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<東京怪談・PCゲームノベル>


秋ぞかはる月と空とはむかしにて


 神田は、ほぼ一年を通してスーツ姿のサラリーマンが忙しなく往来している街だ。時折、着物姿の、品の良い淑女がそそと歩いていくのも目に出来るが、七割は会社勤めで奔走する男達で占められている街なのだ。
 近代的な建造物が軒を連ね、排気ガスを撒き散らしながら走る大通り。それを横目に見ながら、細く伸びる脇道に足を寄せる――と、そこには昭和を思わせる古い街並みが顔を覗かせる。つまりは、神田というのは現代の風景と過去の風景とが混在してある街なのだ。
 あるいは、神田という街は、古書店を多く抱え持つ街としても知られている。
 軒を連ねる古書店の中で、『書目』はひどくひっそりと看板を立てている店として、知る者ぞ知るといった小さな古書店だ。
 大正に起きた震災は東京の街を大きく喰い散らかして過ぎていったが、人々は荒れ野となった街並みをも、たくましく復興させてきたのだった。
 『書目』はその復興のさなか――つまりは震災後に建てられたビルの中にある。地階と一階を店舗として使用し、二階は事務所を兼ねた倉庫、三階部分を居住用に使用している、書目家が所有する古いビルだ。
 書目皆は古書店を営む祖父と祖母と三人、このビルの三階部分で生活している。両親は共に健在だが、風呂場も持たないビルの古さに辟易してか、近場に建つ賃貸マンションの一室を借りて住んでいる。
 
 皆は現代を生きる若者といった見目をもっている。世情などどこ吹く風か。飄々と世を渡っていく現代の青年である皆ではあるが、しかし、祖父や父が揃って経営している古書店に関しては、並々ならない心を寄せている。
「うちは、品揃えだったらよその店には負けないよね」
 皆が見せる情熱たるや、周囲の者達に対し、まったく悪びれる事もなくそう豪語してみせるほどなのだ。
 それほどまでに『書目』を愛する彼であればこそ、風呂場を持たない、ある意味では不便を強いられる居住環境の中にあっても、微塵も不満を覚えないのかもしれない。

 さて、この日、皆は、いつものごとくに近所の銭湯へと足を向けていた。
 夏を過ぎ、神田を撫でる風はもう秋のそれへと移り変わっている。
 電柱の上にある街灯は、風が巡るたびに消え入りそうにチカチカと点滅を繰り返している。それを上目に見やりつつ、皆は銭湯までの歩き慣れた道のりを歩き進めた。
 銭湯までの道には、まさに目を閉じた状態のままでも歩き進めるだけの自信を持っている。むろん、車や自転車、歩行者の往来には気を配らねばならないが、しかし、陽が沈めば、街は存外静寂の中に包まれるのだ。
 遠く香る金木犀の香りを鼻先に覚えながら道の角を折れる。
 風呂桶が風でかたかたとうたう。街灯はやはりチカチカと点滅を繰り返し、光と闇とが交互に道を包み込んでいる。
 あちこちで猫の鳴き声がする。それに目を細めつつ、皆は小さな息を吐いた。
 人気の少なくなった通りの中では、時折猫の集会が行われてもいる。彼らは皆が害をなすような人間でないのを知っている。ゆえに、皆の気配を感じても集会を途切れさせるような事をしないのだ。
 点滅する街灯が落とす闇と光との中で、ふと、皆は一匹の猫に目を向ける。
 見覚えのない、全身を闇の一色きりで覆い尽くした仔猫だ。
 猫は皆の視線を受けながら、皆の横をすいとすり抜ける。闇を映した眼差しがちろりと皆を一瞥した。
 すれ違い、道を行く皆を、しかしその時、先ほどの猫のものだと思われる声が静かに呼び止める。それは猫の声とも風の声ともとれるような声だった。
 ふと足を止めて振り向いた皆は、次の瞬間、自分がまるで見知らぬ土地の上で立っているのを知った。

 金木犀の香りは変わらずに漂っている。が、猫の気配はどこにも感じられなくなっていた。
 電柱も、点滅を繰り返していた街灯もない。
 辺りは神田の街とはまるで異なる世界へと放り込まれていたのだ。
 皆は、その場に留まったまま、しばしぼうやりと周りを見つめる。
 周りには神田の街に代わり、がらんとした闇ばかりが広がっていた。夜目に馴染んだ視界に映りこむのは道幅40メートルほどの、アスファルトなどといった舗装のなされていない大路。その大路の真ん中に、皆の姿があった。
 車の往来を思わせる軌跡は残されてはいないようだ。
 路の脇には、今にも崩れて落ちてしまいそうなほどに鄙びた家屋が建っている。茅葺やら瓦やらを屋根とした平屋のそれは、窺う限り、人の気配などといったものもまるで感じられない。
 冷えた風が過ぎていく。
 風呂桶がかたかたと鳴り響く。
 皆は眼鏡の腹を押し上げ、それから肩で小さな息を吐いた。
 自分が怪異の中に放りやられたらしいという事は、確かめるまでもなく判然としている。――あるいは、夢を見ているのだろうかとも考えた後に、しかし、脇に抱え持っている桶がその考えを打ち消した。
「……いくらなんでも、こんな色気のない夢ってのもなあ」
 独りごち、止めていた足を歩ませた。
 
 大路は、皆が立っていたそれの他にも三つばかり確認できた。歩き進める内、やがて四つの大路が重なりあう大きな辻にぶつかったからだ。
 この場所が現世とは隔絶されたものであるという事は、道すがらすれ違った存在達を目にしてきた事で知れた。
 それは石燕の画図さながらだった。
 身体中に蜘蛛を這わせた女――女郎蜘蛛。ひょうすべ、天狗、蛇骨婆。
 彼らは行灯を手に揺らしつつ、すれ違う皆をさほど気に留める事もせず――中には気の善い挨拶などを掛けてきたものもいた――、薄闇の中から現れて薄闇の中へと消えていくのだった。
 四つ辻の傍らに、鄙びた木造の棟が一軒。その中からは小さな灯が洩れ、風に伝い、笑い声やら噺声やらといった賑やかな気配が感じられた。それはおそらく道すがらすれ違った彼らのものなのだろうと、皆はひどくあっさりと納得できた。中を確かめようとは、とりたてて思いはしなかった。
 皆はその棟を横目に見やりながらも通り過ぎ、歩き進んで来た大路の真っ直ぐ向かいに伸びていた大路の上へと歩み出た。
 金木犀の香りは、気付けばいつの間にか消えていた。その代わりに、今度はしっとりとした水の匂いが鼻先をかすめるようになったのだ。皆はその水の匂いを追いながら、微塵も躊躇などといった迷いを浮かべる事もなく、ただ淡々と大路を歩き進める。
 そうして、不可思議な大路の上を、ひとしきり歩き進めた後の事。

 眼前に広がったのは薄闇の中をさわりと鳴らしながら流れていく小川と、その上に架かる湾曲した木造の橋。橋の向こう側は薄闇のせいもあってか窺いようもないありさまだが、それは案外と大きな、どっしりとした造りがなされていた。
 心惹かれ、橋に手を伸べかけた皆だったが、しかし、次の時にはその動きは制されるところとなったのだ。
「その橋に手を触れてはいけない」
 ほとりと落とされる、低く呟く声。
 皆がゆるゆると振り向けば、そこには見慣れないデザインの学生服姿の少年がひとり、立っていた。
 少年は学生帽もきちりとかぶり、その下から覗く双眸で窺うように皆を見ている。
 皆は、むしろ橋よりもその少年に興味を寄せた。
 少年が覗かせている双眸が、日本人が生まれ持つそれとは少しばかり異なった色をしていたのだった。
「こんばんは」
 皆は少年の前まで歩みを進め、そこでひたりと止まって、少年の顔を覗き見るように膝を屈めた。
「君のその恰好、なんだかひと昔前の学生さんみたいな感じですね」
 にこりと頬を緩める。
 対する少年はまだどこか緊張しているような面持ちで、口を閉ざしたままで皆を見上げている。
「や、何も、とって喰おうとか、そんな事は思ってもいませんから、そんなに緊張しないでください」
 からからと笑いながら風呂桶を示し、皆はゆったりと首をかしげた。
「風呂にね、行こうかと思っていたんです。僕が住んでるところには風呂がないもんですから、銭湯に通わなくてはならないんですよ」
 少年は皆の言葉を受けて、視線を風呂桶へと向ける。
「……この辺に風呂はありませんよ」
 やはりぽつりと落とすような呟き声。
 少年の応えを耳にして、皆は再びからからと笑った。
「や、それは見ればわかります。っていうか、この辺はどういった世界になるんでしょうか? ここへ来るまでの途中で妖怪と思しき一行とすれ違ったのですが」
 頬を緩めつつも、少年の応えを待つ。
「……ここは彼岸と此岸とを繋ぐ境。あなたは、多分、此岸から来たんですね」
 少年はひどく静かな声音でそう告げた。
「ああ、なるほど。ではこの橋の向こうは彼岸へ通じているといったわけでしょうか」
 うなずきつつ問い掛ける。と、少年は言葉なくうなずいた。
「なるほど、だから”橋に触れてはいけない”と」
 皆は改めて微笑み、軽い会釈をした。 
「そういえばまだ名前も言ってませんでしたね。僕は書目皆といいます。東京の、神田からこちらへお邪魔させていただきました」
 皆の会釈と紹介とを受けて、今度は少年の方がぺこりと頭を下げる。
「……萩戸則之です。……書目さんは神田からいらしたんですか」
「そう、神田から。萩戸さんは神田をご存知で?」
「数度ほど出向きました。神田は俺が子供の時分に、書店街として随分と名を馳せるようになって、文藝やら教本やらを探しに」
「……萩戸さんが子供の頃に」
 則之の言葉を反復し、皆はわずかに眉を寄せた。
 
 神田は、そも、江戸時代までは武家の屋敷が軒を連ねる屋敷町であったという。が、明治という時代に移り変わってからは、政府の高官や華族といった知識階級が住まう町となり、塾やら学校やらが多く建つようになったのだ。それに伴い増えだしたのが数多く並ぶ書店。これが大正時代へと移りかわると、民主主義といったものがさらに色濃いものとなり、学校教育も一層盛んになったのだという。
 つまりは、神田が書店街として名を馳せるようになったのは、少なくとも明治以降という事になる。
 
「萩戸さんのお年を伺ってもいいですか?」
 眼鏡の奥の目を細め、則之の顔を真っ直ぐに見つめながら、皆はふとそう訊ねかけた。
「十六です」
 幾分か不思議そうな面持ちで返した則之に、皆はふむと小さくうなずいた。
 明治は1868年から1911年までの43年間をいう。次ぐ大正は1912年から1926年までのわずか14年間。則之が子供の頃に神田が書店街として名を馳せるようになったのならば、少なからず、則之は明治の生まれという事になるだろう。
 ふと思案に耽りだした皆に、今度は則之が訊ねてきた。 
「書目さんは……その……」
「ん? なんでしょう?」
「書目さんも……英吉利や阿蘭陀の血を……」
 視線を泳がせつつ、則之はひどくくぐもった声でそう口にする。
 皆は笑みを浮かべてうなずき、片手を持ち上げて、青い色を放つ目の上に触れた。
「曽祖父が英国の人間なんです。――そういえば萩戸さんも」
 訊ねかけて、しかし、皆はふと口をつぐむ。
 則之の肩が、わずかに強張ったからだった。

 しっとりとした風が風呂桶をかたかたと揺らす。

「あ、そういえば、銭湯」
 はたりと思い出し、皆は大きく目をしばたかせる。
「営業時間内に行かなくては――萩戸さん、申し訳ないのですが、ここから神田までの道を教えてくれませんか?」
「……帰るんですか」
「ええ。――ああ、でも、また改めて伺えたらと。また萩戸さんとお話もしたいですし」
 にこりと笑うと、則之はようやくのろのろと顔をあげ、皆の顔を見つめた。
「……書目さんが歩いて来た大路を、真っ直ぐに進んでください」
「真っ直ぐですね? ああ、戻ればいいのか」
「そうすると、やがて橋が見えてきます。……それを渡れば」
「戻れる?」
 則之は口を閉ざしたままでうなずいた。
 皆は急いできびすを返し、数歩ばかりを進んだ後に、ふと足を止めて振り向いた。
「それでは、また」
 満面の笑みと共にそう告げる。
 則之の顔が、心なしか明るいものへと変わった。
 それを確かめてから、皆は改めて歩みを進め、四つ辻の薄闇の中へと駆け行ったのだった。
 






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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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【6678 / 書目・皆 / 男性 / 22歳 / 古書店手伝い】



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          ライター通信          
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はじめまして。このたびは四つ辻への来訪、ありがとうございました。

今回このノベルを書くにいたり、神田が書店街となるまでの歴史の流れをざっと調べてみたのですが、案外と歴史の深い街なのですね。
神田にはあまり赴いたことはないのですが、その土地の歴史に触れると、やはりどうしても出向いてみたくなったりします。

皆さんと則之とは、共通点がひとつありますね。
則之は、基本的には人見知りの激しい性格なのでしょうが、たぶん、その一点で、皆さんには関心を寄せているだろうと思われます。
もしも今回のノベルがお気に召されましたら、またお気が向かれたときにでも、四つ辻においでいただければと思います。

一人称やイメージなど、設定と異なる点がございましたら、お気軽にお申し付けください。
それでは、またご縁をいただけますようにと祈りつつ。