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<東京怪談・PCゲームノベル>


過去の労働の記憶は甘美なり

 秋の澄み切った蒼い空と、少しずつ冷たくなってくる風。
 菊坂 静(きっさか・しずか)は、そんな季節の移り変わりを感じながら、いつもより早く蒼月亭に行く事にした。今日は学力テストだったので午前中で学校は終わりだ。真っ直ぐ家に帰らずにランチを食べて、コーヒーでも飲みながらゆっくりしたい。
「いらっしゃいませ、蒼月亭へようこそ」
 静がドアを開けると、店主のナイトホークがいつものように挨拶をする。それ共にこんな声が耳に飛び込んできた。
「静君、いいところに来ました。常連さんということで、ちょっとお願いしたい事があるんです…」
 そう言ったのはこの店の店員である立花 香里亜(たちばな・かりあ)だ。その香里亜の様子を見て、ナイトホークは煙草をくわえながら溜息をつく。
「どうかしたんですか?香里亜さんが僕に頼み事なんて珍しいですね」
 くすっと微笑みながら静が言った言葉に、香里亜はいつものように冷たい水を差し出しながら困ったようにこう言う。
「実は朝起きたときから目が痛くて…病院に行きたいんですけど、これから忙しい時間だから誰か代わりにお手伝いして欲しいなと思って誰か来ないか待ってたんですよ」
 そう言われると確かに右目の端がちょっと赤い。瞬きをすると痛むのか、時々不自然に片目を閉じていたりしている。
「俺は一人でも大丈夫だから、早く病院行ってこいって。午前の受付終わっちまうだろ」
 ナイトホークはカウンターの中で、香里亜を追い払うように手を振った。それを見た香里亜がちょっとふくれっ面をする。
「お客さんたくさん入ったら、ナイトホークさん一人だと大変じゃないですか…病院から帰ってくるまででいいんですけど、静君カウンターお願いできませんか?」
 人が少なければいいのだが、最近は昼間に満席になっている事も多いらしい。目が痛むままではカウンターの仕事は大変そうだし、一度ナイトホークがいないときにカウンターには入った事がある。
 静はにっこり笑い椅子から立ち上がった。
「僕で良ければいいですよ。その間に病院に行ってきてください」
「ありがとうございますー。早速行ってきますね」
 いそいそとエプロンを外し、香里亜がカウンターから出て行く。
「詳しい事はナイトホークさんに聞いてください。後よろしくお願いしますー」
「はいはい、いいからとっとと行ってこい」
 静が来る前から病院に行く用意をしていたのか、香里亜は小さなピンクのバッグを持ってぺこぺこと頭を下げながら蒼月亭を後にする。
「行ってらっしゃい、香里亜さん」
「行ってきまーす。帰ってきたらお礼しますね」
 その姿がドアから消えると、ナイトホークは煙草を消して苦笑した。
「頼まれてくれるか?バイト代はちゃんと出すから」
「はい。カウンターだけでいいんですよね」
 カウンターに入ると、ナイトホークは黒いベストとと、黒いリボンタイを静に渡す。
「本当はカフェエプロンだけなんだけど、制服のシャツ汚れたら困るからベスト着といて。その下にエプロン付けてくれればいいから」
 言われたとおりに静は黒いベストとリボンタイを付けた。制服のシャツの上にそれを着ただけなのに、急に背筋が伸びた気がする。
 人がいない店内は、カウンターから見るといつもと景色が違って面白かった。レモンの香りがする水や、グラスが置いてある場所なども動きやすいように配置されている。カウンターから見えない場所に、在庫のメモが貼ってあったりするのも何だか新鮮だ。
 きょろきょろしている静を見てナイトホークが笑う。
「カウンター面白い?」
「えっ?だってカウンターに入れるなんて滅多にないですから。一度ここでこうやって注文とか取ってみたいなって思ってたんです」
 まだ客が来ないようなので、ナイトホークはシガレットケースから煙草を出して静から細かく説明をし始めた。
「調理とかコーヒー入れたりするのは全部俺がやるから、静は客が来たら水を出して、注文取ったりしてくれればいいから。飲み物だけの客には注文聞いた後で、箱に入ってるクッキーを五枚小皿に入れて出して」
 そう言ってナイトホークはカウンターの片隅にあるブリキの箱を開けた。そこには香里亜が作ったクッキーが入っており、その隣にはいつもクッキーを乗せている小さな小皿が重ねられている。
「味見代わりにちょっとな」
 そう言ってナイトホークはそこから小さな丸いクッキーと、フォークで穴が開けられたチョコチップが入ったクッキーを静に渡した。ナイトホークも同じようにクッキーを一つ手に取ると、それをひょいと口に入れる。
「いただきます」
 それは優しい甘さのクッキーだった。それが美味しかったので、静は思わずくすっと笑う。
「やっぱその辺で買うクッキーより美味いな。あんまり香里亜が作った菓子って食わないから、たまに味見しないと分からん」
「香里亜さんが作るお菓子も、ナイトホークさんが入れるコーヒーもいつも美味しいですよ。だから何度も来たくなるんです」
 ナイトホークが静の言葉にふっと笑った。そして煙草を吸いながら店の入り口を見る。
「そう言ってくれると嬉しいね…っと、ランチの客には『何か食えない物があるか』どうか聞いといて」
「食べられないものですか?」
「そう。折角金出して飯喰うのに嫌いな物が出たら勿体ないし、残されるよりもいいからさ。あとは笑顔だけ忘れなきゃ、大抵の事は何とかなるから」
「分かりました。ランチのお客様に食べられない物を聞く事と、笑顔ですね」
 そう言った途端、ドアベルが鳴り客が入ってきた。静もナイトホークも、入り口を見ながらいつものように挨拶をした。
「いらっしゃいませ、蒼月亭へようこそ」

 最初に入ってきたのは女性の客だった。
 いつも香里亜がやっているように、静はグラスに水を入れ客の前に差し出した。いつもは水をもらう側なのだが、こうやって人をもてなす側になると少しだけ緊張する。
「ご注文がお決まりになりましたら、お願いいたします」
 メニューをチラリと見て、水を一口飲み女性が顔を上げる。
「『マスターの気まぐれランチ』を一つ。食後の飲み物はコーヒーで」
「かしこまりました。何か食べられないものとかはございますか?」
 ナイトホークに言われたとおり静は微笑みながらそう聞いた。最初聞いたときは静も戸惑ったが『折角金出して飯喰うのに嫌いな物が出たら勿体ないし、残されるよりもいい』というナイトホークの言葉を聞くと、それももっともだと思う。
「うーん…キュウリが苦手なので、それがなければ」
「かしこまりました」
 注文の書かれた紙を持ってキッチンの方に振り返ると、ナイトホークは満足そうに笑いながらその紙を受け取った。
「上出来だ。これなら香里亜がいなくても何とかなるな」
「ありがとうございます」
 こうやって褒められるのは、何だか照れくさいが心地よい。静自身は草間興信所などでアルバイトをした事はあるのだが、こうやって飲食店で普通にアルバイトをするのは、もしかしたら初めてかも知れない。何か特別な力を使ったりするわけではないが、人と話をしたりするのは何だかとても楽しい。
 そんな事を思っていると、またドアベルが鳴る。
「いらっしゃいませ、蒼月亭へようこそ」
 挨拶をして注文を取ろうとすると、目の前に座ったのはこの店の常連である松田 麗虎(まつだ・れいこ)だった。静が顔を合わせたのは夏にここで夕涼みをしたときぐらいだが、ここでコーヒーを飲んでいたりするとたまに見かける事がある。
 麗虎もそれに気付いたのか静に向かって人懐っこい笑みを見せた後、後ろの方にいるナイトホークに声をかけた。
「マスター、香里亜ちゃんにとうとう逃げられた?」
 静が出した水を飲みながら麗虎がにやにやと笑う。それを見ていると、静も思わずその会話に乗ってみたくなった。いつも話すきっかけなどが掴めないが、カウンターの中にいるとこうやって話せるのはちょっと面白い。
「実は…ナイトホークさんが毎日こき使うのに耐えられないって、出て行っちゃったんです…」
「待て、お前等。人聞き悪い事言うな」
 それを聞き、店内にいた客がどっと笑った。麗虎は静を相手に話をし続ける。
「じゃあお前さんは香里亜ちゃんの代わりにとっ捕まったのか…」
「はい、借金のカタに売られたんです」
「………」
 ナイトホークは一瞬絶句して、それから静の頭越しに麗虎を睨んだ。ノリがいいのは店の雰囲気が明るくなっていいのだが、あまり悪乗りされても困る。
 そんなナイトホークに麗虎が爆笑し、そして面白そうに静の顔を見あげた。
「ここでコーヒー飲んでて何度か見かけた事はあるんだけど、今日は手伝い?」
「はい。香里亜さんがちょっと出ている間、カウンターでお手伝いしてるんです」
「マスター人使い荒いから気をつけ…痛てっ!」
 麗虎の頭にナイトホークの裏拳が飛んだ。そして何故かお湯の入った湯飲みをカウンターに置く。
「マスター、これ何?」
「白湯でございますが、何か問題でも?」
 そんな二人の会話を見て、静はカウンターの中だという事も忘れ思わず笑った。ノリがいい麗虎も面白いが、その切り返しにただのお湯を咄嗟に出せるナイトホークも可笑しい。
「あはははっ…白湯…」
「静、お前笑いすぎだ」

 その後も順調に客が来て、店が落ち着いたのは午後二時近くになってからだった。
 結構常連客などが多いのか、静がカウンターに入っているのを見て「いつもの子は?」とか「新しいバイトさん?」と聞かれたのだが、その度に静は「パパと僕はちょっと秘密な仲なんです」とか「人に言えない関係なんです」などと言い、客を笑わせナイトホークを絶句させていた。
 客も引け、食器を洗いながらナイトホークが煙草をくわえながら溜息をつく。
「お前、そう言う事ばかり言ってると親御さん泣くぞ」
「そう言う事って?」
 無邪気にそう聞き返す静を見て、ナイトホークは拭いていた食器を一度置き煙草を深く吸い込んだ。そして天を仰ぎながら煙を吐く。
「『ちょっと秘密な仲』とかだよ。親に誤解されても責任取らんよ、俺は」
 遠くから車のクラクションが聞こえる。
 ナイトホークの言葉が止まり、ジャズのレコードが小さく後ろに流れる。
 静の立っている側からナイトホークを見ると、逆光でどんな表情をしているか見えなかった。ただ、天を仰ぐそのシルエットだけがよく見える。
「…両親はいませんよ、ナイトホークさんに会うずっと前に亡くなりましたから」
 その言葉にナイトホークが静の顔を見る。だが、静はふっといつものように微笑んだままだ。
「あっ、でも大丈夫ですよ、もう慣れましたから」
 しばらく沈黙した後、吸っていた煙草を消しナイトホークがふうっと息を吐く。
「親御さんが亡くなってても、やっぱりそんなことばっか言ってると泣かれるぞ。『うちの息子をたぶらかして』とか言われて、俺が寝てる間に胸の上に乗っかられたりしても困る」
 普通だったら「変な事言って悪かった」とか「嫌な事を思い出させた」とか言われるのに、ナイトホークは生きている者と全く同じように、静の両親の事を口にしている。だが変に気を使われるよりも、それは丁度いいぐらいの距離感だった。
「ナイトホークさんが僕の親だったら、泣きますか?」
 静は真っ直ぐナイトホークの顔を見た。
 ナイトホークも真っ直ぐ静の顔を見て、それから何かを考えるように俯いてみせる。
「あーでも、俺子供持った事ないからなぁ…ああ、別の意味で泣くかも知れない。可笑しくて」
「えっ、笑い泣きですか?」
 心配されていると思っていたのに、なんだかそれはそれで腹が立つ。静は食器をゆすいでいて濡れたままの右手をナイトホークに向かって弾いた。指先についていた雫がナイトホークの顔に飛ぶ。
「ちょ!冷たい…やめやめ、冗談!冗談だって」
 そう言いながらも、ナイトホークはなんだか楽しそうだった。静もさっきまで話していた話題を忘れ、ナイトホークに一生懸命水を飛ばす。
「これでちょっと秘密な仲ですよ、ナイトホークさん」

「ただいま帰りましたー…何でモップがけしてるんですか?」
 香里亜が病院から帰ってくると、何故かナイトホークと静がカウンターを拭いたり、床にモップがけをしていた。飾ってあった花などにも雫が飛んでいる。
「いや、ちょっといろいろあって…」
「いろいろあったんです」
 あの後、ムキになったナイトホークと水を弾きあっていたら、思いもよらずエスカレートしてしまい、二人でその後始末をしていたのだった。客が来なかったから良かったようなものの、ちょっと恥ずかしい光景だったかも知れない。
「あ、静君ありがとうございました。カウンター大変じゃなかったですか?」
 香里亜は素早くエプロンを付け、静のいるカウンターに入って仕事をする準備をし始める。
「いえ。とても楽しかったです。たまにカウンターから店の中を見るのも楽しいですね…またアルバイトで入ってみたくなりました」
 静の言葉に香里亜がくすっと笑い、モップを持っているナイトホークが苦笑する。
「アルバイトに入ったら、先輩風ぴゅーぴゅー吹かせちゃいますよ」
「香里亜、先輩風はいいけど目の方どうだった?」
 すると香里亜は自分の右目を指さしながら、パチパチと瞬きをした。
「ものもらいだったみたいで、目薬もらって帰ってきました。あ、静君、ご飯食べました?ナイトホークさんにこき使われて、ご飯食べる暇なかったんじゃないですか?」
 そう言われれば、ランチを食べに来たはずなのにまだ何も食べていない。ナイトホークもそれに気付いたのか、しまった…という表情をして静の顔を見る。
「そういえば、まだ何も食べてないです…」
「ごめん、静に飯喰わすのスカッと忘れてた」
 にっこりと笑いながら、香里亜は静の背中を押しカウンターの一席に座らせた。そしてナイトホークを引っ張ってまたカウンターに戻っていく。
「どうしてナイトホークさんは、そういう大事なこと忘れちゃうんですか。はい、静君にすぐご飯作ってください。病院から帰ってきたら、作ってた桃のシャーベットごちそうしようと思ってたのに、ご飯の前じゃ出せないじゃないですか」
「これから急いで作る…静、何か食いたいものとかある?」
 いつもの風景に戻ったが、今日はやっぱり楽しかった…静はそう思いながら、香里亜が差し出した水を飲んだ。いつものように冷たく、ほんのりとレモンの香りを残し喉の奥に落ちていく。
「食べたいもの…オムライスとかでもいいですか?」
「オムライスね、かしこまりました。少々お待ち下さい」
 ナイトホークがそう言ってキッチンに下がっていく。香里亜はその様子を見ながら静に笑いかけた。
「本当にナイトホークさんには困っちゃいますね。あんなに落ち着きなかったら、親御さんに泣かれちゃいますよ」
「………」
 まさか香里亜にそんな事を…しかもさっきナイトホークが言ったことをそっくりそのまま言われるとは。
 静はクスクスと笑いながら、キッチンから聞こえてくる音に耳を傾けていた。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
5566/菊坂・静/男性/15歳/高校生、「気狂い屋」

◆ライター通信◆
ご参加ありがとうございます、水月小織です。
急用で店を開ける香里亜の代わりにカウンターで…ということで、このようにほのぼのという話にさせていただきました。カウンターの中で水を弾いてるうちに、おそらくナイトホークがムキになって辺りを濡らしたと思われます。大人なんだか子供なんだか分かりません。
静君は年の割になんだか大人っぽいように見えますが、きっとその下には年相応の無邪気な所があるような気がします。
リテイク、ご意見はご遠慮なくお願いします。
またご来店下さいませ。