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【Bursted Boys】
そういえば天狗の里で悪さをすると、よく小さなお堂に閉じこめられたな、と慎霰は思い出していた。
山中での戦闘で敵に隙をつかれて敗北し、せめて京太郎だけはと逃がしてから、スタンガンのようなものを押し当てられたところまでは記憶していた。そこからは意識を失い、どういった経緯で今の場所へと運ばれたのかは全く覚えていない。気付けば古くかび臭い空気の充満した蔵のような場所に、手足を縛られたまま転がされていた。室内の灯りといえば天井からぶら下がっている白熱電球ぐらいで、その電球も寿命が近づいているのか不規則な明滅をくり返しており、室内の様子を完全に把握することができない。
隠し持っている妖具を警戒されたのか持ち物はおろか狩衣までも奪われて、上はランニングシャツ、下はトランクスといった格好にされていた。空調のせいか室内の温度は冷たく、剥き出しの手足が肌寒い。しかも縛られているせいで、擦り合わせて暖を取ることもできない。
「……あーァ、俺としたことがトチっちまったなァ……」
わざと大きな声を出した独り言が室内に反響する。もしかしたら地下なのかもしれない、と慎霰は考えた。
その声が漏れたのだろうか。正面の扉が開き、数人の男たちが姿を現す。目つきの悪いヤクザ風の男たち数名に混じって、山中でしてやられた銀仮面の男が1人だけ混じっていた。
「目が覚めたようだな、小僧」
仮面の奥からくぐもった声が聞こえる。
慎霰は目を閉じて笑いながら答えた。
「いーや、あんまりにもここが寝心地いいからよォ、今からまた寝ようと思ってる……」
慎霰が全てを言い終わらないうちに、ヤクザの靴が慎霰の腹にめりこんだ。圧迫された胃から胃液が逆流して口へと流れこみ、気持ちの悪い酸味が口全体に広がる。だが慎霰は胃液と一緒にこぼれそうになった呻き声を堪えて飲みこみ、腹を蹴ったヤクザに向かって笑いかけてやった。
「ふざけた口きいてんじゃねえぞ、クソガキが」
額に青筋を浮かべ、足を後ろに引いて構えたヤクザを銀仮面が制止する。
「貴様らの役目は監視のはずだ。勝手な行動は謹んでもらおう」
屋敷に雇われている術師とヤクザとでは上下関係があるのか、ヤクザは銀仮面を睨みつけながらも素直に後ろに下がる。
結果的には救われた慎霰だったが、彼らが自分を捕らえてきた理由が分からない以上、気を許すことはできなかった。拷問するためだけに生かしているとは考えづらいし、何か思惑があるのだろう。
銀仮面は慎霰の傍に立膝をつくと、三日月型に空いた眼で慎霰を観察するかのように、顔を近づけてきた。
「何故生かされているか分かるか、小僧」
「さァ、剥製にして屋敷に飾るためとか」
「羽衣を返してもらおう」
銀仮面は慎霰の軽口を聞いている様子もなく、淡々と言葉を続ける。
その冷徹さが慎霰には滑稽に思えて、喉を鳴らして笑ってしまう。
「若いオトコを辱めといて、そりゃねェだろ。そんなダサいお面つけてッから見つからないんじゃねェの」
仮面の奥に隠された目に苛立ちの色が見えたような気がした。銀仮面はしばらく微動だにせず慎霰のことを凝視していたが、やがてゆっくりとその場に立ち上がった。
「多少なりとも利口ならば既に理解しているだろうが、我らには暴力の用意もある」
その台詞を待ち侘びていたとばかりに、銀仮面の後ろに控えていたヤクザがぞろぞろと慎霰を取り囲む。何人かは手にバットのような鈍器を提げていた。銀仮面は後ろを向き、リーダー格らしいヤクザと目線を合わせる。
「用意だけではないということを教えてやれ。殺すなよ」
「勢い余っちまったら勘弁してくんな、旦那。生意気なクソガキには手加減できねえもんでよ」
銀仮面が歩き去ろうとした瞬間、場違いな電子音が断続的に室内に響いた。慎霰も聞き覚えのあったそれはヤクザの携帯電話の呼び出し音であり、これからお楽しみというときに水を差されたヤクザは怒りを浮かべながら、乱暴に電話を耳に当てる。
「どうした。大した用事じゃねえならすぐ切んぞ」
怒りを露にしていたヤクザの表情が固まったのを慎霰は見逃さなかった。ひと言ふた言電話の相手へ手短に確認を取ると、すぐに電話をしまって、立ち去ろうとしていた銀仮面を呼び止める。
「侵入者が1人だ。……こないだのクソガキらしい」
× × ×
鎖のような稲妻に鞭のごとく弾き飛ばされ、5人の屈強な男たちが壁に激突して失神した。同時に発生した強烈な閃光に目をやられてうずくまる男の首筋に振り上げた踵を落とし、畳へ叩きつけて意識を奪い取る。
京太郎の目星は当たっていた。連れ帰るとしたら以前の屋敷以外にないと考えた京太郎は、決意を固めると迷うことなく屋敷へと向かった。既に日は沈み街は静けさを帯びていたにも関わらず、屋敷はどこか騒然さを隠しきれないでいた。つまり、何か騒がしくなるような事件があった、ということだ。
見張りをしていたガードマンを捕まえて少し銃で脅迫してやると、真相はすぐに知れた。
慎霰はこの屋敷のどこかにいる。
潜入に長けた京太郎は前回訪れたときに、何かあった場合に備えて屋敷の全体図を把握するように努めていた。勘が正しければ、この屋敷は地上だけで構成されているのではない。平屋敷に見せかけて地下に空間がある、と考えていた。
しかし普通の家屋ならともかく、屋敷内部の警備の厳重さは前回のときに経験している。
潜入は手間も時間もかかり、その間に慎霰がただ放っておかれているだけとは思えない。
ならば、手段はひとつだ。
堂々と正面から乗りこんで行ったのは他にも狙いがあった。
警備についている連中をある程度壊滅させてしまえば、残りは戦意を喪失して、以後の捜索の邪魔にならなくなるかもしれない。彼我の力の差を見せ付けるための正面突破でもあった。
襖の向こう側から殺気を感じ、京太郎は腰から素早く拳銃を引き抜いて迷わず発砲する。低く潰れた悲鳴が聞こえ、続いて床に崩れ落ちる音が響いた。相手の体格を推測して下半身を狙ったので、死んではいないだろう。手当てが遅ければどうなるか分からないが、そこまで敵の身を案じていられる余裕はない。
「思ったほどの人数じゃねぇな。ビビってんのか」
一息ついて呟いてみるが、本気でそう考えているわけではない。自分の顔は割れているだろうから、屋敷を襲撃してきた目的もすぐに分かり、警備に回っている人間の一部を慎霰のいるところへ割いたのかもしれない。
「……とすれば、無闇にだだっ広い屋敷の中を探し回るより、連中の動きを利用させてもらうか」
移動するヤクザたちの後を追えば、屋敷の地下に通じる入り口を見つけられる可能性は高い。自分が暴れまわって屋敷内が混乱している今の状況ならなおさらだ。
京太郎は拳銃を腰に差し直すと、黒い装束をそっと影に溶けこませた。
× × ×
訓練というものは、現場をどれだけシミュレートしたい状況に近づけられるかによって、成果が大きく左右される。何の障害物もない平地で市街戦の訓練はできないし、音も衝撃もないのに銃で撃たれたふりをしろ、というのも難題だ。適応能力は個人の素質に大きく左右されるものだから、シミュレートしていない状況に放りこまれたときに混乱せず、冷静に判断し行動できるほうが稀有な才能だといえる。
少なくともこの屋敷にいる警備のヤクザたちは、人外の能力を備えた少年が単独で襲撃してくるという状況を想定した訓練は受けたことがない。それはリーダー格の人間が指示する声への反応が遅いことで、明らかに分かった。
つまり、自分を止められる人間はここにはほぼいない。
屋敷にいたヤクザの後をつけてきて発見した地下への入り口。そこから続く地下通路は古めかしい木造の屋敷とは対照的に、灰色のコンクリートで壁と床を覆われていた。中には厳重なハイテク・セキュリティが設置されている部屋もある。おそらく非合法な武器や物品をしまいこむ倉庫の役目もあるのだろう、と京太郎は考えた。
途端、通路の角から3人の男が進路を塞ぐように飛び出してくる。
足を止めて肩越しに後ろを見ると、さっき通過した角から同じく3人の男が現れ、退路を塞いだ。
「懲りねェ奴らだな、本当に」
もうかれこれ数十人は相手にしている気がする。ぼやきたくもなるものだ。
ヤクザたちの手に握られている銃器が火を噴くよりも早く、京太郎は風の力を利用して宙返りをしながら一気に後方へ跳んだ。標的を見失ったヤクザたちが、いつの間にか後ろに着地している彼に気付いたときには、1人目の男が脇腹に強烈な肘を受けて悶絶し倒れていた。
ようやく狙いを定めようと動き始めた目の前の男の銃へ、素早く引き抜いた拳銃を向ける。照準を定めるようなことはしない。銃口の向きを見れば、接近した距離ならば弾の当たる場所は見極められる。発射された弾丸はヤクザの持っていた銃にぶつかってそれを弾き飛ばし、その衝撃で隙のできた腹へ拳を打ちこむと同時、腕に雷電をまとわせる。たいした防具もつけていないというのにスタンナックルの直撃を受けたヤクザは、体を痙攣させながらその場に崩れ落ちる。
だがそれよりも早く、京太郎は前へ跳躍して後方では最後の1人となったヤクザの影に飛びこむ。続けざまに鳴り響く銃声。京太郎の進路を塞いでいたヤクザ3人が耐え切れなくなって発砲し、それは見事に味方の体を貫通した。
誤射された哀れなヤクザの背中に掌を押し当て、強烈な突風を打ち付ける。ヤクザはきりもみ状に回転しながら吹き飛んでいき、仲間を撃ってしまって呆然としているヤクザ2人が巻き添えになって、壁へ強かに衝突した。
「降参するかよ」
前方に突き出していた腕をゆっくりと腰の位置に引きながら、サングラス越しに残ったヤクザを睨みつける。
しかしヤクザは震える両腕で銃を京太郎に向けたまま、言葉を返すことができない。しかし頭がどうにか上下に動いたように見えた。
「分かった」
京太郎は何かをたぐり寄せるように腕を動かす。
次の瞬間、ヤクザは白目を剥いてその場に崩れ落ちた。さっき吹き飛ばしたヤクザに絡めておいた鋼線を操って首に巻きつけ、気管を強烈に締め上げて呼吸と意識を奪ったのだ。
「降参なら、ちゃんと両手を挙げねェと駄目だろうが」
鋼線を回収して、京太郎は周囲の様子を確かめた。地下の空間はそれほど広い印象はない。しらみ潰しに捜索すれば慎霰の居場所は突き止められるだろうが、今は時間が惜しかった。
倒れているヤクザのうち最もダメージの少なそうな、吹き飛んだヤクザの下敷きになっている男に近づくと、首筋に銃口を突きつけながら自分の方を向かせる。男は意識がやや呆然としているものの、会話ができないほどダメージを負っている様子はない。
「俺と同じぐらいの歳の奴が連れてこられたろ。どこにいる」
「……」
「ここに来てからまだ誰も殺ってねェつもりだけどよ。お前が最初の1人になるか」
京太郎は拳銃の撃鉄を引き起こす。
「ま、待て。あのヘンな服を着た小僧のことだな」
「そうだ。慎霰は今どこにいる?」
「そこだ。そこの通路をまっすぐ行くと鍵のついてない扉があって、中に階段がある。階段を下りたすぐのドアだ」
「嘘じゃないだろうな」
銃口を突きつけると、男の顔が蒼白に固まった。
「じ、自分の命がかかってるってときに、う、嘘なんか、言えねぇ」
「……よし。ついでだ、全部終わるまで寝てろ」
× × ×
室内は打って変わって騒然としていた。
慎霰に拷問を加えようと息巻いていたヤクザたちの何人かと銀仮面は応援のために部屋を出て行き、残ったヤクザも不安げな表情を隠せずに携帯電話を握り締めている。電話で伝えられる報告といえば悪いことばかりなのだから、表情が曇るのも当然だ。
どうやら京太郎は自分が捕らわれている場所を見つけ、助けに来てくれたらしい。普段はどこか燻っている京太郎の闘争本能に火を点けてしまうとどうなるか、慎霰は数回だけだが見たことがある。この屋敷にいるチンピラヤクザでは絶対に止められないだろう。銀仮面の連中が出てくればどうなるか分からないが、京太郎には隠密の心得もある。遭遇したくない相手との接触を避けることぐらい難しくないはずだ。
ヤクザの持っている携帯電話が最後の悲鳴を上げる。
「そろそろ、ここ、来んじゃねェの?」
小声で口論をしているヤクザたちに、慎霰は嘲笑を向けた。さっきまでなら憤慨して自分を蹴り飛ばしに来ただろうヤクザたちも、今は慎霰を睨みつけるだけだ。
「とりあえずこの縄、解いといたほうがいいと思うんだけどなァ。そしたら、少しは京太郎の怒りも冷めるかもしれねェし」
ヤクザたちが慎霰の言葉を理解しようと、仲間同士で顔を合わせた直後、肌寒い隙間風が強くなったかと思うとドアが内側へ吹き飛んだ。ドアは反応の遅れたヤクザたちを巻きこみ、慎霰の頭上すれすれを通過して、ヤクザたちを間に挟むかたちで壁へと激突する。
「色々と危険だったんだぜェ、京太郎」
なくなったドアの向こう側に立っている黒い姿の少年に向かって慎霰は笑いかける。京太郎は注意深く慎霰の傍に寄ると、手足を繋ぎとめている綱をナイフで断ち切った。
「……悪い。遅くなっちまって」
「いいってことよ。まだ何かされる前だったしな」
慎霰は跳ねるようにして立ち上がり、痺れを取ろうと手足を動かした。それほど長時間の拘束ではなかったので、行動に支障はないだろう。
「そういや、俺の服とかどこにあるか知ってるか?」
「部屋の外に丸めて置いてあった。数珠とかも一緒だったな、確か」
京太郎は来たときのことを思い出して言う。
慎霰が閉じこめられていた部屋から出てみると、京太郎の言った通り、自分の衣服と道具が床に無造作に置かれていた。洗濯するのも面倒なのにとぼやきながら慎霰は狩衣を身につけた。道具も全て置かれており、奪われたような形跡はない。大丈夫という意味をこめて、慎霰は京太郎に親指を突き出してみせる。
「奪われたものがねェなら、人が集まってくる前に逃げるぞ、慎霰」
「いーや、その前に忘れてることがあるって」
納得のいかない表情を浮かべる京太郎に、慎霰は笑いを返す。
「やられたぶんは仕返ししてやらねェとさ」
加勢に向かったと思っていた銀仮面たちは、屋敷の中庭に集まっていた。
「逃さんぞ、小僧」
対峙する京太郎と慎霰に憎憎しく言い放つと、銀仮面たちは妖しげな響きの呪文を唱え始める。しかし、その呪文が完成することはなかった。
京太郎が無造作に両手を動かすと、中庭に仕掛けておいた鋼線の罠が浮き上がり、銀仮面たちは洗濯紐に吊るされた様に頭を下にして宙に吊り上げられた。もちろん両手はしっかりと体の後ろで縛られており、解こうとしても手首に食いこんで痛みを感じるだけだ。
「お前らには散々な目に遭わされたからなァ、ちゃんとお礼はしとかないとな。ッつーわけで考えたんだが……」
あの嬉しそうな表情は悪戯を考えているときのものだ、と京太郎は思った。何かいい案が浮かんだのだろうか。
「やっぱそのダセぇ仮面を何とかしてやろう、ってことに決まったぜ」
パチリと指を鳴らし、慎霰はその場で指で印を組んで呪文を唱え始める。周囲に薄紫の瘴気が漂い始め、それが仮面へ寄っていったかと思うと、禍々しかった銀色の仮面はデフォルメされた愛くるしい天狗の仮面へと変わっていた。予想以上の出来栄えに満足した慎霰が小さく拍手をする。
「その仮面はな、普段はちゃんと口んとこが空いてて呼吸はできるけど、喋ろうとしようもんなら口が閉じて何も声が出なくなるッつー代物だ。つまり術も使えなくなッから、お前らはもうお払い箱。強引に大声出そうとしたら顔が超痒くなるから覚悟しとけよ」
立ち去ろうとした間際に、慎霰は振り返って宙に吊られている仮面の男たちを見上げる。
「あとそれ、絶対に壊れねェし外れねェから」
慎霰の大きな笑い声と、それを嗜める京太郎の声が、少しずつ小さくなっていった。
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