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<東京怪談・PCゲームノベル>


さかいのり



 その夜倉庫街は、怪物の口にでも飲まれたように湿った風と、寝息のような低い潮騒が響いていた。ねっとりとした潮風が、繕の白髪をべとつかせる。
「なんや、気色悪いなぁ」
 繕はノンスリーブから伸びる健康的な腕をさすり、肩で微動だにしないセキセイインコを一瞥する。
 背後には暗闇をひしひしとたたえた海がある。揺れる荷船の群は、ここ半年ほど航海へ出たことがなかった。
 出航日和であるはずの日に逆さ風が吹き荒れ夏も近付く今、少々早い台風が襲ってくる。船乗り達は皆一様に首を傾げ、原因を突き詰めようと試みた者もあったが、いかんせん自然のことを万事承知の者などいるわけがない。気象庁もこれには首を傾げ、いつしか匙を投げた。
 しかし半年も船が出なければ仕事がない。積み荷も、最近はとんと来なくなり、帳簿には朱の墨で数字が書き足されてゆくばかり。船は入れるが沖合へ帰ることができない。まさに怪物の口というわけである。最近漁師達のあいだでついた名前が、すがり港。まるで腕がすがるように、出航した船を未練がましく引き留めるところからつけられた。
 繕が一歩を踏み出すと、腰のチェーンに繋がった鍵の群が鳴る。じゃらじゃらと数珠のような音を出す。子供のような手つきで一つ選び取り、倉庫街の中心へと歩いていく。繕の足取りは、気色悪いというわりにはあまりにもさっぱりとしていた。
 一分もたたずに開けられた錠前に満面の笑みを浮かべ、腰に手をあて靴の踵を鳴らして振り返る。
「こっからはそちらさんのお仕事やで。がっちり給料分、働いてや」



「了解しました。商売が出来なくなって困るのは、我々も同じですからね」
 閉じられた両目が曲線を描く。盲人用の杖がこつこつとアスファルトを叩いた。
「あ、ちょい待ち」
 静かすぎる倉庫街に携帯電話の着信音が流れる。電話に出た繕がちらりとパティを振り返り、なんでやねんと呟く。
「なにか不都合でも」
「いや、予定の奴がこれんようになって、うちが臨時にお手伝いやって」
 お頑張りやす、繕。
 電話の向こうで一度聞いた声がした。軽やかな笑い声も半ばに繕ががちゃ切りする。
「一緒に行ってもええ?」
「ビジネスならば、わたくしが言うまでもありませんでしょう」
「あっそ……」
 断ってもらうのを期待していた声音であった。頭を掻いて繕は諦めたように肩を落とす。
 パティは倉庫を振り返った。傍目から見て、彼女に暗闇の倉庫がはっきりと目視できているのか疑うが、目で見るよりも鋭敏に感じ取る四感のおかげで困らない。
 風がパティの髪を揺らした。
「相手はセイレーンであるとか」
「あぁ、まぁ、横文字で言えばね」
 繕が言いにくそうに訂正する。
「うちは後ろで控えてますから、全面的にお任せします」
「わかりました。あぁ、一つだけ。できれば乱暴はよしましょう」
「はいな」
 繕は軽く笑って了解した。
 また、風が吹く。
 ――悲しいことですわいなぁ。
 仕事の内容を詳細に伝えた女はそういった。開眼凡才亭の女主人が語ったところによれば、相手は亡くした夫に未練のある女だという。死してなお愛しい人を思い続ける心が、どちらにせよ、傾いてしまった。
 悲しいことだ。自分の目的さえ、忘れてしまったのか。
「行きましょう」
 杖の音が異様に響く。繕が扉を開け、二人が足を踏み入れた時点で誰かが閉めた。姿は見えない。いややわー、とは繕の声。
 パティはそっと呼びかけた。
「お話を、聞かせていただけませんか。わたくしは、あなたよりは長く魔人をやっている自信はございますゆえ、少しはお力になれるかもしれません。どうか――」
 どこからとも知れず足音が聞こえたと思えば、泣き崩れる気配がしてすすり泣きに変わる。
「なにが、それほど悲しいのです?」
 わんわんと反響するすすり泣き。答えはない。
「あなたは、どなたかをお待ちしていたのではないですか」
 いやぁ、いやぁ。
 駄々をこねるというより、逃げるような拒否である。恐ろしいのかなんなのか、震える泣き声には別の意味が含まれている気がした。
「パティさん」
「はい」
「まったく見えへんのですけど、あれって、人間ちゃいますのん?」
 小声の疑問にパティはふむと唸った。
「人の形を取るセイレーンというのはいます。歌声によって僕を作ることも可能です」
 パティは辺りを見回す。聞こえるのは女のすすり泣き。反響しすぎて耳が痛いほどだ。これでは別の音が混じっていても聞き分けは難しい。
「お名前は」
「繕うて書いて、ぜん」
「では繕さん、右方向にお手持ちの銃弾を一発どうぞ」
「え、でも乱暴せんてゆうたやん」
「仕方がないでしょうね。埒があきません」
 このままでは説得もままならない。まずは話を聞かせるために、面と向かってみなければ。
「ほんじゃ、お言葉に甘えまして」
 安全装置をはずす音と鼓膜に悪い銃声はほぼ同時であった。兆弾を気にしてか、繕がきょろきょろしている。
「お話を、聞いていただけますか」
「酷い奴らっ」
 どこからだ。
 耳を澄ます。
「あたしにこんなことして、済むと思ってるのッ!」
 卑屈に叫んだ声の主は、やはり銃弾の側にいたようだ。繕が面倒くさそうにしゃがみこむ。後はよろしく、のジェスチャーで親指を立てているのがわかった。
「お声を聞く限りお若いようでございますが」
「二十と四つさ」
 ぼそぼそとした呟きにパティは首を傾げそうになる。
 随分とあっさりしたセイレーンである。海を大時化にさせることができるのだがら、もっと怨念の強いものだと予想していた。
「さて、お話を聞かせていただく前にお名前をどうぞ」
「………………………………はつ、だよ」
「あなたは自由意志をもっておられるようですが、なんのために船をお引き留めに?」
「ないだいそれ」
「――ここには、他に誰かおられますか」
「いるよ。奥にいっぱい。あたしは新参者さ」
 新参者。
 まさかセイレーンの娼館でもあるまい。パティは尋ねた。
「あなたはどうしてこちらに?」
「知らないよ。気づいたら、じゃあない。誘われてきた。でもよく、わからないんだ。とにかく、歌やらなにやらで誘われて。他は奥にいるらしいんだよ。でも、その、あたし怖いからこっちに。泣いてると誰も寄ってこないしね」
 腕をつつかれ閉じた目のまま振り返る。
「この倉庫、奥なんてありまへん」
 繕の声音は呆れた様子だ。何度となくこの手の仕事を手伝って、見当がついているのだろう。パティも頷いた。ありがちだ。しかしありがち故に突破しづらい。単純すぎて逆に難しい。
「奥に行くにはどうやって?」
「わかんないよ。出たら入れないらしくって。暗いからよくわからないのさ」
「新参者とは、いったいどういう意味でございましょう」
「最近来たからに決まってるじゃないか」
 当たり前のことだろうと声がする。場所は、
 目の前だ。
「繕さん援護を」
「はいなっ」
 一瞬鼻先をかすめたなにかを裏拳で跳ね上げる。とっさに飛びずさり、杖を使って跳ねるようにブレーキをかけた。弾けるように熱い風が頬をかすめる。銃声が二つ。
 落ち窪んだ瞳の女と耳から垂れる、魚の尾。そう、親切に繕が呟いた。
「どないすんですか」
「殺しはしません。彼女は、わたくしのファミリーへ入っていただきます」
「へー」
 どうでもよさげな声は風圧でかき消された。生臭い水が飛んでくる。血、ではない。海水らしい。
「幽霊を乗っ取るとは、おかしなセイレーンもいるものだ」
 ぎゃあ、ぎゃあ。
 笑い声かただの鳴き声か。それとも泣き声か。
「おおかた、恨みの炎で己すらも保てなくなったのでしょう」
「怖い怖い。女のじめじめは堪忍や!」
 いやぁ、いやぁ。
 わんわんと反響する鳴き声。べたべたと四つん這いの足音。背後を振り返るより早く繕の威嚇射撃が響く。
「やるならはよしてくださいよ。当てへんようにするんは大変なんで!」
 続けて二発が撃ち出され、一発がかすったか僅かに金臭い。パティは杖を握った。取り出したのは目薬の小瓶。繕が察して後ろにさがる。口元が引きつっているのは見えているからか。
「あなたが求めることを、今一度考えることです『セイレーン』」
 わたくしたちの元で。
 こんこんと闇が湧き出た。開かれた両眼の前をたなびく銀髪がよぎる。風はない。パティからとろりと力が流れ出す。絹を裂いたような悲鳴が上がる。絶えかねた女が溜まらず叫んだ。
「いやだよ。いやだよ! あの人を待つんだ。帰ってくるんだよぉ! 約束したんだから帰ってくるって!」
 切り裂くように冷たい青い眼が、セイレーンを捉えている。
「海に出ていったら神様が向かえに来るんだから、帰ってくるんだ! 他の男が死んじまったら、神様はそっちに手を伸ばすから、だからッ! 神様が返してくれるんだ!」
 喚きだした一人の女はそれから支離滅裂に単語をつなげた。見透かし引き出し捕らえる眼が恐ろしい。恐ろしくてたまらない。
「やだよ助けて」
 闇の中に真っ青な光りがあふれ出す。こんこんと湧き出た中になにかが混じる。
 照らし出された女は必死に姿を隠そうと這いずるが、青い光りに引きずられて逃げられない。
「待つんだ! 待つんだあいつを待つんだ! いやだ……やめてッ」
「考える時間をさしあげましょう。わたくしが、教えて差し上げられるのは僅か。ですが、時間はたっぷりあります」
 パティはにこりと笑った。
 引きつったような叫びが尾を引いた。パティは頭をのけぞらせる。眼を閉じる前に目薬を垂らし、ハンカチで拭って閉じる。闇は静かに横たわった。
 暴れたセイレーン。あなたはまだわかっていない。
 瞬時に疲労のたまった目尻をもむ。
「はー、怖いですなぁ」
 杖を鳴らしたパティは振り返る。繕が驚いた様子もなく立っている気配がした。
「あれ、なんですのん」
 パティの瞳に照らし出されたセイレーンのことをいっているのだろう。
「駄々っ子でしょう。愛しい気持ちが、どちらにせよ、歪んでしまった」
 悲しいことです。
 パティは杖をついて歩き出した。さて、ファミリーに加わった彼女はこれからどんな答えを見つけるだろう。
 倉庫の扉はなんなく開いた。潮騒の音がさっぱりとして空が低い。季節はずれの台風が来るかも知れない。真夜中の風は冷たくねっとりとしている。
 自分に素直になったのなら、彼女はきっと手を放す。すがってすがって外に出さない想いは辛い。想い人が恋しい。けれど同じように海に投げ出される男を出さぬようにとすがって出さない。怨念と呼ぶにはあまりにも純粋な、想いばかりで縛られた女。
 パティの口元に笑みが浮かぶ。

 ――己の心に素直になったとき、彼女はどんな答えを出すのだろうか。














■登場人物
4538 パティ・ガントレット 二八歳 女 魔人マフィアの頭目

NPC 瀬崎・繕 二四歳 女 開け師