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<東京怪談・PCゲームノベル>


過去の労働の記憶は甘美なり

「深い事情がありそうな事を言っておきながら、実は弟殿への借金だったとはな」
「顔合わせにくかったのは本当で、嘘は言ってない」
 夜の蒼月亭の片隅で陸玖 翠(りく・みどり)は、友人である松田 麗虎(まつだ・れいこ)の奢りで『ギムレット』を飲みながらそうぼやいていた。麗虎は隣で煙草を吸いながら、空になったカクテルグラスをカウンターの奥に押しやりながら『ルシアン』を頼んでいる。
 深い事情…というのは話せば多少長くなる。
 夏も終わろうとする頃、麗虎の弟が学校で肝試しをするので様子を見て欲しいと頼まれたので、自分で見に行けばいいだろうと言った翠に「今、猛烈に弟に嫌われてるから顔合わせにくい」と言ったことだ。
 友人の頼みであるし、何か事情があるのだろうということで頼みを聞いたら、顔を合わせにくかった理由が「弟から借りた金を返していないから」と言うことだった。深刻そうに言われたので、すっかり麗虎に騙されてしまった事が翠としてはちょっと悔しい。
「別に儲かっていないわけではないのに、どうして弟殿に金を借りるか」
「面倒くさくて金おろすの忘れるんだよ。あの後ちゃんと借金は返したから、今は大丈夫」
 ふっと笑いながら煙草の煙を吐く麗虎に、翠は溜息をつく。
「まだ返してないって言ったら、借金させてでも返させてやろうと思っていたのだがな…で、今日は何の用だ?」
 翠がここに来たのは、麗虎からかかってきた一本の電話からだった。
「この前はどうも。酒奢るから、蒼月亭で飲まない?」
 そんな誘いだったのだが、どうやらそれだけではなさそうだ。その証拠にカウンターの上には月刊アトラスが乗せられている。おそらく前回の詫びと共に、何か新しく頼み事をしようという魂胆なのだろう。
「で、今日は前回の詫びだけか?私に頼み事があるなら、早めに言ってくれるとありがたいのだが」
 カクテルグラスをスッと飲み干し翠がそう言うと、麗虎は人懐っこい笑みでにっこりと笑った。
「話が早いと、こういうときいいよな」
「…大体麗虎が酒を奢ってくれるというときは、その後に何か厄介事がくっついてくるというのが最近やっと分かってきたので」
 すると麗虎は、月刊アトラスの付箋を付けた一ページを開いて見せた。そこには全国の『泣く木』の話が載っている。
 植物というのは割と人の心に感応しやすい。その木が生えている場所が処刑場だったり、そこで人が首を吊ったなどという事件があると、その時の心に木霊が反応してしまうのだろう。そんな話はどこにでもある。
「良かったら一緒に『血吸い桜』でも見に行かれませんかね?」
 それは取材の一つということだった。この特集が好評だったので、その中でも反響の多かった『血吸い桜』と呼ばれる木を詳しく取材するという事らしい。
「…で、大体の歴史とか、どうしてそんな呼び名がついたとかは調べたんだけど、やっぱ現場に行って写真撮りたいんだよね」
「いくらでも撮りに行けばいいじゃないですか」
 素っ気なく翠がそう言うと、麗虎は煙草の火を消しながらあっさりとこう言った。
「だって俺、霊感とかほとんどないんだもん」
「はい?」
「霊がいるとか木霊がいるとか、こんな仕事して言うのも何だけど全く分からんから、出来れば一緒に言ってコメントしてくれる人がいるといいなーって。俺が知ってる中で、そういうの分かりそうなの翠だけだし、一人で行ってまかり間違って惑わされても困るし」
 これは自分の能力を買っているのか、それとも上手く乗せられているのか。
 翠が黙っていると、麗虎はその隙に「グレンフィディック」のロックを二つ頼んでいる。一つはどうやら奢ってくれるつもりらしい。翠はそれに面倒そうに溜息をつく。
「…それを飲んだら、承諾したと言うことになるんでしょうかね」
「この前の詫びもあるから、別に嫌だと思うなら断ってもいいよ。翠がこの話に乗らなかったら、マスターに誰か紹介してもらうし」
 ここのマスターであるナイトホークが、苦笑しながらグレンフィディックが入ったロックグラスを二つ置く。
「厄介事以外ならいくらでも紹介してやるけど、お前って人に頼み事するの本当に上手いよな。まあごゆっくりどうぞ」
 確かにその通りだ。
 翠としてはあまり必死に頼まれるとひいてしまうのだが、この辺りの駆け引き具合はある意味心地よい。自分が一番と思っているが、他の誰かに頼んでもいいと言われて断るつもりはない。
「どうする?花は咲いてないけど、桜見に行く?」
「そうですね…どうせ私も暇ですし、一緒に見に行きましょうか。でも、まさかこれからというわけではありませんよね」
 翠が承諾すると、麗虎は新しい煙草にライターで火を付ける。
「今日は本当に酒奢るだけ。それに取材道具全く持ってきてないから、行っても困る。俺普段からスクープ追っかける方じゃないし」
「それもそうですね…じゃあ、取材が上手く行くように乾杯でも」
 ロックグラスを持ち上げて、翠はくすっと笑った。

 その木があるのは、都内の外れにある森林公園の中だった。
 「昼間に行っても面白くない」という麗虎の言葉で、夜になってから二人乗りのバイクでここまで来たのだが、あたりは妙に静まりかえっている。
「………」
 何だか嫌な気配だ。翠はそんな事を思っていた。
 霊がいてざわめいているのならいいのだが、ここは妙に静かすぎる。それに『血吸い桜』の名の通り、何だか微かに血なまぐさい。
 麗虎が調べたところではこの桜の近くで人が死んだり、首を吊ったりという事件が多く起こっているらしい。それがあまりにも頻発するので「桜が人を惑わせて血を吸っている」という噂が立っているのだという。
 時間はそろそろ午前二時になろうとしている。丁度丑三つ時だ。
「もしかしたら『木の散歩』が見られるかも知れないな」
 翠の言葉に、麗虎がデジカメで写真を撮った後で振り返る。
「『木の散歩』って木に足が生えて歩くのか?」
「それは本気で言ってるのか、それとも冗談のつもりなんですか?」
 溜息をつきながら、翠は麗虎に説明をした。
 樹齢が高い木の木霊は、夜になると木から出て森を散歩することがある。もしかしたら辺りが妙に静かなのは、木霊達が木から出て行ってしまっているからなのかも知れない。
 懐から符を出し、翠はそれを一枚麗虎に渡す。
「それを肌身離さず持っていてください。持っていれば木から姿を隠すことが出来るし、私が見ている物を麗虎に見せることが出来る」
「折っちゃってもいい?」
 返事を聞く前に麗虎は札を二つに折り、ジーンズのポケットに入れている。
「お好きなように」
 その時だった。
 しゃんしゃんと鈴を鳴らす音と共に、何かが近づいてくる。鈴のついた杖を持った木霊達が、麗虎や翠の前を通りあちこちの木の中に帰っていく。
「これが『木の散歩』か…?」
 デジカメを構えながら、麗虎は闇に向かってシャッターを切った。写るかどうかは分からないが、何度もシャッター音が響き渡る。翠は麗虎を横目で見ながらも、辺りに気を張り巡らせていた。
 何かがおかしい。
 この『血吸い桜』の木霊はどこに行ってしまったのか…自分達の前を木霊達が通り過ぎていくのに、桜の木霊だけが見あたらない。
「何か聞こえないか?鈴の音に混じって、誰かが泣いてる…」
 そう言いながら麗虎が闇を指さす。すると、全ての木霊から一歩離れてほとんど朽ちかけた骸骨達の行列が、濁った鈴の音を立てながら自分達の方へと近づいてきた。
『しくしく…しくしく…』
 これが血吸い桜の木霊か。おそらく行列の先頭が桜の木霊なのだろう。そして後ろに続く亡者達がすすり泣いている。そして、じゃらん…と鈴の音が鳴り木霊が自分達の方を見た。
『おともだち…』
 自分達の姿は符で見えないはずなのに、木霊が麗虎の手を取った。そしてそのまま強い力で木の中へ引きずり込む。
「なっ…!」
「麗虎!」
 その瞬間、あっという間に翠の前から麗虎の姿が消えた。この木の下で自殺などが多いことには気を配っていたのだが、まさか木が人を拐かすとは思っていなかったのだ。
「麗虎!聞こえるか!」
 木に向かって声をかけると、微かに麗虎の声が聞こえた。
「聞こえてる…ごめん、油断した…」
 すぐに命を取るというわけではなさそうだ。だが早めに助けないと、麗虎が亡者の仲間入りをしてしまう。まずはとにかく木の中から麗虎だけを出さなければならない。
「翠、どうしたらいい?」
 麗虎は符をまだ持っているはずだ。だったらまだ助ける事は出来る。
 翠は自分の腕時計を見た。闇の中でも秒針が一秒ずつ時を刻んでいるのが見える…自分の「目」で見ている物をさっきまでは符の力で麗虎に見せていた。霊感がないのに木霊が見えたのもその為だ。だったら、翠が今見ているものも麗虎に見せられる。
「麗虎、私が見ている時計の針が見えますか?」
「つか、翠の見てる物しか見えない。だからここがどんなになってるのかも分からん」
 ならば話は早い。翠は時計を見つめたまま右手の指を弾いてリズムを取り始めた。パチン…パチン…と、闇の中に乾いた音が響く。
「この音に合わせて拍子を取ってくれないか。一秒に一回…私がそっちに合わせる」
「分かった」
 麗虎がいる木の中と、翠がいる現実の空間を繋げるためにはお互いの音を同調させるのが早い。無理矢理出そうとすれば木を傷つけてしまうだろうし、そうなれば中にいる麗虎がどうなるかも分からない。一番安全に助けるには多少の面倒は仕方がない。
 パチン…二つの音が重ならない。パチン…まだずれている。
 焦ってはいけない。少しずつ音を合わせ、それと共に翠は呪を唱えた。
「オン アボキャベイロウマカボダラマニ…」
 パチン、パチン…だんだんお互いが鳴らしている音が重なっていく。それと共に翠は慣らしていた右手を木に向かって差し出した。
 すうっと吸い込まれるように手が木の中に入っていき、麗虎の手を掴む。
「うわっ…」
 空間が繋がり、麗虎の体が木の中から出てきた。突然現実世界に戻ったせいでその重力に麗虎がよろめく。
「痛ってぇ…マジで亡者の仲間入りかと思ったぜ」
 何とか元の世界に戻したが、木霊はまだ諦めないだろう。血吸い桜…どうやらただの噂どころの話ではないようだ。
「麗虎、もう一度拐かされたくなければいつものように煙草を吸ってろ…木は火を嫌う」
「らじゃ」
 麗虎は慣れた手つきで煙草を取り出し、ライターで火を付ける。それを合図にしたかのように、辺りにはすすり泣きが聞こえてきた。
『しくしく…おともだち…しくしく…』
 木の中から朽ちた骸骨が半身を乗り出し、手を伸ばした。だが翠の言う通り火を嫌っているのかその手は空を切るばかりだ。
 符を出し、翠は木霊に近づく。
「何故人を拐かそうとするのか、それを話しなさい。お前は木霊ではなく、亡霊なのでしょう…言い残した想いがあるなら、それを存分に語りなさい」
『しくしく…おともだちがほしいだけなの…しくしく…おともだち…』
 既に人であった頃の記憶も残っていないのかも知れない。木からは骸骨の行列が出て翠達を取り囲もうとする。
『しくしく…しくしく…』
 ざわっと辺りの気配が揺れ、翠がふっと笑う。
「どうも私には浄霊は向かないみたいですねぇ…」
 持っていた符を投げ、翠は印を組む。それと共に亡者達の体が火に包まれた。本来であればその想いを聞いて浄化させるのがいいのだろうが、友人に危害を加えようとした相手に容赦する気はない。「言い残した想いがあるなら語れ」と言ったときに話し合う余地があるのなら良かったのだが、どうやらそういうわけにも行かないようだ。
『ひどい…しくしく…わたしのおともだち…』
 闇が蠢き、敵意をむき出しにした木霊が翠に襲いかかる。
 くす…と翠の口の端が上がる。
「残念ながら、麗虎は私の大事な友人です。あなたに譲るわけにはいきません…さようなら」
 翠の手のひらが木霊に触れると辺りに一瞬光が満ち、そのままボロボロと朽ちていった。

「…本格的に役立たずで大変申し訳ございません」
 次の日、翠と麗虎は蒼月亭のカウンターで酒を飲んでいた。その言葉にクスクスと笑いながら、翠はグラスを傾ける。
「まったく、私がいたからいいようなものの、一人だったらそのまま亡者の仲間入りだったな」
「返す言葉もございませんが」
 そう言いながら麗虎はグレンフィディックのグラスをぐいっと飲み干し溜息をつく。そして翠の方を見ながらこう言った。
「あの桜の下には、もしかしたら死体が埋まってるのかもな」
「梶井基次郎ですか?」
 しばしの沈黙の後、麗虎は煙草の煙を吐きながらこう呟いた。

 『ああ、桜の樹の下には屍体が埋まっている!いったいどこから浮かんで来た空想かさっぱり見当のつかない屍体が、いまはまるで桜の樹と一つになって、どんなに頭を振っても離れてゆこうとはしない』

 それは梶井基次郎の「桜の樹の下には」の一文だった。
 もしかしたらその一文の通り、あの桜の下にも誰かが埋まっているのかも知れない。それが桜の養分になり、やがて木と一体化して木霊になっていく…そんな事もあるだろう。
 だからといって同情する気は全くなかった。それに同情していたら、麗虎を亡者の仲間入りさせてしまう。
「ところで、記事にはなりそうか?折角協力したのに、記事に出来なかったら困るだろう」
 その質問に麗虎はくすっと笑って翠を見る。
「それは大丈夫だ。翠が除霊しちまったから、これから『血吸い桜』なんて呼ばれるような事件は起こらなくなるかも知れないけど、それはそれでいいと思ってるし」
 それなら良かった。翠は安心したように微笑み、カクテルのメニューを見始める。
「ところで今日も麗虎の奢りということでいいんですかね」
「奢らせていただきます。俺昨日全く役立たずだったんで」
 そう言って頭を抱える麗虎を見ながら、翠はくすくす笑った。たまにはこうやって危険な目に遭うのも麗虎にはいい薬なのかも知れない。危険な場所でも取材に行くそのジャーナリズムをとやかく言うつもりはないが、それで友人を亡くすのはこりごりだ。
「何飲む?ものすごい高い酒は流石に勘弁して欲しいんだけど、それ以外なら奢るから」
 空になったロックグラスを振りながらそう言う麗虎を横目に、翠はカウンター奥に向かってこう注文をした。
「『チェリーブロッサム』を二つ」

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
6118/陸玖・翠/女性/23歳/(表)ゲームセンター店員(裏)陰陽師

◆ライター通信◆
ご参加ありがとうございます、水月小織です。
麗虎と一緒の「ヤバイ仕事」という指定でしたので、一緒に取材に行って巻き込まれるという話にさせていただきました。麗虎が本文で言ってますが「全く役立たず」です。自分から危険に飛び込み、そのまま踏み抜くを地で行ってます…きっとしばらく翠さんに会うたびに奢っているような気がします。
リテイク、ご意見などはご遠慮なくどうぞ。
また機会がありましたらよろしくお願いいたします。