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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


桃を口に、思いを胸に。


 草間興信所にて提出するレポートを書き終えた守崎・啓斗(もりさき けいと)は、興信所内にかかっている時計を見て「あ」と呟く。
「そろそろ帰ってくる時間か」
「帰ってくるって、北斗か?」
 啓斗の双子の弟である守崎・北斗(もりさき ほくと)の事かと尋ねると、啓斗はこっくりと頷いた。
「真っ当に帰るのならば、そろそろ帰ってくる」
「ん?なんだ、それ」
「買い食い貰い食い拾い食いをしていなければ、だ」
 真剣な顔で言う啓斗に、思わず草間はぶっとコーヒーを吹き出した。
「汚いな、草間」
「いやいや、そうじゃなくてだな。お前、それを禁止しているのか?」
「当然だ。常日頃から、絶対にしないようにと重々言ってある」
 草間は「なるほど」と言って思い出す。過去に何度か、北斗がこの草間興信所にやってきては冷蔵庫を漁り、口に放り込んでいたのを。その思い出は、そっと心の奥底においておく方がよさそうだ。
「それにしても、徹底しているな」
 苦笑交じりに言うと、啓斗は「まあな」と答える。
「言っても聞いてくれない場合もあるが」
 食欲大魔神だから。
 草間は「でもな」と口を開く。
「何でそこまで拘るんだ?別にいいと思うけどな、買い食い貰い食い拾い食い……と、拾い食いはいかんが」
 草間の問いに、啓斗は「別に」と言いながら溜息をつく。
「別に、意地悪で言っているんじゃない」
「なら、何故だ?」
「理由なら、あるんだが」
 啓斗はそう言い、そっと目を閉じた。


 くしゅくしゅ、という泣き声が縁側の方から聞こえてきた。啓斗はきょとっと小首をかしげ、声のする方へと進んでいく。
「あ」
 その途中にある襖に、大きく「どケチ」と書いてあった。その傍には、それを書いたであろう油性ペンのキャップがはずされたまま、無造作に投げてある。書きなぐったような文字から、書いた主が勢いに乗じて書き、ペンを放って置いたのだという事が分かる。
 くしゅくしゅ、という泣き声は未だに続いている。啓斗は油性ペンのキャップを閉め、声のする縁側の方へと進んでいった。
 縁側では、北斗が体をぎゅっと小さくして泣いていた。
(叱られたか)
 即座に何が起こったのかを察知した啓斗は、そっと手を伸ばして北斗の頭を撫でた。ふわふわと柔らかな触感が、暖かな感覚がくすぐったい。
「どした?」
 啓斗が尋ねると、北斗はくしゅくしゅと泣きながらそっと口を開いた。
「買い食い、駄目って」
「怒られた?」
 こく、と北斗が頷いた。
「だから、ケチって書いたか」
「ケチじゃな。ど、ケチ」
 くしゅくしゅと泣きながらも主張する北斗に、啓斗は苦笑する。
「おなか、すいた?」
 啓斗が尋ねると、北斗はこくっと頷く。
「おなか、すいた」
「おなか、すいたか」
 こく、と再び北斗は頷く。涙と鼻水で、顔も目も赤くなっている。
 啓斗はそっと北斗の頭から手をどけ、部屋の方へと消えていく。
「啓?」
 突如なくなった暖かな手に北斗は寂しそうな声で呼びかけ、辺りを見回す。
「啓、どこ?」
 今度は違う理由で泣きそうになっていると、目の前にすっと瓶が差し出された。
 うっすらとピンク色をしている、透明なとろりとしたものが入っている瓶だ。
「これ」
 それは、水飴だった。ラベルにピンク色の鳥の絵が書かれている、美しい水飴の瓶。思わず北斗はごく、と喉を鳴らす。
「ん」
 啓斗はそう言って、瓶と共に割り箸も渡す。それを恐る恐る北斗は受け取る。甘そうな水飴の瓶と、水飴を練る飴の割り箸。
「……でも、啓がおなかすく」
 北斗はそう言い、割り箸をぎゅっと握り締める。
 啓斗が持ってきたという事は、これは啓斗の水飴なのだ。啓斗が食べる為のもので、決して北斗が食べる為のものではなかった筈だ。
 そうして我慢しようとする北斗に、啓斗はきっぱりと「すかない」と言い放つ。
「俺、この飴嫌いだも」
 啓斗はそう言いながら、じっと桃の絵がかかれた瓶を見つめる。
 美しいピンク、とろりとした水飴、ほんのりと香る甘い匂い。
「……いいの?」
 嫌いだから、という言葉が、啓斗のものを取るという心を和らげたのか、北斗は恐る恐る啓斗に尋ねる。
「ん」
「本当に、貰ってもい?」
「ん」
 何度も問いかけ、何度も頷く。何度目かの「貰っていい?」「ん」の対話の後、ようやく北斗は瓶の蓋を開いた。途端、ふわり、と甘い匂いが広がる。
 北斗は割り箸を使ってとろりとそれを掬い、ぐるぐると回して箸に巻きつける。それをこぼさない様に、そっと割り箸を割ってこね始めた。
「北、垂れてる」
「あ」
 啓斗に指摘され、慌てて垂れていた水飴を口に含む。口いっぱいに広がる甘い味に、北斗はにっこりと満面の笑みを浮かべる。
「啓、おいしい」
「そか」
 北斗はこっくりと頷き、再び割り箸で水飴を練る。最初は透明に近かったピンク色が、練っていくと空気を含んで上品なピンク色へと変わって行った。
「北、また垂れてる」
「え」
 再び指摘されたものの、北斗は垂れている部分を見つけることができない。何処かからは垂れてくるだろう、と上部に飴を掲げて口をあけて垂れてくるのを待った。
 たり、と確かに水飴は落ちてきたが、北斗の予想を裏切った場所からだった為、北斗の頬に落ちてしまった。
 啓斗はそれを見て、そっと手を伸ばしてごし、と拭ってやる。
「啓、ありがと」
「ん」
 にぱっと笑って、再び北斗は水飴に取り掛かった。大分上手く練り上げられた所で、割り箸を完全に引き離す。そしてその内の一本を口にくわえた。甘い味が、口いっぱいに広がる。
「おいしい!」
「そか」
 北斗がにっこりと笑って水飴を食べるのを、啓斗はじっと見つめる。時折また口の端に水飴をつけるので、それもそっと拭ってやる。
 食べ進めていくうちに、北斗は水飴に味がついていることに気づく。
「……啓、これ、桃味」
 北斗が言うと、啓斗は小さく「ん」と頷く。
「桃……啓好きなのに」
 じっと北斗が見つめながら言うと、啓斗は黙り込んでしまった。
「嫌い、ちがくて」
 困ったように北斗が言うが、やっぱり啓斗は何も言わない。
 桃が好きな啓斗が、桃味の水飴を嫌いなはずがない。それを「嫌い」といったのは、北斗が困惑していたから。
 買い食いを禁止されて、でもおなかはすいていて。くしゅくしゅと泣いていた北斗を、なんとか慰めたいと思って啓斗は水飴を出したのだ。北斗が安心して水飴を食べられるように、おなかがすいているのに我慢してしまわないように、「嫌い」という理由をつけてやって。
 北斗は手にしているもう一本の割り箸と、水飴の瓶、そして啓斗を何度も見比べる。
「啓」
 北斗は啓斗に呼びかけ、そっと割り箸を差し出す。
「半分こしよう」
「半分こ?」
「ん、半分こ」
 にこっと笑いながら北斗は割り箸を差し出す。啓斗は一瞬と惑いつつ、それを手にする。
「水飴、まだあるし」
「ん」
「半分こしたい」
「半分こ」
 啓斗と北斗は顔を見合わせ、笑い合う。北斗はにこっと、啓斗はほのかに笑う。手にしている割り箸には、美しいピンク色をした桃味の水飴がついている。
 ピンクの鳥が書かれたラベルのついた水飴の瓶には、まだ水飴が残っている。
 二人で仲良く食べていると、北斗が啓斗を見てにっこりと笑う。
「啓、おいしいね」
「ん」
「二人で半分こしたら、もっとおいしい」
 啓斗は北斗の言葉を聞き、北斗と水飴を見比べる。にっこりと笑う北斗の顔を見て、啓斗もそっと顔を綻ばせる。
「ん、おいしい」
「ね。二人で半分こしたから」
 北斗の言葉に、啓斗はこっくりと頷いた。
 二人で半分ずつ食べたから、こんなにも美味しいのだと。そうしてそれは、北斗と分け合いつつ食べているからなのだと。
 縁側の日差しは暖かく、透明なピンク色の水飴は柔らかく光を受け止めているのだった。


 話を聞き終え、草間は「いい話じゃないか」と言って呆気に取られた。
「しかし、それがどうして買い食い貰い食い拾い食い徹底禁止に繋がるんだ?」
「や、だから」
 啓斗はそう言い、真剣な顔をする。
「簡単に買い食いが出来る時代だろう?今は」
「ま、そうだな」
 ちょっと道を歩けば、コンビニがある。喫茶店がある。食べ物を取り扱う店がたくさんある。お金を握り締めていけば、いつでも好きなときに買い食いする事ができるのだ。
「それだと、忘れられそうだから」
「忘れられそう?」
「ああ。簡単に買い食い貰い食い拾い食いなんてされたら、あの時の事を忘れられそうだ」
「そうか?」
 怪訝そうに草間が言うが、啓斗はこっくりと頷く。
「そんなの、嫌じゃないか」
 啓斗は苦笑交じりにそう言った。
 あの時、二人で桃の水飴を半分こした。暖かな日差しと、柔らかな光。包み込む優しい空間。
 その全てが忘れられるなど、啓斗には考えられなかった。絶対に嫌だ、とも思った。大事な思い出として、ちゃんと持っておいて欲しい、と。
「忘れられたら、嫌だから」
 再びきっぱりと啓斗が言い放つと、草間は苦笑しながら「そうか」と答える。
「そういう落ちか」
「落ちって」
 不満そうな啓斗に、草間は「ま、いいさ」と言葉を続ける。
「お前がそういう風に思っているのは、北斗だって分かっているんじゃないか?」
「そうか?」
「ああ。お前だけが大事に抱え込んでるって訳じゃないと思うぜ?」
(それならば、良いが……)
 啓斗は小さくため息をつく。それならば、良い。だけど、もし本当にそうであるならば。
「だったら、もっと自重してもいいと思う」
「自重?」
「だから、買い食い貰い食い拾い食いをしない事」
 真剣に言う啓斗に、草間は「なるほど」と言ってくつくつと笑った。
「何か、おかしいのか?」
「いや、啓斗らしいと思っただけさ」
「俺らしい?」
「ああ。そういうのは、実にお前らしいさ」
 草間はそう言い、煙草に火をつける。じりじりと赤く燃える先端を見つめ、啓斗は「そうか」と頷く。
「俺らしい、か」
(ならやはり、きっちり禁止しないとな)
 自分らしさとは、そこにもある筈だと啓斗は考える。そしてそれは、当然の事としてあってもいいのだと。
 それが、啓斗らしいという事のはずだ。
「じゃあ、草間。今度、北斗がここの冷蔵庫をあさり始めたらちゃんと止めてくれ」
「え」
「頼んだからな」
 呆気に取られる草間を背に、啓斗は草間興信所を後にする。
「ばれてたぞ、北斗」
 ぱたん、と閉められたドアを見つめ、草間が小さく呟くのであった。


<いつか見た夕日を見つめ・了>