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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


『シュレディンガーの猫は化けるか?』



◆00.オープニング

「怪奇現象が起こらないんです」
「は?」
 草間・武彦は思わず間抜けな声で聞き返してしまった。何かの冗談かとも思ったが、依頼人――佐久間・茜は至って真剣な表情である。
「あの、それは一体……?」
「私の周りで怪奇現象が何も起こらなくなってしまったんです」
 いぶかしげな武彦の問いに、茜はもう一度はっきりとそう言った。
 身の回りで怪奇現象が起こらない。それのどこに問題があるというのだろう。武彦は自分で書いた「怪奇ノ類禁止!」の張り紙を見ながらぼんやりとそう考えた。怪奇現象のない生活。素晴らしいではないか。
「失礼ですが、それが普通なのでは?」
 控えめに思った通りのことを武彦は言ってみる。しかし、茜は首を横に振って更に言いつのった。
「いいえ。私、霊感が強い方で病院でも良く幽霊を見てましたし、ラップ音やポルターガイストの経験したことがあります。担当した患者さんが亡くなったあと、ご本人からお礼を言われたこともあるんです」
「病院?」
「あ、申し遅れました。私、看護師なんです。……正確には看護師でした」
「ということは今は」
「……お休みをいただいてます」
 そう言えば今は看護婦さんじゃなくて看護師さんと呼ぶんだったか、などとまるで関係のないことを考えながら、武彦は目の前の依頼人を観察した。長く伸ばしたまっすぐな黒髪と憂いを湛えた瞳が印象的ななかなかの美人である。ベージュのトレンチコートを着て、名前と同じ色をした真っ赤なハイヒールを履いたその出で立ちは、まるで武彦が愛読するハードボイルド小説から抜け出したかのようだ。
 これで依頼がまともだったら最高なんだがなあ……と考えあぐねていた武彦の目の前にそっと帳簿が差し出された。お茶のお代わりを持ってきた草間・零がさりげなく茜に見えないように武彦に見せたそれは、今月の興信所の家計簿だ。じっくり読むまでもない、例によって例のごとくそこに記された数字は自転車操業もいいところ、はっきりきっぱりと赤字だった。
 ふう、とため息を吐いて武彦は改めて茜に向き直る。
「それでは、詳しいご依頼の内容はあなたの身の回りに怪奇現象がまた起こるようにして欲しい、ということですか?」
 ようやく前向きな武彦の反応を得られて嬉しかったのか、茜は少しだけ明るい表情になって依頼について話し始めた。
「いえ、出来れば何故怪奇現象が起きなくなってしまったのか、その原因を調べていただきたいんです。それが私に納得のいく理由であるなら、別に幽霊が見えなくてもいいんです。……ええ、構わないはずです」
 おや? と武彦は疑問に思う。「幽霊が見えなくてもいい」という茜の声には、今確かに迷いが感じられた。
「わかりました。それで、あなたご自身に何かお心当たりはありますか?」
「――…………いいえ」
 まただ。今度ははっきりとためらいの間があった。先刻一瞬だけ明るくなった表情もまた沈鬱なものへと戻ってしまう。その顔は後悔を必死で隠しているようでもあった。
「本当に?」
「……はい」
 小さいながらもはっきりとした返答。この依頼人が何かを隠しているのはまず間違いないだろうが、今ここで聞き出すことは無理なようだ。
「わかりました。早速調査を開始いたします。もしかしたら調査員がお宅やお勤め先に行くことがあるかもしれませんが――」
「構いません。病院の方にも話は通しておきます」
「ありがとうございます」
 調査に理解のある依頼人で助かった。これでだいぶ仕事はしやすくなったはずだ。
「それでは、よろしくお願いします」
 立ち上がって茜は深々と武彦に向かってお辞儀をした。そうして彼女は興信所の出口へと踵を返し歩いていく。ドアの取っ手に手をかけたところで、一瞬動きを止め彼女は振り向かずに小さく呟いた。
「ドアを開けるまでは確かに猫は生きているんです。開けた瞬間に生きるか死ぬかの運命が50%の確立で決まるなら、死んでしまった猫はドアを開けた人間を恨んで当然だと思いませんか?」
「え? それはどういう――」
「失礼します」
 武彦の問いには答えず、茜は謎の言葉を最後に残したまま興信所を出て行ってしまう。残された武彦はマルボロに火をつけ、
「さて、どうしたものかな……」
 とこの一風変わった依頼をどう処理すべきか思いを巡らせていた――。



◆01.ミーティング

「依頼人の佐伯さんが最後に言っていたのって、シュレディンガーの猫よね?」
 シュライン・エマは調査に必要な書類や資料を整理しながらそんなことを言った。
「しゅ、しゅれでぃんがあ?」
 聞き慣れない言葉に、武彦はぎこちなく聞き返す。
「シュレディンガーの猫。波動方程式とか存在確率だっけか。俺は大学では法学部だったからそんなに詳しくないけど、量子学の有名な思考実験だよね」
 そんな武彦に、軽く説明をしたのは三葉・トヨミチだ。詳しくないという割にはトヨミチが口にした言葉もかなり専門的で、武彦は余計わけがわからなくなる。
「量子学?」
「そう。確か、フタのある箱の中に猫を入れておいて、その箱の中には他に放射性物質のラジウムと粒子検出器と青酸ガスの発生装置を入れておく。で、そのまま1時間放置する。もし箱の中にあるラジウムが粒子を出すと、検出器が感知してその先についた青酸ガスの発生装置が作動して猫は死んでしまう。でも、ラジウムが粒子を出さなければ検出器も発生装置も作動せず、猫は生き残る。1時間のあいだに粒子が出る確率は50%。つまり、猫が生き残る確率も50%、その間猫は生きている状態と死んでいる状態の両方に属しているわけだ。でも、実際には観察者がドアを開けた時、猫は生きているか死んでいるかどちらかの状態でしかいない。そういう話だったと思うけど」
 ちんぷんかんぷんな武彦を置き去りに、草間興信所に集った調査員たちはシュレディンガーについての話を続ける。
「三葉の説明で大体合ってるな。ただし、依頼人は解釈を間違えているようだから、あまり手がかりにはならんか」
「どういうことだ?」
 首をかしげる武彦に黒・冥月(ヘイ・ミンユェ)は更に説明を続ける。
「現実において確率論は無意味だ。猫は見ようが見まいが生死は変わらない。『神はさいころを振らない』は意味は違うが事象の有無は必然で、ミクロの世界は確率でしか表せないがマクロの現実は原因と結果のみ。猫が死んだのなら、彼女が何もせずとも死んだか、彼女自身が殺したかのどちらかだ」
 と、そこで冥月は辺りを見回した。そこには今にも目を回しそうな武彦と、熱心に彼女の解釈論に聞き入っている他の調査員たちがいる。苦笑して冥月は手を振った。
「まあ、解釈論はキリがないからこの辺にしておこう」
「いやいや、なかなか面白かったよ。でも、俺もこの場合シュレディンガーはただの例え話の可能性が高い気がするな」
 冥月にトヨミチが同意する。専門的な知識の羅列攻勢からようやく回復した武彦は、そんな彼らに疑問をぶつける。
「トヨミチはともかく、冥月、どうしてお前そんなに詳しいんだ?」
 武彦の問いに冥月は、ふっと遠い目をした。
「昔、大学に潜入するために教え込まれてな」
「なるほど」
 冥月の答えに武彦は深くうなずいた。
「お前、女子大生に手を出してサボってばかりいたな。どうせそのころから男前だったんだろ?」
「誰が出すか!」
 即座に冥月の鉄拳が武彦の顔面に炸裂する。
「何度も言っているように、私は女だ」
 冥月はパンパンとまるで汚いものに触れた後のように手の埃を払い、倒れ込んだ武彦を睥睨した。
「わかったか?」
「その態度が男らし……グギャ」
 みなまで言わせずに冥月のハイヒールのかかとが武彦の腹にめり込んだ。
「わ・か・っ・た・な!?」
「わ、わかりまひた……」
 半泣きで謝りたおす所長と、それを踏みつけにする美女の調査員。いつも通りといえばいつも通りの光景をバックに、二人以外の調査員たちは調査の手順と役割分担をてきぱきと決めていく。
「なんにせよ先入観は良くないわね」
 作成した資料と調査許可の書類を配りながらシュラインが言う。
「まずは色々情報収集してみましょ」
 配られた書類に調査員たちは目を通す。腐っても皆、草間武彦が信頼する調査員たちだ。仕事への熱意は皆、並々ならぬものがある。
「往々にして、霊視などのあまり一般的でない物事を感得する技能は、本人の在り方と不可分よ。通常の身体・精神状態ですらもそれに影響を受けて変異するのだから、原因を佐伯さんに求めるのは当然とも言えるわ」
 書類に目を通しながら、ササキビ・クミノが言う。
「怪奇現象は常に起こっているわ。ただ問題になるのは、それを認識するかどうか、認識することが一般的かどうか、それが問題へ対処する方法として適切かどうか、よね」
 そこで、怪奇現象を嫌う武彦に引け目があるせいか、皆から少し離れた場所にいるパティ・ガントレットが控えめに手を挙げて発言する。
「お仕事を休んでおられるということは、佐伯さんは収入面でも不安がありますでしょうし、早い現場復帰が望ましい……はずですよね?」
 東京に巣くう魔人・亜人達によって構成されたマフィアの首領は、あくまで武彦への遠慮を隠さぬまま、おのれの考えを述べた。
「まあ、一般的にはそうだろうな」
 武彦を踏み飽きたのか、つっけんどんに冥月が言う。
「何か決定的なきっかけがあるはずです。怪奇を感じるか感じないかは彼女自身の問題なのですから。実害のない怪奇現象が起こらなくなっただけなら、長期休暇は必要ないはず。病院から離れたい理由があるのでしょう」
「つまり、パティさんは病院を中心に調べたいというわけ?」
 興信所の事務員を務めるシュラインが確認する。
「そうですね。私は、原因は病院にあるとにらみます」
「俺も、ガントレット君に賛成だね」
 パティよりはよっぽど自己主張をしつつ手を挙げたのはトヨミチだ。
「トヨミチさんも病院の調査が希望なの?」
「うん。看護師さんと呼び名がかわったとはいえ依頼人の同僚には、まだまだ女性が多いだろう? なら、ガントレット君だけで行くよりも俺も行く方が収穫は多いと思うよ」
 トヨミチの能力を知る者達は、顔を見合わせてうなずきあった。確かに、トヨミチが持つ力は女性が多い職場には大いに力を発揮するだろう。
「では、三葉さん。よろしくお願いいたします」
 瞳を閉じたままパティが深く頭を下げる。そんなパティに対して、トヨミチは頭をかきながら苦笑した。
「そんなにあらたまらないで下さい、ガントレット君。無理をお願いするのはむしろ俺の方かもしれませんから」
「え?」
 パティの疑問にトヨミチが答えるよりも早く、次の役割分担をシュラインは決めていく。
「で、冥月さんはどうするの?」
 いまだのびている武彦を爪先で転がしながら、冥月は答えた。
「いつも通りだ。身辺調査や聞き込みは得意な者たちに任せる。私は影を使って依頼人を尾行しよう」
「OK。じゃあ、先に私が本人に聞き込みに行って重点的に調べて欲しいところを伝えるわ」
「わかった。連絡を待っている」
 それは、草間武彦と付き合いの深い者たちの暗黙の了解。いざというとき以外にはまったくもって役に立たない所長を頼りにせずに、事件を解決する術を心得ている。
「それじゃあ、クミノちゃんは……」
「私も病院で依頼人がどういう存在だったのかは気になるけれど、パティさんやトヨミチさんが行ってくれるなら同行はパスするわ」
「そう……」
 クミノの能力はとても強い。それゆえ、他者との連携行動には最大限の注意を要する。しなくてすむのならば、その方がクミノ自身にとっても負担が少ないだろう。
「私はネットカフェモナスで情報の中継地点を務めます。そういう場所がある方がみんなも動きやすいでしょ?」
「ありがと。逐一連絡を入れることにするわね」
 クミノの力を正確に把握しているシュラインは笑顔でウインクをした。他の者たちもそれぞれに了解を意味する仕草をとっている。結局のところ、クミノが何だかんだと草間武彦に協力をしてしまうのは、こういう瞬間があるからなのかもしれない。自分を信頼し、最大限に力を生かせる環境を整えてくれる彼らと一緒にいることはとても心地よい。
「というわけで!」
 シュラインはまだ床に転がったままの武彦の襟首を掴み、引っ張り上げた。
「武彦さん!」
「は、はひ」
 いまだ冥月の鉄拳制裁のダメージから回復しきっていない武彦は、冥月以外の女性の声にも過剰反応してしまう。
「まずは私たちよ。もう一度佐伯茜さんにお会いして、詳しいことを聞き出しましょう」
 武彦のネクタイやジャケットのゆがみを直しながら自分たちの役目を確認するシュラインのかいがいしさに、他の調査員達は苦笑しながらさりげなく目をそらしてやるのだった。



◇02.調査・1

 茜の部屋に通されて、はじめにシュラインと武彦が共通に感じたのは、むっとした熱気だった。確かにいまだ残暑厳しい季節であるが、だからこそ一般的にはクーラーをつけたり窓を開けたりしてその暑さをやり過ごすはずだ。しかし、茜の部屋はそのような処置をしている様子が全くない。
「あ、申し訳ありません。暑いですよね……いまエアコンをつけますから」
 自分の部屋の特異性を自覚しているのか、慌てて茜はクーラーの電源を入れた。ついで「冷たいお茶を入れてきます」と席を外そうとする。
「いえ、お構いなく」
 武彦達は首を振って辞退しようとするが、
「お気になさらず。部屋が冷えるまではまだ時間がかかるでしょうから」
 そういって茜はさっさとキッチンの方へと行ってしまった。
「……まあ実際、冷たいものが欲しい室温だな」
「そうね……彼女自身も、この状態が異常であることはわかっているみたいだったけど」
 家主がいない間に、小声で武彦とシュラインは言葉を交わした。ついでに、ぐるりとリビングの様子を観察する。部屋へ招き入れる前に茜は「散らかっている」と言ったが、それはは完全な社交辞令で部屋の中は完璧すぎるくらいに片づいていた。雑誌、小物の類が整然としているのは言わずもがな、この様子ではおそらく掃除機も毎日かけられているだろう。
(きれい好きの女性……にしても、仕事を――しかも看護師さんなんてハードなお仕事をしている人がここまで整然とした部屋の状態を維持できるものかしら? お仕事を休んでいるせい?)
 同じく働く女として、シュラインが思考を巡らせる。
 と、そこに茜が盆に氷の入った麦茶のコップを二つのせて戻ってきた。
「どうぞ」
 スッと武彦とシュラインの前にコップが置かれた。
「ありがとうございます。……あの、佐伯さんの分は?」
「私はいいんです。いまでもまだ寒いくらいですから」
「夏風邪、ですか?」
「いえ、そういうわけではないと思うんですけど……」
 おや? とシュラインは茜を見て思う。そういえば、先程リビングから去った時と彼女の服装が違わないだろうか。記憶と照らし合わせてみると、黒いタートルネックのサマーセーターの上に羽織ったピンクのカーディガンが、先刻よりも増えている。
(ふうん?)
 引っかかりを覚えたが、視覚による調査よりもまずは聞き込みの方が先だろう。
「早速ですが――」
 まどろっこしい会話はあまり好きではない。早々にシュラインは、気になっていたことを切り出すことにした。
「まずお訊きしたいのは、佐伯さんが怪奇現象に気がつかなくなったのはいつ頃からですか?」
「それは日数で、ということですね? それなら、大体三ヶ月くらい前からです」
「そのころ、何か変わったことはありませんでしたか? 怪奇に関係なくても、何でもいいんですが」
「患者さんで亡くなった方がいらっしゃいましたけれど、こういう仕事ですから特に珍しいことではないと思います」
 茜もまた、病院という判断力を問われる職場にいたせいかなかなかに頭の回転が速いようだ。矢継ぎ早に出されるシュラインの質問にテンポ良く答えてくれる。
「怪奇現象は昔から体験することが多かったんですか?」
「ええ。子供のころから良く変なものを見ていたので、臆病者と呼ばれていたこともあります。実際いまでもどちらかといえば恐がりな方だと思います」
「なら、怪奇現象が起こらなくなったのは嬉しいのでは?」
「……理由がはっきりしているならそうなのかもしれません。ですが、それが何故だかわからないと、そちらに対する不安の方が大きくて……」
 確かに、いままで日常だったことが急になくなってしまったのなら、そう思うのも当たり前か。
「では、お仕事をお休みになったのはいつからです?」
「休職願いは三ヶ月前から出していました。――実際には引き継ぎやら何やらで、一ヶ月前までは働いていましたが」
「怪奇現象が起こらなくなったのと同じころに休職願いを出したわけですね?」
「……はい」
「それは、何か関係が?」
「――……病院には、一身上の都合により、と届け出を出しています」
 質問に対し、微妙にずれた答えが返ってきた。言いたくない、ということなのだろうが、この場合完全な否定ではなかったのだから、控えめな肯定ととっても構わないだろう。
(なるほど……。パティさんやトヨミチさんの勘が当たっているのかもしれないわね)
 仕事を休んでまで病院に居たくない理由が出来た時期と、いままで日常茶飯事だった怪奇現象が見えなくなった時期の一致。これを無関係と考えることは出来ない。しかし、興信所を訪れた時、そしていま現在の彼女の態度や言動を思えば、その理由を無理に聞き出すのも難しいだろう。
(これ以上突っ込んだことは、他のメンバーに任せるしかないわね)
 ならば、ここは別の方からもう少しアプローチしてみるか。
「少々プライベートなことをお訊きしても?」
「お答えできる範囲でしたら」
「現在お付き合いなさっている方はいらっしゃいますか?」
「いいえ、今はいません」
「怪奇が見えなくなったころ、あるいは病院をお休みした時期以前には?」
「……わかりません」
「と言いますと?」
 自分自身の恋人のことだ。わからないとは一体どういうことだろう。
「私は付き合っているつもりでいました。けれど、今となっては一方的に私だけが好きだったのかもしれないと思うこともあります」
「大変失礼なことをお尋ねします。その方とは今は――」
「――……もう、会えません」
 どこか引っかかる言い回しだ。今までの茜の受け答えからすれば、別れたのなら別れたとはっきり言いそうなものなのだが。いぶかしげなシュラインや武彦の顔を見て、自分の言葉の選び方が遠回しすぎたことに気付いたのか、茜は苦笑して付け加えた。
「亡くなったんです。病気で」
 寂しそうな茜の微笑みにシュラインと武彦は思わず俯いてしまう。
「それは、お気の毒でした……」
「いえ、投薬でも手術でも手の施しようのないくらいに進行していた末期の状態でしたから……」
 突然見えなくなった怪奇現象、看護師が病院から離れたい理由、カーディガンを羽織らなければ夏にクーラーを入れられないほどの寒がり、病気で死んだ恋人、――そして、シュレディンガーの猫。
(もしかして……)
 シュラインの頭の中にひとつの仮説が浮かび上がった。
 しかし、それをこの場で彼女に直接ぶつけるような愚は犯さない。まずは、他の調査員達の調査結果ともこの仮説が矛盾しないことを確かめなくては。
 他にも2,3の質問をして、シュラインたちは茜の部屋を辞することにした。
 去り際、シュラインは自身の仮説を裏付けるための問いを茜に尋ねる。
「――もしかして、佐伯さんが寒さを感じるようになったのも、同じ時期だったりしますか?」



◆05.情報整理

 ネットカフェモナスでクミノはそれぞれの調査員からよせられる情報の整理と、それらを伝える相手の選別、そしてさらにはネットを介しての情報収集と大忙しだった。

 まずは去年の冬の女性向け通販雑誌を一通り調べる。
「シュラインさん? 冥月さんには冬服のことと亡くなった恋人のことはちゃんと伝えたわ。それから言っていたピンクのアンサンブルだけれど、ええ、シュラインさんの読み通り、確かに去年の通販品だったみたい。雑誌に同じ特徴のものがあったわ。うん、もちろん冥月さんには伝えておいたから」
 看護師は一昔前には3Kとまで言われたほどハードな職業。佐伯茜が、ファッションに気を遣うたちだったとしても店まで買いに行くことが出来ず、通販を利用していることは大いにあり得ることだ。そして調べた結果、彼女がシュラインや武彦の前で着ていた服は確かに冬物だったとわかった。いくら彼女が寒がりだとはいえ、これは度を超しているだろう。

 それから、K区の共同霊園に小嶋という家の墓があるかどうか。
「ああ、冥月さん? 依頼人が手を合わせていたお墓に書かれていた文字は『小嶋家代々之墓』で間違いないのね? 確かにK区共同墓地に小嶋という家の墓はあるわ。ただし、4つもね。パティさんとトヨミチさんに伝えて、依頼人の側に小嶋という人物がいなかったかどうか調べてもらうことにしておいたから」
 冥月が見たという依頼人の墓参りが、本当に死んだ恋人のものなのか、そうだとしたら何故依頼人は「ごめんなさい」などと言ったりしたのか。残念ながら、そこまではクミノが今いる場所から調べることは出来ない。その先の調査は、実際に寺根総合病院に行っているパティとトヨミチに託すしかないだろう。

「パティさん? ごめんなさい。シュラインさんも草間も何度もお願いしたみたいだけれど、やっぱり佐伯茜さんは病院に同行するのは嫌だそうよ。本人が居ない場所で、どれだけ詳しく調べられるかわからないけれど……え? トヨミチさんが? じゃあ、結構突っ込んだ情報まで引き出せるかも知れないのね。じゃあ、依頼人の側に小嶋という人物の存在がなかったかを調べてもらえます?」
 そして寺根総合病院の地理や、設計図。調べてみると、茜が勤めていた病院は、病院としては珍しいくらいに風水や縁起を無視して建てられている。ただでさえ気が溜まりやすい階段の踊り場がちょうど鬼門に位置していたりもして、これでは確かに霊感の強い者には色々支障があるだろう。
「トヨミチさん? 依頼人が付き合っていた男性の名前は……やっぱり小嶋でいいのね。下の名前は……そう尚哉さんって言うの。彼が入院していたのは寺根総合病院? でも依頼人の担当患者ではなかったのね。亡くなったのは、ええ、当然三ヶ月前よね。病室には彼の想いは残ってない? 代わりに依頼人の思いが強く染みついていた? それはどんな――ああ、そんな謝らないで。あなたみたいな能力の持ち主が生者の感情には出来るだけ触れないというのは、正しいことだと思うわ」

 ◆◇◆

 そうしてパズルのピースは揃った。
「やっぱり……佐伯さんは――」
 クミノは調査員たちに全ての情報を開示して、自分の推理が彼らが現場で感じた結論と同じであることを確認する。
「後は、本人にどう伝えるか、ね……」



◆06.真相、そして――

 寺根総合病院の前に立った茜はまだ戸惑っているようだった。
「あの、私出来ればここには……」
 そんな茜にトヨミチが花束を渡す。
「え? これは?」
「本来あなたに渡すはずだったものです。申し訳ありません、勝手にあなたに恋する男を騙ってしまいました。同僚の方たちにはあのような情けないシスコンの男は振ってやったとでも伝えて下さい」
「それはどういう……?」
 トヨミチの言葉に、事情を深く知る――と言うか共犯者でもあるパティも頭を下げる。
「あなたの知り合いを騙ってしまったことは、私も深くお詫びいたします。ですが、あなたを不安にさせる要素のひとつ、入院棟の東階段は今は綺麗です。その上で私はあなたの意思を尊重したいと思います」
「私の意思?」
「その二人が謝罪するならば、私もせねばなるまいな。……実はあなたのことを尾行していた。大切な相手を偲ぶ場を覗き見てしまったことは、心から申し訳なく思う」
 いつになく神妙に冥月もそう口にする。調査員たちの言葉に茜の戸惑いは深まるばかりだ。
「私たちは、まず怪奇の起こらない原因があなた自身にあるのではと疑って調査を始めたんです」
 クミノがそんな茜に向かって切り出した。以前草間興信所で調査員たちと話したのと同じことをもう少しかみ砕いて、茜に説明する。
「怪奇現象と一般に言われるような出来事は常に起こっているんです。今までそれを認識できていたあなたが突然出来なくなったというのなら、それはあなた自身に何かが起こったのではないか、と」
「私、自身に……」
 茜は確認するように自分の胸を押さえた。
「結局私たちの推理は、半分は当たっていて半分は間違っていました。その答えが、病院の中にあります」
 そんな茜の手を取って導くのはシュラインだ。
 最後に武彦が、マルボロの煙と一緒に言葉を紡ぐ。
「うちの調査員たちは、皆優秀です。――彼らの導く先に、必ずあなたの求める真相はあるはずです」
 真摯な六対の瞳に見つめられ、ついに茜は覚悟を決めた。
「わかりました、ご一緒します」

 ◆◇◆

 調査員たちはまず茜を入院棟の東階段に連れて行った。1階から2階へは問題ない。2階から3階へ上がろうとした時に、茜が躊躇するそぶりを見せた。クミノが上を指さして踊り場の様子を教える。
「三ヶ月前まであなたを困らせていた悪霊たちは今はいません。パティさんが除霊してくれました」
 踊り場を見上げて、それでも首を横に力無く振る茜の肩を叩いたのは、トヨミチだ。
「あなたがこの階、2階のとある病室にとても強く想いを残しているのは知っています」
 ハッと茜が彼の方を振り向く。
「ですが、まずは上に行きませんか? そこで、全てを明らかにしましょう。それに……そこでなら、あなたにも伝わるかも知れません。あなたがとても思っている人、そしてあなたのことを、とても思っている人の想いが――」
 その言葉に背を押されたのか、茜は顔を上げ、ゆっくりと階段を上りはじめた。

 踊り場に辿り着いて、茜はおどおどと辺りを見回した。
「確かに何も見えませんけれど、これは前から……」
「ここで何も見ることがなくなったのは、やはり三ヶ月前から、ですね?」
 クミノが確認する。茜は、こくりとうなずいた。
「ですが数日前、三葉さんと私がここに来た時には、ここは良くない霊気の吹き溜まりのままでした」
 トヨミチもパティの言葉にうなずいている。
「そんな!?」
「事実です」
 静かに告げるパティの声に、茜は動揺を隠せない。そんな茜に対し、パティの言葉を引き取ってクミノが言う。
「怪奇現象は常に起こっている、と先程言ったでしょう。それを認識できなくなったのは、やぱりあなたの方だったんです」
 まあ、今は確かにここには何もいませんが、と肩をすくめクミノは続ける。
「私たちは、その原因があなたの精神状態にあるのではないか、と考えたのです。最初に依頼にいらっしゃった時、シュレディンガーの猫のことを話しましたね? あの例え話では、明らかにあなたはドアを開ける観察者で、ドアを開けたことを後悔しているようでした。その後悔であなたは自分自身を追いつめてるのではないか、と」
「私の、後悔……」
「だから私たちは、あなたの後悔の源を知らなくてはならなかった」
 そこでクミノはばんと武彦の背を叩き、「ほら、草間!」と何事かを言うように促す。武彦は、こう言うところだけ俺の役目かよ、とぼやきながら茜に向かって頭を下げた。
「申し訳ありません。そういうわけで、あなたのプライベートをかなり深いところまで調査させてもらいました。もちろん情報を他へ漏らすことなどは決してありませんし、ご希望でしたら記録から消去します」
 クミノや武彦の言葉を聞き、茜は右手を胸の前で握りしばらく考え込んでいたが、やがてスッと顔を上げて言った。
「いえ、構いません。元々調査をお願いしたのは私なのですから」
「ありがとうございます」
 代表して武彦がもう一度頭を下げる。そんな武彦の様子に、茜は首を振った。
「どうぞ、頭を上げて下さい草間さん。――……ですが、そう。だから、2階の病室のこともご存じだったんですね」
 そういって、茜はトヨミチの方を見た。トヨミチは目を伏せて、静かに話し出す。
「はい。エマ君や黒君の調査であなたに恋人がいたことはわかっていましたから」
「怪奇現象が亡くなった三ヶ月前、亡くなった患者さんがいる――私が訊いた時、あなたはそう言った。その時には何の疑問にも思わなかったけれど、それは『あなたが担当していた患者さん』ではなく、『あなたの恋人でありこの病院の患者でもある人』のことだったのね」
 シュラインの言葉に茜はそっとうなずいた。
「はい……わかりにくい言い方をしてしまってすみませんでした」
 茜の言葉に、今度はシュラインが首を振る。
「いいえ。まだ、心の傷が癒えてないのだから、当然の事よ」
 そういってシュラインは茜の肩に手を置いた。その手はひどく温かく感じられた。
 シュラインから話を受け取ってトヨミチがまた話し始める。
「小嶋尚哉さん――その方の名前と入院していた病室は他の看護師の方にお訊きしました」
 そうして彼は協力して調査に当たったパティとうなずきあった。
「あなたは彼が入院してからよく彼の病室へと通っていたそうですね。もちろん、仕事中ではなく休み時間や仕事が終わってからのことですが」
 トヨミチの言葉を茜は首肯する。
「はい。彼が入院する前からの付き合いだったものですから」
「あなたの務める3階のナースステーションから、小嶋さんの病室に行くにはどうしてもこの東階段を通らなくてはならない。霊感の強いあなたにとって、悪い霊気の吹き溜まりだったここは、怖くて仕方のない場所だったのでしょう」
「はい……いつもなるべく周りを見ないようにして駆け抜けていました」
「それを小嶋さんに話したことはございますか?」
 今度はパティがトヨミチの言葉を受け継いで、茜に問いかける。
「え? は、はい。冗談めかして言ったことはあったと思いますけれど」
 茜の言葉を聞いて調査員たちは顔を見合わせた。その言葉が聞きたかったのだ。
「つまり、小嶋さんはあなたに霊感があり、その上あなたが恐がりであることを知っていたわけですね?」
 クミノが茜に確認を取る。
「はい、多分そうだったはずです」

「だから、あなたは小嶋さんの死後、全く怪奇現象を見ることがなくなったんです」

「え?」
 クミノがはなった言葉の意味がわからない、と言うかのように茜は呆然としている。
「あなたは小嶋さんが亡くなった後、休職願いを出している。けれどそれはすぐには受理されず、結局あなたがここをやめられたのはそれから二ヶ月も経ってから。その間、あなたは暇があれば、亡き人を偲んで小嶋さんがいた病室に通い続けた。そうですね?」
 声も出せずに茜はうなずくばかりだ。
「亡くなった小嶋さんはそんなあなたが心配だったのでしょう。事実――」
 そこでクミノはパティとトヨミチの方をちらりと見た。彼女の意図をくんだ二人は視線を交わし(パティの瞳は閉ざされたままだったが)、結局トヨミチが口を開く。
「小嶋さんの病室――203号室には小嶋さんの遺志や霊魂はまるで残っていませんでした。それだけを見るならば、何も思い残さず成仏したかのようですが、けれど同じ部屋には別の人の思いが強く強く染みついていた。……あなたのものです、佐伯茜さん」
 トヨミチの言葉に、パティもうなずいている。
「俺は共感能力者です。あの部屋に残ったあなたの思いに触れて、感じ取ることもできた。ですが、俺は生きている人間の心に能力を使って共感することは出来るだけしたくないんですよ。生きている人は、言葉を交わして表情を見せ合って、コミュニケートすることが出来るんですから」
 そこで彼は息をつく。
「ですから、あなたも自分自身であなたの思いを言葉にして伝えればいい」
 そうしてトヨミチは茜に背後を振り向くように促した。

「あなたの大切な、小嶋尚哉さんに対して」

 後ろを振り向いた茜は、信じられないというように頭を振った。そこには確かに、死んだはずの小嶋尚哉が立っていた。
「そんな、どうして?」
「その小嶋さんは魂だけの存在、いわゆる幽霊です。ですが、ここは霊気が溜まりやすい、死者の魂が力を持ちやすい場所。悪しきものたちは先日私が消し去ったので、彼は力を余分なことに使わずにすむ。だから、ようやく姿を現すことが出来たのです」
 パティがそう説明する。
「力を使う?」
 訳がわからない。茜の声はほとんど半泣きのようにヒステリックに響いていた。そんな茜の肩に、優しくシュラインが触れる。
「それも含めて、彼に訊けばいいのよ。あなたたちには、幸いこんな時間が与えられたのだから」
 一件クールに見えるシュラインの、思いの外優しい声と表情に茜も少し落ち着きを取り戻したようだった。コクリ、とうなずいて小嶋尚哉と向かい合う。
「尚哉、さん……?」
 小嶋尚哉は微笑んでうなずいた。
「しばらく二人きりにしてあげよう」
 その様子を見ていたトヨミチが武彦や他の調査員たちを促して階段を下りていく。皆もそれに同意し、彼の後に続いた。
 茜はそんな彼らの様子も目に映らないほど、じっと愛しい恋人を見つめていた。

 ◆◇◆

「で、つまりどういう事なんだ?」
 寺根総合病院の一階喫煙所。マルボロをふかしながら武彦は皆に尋ねた。
「もう! 一体何を聞いていたのよ、バカ草間」
 そんな武彦の様子に腹をたてるやら呆れるやらでクミノがため息を吐く。
「小嶋さんは、亡くなった後も佐伯さんのことが心配でしょうがなかったのよ。だから、自分が取り憑くことによって他の悪霊から彼女を守っていたの」
「おお! それで彼女には怪奇現象が見えなくなったのか」
「そう。けれど、守るためとはいえ取り憑いていることには変わりがない。彼がこの世に居続けるためには僅かずつでも佐伯さんの生気を奪わなくてはならなかった」
「それが彼女の異様な寒がりに繋がったって訳ね。心霊現象が起きる場所は気温が下がることは良くあるのだし、彼女も知らず知らずのうちにダメージを受けてしまっていたんでしょう」
 クミノの言葉を受けてシュラインが続ける。
「でも、それじゃあ……」
「ええ。これが最後の機会になるでしょうね。佐伯さんと小嶋さんが意思の疎通を図るのは」
 目を伏せながら寂しそうにシュラインは言う。
「仕方のないことです。小嶋さんはもう既にこの世の存在ではないのですから」
 双眸を閉ざしたままパティが呟いた。
「佐伯さんが望むなら、小嶋さんとのことを全て忌まわしい記憶として私のこの目に封じ込めることも、できますが……」
「おそらく、佐伯さんも小嶋さんもそんなことは望まないでしょう」
 自分自身を怪奇そのものと見なすパティの言葉を、トヨミチが優しく否定する。
「ええ、そうであって欲しいものです」
 パティは心からそう願う。
「しかしじゃあ、佐伯茜が最初に興信所に来た時に言っていたしゅ、シュレンジャーとやらの猫の話は何だったんだ?」
「シュレディンガー、よ。武彦さん」
 ため息を吐きながらシュラインが訂正する。
「ナースステーションで仕入れた情報によると、小嶋さんの病気はとても難しいものだったらしいよ。それこそ、手術をしても治るかどうか50%の賭けになるような、ね」
 こちらも武彦と同じように紫煙をくゆらせながらトヨミチが言う。
「小嶋さんはずっと迷っていた。それを励まして、病気を完全に治して一緒に生きていきたいと決心させたのが、佐伯さんの存在だった。けれど、手術は失敗、小嶋さんの病気は治ることなく、また手術で体力を消耗したことによって、彼の死期は早まった――。半分くらいは俺の想像だけれどね」
「だけど、それは佐伯茜のせいじゃないだろう?」
 武彦は首を捻る。今まで我関せずと一行の様子を見守るだけだった冥月が、そんな武彦を冷たい目で見ながら、ポツリと言った。
「それでも、彼女は自分のせいだと思いたかったのだろう。愛しい者が死んでも自分ひとり生き残っていることが不思議で、申し訳なくて仕方がなかったんだ、おそらく」
 それは状況は違っても、茜と同じく愛する恋人を失った経験があるからこそ響く言葉。しんみりと聞き入る調査員たちの中で、武彦が不思議そうに冥月に問う。
「どうした、冥月。悪いものでも食ったのか? 言ってることが女みたいだぞ」
 言い終わると同時に冥月の肘鉄が武彦のみぞおちにクリーンヒットする。衝撃で手から離れたマルボロは隣に立っていたシュラインが上手にキャッチして、そのまま灰皿へと落とされた。
「――いい加減、ワンパターンだとは思わないのか、貴様は」
「武彦さん……今回ばかりは、私もフォローのしようがないわ」
 いつもフォローなんかしてくれないじゃないか……と思いながら、武彦はゲホゲホと咳き込んだ。
「人間は自分の意思で結果を選択すべき。佐伯さんが小嶋さんを励まし彼と共に生きたいと願ったこと、小嶋さんが佐伯さんの存在に光を見いだし彼女と一緒に行きたいと願ったこと。二人の選択によって、今の結果があるのです。お二人がそのことに気付いて下さるとよいのですが……」
「大丈夫よ、きっと。開けるまで生死が確定しないにしても、猫が自分で動ける可能性は観察者がドアを開けるまで0なんですもの。小嶋さんは佐伯さんを恨んでなんかいないし、佐伯さんだってそのことに気付けるわよ」
 努めて明るくシュラインがパティに向かって言う。武彦はみぞおちを押さえてうずくまりながら、灰皿の隣で煙草を黙々と吸い続けているトヨミチに聞いた。
「お前はどう思うんだ? こういう事には一家言あるんだろ?」
 武彦の言葉にトヨミチは肩をすくめた。
「別に。いつだって女性の恋心に対して男は無力だよ。俺だって佐伯さんのことは心配だけど、女性陣がこう言ってるんだから大丈夫なんだろう」
「うわ、キザだなあ」
「そう言う草間君は気取らなすぎだと思うけどね」
 いまだ肘鉄のダメージから回復できない武彦を見るトヨミチの目にも冷ややかなものが混じっている気がするのは、武彦の気のせいだろうか。

 そんな大人たちのやり取りをじっと聞いていたクミノが、ハッと顔を上げた。
「そうこう言っているうちに、依頼人が戻ってきたみたいよ」
 皆がクミノの見ている方向に顔を向ける。佐伯茜は、先程までのためらいがちな態度はどこへやら、しっかりと顔を前に向け確固たる足取りでこちらに向かって歩いてきた。
 喫煙所から出て、皆で彼女を出迎える。
「お疲れ様、佐伯さん」
 はじめに声をかけたのはシュラインだった。あえて、「どうだった?」とは訊かない。茜の出した結論が彼女にとって良いものであることは、その表情を見ればわかることだ。
「皆さん、ありがとうございました。尚哉さんは――行くべき場所へと昇って行きました」
「そう……」
「いただいた花束を、彼のためにあの踊り場に備えてきてしまいましたが……」
「構いませんよ、あれはあなたに差し上げた物なんですから」
 トヨミチが笑顔で茜に言う。
「本当にありがとうございます」
 繰り返し繰り返し、茜は礼を言う。
「もう、怪奇現象が見えるか見えないかに惑わされたりはなさいませんね?」
 そう彼女に尋ねたのはパティだ。
「はい。尚哉さんがいなくなってしまって、また怖いものを見たりもするかも知れませんけれど、彼と過ごした日々、そして彼が私を守っていてくれたこの三ヶ月を思い出せば、そんなものにはもう負けないと思います」
 笑顔で茜はそう言う。
「本当に、皆さんありがとうございました。草間興信所に依頼して、よかったと心から思います」
 そして茜は深々とお辞儀をした。

 これで、草間興信所に持ち込まれたひとつの事件は、幕を下ろすこととなる。



 <END>



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086 / シュライン・エマ (しゅらいん・えま) / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【2778 / 黒・冥月 (ヘイ・ミンユェ) / 女性 / 20歳 / 元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
【6205 / 三葉・トヨミチ (みつば・とよみち) / 男性 / 27歳 / 脚本・演出家+たまに役者】
【4538 / パティ・ガントレット (ぱてぃ・がんとれっと) / 女性 / 28歳 / 魔人マフィアの頭目】
【1166 / ササキビ・クミノ (ささきび・くみの) / 女性 / 13歳 / 殺し屋じゃない、殺し屋では断じてない。】



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■         ライター通信          ■
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皆様、はじめまして。ライターの沢渡志帆と申します。
この度は草間興信所依頼『シュレディンガーの猫をは化けるか?』に
ご参加いただきまことにありがとうございました。
そして、はじめましての名刺代わりのような作品をこのように
お待たせしてしまったことをまずはお詫び申し上げます。
自分の構成能力のなさとスケジュール管理の甘さを痛感しています。
今後は、もう少し早く作品をお届けできるよう頑張りたいです。

また、一部プレイングを反映しきれなかったことも申し訳ありません。
リライト・修正などはお気軽にお申し付け下さい。


今作では◆で始まる章が共通部分、◇で始まる章が個別描写となっております。


改めまして、はじめまして、シュライン・エマ様。
シュライン様には調査員たちのとりまとめと、
依頼人本人への聞き込みをやっていただきました。
プレイングで指摘された服装に関しては、
実はオープニングの時点では何も考えずに書いた物だったりしたのですが、
言われてみるとその通りだなあと思い、真相解明の鍵のひとつとさせてもらいました。
女性ならではの視点、というものを意識して描写したつもりなのですが
いかがだったでしょうか?

それでは、ご縁がありましたらまたよろしくお願いいたします。