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<東京怪談・PCゲームノベル>


あなたに密着24時間!



● プロローグ ●

「あーあ、誰かこの宿題手伝ってくれないかなあ」
 遠見原・涼介(とおみはら・りょうすけ)は空白のプリントを前にため息をついた。そこには親しみをわかせるフォントで「1日大人体験! あの人の仕事を知ろう!」とある。
 中身はどうあれ外見は中学生の涼介は、夏休みの宿題なるものを課せられていた。その中で一番手ごわいと思われるのが、このレポートである。
 誰か働いている人に頼んで、その人の1日に密着し、仕事の大変さ、やりがい、仕事をする上で気をつけていることなどを体験し、まとめるというものだ。
 うんうんと唸っている涼介を見かねて、家主である九頭鬼・簾(くずき・れん)が声をかけた。
「そんなに悩むなら、俺の仕事っぷりでも見てればいいだろ」
 そういう簾はあらゆるジャンルを網羅する小説家である。こんな珍しい職業についている人間を取材できるチャンスなんてなかなかないぜ、と自慢げにいう簾に、
「でも、簾の仕事してるところなんて、仕事、仮眠、仕事、惰眠、仕事、ご飯、みたいな感じで変化がないじゃない。それに、やりがいと言ったら印税が口座に振り込まれてるのを確認することで、気をつけてることは流行を押さえることでしょう。そんないやらしいことばかり書いて、未来ある中学生の夢をしぼませるようなことはしたくないんだ」
 もっともらしいことを並べ立て、さりげなく簾へ精神攻撃を仕掛ける涼介だ。
 それにしても、と外を見やる。
「もっと、中学生に夢を持ってもらえるようなレポートを書きたいなあ」
 家の中でくすぶっていても仕方ない。
 涼介は決心した。
 外へ出て、誰かに一日密着取材をさせてもらおう、と。



● 1 ●

 電話が鳴ったのは、ちょうど事務所兼自宅を出ようとしているときだった。
「はじめまして、遠見原涼介といいます。円居聖治さんでいらっしゃいますか?」
 頑張って敬語を使っているというのがすぐに分かる、初々しい声だ。
「どうしましたか? ピアノの調律ですか?」
「ええと、そうではなくて、」
 ごそごそと何かを取り出す音がして、
「学校の宿題で、今日一日、お仕事に密着させてもらいたいんですけれど……」
「宿題ですか。――お客さんに迷惑をかけないと約束してくれるなら、私としては大歓迎ですよ」
 ピアノの調律師なんていう仕事は、世間ではマイナーな方だろう。音楽に興味がない人間にとってはなおさらだ。どんな仕事なのか、と聞かれて懇切丁寧に説明した挙句「ピアノって面倒な楽器なのね」の一言で会話を切られた、という同僚の話もある。これはもしかすると、調律師という仕事を世の中に広く知らしめるいいチャンスなのかもしれない。
「今、どこにいるんですか? ちょうど今から出るところなんですが、もしも近くにいるならば一緒に乗せていきますが」
「あ、ご心配には及びません。今、円居さんの事務所の下にいますんで」
 中学生にしてはしっかりしている。

 中学生とは思えない、どこか大人びた空気を持つ少年だ。助手席に座らせて、簡単な説明を聞く。
「――それで、聞きたい事って言うのは?」
「ええと、仕事の内容……どんなことをしているかって言うのと、仕事をするときに気をつけていること、あとは、その仕事のやりがいがどんなところにあるか、ということなんですけれど」
 妥当な質問だろう。
「今話してあげたいのは山々なんですが、もうすぐ最初のお宅に着くので、まずは仕事見学をしてもらっても良いでしょうか」
「はい、よろしくお願いします。今日は何軒くらいまわるんですか?」
「全部で2軒ですね。最初に行くところは、毎年私をひいきにしてくれているところですよ」
 出してくれる紅茶がとてもおいしいのだ。思い出すだけでもつい頬が緩みそうになる。
「――おっと、このままだと遅れてしまいそうですね。少し飛ばしますよ」
 少年にそう告げると、円居はアクセルを踏む足にゆっくりと力を込めた。



● 2 ●

 1軒目の家は、まるで絵に描いたような「ピアノのあるおうち」だ。東京郊外の高級住宅地、周りよりも少し高い位置にある真っ白い壁が印象的な一軒家。もちろん屋根は赤色で、庭にはコスモスが咲いている。
「円居さん、いらっしゃい。お待ちしていましたのよ」
 白髪さえも上品に映るこの女性は、すでに孫をもつ身でありながら、女学校時代に弾いたピアノが忘れられず、一軒家にグランドピアノを買ったというつわものだ。
「あら、そちらの坊やは?」
「私の仕事を見学したいというので、連れてきました。おとなしくしているという約束ですから、あなたに迷惑はおかけしないはずですよ」
「よ、よろしくお願いします」
 妙にわざとらしさのある初々しさを漂わせながらお辞儀をする涼介を、婦人は温かく微笑んで迎えた。
「それじゃあ、中にお入りになって。円居さんのために、ケーキを焼いていたのよ」
 先ほどからいい香りがしていたのはそのせいか。
「それなら、早く仕事を終わらせないと冷めてしまいますね。――ピアノを弾いているときに、何かいつもと違う感じがしたり、気になることはありませんか?」
「そうねえ……。私の耳では、特に異常は感じなかったわねえ」
「鍵盤が重く感じたりというのはありませんか?」
「いいえ……。でも、この間楽器店へ行ったときに触ったピアノの鍵盤が随分軽くて、驚きましたわ」
 円居はうなずいた。
「あの……鍵盤の重さって何ですか?」
 それまでずっとメモを取っていた涼介が、2人の会話が途切れたのをみて口を開いた。
「涼介くんは、ピアノを弾いたことは?」
「ボクは全然。姉は、少しは弾けたみたいですけど。――チャルメラ、とか」
 婦人が吹き出して、慌てて手で口元を隠した。円居はそれを優雅に見て見ぬふりをして、
「鍵盤の重さというのは、こうやって指を乗せてこの音を出そうとしたとき、そこにかかる力の具合です。少しの力でも音がでるときは『軽い』、ある程度力を入れないと音がでないときは『重い』というんです」
「それは、軽い方が良いんですか?」
「それは、人それぞれですねえ。力が有り余っている人にしてみれば、ちょっと鍵盤に触れただけで音が出るというのは不都合でしょうし」
 その説明に納得したのか、涼介はふたたびメモとりに集中しだした。
 グランドピアノのふたを開け、まずは一番低い「ラ」の音から、一番高い「ド」の音まで、周囲の音と聞き比べつつ音に狂いがないかを確かめていく。
「それにしても、お元気そうで何よりです。腕は上がりましたか? 先日、地域の発表会に出られたとおっしゃっていましたが、――会場はあなたに釘付けでしたでしょう?」
 円居がいうと、老婦人は「いやですわ」と頬を染めた。そんな姿さえ、少女めいていて可愛いと思える。

 移動中の車の中で、胡散臭そうな顔をした涼介に、
「ああいうトークも、営業のうちなんですか?」
 と聞かれた。
「コミュニケーションをとることは、人間の自然な欲求だと思いますし、信頼関係を築くにもいい手段だと思っていますよ。それに――、あの方はとても魅力的ですしね」
 どんな反応が返ってくるかとわくわくしていたら、少しの沈黙の後、少々照れた様子で
「た、確かに、可愛らしい方ではありました」
「……まさか肯定されるとは思いませんでしたよ」
 意外と、彼とは趣味があうかもしれない。
 調律の後にいただいたお茶とお菓子の余韻もあって、なんだかポーっとした気分のまま、次の家へと向かった。



● 3 ●

 先ほどの家が、絵に描いたような裕福な家だとすれば、次に訪れるものはその対極に位置しているといっても過言ではないだろう。
「慎ましい……ご家庭ですね」
 ドアチャイムを鳴らす前に一言、円居は本音をオブラートに包んで漏らした。団地の3階。玄関先には縄跳びやらボールが所狭しと収納されている。
「でも、ピアノの音が聞こえてきますね」
「その調律をしに来たんですから」
 いうなれば、ピアノが私を呼んでいる、だ。
 玄関を開けてくれたのは、小学生くらいの少年だった。
「おじちゃんたちだれ?」
「あなたのおうちのピアノの様子を見に来ました、円居といいます。お母さんはいるかな?」
「呼んでくるっ!」
 少年は家の中へと駆け込んでいった。
 隣の少年――涼介がやけにブスッとした顔になっている。
「どうしました?」
「今……『おじちゃんたち』って言いましたよね、あの子。僕、こんなにピチピチなのに」
「自分でピチピチって言っている時点で、ちょっと」
「こんなに若いじゃないですか!」
「中身は案外分からないですよ」
 そんなにきついことを言ったつもりはなかったのだが、彼には結構こたえたらしく、しばらく考え込んでしまった。
「あ、あなたが調律師さんなのね。ごめんなさい、こんなに散らかってて……」
 30代半ばと思しき女性が、円居をみて愛想よく微笑んだ。
 彼女のあとに従って、ランドセルやら脱ぎ散らかしたままのシャツやらを踏まないようにしながら中へと入っていく。
 そこにあったのは、恐ろしく生活感に溢れたピアノだった。ピアノの足には、お菓子のおまけらしきシールが張ってあるし、鍵盤には「ド」とか「ド#」と書かれた丸いシールがはってあったり、直接マジックで書いたのをこすって消したらしきあともある。
「にぎやかなピアノですねえ」
「すみません、うちのやんちゃっこがすぐにシールを貼っちゃって……これでも、少しははがしたほうなんですよ」
 やんちゃっことは、やはり先ほど二人を出迎えたあの少年なのだろう。
 円居は、ピアノの下に入り込むようにして膝をついたまま、
「お宅でピアノを弾かれるのはどなたですか?」
「うちの長男と、長女です。さっきの……小学校3年の勇太と、2年の朝美が」
「そうですか、将来が楽しみですねえ」
「そんな、滅相もないですよ。私が憧れていて子供たちに習わせてるんですけれど、朝美はともかく勇太は……ここ数日は、私がいくら言っても全然ピアノの方を見ようともしないんですよ。無理やり通わされて、やっぱりいやなのよね」
「果たしてそうでしょうか?」
 円居の反論は、あまりに小さな声だったのと、元気な少女の「ただいまー!」という声にかき消されたのとで、誰の耳にも届くことはなかった。
 母親は、家事を済ませたり娘の世話をしたりと忙しく動いていたが、息子の勇太の方はなぜかずっと円居の作業を見ている。
「ねえ、おじさんって調律師なんだろ? それって何なんだ?」
「そうですよ。ピアノのお医者さんみたいなものです。このピアノは勇太君と朝美ちゃんに随分と弾いてもらっているようですね」
「分かるのか?」
「分かりますよ、お医者さんですから」
「もしかして、あ……あんまり弾かない方がいい? ピアノ、疲れちゃうよね?」
 声があまりに情けなく響いて、腹に力を入れて笑いをおさえるのにに数秒を要した。
「そんなことはありませんよ。せっかくあるんですから弾いてください。おかしくなったら、私やほかの調律師が直しに来ますから」
 その言葉に安堵したのか、
「――あのね、この音、おかしいんだ」
 勇太はおずおずとピアノに歩み寄り、鍵盤を押した。確かに、どこか響きの足りない音がする。
「俺が弾いた後、急にこんな風になっちゃって……。直るかなあ?」
「大丈夫、直りますよ。その前に、ひとつ聞いてもいいですか?」
「な……何?」
「ピアノの上のこの蓋を、開けたことはありますか?」
 円居の質問は図星だったようで、彼は瞬時に顔を背けた。
 弦に異物がひっかかっていたりするとこういうことも起こるのだ。先ほどの老婦人はまさか弦にいたずらなどしないだろうが、ここは違う。何しろ、黒いはずのピアノが遠目には白と黒の牛模様に見えるほどだ。シールが貼ってあるところは白く、それをはがした努力の跡は黒く見えるのである。ピアノの中には、お菓子のシールをはがした裏紙がひっかかっていた。
 彼の危惧していた「ソ」の音の異変も無事に直り、こちらでもお茶をご馳走になった。由緒正しい日本の伝統、緑茶である。お茶うけは柿の種だった。ところ変われば品変わるとは、まさにこのことだろう。
「あなたは今どんな曲を弾いてるんです、勇太君?」
「俺? ツゥ、チ、……チェルニー100番ってやつ」
「あぁ、ツェルニーですね、ツェルニー」
「だからそう言っただろ」
 横で涼介が笑いをこらえている。
「朝美ちゃんは?」
「バイエルの赤い本! でももうすぐ終わって、お兄ちゃんと同じ本になるの」
 笑いの収まった涼介が「ツェルニーとかバイエルって何?」という目で見てきたので、ピアノの教本のことですよ、と簡単に教えてあげる。
「2人ともがんばってくださいね。発表会にはぜひ行ってみたいですよ」
 出されたおやつもあらかた食べ終わり、そろそろお暇しようと席を立ちかけたときだ。
「そういえば、円居さんはどれくらい弾けるんですか?」
 なんでもない雑談の続きのように、涼介が言った。すぐに子供たちが食いつく。
「何か弾けるの?」
「あー、聴きてーっ!」
「聴かせてもらえるんでしょうか? その……子供たちの目標にもなるんじゃないかな、って」
 2人の母親のそれは若干言い訳めいていた。見るからに紳士的な彼が優雅にピアノを弾く姿をぜひ一度拝んでおきたい、というのが本音だろう。
 4対の期待に満ちた視線に、円居は折れることにした。
「分かりました。――では、皆さんが知ってると思う曲を弾いてみますね」
 手を綺麗に拭いてから、ピアノに向かう。椅子の高さを微調整し、鍵盤の上に手をそっと乗せる。
 ゆっくりと深呼吸。
 一瞬の静寂の後、まず右手が軽やかに動き出す。ついで右手のリズムに乗せられたように左手。
「――子犬のワルツだ」
 この家の2人のやんちゃな子供たちを表すかのような選曲だ。子供たちは円居の手元やペダルを踏む足に釘付けになっている。自分たちがいつも練習で弾いている同じピアノから、こんな音が出るというこの風景は、まるで魔法使いの魔法を見せつけられているかのような気分だろう。
 きっとあの子供たちは、今日のこの「子犬のワルツ」を忘れない。



● エピローグ ●

「今日は本当にありがとうございました。本当に勉強になりました」
 最寄の駅まで涼介を送る。書きあがったメモを読み返している涼介に、
「まだいろいろ聞きたいことがあったみたいだけれど、まだ全部に答えられていませんでしたよね。大丈夫ですか?」
「大丈夫です。今日一日の仕事を拝見して、伝わってきましたから。ただピアノの調子を直すだけじゃなくて、それを弾く人のことを第一に考えるってことですよね」
「そう、ですね。ただ飾られているだけのものに意味はないと思いますよ」
 涼介はメモと照らし合わせて、次の項目に移った。
「それから、仕事のやりがいは、終わった後のティータイム、ってことでいいですか?」
「奏者の笑顔を見られること、にしておいてください」
 今日味わった、洋風と和風、それぞれの味が舌の上を駆け抜けた。おそらく2人で同じものを思い浮かべていただろう。
「甲乙付けがたいですよね」
「比べるものではないですよ。オンリーワン、ってやつです」
 ピアノに値段の優劣はあっても、幸せの優劣はそれとは比例しないはずだ。
「じゃあ、最後にひとつ聞いてもいいですか?」
「なんでしょう?」
「あなたにとって調律とは?」
 まるでどこぞのインタビュアーだ。円居は苦笑して、少しだけ考えた後、こう答えた。
「すべてのピアノとそれを弾く人に幸せを与えるお手伝い、でしょうか」






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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【6603 / 円居・聖治 / 男 / 27歳 / 調律師】


【NPC / 遠見原・涼介 / 男 / 27歳 / 中学生?兼なんでも業】
【NPC / 九頭鬼・簾 / 男 / 27歳 / 作家】


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■         ライター通信          ■
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はじめまして、月村ツバサと申します。
このたびは「あなたに密着24時間!」に参加いただき、ありがとうございました。
幸い私の家にはピアノがあり、調律師の方も何度か来たことがあるので、
それを思い出しつつ書いてみました。
少しでもお気に召していただければ幸いです。


月村ツバサ 拝