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過去の労働の記憶は甘美なり
「お客様の中に、お暇な方はいらっしゃいませんか」
ランチタイムを少し過ぎた昼下がりの蒼月亭で紅葉屋 篤火（もみじや・あつか）が食後のコーヒーを飲んでいると、この店のマスターであるナイトホークが突然こんな事を言い出した。とは言っても今の時間カウンターにいるのは篤火だけで、後は店員の立花 香里亜（たちばな・かりあ）が困ったように笑っているだけだ。
「夜サン。お暇な方って、もしかして私のことですか」
苦笑しながら篤火がそう言うと、ナイトホークは悪びれもせずあっさりと頷く。
「うん。暇なら仕事やらないかって」
少し前に香里亜が休みだったとき『酒類の仕入れ』のバイトを引き受けたことがあるが、その時に『仕事の斡旋もやっている』という話は聞いていた。ナイトホークが言っているのはその事だろうというのは分かるが、一体自分に何を頼みたいのだろう…篤火がコーヒーを飲み干すと、それに合わせたように入れ立てのコーヒーが入ったカップを香里亜が持ってきて、空になった物と取り替えた。
「嫌だったら断っちゃった方がいいですよ。ナイトホークさん、たまにあっさりとんでもないこと頼んだりしますから」
「人聞き悪いな…」
「ふふふ…篤火さん、ごゆっくりしていってくださいね」
煙草をくわえるナイトホークと篤火にぺこりとお辞儀をして、香里亜はキッチンの方に入っていった。もしかしたら、仕事の話には立ち入らないという気遣いなのかも知れない。
「私で良ければお伺いします。ただし、受けるかどうかはその仕事の内容によりけりですね…香里亜サンが言ったみたいにとんでもないことなら困りますから」
「サンキュー。取りあえず話だけでも聞いて…とか言うと、悪徳商法みたいだな」
ナイトホークが灰皿を持ちながら篤火の方に近づいてきた。仕事に関しては頭に入っているのか、特にメモなどを出すようなそぶりは見せない。
「今仕事として入ってるのは要人警護ともう一つあるんだけど、警護の方は篤火に向かないかも知れないな…あの人時々無茶言うから」
『あの人』という言葉と口調からすると、どうやらナイトホークのお得意様らしい。古武術を習っていたので体術に関してはある程度出来るが、相手の身まで確実に守れるかと言われるとそこまでの自信はない。それがお得意様ならナイトホークの信用にも関わる。
「いえ、そっちは流石に遠慮します。夜サンのお知り合いのようですし」
篤火がやんわりとそれを拒否すると、ナイトホークも納得したように煙を吐く。
「うん、そっちじゃなくてもう一つの方が多分篤火向き。だから声かけてみた」
それは確かに自分向きの話だった。
都内のとある踏切で飛び込み事故が多発しており、それの原因究明をして欲しい…という一見単純な依頼だ。だがそこまで説明した後、ナイトホークは煙草の煙と共に溜息をついた。
「今までも除霊を頼んだりしたことがあるんだけど、霊の力が強いのかそれとも他に原因があるのかは分からないが、除霊を頼んだ奴らが同じように飛び込んじまうらしいんだ。それで俺に話が回ってきた…。この仕事は『危険な仕事』だから、受けるも受けないも篤火次第」
まだ拒否する権利はあるらしい。その溜息は「引き返すなら今のうちだ」という警告を含んでいるように見える反面、「出来ないならさっさと断れ」という意思表示にも見えた。
仕事を斡旋しているというだけあって、その辺りの駆け引きはいつものナイトホークとは少し違う…篤火は少し考えながらコーヒーを飲んでから顔を上げた。
「もし私が飛び込んだりしたら、夜サンは泣いてくれますか？」
篤火が静かに言った言葉に、ナイトホークは篤火の手元を見てふっと笑う。
「友人が死んで泣かないほど俺は冷血漢じゃないし、多分生きてる限り後悔すると思う。でもこれも仕事だから、絶対こなせると思ってる奴に頼んでる」
それを聞き篤火もふっと微笑んだ。生きている限り後悔するという言葉と、絶対こなせると思っているという言葉。二律背反しているが、そこから自分が信用されていると共に大事な友人だと思われていることが分かる。
「その仕事、引き受けましょう」
ふっとお互いの言葉が止まり、奇妙な沈黙が辺りを満たした。丁度レコードも終わったのか、シンとした静寂が二人の間に流れる。
「ちゃんと帰ってきますから心配しないでください」
「帰ってこないと困る。危険だと思ったら、そのまま首突っ込まないで一度戻って来いよ」
ナイトホークがどんな表情をしたのかは、レコードを変えに行く後ろ姿で篤火からは見えなかった。
その踏切の近くを歩きながら、篤火は下調べをすることにした。
前もって渡された資料には、この踏切だけ何故か異様に飛び込み事故が多いという。踏切台の前には新しい花や飲み物などが供えられており、最近も飛び込みがあったということが分かる。
辺りは住宅街で、オフィスなどがあるわけではない。近くには小学校があるのか、チャイムの音が遠く聞こえてくる。その辺りを子供を連れた主婦達や、散歩中の老人などがゆっくりと歩いていく。
「確かに亡くなった人は多そうですが、思ったよりも空気は重くないですね」
だが自分の『目』で見てみても、さほど禍々しい物を感じない。確かにこの場所で死んだ者がたくさん立ちつくしているが、自分を引っ張り込んだりするようなものではなく本当に佇んでいるだけだ。悪意があるようにも思えない。
「『中央線の怪』みたいなものでしょうか」
それは東京では有名な噂だ。
中央線で自殺が多いのは、ホームに流れる電車の発車音が飛び込みを誘発しているという。しかし、そういう話はどこにでもある。例えそれが本当だと言うのなら、もっと自殺者は多くなっているだろう。
ただ多少気になることはあった。
ここで亡くなった者達は、妙に低い年頃の子供が多いような気がする。
大抵自殺というのは、ある程度人間関係などのしがらみが増えてくる中高生ぐらいからが多く、小学生などが飛び込んだりすることはほぼない。遮断機をくぐり抜けたりの事故もあるかも知れないが、それにしては子供が多すぎるのだ。逆にサラリーマンや老人などの姿は少ない。
「何か理由があるかも知れません」
もう少し詳しく調べた方がいいだろう。渡された資料だけでは情報が少なすぎる。それに霊視を長く続けるには体力がいるので、あまりここに留まっていると原因を調べる前に自分が倒れてしまう。ミイラ取りがミイラになるわけには行かない……。
辺りの事故のことは容易に調べられた。
この近所だけでなくネットなどでも有名になっているようで、『子供を喰う踏切』などというタイトルで書き込みなどがされている。
「………」
その画面を見ながら篤火は考え込んでいた。
この踏切事故はどうも法則性があるようで、事故が起こるのは何故か雨が降っているときだという。それも雨音がある程度聞こえるぐらいの強さの夕方ぐらいに事故が集中している。この踏切の除霊を頼まれた者達が飛び込んだのも雨の日だ。
低気圧が近づくと頭痛がしたり、体の調子を崩す人たちは確かにいる。篤火自身も雨の日が特に好きだというわけではないし、朝から雨模様だと確かにちょっと気だるいように感じることもある。
かといって、雨だから飛び込もうという気になるだろうか。
そうなると梅雨の時期は毎日のように飛び込みがあっても良さそうだが、そういうわけではない。今年に入ってから八件ほど事故があったようだが、それが梅雨の時期に集中しているというわけでもなさそうだ。
篤火はネットカフェのパソコンを操りながら、こんどは新聞記事の方に画面を切り替えた。
「遺書はなし。悩んでいた様子もなく、原因を調べている…ですか」
そこに映っていたのは、ある中学生が自殺したという記事だ。下校帰りに友人の家に寄ってから自分の家に帰宅する途中の少女が、何の前触れもなく自殺をする。そしてその日も雨が降っていた…。
やはりキーワードは「雨」のようだ。篤火は溜息をつきながら、手元にあったコーヒーを飲んだ。それは調べ物に熱中していたせいですっかりぬるくなっていて、ちょっと酸味がきつい。
「………」
雨の日に行かなければ原因は分からないだろう。
そこに何か訳もなく電車に飛び込みたくなるような理由があるのだ。そう思うと篤火の背筋に冷たいものが走る。
「私も飛び込まずにいられるでしょうか」
それは自分にもよく分からない。篤火は思わず溜息をついた。
除霊しようとした者達までもが飛び込むという魔の踏切。その誘惑を果たしてはねのけられるのか…だが、ここで引き返すわけにはいかない。
ふと外を見ると、空模様が怪しくなってきていた。このままだとあと小一時間もしたら雨が降ってくるだろう。それは今自分が見ていた少女が飛び込んだのと同じ、夕方の時間帯。
「何はともあれ行ってみましょう」
今まで見ていたページの履歴を消し、篤火は傘を買いに行くために立ち上がった。
夕暮れの雨は気が重い。
それは黄昏時だからというだけではなく、なにか疲れた空気と湿気を含みながらまとわりついてくるようで、この時間の雨は好きになれない。
篤火は赤い女物の傘を差しながら、その踏切へと向かって歩いていた。
住宅街だというのに人気がないのは夕飯の準備をし始める時間だからなのだろうが、雨が辺りに漂う空気も全て洗い流しているせいで、雨の匂いしか感じられない。家に人がいる時間を狙っている古紙回収車の「古新聞、古雑誌などがございましたら…」という声が聞こえる。
カン！カン！カン！…と、踏切からは追い立てるような警告音が聞こえる。
時間はそろそろ午後五時半になろうとするところだろうか…その時だった。
子供達が家へと帰る時間を知らせるための高音の曲が何処かから聞こえてきた。ドボルザークの作曲した「新世界」第二楽章で、篤火も子供の頃歌ったことがある。確か「遠き山に日は落ちて…」という歌い出しの曲だ。その歪んだ音に雨音と踏切の警告音などが重なる。
その音と共に、踏みきりにいた霊達が篤火の方を見た。電車に挽かれたままの生々しい姿で、血を滴らせながら自分を手招きしている。
「しまった…！」
これが原因だ。
雨音と踏切の警告音、古紙回収車のアナウンス、そしてそこに高音の音楽が重なることで霊達の活動が活発になると共に、飛び込みたくなるような音に聞こえるのだ。もしかしたら『中央線の怪』も、電車の発車音と何かが重なることでそう思わせるのかも知れないが、それが何かは分からない。街には音が溢れているし、それを限定する事は出来ないだろう。
おそらくここで亡くなった者達に子供が多いのは、子供の方が「耳がいい」からだ。篤火はこれに似たような話をテレビで見たことがある。ある国では店の前にたむろする少年達を追い払うのに、一定以上の年齢になると聞こえなくなるといわれる周波数の音を店の外にスピーカーで流し続けるという話を。そしてその音は子供達にのみ不快で、普通に買い物に来る大人達は聞くことすら出来ないという。
「こっちに来て…一緒に逝こうよ…」
霊達が篤火の手を取る。その冷たい感触に惑わされてはいけないと思っているのに、足が勝手に前へと進んでいく。
除霊をしようとした者達が飛び込んだのもこのせいだ。それが分かっているのに、その手を振り切れない。いつものように足を止め、踏みとどまることが出来ない。
「死者を招く音ですか…」
雨はまだ降り続いている。
警告音はまるで「早く飛び込め」と言わんばかりに自分を追い立て、古紙回収車のアナウンスは同じ文句を繰り返している。
家路の曲はまだ鳴り響き、それが耳から脳にまで染み渡り思わず思考を手放しそうになる。
「早くおいでよ…遊ぼうよ…」
このまま意識を手放したら楽になれるのだろうか。そう思った刹那…。
『友人が死んで泣かないほど俺は冷血漢じゃないし、多分生きてる限り後悔すると思う』
「………！！」
そうだ。死ぬわけにはいかない。
こんな所で死者に招かれてたまるものか。篤火は持っていた傘を投げ、右手を前に出した。
「私は一緒に逝くことは出来ません！あの世に招かれてしまったあなた達に、私が出来るのはこれぐらいです！」
パチンと指を鳴らすと、篤火の指先から火花が出た。それが霊達を包み込んでいき、それと共に電車が風を切りながら通りすぎていく。
それは死者を地獄に招くという「火車」のようだった。一瞬炎に包まれた電車と共に、そこにいた霊達が全て浄化され、辺りに静寂が戻っていく。
「………」
家路の曲と警告音が止まり踏切が静かに上がっていった後、篤火は雨に濡れながらしばらくその場に立ちつくしていた。
「いらっしゃいませ、蒼月亭へ…」
夕方から降り始めた雨のせいか、まだ客のいない蒼月亭へ戻った篤火を見てナイトホークは絶句した。いつものように黒い服にサングラスだが、全身雨でびしょ濡れだ。
「傘を忘れちゃいました…」
「ちょっと待ってろ、今タオル持ってくるから」
カウンターの一席に座る篤火に、ナイトホークが白いバスタオルを差し出す。それで髪の毛などを拭きながら、篤火はにっこりと微笑んだ。
「夜サン、仕事ちゃんとしてきました。あそこで事故が多いのは…」
それは雨音と踏切の警告音に、何らかの高音が重なるせいだ。出来れば帰宅時間を知らせる為の音楽と、警告音を別の音にして欲しい…そう報告して、篤火はいつものように注文をする。
「コーヒーをお願いします。夜サン？」
ナイトホークは何だか怒ったような表情で、注文をこんな言葉で返してきた。
「危険だと思ったら、そのまま首突っ込まないで一度戻って来いって言っただろ…平気な振りしてもぶっ倒れそうなの分かるんだよ！」
「ばれちゃいましたか」
ナイトホークが心配すると思って精一杯平気な風を装っていたのだが、どうやらばれていたらしい。篤火はカウンターに突っ伏して苦笑する。
「ごめんなさい、夜サン…」
「自分で頼んでなんだけど、篤火が無事で良かった…コーヒー以外の注文は？」
篤火がそっと呟いた言葉に、ナイトホークは無言で頷くだけだった。
その後あの踏切の警告音は少し低いものに変えられたらしい。
だが、街に流れている音を完全に止めることは出来ないだろう。携帯の着信音、電車の発車音、街には音が溢れかえっている。
今日も何処かで、死者を招く音が流れているかも知れない…。
fin
◆登場人物（この物語に登場した人物の一覧）◆
【整理番号 ／ ＰＣ名 ／ 性別 ／ 年齢 ／ 職業】
6577／紅葉屋・篤火／男性／22歳／占い師
◆ライター通信◆
二度目のご参加ありがとうございます、水月小織です。
『怪異に関する危険な仕事』ということで、事故の多い踏切の謎を解く話にさせていただきました。暗示にかかりやすい音とかは実際あるようですね…子供だけが不快な音の話も実際見聞きしたものです。踏切は何だかせき立てられるようで、実は苦手だったりします。
ラストのオーダーですが、隠し能力に関わることだったので秘密にしておきました。篤火さんとナイトホークだけがそのオーダーを知っているということで…。
リテイク、ご意見はご遠慮なくお願いします。
また蒼月亭でお待ちしております。
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