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<東京怪談・PCゲームノベル>


【R1CA-SYSTEM】
               ver.260801#001.01


 灯京都狭間区あわい。
「あわい」は、古くは「亜歪」と記されていた。字面から「隣接するが互いに感知できない平行世界、そこを歪める」と考えられ、相応しくないとのことで平仮名で表記するようになったらしい。
 JRあわい駅を基点とし、南側は十代が好みそうなファッションを取り扱う店舗や遊戯施設が軒を連ね、北側は齢数百年を越える樹木が溢れる渓谷が広がっている。渓谷周辺は都が管理する公園になっており、その公園を借景にした北側のランドマークともいえるホテルが渓谷の奥に建っているのだ。南口側を『ミナミ』、北口側を『渓(たに)』と云うらしい。
『ネットカフェ・ノクターン』は、そのミナミの緩やかな坂を登った途中の裏路地にある。駅からやや不便な立地ではあるが、逆に離れているのでミナミにありながら落ち着いた佇まいを保っているといっていいだろう。
 そのノクターン店内のカウンター奥、店の主である雷火(ライカ)は目の前に座った少女を食い入るようにじっと見つめていた。普段はぼんやりとした表情をしていることが多い彼であるが、その瞳は真剣で、緊張しているようにも見える。
 少女はティー・カップをソーサーにそっと載せる。カチンと食器同士が当たる音が響く。
 少女 ―― 黒榊 魅月姫(くろさかき・みづき)は、小さくコホンと咳をした。
「―― 80点、というところかしら」
「‥‥ありがとうございました」
 雷火はカウンターに額を擦り付けるように深々と頭を下げる。ゆっくりと顔を上げるその表情は、いつもの彼に戻っていた。
「長い道程だったよねぇ、80点。昔は『10点!』って凄い怖い顔して云うんだもん」
 魅月姫はどちらかと訊かれると、紅茶の方が好みである。
 この店を訪れた当初、雷火の淹れた紅茶はお世辞にも飲めるものではなかった。高い、良い原料を仕入れても、淹れ方が拙ければすべてを台無しにしてしまう。
 それでもここへ通ってしまったのは、この店の佇まいのせいだろうか。
 初めこそインターネットでの情報収集をするために利用を始めたのだが、天井まで届く大きなガラス窓、品の良いチェアやテーブル、美味しい珈琲・紅茶にケーキ類、柔らかな自然光に映える観葉植物 ―― 魅月姫はこの店をとても気に入っている。
 紅茶の淹れ方は、魅月姫自ら雷火にレクチャーした。最近、何とか飲めるようになってきてはいるが、まだ100点を授けるには程遠い気もする。
 当分、ここへは通わなくてはならないだろう。
「そういえば‥‥あなたが面白いことをやっていると噂に聞いたの、雷火」
「面白いこと?」
「ええ。あの中に入って遊べるのだと」
 そう云い、振り向きざま窓際のパソコンのディスプレイを指差した。
「ああぁ‥‥デバック・チェックのことかな。オレの作ってる疑似体験システムのソフトのひとつで、ファンタジー・ゲームなんだけど」
 雷火が魅月姫を見ると、先を続けなさいと云いた気に赤い眼を細め、妖しい笑みを浮かべる。
「プログラム根幹 ―― OSみたいなものだと思って。ヴァーチャル・リアリティ【 R1CA-SYSTEM 】って云うんだけど、結構大掛かりなプログラムなんだよね、コレ。さすがにオレ一人じゃデバックしきれないから、たまに張り紙出してプレイヤー募集したり、知り合いに頼んで遊んでもらってる」
「どんなことをすればいいの?」
 紅茶を飲みながら、魅月姫は小さく首を傾げる。
「そうだね‥‥モンスター退治とか、どうかな?」
「モンスター退治?」
「うん。まぁ、退治するかどうかその辺は、魅月姫が思ったように行動してくれればいいよ。そのためのデバックだから。いろんな意見聞きたいし、判定は幅を持たせるようにしてある」
「ゲームに参加した人間の数だけ、エンディングが存在するということね」
「そうだね。それなりの数サンプル取ったけど、みんな結構バラバラだった」
「そのゲームには、すぐ参加できるのかしら?」
 中身を飲み干したカップをソーサーに戻し、魅月姫はにっこりと微笑んだ。

 如何にもネカフェなブースを通り過ぎ、さらに奥の個室へ魅月姫は案内された。
「このヘッドギアを被って、椅子に座ってくれる? 最初は入眠プログラムっていうのを通して、脳波を安定させてから実際のプログラムに入ってもらうから」
 渡されたヘッドギアをまじまじと見、魅月姫は苦々しい表情をする。
 なかなか椅子に腰掛けようとしない魅月姫に気付き、パネルを操作していた雷火は顔を上げた。
「どうしたの、魅月姫?」
「―― 美しくない」
 雷火の目の前に、そのヘッドギアを突き返す。
「えぇーっ いや‥美しくないとか云われても‥‥」
 無言の要求は続く。
「ん、分かった。時間ができたら、もう少し軽量型を‥‥いや、可愛いの作っておくから、今回はコレで勘弁してくれる?」
 雷火はそっとヘッドギアを魅月姫に差し出した。
 いろいろなコードが飛び出した、歪なフォルムのヘッドギア。魅月姫の美意識には理解し難いシロモノであるが、これしかないのでは仕方がない。魅月姫はそれを受け取り、頭に被る。そして言われた通り、身体をリクライニングシートに沈ませた。背中を包み込む感触が好い、この座り心地はなんだかクセになりそうだ。
「身に着けたい衣装や職業を想像しながら入眠すれば『プログラムが読んでくれる』から」
「『読む』?」
「そう、読むの。『コンバート・システム』って云うんだけど、服装や容姿は勿論、望むなら性別も変えられる。職業は、戦士とかシャーマンとか魔法使いとか、ゲーム内でやってみたい役職を想像してほしいんだ。ゲーム世界に入る時、思考を『読』んで『実行』するから。ま、中に入って『ヘルプデスク』に云ってくれてもいいんだけど。でも、容姿変えたいなら、他の人にバレない方が面白いでしょ?」
「‥‥そう。服装と職業を考えておけばいいのね」
「うん。分からないことがあったら、ヘルプデスクに『質問』すれば『答える』から」
「じゃ、行ってらっしゃい」と、雷火は部屋を出て行った。
 入眠プログラム ―― 心地よい音と光が、魅月姫を眠りへと誘(いざな)う。白と黒の幾何学模様、生命の誕生と死‥‥さまざまな映像が浮かんでは消え、頭の中がクリアになっていくのが分かる。
 瞳を開けば、そこはもうヴァーチャル・リアリティ【 R1CA-SYSTEM 】の世界だ。

 ゆっくりと瞳を開くと同時に、辺りは喧騒に包まれる。
 人の気配と息遣い、活気のある酒場とその生活臭。ここがゲームの中だということを忘れてしまいそうなくらい、それはリアルに感じられた。
「おい、魅月姫」
 聞き慣れた声‥‥だが、その聞き慣れない語調に、魅月姫は訝しげに振り返った。
「お前、なんで現実と同じ格好してるんだ。説明、聞いてきたんだろ?」
 そこには、赤い杖を持ち、白い服 ―― 司祭かプリーストような衣装を身に着けた雷火が立っていた。説明とは、コンバート・システムを指しているのだろう。
 コンバート・システム ―― 服装や容姿は勿論、望むなら性別さえも変えることができると聞いた。そして、基本能力は実世界の能力に由るが、隠している能力が表面に出たり、自分でも気付かない力が顕著に具現化される場合があるのだと。
 だが、これが魅月姫なのである。変わる必要などない。何故なら、この姿こそ『深淵の魔女』そのものなのだから。
「随分なご挨拶だけど、私はこれでいいの。これが、私本来の姿だから。その杖をお返しなさい、雷火」
 真紅の闇 ―― 自ら進化する知性の杖、ナイト・オブ・クリムゾンが実体化している。
「オレはヘルプデスクのダッシュっていうの。マスターとは違う」
 肩を竦め意地悪そうに笑うと、ダッシュは杖を差し出した。
 マスター。
 それはきっと雷火のことなのだろう。
 受け取りながら、魅月姫はダッシュをもう一度見る。
「ヘルプデスクが人型だとは思わなかったわ。それにしても‥‥同じ顔なのに、しゃべり方が違うだけでこうも印象が変わるものなのね」
「よく云われるよ、ソレ。さて魅月姫、そろそろ本題に入りたいんだけど、いい?」
 ダッシュに合わせてふと視線を巡らせると、いつの間にか魅月姫たちのすぐ傍に男が立っていた。
「お待ちしておりました、魅月姫さん。この村の村長をやっております、クリントンと申します」
 クリントンと名乗った村長の話しを要約すると、こうだ。
 時折モンスターが出現し、田畑を荒らしていくのだという。それ自体は特に珍しいことではなく、日常的なことらしい。
 しかし、変化が起こった。
 子供を、人間を襲うようになった。先日、とうとう犠牲者が出てしまったのだ。
 事態が深刻だと判断した町議会は、勇者にモンスターの排除を依頼することにした。
『勇者』とはつまり、魅月姫達のようなプレイヤーのことで、勇者でなければモンスター退治はできないという。考えてみれば、これは雷火の作ったゲームであって、現実ではない。どんなにリアルに描かれていても彼ら村人はあくまでNPC、プログラムされたゲーム上の登場人物でしかないのだ。
「そのモンスターはどんなものなのかしら?」
 村長に着席を促し話しを聞いていた魅月姫は、軽く首を傾げて質問する。
「人型の‥‥ゴブリンはご存知で?」
「あの、よくファンタジー小説やゲームに出てくる、アレかしら?」
「ええ、そうです。これまで田畑だけで済んだ被害が村人に及び、事態は深刻なのです。助けて頂けませんか?」

 あれから酒場兼宿の回りの村人にモンスターについて尋ねたり、被害の現場を回っていた魅月姫だったが、今は独り、村の外れの丘にある墓地を訪れている。海岸線の、切り立った崖の上にそれは存在した。
 海の向こうに太陽が沈んでいく。魅月姫の白い肌は、オレンジ色に染まっていた。
 魅月姫が立っているのは、犠牲者となった村人 ―― 少女の墓の前だ。
 墓前には、色とりどりの花が手向けられている。その小さな山に持ってきた花束を置いた。
 墓石に手を伸ばし、そっとそれを撫でた。ひんやりとした感触が伝わってくる。少女は、どんな思いでこの下で眠っているのだろう。撫でたその掌をきゅっと握り締め、魅月姫は墓地に背を向けた。
 宿の食堂に戻ると、ダッシュが大瓶をいくつも空けていた。
「―― 緊張感のない男(ひと)ね」
「お帰り、魅月姫。一緒に呑む?」
「結構よ。それより、確認しておきたいことがあるの」
 ダッシュの斜向いに座り、テーブルに肘をついて指を組んだ。
「さっき試してきたのだけれど‥‥ここでも、現実と同じように魔法が構築(く)めるみたいね」
「ん。魅月姫は、現実でも能力(ちから)を使えるんだろ? だから、説明要らないかと思って。『コンバート』って、この世界で存在するための、あくまで変換作業でしかない。元から持っていないものは持てないし、持っていても現実以上の能力が発揮される訳じゃない。魅月姫は能力使う時、どうやってる? これは個人的に興味があるから聞いてるだけだから、答えたくなかったら別にいいよ」
「‥‥持論だけど、魔法もコンピュータも考え方は同じなのではないかしら。論理的且つ体系的に捉えれば構造を把握できて、任意に構成・構築できると思っているわ」
「魔法って、組んだり編んだりするんだ。指先からビビビッ!って光線とか勝手に出るのかと思ってた」
「ふふふ‥‥それは違うわ。人の身体が動くのは、筋肉に電気信号が走るからでしょう? 結局、魔法も同じ。むしろこの世界の方が確実に構築できそうな気がするの。ここには、0と1しかないものね」
「設計図があって、その通りに組み立てていくと魔法が完成するって感じ?」
「簡単に云ったら、そうかもしれない」
「プログラムの構文練るのと似てるかも」
「そうね。とても類似していると思うわ」
 赤い瞳を細めて、魅月姫は微笑む。
「これで思う存分、実践できるということね」
「―― それは構わないけど‥‥壊すなよ、ハードディスク。魅月姫、潜在能力凄そうだから」
 魅月姫のその笑顔に、ダッシュはげんなりといった表情をしてみせた。

 深夜。
 辺りは、闇の帳(とばり)に包まれる。
 大木の物陰から、魅月姫はじっと森の様子を伺っていた。
 他の木や畑にある小屋にも、数人の村人が息を潜めている。退治こそできないが撃退することなら手伝えるだろうと、町議会が腕に覚えのある者を募ったのだ。
「今夜、来るかな?」
「‥‥新月前後は必ず来ているようだから、可能性は高いわ」
 ダッシュの問いに、魅月姫は顔を上げる。見上げた空には、細い細い月が浮かんでいた。
 闇夜に紛れて、悪事を働いているのだ。少しは知能があるらしい。
「あなたは隠れていなさい。邪魔だから」
「えー? 近くで見たいんだけど、面白そうだから」
「‥‥ダッシュ。私たち、遊んでいる訳ではな ――」
 魅月姫は突然言葉を切る。
 その変化にダッシュも気付いたらしく、森の方へ視線を向けた。ダッシュは感知することができなかったが、魅月姫には分かっていた。
 闇が、動いた。
 森から邪悪な闇が流れ込んでくるのを感じる。
 次の瞬間。
 赤い閃光が、闇を走った。
 魅月姫が敷いた陣を、人間ではない「何か」が踏んだのだ。それは恐らく、ゴブリンの一団 ――。
 その光りを合図に、村人たちが一斉に森へ向かって走り出した。辺りは暗いが、森の中にいくつもの赤い双眸が揺れているのが村人にも認識できた。
 まずは森に向かっていった村人たちのサポートに徹しようと、魅月姫は周辺へくまなく目を見張る。矢が飛んでくれば闇の盾でその矢を吸収し、負傷した者が居れば瞬間移動でそばに出向き、前線から後退させた。
 それにしても、数が多い。
 これではまるで多勢に無勢。
 ひょっとしたら、モンスターたちは本格的にこの村を襲おうとしているのかもしれない。
 時間を追うごとに負傷者は増えていった。幸いなのは、犠牲者が出ていないことだろうか。
―― まだ、ね。
 それは時間の問題かもしれない。
 魅月姫は眉を寄せ、唇を噛んだ。
 広範囲で敵味方が入り乱れ始め、魅月姫一人では戦況が把握できなくなり始めている。魅月姫の能力なら、一掃も可能だった。しかし、この混乱の中で大技を使えば味方も巻き込む危険性がある。
 そんなことを考えていると、視線を感じ魅月姫はふと顔を上げた。
 傍らの少年と眼が合う。武器を持っていることから、彼もまたこの闘いに自ら赴いた村人だということが見て取れた。
「―― あなた、まだ走れる?」
「‥‥は、はい! 大丈夫です」
 魅月姫の問いに、少年は力強く頷く。
「お願いがあるの。前線に居る人たちに、退却を伝えてきて頂戴。退くためではないわ、大きな魔法を使いたいの。この意味が分かるわね?」
「はい!」
「いい、決して無理をしてはダメよ。危険に晒されたら念じなさい、私が助けに行くから。さぁ、あなたの名を私に教えなさい」
「アルバートです」
「『アルバート』ね、とても好い名前だわ」
 魅月姫の小振りな赤い唇が、少年の名を紡ぐ。
 契約は結ばれた。
 アルバートは前線へ向かって走っていった。魅月姫も少年とは異なる方角へ進み、近くの村人たちに後退するよう指示を与えた。
 大きな躯体のモンスターと対峙している村人の間に割って入り、真紅の闇 ―― 杖で二人の剣を受け止め、それを跳ね飛ばす。
「退きなさい」
 モンスターとの距離を広げると、魅月姫は振り返らずにそう告げる。減り始めた周りの仲間の様子に、魅月姫の意図を察した村人は走り去った。
「あたな方にも云っているのよ、退きなさい。今ならまだ許してあげるわ」
 鋭い犬歯がのぞく大きな口の端から、ダラダラと唾液を滴らせているだけだった。
 濁った赤い双眸は、ヒトの言葉を理解できないらしい。
 モンスターは咆哮を挙げると、大きなその剣を振り被る。素早く詠唱し、魅月姫はその身にシールドを施した。
 脳天めがけて落とされた剣と盾が触れ合った瞬間、周辺に真っ赤な火花が散った。その様子に一瞬怯んだが、モンスターは剣に体重を掛け始める。しかしそれは、刃こぼれした鈍い包丁が熟れた果実の皮を切ることができないように、ほんの僅か沈み込むだけだ。
 受け止めた剣と杖の僅かな隙間、高貴な赤が笑った。
 漆黒の長い髪が、ふわりと舞う。
 ヒュッと耳を劈(つんざ)く異音が辺りに何度も響く。次第にそれには水っぽい音と異臭が混じり、最後にぐちゃりと耳障りな雑音を立てた。
 そこに立つのは魅月姫ただ一人。
「私は忠告したわ。退きなさい、と」
 その赤を、興味なさそうに暫らく見つめていた。
 どのくらいそうしていたのか。
 いや、きっと一瞬だったのだ。
 魅月姫は弾かれたように顔を上げた。自分の名を呼ぶ者が居る。
 その場には、ただ赤だけが残された ――。

「アルバート!」
 その声に、アルバートは振り返る。
「魅月姫様! あとはこの人だけです! でも‥‥」
 座り込んでいるアルバートの横に、魅月姫も膝を付いた。アルバートに抱かれている男を見ると、魅月姫は一瞬息を呑んだ。
 男の腹の赤い隙間から、何かが蠢いているのが分かる。分かってしまった。
「今、動かすのは危険ね‥‥」
 魅月姫は恐る恐る男の隙間に手をかざした。生暖かい液体が溢れてくる。それは魅月姫の白い手をあっという間に赤く染めた。指の谷間から、赤い血が幾筋も流れていた。
 魅月姫は治癒系の魔法があまり得意ではない。
 それが一瞬の隙を与えてしまったのだ。
 何かがぶつかったような、鈍い音が響いた。
 男の顔に、ぽたぽたと血が滴る。
「‥‥あ‥?‥‥」
 アルバートの声に、魅月姫は顔を上げる。
 彼の鳩尾(みぞおち)から、ありえないモノが生えていた。それは、背中から刺さった剣がアルバートの身体を貫通していたのだった。
「魅月姫、さ‥‥」
 突然のことに、刺された本人もよく分かっていないらしい。苦悶の表情を浮かべるでもなく、アルバートはただ鳩尾の剣と魅月姫の顔を交互に見るだけだ。
 魅月姫は視線を上げる。アルバートの背後に、一匹のモンスターが立っていた。
 高貴な赤は閉じられた。次の瞬間現れたのは、黄金だった。
 金色に輝いた双眸で魅月姫が一瞥すると、そのモンスターは跡形も無く消し飛んだ。
 真紅の闇と共に、魅月姫はゆらりと立ち上がる。
 新月の暗闇。
 闇や影を力の触媒にしている魅月姫にとって、これ以上の条件はない。
「私を怒らせたわね ―― 消えなさい」
 真紅の闇 ―― 杖を大地に突きたてると、赤い閃光が再び辺りを走った。
 もし、上空から見ることができる者が居たとしたら、それはまるで赤い魔方陣のように見えたであろう。その陣の中は、モンスターの咆哮と風と雷の怒号が響き渡る、阿鼻叫喚の巷へと化した。

 風が収まり、我に返った魅月姫はゆっくりと振り向いた。今度は男がアルバートの身体を支えていた。
「アルバート、しっかりなさい!」
 魅月姫はアルバートに駆け寄る。剣は相変わらず鳩尾に刺さっていた。
「あなたは私と契約したのよ、勝手に死ぬなんて許さない!」
「魅月姫」
 アルバートの背後に周り、魅月姫はその剣の柄に手を掛ける。
「魅月姫!」
 名を呼ばれ、魅月姫はビクンと躰を揺らした。
「落ち着いて、魅月姫。今その剣を抜いたら、この子死んじゃうよ?」
 柄を握っていた血で汚れた魅月姫の手に、白いダッシュの手が重なった。
「―― ダッシュ」
「助けたいの?」
「当然よ」
「―― 魅月姫。一度、手を離して」
 重ねていたダッシュの手に力が籠もる。魅月姫の手を両手で包み、ダッシュは柄から魅月姫の手を引き剥がした。
「少し落ち着いた?」
 ダッシュは魅月姫の顔をのぞきこむ。先程までやや蒼白気味であったが、少しずつ色が戻ってきたようだった。魅月姫は、ダッシュの問いに無言で頷いた。
「今は、剣が刺さってるからあんまり出血してない。このまま抜いたらどうなるか、分かるよね?」
「‥‥ええ」
 アルバートに、意識はある。痛覚が追い付いてきたのか、その額には脂汗が滲んでいた。
「まず‥‥切れた肉の周りを固めるわ」
 魅月姫はアルバートの胸に両手を置く。突き刺さった剣が痛々しい。
 力を籠め暫らくすると、アルバートの呼吸が落ち着き始めた。その様子を確認すると、魅月姫は一往安堵の溜息を付いた。
「じゃ、抜いちゃうね」
 ダッシュはアルバートの背後から、ゆっくりとその剣を引き抜いていく。痛みのせいなのか不快感のせいなのか、アルバートは一瞬顔を歪める。
 アルバートの躰から剣を引き抜くと、ダッシュはそれを大地に打ち捨てた。
「あとは医者に連れて行けば大丈夫だよ。あ、そっちのお兄さんもね」
 魅月姫とアルバートが助けた男の傷も塞がりつつあるが、あくまで応急処置だ。傷を受けたペナルティ分、活動は制限されるが、どうやらデリートは免れたらしい。
「魅月姫様。ありがとう、ございました‥‥」
「私の不注意よ、ごめんさない。でも、よかったわ」
 眉を寄せ、魅月姫は困ったように笑った。
「今度私がここを訪れるまでに、その傷を治しておきなさい。約束よ」
「はい! ‥‥ぃた・たたた‥」
 傷が塞がりきっていないのに力を入れたアルバートは、苦悶の表情を浮かべる。
 その様子が可笑しくて、魅月姫はくすくす笑い出した。それにつられ、周りの者も少しだけ笑みを浮かべる。

 つかの間の平和が、永遠になりますように ――。
 遠い東の空が、だんだんと白んでいくのが分かった。


      【 了 】


_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ 登 場 人 物 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ 

【 4682 】 黒榊・魅月姫(くろさかき・みづき)| 女性 | 999歳 | 吸血鬼(真祖)/深淵の魔女(魔導師)
【 NPC 】  雷火、雷火'

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こんにちは、担当WR・四月一日。(ワタヌキ)です。この度はご参加誠にありがとうございました。

【黒榊・魅月姫様】☆
初めまして。「店の佇まいも気に入っている。今ではほぼ常連です」というプレイングが嬉しかったです。戦闘に関するプレイングが結構過激でいらっしゃったのが意外でした。
一話完結ではありますが、時間経過のあるシリーズとなっております。【R1CA-SYSTEM】新作プログラム公開の折は、ぜひまた体験しにいらしてください。ダッシュも電脳世界で魅月姫さんとの再会を楽しみにしているようです。

気になるところがございましたら、リテイク申請・FL、矢文などでお知らせください。参考にさせていただきます。

四月一日。