|
天狗の悩み
【オープニング】
「邪魔をするぞ……ここが、草間武彦の根城だな?」
うだるような夏の日の午後。
ふらりと草間興信所に現れたその男は、涼しげに武彦へそう問うた。
「……初見だな。あんた、誰だ?」
団扇を仰ぎつつ日が落ちるのを待ち続けていた興信所の主、草間武彦はそう呟いて男を見る。
―――背の高い、男であった。
印象的なのはその長身。そして、鴉の濡れ羽を連想させる長い髪と瞳である。
「ああ、そうか。名乗らねばいかんな……己の名は、梢」
武彦の問いに、存外にあっさりと彼、梢は首肯して、
「職業は――或いはこの言い方も不適当だろうが―――天狗をやっている」
そんな、武彦の予想通り尋常でない返答を返してきた。
「……用件を」
「うむ」
粗茶ですが、と零に出された緑茶を啜りながら、天狗を名乗る男が喋り始めた。
「実は、知り合いの天狗が困っている」
「ふん?」
「此処から西に位置する、I市の山に棲んでいてな。それで……麓の街で、最近良く無い噂が、な」
「噂とは?」
「昨今、件の街で起こっている下着泥棒や温泉の覗き見等、諸々の事件――それらが天狗の仕業だ、とか」
「なんて情けない噂だ……一体どういうことなんだ?天狗の仕業と言われるからには、それなりの――」
「詳しいことは現地で調べんと見当が付かん。己の処にも、助けてくれ、と便りが来ただけでな」
「……その、件の天狗だけでは解決できんのか?」
「……腕は確かなのだが気の弱い奴でな……つまるところ、無理なのよ」
「苛められっ子気質か、要するに」
再び武彦が嘆息する。
……なんというか、何処と無く気の抜けた事件ではある。
「各地の伝承が一定ではないように、天狗も様々と言うことよ。少なくとも悪い奴ではない……そして、奴自身はこの事件でなんら“得をしていない”のだ。既に起こった、様々な事件の中の幾つか――或いは全て、やも知れぬが――には、巧妙に犯人の意図があるに違いない。きっと真相は、己の友人とは別の処にあろうよ」
「成程、彼には利が無い、か……それで、無実の証明に協力して欲しい?」
「ああ。どうか頼む」
厳かに、目の前で梢が手刀を切る。
天狗の全てが高慢という訳でもないだろうが……わざわざ足を運んだのだ。やはり困っているのだろう。
「ふむ。オーケイ、それじゃ、適当に人材を見繕ってやるよ」
「すまぬ。助かるぞ、武彦」
こうして。
天狗の持ち込んだ、天狗の無実を証明してくれという奇妙な依頼が始まったのである。
【1】
「えっと……うん、今日も遅刻せずに来られたわね」
―――自分が洩らした、満足そうな呟きと共に時計を見れば、予定時刻の五分前。
(社会で生きる人間としての心構えを今日も実践出来ていることは、良いことね)
彼女、シュライン・エマは、そんな思いを馳せつつ目前に建っている雑居ビルへ入っていく。
すなわち、彼女が働く草間興信所……今日も今日とて、冷房とは無縁のそこへ。
「さ、今日は……どんな厄介事なのかしら」
今日は事務所での手伝いではなく、簡単な調べものを依頼されて外で行動していた彼女である。
急な依頼が入った、と数分前に電話が入ったのだが―――
「……あの二人経由の依頼って言ってたわよね。どういうことかしら」
はぁ、と一人で嘆息する。
電話口の向こうで、興信所の主が言うことには―――どうも、今回の依頼人の紹介者が一癖あるのだそうだ。
すなわち、怪しげな魔術師。怪しげな退魔師。
魔術師も退魔師も大分いるものだが、その中でも武彦が苦手とする「二人組」となると数は限られる。
「……この間は、生死の境を彷徨ってたわよね。武彦さん」
ふと、思い出す必要が全く存在しない思い出が脳裏を掠めた……全力で抹消する。
「でも、一体誰なのかしら。素性が怪しいって、武彦さんは言っていたけれど」
心の中でささやかに疑問符を浮かべながら、シュラインはビルの中を移動。目的地の、ドアの前に立つ。
ノックをしてから、中に入った。
「武彦さん?来たけど、急な依頼って―――」
「ああ、エマ。急に呼び出してすまないな」
大して広くも無い部屋の中には、草間興信所の主・草間武彦の姿があった。
彼は安堵したような、少しはにかんだ笑みでシュラインを迎えた。
「気にしないで。それで……また、甘かったり辛かったりするの?」
「……気持ちはわからんでもないが、違うぞ」
彼の身体を案じて聞いてみるが、どうやら今回は違うらしい。
当然と言えば当然だ。今回の依頼、その依頼者自身は、そういった属性を帯びていない……。
「どうも、エマのことを知っているらしくてな。呼び出せと主張しているんだ」
「ん……誰かしら」
武彦の台詞に、一瞬だけ考え込む。
今回は来ていないようだが、今回の依頼を此処に持ち込むよう薦めた人物は知っている。
ならば、繋がりは――その強さは度外視するとしても――あるかも知れない。
「それで、依頼人は?」
「ああ、今、そっちの台所で―――」
「うん?おお、やっと来たか!」
つ、と。武彦がシュラインの問いに答えようと視線をスライドさせる。
時を同じくして、その視線の先から驚きと嬉しさをブレンドした声が上げられた。
声、そして武彦の視線につられて、シュラインも「彼」を見る。
「あら、貴方は……」
「うむ、久し振りであるな!エマ、という名であったか!」
「あ、こんにちはエマさん。緑茶で良いですか?」
そこには、満面の笑顔で零の傍らに立つ長身の男。
――――前に一度、天狗の棲む山で会ったことのある彼が立っていた。
「大丈夫よ、武彦さん。信用できる方だから……あ、零ちゃんは念の為近付かないでね」
「む、何を言う」
「もっと幼い方が貴方の好みでしょうけど……必要以上に近づいたら、殴って良いからね?」
「いや、十分許容範囲内だが。全力で慈しむぞ?」
「零、向こうへ行っていなさい……いいか。全力で向こうへ行っていなさい」
……出された緑茶を飲みながら、和やかに会話する。
シュラインは「一部の隙も無い」笑顔で。武彦は眉間に皴を寄せて。
そして――――当の天狗、梢だけが純粋な笑顔で。
「それにしても、ご無沙汰してたわね梢さん。今日はどうしたの?」
「うむ。まぁ、依頼なぞ抜きにして、そこの零を全力で慈しみたいところだが―――」
「エマ、このリストに載ってる霊能力者を全部呼び出せ。決戦装備で頼め。事務所の金を全て使って良い」
「―――己の命に関わりそうだから早めに言おう。つまり……」
目線を逸らしつつ、彼は話を始めた……。
因みに、どうやらこの天狗は喉が渇き易い男らしい。会話する間に、何と五回ほど零に緑茶のお代わりを頼んだ。
全て武彦に阻止されたが。
「ふむ……天狗の悩み、ね」
「うむ。情けない男でなぁ……」
暫しして、会話が終わる。
「狂言ではないのね?」
「ああ、違う。それは保証しよう……どうだ、やってくれるか?」
「そう……ええ、分かったわ。とりあえず、現地で事件について詳しく調べないとね」
「すまんな」
短く礼をいい、目の前の天狗が頭を下げた。
(鼻は、案外高くないのね)
どうでも良いことを考えつつ、既に彼女は思考を加速させる。必要なことだ。
「まず、それでも天狗さんに話を聞かないと。彼は意図しなくても、何らかの行為に便乗されている可能性も捨てきれないわ。加えて、そもそも、その行為が誤解を受けていることも有り得るわね……そうそう、最初にそのことで騒ぎ出したのは誰だったのかしら?」
言葉に出して言う、という行為は有効である。
整理。発見。発展。無駄に見えそうだが、しかしシュラインは断じてそのように考え始める。
「うむ、これが噂の美人秘書というものか。小説やドラマにある通りだな」
「……随分と俗っぽいんだな、あんた」
「いやいや……頼もしいと褒めているのだよ」
半眼になってぼやく武彦の横で、梢が笑った。
―――こうして、天狗に関わる此度の事件が幕を開ける。
【2】
……そして、数日後。
梢の依頼を了承した面々は、極々普通に交通機関を駆使してI市に到着した。
「―――ふむ。思えば、こうしてこの街を訪れるのも久し振りだな」
静止した電車から足を踏み出しつつ、梢が懐かしげに呟く。
高い丘の上に作られた駅は、一歩踏み出すだけで街の景観を把握することが出来る……
「あれ?でも、この近くの山に住む天狗さんとお知り合いなんでしょ?」
彼の台詞に、元気良く。
跳ねるような足取りで梢の次にホームへ降り立った、弓削・森羅が首を傾げた。
「ああ、そうだな」
「……なら、街にも降りてくるんじゃないですか?」
「いや、普通は飛んで来てしまう故な。街には来ないのだ」
「へぇ……」
「それじゃ、最後に来たのはいつ頃なんですか?」
「ん……」
溜息をついて浅く首を振る森羅と入れ替わるように、質問をしたのは秋月・律花。
尽きることのない興味心、欲求が、瞳からありありと覗いている……
これにも、少し考えただけで梢が肩をすくめる。
「詳しくは覚えておらんな。確か、まだ天皇が強き頃であったか?」
「はぁ……」
「質問を質問で返しちゃいけないわよ、梢さん?それと、一寸待って」
何故か疑問符を浮かべて、逆に律花を問い詰める梢。
苦笑しながらシュライン・エマが彼を諌める………話すうちに、彼の足は自然と駅の外へ向かっていた。
「どうした、エマ?」
「まだ全員が揃ってないわ……ええと、詩文さんと冥月さんが見えないわね」
「……あの二人なら、別に無視して進んでも問題ない気もするが」
「ほう、それはどういう意味だ?」
辟易して呟く梢。同時に、その言葉に答える声が在った。
壁に耳あり、という言葉が古来から日本にはあるのだが――――ともあれ、梢は声のした方を向く。
勿論、電車の登場口とは反対である。
「そのままの意味だ。その芸で、距離の差は問題とならぬのだろう?」
「成程、天狗は正直なことを言う……気に入らんがな」
この暑さにも負けず、黒い服で身を固める黒・冥月であった。
「……可愛気の無い冥月は良いとして、だ。エマ、詩文は何処に……」
「はいはーい、勿論居るわよん♪」
く、と笑う冥月から視線を外して問う梢は、しかし台詞のとおりエマを見ることが出来ない。
……なんとなれば、陽気の仮面を付けた桜塚・詩文が彼のすぐ目前に立っていたのである。
「……何か術でも使ったのか、お前も?」
「ふっふっふー、梢さんも修行が足りないわね。乙女に出来ないことはないのよ♪」
「そうなのか!?」
彼女の口から発せられた衝撃の一言に身を震わせる、無知な天狗。
慌てて女性陣のほうを見るが、誰もが曖昧な表情で返答しようとはしていない。
「くっ……永き時を生きていても、常に知らぬことは増えているのだな……!」
「貴様が特別無知なだけだ」
「その意見は却下だ!」
悔恨の表情で崩れ落ちる彼に、冥月が止めを刺した。
「長生きはするものではない、ということか……!」
「そんなことないですって!俺の知ってるおばあちゃんなんかも、“長生きはするもんだねぇ”、とか何とか言ってましたよ!?凄くいい笑顔で!」
「そ、そうですそうです!ほら、梢さんって歳の割にはお若く見えますし!」
「……律花さん、それはいまいちフォローになっていないと思うのだけれど」
物語の序盤であるというのに、早くも主賓が精神的に瀕死である。
梢の様態など何処吹く風といった呈の冥月を他所に、梢を慰める光景が展開され始め……
「まあ、寸劇は置いておいて……梢さん、お知り合いの天狗様は何処にいるのかしらん?」
「………うう。そうだな、それが目的であった」
意外なことに、詩文が話の筋を正しい方向に戻してしまった。
持参した帽子で日よけを形成しつつ、既に歩き出す気概を整えている彼女である。
「では、行くとしようか。此処からなら三里と少しだから……やや遠いか?」
「そうですね……交通手段は何を?」
「うむ………己は、その、た、たくしーと呼ばれる車に乗ってみたいのだが……駄目か?」
心持ち、胸を高揚させつつ―――否、明らかに期待と緊張を顔に出しつつ。
何年の時を生きたかも正確に思い出せぬその天狗が、おずおずと皆に問うた。
……シン、と数瞬ばかり降りる沈黙の帳。自分が言ってはならないことを言ったと思い、梢が慌てる。
「いや、無論現代の通貨も持っているぞ?そう、百万円もあれば足りるか?」
「………いや、その」
「足りないのか?…むぅ、己の着ている服は二万もしなかったのだが…現代の通貨制度とは奇天烈だな」
「………」
その様に、冥月も皮肉ることはせず、天然記念物を見るような目つきで梢を見ている。
――――天狗の梢。
現代に適応する姿勢が見られる点は評価に値するが、彼には絶対的に基礎知識が不足していた。
「とりあえず、乗れますから……行きましょう梢さん」
「いや、しかし金が―――」
「足ります。足りますから……」
「……二人とも、梢さんが迷子にならないように、しっかり監視しましょうね」
森羅、律花、シュラインの三人組が、梢を頑張ってエスコートし始める。
尊大にして悠然たる態度を誇っていた最年長者が、この時点で小学生以下の扱いにランクダウンした。
「………奴の観察日記でもつけたいところだな」
「依頼より、そっちの方が案外面白いかもしれないわねぇ?」
ぽつりと呟いた冥月の台詞に、否定の声を上げるものは残念ながら皆無だった。
梢がタクシーの乗り心地を体験しつつ移動して、暫く後。
件の天狗が住むという山に到着した一行は、梢の案内でそれなりの深部へ足を進めていた。
「結構歩いたなぁ……」
「ええ……確かに、山のすぐ入り口に住んでいる天狗じゃ、イメェジも何もあったものでは無いけれど……」
「ふむ。まあ、このくらいで良いだろう」
疲労が見え隠れし始めた頃、梢が足を止める。
そして空へ向かって、
「おい、春奈!―――――出て来い!」
大きな声で、そう叫んだ。
(女みたいな名前だな)
(しっ、冥月さん、聞こえちゃいますよ?)
(別に構わんさ)
(良いじゃない?厳つい顔つきよりは、可愛らしい顔立ちの方が私は好きよん♪)
適当に雑談をしながら、その春奈、とやらが出てくるのを待つ。
携帯電話は流石に持っていないようで―――数回ほど、梢の叫ぶ声が山に響いた。
さて、件の天狗はどのように出てくるのだろうか。
「やっぱり俺は、颯爽と飛んでくる、に一票かな?」
「私も、希望としてはそんな感じかしらねー……」
「ええい、そこ!少しは己を応援したりせんか!!……出て来い、春奈―!出てこないと山を焼くぞ!?」
「……脅迫に出ましたね?」
やがて――――その場の誰もが、新たな気配が出現したことに同時に気付いた。
それは、大方の予想の通り空から舞い降りるそれではない。
「む、来たか」
梢のやや苛立った声と共に――――――近くの茂みががさりと揺れた。
……断じて、聖なる雰囲気は醸し出されていない。
「えっと……梢?」
おずおずと木の陰から現れたその男は、一見すれば天狗には見えなかった。
銀、ではなく白に近い頭髪。肩の辺りで無造作に揃えられたそれに、やや色素の薄い黒の瞳。
……身長は一般的な男性の範疇から抜けない、170センチ程度だろうか?
しかし、何より印象的なのは――――
「あら、可愛いじゃない?」
「ああ、思わず蹴りつけて修正してやりたくなるな」
「……冗談ですよね、冥月さん?」
その、潤んだ瞳と顔立ちである。
威厳を微塵も感じさせない小動物のような――――無垢な少年のそれが、この山の天狗の容貌であった。
「久しいな。貴様が柄にも無く下僕なぞを飛ばすから、こやつ等と―――」
「うわあああん、こーずーえー!!!」
嘆息して近付く梢に、彼、春奈が真っ先に行ったのは涙ながらの抱擁だった。
「来てくれて良かったよぉ……もう僕、不安で不安で……」
「ええい、男が己に抱きつくな!!己の身体に触れて良いのは清らかな少女だけだ―――」
そこはかとなく人格の破綻した台詞で、しがみつく春奈を梢が引き剥がす。
捨てられた子犬のような目で梢を見上げた春奈は、やや遅れて彼の同行人達を―――ようやく捉えた。
びくり、と震えて、彼は梢の後ろに隠れる。
「だ、誰?もしかして、もしかしなくても僕を虐めに……!?」
「あー………くそ、なんと面倒な男だ……」
最早引き剥がすことも諦めたのか。梢は嘆息し、背後の春奈の襟首を掴む。
さながら猫を掴むそれのまま、ぐるりと自分の協力者に向かって彼を向けた。
「………今回助けを求めてきた己の友人が、こいつだ。性格は大方理解したな?」
即座に、五人が頷いた。
速やかな意思疎通は喜ばしいことだ。けれど梢は、悩ましげに頷くだけだった。
「え?それじゃ梢、この人達は僕を土鍋で煮込んだりは……」
「……また街の子供に吹聴されたか?こやつ等は己が助力を頼んだ人間だ。能力は保証する」
「う―――あ」
呻き声を上げる、春奈。
「そ、その………天狗の春奈です。い、以後宜しくお願い致します」
次いで彼はぺこり、と頭を下げた。
………何とも言えない空気が、皆の間を駆け抜けていく。
最初に正気に戻ったのは、シュラインだった。
「えっと……その、春奈さん?それで、今回起きている事件は、貴方に身の覚えのないことなのね?」
「う、うん……」
「私達も事件の概要、それと貴方については殆ど知らないのですが…悪事などは?」
「と、とんでもないっ!僕、悪いことなんて考えるだけで熱が出て……!」
一方的で量の少ない情報は、吟味するのが常である。
律花がその台詞の真偽を判断しかねて梢を見ると、彼は重々しく頷いた。
「……それは、おそらく真実だろうよ。無論、伝承を調べる等した方が良いだろうが」
「了解しました」
「なーんとなく、分かる気もしますけどね……」
会話を傍らで聞いていた森羅が、思わず苦笑する。
(ウサギみたいだよな……何だか、常時震えてるし)
―――彼のそんな感慨も、あながち的外れではあるまい。
「では、私からも質問だ」
何処となく頼りない彼に一気に近付いて、至近で見詰めるのは冥月である。
「う……」
「馬鹿者、私は敵ではない。それと目を見て話せ」
彼を脅すことなど本意ではない。彼女が欲するのは情報であり、真実の一片である。
顔を近付けたまま、彼女は質問する。
「ああ、冤罪で利がないのは一応判った。では得するのは誰だ。天狗の悪い噂が立ち威厳を失うと何が起る?」
「ええと……」
「或いはその騒ぎを利用して街を跋扈する者が居るのか?貴様の敵対者は?」
「う……ん」
矢継ぎ早な質問だが、これは答えなくてはならないことだ。
……評価がともすればマイナスに一直線な感のある春奈だが、無能とイクォールでは無い。
「何か、重要な場や宝具はあるか?」
「えっと、……うん、山の深奥に、僕の保有する神酒が。っていうか、神に供えるって言うより僕の趣味だけど」
「……それは、どんな効果を持つのかしらぁ?」
冥月の質問に返答を始める春奈。
ようやく流れ始めた情報を把握するため、詩文がフォローに入る。
「神通力―――っていうか、分かり易く言うと、霊的な力を強める薬、かな……」
「それは、人間にも効果があるのかしらん?」
「そうだね……勿論あるよ。というより、僕や梢よりも人間に必要なものだし…美味しいから作ってるんだけどね」
「私達のような、人間の異能者こそ求める代物、なのねぇ……成程、成程」
「ってことは……敵の狙いはそれかな?」
ゆっくりと頷く詩文。
傍らの森羅が、件の酒とやらの効果を知って、顎に手を当てて眉を顰める。
「或いはな。信仰が揺らぐことで弱まる結界があるかも知れんし、そうでなくとも―――この気弱な天狗を知る者なら、精神的に打撃を与えるだけで十分な効果を生むことは想像できる。要は、少しでも動きやすくなれば良いのだからな」
「確かに……変な噂ばかり流れるとは思ったけど、存外的外れでもないってことか」
与えられた情報と冥月の打った相槌は、確かに無視できない妥当性を持っていた。
……いずれも、可能性を示唆するには十分すぎる代物である。
「けれど、街での調査は必要でしょうね……不透明な部分がまだまだ多いもの」
「最悪―――思惑と実行者が一通りではない場合もありますからね。待ち伏せが容易な山の奥地を見張ることも確かに必要ですけど、それだけでは不十分です………情報を揃えて状況をクリアにすることは、何事においても重要なことですから」
「………ふむ。何にせよ、調査を始めることは予定通り決定のようだな」
即座に思考を加速させるシュラインと律花。
そんな二人を見て同意しつつ、梢が呟いた。
「では、本格的に貴様等には動いて貰おう」
「梢、相変わらず偉そうだね……お前達とか貴様等、とか言ってるけど、せめて君達、くらいにしようよ?」
「む、貴様、とは本来は尊敬の属性を含むのだが……」
「はぁ……梢は良いとして、皆さん……」
納得のいかない様子で長髪を揺らす友人を差し置いて、春奈はくるりと皆を振り返る。
―――彼は極めて中性的で、魅力に富んだ顔を真剣の色に染めて、
「僕のために、わざわざすみません―――此度の騒動の収拾、どうか宜しくお願いします」
そう言いながら、頭を下げたのだった。
【3―1】
「天狗の伝承?へぇ、そりゃ、若いのに随分と珍しいことに興味をお持ちになさるねぇ」
……街に下りて、事件の現場や居合わせた人々から情報を収集する。
難航するかに思われたその作業は、意外なことに幸先の良いスタートを切って今に至っていた。
「ええ、ちょっと、興味があって……昔からこういうの、好きなんですよ」
事件があったという、民家の一。
そこに居た老年の女性に、森羅が興味ある口調でにこやかに相槌を打っていた。
(都合が良い、かな……現場の証言も聞けているし)
ちらりと横目で庭先を窺えば、まだ若い夫婦から話を聞くシュライン達が見える。
「……それで。この街の天狗やその伝承っていうのは、どういった性格のものなんですか?」
「ううん…やっぱり若い人は、ケレン味たっぷりな冒険譚や立ち回りが好きかえ?」
「もしくは、有名な武将に、子供の頃剣の稽古をつけてやった、でも良いですね」
「ふっふっふ!それはまた、面白いねぇ」
―――森羅の得難い特性の一つに、その人柄の良さが挙げられるだろう。
明るい性格で会話の選択肢・幅も豊富な彼の語り口は、大抵の人の警戒心を解いてしまう。
どうやら目の前の老婆も、その例に漏れないようだった。
「だとしたら、少しばかり残念かもしれないねぇ……この地方の天狗様の伝承は、良いものばかりなのさ」
「と、言うと?」
老婆の言い回しに、森羅は間をおかず真意を問う。
「そうだねぇ。優しい、と評するのが適当かね。あたしが知っている限りじゃあ、悪行狼藉の類は……」
「……それで、気が弱い、とか、寂しがりや一面もあったりします?」
「ああ、良く知ってるねぇ!気が弱い、というか、昔は祭の度に人里に下りてきて交流を楽しんだそうだよ」
「ふむ……」
再び横目で、ちらりと庭先。
詩文となにやら話し込んでいる、気弱そうな白髪の男に視線を投げる。
(伝承の真偽の特定……今回に限っては、難しくも無い、か?)
「それでは、他のお話は?」
「まあ、あたしの言った評価に忠実なものばかりだよ――――曰く、飢餓で苦しむ人々を救った。曰く、山に迷い込んだ子供の集団を山の麓まで連れてきた………強い妖怪をばったばったと切り倒す、っていうお話が少なくて、当時は拍子抜けしたもんだよ」
「ははっ、確かにそうですね!今も街の人々は、天狗を信じていたりするんですか?」
「ん……」
笑う老婆に頷きながら、更にさりげなく質問を重ねる。
しかし、今度はレスポンスが帰ってくるまでに少しばかりの間があった。
「まぁ………信じている、とは少し違うかもしれないけれど。人々が意識していることは、あるだろうね」
「……成程」
「この街を見れば、あたしの言いたいことも何となく分かるだろう?」
森羅が、女性の台詞に浅く頷いた。
―――実際に街を歩いてみて分かったが、天狗にちなんだモニュメントや食品、その伝承を与える「装置」の数も存外に多い。町興し、というには一歩や二歩届かない程度のものだったが、とにかく天狗というイメェジが現在も人々の中に生きているだろうことは森羅にも感じられていた。
(………ってことは、だ。神酒を狙う以外にも、或いは……)
「どうしたんだい?」
「いえ、ちょっと考え事を……でも、そうすると最近の騒動は嫌なものですね」
「ああ……そうだねぇ。本当に―――――本当に、その通りだよ」
老婆が、遠い目で青い空を見据えた。
何処となく悲しそうで、同情的な瞳だった。
一方シュライン達は、庭で被害に遭った女性に話を聞いていた。
「……つまり、この辺りでは良く起こっている事件だったんですね?その……下着泥棒は」
「はい……大丈夫だろう、と心の何処かで思っていたのが悔しいですけど」
悩ましげに嘆息する女性に、大変でしたね、と同情的にシュライン。
(しかし……意外と数が多いわね)
「盗まれた時間は分かりますか?」
「あ、これは意外とはっきりしてるんです。洗濯物を外に干したのが、かなり遅くて夜十時頃で……ちょっとコンビニに行こうと思って一時ごろに外に出たときは、もうありませんでした」
「成程……」
「―――それが天狗の仕業だって言うのは、何故分かったのかしらぁ?」
次いで、やや遠方から詩文の声。
見れば、春奈を伴って――辺りを散策していたらしい――こちらへと歩いて来ていた。
「背格好が、天狗みたいだった?」
「いえ……ただ、庭に羽が落ちていたんです。黒い、羽が」
「羽、ねぇ……」
「ええ。他の所でも被害が続出してるみたいで、それに、この地域は鴉も多くは無いし……」
「他のところの被害状況なんかは、聞いてます?」
ふむ、と考え込む詩文に入れ替わり、再びシュライン。
自分の証言をやや自信なさげに告げる女性に、再び口を開かせる。
「それは聞いてます。なんでも、実際に飛ぶ人影を見たとか、“ワシは天狗だ”って叫んだのを聴いたとか……」
「いや、僕はそんな言葉遣いはしないんだけど―――」
「あら、春奈さん、あっちに蝶々が見えたわよ?見に行きましょうねん♪」
「むぐ!?」
無知な天狗を諌める好プレー。
至極真実を突いているがこの場においては何の意味も無い発言をする春奈の口を塞ぎ、詩文が連れ去る!
「……今の方は」
「……お気になさらず。それより、もう一つお聞きしたいことが―――」
さらりと話題を続かせないシュラインのフォローも、完璧である。
釈然としない表情も一瞬で鳴りを潜め、女性はシュラインの質問に再び答え始めるのであった。
「もう、駄目でしょう春奈さん?別に貴方が天狗だって信じる人も居ないと思うけど―――」
「うう、ごめんなさい……」
やや離れた庭の裏手では、さっそく春奈が怒られていたりする。
無論、詩文は本気で怒っていない。怒る気も無いし、春奈が本気で落ち込む可能性が十二分にある……。
「それで…犯行現場はこのあたりらしいのだけれど、何か分からないかしらぁ?」
「ん……難しいね。僕も最近は、そもそも街に降りることが無いから」
申し訳無さそうに、春奈が首を振った。
「ただ……普通の人間の仕業じゃ無いかもしれない」
「そうねぇ……根拠は?」
「此処。昨夜襲われたばかりだからだろうけど……微妙に、術的な作為の残留がある気がする…」
「ええ――――全く以って、その通りね。同意見で詩文さん、嬉しいわん♪」
冗談めかして、春奈に同意する。
そう―――これは単純な人間の犯行、という可能性は低い。それが現場で得られた収穫である。
「さ、まだまだ情報収集はしなくちゃいけないみたいよん?」
「うん……頑張りましょう、春奈さん」
「あ、二人ともこんなところに居たのね?森羅君も話を聞き終えたみたいだし、次に行くわよ?」
シュラインの声に、二人が揃って頷いた。
「さて……そろそろ夕刻だけど、どうしましょうか?大分情報は集まったけれど」
数時間後。
春奈が律花と冥月の呼び出しで居なくなり、延々と歩き続けていた三人がようやく立ち止まった。
シュラインの台詞の通り、各々が保有する情報は相当な量に差し掛かっている。
「俺、もう少し調べたいことがあります。単独行動、良いですか?」
「ええ。私も、警察の方へ聞き込みに行って締め括りたいわね……詩文さんは?」
「私は、ひとまず先に宿へ戻ろうかしらん?……情報整理、必要でしょう?」
「ああ―――そうね。それじゃ、お願いします。こちらの用が片付いたら、すぐ私も戻るわ」
昼間から、情報を集めるために数時間歩き詰め。
言葉にすれば容易いが、実行には気が遠くなる――――その意味で、真実三人は優秀であろう。
「んじゃ、また後でお会いしましょう!」
「夕飯までには帰ってくるのよぉ♪」
「了解ですっ」
「まぁ……身体を休めないと、そろそろ倒れてしまうものね?」
かくして―――互いに同意に至り、三人は思い思いの方向へと歩き出すのであった。
そして、その日の夜。
拠点として予め予約しておいた宿で、食事を終えた面々が部屋で顔を突き合わせていた。
「……というわけで、古来から伝わる伝承のような事件は、天狗……春奈さんは起こしていないみたいですね」
「わざわざ図書館のハシゴをして、その上聞き込みまでしたからな……まず間違いないだろう」
「ええ。具体的には……」
まず口火を切ったのは、文献資料の調査・整理をメインに活動していた律花と冥月。
基本であり、徒労で終わる可能性もあったが―――しかし、最初の地盤固めは必要であり重要である。
具体的に伝承を調べ、「この地方の天狗が今起きているような事件を起こした例は無かった」ということを見事に証明して見せた………まずは、これでパズルのピースが一つ。
「ふむ……?」
具体的な説明を聞きながら、顎に手をさすって梢が呟く。
声に含まれるのは瞠目。戦闘以外にも特化している人間とは、彼にとって珍しい対象だった。
「成程、確かに……その通りだな」
「け、けど……僕の気が触れた、なんていう怖い人も居るんじゃ……」
「ええ。だから、真犯人を捕まえる方針はやはり変えられませんね」
「――――それじゃ、次のステップ。犯人を捕まえる段取りへ向かいましょうか」
頷く律花に呼応して、次に手を挙げたのはシュライン。
冷静な瞳で彼女はちら、と傍らの詩文へ視線を送る。
「説明を始めるわ。詩文さん、お願い」
「はいは~い、お任せあれ♪」
待っていました、と言わんばかりに詩文が大きな紙を皆の中心に広げる。
嫌に大きいサイズのそれには、細かく記号や、文字が―――
「これ……この街の、地図?」
「そうよん♪被害者の共通点は、そんなに見つからなかったけど―――」
「被害の起きる法則は、警察や被害者の方々の訪問で大方明らかになったわ……大分整理に手間取ったけど」
「まあ、これも可哀想な天狗様の為ですからねぇ」
悪戯めかして、詩文がウインクを一つ。
……律花と冥月のそれに負けない努力は、無論言うまでもなく壮絶で。
こういった事件の肝は、実のところ地道な調査を正確に出来るかどうかである。
「事件が起きた地点……昨日は、ここ。街の東ね」
「一昨日は……ここ?街の西ですか?」
ひょい、と森羅が首を突っ込む。
二人が、それを続けて補足する……………東、そして西。
「一昨日がここで、三日前が此処………街の中央をはさんで、一日おきに出没しているわ。事件としては下着泥棒、覗きに……軽い傷害事件」
「本当だ……やっぱり、規模の小さい犯罪ばかりなのが気になりますけど……とすると、今夜は西?」
「ほぅ……この宿も、位置的には西だのう?」
「成程――――今日仕掛けることも可能、ということですね」
シュライン、律花、梢。寸劇のように、一瞬の間を置いて台詞が紡がれている。
此処に、共通の認識が発生した。
「なんなら、私が囮になっても良いわよん?成功率は上がってくるでしょう?」
「イエス。人々は警戒を始めているから、迂闊な囮を用意すれば遭遇する確率は高いわね?」
基礎固めに、方法の提案。
そして―――――現時点で挙げられる、犯人の目星。
「それじゃ、俺も良いですか?皆も調査で、薄々分かっているだろうけど……」
す、と手を挙げるのは森羅。
彼もメモを手に持ちながら、意見をすらすらと話し始めた。
「ガキの悪戯じゃなかったら、天狗が不利になることで得になる何かがあるって事で……俺、そっちにも突っ込んで調べてみたんです。バラバラの破片は、明確にするのにもう少し情報が必要だったもんで」
「確かに、利の一致する小物たちと言うのは世の常だな。神の液体を狙う以外にも敵は居たか?」
「はい。勿論、そっちの警護をすることも必要ですけど……」
息を吸い、事件の中心。天狗の春奈を見る。
「春奈さん。この街、現在でも意外と人々の身近に“天狗”のイメェジがあることは知ってる?」
「う、うん……時折、山にも人は来るしね」
「そう。で、実はこの街――――観光名所や町興し、とまでは行かないけど……土産物とか、宿屋が謳い文句にしてる美しい景観とか……それらに近いレヴェルで、商業的に天狗のイメェジは使われてるみたいなんだよ」
「え、そ、そうなの!?」
「うん、そうなの」
馬鹿正直に驚く春奈に、にっこりと頷く森羅。
「で……最近、街には新興の商業者が入ってきたみたいなんだね。ま、ビジネスホテルとかデパートなんだけど」
「この街のイメージにはそぐわない感じがするけど……」
「そう。問題は、まさにそこなんですね。業績は、予想以上に悪いそうで」
ぴ、と人差し指を立てる。
―――梢が雰囲気作りの為に用意した丸眼鏡を掌で直しつつ、森羅は続けた。
「で、悪役のお約束―――春奈さんの住んでる山を潰して、ゴルフクラブを作ろうとか何とか」
「え……ええええええええええ!?聞いてませんよそんなこと!!」
「別に、貴様の耳に入れる必要も無いだろう」
「そういえば、そんな噂は聞きましたね。結構賑やかな話題みたいですよ?」
「私も聞いたわねー」
「右に同じよぉ?」
「あうううううううううううう、そんなぁ……」
がっくりと項垂れる、伝説の天狗。
メンバー全員がふるふると首を振り、哀悼の意を表した。
「話が絞れてきたわね……春奈さん、事件以前に何か変わったことは無かった?それと犯人役の候補として、変身可能な妖怪は?」
「うう……そ、そういえば……事件の少し前、「下見」とかなんとか言いながら男達が僕の山に」
「因みに、変身可能な妖怪は――――結構居るものだぞ。この国の地方には、な」
「そう……」
シュラインの確認に、かくかくと頷く春奈………少しばかり哀愁が漂っている。
そんな彼を見ながら、ふむ、と考え込むのは律花だ。
「と、すると。住民の反対があって中々実行に移せなかった……といったところですか?」
「イエスです。で、目下の処確実に天狗の人気は下がりつつある、と。エマさん、先程報告してましたけど―――」
「………ええ、そうね。最初に天狗が犯人と騒ぎ出したのは、町外れのビジネスホテル……」
「……!」
ようやく現れた筋書きは此処に。
ゲームで言うなら、中盤までの調査パート?五人のプレイヤの点数は如何ほどであろうか?
「成程のぅ……証明が成されたわけではないが、説得力はある」
「あとは動くだけ、ですか……ど、どうしようか?」
梢の言葉に、おどおどと、春奈。
前段階の調査は、おそらくこんなものだろう。あとは実行するか否かであるが―――
「……私は山の方に行く。街は任せるぞ」
「任されたわ。それじゃ、詩文さん?」
「ふっふーん、ええ、詩文さんが大活躍の予感ねぇ♪」
断じて、皆の意志は固い。
「あー……ちょっとだけ卓球やりたかったなぁ」
「終わったら付き合ってあげますよ。ねぇ、梢さん?」
「うむ、律花の言う通りだ。己の懐は常に暖かい故、多少の無理は聞こうではないか」
「頼もしいですね。あ、それじゃ天狗の現在住んでいる分布とか……」
「いや、それは己の懐具合と関係ないであろう!?」
――――どうやら、物語の終結は案外に早く訪れそうである。
「…………」
そんな面々を。
何処か羨ましそうに。何処か遠い目で。
……何処か、考え込むような視線で、春奈が見詰めていた。
夜は、まだまだ始まったばかりである。
【闇夜に紛れて:a】
「………いよいよか」
梢達が会話を交わしてから、更に数時間後。
春奈の棲家たる山、その最深部の洞窟―――普通の人間では幻術に惑わされ入り込めぬ領域に、人影があった。
黒い。昼間でないという条件を差し引いても、その者の格好はあまりに人目を避けるものだった。
そして――――その挙動は怪しい。周囲を警戒しながら、少しずつ前進している。
「大分時間をかけたな……腐っても相手は外道の雄。この辺りに入り込むのは苦労したが―――」
言葉を切り、ちらりと彼は背後を振り仰ぐ。
その向こうに見えるのは街。今頃は……「彼」が混乱を振り撒いている筈である。
(……此処の天狗に対しては、やりすぎだったか?)
最近知った彼の者の性格を知り、独りで苦笑した。
気性の荒い妖怪を怒らせ、撹乱する予定であったのだが――――
「まぁ、それは良い。今こうして成功している事実のみが重要だ」
結論し、彼は先を急ぐ。
上手く潜り込んだつもりであったが、いつ山の主が駆けつけてくるとも知れないのだ。
夜の闇は深く、彼の相棒が今宵も行動を成功させていることを祈るのみである。
「此処、だな……」
見つけた洞窟は、奥行きも大してない簡素なものだった。
あくまで慎重に進みつつ、男は最深部の瓶が並ぶ壁に到達する―――その数は膨大だ。
中には何が入っているのか……魔術師たる彼は、確認するまでも無く確信する。
(これだ!)
あの瓶から漏れる膨大な力!
(これを手に入れれば、一級の魔術師となることも容易だ!)
それは未来であり、甘露であり、彼にとっての黄金。
否、白金であった。
興奮した足取りで、彼はそれに手をかける………
「これか……ついに、ついに手に入れたぞ!」
「ふむ。そうか、そんなに嬉しいか?」
「当然だ!そも、これはな……」
―――――待て、今のは誰だ?
「……」
「そんなに美味いとも思えなかったが……どうした、嬉しいんじゃなかったのか?」
「誰だっ!!」
言いながらその場を飛び、同時に魔力を練り上げる。
「――――――西方の風、夢在りし原、たゆたう水面、」
「遅い。直接戦闘は苦手と見えるぞ、魔術師」
だが遅い。
彼女の能力を相手に、洞窟という限定された空間では。
彼の力量では、些か足りない。
「ああ、それとも、直接戦闘が得意な“三流”か?それはすまなかったな」
「貴様―――」
「だから、遅い。いっそこちらが泣きたくなるな」
その、女の声を聞くと同時―――視界が反転する。
混乱を一瞬で収め、精神をセットする。けれど、魔力を練り上げる瞬間に気付く。
「グッ……」
「さて、と」
(この女、真っ先に俺の口を――――)
驚愕し、己の矛と盾を失った事実に背筋が凍る。
喋れなくなったこちらに彼女、黒・冥月が最初に行ったのは鉄拳による制裁だった。
「私は魔術師が嫌いでな。特に、貴様のような腕も思想も三流の下衆には反吐が出る」
「ガッ!?」
「天狗の宝等に興味はないが、まあ仕事だからな」
「………先程、しこたま飲んでいた女が居た気がするのは己の記憶違いかのぅ?」
「それは重症だな。病院へ行け、ロリコン天狗」
「……貴様も“かうんせりんぐ”とやらを受けて、精神状態を改善しろ」
「ふん」
背後から響く声にも女は動じない。
(女……その次は男!?こいつ等、一体……)
だが、男は驚愕を覚えるしかない。
―――――自分を押さえ込んでいる女もそうだが、いつ現れた!?
「……素晴らしい表情で驚いてくれているところ、邪魔するぞ」
どが、という鈍い衝撃で意識を覚醒させられた視線の先には、変わらず冥月の顔がある。
美しい顔立ちだ。
だが、それがどうした。目の前の者は、自分を殺すことに躊躇いを覚えていない。
「質問をするぞ。一度だけ訊いてやる………誰の入れ知恵でここを狙った?」
「へ……俺は情報を提供されただけだ。あとは現地の馬鹿を利用したんだよ」
「相手は誰だ。虚偽を吐いた途端に殺すぞ?」
「……知らねぇ。だが、俺みたいなアウトローにそういう話を持ってくる謎の奴等は。都市伝説じゃない」
「ふん。まぁ、馬鹿の中でも少しは利口な馬鹿が居るということか」
こちらが本気であるのを一瞬で看破し、冥月は頷いた。
(闇の者をそそのかす闇。深奥に至れば至るほど、中身は知れないか)
―――――藪を突いて出てくる化物は、果たしてどれほどの規格外なのだろうか。
「或いは、貴様も同類であろう?」
「……格好をつけて茶々を入れるな。奇をてらうのも時機次第だ」
「そうか?」
軽く肩を竦める天狗を見て目を細めるが―――どうでもいいことだ。すぐに視線を外す。
とにかく、これで自分の仕事は果たした。彼女は街のほうを振り仰ぐ。
「さて。先程現地の馬鹿、と言ったな?その辺りも説明して貰おうか」
「……」
「冥月よ、それからはどう動く?」
観念したように、男は無言で冥月の言葉に頷いた。
横からその様子を見ていた梢が、興味の光が射す瞳でこちらを見てくるが―――冥月は薄く笑う。
「土産は出来たのだ。酷く見た目は悪いが、まあ良いだろう?」
「……そうだな。では、手早く済ませろよ」
「当然だ」
(……ゲーム・オーヴァか。運が無い)
目の前の二人の会話を聞きながら、名前すら言うことも許されなかった男は思っていた。
……自分の計画が、もう絶対に成功することは無いのだろう、と。
【闇夜に紛れて:b】
「……そろそろかしらねん?」
梢達が会話を交わしてから、更に数時間後。
月明かりが街を照らす夜に、息を潜めた皆の中で詩文が首を傾げた。
「そうね……時間的には、そろそろ事件が起きる時間帯ね」
決して広いとは言えないスペェスで頷くのは、シュライン。既に時間は、深夜にさしかかろうとしている。
此処は、街の中、西に位置するアパートメント。その建物の影である。
大家・住人に許可を取り、メンバーはこのアパートに或る罠を仕掛けたのだ。
「……上手く行けば良いんですけどね。もっとも、街の人が用心し始めてからは―――」
律花が、ちら、と視線を変えてその“罠”を見据える。
「ああいう分かりやすい獲物も少ないだろうし、勝算は十分あるでしょうけど」
圧倒的に多かった被害は、覗きと下着泥棒だった。
詩文が勇敢にも、自分を囮に使う旨進言したのだが―――罠は後者が採用された。
……「どうせなら紐でも付けておこうかしら?」という彼女の意見は、残念ながら却下されたが。
「でも、なんで男性用の下着まで吊ってあるの……?」
「あー、あれね。件の天狗、下着なら何でも盗むんだってさ。それで一応、こう、彩りを加えてみた」
「…………天狗はそんなことしないのにぃ……」
ヴァリエーションを誇って風に揺れている「罠」を見て首を傾げた春奈に、森羅のさらりとした返答。
速やかに、春名が膝を抱えて泣き始めた。
(本当……悪い奴じゃ、無いよな)
「そういえば、春奈。事件が終わって分かれる前に、一つ言っておきたいことがあったんだけど」
「うう……何?」
半泣きで振り向く春奈の顔は、今更言うまでも無く美しい少年のそれ。
それだけ見れば、自分より年下とも見紛うばかりだが――――
「こんな状況で、春奈は自分が濡れ衣着せられてても困っているだけ?怒ったりとかしてねぇの?」
「それは……」
「春奈の性格は把握したよ…でも言わせてくれ。天狗にもいろいろあるだろうけど、ちゃんと解決出来るようにしとかないとこの先も困るよ?それでもいいの?」
それは、きっと。
昔よりも平和になった現世において、彼が目を背け続けていたことなのかもしれないが。
「う……ん」
「そうですね。森羅さんの言う通りですよ、春奈さん。そして……残念ながら、時間です」
「ええ。皆、警戒して―――来たみたいよ」
森羅の言葉に何事かを呟く春奈。
そして、律花とシュラインが警句を発した……そう、誰か来た!
「……シルエットは、極々普通の人みたいだけどぉ?」
男性用・女性用問わずに設置されている「罠」に、近付いてくる人影。
……詩文の言う通り、身長、体格共に特記すべきことの無いフォルムである。
ただ、用心をしているのか、その身は黒い衣装で固められていた。
(引っかかりますかね?)
(多分……あ、これみよがしに羽を落としたわ)
ひそひそと話す中、対象の男(少なくとも、見た限りにおいては)が、下着の罠に手をかける―――
瞬間、男の手が鉄に変わり動かなくなる!
「!?」
ひるみ、思わず後ずさろうとするが…それも不可能。
何が起こったのか。彼の足は、地面に張り付いたように―――否。地面に融合している。
再び前を見れば、どうしたことか。目の前に見えるのは、嗤う―――ああ、駄目だ。形容出来ない。
「こんな化物のような物体」を、自分は見たことが無い………!
「グッ……」
恐怖が起こる。その瞬間的な衝動を抑えたのは、彼自身の魔術師としての矜持か。
(誰だ……幻術?!こんな片田舎で!?)
混乱する精神をどうにか宥めつつ、彼は――――
「あら、どうにかレジストに成功したのかしらぁ?面白い罠にしたつもりだったのに」
「だけど、動きが鈍った!捕らえる!」
呪文を唱える一瞬の隙を、見逃す者は居なかった。
茂みから身体能力に優れる森羅が飛び出し、凄まじい速度で「男」に接近する―――
「……っ、貴様が敵かぁぁああぁ!?」
「へ、深夜に五月蝿ぇオッサンだな。ああ、その通りだよ!!」
肉薄する森羅に、ようやく気付く男。この期に及んで、男は何事を行おうというのか?
……だが、そんなささやかな抵抗さえも勝負無し。
「「せーのっ!」」
視野の狭い者が、戦闘で勝てる道理は無い。
詩文の罠と、森羅の瞠目すべき速度。彼に対応できたのはそこまでだった。
同時に響いた掛け声と共に、森羅の後ろから飛んでくるのは――――石だ。それもかなり大きい。
「がっ!?」
「残念だったなっ!!」
それらを顔面に食らって仰け反る男へ、最後に、森羅の勢いを余さず利用した蹴りが落ちてくる。
――――どん、と。深夜に似つかわしくない音が、I市に木霊した。
「……へへ、ナイスコントロール、ですね?」
男の上に乗って振り向く森羅が見たのは、見事に投石器の役割を果たしたシュラインと律花。
得意げにこちらへ手を振りながら、春奈、詩文と共にゆっくりと歩いてくる。
――――女性の敵は滅ぶべし、である。
「さーて、観念してくれないかな?誰の命令でこんなことやってたんだよ?」
そして、男を完全に拘束(ついでに罠も回収した)してから数分後。
哀れ、ぐるぐる巻きにされた男を見て森羅が問い詰める。
「……」
「あら、観念してないみたいねぇ?強がりは男の子の特権かしら?」
「そして、往々にして女性に打ち崩されるわけですが……あ、被害者の方々を此処に呼びましょうか?」
「いいわね、それ。どうせこの人が否定しても、誰も聞かないだろうし」
「……!」
びくりと、恐ろしい提案に男が震えた。
言い逃れは出来ないのだ。魔術師だろうが何だろうが、実際、彼は下着泥棒の現行犯であったのだから。
「さー、どうする?あそこの三人は怖いぞー?」
「……そうです、早く自白してください」
最早、自分に出来ることは殆ど無い。
そう考えて、必死に迷っている男の瞳が揺れていた……果たして、いつまで保つのだろうか。
けれど、時間はどんどん過ぎていく。男は中々白状しない。
そんな、解決のギリギリ直前といった風の中で――――突然、どさりと「何か」が振ってきた。
「ん?これは……」
見れば、それもまた黒ずくめの男。同じように、完璧に拘束されていた。
訝し気にその新しい拘束者を見て首を傾げる面々の中で……男だけがびくりと身を震わせる。
「!?」
「ふん、そいつはとっくに白状したぞ。貴様も、私達に余計な手間は取らせるな」
「……中々の土産と思うたが、いや見事。貴様らも既に犯人を捕らえていたか……少し残念だ」
次いで、聞こえる声。
「あら、そっちも大成功だったみたいですね?」
「本当に。考えてみれば、異色の組み合わせだったけれど……」
「……止めてくれ。おぞましいことを言うな」
律花とシュラインの微笑に、げんなりと答える女性の声。
「それで……デートはどうだったかしらん、梢さん?」
「うむ、中々に―――――そう、疲れたぞ。とても」
「あらあら♪そこは「楽しかった」って言うのが、正しい男性の応答じゃないかしらぁ?」
「むぅ」
詩文のからかうような言葉に、極真面目に頷く男性の声。
冥月と梢だった。
「さ……それじゃ、案内してくれるかな?おたくらの仲間のところへ。俺達の推測、多分間違ってないだろうしね」
「……これまでか……」
ウインクして言う森羅の言葉に、ついに男が口を開いた………
【4】
「……それで。私どもに何の御用でしょうか?火急の用、とのことですが」
「ええ」
翌朝。
無駄な時間は過ごせない、とばかりに、梢たちは件の「犯人」の城へ攻め入った。
目の前に居るのは、欲の深そうな初老の男。
胡乱そうにこちらを見てくる相手は、成程――――
(組み易し、ね)
微笑は見せない。けれど、話し合いのメインを務めるシュラインは確信する。
自分を始めとするこちらの面々を見るその瞳に、知性は、世辞を言ってもあまり感じられない。
「つまり……三島さん?こちらの要求はシンプルなものなのです」
「ほほぅ?」
「昨今、街で頻発している事件は貴方の仕業ですね?」
「……何を馬鹿な。貴女、大丈夫ですか?」
「至って正気です」
相手の思考する隙は与えない。鋭く切り込む。
(そして今、彼は動揺した。俗物的な願望に実力が追いついていない)
す、と、シュラインの目が細まる。
サスペンスドラマの犯人ですら、このような醜態は晒すまい……
「貴方の処の社員さんが関わっているという証言も出ています」
「語るに落ちましたな。そんな狂言は―――」
「五月蝿い奴だな。私はもう帰って休みたいんだ、さっさと縄にかかれ」
上ずった声が、シュラインではない声に邪魔される。
彼が視線をずらすと、そこに居たのは黒い女性。冥月だ。
その、彼女の前には……いつのまにやら、二人の男性が居る。自分の知っている顔だ。
「!?」
「そちらの二人が証言してくれましたよ?他の、犯罪に加担した人々のことも」
「ば、馬鹿な……」
「――――ま、年貢の納め時って奴だな?社長さんよぅ」
今度見せたのは完全な狼狽。シュラインの言葉を防ぐ盾も鎧も、既に一切無い。
「お、お前、お前は…」
「切り捨てられる時のことも考えて、色々と“握っている”んでね。悪ぃな?」
「………!!」
さっ、と、醜悪な顔が歪む。
「裏切りおったか!?貴様らも只では―――」
「ああ!下着泥棒に覗きで捕まるな。そんな評判が付きゃ、もうアンタはこの地で商売は出来無ぇ」
「もっとも、俺たちはビジネス云々なんて分からないから………まあ、ご愁傷様ってところかね」
飄々と、二人の黒ずくめの魔術師が返答する。
彼らと件の―――三島氏の間にあるのは、明確なダメージの差である。
「貴様等……!!それで良いのか!?」
「ああ。ま、悪党は似合わなかったってことだろう……本業の術者に戻るさ。なぁ?」
「応。すまんな、三島。俺たちは――――後ろの奴等と戦うより、妖怪魔物と戦う方が良いんだ」
……彼等は小悪党であり、
故に小賢しく、
実力差を知る程度に賢明な男達だった。
……因みに片方の、山で捕獲された男は冥月を一度も見ようとしていない。苛められたのだろうか。
「ぐ、ぬぬぬぬぬ……ええい、かくなる上はぁ!!」
「うわー、言っちゃったよ。お約束を踏襲するとは流石だな」
「しっ、森羅さん。人を傷付けちゃいけませんよ!」
「あらあら、どちらも聞こえてるみたいねぇ。目の前の人、泣いてるわよん?」
ばっ、と男が立ち上がり、呼応するように上がる声。
―――いっそ凄まじい反応速度で、森羅を皮切りに律花と詩文。
(因果応報というものか……)
溜息をついて、後ろから事態を静観していた梢が男を哀れむ。
依頼した五人に全てを任せているらしく、彼だけは座ったまま茶を啜っていた。
けれどそれは、無情や無責任の類ではない。むしろ――――
「黙れ黙れ!!貴様等全員、此処で始末してやる!!」
と、そこで梢の哀れみも途切れる。
「出て来い!こいつら全員、生かして帰すんじゃないぞ!?」
「……ほぅ」
男、三島の叫びに応じて部屋の外から侵入してきたのはサングラスとスーツで固めた男達。
それなりに力があるのだろう。男達の纏う雰囲気には自信が在った。
「くくくくく……さあ、どうするかね?」
されど、揺るがず。
「……おいボンクラ魔術師。お前等以外にも術者は居るのか?」
「えーと……ああ、あいつとあいつ。俺達よか弱いけど」
「ふむ?貴様等より弱いなら、問題無いか」
「………言葉の暴力って知ってるか、あんた?」
きらきらと涙を流しながら崩れ落ちる男から、冥月が貴重な情報を入手した。
「ふん、虚勢を張れるのも今のうちだ……お前等、や」
「皆、動いて!」
先に檄を飛ばしたのは、シュラインで。
実際に動き出したのも、こちら側だった。
「奥の一人は拳銃持ちか。無粋だな……律花、狙われているぞ!」
「ええ―――!」
他の面々が懐から杖や符を取り出す中、無骨な黒を取り出す男を冥月が睨む。
「もう今回は傍観するつもりだったが――――余りにも馬鹿馬鹿しい」
けれど、その手を弾くのは冥月の“影”。
その行き先を咄嗟に追い、男がしぶとく銃を追う。
………同時に、他の面々と同じく、律花も既に駆け出している!
(結界なら、顕現力を引き上げれば実銃にも十分対応出来るだろうけど……)
人の真価とは、その者が持つ異能のみを指すものでは断じて無い。
すなわち、知識。知恵。教養、性格。
「………遅い!」
緊急時の、判断力。
「ち……」
「はい、王手です。銃の経験なんて無い素人の上に、死にたい訳でもないので……抵抗するなら撃ちますよ?」
にっこりと、近距離で放つのは弾丸ではなく、壮大なブラッフである。
―――動揺を全く(そして努めて)表面に出さず微笑む律花に、男は屈した。
「ガキが粋がるな!!」
「へ、若い内は――――元気が良い方が素敵だろ!?」
符を構えて何事かを呟く男達へは、森羅が疾駆する。
今自分達が居るのは、会議室のような設えの広部屋であるが―――彼にとっては、さほど気になる距離でもない。
(間違い無い。こいつらは二流だ)
そも、部屋の広さ自体が知れているのだ。
駆け抜ける自分の速度を見て、どうして瞬時に詠唱を中断して接近戦に切り替えないのか―――
「くっ、こいつ、」
「だから、アンタも遅ぇ!!」
男達がようやく気付いたときには、至近の距離へ力強く踏み込む森羅が居た。
だん!と床を踏み抜く勢いは強く疾く。
吸い込まれるように、男の顎へ勢いの乗った掌底が叩き込まれる!
「が……」
「っと、まだまだぁ!」
男を倒した勢いのまま、速やかに森羅が反転。呆然とこちらを見ているもう一人へ、
「これで、二人っと!!」
側頭部を抉るように、彼の蹴りが襲い掛かった。
どう、と男が倒れ伏す。
……体格と経験がそれなりにある男達は、素人同士の喧嘩なら優位であったのだろう。
しかしそれだけだった。
「あ……あ」
「うっふふん、あっという間に、ピンチみたいねん?」
森羅の攻撃、律花の逆転に暫しの時を忘れた最後の一人の前には、いつの間にか詩文が立っている。
彼女の態度もまた楽であり、男を警戒していない……
「っ、この女!」
「ふふっ?」
相手の動揺を感じて、青の瞳が楽しげに揺れた。
「テメエ……おわっ!?」
激昂して男が一歩を踏み出す。
そして、いっそ芸術的なまでに見事な停止を見せた。
「なっ……」
「“Is”――――あら、どうして敵の目の前で止まっちゃうのかしらん?」
不思議そうに、詩文が首を傾げる。
「な、何をした!?」
「別に、何も?でも、まぁ、敵の前でわざわざ行動を停止するなんて……」
詩文に問いながら、男が必死で視線を下に落とす。
果たして、そこには。
いつの間に置かれたのか―――小さな一枚のプレートが、落ちていたのであった。
「これは……!?」
「貴方。とりあえず降伏ということで、良いのかしらん?」
―――悪戯めいた光が、詩文の青い瞳にさっと奔る。
同時に、愚劣な男にもようやく自分の敗北が飲み込めた………。
そして。
「う……あ……」
「これで殺陣は終わりかしら。さて――――自首を、相変わらず私達はお薦め致しますけど」
にっこりと、シュラインの非の打ち所の無い笑みが、静かになった部屋に響いた。
……人並みの知性を持った悪人なら、迷わず彼女の忠告を聞き入れて居ただろう。
「く、くっそおおおおおおおおお!!!!」
けれど、三島という男は何処までも「お約束」に沿う愚者であった。
彼は机を乗り越え、何処までも余裕を崩さないシュラインへ飛び掛る!
「………!」
一瞬、場に緊張が走る。
身構えるシュライン。荒事のプロと言う訳ではないが、この程度の動きなら造作も無い。
だが、
「やめろ………!」
今まで、梢と共に戦闘の行く先を見守っていた春奈が動いたのである。
ばさり、と音がして、彼の背に広がるのは漆黒の翼。
大きな、弱々しい筈の瞳は見開かれている。
「春奈さん……」
「……」
何を行ったのか、三島が見えない壁に遮られ、進軍を打ち切られる……
「て、天狗……!?」
「大概にするが良い、人間」
美しい声が、はっきりと目の前の男に侮蔑を告げた。
神々しい雰囲気は、果たして臆病な彼の何処に眠っていたのだろうか?
「私の友に醜悪な心根で触れるな……六道より逸脱したこの身が、相手をしても構わんのだ」
「ひ」
「止めよ」
すっかり萎縮した三島が、へなへなと座り込んだ。
怯えすら見えるその態度は―――――完全なる敗北を、全身で告げているようなものだ。
「ありがとう、春奈さん。格好良かったわよ?」
「う、うん……その」
シュラインに肩を叩かれ、普段と同じ調子に戻った春奈が頬を掻く。
おずおずと彼が顔を上げた先には、この一日、自分の為に尽力してくれた人々が居た。
「………が、頑張ってみたんだけど………どうだった?」
「そうそう、やっぱ男の子はそうじゃないとな!」
楽しそうに笑う森羅を始めとした肯定の雰囲気が、彼を迎える。
―――――それを見て。とてもとても嬉しそうに、白髪の天狗が頷いたのであった。
【終局】
「うーむ、流石に眠いな……」
全ての悪事を暴き、問題を解決して。
のそのそと街を歩く一団の中でも、梢は特に幽鬼のように見えた。
「梢さん、そんなに眠いの?」
「むー……考えてみれば、殆ど寝ていないからな。己は調子の良い時は一日二十時間以上寝るぞ」
「それは……大変ね」
「大変というか、馬鹿だろうお前」
「ええい、言葉の暴力は止めんか!?」
同じく殆ど睡眠をとっていないシュラインと冥月の台詞が、梢に向けられる。
……このまま帰るというのは過酷に過ぎるという事で、今日はこの街に宿泊することで皆が同意していた。
今歩いているのは、街の中心地。最も活気で溢れた地域である。
「しっかし、ゴルフ場が出来なくて良かったよなー」
「そうですね……あの山を丸々使うっていうことみたいですし。最悪ホームレスですか?」
「ほーむれす……うううううう、危なかった………」
目に見えて疲れた旨を叫んでいるのは、どうやら梢だけのようだ。
……森羅に律花などは、朝食代わりに買った街の名物を食べながら春奈と話している。
「ふふーん、家無しになってたら、詩文さんが春奈さんを飼ってあげようと思っていたけどねん♪」
「お、詩文さん優しい」
「………いや、今、飼うって言いませんでしたか?」
「冗談よん♪」
嘘か本当か分からないジョークでウインクする詩文も、楽しげに。
「さて……これからどうしましょうか?ずーっと宿で寝ていても良いけど……」
「私は名所とか、山の神社なんかも見たいですね」
「俺は、うーん……でも、ただ寝てるだけっていうのも勿体無いなぁ」
「詩文さんも、勿論右に同じよん♪」
「くっ、貴様等本気か!?…………これが、若さか……!!」
「貴様がものぐさなだけだろう、馬鹿者」
「ぐ。馬鹿って言った方が馬鹿なのだぞ!?」
などなどと。シュラインの問題提起にも、後ろ向きな返答は返ってこない(約一名を除いて)。
「春奈さん、何か面白いものは無いのかしらん?」
「あ、そうですね。春奈さんなら何か知っているかも」
「え?う、うん………この街の伝統で、かるたを二十回連続でやったあとに、凄まじい量の蕎麦を食べて、間をおかずに踊り続けるっていう行事があるけど………多分、人気の伝統だから街では常時やってるんじゃないかなぁ」
「人気行事なのかそれ……随分と荒々しいなぁ」
「えーと……い、行く?とりあえず見るだけでも良いしね……」
詩文の質問に答える春奈の口から、信じられない内容の伝統行事が暴露される。
……怖いもの見たさの心理も手伝って、春奈とシュライン、詩文に律花が俄かに盛り上がり始める。
「馬鹿馬鹿しい。私は行かんぞ?」
あっさりと時間の無駄を宣言する冥月も―――
「ふ、逃げるのか?」
「………ほぅ。随分と安い挑発をしてくれるものだな、梢?」
「はて、俺は真実を告げたつもりであったのだがな。戦略的撤退というやつであろう?」
「……良いだろう、俗物の掃除は面白くなかったが、貴様を叩きのめせば少しは楽しめる……」
無駄にニヒルに笑う梢の挑発に、あっさりと乗った。
どうやら、口の達者な男を徹底的に叩きのめして敗北に染まった反応を見たいらしい。
「よし、では参ろうか?いやいや、まずはその前に美味いものでも―――」
「うん、この街の猪鍋は絶品だからね……あ、それと、皆…」
やおら元気になって先陣を切る梢を宥めながら、春奈。
彼はくるりと振り返って五人を見ると、折り目正しく頭を下げた。
「今回は、本当に。色々と助かりました―――――ありがとう」
言ってから、食事は僕と梢が奢るよ、と付け加えて梢を追い始める。
彼の礼にどんな意味と感慨が込められていたのか。五人は理解している。
互いに目線を交わしたあと、先行する二人の天狗を追いかけるのであった。
弱気で、自分から行動を起こせなかった哀れな天狗の悩みは。
――――こうして、その解決を見たのである。
<END>
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【6157 / 秋月・律花 / 女性 / 21歳 / 大学生】
【2778 / 黒・冥月 / 女性 / 20歳 / 元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【6608 / 弓削・森羅 / 男性 / 16歳 / 高校生】
【6625 / 桜塚・詩文 / 女性 / 348歳 / 不動産王(ヤクザ)の愛人】
・登場NPC
梢
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ ライター通信 ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
シュライン・エマ様、こんにちは。ライターの緋翊です。
この度は「天狗の悩み」へのご参加、誠に有り難う御座いました!
今回も見事なプレイングでございました。
えー、その、加えて梢への対応も見事なものでした(笑)
隙の無いプレイング内容で、今回の事件もスムースに進行しました。執筆中にプレイングを読み直す度に「こんな処にも言及があったとはー!」と、感嘆するばかりです。 今回も楽しく執筆させて頂きました。
さて……今回も楽しんで読んで頂けたなら、これほど嬉しいことはありません。
それでは、また縁がありお会い出来ることを祈りつつ………
改めて、今回はノヴェルへのご参加、どうもありがとうございました。
緋翊
|
|
|