも案じて頂きありがとうございます。何というか……こう、ようやく目に見えて色々と変化が出て来た感じひしひしです。今後ともぜひ、びしばし(?)と宜しくお願い致します。
 そして……びしばしと言えば。はい。ようやく戻ってまいりました! 長らくお手数おかけしてすいませんでした。ヤツになり代わり御礼申し上げます。

 誤字脱字等には注意はしておりますが、お目汚しの部分残っておりましたら申し訳ございません。
 ご意見、ご要望などございましたらクリエーターズルームやテラコンからお気軽にお送り頂けますと幸いです。
 それでは今回は本当にありがとうございました。
 そして宜しければ、これに懲りずに今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。