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<東京怪談ノベル(シングル)>


『非通知』


 ツゥ。
 ツゥー。
 ツゥー。
 ツゥー。
「あの、な、何か………言いなさいよ?」
『くすくすくすくす。今から、迎えに行くから』





 学校の校門をくぐった瞬間、携帯電話から着メロが流れ出して、彼女は校門の脇に立っている教師の目から逃れるように自転車登校の生徒に混じって校門をくぐってすぐの場所にある自転車置き場に逃れた。
 一体誰だろう? こんな時間から………。
 ―――そんな事を思いつつも彼女は携帯電話を制服のスカートのポケットから取り出し、そして携帯電話の液晶画面を見る。
 眼が、点となった。
 液晶画面には次のような事が書かれていた。


 非通知―――


 それはチェーンメールが生徒間を回るように駆け抜けた噂だった。
 そう、噂だ。
 都市伝説のようなもの。
 学校の七不思議のように、
 他愛の無い、
 信憑性も無い、
 誰かが冗談で勝手に作り出して、
 そして他の誰かから聞いた、とか、なんとか、言って、回した戯言…………
 そう思っていた。
 それはこんな噂。
 とある女子高生がお墓の横を通り過ぎたら、そしたら携帯電話に電話がかかってきて、それは非通知で、訝しみながらも彼女がその電話に出たら、そしたら、その電話から聴こえてきたのは、熱い、狭い、出して! 今度は暗い、冷たい、寒い、出して! という言葉の繰り返しで、そしてそれは次のような事を彼女に想像させて………
 熱いのは火葬場の熱。火。
 狭いのは棺桶。
 冷たいのは骨壷。
 寒いのは墓の中だから………。
 彼女は青くなって、それで携帯電話を切ろうとして、だけどそれは切れなくって、だから彼女は携帯電話を投げ捨てて、その場から逃げ出して、でも………、
 ………………恐慌状態に陥った彼女は赤信号なのに交差点に飛び出して、そして車に轢かれて、死んでしまった………………………………。
「あー、うーん」
 彼女は眉間に軽く握った手を当てて、苦笑にも似た苦りきった声を出した。
 だってそれはバレー部の夏休み合宿で聞いた話だったのだけど、でも、その墓場を通り過ぎた時に死者からの電話を受け取った彼女は、その、交通事故で死んじゃった訳だよね? だったら、それをどうして彼女の以外の人が知っているわけよ?
「おかしいじゃない」
 彼女はそう呟き、そしてそれから一瞬、そう一瞬の間に次のような選択肢を思いついた。
 案1:無視。
 案2:通話ボタンを押して、だけどこっちは無言。
 案3:通話ボタンを押して、あからさまにその向こうの悪戯っ子に対して切れてみせる。
「妥当なのは案2かな」
 こんな事をしそうな感じの友人の顔をいくつか思い浮かべつつ彼女は通話ボタンを押して、それからこちらの音を拾うマイクの部分を手でぎゅっと掴んで音が向こうに漏れてしまわないようにして――――
 それで向こうもびびるはずだ。
 なんせ、その怪談話とセットでこの神聖都学園に流れる噂では、この学院でも土地柄死者からの電話を受け取ってしまい易く、だから非通知の電話は絶対に出てはいけない、というのが囁かれているのだから………
 出れば、携帯電話から聴こえてくるのは、ツゥー、ツゥー、ツゥー、という音で、その後に………水が滴る音のような声が聴こえて―――――
 そして―――――
 しかし…………



「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ――――」
 ――――突如壊れたような声を発したのは彼女だった。



 Open→


 気だるい午後の昼休み、俺は騒がしい教室から抜け出して、恋愛相談部の部室に逃亡していた。
 9月1日金曜日の二学期始業式。それからまた二日、間を置いて本格的に二学期開始。ただし9月4日、今日の午前中は国語、数学、英語、選択(地学、歴史、倫理・哲学、科学、生物のどれか)の実力テストが行われ、そんなしごく気だるく窮屈で拷問な、高校生と言う社会的地位を与えられた俺にとってはひどく事務的なまでの強制力を持った必須事項をさせられて、それがかなりげんなりだった。
 それでこれから午後からまた普通に漢文…いや、二学期からは文学史に変わるんだっけ(やべ。教科書持ってきてねー)、の授業があるんだから、
「最悪だ」
 本当にかなり気だるい。
 できる事ならこのまま5時間目なんかサボタージュしたい。
 しかしそんな事をすれば学校から俺の面倒を見てくれている姉夫婦に連絡が行き、その姉夫婦(特に姉)からお叱りを受けるのは明らかで、だったら、教科書を立てて、その陰で寝ている方が数倍もマシで、だけど残念な事にこれが、今の俺の席は特等席(つまり教壇の前)だったりするんだよなー。ったく。
 そんなんだから俺は夏休み明けの激務をこなした後の疲労をこの静かで涼しい部室で過ごしているという訳だ。
 もう9月なのだからそろそろと涼しくなってくれてもいいはずなのに、しかし太陽は未だくるくるぱーとなった地球に付き合って熱々の灼熱の円盤と化していて、だからそんなうだるような窓の向こうの風景を見るだけで繊細な俺の精神の疲労度は2倍増しになるようだった。
「クーラーでもいれてくれればいいのに」
 それで夏を快適に暮らせるようになるのだから夏休みは無しにします、という大人の主張とはもちろん、話は別として。
 そんな取り留めも無い大人をいかにして納得させるかの文句を半ばまどろみの海に沈みかけながら考えていると、恋愛相談部部室の扉が開いた。
 中に入ってきたのは同級生で同じこの部の女子生徒だった。
「よう。おまえも涼しいこの教室に非難?」
 そうダレながら訊いていやると、彼女は中々に美形な顔(これで胸もEカップでスタイル抜群って言うんだから、それはこいつの正体を知らない他の男子生徒は騒ぐだろう。そう。他の、普通の世間一般の男子生徒は、ね)で何とも嫌そうな顔をした。
「やれやれね」
「おや、あんまりにも連れない言い草だね」
「あら、それはしょうがないんじゃなくって。こうしてしょうがなくご学友をしてあげているけど、でもそもそもあたしは呪い名の五家の筆頭の家の娘ですもの。確実にあなたとはこの学校卒業…そうね、あたしは海外留学して、その後にまたこっちに戻ってきて大学院に入るつもりだから早くて8年後には、敵対するかもしれないんだから、だったら今から敵対していた方が、得策なんじゃなくって? その方が後腐れが無いでしょうが」
 やれやれ、という言葉を彼女に返したい。救いの無い話だ。それをそんなにもクールな物言いで理路整然とその薄く形のいい唇を動かして囀ってくれるのだから、本当に………。
 どうせならその薄い透明リップを塗った薄く形の良い唇で愛の歌でも囀ってくれた後にほっぺにちゅぅー、でもしてくれればいいのに(もちろん、唇になら言う事無しだ)。
「それでも」
「ん?」
「こうしてお話をしてもらえるとか、同じ部屋の空気を吸ってもらえるのは見込みが在るのかな? そういう未来を二人で回避できる」
 俺が机の上に重ねておいた手の上の手の甲に顎を乗せながら、ん? と小首を傾げると、彼女は顔を赤くした。
 ん? 何でそこで顔を赤くする? 耳まで赤い。
「馬鹿! そういう言い方、女の子、勘違いさせるわよ」
 彼女は言って、そっぽを向く。何だか両思いの癖になかなか自分の気持ちに正直になれない幼馴染で真面目な生徒会長の女の子、という設定の漫画のヒロインのような反応。はて?
 俺はひょいっと肩を竦めた。
「ああ、で、」
「ん?」
「何時まで居る気?」
「それは、ご挨拶だな。俺が最初にいたんだぜ?」
「あー、うん。それはわかっているわよ。でもね、お客さんが来るのよ」
 そう言う彼女はひどく気まずそうだった。
「女の子からの恋愛相談?」
「いいえ。恋愛相談の依頼」
 恋愛相談の依頼、
 ――――それは符丁。
 この俺が代理会長を勤めている恋愛相談部は実は恋愛の相談に乗る事は仮初であり、
 本当のところは学院の退魔師の溜まり場なのである。
 故に、例の怪奇探偵のよろしく怪異の相談が集まってきて、
 必然的に俺たちがボランティアでそれを解決するようになった。
 俺たちはそれを恋愛相談の依頼、と呼ぶようにしているのだ。
「だから、出て行ってもらいたいの」
「おいおい。もう職業意識丸出しで、敵と成り得る者の排除かよ?」
「いえ、そうじゃなくって、あー、もう。これは何となく…そう、ちょっと、いえ、だいぶデリケートな問題になってくるから…………とにかく男の出る幕じゃ…いえ、やっぱり、良い。あなたも居て。その方が案外と彼女もボロを出すかも」
 彼女はそう言って顎を触りながら足下を見る眼を細めた。
 俺は肩を竦めるばかりだった。
 …………そしてこの時の俺はまるで事の裏にある真相の気配にすら気付けていなかった。



「どう、容態は?」
 聞けば彼女は今朝からずっと保健室に居たらしい。
 何でもあの、件の非通知の電話を受けてしまった、とか………。
 それはただの、噂なんじゃないのか?
 噂…噂? それは、本当に?
 俺は肩を竦める。
 ここに持ち込まれた時点でもはやそれは、現実だ。
 それはコーヒーのように黒く、苦い、現実。
 俺は組んだ指の上に乗せていた顎を上げて、姿勢を正して、彼女に両手を開いた。
「ちゃんと信用してくれて大丈夫。俺たちは腕は確かだから」
「あ、その………はい」
 彼女はそう言って、枯れた声でぼそぼそと教えてくれた。
 朝、件の非通知の携帯電話を受け取ってしまった事。
 そしてそれから聴こえたのは、噂どおりにツゥー、ツゥー、ツゥー、という音と、それから、『今から迎えに行くから』、という言葉だった。



 あの怪談話は墓の横を通り過ぎて、それでその墓の霊の意志を受信して、というシステムが採用されている。
 それに基づくのならこの学院でその電波を発しているモノとは果たして何者なのであろうか?
 そして迎えに行くよ、とは、どこから? なのか。そして迎えに来て、それからどこへ連れて行かれるのか―――――
 わかっている事はあまりにも少なすぎた。
「そういう事ね。この事態を解決するには携帯電話に電話をかけてくる怪異の事を知らなくっちゃいけない」
「あとはその怪異から電話をかけられてきた者の共通性、かな?」
 俺は言った。よもや彼女が初めての犠牲者のはずは無いだろう。だからこそその噂が生じているのだ。なら、それを調べればいい。
「そうね。じゃあ、そちらはあたしが調べるから、菅原君、あなたは彼女のボディーガードをお願いね」
 それは俺に断らせない響きを持っており、
 そしてそれに文句を言えるような状況ではなかった。
 怯えている被害者の彼女に俺はにこりと微笑んだ。
 そうしてその次の日、依頼者たる彼女の家まで迎えに行き、彼女と共に学院に登校した俺が聞いたのは、同じ恋愛相談部で、同じ退魔師の彼女が行方不明になっているという事だった。


 ――――――冗談だろ?



 恋愛相談部の部室に行っても彼女の姿は見られなかった。
 俺は机に座り、両手で顔を覆った。
 仲間たちの話を聞いても彼女の行方は知れず、逆に俺は今回の事を訊かれ、
 昨日の昼休みに受けた恋愛相談の依頼について、
 彼女が他の被害者を調べ、怪異を見出そうとしていた事や、
 俺は彼女の携帯電話に残る履歴からかかってきた非通知の電話番号にかけてみたがそれは無駄だった事、彼女の携帯電話を解約しに行ったがしかし、どのような事か、色んな不可解な理由で携帯電話の解約ができなかった事などを説明した。
「とにかく、皆は被害者の彼女のボディーガードを頼む。俺は、俺が今度は怪異を調べるから」



 俺が今度は怪異を調べるから―――――




 そう言ったけど、だけど俺自身がその怪異を見つけ出したとしても友好的な方法論を持っている訳じゃ、無い………。
 人は、大事。
 人の命は、大事。
 人は牛や豚、鶏、家畜を殺してそれを食料にするし、
 魚を獲るし、
 その時の気分で虫を殺す。
 だけど人は人を殺さない。
 殺せない。
 それは法律でそう決まっているから。
 人の持つ倫理観がそう訴えるから。
 理性がそれを抑圧するから。
 人間が人間である証拠は理性。
 理性があるから人間は人間で、人を殺すと言う行為はつまりそういう人間が人間であるという証拠の理性の抑圧からの脱却を意味すると言う事で、それは人間では無くなる、という事。
 それはひどく罪深いとされる。
 人間は、人間を殺せる。
 それはどれだけ眼をそらしたい事でも、事実。
 寧ろそれを認めない事が、おかしい。
 高校生が親を殺す。他人を殺す。
 子どもが、親を殺す。他人を殺す。
 大人たちはそれをゲームや漫画、映像のせいにするけど、
 だけどリアルで高校生をやっている俺たちの目線から言えばそれは、
 ――――――理解できてしまう。
 つまり、人間は、人間を、殺せるのだ。
 ただその事柄を論理で隠しているだけ。
 理解し難い事では無い。
 だから逆に言えば、命を尊ぶのが人間だというのなら、
 それなら何故人間は人間以外のモノを殺す?
 殺す?殺す?殺す?殺す?殺す?殺す?殺す?殺す?殺す?殺す?殺す?殺す?殺す?殺す?殺す?殺す?殺す?殺す?殺す?殺す?殺す?殺す?殺す?殺す?殺す?殺す?殺す?殺す?殺す?殺す?殺す?殺す?殺す?殺す?殺す?殺す?殺す?殺す?殺す?殺す?殺す?殺す?殺す?殺す?殺す?殺す?
 俺はある日突然、その矛盾に気付いた。
 そしてだから俺たち退魔師が怪異を当然のように殺す行為に疑問を持った。
『そんなのは決まっている。こいつら怪異が私たち人間を殺すからだ』
 ――――それは果たしてそれほどに罪深い事なのだろうか?
 人間は家畜を殺す。人間を殺す。
 Qそれは何故か?
 A生きるために。
 そしてそれは怪異も一緒。
 怪異は人間への恨みで、
 或いは単純に人間が家畜を殺すように食料として、
 殺す。殺している。殺しているだけ。
 それを忌むすべき事して俺たち退魔師は存在するが、
 しかし同じ事をしている俺たち人間が、それを一方的に怪異は唾棄すべき物として処理する事にだから疑問を覚えた。
 これはそう、そういう怪異が人間を殺すとか、本当はそういう事が問題なのでは無い。
 これはそう、ただ単純な生存競争なのだ。
 生存競争をしているのだ、このリアルというゲームボードを舞台として、俺たち人間と怪異は。
 そしてだから俺は、その生存競争という価値観の上で、どうしようもなく区別をつける事が出来なかった。
 俺たち人間と怪異の命の重みを。
 それは同じなのではないのか?
 それは弱さとされてしまうのであろうか?
 選択できない意志の決定力不足の、
 エゴイズムとも称すべき人間の業の深さを実体化するべき行動力の不足―――――。
 …………。
 だから俺にはそう、無理なのだ。
 俺には無理だ。
 俺は怪異も、そして人間も殺せない。
 殺せない。
 だから本当は部室で彼女が口にした未来も到底実現される事柄としては認識できなかった。
 …………もっとも別の意味での対立で、そして彼女によって俺が滅ぼされる、そういう未来ならありえたかもしれないけど。
 それを自虐的マイナス思考とは、到底切って捨てる事はできなかった。
 そう、俺にはできない。
 それでも、
 そう、それでも、
 第三者である他生徒が犠牲となっただけではなく、
 俺の良く知る身内(同じ恋愛相談部の仲間)が犠牲となったのなら、
 それなら…………
 それなら、そう、俺は……………
「動くさ。苦しいけど、哀しいけど、頭が思考でこんがらって痛いけど、だけど動くさ」
 後悔は後で、
 背負う十字架の重さを知るのも後で、
 流す血の冷たさに、
 受ける血の黒さに、
 おぞけるのも後で、
 ただ今は、俺は零れ落ちてしまった砂の重みを思いながら、彼女のために動く………



 保健室。
 俺はそこを訪ねた。
 驚くほどこの事件に関しては学院側(大人)が問題になるのを恐れているのか、隠されている部位があった。
 だから俺は実際昨日になるまでこの非通知の怪異が実在するとは知らなかった。
 だけど、だからといってそれを完全に隠しきれるかと言うと、それはそうでは無いと断言できる。
 昨日の彼女の件からもわかるように被害者は必ず保健室に運び込まれるはずだからだ。気を失って。
「あの、菅原さん」
 そう言ってきたのは彼女だった。
「どうした? おまえのボディーガードは他の仲間たちがやってくれる手はずになっているだろう?」
「あの、それでも、その、私が言い出した事だから」
 そう言いながらも彼女は保健室のプレートを何故か意味ありげに見ている。
 そう言えば、あの彼女もこの件について、いや、何かしらの事に付いて、ひどく口を重そうにしていたが…………
「おまえ、何かを隠している?」
 俺が小首を傾げるのと、保健室から保健医が出てくるのとがほぼ同時で、そして彼女はその保健医の男を見て、どこか切なげに顔をゆがめると、身を翻して行ってしまった。
 その背を見送る俺の後ろで保健医は鼻を鳴らした。
 それはひどく嫌なモノであった。
 俺は保健医について聞きたい事があったのだが、しかし、その保健医は行ってしまった。そして俺も何か嫌な感じを受けて敢えてその背に声をかけようとは思わなかった。
「さて、どうするか?」
 呟くのと保健室で何か物騒な音がするのとが同時。
 保健室に飛び込む。ひとりの少女が居た。
「綾瀬まあや」思わず呆れたような声で言ってしまった。
 彼女は何度か退魔師としての仕事をこなす時に視線を共にした少女だった。
「こんちは。ああ、そうか。確か逢海君の通う学院で、そして同じ部の子か。昨日失踪した子は」
「おまえ…。どうしてそれを?」
「三番目の被害者の子の両親が今回のあたしのクライアント」
「そうか」
 俺は椅子に座る。
 やろうとしていた事は彼女がしていた。
 この保健室利用者の名簿と治療記録の見聞。しかしそれを見ていた彼女はひょいっと肩を竦めた。
 そして眉根を寄せる俺に彼女はそれを寄越した。
 俺は頭痛を感じる。それには昨日の俺たちのクライアントの治療記録が無かった。
 綾瀬まあやを見ると、彼女も芝居っ気たっぷりに肩を竦めた。
「神聖都学園か?」
「そうじゃないと思う」
「何故そう言いきれる?」
「たとえ同じ学院で、クラスメイト、同じ部活でも、男の子には伝わらない女の子たちの情報ってのはどこの学院にもあるものよ。あなたが女の子だったのなら、きっともう既にこの事件の被害者の共通性に気付いていると思うわ。そしてそれからこの事の真相にも」
 冷笑を浮かべながら彼女が言った事に俺は愕然としてしまった。
 先ほどの光景が脳裡でリプレイされる。
 …………まさか、そういう事なのか?
「ご名答。この件は、あなたに譲るわ。他校の女子生徒に問い詰められても知らぬ存ぜぬを貫かれるだろうから。こういう事は同じ学校の生徒に問い詰められた方がボロを出しやすいでしょう」
「ちょっと待て…。だけど…」
 しかし綾瀬まあやは自分が割った窓からではなく今度は普通に保健室の出入り口からもう出て行ってしまった。
 ひとり取り残された俺は、近場にあった椅子を蹴った。



 突然携帯電話が鳴り出したのはその時だった。
 俺は制服のズボンのポケットに入れておいた携帯電話を取り出す。
 夏だから、という訳ではなく、それとは無関係なひどく嫌な汗が背中を滝のように流れた。
 意識して呼吸をしながら液晶画面を見る………



 非通知



 眩暈がした。
 頭を鈍器で激しく殴られたような。
 そして最初から事の真相を知っていたであろう仲間の彼女も今の俺と同じ状況に陥ってしまったのであろう事がありありとわかった。
 俺は通話ボタンを押した。



『助けて』




 俺は保健室を飛び出した。
 そして職員室に行った。
 職員室には驚く事に保健医しか居なかった。
 そうして俺の顔を見て、事もあろうに彼は哂った。
「昨日も彼女がそういう顔で俺の目の前に立ったよ。そして、俺を責めるから、俺は彼女を、殺した」



 殺した、
 ――――そうこの男は何でもないように言った…………………



「おまえ、最低だな」
「ふん、君も男だ。ならわかるだろう? 男がいかに下半身が別の生き物か、だなんて事が。実際にたまらないぜ? 大人の男がこんな若く肌の張りのいい雌たちの中に放り込まれたらさ。短いスカートがのびる太ももに挟んで腰を振りたい、だなんて君も想像するだろう? こう、ローションなんかをうーんと塗りたくってさ」
「黙れ。耳が腐る。思わねーよ、この馬鹿野郎が。マジ死ね」
 本気で聞きたくなかった。
 いい年こいたジジイの性欲に塗れた戯言など。
「寝言が寝てから言え」
「夢精なんか真っ平さ。俺は金を出す。あいつらは金を欲しがるから身体を差し出す。顕然たる需要と供給の一致だろう?」
「だから黙れと言っている」
「だから黙らないと言っている。君だって嫌だろう? どうして殺されなければならないのか知っておかなくっちゃ。冥土の土産に事の真相全てを聞かせてやると言っているんだ。感謝しろよ、このクソガキが」
 俺は頭を振りながら教師のデスクの上に置かれていた教鞭を手に取った。安物のラジカセや車のアンテナのように伸ばして使うそれを伸ばす。
 俺が手に取った奴を見て、彼は鼻で笑った。
「13人の女子生徒と付き合っていた」続けて彼は下卑た笑みで絶倫だろう? と笑う。「しかしその中の一人が妊娠してね。いや、まったく、生が一番とは言え失敗したよ、らしくもなくね。そうしたら君、その彼女はなんと言ったと思う? 結婚したい。子どもを産ませてくれ。奥さんと別れてくれ、ときたものだ。冗談じゃない。妻の父親は有名私立大学の経営者だよ、君? 私の将来は約束されているのさ。この学院の保健医など単なる下積みでしかない。彼女らとはそうさ、火遊びさ。それが私の輝かしい未来を燃やして良いのか? 否、そんな訳が無い!!! だから、」


 私は彼女を殺して、埋めた。
 ――――そう彼はとても嬉しそうに、
 幼い子どもが自分のやった悪戯を自慢するように言った。



「真性の下種だ、おまえは」
「ほざけぇー」
 彼はいつの間にか手に持っていた業務用のカッターナイフを俺の頚動脈目掛けて振り下ろしてきた。
 なるほど、綾瀬まあやの言った通りだ。
 おそらくは彼女がこの様に彼を問い詰めても彼は冷静に知らぬ存ぜぬを貫き通しただろう。
 しかしこの職員室で俺に責められて、彼は完全に壊れた。
 昨日はなんとかぎりぎり壊れるのを堪え、冷静に彼女を処理した彼でも、二日連続で事の真相を言われれば、こうなる。
「だけどなー」
 俺は教鞭に霊力を注ぎ込む。
 はっきり言って俺は弱い。
 使える術はこんな物質強化程度だ。
 だけど、
「なにいぃ?」
 こんな下種程度にはそれで事足りる。
 俺は強化した教鞭で彼の持つ業務用のカッターナイフを下から上へと上げて弾き、
 それでそのまままたそれを袈裟状に振り下ろした。彼の上半身目掛けて。
 彼の着ていた白衣とスーツはそれで切れて、彼の身体はざくりと割れて、鮮血があふれ出す。とは言え、それは少し切れた程度だ。致命傷でも何でもない。明後日にはかさぶたになっているはずだ。
 しかし、
 彼の携帯電話がそこで鳴った。
 彼は笑う。
「妻からだ。今日のこの時間に妻から電話がかかってくる事になっていたんだよ。ばーか。君の事を妻に訴えてやる。君は今時の切れた高校生として警察に捕まるんだ」
 本気で彼は言っていて、
 そして携帯電話に出た。
 だけど俺は、その携帯電話が着信音を奏でた時から、それにかけてきたのが例の非通知の彼女だと理解していた。
 職員室の空気は、そういうものだったのだ。
 そうして彼は、悲鳴をあげて、
 それで携帯電話を投げ捨てた。
 それは俺目掛けて投げられていて、俺の耳の直ぐ横を通り過ぎていっていて、だから聴こえた、
 あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
 狂った声で流れてくる女の笑い声が。
 それはひょっとしたら泣いているのかもしれなかった。しくしくと。
 しかし、やはりそれは男の転落を小気味良さそうに笑う声に聴こえた………。
 それが職員室の上座にある黒板に当たって、落ちた瞬間に、職員室にある電話や教師の私物である携帯電話が一斉に鳴り響いた。
 彼は顔色を蒼白にし、何かを叫び、耳を押さえ、地団太を踏み、そうして職員室を飛び出し、
 俺はそれを追いかけ、
 彼は学院の裏にある雑木林に入り、その真ん中辺で地面を掘り返し始め、
 そして、
 何事か呟いた彼の身体が、
 その次の瞬間、
 地面から生えた巨大な白骨化した手によって掴まれ、
 地面の中に引きずり込まれた………。
 後には、それを目撃した俺と、
 地面から覗く、携帯電話を持った少女の白骨化した手が、あるだけだった………。



【ending】


「彼に殺された彼女は自分と同じように彼の毒牙にかかっている少女たちを救おうとしていたのね」
 全てが終って、夏休み明けすぐの休校もようやく明けてから、俺は綾瀬まあやと恋愛相談部の部室で話していた。
「ああ。彼女の非通知の電話によって連れて行かれた少女たちも帰ってきたしな」
 不思議な事に彼女らからはその間の記憶が抜けていた。だから本当にもう誰も彼女らがどこに行っていたのかも知らないのだ。
「それだけが本当に救いだよ」
 仲間の彼女はやはり殺されていて、
 そして保健医の車から彼女を殺した時に使用としたと思われるロープ(彼女の汗などがDNA検査の結果判明した)、彼女の髪の毛が発見され、
 しかしその彼女を殺した犯人である彼の行方はわかっておらず、警察は依然彼を指名手配にして、探している。
 だけど警察ではもう彼を捕らえる事はできず、
 そして人間の法律による裁きよりももっと重く苦しい裁きを彼は受けているのだと思う。
 俺は頭を振った。
「彼女たちの供養はちゃんと彼女の家がやってくれるわ」
「ああ」
 俺はうなだれる。
 そして俺は彼女に訊いてみた。
「なあ、俺には何かできないだろうか?」
 そう訊くと、彼女は微笑みながら言った。
「笑って、生きて、そうして寿命を全うする事ね」
 思った通りの模範解答に俺は肩を竦め、
 そして今は確かにそれ以外の事は思いつかないので、俺は彼女が言うとおりに笑った。
 そう。今はそうして俺は生きていこう。
 この胸にある弱さが故に抱く疑問の答えをいつか見つけるまで。
「さてと、じゃあ、今日も元気に学生をしますか」
 うーん、と身体を伸ばしながら感じた学院は、俺の生きる世界は、取り戻した幸せな歌を歌っていた。


 →closed