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<東京怪談・PCゲームノベル>


Communication Note


【a preface】

 昨日までは、確かに、こんな文章はなかったはずなのに。
「……なんだろうな……」
 眉宇を寄せながら、ゲームセンターAzの店長はそのノートを手に取る。
 物置を片付けていたときに出てきた、その古びたノート。

 このゲームセンターができたのは、20年ほど前。
 当時の店長は今の店長とは別の人物だったのだが、開店から12年ほど経ったある日、突然「俺は明日から世界5周の旅に出る。山を飛び谷を越え、だ」などと訳の分からないことをほざき、さらにはその場にいた現店長に「おい、明日からお前がこの店の主だ。後のことは全部お前に任せる、好きなようにしていいぞ」などと言い置いて、さっさと引退してどこかに消えてしまったのだ。

 物置から出てきたその古びたノート――それは『コミュニケーションノート』という、店の客や店員たちが言葉を書き残しいろいろやりとりをしていくという、現在で言うとネットの掲示板のようなものだ――の表紙にはノートが使用され始めた日が記されており、その日付けは前店長がいなくなる数日前になっている。
 下ろされたばかりのノートだったようだ。前店長がいなくなってから、自分が管理し忘れていたため物置の中の住人と化してしまっていたのだろう。
「1990年代の香りがするな」
 呟いて、店長はぱらぱらとページをめくっていた。
 当時放映していたアニメのこれからの展開についてだとかあのキャラが好きだとか、当時発売されて人気を博したゲームについての感想や攻略方法などが書かれていたりするのを見、懐かしそうに右眼を細める。
 そして、最後の書き込みまでを見終えると店長はぱたりとノートを閉じ、それを自分のデスクの上に置いておいたのだ。
 が。
 翌日、暇な時間にまた何となくそのノートを開いて見たところ、昨日までは無かったはずの書き込みがあったのだ。

  Aし も ト、 ごちゅう い クだ サい。

 顎先に手を当てながら、店長は小さく首を傾げた。
 悪戯かと思ったが、この部屋には常時鍵を掛けていて、自分以外は自由に出入りすることなどできない。
 念のため、窓の鍵も確認してみたが、しっかりと閉まっている。
「……なんだろうな」
 再度呟くと、店長はポイッとノートを机の上に放り投げて、仕事に戻るべく部屋を出たのだが。
「……っ!」
 何かにズボンの裾を引かれたかのように感じた途端、前のめりに倒れ込みそうになった。慌てて体勢を整えようとするも、間に合わない。
「……っ」
 反射的に露わになっている右眼を閉じたところ、ふ、と誰かに前から抱きとめられた。
「何をしている」
 低く抑揚のないその声に顔を上げると、店の居候である霧嶋がいた。
「あ……悪いな。何かに引っかかったか足がもつれたかしたようだ」
 慌てて体を離しながら曖昧に言うと、霧嶋は「そうか」と短く答えて何の興味もなさそうに去って行く。
 その背を見送ってから、店長はさっき引っ張られたように感じた足許を見た。
 が。
 ……そこには、何もなかった。

 その翌日。
 ノートには、また新しい書き込みがあった。


  ト おく、 天 kaら、 降 る。
     赤い、 血の 花、    サク。


 ――と。



【chapter 1:再会と、頼まれごと】

 ――逢える機会を逃して残念だった。
 そうこちらから言ったことに対して、しれっと「お前も忙しい身だから仕方あるまい」と返し、さらには「機会を逃したと言うほど私に逢うことに価値があるとは思えん」などと言う。
「つれないっていうか何ていうか……」
 社交辞令の一つも言えないところも、まあ、それなりに理解できてはいるのだが。
 出した手紙に、そんな返事が書き付けられているのを見たときは、やれやれ、と肩を竦めたものである。
「まったく。無愛想なところも本当に祖父さんにそっくり」
 くす、と小さく唇に笑みを刻むと、開いていたアタッシュケースをぱたんと閉じる。
「窮屈だけど、我慢してね」
 その中には、二人の「子」が入っている。
 それぞれ別の人形師が生み出した、「女の子」。
 人形との出逢いも、人との出逢いと同じで、何か縁があって生まれるもの。
 今、アタッシュケースに収めたうちの、1体――祖父が生み出した、薊も。
 そしてもう1体――霧嶋聡里という人形師が生み出した、萌葱も。
「やっと休暇が出来たし、久々に逢いに行くとしようか」
 独り言ではなく、アタッシュケースに収めた二人にそう語りかけると、日本人形の専門店「蓮夢」の主は、硝子越しに差し込んでくる秋の光に眼を細めて微笑んだ。
 その脳裏には、光とは正反対の、闇色を彷彿とさせる無愛想極まりない男の姿が浮かんでいた。


 平日のせいか、ゲームセンターAzにはあまり人がいなかった。
 もう何度目の来店になるだろう。初めてこの店に来たときには、この店内の音の騒々しさに辟易したものだが、今となっては神経に触れることもなく、自然の緑の中に溢れる葉擦れの音と同じように素通りしていく。
 雑音も騒音も、慣れてしまえば無と同じ。
 迷いの無い足取りで、ゲーム機が雑然と並んでいる店内を移動する蓮巳零樹は、華奢な身に纏っている和服のせいか、まるで水の中をすいすいと優美に泳ぐ金魚のようだった。
 その金魚が辿り着いたのは「Staff Only」というプレートが貼り付けられた扉の前。
 店員のみしか入ることを許されないはずのその部屋のドアを、何の躊躇いもなく軽くノックすると、中からの返事を待つでも無くドアを開け放つ。
「霧嶋さん、いるー?」
 にっこりと華やかな微笑みをその容貌に貼り付けつつ室内に入る。
 と。
 入り口に背を向けるようにして椅子に座っていた、陰気な空気を纏った黒尽くめの男が、緩慢な動きで肩越しに振り返った。目深に被った帽子のせいで、その容貌は窺い知れない。
「……お前か」
「お前か、とは御挨拶だなあ。こんにちは、霧嶋さん」
「ああ」
 低く短く一言のみを返すその男に小さく肩を竦めると、零樹はアタッシュケースを抱え込みながら隣の椅子に腰を下ろした。
「今日は、薊と萌葱も連れて来たよ」
 ぽむ、と掌で軽く抱え込んだアタッシュケースの表面を叩いてみせる。中から微かに声が聞こえたような気がしたが……、もしかしたら、薊か萌葱が、ケースを叩いたことに抗議の声を発したのかもしれない。
「……そうか」
 またしても短く答えると、男――霧嶋聡里という名の人形師は、黒皮の手袋を嵌めた手を伸ばし、テーブルの上に置かれていた湯飲みと、一緒に置かれていたペットボトル入りの緑茶を引き寄せた。
「飲みたければ勝手に飲め」
 一応、追い払うことはせず、それなりに話はしてくれるつもりらしい。……自分で茶を入れる気は微塵もないらしいが。
「あ、ねえ、今日は外してくれないの?」
 細くしなやかな零樹の人差し指が示すのは、霧嶋が目深に被っている帽子。その指先で、とん、と軽くつばを弾く。
「これ。外して?」
「…………」
 やれやれ、とでも言うように一つ溜息を吐いて小さく肩を竦めると、霧嶋はそっと帽子を外し、テーブルの上に置いた。
 そして。
 ふと、その眼を、零樹へと向ける。
「ところで……零樹。お前、もし暇なら一つ頼まれごとをしてくれないか」
「え? 頼まれごと?」
 翡翠色の瞳が瞬く。
 ……珍しい。霧嶋の方からそんなことを言い出すとは。
「なに、どうしたの?」
 好奇心と興味を露わにした眼差しでそう返され、霧嶋は唇を歪めた。小さく笑ったようである。
「……あれが、なんだか不穏なことに巻き込まれているようでな」
「……、あれ?」
 霧嶋の手が指し示した方角――ゲームセンターの店内の方――へ顔を向けつつ、首を傾げる。
 店内には、霧嶋が生み出した「琥珀」がいる。「あれ」が示すものが琥珀なのかと思ったが……しかし、霧嶋が、自分の子のことを「あれ」とは呼ばない気がする。親しみを込めてなら言うこともあるかもしれないが……、今の口調には、あまり親しみがこもっていなかった気がする。
 とすると、一体何のことを言っているのだろう。
 そこまで考えて、ふと。
 零樹は顔を霧嶋へと戻した。
「……妹さん?」
 ぽつりと訊いたことに、霧嶋は深い溜息を吐いたが……、否定はしなかった。
「やっぱり気にはしてるんだ、妹さんのこと」
「……置いてもらっている身分としてはな。あれがいなくなると、何かと都合も悪い」
「あくまでも居候としては、ってことか……しょうがないなあ、霧嶋さんの頼みとあっちゃ」
 かたんと椅子から立ち上がってドアへ向かうために数歩進んでから、ふと零樹は肩越しに霧嶋を振り返り。
「お茶は後でね。約束」
 軽く小指を立ててみせると、霧嶋はまたやれやれというように肩を竦め、零樹がしたのと同じように軽く片手を上げて小指を立てた。
 返された約束の合図に満足そうに眼を細めて笑むと、零樹は霧嶋の妹――このゲームセンターの店長がいるホールへと向かった。


【chapter 2:他人の不幸は何の味?】

 平日の午前10時を回ったくらいのゲームセンターにいる人間というのは、一体何の職についている人間なのだろう。
 そんな素朴な疑問を持ちつつ、暫し客がまばらにいる店内の様子を眺めていた蓮巳零樹(はすみ・れいじゅ)は、やがてその視線をカウンターの向こう側にいる人物へと向けた。
 ストレートの黒髪に、黒スーツ姿、左眼を眼帯で覆った――この店の店長へ。
「まあ、どういった理由でそれが動き出したのかはまだ分からないけど……、とにかく、転ぶだけならまだしも、これ以上何か悪いことが起こる前に止めなくちゃね」
 書かれていることが真実になる(かもしれない)、倉庫の奥から出てきた古びたノート。
 書いたことが実際に起きるというのが本当なら、かなり危険だ。
 その零樹の言葉に、カウンターの上に頬杖をついて小さく頷いたのは、沙倉唯為(さくら・ゆい)。膝の上には、何故かここのバイト生である琥珀をちょこんと乗っけている。
「そういえば……このノートを使い出した途端に、前の店長が蒸発したらしいな。だとしたら、そいつが何か握っているんじゃないのか?」
 言いつつ、意味も無く琥珀の服についているリボンやレースの折れを直したり、髪の跳ねを直している唯為に、店長が眉を寄せた。
「お前な。そいつはウチの店員だ。仕事の邪魔をしないでもらいたいんだが」
「いいではないか。久々に逢いに来たんだ、スキンシップは重要だろう?」
 その言葉に、ぽむ、と手を打ったのは零樹だった。
「あー、それは分かる。分かるよ、沙倉さん。僕も霧嶋さんと久々に逢ったからさあ、もう少しいろいろ話をしたりしたいのに……」
「っだああーっ、もういいもういい阿呆なお前らの話なんかまともに聞くかバーカバーカ! 琥珀お前は二階の掃除をして来いっ!」
 カウンターから身を乗り出して唯為の膝の上に乗っていた琥珀の背を押しやり、犬でも追い払うかのようにシッシッと手を振る。
 それを見て、唯為はやれやれと肩を竦めた。ちらりと琥珀が唯為の方を見たが、唯為は軽く手を振って仕事に戻れと合図を出す。零樹も、いってらっしゃーい、と言うように微笑みと共にひらひらと琥珀に向かって手を振った。
 ノートに書かれたことが起きるというのなら、そのノートに眼を付けられているらしい店長の近くにはなるべくいないほうがいい、と思ったのである。
「……で? 前店長はどんな輩だったんだ?」
「何か特別な力を持っていたとかは?」
 唯為と零樹の問いに、店長は顎先に手を添えつつ首を傾げた。
「特別、何かの能力を持った男じゃなかったが……」
「地球を何周かしているうちに変な能力に目覚めたかもしれんな。……、しかし、何だな……ここの店長になる輩は変人ばかりか? 地球3周とは」
「5周だ」
「どっちでもいいだろうがそんなこと」
「阿呆か! 3と5ではえらい違いだろうが! 数も分からんのかお前は! 小学校からやり直せバーカバーカ!」
 いつもは自分が阿呆阿呆と言う立場であるにも関わらず、今日はさっきから阿呆阿呆バカバカと言われたい放題である。
 しかしそれにツッコみは入れず、今日のこの女狐はよほど気が立っているのか?と唯為は内心で溜息を吐くに留めた。
 一言何か言えば、今日の狐店長は三つくらい返してくる。
 しかも言い返す台詞の次元がかなり低い。
 ……正直言うと、かなり鬱陶しいのだ。
 あまり構いすぎないのが吉だと判断した唯為と、イライラも露わな店長――その二人の様子をアタッシュケースを提げた零樹はカウンターにもたれつつ暫し眺めていたのだが、やがて近くにあったスツールに腰かけた。
 まるで子供のケンカだなあ……主に店長さんの言動が、と思いつつ。
「ねえ店長さん。足許ご注意ください、で転びそうになったんだよねえ? じゃあ、次の言葉は?」
「『遠く天から降る。赤い血の花咲く』だ。クソっ、覚えたくもないのに覚えちまった」
 カウンターの上で、かつかつと落ち着きなく人差し指の爪を鳴らしていた店長が忌々しげに吐き捨てるように言う。本当にイライラしてるなあ、と思いつつ、零樹は天井を見上げた。
「赤い血の花、ねえ……。天から降る、っていうことは上から何かが落ちてくる、血の花は落下物が当たったことで血が出る、とストレートに考えたらよさそうかな」
「……考えたくないけどな……クソ」
「まあそうやさぐれないでよ店長さん」
 いつもなら明るくテンション高い店長が、抱え込んでいる不機嫌を隠そうともしないでぼそぼそと言うのを見、零樹はおかしそうにくすくすと笑う。
 そんな、どこか楽しそうにも見える零樹を、ここに数度足を運んだことできちんと味が感じられるようになった煙草をふかしながら眺めていた唯為は「人の不幸は蜜の味」という言葉を何となく思い出していた。
 ……別に零樹がそういう人間だとは言わないが。
 ……、……そうではない、とも言わないが。
「じゃあ、まずは店の照明や看板……、そういう落下の危険があるものに注意する方向で?」
 そんな唯為の内心の声など聞こえる由もなく、零樹は天井を指差しつつ言った。それに、店長が両眉を持ち上げた。
「注意って……いつまで注意してりゃいいんだ? 四六時中注意しなきゃいかんなんてことになったら私の神経磨り減りまくるぞ! いいのか私が発狂しても!」
「心配しなくても、店長さんの神経はそんな簡単に磨り切れないよ」
 艶やかな微笑みと共にそう言う。その言葉には確信が宿っている。
「……私の神経が擦り切れないだって?」
 怪訝そうに呟く店長に、クッ、と喉の奥で笑うと、唯為は店長に手を差し出した。
「極太の神経はそんなに簡単に磨り切れん、ということだ。ほら、ノートを出せ。実物を見せろ」
「チッ、お前らがノートに呪われればいいんだ、バーカバーカ」
 舌打ちをした後、また子供のような台詞を吐きつつ、店長はカウンターの下にある棚に置いていた件のノートを引っ張り出し、乱暴にポイッと唯為の方へと投げて寄越した。
「まったく、胸糞悪いノートだ」
「実のところ、単にお前の日頃の行いが悪いだけの話じゃないのか?」
「何ィ!?」
「それにしても、なかなか斬新な文字列じゃないか」
 いきり立つ店長はまるで無視し、唯為は淡々と問題のページを眺めつつ呟く。
 綴られている文字は、わざわざ利き手じゃない方で書いたかのような印象を受ける、へろへろとしたもの。しかも、時々ひらがなの文字がひっくり返っていたりもする。
 わざと筆跡が悟られづらいようにしているのか、それとも――……?
「おい。この筆跡に心当たりはないのか? まあ、利き手ではない方の手で書いたような感じもあるが……。それと、思い当たる不審人物はどうだ。いないか? 店内に侵入してイタズラをしそうな輩とか」
「こんな汚い筆跡に見覚えは全くないぞ。……不審人物なら今、私のすぐ眼の前に二人ほどおるが」
 真顔で告げた店長の言葉に、零樹が弾けたように笑い出した。
「あはは、言うなあ店長さん」
「こちとら神経図太い扱いされたんだ、お前らは不審人物扱いを甘んじて受けてろ。というかなんでよりにもよって今日来たのが、ここに来る奴の中でも底意地の悪さで一・二を争うお前ら二人なんだ……」
「はいはい。まあその調子で軽口叩いてられるなら心配ない気もするけど」
 拗ねたような店長に唇の端に笑みを滲ませて一瞥をくれると、零樹はその翡翠色の瞳を店内へと向けた。背でさらりと艶やかな黒髪が揺れる。
「ま、とりあえず一通り店内を調べてみようか。何か分かるかもしれないし……危ないものがあれば排除しておくに越したことはないしね」
「……美青年が私のためにそんなに積極的にどうにかしようとしてくれてるのを見てると、なんだかものっすごくアヤシイ気がするな……」
 言葉どおりの怪しむ目つきで見られ、零樹はにっこりと微笑んだ。
「そんなに心配しなくても、店長さんのためじゃないからさ」
「私のためじゃない? なんだそりゃ」
「……頼まれたんだよ、お兄さんに」
 スツールから腰を上げつつ言う零樹の言葉に、唯為が怪訝そうな表情になる。
「兄……? こいつのか?」
「あーあーあーあのロクデナシが美青年に余計なこと言ったんだなー……あんなの兄でも何でもないっつーの」
 こいつ、と唯為に指差された店長はその手をペシンと叩き払い、ぼやくように言いながら髪をかき上げつつカウンターに突っ伏す。そんな店長の物凄く嫌そうな様子を見て、また零樹は機嫌良さそうににっこりと微笑んだ。


【chapter 3:店長、刺殺?】

「店内には特に異変はなし、か……」
 出入り口とフロア内を一通り調べた零樹と唯為は、再度カウンターへと戻ってきた。
 人形やぬいぐるみなどの声や感情を聞くことができる零樹は、ホール内での情報収集、唯為は落下の危険がある物はないかのチェックを行ってみたのだが。
「……その様子じゃあ、特に収穫はナシって感じか」
 何かの帳簿を付けていた店長が、溜息交じりに呟いた。
「まあ、そう簡単に何とかなるなら私一人ででもどうにかできるという話だが」
「人形たちも、特に何か思い当たることはないって言ってるしね……」
 スツールに腰かけて、肩越しにクレーンゲームの景品として飾られているぬいぐるみの方を見やりつつ、零樹が呟くように言った。
 深夜などにフロアの出入り口から何者かの侵入者があれば、フロアに置かれている人形たちはそれを目撃しているだろう。ならば、異変があった旨を零樹に話してくれるはずだ。
 が、「何か変わったこととかはなかった?」という零樹の問いに、人形たちからの返事はいずれも「ない」だった。
「……こうなったら……少々危険かもしれんが試してみるか」
 言いながら、唯為はカウンターの上に放り出されたままになっていたノートを手許に引き寄せて問題の文字が綴られているページを開くと、ペン立ての中からボールペンを一本引き抜いた。
「書いてみるぞ?」
 ノートに顔を向けたまま、視線だけを零樹と店長に向ける。
 二人とも特に返事はしなかったが、それは「書けば何が起こるかわからない」という危惧からだろう。しかし、書いてみないことには分からない。二人もそう思っているのだろう。
 ノート自体が元凶か、それともただ単に警告を促しているのか……このままでは量りかねる。何か、指標のようなものは必要だ。
「……まあ、あまり危険なことを書くのもマズいだろうし……とりあえず無難なところで」
 言いながら、唯為はさらさらとノートに文字を書きつける。零樹が、そんな唯為の綴った文字を手許を覗き込むようにして見、
「えーっと……なになに? 『Azの店長が5分以内に、蓮巳零樹にハサミで腹を刺される』?」
 書かれた文字を読み上げた。
 途端。
「あ……阿呆か貴様はぁぁーーー!!!」
 カウンター越しに、店長が腕を伸ばして唯為の胸倉を掴み上げてゆっさゆっさと乱暴に前後に揺さぶる。
「阿呆かじゃないっ、貴様は阿呆だ間違いなく阿呆だこの阿呆っっ! 私がこの性格ワルに刺されたらどうするつもりだこのタレ眼男っ!!! 言えっ、一体これのどこが無難だっていうんだっ!!!」
「……煩いな……」
 大声で叫び散らす店長に顔を顰めて、手で片方の耳を覆いながら唯為はもう片手で胸倉を掴む店長の腕を振りほどいた。
「無難なところで、と言っただろうが。どうにもならないレベルのものを書いたわけじゃない。たとえ蓮巳がお前に襲いかかったとしても、力でなら俺のほうが勝るはずだ。押さえ込むことくらい容易い」 
「だからってこんなヤバいことを書く必要があるのか! 紙で手を切るとか、そういう小さいことでいいんじゃないのか!」
「何を言う。そんなつまらんことを書くより、こっちのほうが面白いじゃないか」
「おも……面白いだとっ!? 阿呆っ、このタレ眼の人でなし! 私の命を何だと思ってるんだっ!」
「『5分以内』かぁ……。あと3分くらいだねえ」
 ぎゃあぎゃあわめく店長を他所に、ペン立てに挿されていた大きめのハサミを引っ張り出しつつどこか楽しそうに零樹が言うのを聞きつけた途端、店長の矛先が零樹へと向きを変わる。
「おのれは人の不幸大好きっ子か……? 私の不幸が大好きなのか、さては私を刺す気だなっ!?」
「嫌だなあ、僕はただ心配してるだけだよ。今のところ、僕には店長さんを刺す気はないし」
「そんな楽しげな顔をしているのにか、ハサミを取り出したのにかっ!」
「それは店長さんの被害妄想」
 にっこりと笑って返した零樹に、店長は低く「うううう」と唸ると、わしゃわしゃわしゃ、と自分の髪の毛を両手でかき乱した。
「うがああ、なんでよりにもよってこんな奴らが協力するって言うんだあああっいやだあいやだあこんな性格が破綻した連中ぅぅ……っっ」
「5分経ったな。……何も起きんということは、書いたことが起きる、というのとは違うようだ」
 恨めしげな声を発している店長を完全に無視し、唯為は淡々とそう判断する。
 しかし……書かれたから起きる、ということではないとすると、どういうことだろうか。
 誰かがあらかじめ「何が起きるか」ということを知っていて警告しているということか?
 それとも、書いた者に書いたことを現実にする力がある、ということか?
 何にせよ、おそらくはノート自体にはなんの効力もないのだろう。
 ……いや。
 もしも、ノートに書き付けるときに何らかの法則がある、としたら別の話だが。
「……さて、まだ店内で調べていない場所があるな。調べに行くか」
「そうだね。ノートが見つかったっていう倉庫は重要だと思うし。あ、勿論店長さんも一緒にね?」
 まだぶつぶつ言っている店長を振り返りつつ声をかけてスツールから降りると、零樹はさっさと先にホール裏にある倉庫方向に向かって歩き出している唯為の後に続いた。


【chapter 4:Azの倉庫にて】

 倉庫の中は雑然としていて、かなり埃っぽかった。微かにかび臭いような気もする。
「うわ……嫌だなあ、こんなところに入るのは。ちゃんと掃除くらいしてよ、店長さん」
 提げていたアタッシュケースを抱え込みつつ言う零樹に、店長は片眉を上げた。
「倉庫なんてのはこんなもんだ。それより、何かヒントになりそうなものはあるのか?」
 さっきの件で機嫌が悪くなったのか、店長は壁に背を預けて腕組みをしつつ、ぶっきらぼうに返してくる。
 まあ、へそを曲げているくらいなら気にすることでもないか、と思い、零樹は倉庫内に積み上げられているダンボールや、棚に置かれている物品を眺めた。
 何かの機械の部品のようなものから、イベント時に使う飾り、使用しなくなったゲーム筐体、景品用のおもちゃなどが雑然と置かれている。
「……おい」
 先に倉庫に入り、何かノートに関わりそうなものはないかと奥に入り込んで調べていた唯為が、手に何かを握りながら戻ってきた。
「蓮巳。お前、これから話は聞けないか?」
 それは、とあるゲームのキャラクターがついたキーホルダーだった。人形といえば人形であるそのキーホルダーはかなり古びており、長い期間この倉庫の中で眠っていたのだと分かる。
「棚とダンボールの間に落ちていたんだが……どうだ?」
「結構古そうな品だし、何か知ってるかもしれないね」
 ぽいっと唯為が放り投げてきたそのキーホルダーを片手でキャッチすると、零樹はゆっくりと一度瞬きしてからその人形を見つめる。
 言葉を、逃さないように。
「お、こりゃ懐かしいなー。これはアレだ、とき……」
「どうでもいい」
 横から零樹の手の中に落ちてきたキャラキーホルダーを見た店長がそのキャラが出演していたゲーム名を言おうとしたが、全部を言いきる前に唯為が横から遮る。零樹と人形との会話の邪魔になるかと思ったからだ。
 ピンク色の髪に黄色いヘアバンドをした、制服姿の女子高生――ギャルゲー、と呼ばれるゲームジャンルで大人気だったキャラであるが、そんなことはこの際どうでもいい話である。
「さて、何か聞けるといいが……」
 独り言のように人形に話しかけ始めた零樹を眺めつつ、唯為は小さく呟いた。


 その某ギャルゲーキャラ人形と会話をした零樹によると、「ノートがこの部屋からなくなって以降、夜になると店長室のほうからカタカタと音がする」ということらしい。
 倉庫には二つのドアがついており、一つはフロアと繋がっている入り口で、もう一つのドアは店長室から直に倉庫に入れるようになっている。
「店長室と隣り合っている倉庫になら、店長室で何かが起きていたらその音が聞こえるのも不思議はないかもしれん。店長室と倉庫を隔てるドアはそんなに頑丈なものでもないしな」
 零樹から手渡されたキーホルダーについているそのキャラを眺めつつ店長は言い、ふと首を傾げた。
「……にしても、店長室から音、だと……?」
「何か思い当たることはないのか?」
 店長室に向かいながら、唯為が背中で後方にいる店長に問いかける。このボケ店長、あまりアテにはならんな、と思いつつ。
 そしてその唯為の考え通り、店長は首を傾げたまま答えた。
「出勤してきたときには何も変わったことなどないぞ? 何か盗まれたようでもないしな……物の位置が変わっていることもない……、……と思う、多分」
「多分? ……店長さん、店長としての自覚があまりないんじゃない?」
 自分も店を持つ身である零樹としては、金の管理などをしているであろう店長の部屋に対してこうも無頓着である店長の心理というものが理解できない。
 まあ、持って生まれたアバウトさというのなら仕方ないのかもしれないし、その方がこのちゃらんぽらんな店長らしいなとは思うが。
「まあとりあえず、もう一度店長さんの部屋をちゃんと調べ……」
 調べてみたほうがいいね、と言いかけた、その時。
 ガタン! と棚の上のほうで音がした。
「なに……、あっ!」
 ぐらりと、棚の上で何かが傾いたのが眼に入る。零樹の声に気づいたのか、かなり先を歩いて店長室に続くドアのノブに手を掛けていた唯為が振り返った。
「どうし……、っ、避けろ狐っ!」
 双眸が大きく見開かれると同時に、唯為から放たれる、冗談などではない鋭い声。
 その顔を見た店長は、「何をそんなに慌ててるんだ?」とでも言いたそうな表情で首を傾げた。そして、ふと自分の後ろを歩いていた零樹を振りかえろうとして――
「なに……?」
 アタッシュケースを両腕にしっかりと抱えた零樹が、その場から飛び退くのが、店長の露わになっている右眼に映る。
 それを見たのが、最後だった。
 ガツン、と頭に強い衝撃を受け、眼の前が真っ白に染まった――と思う間もないほど、即座に店長は意識を失っていた。
「チッ……!」
 鋭く舌打ちすると、唯為はドアから離れてその場に倒れこんだ店長に駆け寄り、傍らに片膝を落として店長の頭に触れる。
 店長の傍らには、ところどころ錆びている40センチ四方ほどの銀色の箱だった。それが何かは分からないが、おそらくはゲームセンター内で使う何かだろう。
 手を伸ばしてその箱を持ち上げてみようとするが、かなりの重みがある。これが棚の上から落下してきて店長の頭に当たったのだが……、これなら脳震盪くらいは起こして当然だろう。ぶつけたところに触れてはみたが、特に血が出ていたりはしないようだ。
 ……赤い血の花咲く、とはいかなかったらしい。
「店長さん、大丈夫そう?」
 そろりそろりと歩み寄ってくる零樹に、唯為は小さく笑った。
「こいつがそう容易く死ぬようなタマか」
「あぁ……まあ、死なないだろうね」
「というか、お前、見事にこいつを見捨てて避けたな」
「優先順位は、何をおいても人形が一番だから」
 抱きしめていたアタッシュケースをぽんと軽く叩くと、零樹もまた、小さく笑った。


【chapter 5:現れし、者】

 気を失っている店長の腕を自分の肩に回させて、半ば引きずるようにして店長室へと連行した唯為は、どさりとその体をソファへと放り出した。
「ったく、手のかかる奴だな……」
 やれやれと言うように溜息交じりに言うと、零樹はそのソファの向かいに腰を下ろして笑う。
「ご苦労様。あ、気づいたみたい」
 零樹の言葉に、ソファで伸びていた店長へと視線を向ける。
 眼帯に覆われていない方の眼が薄く開いていた。
「起きたか。気分はどうだ?」
「……痛い……、……何だかものっすごく頭が痛いんだが、セッちゃん、さては私が寝ている間に頭を殴ったな? それとも美青年がそのアタッシュケースで私に不意打ちを食らわしたか……」
「どっちもハズれだよ、店長さん。覚えてない? 棚の上から鉄の箱みたいなのが落ちてきたんだけど」
「何? 棚の上から……、って、あああっ!」
 何かを思い出したのか、いきなり元気よくガバリと体を起こした店長は、その直後、痛い痛いと呻きつつ両手で箱が当たった場所を押さえつつまたソファに沈み込んでしまった。
「……阿呆か。頭をぶつけたんだと蓮巳が言っているだろう、暫く大人しくしておけ」
 無駄に元気すぎるその様子に、呆れ顔で言う唯為。
「頭が余計に悪くなったらどうするつもりだ」
「何を言うか! まったく、お前ら二人とも役に立たんなあ! 結局私はこうして痛い目に遭ってしまったではないか! きっちり上から落ちてきたものにやられてしまったぞ? 役立たず二匹め」
 苛立たしげに舌打ちまで付けて言う店長に、唯為は肩を竦めた。
「何でもかんでも俺たちのせいにするな。あんな重い箱を高いところに上げておくお前も悪いだろう」
「何だ、私のせいだと言うのか! クソッ、お前は逃げやがったし!」
 投げつけられた言葉に、零樹もまたひょいと肩を竦める。
「だって、店長さんはそう簡単に壊れないだろうけど、この中に入っている子たちが壊れるのは困るし」
 傍らに置いたアタッシュケースに掌を置く。どこか優しささえ感じるような眼差しでアタッシュケースを見ている零樹を暫し眺めてから、はああ、と店長は深い溜息を吐いた。
「そうだったな……お前は霧嶋と同じ人種だったな……」
「人種って」
 その言い方が何だかおかしくてくすくすとひとしきり笑うと、零樹はその瞳を店長室の中へと巡らせた。
「それにしても……、意外と片付いてるね、部屋。店長さんのことだからもっと汚いかと思ったのに」
 黒を基調にした調度類と、観葉植物と、壁にかけられた絵と、店長の机の傍にある水槽。
 なかなか落ち着ける雰囲気になっている。
 こんなにあまり余計なものが置かれていないこの室内なら、何か物が無くなっていたり、位置が入れ替わったりしていたらすぐに気付くはずだ。
 店長が、何か変化がないと言うのは、無頓着なだけではなく、本当にそれらしい兆候がないせいかもしれない。
「さて……、ここはお前の部屋なわけだが、本当に何も心当たりはないのか?」
 ソファの一つには店長が寝そべり、もう一つには零樹が座っているため座る場所がなかった唯為は、店長のデスクへと歩み寄り、そこにある椅子にゆったりと腰かけた。なかなか座り心地はいい椅子である。
「音がしていたというのなら、何かが動いているということではないのか? 何も思い当たらないのか」
「思い当たるならとっくにそう言ってるし、お前らに頼る必要もない」
 さらりとそう答える店長には、本当に何も思い当たることがないらしい。
 としたら、家宅捜索よろしくこの室内を家捜しするしかないか?
 思いつつ、唯為が一つ溜息を吐いたとき。
「……、ん?」
 ふと、零樹が、傍らに置いていたアタッシュケースに顔を向けた。
 ケースの表面に片手を置いたままだったのだが……、その掌に、微かな振動を感じたのである。
「何……?」
 中から、かたかた、という小さな音がする。
 そして。
 それに共鳴しているかのように、店長室のどこかからも、かたかた、という音がし始めた。
 唯為が怪訝そうに眉を寄せる。
「……、何だ? 何の音だこれは」
「薊? 萌葱?」
 アタッシュケースの中に入れた2体の人形のどちらが発している振動かは分からない。けれど、確かに、何かが起きている。
 慌てて、零樹がアタッシュケースの蓋を開ける。
 唯為の方は、椅子からすっと立ち上がると、室内から発せられる音の発信場所へと向かっている。
「……、ここか?」
 耳を澄ませつつ歩くこと数秒。
 唯為が立ち止まったのは、ファイルや本などが納められているキャビネットの前。
 そこにすっと片膝を落としてしゃがみ、キャビネットの下側の扉を勢いよく一気に開いた。
 すると。
 ――ことん、と。
 中から、何かが転げ出してきた。
「これは」
 それは、埃まみれの白いスーツを纏った、薄汚れた肌を持つ一体の人形。
『とくさ……』
 アタッシュケースから零樹が出した、霧嶋聡里が作った人形・萌葱がそう呟いた声が、零樹にははっきりと聞こえた。
「萌葱、『とくさ』って……」
 その声に、人形を抱き上げつつ立ち上がった唯為が振り返る。
「とくさ、だと?」
 聞き覚えのある、その言葉。
 なんだっただろう?と悩みこむ前に、それはすぐに唯為の記憶の水底から表面へと引っ張り上げられる。
「……ああ、そうか……こいつが『砥草』なのか」
 人形の顔を覗き込み、露わになっている瞳が緑であるのを確認すると、唯為は唇の端を歪めるようにして笑った。
「霧嶋聡里が作った『白醒』のうちの1体――緑の瞳を持つ、『砥草』。それが、こいつだ」


【chapter 6:悪かったのは誰か】

 店長室にて。
 現在室内には、零樹、唯為、店長の他、掃除を終えた琥珀と、店長室のキャビネットの中から出てきた『砥草』の具合確認をしている黒尽くめで帽子を目深く被った男――人形師の霧嶋聡里がいる。
 ふと、霧嶋の手許を眺めていた零樹は、その視線を店長のデスクの椅子に腰掛けている唯為の傍らに立っている琥珀へと向けた。
「砥草の声、聞こえなかったの?」
 霧嶋が生み出した「琥珀」は、霧嶋が生み出した他の人形とは「兄弟」に当たるため、彼らの声が聞こえる……はずなのだが。
 その零樹の問いに、琥珀は軽く眼を伏せた。
「聞こえませんでした。……扉の中だったからかもしれませんが……」
 あまり、自信がなさそうな言葉である。
 ちらと唯為がそんな琥珀を見やったが特に何も言わず、そのまま銀色の瞳を霧嶋へと向けた。
「にしても……だ。義父上に訊ねたいんだが……何故砥草はそんなナリをしているんだ?」
 改めて霧嶋の手許にある砥草を眺め、問う。
 砥草は、白いスーツを纏っている。
 そして、その左眼は、白い眼帯で覆われていた。
 髪は今までの『白醒』と同じで、銀色。髪型は、肩口で綺麗に切りそろえられた――所謂「おかっぱ」というやつだ。
 ……その容姿と顔つきはあまりにも、この場にいるある人間に似すぎていた。
 この場にいる――店長、に。
「何故、砥草は狐店長に似ているんだ?」
 その問いに答えたのは、琥珀だった。
「砥草のモデルが店長だからです」
『なのに、その自分の源流でもある人に自分を長い間放っておかれたから、砥草は淋しかったんです』
 琥珀の言葉に続いたのは、萌葱の言葉。それはこの場にいる零樹と琥珀にしか聞こえなかったため、代わりに零樹が代弁してやった。よしよしというように、自分の膝の上に乗せた萌葱の頭を撫でつつ。
「店長に放っておかれて淋しかったんだって、砥草は。萌葱がそう言ってる」
 それはそうだろう。
 店長が砥草のモデルなのだとしたら、砥草にとって店長はもう一人の自分のようなものだ。なのに、そんな存在に自分のことをすっかりと忘れ去られていたら、淋しくなるのは仕方ないことである。
「萌葱の言うとおりです。店長が、長期にわたって砥草を扉の中に入れっぱなしにして放置しておいたので、彼は淋しくなったんだと思います。自分の服や肌が汚れていくのも、きっと耐えられなかったんじゃないかと」
「ということは……、なんだ、やはりお前の日頃の行いが悪かったせいか」
 琥珀の言葉を受けてちらと店長を横目で見て言う唯為に、ふん、と鼻を鳴らして店長はそっぽを向いた。
「私は日々忙しいんだ。忘れてしまっても仕方ないだろう? 大体な、霧嶋も琥珀も、私のもとに砥草があることを知っているんなら、私に『砥草はどうだ?』とか声を掛けてみるなりなんなりしたらいいだろう」
「店長さん、そういうのを何て言うか知ってる?」
「当然の台詞、だ」
 堂々と答える店長に、零樹は口許に軽く拳を当ててくつくつと笑った。
「責任転嫁、だよ。あまりいい気分じゃないなァ、僕にしてみたら。……いや、僕だけじゃない、琥珀くんにしたって、……霧嶋さんにしてみたって、だ」
 人形を、物、としてしか扱っていないその態度。
 笑いつつも、零樹の翡翠色の瞳の奥には冷めた色が宿っていた。
「店長さんは、ちゃんと分かってるんだと思ってたけどな。萌葱が僕のところに来ることになった日も、店長さんは霧嶋さんの子のことを思い遣っているようだったから」
「……、…………」
 また往生際悪く何か反論を繰り広げるかと思った店長は、暫し零樹の顔を見つめていたものの、結局何も言わずにすっと視線を逃した。
 ……一応、これは反省している、のだろうか?
 自分には反論の余地がない、と認めているのだろうか。
 ふ、と一度眼を伏せ、零樹は萌葱の三つ編みを指で弄びながら小さく笑った。
「まあ、ノートに何か悪いものが憑いているわけでもなさそうだし。これで一件落着かな」
「これを機に、お前はもう少し自分の日頃の行いを見直したほうがよさそうだぞ。他にも恨みを買っていないか?」
 霧嶋が砥草を扱っているのと、零樹が持ってきた萌葱が表に出ていることで煙草を控えつつ、唯為がまた横目で店長を見やる。それに、店長ははあと深く溜息をついて肩を竦めると、長い髪を揺らせながら頭を振った。
「私のようないい女だと、そりゃあもうあちこちから恨みの一つや二つ……」
「寝言は寝て言え」
「寝言は寝て言ってね」
 同時に言う唯為と零樹に、店長は盛大な溜息を吐いた。今日のところはこれ以上何か言ったとしても自分にとってプラスはないと悟ったのだろう――口を噤んでソファに深く背を預けて黙り込む。
 そんな三人のやりとりを、唯為の傍から離れてコーヒーメーカーでコーヒーを淹れつつ聞いていた琥珀は、ぽつりと言った。
「白醒の名前を全部覚えていたら、問題のノートを見たらすぐに分かったかもしれませんね」
「白醒の名前?」
 怪訝そうに言う唯為に、琥珀は頷いた。
「さっき、ノートがカウンターに置かれたままになっていたので、片付ける前に少し見てみたんです。砥草は砥草なりに、自分だと気付かせようとしていたと思いますが……」
 言って、琥珀はその場にいる、自分と人形達を覗いた人数分のコーヒーカップを盆にのせて持って来ると、それを店長に渡し、自分は店長の机の上に置いてあったメモ帳にペンで何かを書きつけた。
 それは、あのノートに綴られていた二つの文章。

 ――Aし も ト、 ごちゅう い クだ サい。
 ――ト おく、天 kaら、降 る。赤い、血の 花、サク。

 そのメモを差し出されて見やった唯為と零樹は、ああ、と同時に呟いた。
 どうやら二人も気づいたらしいと分かると、琥珀は砥草を見てから店長を見る。
 店長は、何やら気まずそうな顔で視線を斜めに逃していた。……唯為と零樹同様、店長もすぐに気づいたようである。
「……やはり、どう考えてもお前が悪いんじゃないか?」
 唯為の言葉に、店長は大きく溜息を吐いた。返す言葉が見つけられなかったのだろう。
「砥草――ト、ク、サ。自分の名前の中の文字をカタカナにしてたんだね。『遠く』の『く』はひらがなだったけど……そこもカタカナにしたら『トククサ』になるから、あえてひらがなのままにしてたのかな?」
「AやらKやらは、ただのフェイクだったんだな」
 呟いた唯為に、琥珀が頷いて答えた。砥草の声を代弁したのかもしれない。
「……それにしても、それでも思い出さなかったなんて……店長さん本当にすっかり砥草のこと忘れてたんだねえ」
 服を脱がせて砥草の体の汚れの具合などを見ている霧嶋のほうへ視線を向けると、零樹は浅く溜息を零した。
「もっとちゃんと管理できる人に預けないと駄目だよ、霧嶋さん。霧嶋さんの子供たちが可哀想だ」
「……そうだな」
「大体、店長さんがモデルだっていうなら、分身みたいなものじゃないか。なのに存在を忘れるなんて、そりゃ砥草が怒っても仕方ないってものじゃない?」
「一応報復を食らわせる前に忠告を与えてやっていた辺り、随分とお優しいんだな砥草は」
 鼻先で笑い、琥珀が店長の手にある盆の上から一つ取り、運んできたコーヒーを受け取りって口をつける唯為。
 考えてみたら、ノートが倉庫から出されて店長の部屋に置かれるようになってから妙な書き込みが始まったのだから、店長室に関係がある、と簡単に考えればよかった話だ。
 ……まあ、当の店長もそのことに気付けていなかったのだから、そこまで思い至らなくても仕方ないといえば仕方ないのだが。
「何にせよ、やはり悪いのは女狐だな」
 二人の物言いに返す言葉を思いつけずにいた店長は、やがてがしがしと髪を荒っぽくかき回し、
「わーかったっ、大事にすりゃあいいんだろっ、心入れ替えて大事にさせていただきます!」
 半ばヤケクソ気味にそう叫んだが、それに零樹はよしよしというように頷いた。
「それなら、砥草もきっともうノートに字を書いたりはしないよ、きっと」
「そうだな。……まあ、とりあえずはこれで一件落着、だな?」
 唯為は再度ふっと鼻で笑うと、手を伸ばし、近くに寄って来た琥珀の頭をそっと撫でた。


【final――お茶の続きを】

「また被ってるね、帽子」
 霧嶋からの頼みごとを片付けた零樹は、連れてきた薊と萌葱と共に、再度休憩室に戻ってきていた。
 霧嶋は、机の上に砥草を置き、ぼんやりとそれを見つめているようだったが、零樹の言葉に、ふと顔を上げた。
「……、ああ……」
 短く呟くと、再度帽子に手を置き、そっと取り去る。
「なんでそんなに帽子を被りたがるのかなあ?」
 言うと、すぐに取ってくれるのに。
 だとしたら、それほど帽子に深い意味はないのかもしれないのに。
 なのに、いつも目深に被っている、その帽子。
 問いかけに、霧嶋は手を砥草の頭へと伸ばし、その髪をさらさらと撫でながら伏し目がちに小さく唇を歪めて笑った。
「……嫌いなんだ」
「嫌い?」
「自分の姿を見るのが」
「……自分の姿を見るのが、嫌い?」
 だから、帽子を目深に被る?
 ……理解できるような、そうでもないような気持ちで、零樹はアタッシュケースから出した萌葱を、そっと砥草の隣に座らせた。
「じゃあ、鏡やガラスに映った自分の容姿をまともに見なくて済むように、そういうふうにいつも帽子を被ってるんだ?」
「行方不明である私が、私だと周囲に知られないためでもあるが」
「僕は好きだけど。霧嶋さんの顔とか。だから、帽子を取って欲しいって言うんだけど」
 言って、ちらりと視線を向けて霧嶋の反応を窺う。
 しかし霧嶋は、零樹にちらりと視線を向け返しただけで、何も言わずに砥草の隣に並べ置かれた萌葱へと顔を向けてしまった。
 ……照れているのだろうか。
 それとも、そんな自分からの言葉など、彼にとっては何の意味もないということだろうか。
「……やれやれ」
 肩を竦めて小さく苦笑すると、零樹は萌葱の隣に薊を座らせた。
「そういえばさ、子供たちの衣装製作のことなんだけど」
 少し前にやり取りした手紙のことを口にすると、霧嶋は視線を萌葱に向けたまま小さく頷いた。
「……なんだ?」
「いやあ、僕でよければ引き受けようかなって思ってさ。ほら、僕が霧嶋さんの人形作りのお手伝いが出来るのも嬉しいから」
 言葉どおり、嬉しそうな微笑みを浮かべて言う零樹の気配を感じつつ、手を伸ばして萌葱の頭を撫でた後、隣に座らされた薊の頭も軽く撫でて、霧嶋はまた、小さく頷いた。
「お前がそう言うのなら、私には断る理由がない。……幸い、新しい子を作りたいと思っても、今まで服飾の製作を任せていた者に連絡を取ることもできない状態だからな……正直に言うと、有り難い」
「本当? よかった、霧嶋さんにも喜んでもらえたら、僕も嬉しいから」
「私が作るとなると、とても自分の子たちに着せようという気にならんものになるからな……」
「ああ、ボロ雑巾みたいになるって言ってたよね。見てみたいなあ、霧嶋さんが作ったボロ雑巾みたいな服」
 楽しそうにくすくすと笑う零樹に、霧嶋は小さく肩を竦め、手を伸ばして茶のペットボトルとグラスを一つ引き寄せると、そこに茶を注いだ。
「失敗作を見て楽しいか?」
「可愛いなあって思ったんだよ」
 霧嶋が、ミシンの前にちょこんと座って不器用な手つきで必死に布とミシンと格闘している様を想像すると、なんだか笑いが止まらなくなる。
 しかも、そんな必死になって仕上げた品はボロ雑巾、と来たもんだ。
 その自分が作ったものをびろんと広げてみて、あまりのヘタクソさ加減に「どうして私は……」などと自分自身に愕然としている様子など……もう想像しただけで、なんだか怪しい笑いが零れそうになる。
「人形作りに関しては本当に凄いのに、裁縫となるとまるで駄目。そのギャップが可愛いなあと思って。可愛いっていうか、可愛すぎるっていうかね」
 片手を口許に当てて、ついに、うふうふふふ……という怪しげな笑い声を発し出した零樹に、思い切り不審げな眼差しを向けつつ、霧嶋は茶を注いだグラスを差し出した。
「飲め」
「あ、有り難う、霧嶋さん」
 ぱっといつもの笑顔に戻ると、零樹はこくんと一口霧嶋が注いでくれた茶を飲む。
 今までは霧嶋のそばにいる時には感じることが出来なかった「味」が、いつもどおり、自然に口の中に広がる。
「ん、美味しい」
「……服作りの話だが……、お前も何かと忙しい身だろうからな、無理にとは言わん。出来るときに手を貸してもらえればいい」
 その他のことに関しては傍若無人だったりもするのに、こと人形作りに関してだけは他者にも随分気を回すものなんだなあ、となにやら感心しながら、零樹は薊の頭を撫でている霧嶋の横顔を眺めた。
 青白く、ひどくやつれた、その容貌。
「……霧嶋さんもさ……、あんまり、体に負担かけるようなことはしないほうがいいよ」
 どこか病気でもしているのではないかと思える、その顔。
 だから、ついそんなことを言ってしまったのだが、霧嶋はというと唇を歪めて小さく笑った。
「死にはせん。死にたくとも、人はそう簡単にはな……」
 ぽつりと横顔のままで紡がれた言葉に、零樹はゆっくりと一つ瞬きをした。
 訊いていいのかどうか、と迷うよりも先に。
 唇が、言の葉を紡ぎ落としていた。
「死にたいと、思ったことがあるの?」
 その問いに、霧嶋は一度視線を自分の左手に落としてから、唇をの端を歪めて小さく笑った。
「私が生み出す子らに魂を与えられるのなら、死んでもいいと思ったことはある。……何度もな」
 それくらい、魂を削って一つ一つの人形を作っていた、ということだろうか。
「……人形師って、本当に……、……」
 何かを言おうとはしたものの何をどう言っていいのか分からなくなり、そこまでを呟くように言うと、零樹は砥草と萌葱の頭をそれぞれ撫でた。
「……きみたちの父上は、大した人だね」
「…………。そういえば……、零樹。お前は今日、半の話し相手になりにきたのではないのか?」
 一度脱がせた砥草のスーツを着せ直しながら、霧嶋は問いかけた。
「萌葱を連れて来たそのためだろう?」
「そうそう、そのためそのため」
「……お前、砥草を連れて帰るか?」
「え?」
 急に言われた言葉に、零樹は眼を瞬かせた。そして、霧嶋が服を着せ終えた砥草を見る。
 今のところ、まだ砥草は何も零樹に話しかけてきていない。
「……でも、砥草は店長さんが……」
「あの女に預けておくよりは、砥草もお前のところにいるほうがいいと言うと思うが」
「……どうかなあ? それなら霧嶋さんのところにいたほうがいいって言わない?」
「まあ、急がなくてもいいがな。どちらにしても暫くは体を綺麗にしてやったりしないといかんし……、……砥草の服はお前に任せるか」
「僕に? いいの?」
「ああ。お前が好きな服を着せてやればいい。お前のセンスを見てみたいしな」
 小さく笑うと、霧嶋は椅子から腰を上げた。そして置いていた帽子を被り、その手で砥草を、もう片手に萌葱を抱き上げる。
「……行くか」
「えっ、行くって?」
 急に行動を開始した霧嶋に数度瞬きしてから、零樹は慌てて薊をアタッシュケース入れて提げると、その背を追う。
「どこへ行くの、霧嶋さん?」
「私の家だ」
「家……、ああ、霧嶋さんのアトリエ?」
「半は家にいるからな。萌葱と薊に話し相手をさせるのなら、家に戻らねばならない。……瑪瑙も連れて帰るか」
「瑪瑙ちゃんも? あは、なんだか親子揃ってぞろぞろ帰宅って感じだね。そういえば、琥珀君は?」
「……どこぞの誰かに構われているのではないか?」
 どこぞの誰かって、と言いかけた零樹は、すぐにそれが誰だか分かり、小さく笑った。
「なるほど。沙倉さんか」
 ごくあっさりと納得すると、空いている腕を霧嶋の片腕に絡め、
「じゃあ、霧嶋さんのアトリエまでは、僕と霧嶋さんのデート、ってことで?」
「……好きにしろ」
 もうそんな零樹の行動にも慣れたのか、霧嶋はにっこりと笑う零樹に溜息を吐き、何事も無かったかのように歩き出す。
 そんな霧嶋の横顔を見てから、零樹はくすりと笑い、絡めた腕にきゅっと少し力を込めた。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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 整理番号 … PC名 【性別 /年齢/職業/階級】

0733 … 沙倉・唯為――さくら・ゆい
        【男/27歳/妖狩り/力天使】

2577 … 蓮巳・零樹――はすみ・れいじゅ
        【男/19歳/人形店店主/力天使】


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■         ライター通信          ■
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 こんにちは。ライターの逢咲 琳(おうさき・りん)です。
 この度はゲームノベル「Communication Note」に参加してくださり、どうもありがとうございました。
 少しでも楽しんでいただけましたでしょうか?

 蓮巳零樹さん。
 いつもお世話になっております。
 今回は霧嶋の呼び出しも、有り難う御座いました。
 服作りの件も承諾してくださったりして、霧嶋としても、無愛想なままではありますが、とても喜んでいると思います。
 そして、霧嶋について萌えてくださった点について触れている箇所では、なんだか零樹さんが壊れてるっぽくて申し訳なく……、アレは……大丈夫、でしょうか?(笑)<うふふ笑い。
 あ、「砥草」を引き取るかどうかは、また霧嶋と逢う機会がありますときにでも、お答えいただけたら嬉しいです。

 本編について少し。
 今回の参加者お二人のプレイングで、作中で琥珀が明かしております「書かれていた文の中に犯人の名前がある」に気付かれた部分がありませんでしたので、判定により、店長の頭には何かが直撃してしまいました(血が流れなかったのは、「文字列」に注目されている方がおられたのと、零樹さんが「頭上からの落下物」に注意されていたので、その点考慮し、少し甘くなりました。白醒シリーズの全部の名前を、零樹さんご自身はまだご存知でなかった(かもしれない)ということもあるので、そういうことも考慮して甘めに……)。
 ノート自体には何もついていなかったので、その点についてはプレイングが反映できていない部分もあるかと思いますが、ご容赦願いたく思います。

 誤字脱字等でお眼汚しな部分がありましたら、申し訳ありません。
 このたびは、参加してくださって本当に有り難う御座いました。
 では、また再会できることを祈りつつ、失礼します。