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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


【Discordant Boys】


 銀色の仮面に空いた裂け目のような眼が、自分を見下ろして嘲笑っている。
 ひとつやふたつではない。暗闇のなかに座りこんだ自分の周囲に、何人も銀色の仮面が浮かんでいる。その向こうに、見覚えのある狩衣姿の少年が見える。だがその背中は少しずつ遠ざかっていく。まるで空気の紐に締めつけられているように喉から声が出ない。
 沈んだ色の狩衣が徐々に遠ざかり、暗闇へと同化していく。
 必死になって手を伸ばした。
 もう少し。
 あと少しで手が届く。
 ここで彼を行かせてはいけない。
 ざらりとした布が指の先に触れた。指先の摩擦で、その布を必死にたぐり寄せる。
 指の間に布を挟んだ。
 懇親の力でその布を引っ張る。
 彼の頭が後ろを向く。
 その顔でも銀色が狂気に嘲笑っていた。


 京太郎は自分の悲鳴で目を覚ました。


 × × ×


「ほらな、見ろよ、京太郎。俺が言った通りの時間に来たろ?」
 慎霰が京太郎を横目で見て、勝ち誇った笑いを浮かべる。
 街の中心部から数キロ離れた山の中腹に位置する、鬱蒼と茂る木々の開けた空間。地元の人間すらあまり寄りつかない、この山奥に2人がいることには、しっかりとした理由があった。
 パーフェクトといってもいい成功を収めた、天狗の妖具奪還事件からしばらく経つと、慎霰と京太郎は何者かに監視されているような気配を感じていた。危害を加えてくるような様子はないものの、行動を絶えず見張られているような感覚はさすがに気味が悪くなり気配の正体を探ってみると、それは案の定、襲撃した屋敷の術師たちだった。
 そもそもの妖具奪還に乗り気でなかった京太郎は、面倒ごとを嫌って妖具を返してしまうことも提案したが、慎霰はそれを受け入れようとしない。逆に、彼らをおびき出して、また一泡吹かせてやろうという計画を提案してきた。すぐには同意しなかった京太郎だが、このまま居心地の悪い生活が続くというのもまた苦労が増えるだろうと考え直し、慎霰の提案に乗ることにする。
 それとは別に、京太郎には本人もあまり意識していない理由があった。以前、屋敷で交戦した剣客のことを思い出し、体の髄を流れる鬼の血が騒いだのだ。普段こそ冷めた態度を見せるものの、それは隠し切れない京太郎の性質だった。

 慎霰の立てた計画は、こうだ。
 連中が人通りの多い場所では直接的な行動に及ばないことは分かっているので、まずはほとんど人のいない場所へおびき出す。そして、人気のない場所ならば前々から罠をしかけることも容易なので、人数的に劣っていてもそれを挽回できる。まさか自分が罠を仕掛けるわけにはいかないから、後輩の天狗たちに前もって指示しておく。
「こんなこと言っても京太郎は信じねェだろうけど、俺って里じゃそれなりに認められてんだぜ?」
 だから後輩たちも慕ってくれる、というのが慎霰の言葉だった。
 京太郎は計を練ることが得意ではない。多少の穴は毎回あるものの、慎霰の考えた計画に反対する理由はなかった。

 そして計画は実行される。
 2人が山の中へと入り、所定の空き地で待機して30分も立たないうちに、周囲を包みこむ空気の流れが変わった。鳥や虫の鳴き声が止んだせいだ、と慎霰は思った。何か奇妙な術を使って、周囲に特殊な力場を作っているのだろう。
 標的の居場所が分かれば、そこを中心として空間的に術を展開することは、難しいことではない。おびき寄せる計画の穴を突かれたかたちになり、慎霰は京太郎に聞こえないように小さく舌打ちをした。術の効果が分からないことには対処の仕様もないので、戦ってみるしか手段はない。
 木々の向こうから、1人、また1人と人影が現れ始めた。
 手に銃器やドスなどの物騒な道具を提げたヤクザ風の男たちに混じり、異様な装束の集団が慎霰の目に留まる。彼らは墨のように漆黒の狩衣を見につけ、銀色の仮面をつけて顔を隠していた。
「アイツらが、あそこの屋敷にいたお抱えの術師……って感じな。いかにもヤバそうじゃねェの、京太郎?」
「……数はそんなに多くない。お前の仕掛けた罠が上手く効いてくれればいいんだけどな」
 2人を取り囲むようにしている30人ほどの集団のなかから、手に拳銃を持ったパンチパーマの男が前に進み出てくると、拳銃を振りかざして大きく息を吸った。
「こぉんのクソガキども! 前回はよくもよくもワシの兄貴に恥かかせてくれたな! ワシらの家のもん、本気で怒らせたらどういうことになるか、じぃぃッくり、たあぁぁぁぁッぷり教えてやろうやないか!」
 その声を合図に、取り囲んでいた連中が一斉に2人を目掛けて襲いかかってくる。
 京太郎はナックルガードを締めなおしながら、慎霰よりも一歩前へ出た。
「慎霰、罠もあるし、チンピラは俺が抑えておく。その間にあそこのパンチを黙らせてくれ。パンチがK.O.されれば、少なくともチンピラは少し大人しくなるだろ」
「よし、分かったぜ京太郎。しッかしあいつら、本当に勉強しねェよな」
 帯に挟んでいた笛を取り出し、口に当てる。前回の屋敷でのことを思い出した男たちは動揺して足を止めたが、既にこの空き地全体に罠が張り巡らされており、近づくのを止めたところで意味はない。低く震えるような笛の音に反応し、草に紛れて植えられていた山界の植物『蛇霊蔦』は急激に成長してその鎌首をもたげ、手近にいる男たちの体へと絡みついて、その名の通り大蛇のように男たちを強烈に締め上げる。
 運良く蛇霊蔦の標的にならずに済み、浮き足立ちながらも武器を振りかざして向かってくる男たちのほうへ、今度は京太郎が駆けた。突風を操って自分の体を背後から押し、弾丸のような速度で先頭にいた男の腹へ拳を叩きこむ。男は背後にいた数人を巻きこんでなぎ倒しながら、10メートル以上も吹き飛んで地面へ叩きつけられる。その有様を見て凍りつき、隙のできた男たちへ、京太郎は次々に打撃を見舞っていく。
 慎霰は笛を吹きながら、喧騒を迂回してパンチパーマの男へ静かに接近していく。周囲には蛇霊蔦に絡め取られ、全く身動きがとれずにもがき続ける男たちがいた。慎霰はその必死の形相を見て笑いを浮かべ、目の前で仲間が倒されているというのに全く動こうとしない、銀仮面の集団へ注意を向ける。
 彼らは京太郎がくり広げている戦闘を静観するように、離れた場所でじっと立っているだけだ。仮面をつけているせいで、術を唱えているのかどうかすら分からない。
 しかし仮面をつけているということは、視界も制限されているに違いない、と慎霰は考えた。パンチパーマは拳銃を乱射して蛇霊蔦と格闘しており、慎霰が忍び寄っていることなど気付いている様子もない。あいつを倒してヤクザ連中の戦意を喪失させれば、後は京太郎と2人がかりで術師たちに挑むことができる。
「随分と楽しそうにじゃれあってるじゃねェか、チリチリ頭のおっさん。こりゃ邪魔しちゃ悪ィかな?」
 声をかけられてようやく慎霰の接近に気付いたパンチパーマは、拳銃を慎霰へと突きつけるが、既に弾が尽きていることを慎霰は遠目から見て知っていた。表情ひとつ変えることなく、にやついたままパンチパーマを見返す。
「いくらビビッちまったからって、メチャクチャに撃ちまくるってのは感心できねェなァ、おっさん。相手は植物なんだからよ、テッポーなんかじゃ太刀打ちできないってことぐらい、すぐに気付くと思ったんだけどな。もしかして頭をチリチリにしたときに、脳ミソまでパーマかけちまったんじゃねェの?」
 パンチパーマの周囲をゆっくりと回りながら、慎霰は楽しそうに声をかける。パンチパーマは顔を真っ赤にして慎霰を殴り飛ばそうとしているようだったが、蔦に絡みつかれた腕はわずかに震えているだけだ。京太郎はと視線を向けてみると、蛇霊蔦に縛り付けられていない連中は、あらかた倒してしまったようだった。
「おいおい、悔しいのは分かッけど、口まで塞いでないんだから何か喋ってくれよ。退屈だろー?」
 慎霰はパンチパーマの脚を軽く蹴飛ばす。
 そこで異変に気付いた。『感触が人間のものではない』のだ。
 パンチパーマの口に浮かんだ邪悪な笑いを見て、すぐに飛び退こうとした慎霰だったが、間に合わなかった。パンチパーマの体はまるで風船のように弾けて黒い靄へと変化し、慎霰の両手足へと纏わりつく。その靄はただの黒い気体のようでいて、手足が全く持ち上がらなくなるほどの重量があった。
 急に重量の増した両手足をうまく扱えず、慎霰は地面へと倒れこむ。
 自由の失われていない頭を動かすと、銀仮面の男たちが音もなく慎霰に近づいてきていた。

「……ふぅ。意外と苦労したな」
 意識を失ってのびているヤクザたちを見回し、京太郎は構えを解いて細く息を吐き出した。特別な訓練は受けていないだろうが、そこはヤクザ、喧嘩には慣れているのだろう。殺さずに意識だけを奪うというのは、骨の折れる戦い方だった。
 戦いの最中、パンチパーマに忍び寄っていく慎霰をちらりと見ていた京太郎は、彼がパンチパーマを倒すより早く自分がヤクザたちを倒してしまったので厭味の1つでも言ってやろうと、慎霰の姿を探した。
 だが京太郎が見つけた慎霰は地面に倒れ、不気味に佇んでいた銀仮面の男たちがすぐ傍まで近づいていた。
「慎霰ッッ!」
 京太郎は小さく身を屈め、その勢いで突進しようと脚に力を蓄える。
 地面を蹴り出そうとした瞬間に、頭の中へ術師が送りこんできた念話が響いた。
「動くな。動けばこの小僧を殺す」
 勢いを殺せず、つんのめるように数歩前に進んでしまってから、京太郎は全身から力を抜いてその場に直立し、慎霰を取り囲んでいる術師たちを睨みつける。距離にしておそらく、50メートルほど。隙を突いて詰められる距離ではない。京太郎は爪がめりこむほど拳を固く握り締めた。
「お前の戦いぶりは見せてもらった。殺しに抵抗があるようだが我らはそう甘くはない」
 平坦で冷たい声が頭の中を流れていく。
「おかしな真似をすれば、この小僧は即、殺す」
 慎霰の頚動脈へ短刀が押し当てられているのが見えた。全く抵抗していないところを見ると、きっと身動きが取れないのだろう。笛も地面に転がっており、その音で操っていたはずの蛇霊蔦も力を失って、縛られていただけのヤクザが手に武器を持ち直し、京太郎と術師たちの間に壁を作る。
「京太郎、逃げろ! こいつら冗談は言ってね……ぐぁァッ!」
 何か傷を負わされたのだろうか。慎霰の言葉が途中で途切れた。
「お前の甘さでは我らには勝てん」
 否定できなかった。慎霰が敵に捕らえられていては、何も手出しができない。
 言葉がただの脅しでないというのも、京太郎には分かってしまう。もし今、自分が忠告を無視して攻撃の意思を見せれば、その瞬間に短刀は慎霰の頚動脈を貫くだろう。
「――去ね。命だけを持ち帰って己の未熟を嘆くがいい」
 京太郎は、ついさっきまで体中に漲っていた活力が、空気と一緒に抜けていくのを感じた。
 背後から襲われないよう、正面を向いたまま後退る。人の壁に遮られて、慎霰の安否すら確かめられないが、今の京太郎にはそれをするのが精一杯だった。


 × × ×


 目を覚ますと、そこは寮の自室だった。
 時計の針は0時を回っている。山中で戦っていたときは、まだ日が完全に沈んでいなかったはずだ。
 どうやって寮まで辿り着いたのかを、ほとんど覚えていなかった。
「慎霰……」
 たった数時間前のできごとが、まるで何十年の前のようなできごとに感じられる。
 戦闘装束のまま眠ってしまったせいで、体中に汗をかいていた。嫌な気分も一緒に流せたらと思い、立ち上がって浴室のほうへ歩いていこうとした途中に、京太郎は床に置いておいたダンボールの箱に足をぶつけた。
 開いてしまった蓋から、忌々しい記憶の断片が覗く。かつては相棒のようにも感じていた、暗殺用の鋼線。幾度も異能の血を吸わせたことのある黒い糸を、京太郎は無造作に掴み上げる。甘さや慈悲といった言葉とは縁遠かったあの頃。
 人間ならばバターのように切り裂くことのできる狂気の糸を手に持ったまま、京太郎は部屋に立ち尽くしていた。