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逃げ出した木霊
●大自然の驚異
「なんなのこれは……!?」
扉を開けた瞬間、眼前に広がるジャングルに、碇麗香(いかりれいか)は唖然とした。
「へ、へんしゅうちょー……」
藪を掻き分け、三下忠雄(みのした・ただお)が情けない声を上げて駆け寄ってくる。
さり気なくそれを避けつつ、麗香はじろりと忠雄をにらみつけた。
「三下君、もしかして『アレ』に触ったわね」
その答えを忠雄が言う前に、麗香はジャングルの奥にある己の席へと急いだ。
原生林を彷彿させる木々の合間に、スチール机がぽつんとある。
まるで聖地のように、机の上はパソコンと小さな木箱だけが置いてあり、その存在感をひそかに主張させていた。
麗香は木箱を開け、底に敷かれた柔らかな布からそっとガラス球のようなものをつまみ上げた。
「やっぱり……木霊が逃げ出してるわ」
「へっ?」
「昨日言ってたでしょ。この球の中には屋久島の木霊達が封印されているって。どうやら封印が解けて、中に封じられていた子達が逃げ出し、ここに居座っちゃったみたいね」
うっそうと生い茂る木々は威圧感さえ漂うほどに生き生きと枝を部屋中に広げている。どことなく湿気が漂っているのは木々達が呼吸しているからだろうか。耳を澄ますと侵食されているコンクリートの叫び声と木々の葉が擦れ合う音が響いている。
「いきなり穢れた東京の空気に触れて過剰反応を起こしているようね。どうにかして、封印し直せれば良いんだけど……」
だが、麗香も忠雄も木霊達と会話する術も封印する術もない。
「それにしても、三下君。あなた何をしたの?」
「えっ……いやちょっと、その……資料ファイルを運ぼうとして、うっかり木箱の上に落としちゃいまして……」
「なんですって!?」
良く見ると、ガラス球にはどれも細やかなひびが入っていた。
物理的なひびが封印に隙間を生じさせ、そこから逃げ出してしまったのだろう。
「これじゃあ、この球はもう使い物にならないわね。新しいの調達してきなさい」
「エエエッ!?」
「貴重な資料とした預かったものを壊したのよ。自分の責任は自分で取らなくてどうするの」
「で、でも……そんなのどこに売ってるか分からないですよぉ」
「……あなた何年ここで勤めてるの。別にこれと全く同じものでなくても、木霊を封印出来るものなら何でも構わないわ。封印が得意な術師が知り合いに居ないとは言わせないわよ」
そこまで言われて初めて忠雄は納得した様子をみせる。
「さあ、編集部が壊れる前に助っ人を呼んできなさい!」
「は、はいぃいいっ!」
●交渉
「それじゃあ開けますよ……あ、足元気を付けてください」
そう言いながら、忠雄はゆっくりと鉄の扉を開いた。
途端、むわっと温室特有の湿気まじりのゆるやかな空気が彼らを襲った。
眉をわずかにひそめながら、パティ・ガントレット(4538)は静かに呟いた。
「こんなに濃い空気になっているとは……進行は思ったより速いようですね」
白い杖で足元を確認しながら、パティは慎重に編集部内へと入っていく。
扉が開けられ、新しい風が舞い込んできたからであろうか。編集部内に茂る草木は互いにこすれ合い、ざわめき合う。
「どうやら、警戒されてしまったようですね」
パティが進むごとに、床にまで伸びていたツタ達が道を譲るようにその道を開けていく。まるで意志を持っているかのように動く木々達。パティの秘めた力に気付いているのだろうか、どこかおびえているような気配も感じられる。
忠雄とパティの姿を見つけ、ほっと安堵の息をもらしながら麗香が駆け寄ってきた。
スーツについた葉を払い落とし、疲れた様子で死守していた箱をパティに手渡す。
「はい、これがあの子達が入っていた石よ。もう中身は空だけどね……」
「助かります。直に触れてもよろしいでしょうか?」
「手垢がつくと価値が下がりそうだから、出来れば手袋をしてからの方がありがたいわね」
穏やかに微笑み、パティは懐にいれていた白い手袋をはめる。
何の不自由なく箱の中から石をつまみ上げる様は、とても光の世界から見放された存在だとは思えない。
パティは全身系を指に集中させ、包むように石をなでていく。
やがて、カチリと何かはまったのか、その手を止めると編集部の奥に茂る樹に話しかけた。
「あなたが精霊達の長ですね」
一瞬、樹は驚いたように全身を震わした。
ざわわ……っと葉がこすれ、落ち葉がひらひらとパティの頭に降り注ぐ。
「大丈夫です。私はあなたがたを傷つけはいたしません。ですので、どうぞおびえないで下さい」
あくまで優しく穏やかに。幼子に語りかけるようにパティは話す。
やがて。パティの誠意が通じたのか、木々達は次第に落ち着きを取り戻し始めた。
パティはそっと胸をなで下ろし、木に宿る精霊達に姿を見せるよう問いかける。
「どうぞそのお顔を見せて下さい。なぜ……このようなことをしておられるのですか?」
忠雄の口から原因と思われることは聞き、大体の推測は出来ていた。だが、やはり本人の意志を尊重すべきだろう。
木が語りかける「声」は忠雄と麗香には聞こえない。
じっと耳を澄ませているパティの後ろ姿を眺めながら、2人はぼそぼそと囁き合う。
「ねえ、三下君。上手く行くの?」
「パティさんが来てくれたのならきっと大丈夫ですよ」
「また、そんなこと言って……いくら異姿の者を統べてる人だといっても……限界があるじゃない。それより、木霊を封印出来る術師の方が良いんじゃないの?」
「ボクにまた探しに行けっていうんですか?」
忠雄は、あからさまに嫌そうな表情を浮かべる。
「その点なら心配ございませんよ。私の部下達に数名ほど声をかけております。しばらくすれば到着するでしょう」
パティのひとことに、2人は思わずびくりとパティを見つめた。
提案が上がったことより、今までの会話が聞こえていたことへの怯えの色を浮かべている。表情こそ見えぬものの、その気配に、パティは苦笑いを思わず浮かべた。
「それより、部屋がこのままでは他の者も入ってこられません。怯えている子達を少し鎮める事に致しましょう」
●箱庭
「これで良いですか?」
そう言って忠雄が用意してきたのは、熱帯魚用の水槽と培養土だった。
受け取り、パティは静かに培養土を水槽の底に敷きつめ、小さな若木を植えた。
「それは?」
「近くの神社で清めた杉の若木です。こうして箱庭のように、彼らがいた環境を作り上げてあげてさしあげれば……ほら」
すっとパティは顔をあげる。
つられて視線を向けると、多い茂るの葉の陰にいた小さな子供のような生き物がするすると幹から降りてきた。
まるで誘われるかのように彼らは水槽の中へと入っていく。
子供達がいなくなった途端、辺りに生えていた木々はするするとしぼんでいき、あっという間にもとのオフィスへと戻っていった。
だが、さすがに木々が侵略し破壊した箇所は元に戻ってはおらず、コンクリートの壁は亀裂がはしり、床のあちこちには根が開けた穴が開いてしまっている。
おそらく電気機器やファイルもいくつか使い物にならなくなってしまっているだろう。
「植物の力ってすごいわね……こんな固いコンクリートも簡単に開けちゃうなんて……」
深い亀裂を指でなぞりながら、麗香はぽつりと呟いた。
もし再び木霊達が暴走し、植物を生えさせたとしたら、今度こそ建物自体が危ういだろう。
木霊達が入ったのを確認して、パティは水槽に香油を振り撒き、銀の板で蓋をした。
「これで木霊達はこの中からは出られません。ですが、これは一時的なもの……きちんと封印を施さなければ、いずれ再び外へ出てきてしまいますね」
すっとパティは窓の外へ顔を向ける。
壊れた窓から流れてくる風は夜の湿気を帯び始めていた。光を感じられる者ならば、紅の陽がゆっくりと東京の街へ沈んでいく景色を見ることが出来るだろう。
秋の夕方はあっと言う間に夜を誘う。
夜の闇と外から洩れてくる街の喧騒が亀裂に染み込んでいくように、編集部内へ広がっていた。
「……そろそろ来る時間ですね」
しばらくして、浄衣姿の男達が編集部に入ってきた。
てきぱきとパティは彼らに指示を与え、木霊達を水晶球へと封印させていく。
その様子をぽかんと眺めていた忠雄を麗香は軽く小突き、メモを取れとしかりつける。
「何やってるの、月刊アトラスに使えるネタは常に取っておきなさいと言ったでしょ」
「は、はいぃっ」
あわてて背広にしまい込んでいた手帳を開く忠雄。すると、一枚の紙が手帳から滑り落ちてきた。
「三下君、何か落ちたわよ」
「えっ……あ、これ……屋久島協会の……」
その言葉にパティはくるりと振り返った。
「すみませんが、その連絡先をお教え頂けますでしょうか?」
「協会のですか?」
「はい。彼らが行っているのは木霊の一時的な封印、水晶を憑坐(よりまし)として憑(つ)けさせている行為です。正式な封印を行える者が残念ながら手が放せないとのことでしたので、急きょこのような形をとらさせて頂きました」
「ということは、簡単なきっかけで目覚めてしまうことがあるということね」
こくりと頷くパティ。
「彼らはこの地にいては力を消耗し続け、やがては消滅してしまうでしょう。その前に彼らの本当の地へ帰すことが一番効果的です」
「でも、まだ調査が終わってないの。それからじゃ駄目かしら」
「……あまり賢明な判断とは思えません」
パティの渋い顔に、麗香も仕方ないわね、とため息を吐く。
薦められないものを無理に進めるのは、未知の領域のものを取り扱う時にもっともしては成らない禁忌だ。
今までそれを侵したおかげで痛い目にも合っている忠雄も、パティの言葉に大きく頷いている。
「折角なら、パティさんにこれを運んでもらえればいいんじゃないですか? 護衛も兼ねてってことで」
「……ずいぶんと図々しいことをさらりと言ってくれるわね」
「えっ、そ……そうですか?」
「本来なら原因を作った人が責任以て後始末をすることなのよ、三下君」
じろりと麗香は忠雄を睨みつける。
「そう責めないで上げてください。力の無いものが在るものに頼るのは当然の理(ことわり)。それに、もしよろしければ、護衛依頼としてお引き受け致しますよ」
「あら、そう?」
「ただし少々高くつきますが……」
パティは含みのある笑顔を浮かべた。それならば、と麗香は無事であった自分の机から1枚のCDケースを取り出し、パティに手渡した。
「今回の木霊について、現状分かっていることのコピーよ。データは私のデスクPCに入れて在るものの他にはこのCDにしか無いわ。PCが動かなければ、世界で唯一のデータってことになるわね」
「それは実に興味深いものですね」
木霊達の霊波の特徴、特定条件での反応など、各種実験の結果が中には記されているらしい。
応用していけば、精霊の調教に使えることだろう。
「これなら充分お釣りが来ても問題ない情報だと思うわ。どうかしら、護衛もお願い出来そう?」
「分かりました。お引き受け致しましょう」
CDを受け取りながらパティは静かに微笑んだ。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
4538 / パティ・ガントレット / 女性 / 魔人マフィアの頭目
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■ ライター通信 ■
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この度はご参加頂き有り難うございました。
今回は力を極力描写しない形で登場させて頂きました。
盲目を演じていることを考慮し、いくつか盲人として描写させて頂いたことをご理解願います。
それではまた、別の物語でお会い出来ますよう楽しみにしております。
谷口舞 拝
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