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迷える御霊
迷い込んだ鎮守の森で、出口を探してふらつき始めてからどのくらいの時間が経ったのだろう。
−もう、方向さえわからない。
クスクス…クスクス…。
木々のざわめきが人の笑い声にさえ聞こえてきて、否、そんなことはありえないのだ。と何度も気を持ち直す。幻聴であるはずだ。こんな森の奥地に人間がいるはずは無い。そう何度思い込もうとしたか−。
不思議と体力の限界は感じないものの、何時間も迷い続けて気がおかしくなりそうだった。
「幻聴などではないぞ。クスクス……珍しい客人よのぅ」
「!?」
ガサリと不自然に木々が揺れ、突如聞こえた声と共にフワリと目の前に降り立ったのは黒い着物を酷く着くずして着ている妖艶とも言える雰囲気を纏った女。
優しく吹く風に白銀の髪を靡かせながら、女は口元に妖しい笑みを浮かべてみせた。
「本当に珍しい。このような奥地にまで入り込める輩がいようとは、我でさえ予想できなんだ」
女の後ろの空間が歪んで見えるのは気のせいだろうか。嫌な、予感がする−……。
「さて……ちょうど良いところへ来たのぅ、客人。ちょいと頼みごとをされてくれ。どうやら異界で霊や妖怪が暴れておるらしくての。詳細はこの男に聞くと良かろう」
女の言葉と共に、ゆっくりと彼女の背後に現れた怪しい男。
バチッ…いう音と共に空間の歪みが広がり、そして−
「じゃぁ、達者での」
意味もよく分からないまま空間の歪みに飲み込まれて、意識は深く沈んでいった。
「ん……。あれ、ここ……」
目覚めた瞬間目に飛び込んできた、真っ青な空と生い茂る緑。良い天気だなぁ、なんて少々ずれた事を考えながら時雨はこてんと首をかしげた。
「どこ……?」
「異界じゃよ。ここは、動物達の楽園とも呼ばれる地」
返事を期待するでもなく、ただポツリと呟いた言葉に返された答え。若い女の声と共にぬっと視界に飛び込んできた真っ白な犬を数秒凝視し、時雨はどこか感動したように両手を伸ばした。
「犬……しゃべ……った……」
どうやら横になっているらしい自分の顔を覗き込んできた犬の、その首にぎゅっと抱きついてみる。太陽の香りを纏うその毛並みは、暖かさと安心感を与えくれて。自然と浮かぶ、人懐っこくて優しい笑み。
「キミ……ここ、に住んでる……の?」
「わん!」
「……あれ……?」
先ほど自分に話しかけてきたように思えた犬が吼えた事に驚き、時雨は起き上がってきょろきょろと辺りを見回した。見渡す限り一面の緑。
穏やかに吹く風が時雨の髪を優しく撫でて過ぎ去っていく。背後で動いた気配に振り返ってみれば、白銀の髪を持つ鎮守の森で会った女と、そして。
「わ……!」
群れて迫ってくる、動物達。時雨に会えた事が嬉しいのであろうその動物達は走ってきた勢いそのまま、時雨に思いきり突っ込んだ。ドサリ、音を立てて時雨が倒れる。
「…………?」
「クスクス……よほど好かれておるらしいのぅ。おぬしが目覚めるまでずっと待っておったのじゃよ」
「そう……なの?」
いろいろな動物達に擦り寄られて毛玉の塊のようにも見える時雨の顔を真上から覗き込み、女がクスクスと妖しく笑う。女の傍には、沢山の狐。
何故狐だけ彼女のそばに居るのだろうと思いながらも、時雨は自分に擦り寄ってくる動物達の頭を優しく撫ぜる。すごい勢いで体当たりされ、押し倒された事など彼にとっては気にすべき事ではなく、ただ動物達が自分の傍に居る事が満足なようだった。
日光に優しく照らされた風の吹く明るい緑豊かな森の中で、動物と戯れている赤髪の男。その光景に違和感を覚えない自分に苦笑しながら、女は時雨の隣に座り込んだ。
「我が名は蒼月。お主の名は何じゃ?」
「五降臨(ごこうりん)……時雨(しぐれ)……」
ごめんね、と呟きながら自分の上に乗っている動物達を優しく退かし、時雨は体を起こして蒼月の前に座り込む。そして数秒考え込んだ後、何かに気づいたように"あっ"と声をあげて蒼月と視線を合わせ一言。
「こんにち……わ?」
「…………」
遅すぎる、挨拶。"はじめまして"ではなく"こんにちわ"と何故か疑問系で放たれたその挨拶に一瞬間を起き、蒼月は盛大に噴出して爆笑した。それはもう、嘗てないほどの大声で。
「ク……ククッ……あはははははは!」
「…………?」
当然、時雨には何故蒼月が笑っているのか分からない。首をかしげながら動物を撫ぜる時雨の目の前で、蒼月は浮かんできた涙を拭きながら息も絶え絶えになって口を開いた。
「そ……そうじゃの……!!こ、こんにちわじゃ、時雨……!!」
「うん……こん……にちわ」
馬鹿にして笑っているのではない。時雨の纏う雰囲気はどこまでも優しく、そして綺麗で。その容姿からも雰囲気からもしっかりした男なのだろうと思っていた蒼月は、そのあまりのギャップに笑みを浮かべずにいられなかったのだ。……少々、笑いすぎているけれども。
「なるほど、動物に好かれるわけじゃ。真、良い男よのぅ」
「……あり、がと……」
ふわりと再び人懐っこい笑みを浮かべた時雨を見て、蒼月もふっと満足そうな笑みを返す。が、次の瞬間辺りの木という木から一斉に飛び立った鳥達の羽音を聞き、二人はバッと勢いよく天を見上げた。
空を覆いつくすのではないか、と思うほどの鳥達が慌てたように空を旋回している。どう考えてもただ事ではないその鳥達の様子を見、一気に表情が険しくなった時雨が天に向かってそっと右手を差し出した。
「おい……で……」
「時雨、一体何を−」
すると間をおかずその腕に一羽の鷹が止まり、小鳥達も降りて来て時雨の周りを飛び回る。時雨は真剣な表情で小鳥が囀り、鷹が鳴くのを頷きながら聞いていて。その様子を目の当たりにした蒼月は唖然としたように目を見開き、それから何かを悟ったように口元にうっすらとした笑みを浮かべた。
鷹を空へと放った時雨が蒼月と正面から視線を合わせてどこか困惑したように口を開く。
「化け物が……来る……って。もしか……して…………それを、退治……しに?」
「……鋭いのぅ。そうじゃ。その化け物が何かは我も知らぬが、随分と手ごわいらしくての」
二メートルはあるであろう長身の時雨を見上げて、迷いも躊躇いもなくまっすぐと視線を投げかける。蒼月の視線をまっすぐに受けて、時雨は困ったように首をかしげた。
「生活苦しいか……ら早くバイト行かない……といけないの……に…………」
「助太刀が欲しくてお主を連れてきたのじゃ、時雨。終われば必ず返すと約束しよう。それに……このままこの地を放っておけば、何れ動物達が滅びてしまうぞ」
時雨に寄り添っていた沢山の動物達が一斉に散っていく。普段ならばどんな動物であっても時雨の傍を離れたがらないのに、その動物たちが時雨の傍をためらわずに離れるほどの恐怖を抱いている。それに気づいた時雨の瞳が少しだけ……そう、本当に少しだけ怒りと言う名の炎を帯びた。
「友達……傷つける……の……許さない……」
「来るぞ。構えよ!」
蒼月の声と共に辺りに広がった苦しいほどの殺気。一瞬息が詰まりそうになった蒼月が慌てて時雨を見上げるも、何故か時雨は平然としていて。ゆっくりと黒い影が姿を現したと同時、時雨は刀を握って駆け出していた。
「待て……時雨!!」
有り得ない。敵の正体も見ずに飛び掛ることがふどれだけ危険かなど、戦いに身を置く者ならば嫌と言うほど知っているはずなのに。……それなのに、いきなり飛び出すとは一体どういう了見なのだろう。
「えぇい、待たぬか!!!」
慌てて蒼月が腕を伸ばすもその指先は時雨の衣服に触れる事すら叶わず、どこからか放たれた斬撃が時雨に当たりそうになった、その刹那。
「……あ……」
時雨は、木の根に足をとられて盛大にずっこけた。
「「…………」」
時雨の頭上を通り過ぎて言った斬撃は、唖然と時雨を見つめる蒼月のギリギリ隣を通り木々を真っ二つに切り裂いていく。攻撃を仕掛けてきた主に視線を移してみれば、ヘドロの塊のような姿をしていて。切られた木の切り口をじっと眺め、時雨はこてんと首をかしげた。
「あんな……ドロドロ、なの……に……斬撃……?」
確かに、尤もな疑問ではある。あるのだが……その緊張が感じられない時雨の態度に固まっていた蒼月が、思い出したように時雨の傍に降り立って時雨をギロリと見下ろした。時雨は今だ転んだ状態のまま地面に寝そべっている。
「そんな事を言っておる場合ではないじゃろう!お主、真っ二つにされる気でおったのか!?敵の正体も分からぬのに突っ込んで行くなど……」
「……心配……して、くれたの……?」
ゆっくりと起き上がりながら、嬉しそうに一言。笑みと共に放たれた言葉に怒気をそがれた蒼月はため息を一つ、コクンと一度だけうなずいた。
「……あり……がと。嬉しい……」
もう完全に時雨のペースである。
「でも……大丈夫……。この【血桜】……は……斬る……だけじゃ、ない……から……」
「恐らくあれは汚された森の悲しみと恨みが形を成したもの。そう簡単に倒せはせぬぞ」
蒼月の言葉を聞いて尚、心配ないと時雨が微笑む。その笑みを見て時雨を信じる事にしたのだろう、蒼月も不適な笑みを浮かべてみせた。
「……勝算があるのじゃな?ならば、任せたぞ。援護は任せよ」
蒼月の言葉に黙って頷いた時雨が優雅な動きで刀を構えた−ように見えた次の瞬間、時雨は既に敵の懐近くに迫っていて。瞬きほども経たないうちに、その胴を刀で薙ぎ払っていた。−が。
「…………!」
薙ぎ払われた刀は胴の中心に到達しない間にヘドロによって絡めとられ、斬ると同時に発した数万℃の魔炎を身に受けて尚平気そうに蠢いている。ダメージを受けていないのか、刀ごと時雨を飲み込もうと動いた敵に時雨が思わず息を呑んだ瞬間。
「離れよ、時雨!!」
二人の間に体を滑り込ませ、片手を突き出した蒼月が"拒絶"をもってヘドロを思い切り吹き飛ばした。
「無事か」
「あり……がと……」
ヘドロが通った後には草一つ生えておらず、ヘドロに触れられた木々はシュウシュウと音を立てて解けている。早々に決着をつけなければ、この森は二度と動物達の住めない場所となってしまうだろう。……それだけは、避けなければならない。時雨はぎゅっと手を握り締めた。
「どう……すれば……消える?」
「分子、原始レベルまで分解するのが一番安全じゃろう。……だが、我には出来ぬ」
「ボク……できる、よ……。あれ……の、気……ボクから……逸らせる?」
すっと刀を構えて、時雨が静かに蒼月を見下ろす。ゆっくりと近づいてくるヘドロを視界の端に捉え、蒼月はコクンと頷いた。
「無論」
「……お願い……」
ニヤリと不適に微笑んで、蒼月が軽い音と共に姿を消す。途端、ヘドロの周りにだけ強風が吹いて砂埃が舞い上がった。その砂埃の中へ、時雨の姿が消えて。……そして。
「……実に、見事よ」
時雨が起こしたらしい風に吹き飛ばされて、あっという間に砂埃は霧散した。砂埃が晴れた先にヘドロの姿はなく、時雨が刀を構えて立ち尽くしているだけ。
トンと木の上から降り立った蒼月が時雨の隣へ近づいていく。
「これで……大丈夫……?」
「すごいのぅ、時雨。どんな手品を使ったのじゃ?」
「……?突き……した、だけ……」
自分達に危害を加える敵が居なくなったのを感じたのか、恐る恐る動物達が集まりだした。その動物達の頭を撫でて、時雨は嬉しそうな笑みを浮かべる。
「突然つれてきて悪かったのぅ。……じゃが、本当に助かった。これで動物達も大丈夫じゃろう。……少々森は荒れてしもうたが……」
「……役に、立てたなら……嬉しい……」
ふわりと人懐こい笑みを浮かべた時雨に蒼月がそっとその手を差し出した。その手をとって、時雨がふっと笑みを深める。
「また何れ、縁があればどこかで」
「うん……また……ね?」
この世界に来た時のような不思議な浮遊感に包まれて、時雨の意識は深く深く沈んでいった。
fin
+ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧)+
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
1564/五降臨・時雨 (ごこうりん・しぐれ)/男性/25歳/殺し屋(?)
+ NPC +
4078/蒼月(そうげつ)/女性/?/鎮守の森・守人
+ ライター通信 +
初めまして。ライターの真神ルナと申します。
この度はご依頼ありがとうございました。お届けが遅くなってしまい、本当に申し訳ありません!
コメディ調になるよう頑張ってみたのですが……いかがでしたでしょうか?
私自身時雨さんの天然っぷりがとても好きで、非常に楽しみながら執筆させていただきました!
書きたいエピソードが沢山浮かんだのですが、それらを全部盛り込むと文字制限を遥かに越えてしまいまして……;
致し方なく、いくつかエピソードを削りました。時雨さんの魅力を全て表す事が出来なかったのがとても心残りです…。
いつかまたご縁がありましたら、その時はこの作品に表せなかった時雨さんの魅力を書かせて頂きたいと思います^^
リテイクや感想等、何かありましたら遠慮なくお寄せくださいませ^^
それでは失礼致します。
またどこかでお会いできる事を願って―。
真神ルナ 拝
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