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<東京怪談ノベル(シングル)>


END of KARMA ―decision & rainy―



 しとしとと降る雨。真っ暗な空を見上げる。このままだと、雨はいっそうひどくなるだろう。
 ――果たして、それまでに家に帰れるだろうか?
 重い足。真っ直ぐ進めない脚。
 塀に肩を預けながら前に進んでいく草薙秋水の口元に、歪んだ笑みが浮かぶ。それは、己を嘲るものだ。
(ザマぁねえな)
 草薙家の神童と謳われたのは、いつの頃だったか。それが今は、コレか。このザマか。
 血が目に入って痛い。瞼を擦ると、そこにあった傷のせいで余計に染みた。
 衣服もぼろぼろだ。衣服だってタダじゃない。貧乏なのに、なにしやがる。
 そんな悪態が頭の中に浮かんだ。なんて、馬鹿らしい。
(中級の妖魔でこんな有様なんて、情けない)
 運命を断ち切りたくて家を出てきたのに、結局それに振り回されている。
 草薙の家では、当主は就任と同時に「呪」を受け継ぐことになる。四家の他の家とて、似たようなものだが。
 歴代の当主たちは皆、就任と同時に寝たきりになったものだ。秋水は呪耐性が高かったからこそ、能力が激減しただけで済んだ。
 今までは、それで良かった。生活に困ることもなかった。
 だが――そうはいかなくなったのだ。どうしても、やり遂げることができてしまった。その為にも――昔ほどとは言えないが――少しでも勘を取り戻したい。
(供物、だ)
 よろよろと歩きながら秋水は地面を見る。雨が地面を叩く量が増えている。水溜りができていた。
(草薙の当主は、みな……供物同然だ)
 犠牲になる。一族のために。
 ちょっと、可笑しかった。
 月乃の家も……似たようなものだ。彼女を供物にしようとしていたのだから。
 半年も前の出来事。そうか、あの出来事からもう、半年も経っているのか。
 塀に片手をついて、息を吐く。辛い。もう座り込んで休みたい。目が霞む。腕が痛い。
 秋水のマンションまではまだ距離がある。
(まずいな……)
 時間は正確にわからないが、おそらくは深夜の2時過ぎだ。寝ていて欲しいところだが、月乃は気づいてしまうだろう。
(う……ここまでボロボロだと月乃心配するかな……。出来れば気づかれずに部屋に戻って手当てが……できるわけないか)
 どんな顔をするだろう?
 怒るだろうか? 腰に両手を当てて、ちょっと眉をあげて、「もう!」とか……?
 それとも悲しむだろうか? ケガを心配するだろうか?
(そうだな……あいつの持ってた塗り薬、貸してもらおうか。あれってよく効くからな……)
 ぼんやりそう考えて、つい、笑いが洩れた。
 こんな雨の日だった。あの薬を使ってもらったのは。
 まるで、遠い……すごく遠い出来事のようだ。
(……まだ)
 視線が、また落ちる。顔をあげているのも辛い。だって髪が雨を含んで、重い。
(今はまだ話せないけど、今回の依頼が終わったら……きちんと話そう。大丈夫、オレは月乃を残していなくなったりはしない……)
 彼女の泣き顔は見たくない。一人ぼっちにさせたくなかった。
 目が痛い。何度瞬きしてもうまく見えない。
(はは……やばい……も、もう限界……だ)
 その時だ。鈴の音が辺りに鳴り響いたのは。
 秋水は幻聴だと思った。
 全身に降り注いでいた雨が、遮られた。黒い番傘に。
 膝をついてしまう秋水は、寝巻き姿の彼女が雨の中、傘を片手に立っているのを最後に見て――そのまま気を失った。



 気づいたのはアパートの、電気のついていない自分の部屋だった。
 なんだか暖かいものが口から流れ込んでいる。
「?」
 怪訝そうにする秋水は、ぼんやりする視界の中で目を凝らした。誰か居る。目の前に。
 柔らかい感触が唇に当たっている。ああ、なんだか覚えているぞ、この感触。
 月乃とのキスだ。
 なんでキスされてるんだろう? 夢でもみてるのか?
 眉をひそめている月乃が、まるで人工呼吸でもするように、こちらに息を送り込んでいる。
 なんだ、夢か。そういえば自分は痛みで意識が朦朧としていたし、雨の中にいた。だが今は痛みを全く感じない。
(こんな夢みるなんて、俺もどうかしてるんじゃないか?)
 なんてことを思いながら、せっかくの夢なのだからと秋水は彼女に手を伸ばしてしまう。
 ベッドの上に横たわっている自分のほうへ強く引き寄せる。腕を掴んで引っ張り上げてしまった。
 抵抗するかと思ったのだが、彼女は何かに夢中でそれどころではないらしい。そりゃそうだ。夢の中でもなければ、今頃ビンタでもされているはずだろう。
(ほっせー身体)
 浴衣一枚の月乃の肢体をゆっくりと手で撫でて確かめた。なんだか冷たい。夢なのだし、もっと暖かいといいのだが。
 頼りない肩といい、細い腕といい、なんなんだこれは。筋肉はついているようだったが、それにしては細い。
 だが女性らしい丸みはある。前々から思っていたのだが、月乃は着やせするタイプではないだろうか? 特に浴衣のような薄着だと、余計にそう感じる。
 何度か肩の形を確かめるように撫でた。本当に細い。いや、小さいのか?
 新鮮だった。自分の肩幅と比べるのはおかしいが、実際に触ると女の子はやっぱり小さいものなのだ。
(邪魔だな……)
 浴衣の触り心地に徐々に苛立ってくる。撫でていると布に皺ができるため、手が途中で止まるのがなんだか嫌だった。
 衿を掴んで左右に広げ、下に引っ張った。ああこれで、もう邪魔なものは――。
 その時だ。ぎょっとした彼女が唇を放した。途端に秋水の全身に激痛が駆け抜ける。おかげで一気に意識が覚醒した。
「っつ……」
 顔をしかめる秋水に、月乃は「あ」と呟く。
「すみません。あと少しだったのに急に離れてしまって」
「……は?」
 あれ? と思う。目が覚めたはずなのに、目の前の月乃は消えない。なんで消えな――――。
 四つん這いになっている月乃に見下ろされている自分。彼女は浴衣が二の腕くらいまで下ろされていた。胸の谷間が目に入って秋水は瞼をきつく閉じて顔を横に逸らした。
 どこから夢で、どこから現実なのかまだ理解できていない。とにかく浴衣を脱がせたのは自分だろう。間違いない。
 月乃が秋水の頬に両手を遣り、顔を天井のほうへ向ける。そして再び唇を合わせた。ふー、と息を吹き込んでくる。
(ぐっ……全部現実だったのか……)
 羞恥に身体が熱くなった。

 濡れた衣服を着替えた秋水は、台所で月乃の手当てを受けていた。
 時計は深夜の3時を回っている。
「や、やっぱり自分で……」
「文句言ってると食事抜きにしますよ」
 ぴしゃりと言われてしまい、秋水は言葉を呑み込む。食費を出しているのは彼女だし、食事を作っているのも彼女なのだ。
 金欠な秋水が空腹生活を送らないでいいのは、月乃のおかげである。ただ、ビールを取り上げられてしまったが。
 倒れた自分を家まで運んでくれたのは月乃らしい。こんな時間まで寝ずに待っていてくれたのだ。
 遠逆家の塗り薬を丁寧に傷につけていく月乃に感謝する。着替えることができたのも、先ほど彼女が痛みを緩和してくれたおかげだ。キスだと思っていたあれは、どうやら術だったらしい。色気のないことだ。
「薬ですぐに治りますけど、無茶はしないでくださいね」
「あ、ああ」
 事情を訊かれないので冷汗が出た。もしかして、めちゃくちゃ怒ってるんじゃないだろうか?
「……つ、月乃、後で風呂に入っとけよ。手も身体も冷たくなって……」
 彼女が不機嫌そうに冷たい眼差しを向けてくる。やはりご立腹のようだ。
「誰かさんを運んで帰ったからですよ。心配しなくても、後で入ります。なんなら一緒に入りますか?」
「なっ……! 馬鹿言うな!」
 顔を赤くする秋水を凝視し……それから視線を伏せて嘆息した。
「…………心配、させないでください」
 お願いですから。
 押し殺した弱々しい声で言われて、秋水は胸の奥が痛んだ。早く、何もかも彼女に打ち明けてしまいたい――――。