コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談・PCゲームノベル>


過去の労働の記憶は甘美なり

「冥月さん、良かったら一日だけ私と一緒にお仕事しませんか?」
 黒 冥月(へい・みんゆぇ)が、立花 香里亜(たちばな・かりあ)に突然そんな事を言われたのは、冥月がいつものように蒼月亭で昼下がりにコーヒーを飲みながらくつろいでいるときのことだった。
 香里亜と一緒に仕事…とはいうものの、この店は店主のナイトホークがやっているので蒼月亭の手伝いというわけでもないらしい。
「一緒にって、どこでだ?」
 持っていたカップを置いて冥月が顔を上げると、香里亜はにこっと微笑みながら胸の前で指を組みながら説明をし始める。
「実は、私がよく行くお店で店員さんが一日足りないって話なので、お手伝いに行くんですよ。あともう一人足りないので、よかったら冥月さんも一緒にどうですか?」
 店員と言われても、香里亜がよく行くという店ならきっと可愛らしい感じの店なのだろう。その雰囲気に自分が立っていることを想像して冥月は思わず苦笑した。
「いや、私は店の雰囲気的に合わないだろう…」
 そう言って断ろうとしたときだった。
 香里亜が残念そうに溜息をつきながら店の名前を告げる。
「『フラン・ナチュール』っていう美味しいケーキ屋さんなんですけど」
「『フラン・ナチュール』だと?」
 その店の名は冥月も知っていた。
 フランス風の美味しいケーキと、店員の制服が可愛いと有名な所だ。実は冥月は結構ケーキが好きで、色々な店を食べ歩いていたりもするのだが、その中でも『フラン・ナチュール』はお気に入りで、時々カフェスペースで食べることもある。
「香里亜はその店によく行くのか?」
「はい、何度も通ってたら常連になっちゃいました。フィグ(イチジク)のパウンドケーキの作り方とか聞いたりしてます…あと、ケーキだけじゃなくて焼き菓子も美味しいんですよ。マカロンとか…」
 …実はそのあたりも一通り食べているとは言いにくい。フランス風のケーキ屋なので、早い時間にはクロワッサンなどもあり、それも冥月は買ったりしている。
「はうー、バイト代は一週間『フラン・ナチュール』のケーキ食べ放題なんで、冥月さんと一緒にお仕事したかったです」
 少ししょんぼりとしながら香里亜が言った言葉に心が動く。香里亜はケーキ食べ放題の方よりも、自分と一緒に仕事をしてみたいらしい。その様子を見て冥月は溜息をついた。
 一日のバイトで一週間も美味しいケーキを心行くまで食べられるのは悪くないし、香里亜と仕事をするのは楽しそうだ。
「その仕事一日だけなんだろうな」
「冥月さん、一緒にお仕事してくれるんですか?」
 ぱぁっと香里亜の表情が明るくなる。そんなに喜ぶようなことではないと思うのだが、「一緒に」というところが香里亜にとって重要なようだ。
「私も忙しいから一日だけだぞ。私は接客に向いてないからな」
「はい、一日一緒にお願いしますね」
 素直に喜ぶ香里亜を見ながら、冥月はコーヒーを飲みながらくすっと笑った。

 午前十時。
 冥月と香里亜は二人で『フラン・ナチュール』の裏玄関から中へと入っていった。
「おはようございます」
 開店は午前十一時で、キッチンではケーキの仕上げをしているパティシェが忙しく立ち回っている。そこに店長がやって来て、冥月の顔を見た。どうやら何度も来ているせいですっかり顔を覚えられているらしい。
「あ、冥月さ…」
「………!」
 ケーキ好きだと言うことはまだ内緒なので、冥月は香里亜が仕上げの方を見ている隙に店長の口を塞いだ。
「私とは初対面と言うことで。な!」
「………」
 冥月のあまりの迫力に、店長が黙って首を縦に振る。そんな事に全く気付かずに、香里亜は楽しそうに今日のケーキを確認していた。
「あ、『ムース・オ・ポム』に『アンナトルテ』…『ピスターシュのマカロン』も。こんなにケーキがあると幸せになっちゃいますね…って、お二人ともどうしたんですか?」
「いや、何も」
 くるりと振り向いた香里亜に、冥月と店長がぎこちなく微笑む。
「じゃあ、制服に着替えてもらおうかな。テイクアウトとカフェの方は制服が同じだから」
 『フラン・ナチュール』の制服は、白いブラウスに臙脂色の蝶ネクタイ、そして吊りスカートのようなチェックのエプロンに、ネクタイに合わせた膝丈より少し上のスカートという、シンプルではあるが可愛らしいデザインの物だった。ブラウスにもタックが入ったりしている。
「似合わん」
 それを着て鏡を見ながら冥月がそう嘆くと、香里亜はニコニコと笑いながらひょいと顔を出す。
「そんな事ないです。すごく可愛いですよ」
「あまり可愛いって言うな…」
 言われ慣れない言葉は聞いていると余計恥ずかしい。どちらかというと香里亜の方がこういう格好は似合うのだろうが、香里亜はエプロンを直しながらぽつりと呟く。
「このタイプのエプロンって冥月さんぐらいバストサイズがあるといいんですけど、私が着ると中学生の調理実習みたいです」
 そう言う香里亜の頭を撫でながら、フロアの方に出る。
 カフェの方は注文を取り、ケーキと飲み物を出す方向に気をつけるということや、テイクアウトでは注文を取りトレイに出したら、会計の前にもう一度ケーキを見せて確認を取るなど、細かい説明があった。
「ケーキの説明は大体分かるかな?お客様に聞かれたりするんだけど…」
「私はよく食べてるので分かりますけど、冥月さんは大丈夫ですか?」
 心配そうに見上げる香里亜を見て、冥月はふっと微笑んだ。ケーキどころか、焼き菓子の説明だって出来る。それぐらいこの店には何度も来ている。
「大丈夫だ。あちこち行ったりして見たことがあるしな」
「じゃあ、今日一日お願いします」
 そうして一日が始まった。

「いらっしゃいませ、お持ち帰りですか?」
「いえ、食べていきます」
 人気店だけあって、開店と同時に客が入ってくる。
 どちらがテイクアウトに付くとかは全く決めていなかったのだが、最初に客をカフェスペースへ案内してしまったせいで、冥月がずっとカフェの方に付いていた。
 きびきびとした動作が格好良く見えるのか、冥月は何故か女性にやたらと声をかけられるような気がする。
「この『アンナトルテ』の香り付けは何ですか?」
「ああ、『コアントロー』を少し入れてあります。間にはフランボワーズのソースを」
「『フラン・ナチュール』って、お店の名前と同じケーキなんですね」
「ええ。カスタードクリームを焼き上げたケーキで、パリにあるケーキ屋などでは必ずあるほどのポピュラーなケーキです」
 なんだか接客をしている時間より、客に質問されている時間の方が長いような気がする。香里亜の方は香里亜で、贈答用のマカロンの説明などをしていた。
「生クリームが苦手でしたら、その緑のマカロンがピスタチオを使ってますのでそちらはいかがでしょう?季節限定のゆずのマカロンなどもお勧めですが」
 カフェの客が引けると今度は片づけがある。
 ケーキを出した皿やティーカップを下げたりする時に香里亜が近くにやってきたりするのだが、また次の客が入ってくるのでその接客に回らなければならなくて、とてもじゃないが話したりする暇がない。
「いらっしゃいませ、お召し上がりですか?」
「はい」
 客が客を呼ぶという言葉があるが、まさにそんな感じだ。
 その時だった。
「あれ?冥月何でこんな所にいるんだ?」
 ……今、一番会いたくない奴が来た。草間 武彦(くさま・たけひこ)が、店内に入ってきて冥月の顔をしげしげと見る。
「今日一日だけ手伝いに入っているんだ。お召し上がりですか?」
「いや、事務所用に菓子買いに来たんだけど…何というか、見事なまでの女装だな」
 キジも鳴かれば撃たれまい。
 冥月はいつもの癖で武彦に見事な膝蹴りを入れた。その瞬間、店内が一瞬静まりかえる。
「しまった…」
 いつもの癖とはいえ、店内でつい手を出してしまった。これで客が怯えてしまったら困る…だがその後沸き上がったのは、冥月が考えていたのとは全く逆の声だった。
「格好いーい!」
「素敵…」
 よく分からない世界だ。額に手を当てる冥月に、武彦が顔を押さえながらにやにやと笑う。
「男前度が上がったな…さて、俺はケーキでも買って帰るわ」
 もう一撃殴っておけば良かった。
 冥月は客の声に答えながら、ショーケースでケーキを選んでいる武彦を睨み付けた。

 午後からは、店長判断で何故か冥月は男性用の制服を着ることになっていた。
「こっちの方がお客さん喜びそうだから」
 そう言われて出されたのは、シェフ用の制服と首に飾る臙脂色のネックチーフだった。確かにスカートよりはこっちの方が動きやすくていいのだが、それはそれで女性客に黄色い声を上げられるのが辛い。
「…バイト代は一週間ケーキ食べ放題だったな」
「何か不満でも?」
 大いに不満だ。普通に接客をするだけならいいがやたら声をかけられたり、紙ナプキンに携帯の番号を書いて置いていかれたりするのでは、とてもじゃないが割に合わない。それに、テイクアウトの方もかなり忙しそうで、香里亜が売り切れになった商品を補充したり、お祝い用などに焼き菓子を見繕ってたりしている。
「今日の売り上げが倍増だったら、一ヶ月食べ放題にしてもらうぞ」
 髪の毛を一つにまとめ、背筋を伸ばして冥月がフロアに出て行こうとする。すると、ケーキの在庫を数えている香里亜と目が合った。
「冥月さん格好いいです」
 それに冥月が何か答えようとしたときだった。カフェの方から「すいませーん」と声が上がる。
「すまん、呼ばれた」
 素早く席に行き、少し屈みながら伝票を用意する。
「お待たせしました、ご注文は?」
「今の時期お勧めのケーキありますか?」
 ショーケースに行けば好きなだけ見られるのに、何故わざわざ自分を呼ぶのか。これが武彦であれば「そこ行って好きなのを選べ」と一撃入れつつ言うのだが、流石に他の客にそうする訳にはいかない。
「そうですね、月並みですが『モンブラン』はいかがでしょう。フランス産のマロンペーストを使っていて、上品な甘さです。その他にも『抹茶スポンジのマロンケーキ』は、日本の栗を使っているので味の違いが楽しめますよ」
 なんだか説明している間の視線が痛い。そうしている間に別の男性客から声がかかり、そっちの方に香里亜が回る。
「お待たせいたしました。ご注文お伺いします」
「『キルシュトルテ』と『ザッハトルテ』にコーヒー二つ。あと、仕事何時までなの?」
 なんだか気が休まる暇がない。
 困っている香里亜の方に冥月はスッと行き注文を取る。
「『キルシュトルテ』と『ザッハトルテ』にコーヒーお二つですね。少々お待ち下さいませ」
 唖然としている男性客に冥月はふっと笑った。その隙にテイクアウトの客が入り、香里亜がそっちの方に回る。
「申し訳ございません、当店はケーキのお持ち帰りはよろしいですが、店員のお持ち帰りはやっておりませんので」
「ははは…すいません、冗談です」

 午後五時。
「ご苦労様、もうあがっていいよ」
 まだ店はやっているのだが、夕方のシフトで人手が足りたので冥月と香里亜の仕事はこれで終わりだった。
「店長、さっきの約束だが…」
「ああ、あれね。一週間を一ヶ月にしていいよ、今日はカフェの売り上げがすごく良かったから。二人に手伝ってもらって助かったよ」
 冥月の男装効果のせいか今日はカフェの売り上げが良かったらしく、約束通りケーキの食べ放題は一ヶ月にしてもらった。そうでなければ、黄色い声の応酬の割に合わない。
「お疲れ様でした。また忙しいときは呼んで下さいね」
 香里亜が店長に挨拶をし、更衣室で着替えをし始める。
「全く…なんだか気疲れした」
 そう言いながら冥月は香里亜の方を見た。だが、香里亜はなんだか元気がない。心なし拗ねているようにも見える。
「どうした、香里亜。何か機嫌でも悪いのか」
 すると香里亜は少ししょんぼりとしながらこう呟いた。
「一緒のお仕事だったのに、全然お話しできませんでした。助けてもらったお礼とかすぐに言いたかったのに」
 思えば食器を片づけたりしているとき何度か一緒にいたりしたのに、その度に客が入り全く話をする暇がなかった。それに、カフェの方が落ち着いているときはテイクアウトの方が混んでいたりして、昼休みも別々に食事をしたので一緒に仕事をしていた実感がない。
 そんな香里亜に冥月は苦笑しながら、ぽんと頭に手を乗せた。
 店にいたときに客にそんな事を言われても全く気にならないのに、香里亜が言うとなんだか構ってやりたくなる。そんなところが妹のようで可愛らしい。
「店で一緒にケーキ食べて帰るか?」
 その瞬間、香里亜の表情が明るくなった。そしていつもの笑顔が返ってくる。
「はい。カフェでお客様がケーキ食べてるの見ながら、ずっと『いいなー、私も食べたいなー』って思ってたんです。冥月さんと一緒に食べられるのって、何かすごい優越感というか嬉しいです」
「そんなに嬉しいか?」
「嬉しいです。だって、冥月さんあまりケーキとか食べないと思ってたんで…」
 そういえば、まだ香里亜には言っていなかった。
 それ以前に蒼月亭でも香里亜の作ったケーキなどを食べたりしているのだが、生クリームなどが好きというイメージがないらしい。それにまた苦笑して、冥月は香里亜にそっと耳打ちする。
「あまり他の奴には言うなよ。実は私はケーキが大好きなんだ」
「………!」
 それを聞き香里亜がにっこりと微笑んだ。
「分かりました、皆さんには内緒で。わーい、何のケーキ食べようかな…『タルトタタン』もいいし、『マカロン』も美味しいし…」
 食べ放題なのだから好きな物を片っ端から食べてもいいのに、一生懸命迷っている香里亜を見て冥月が笑う。
 最初に食べるケーキはこれしかないだろう。
「まず『フラン・ナチュール』を食べようか」
 その言葉に香里亜が大きく頷いた。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
2778/黒・冥月/女性/20歳/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒

◆ライター通信◆
アルバイトのお誘いありがとうございます、水月小織です。
いつものクールな冥月さんと違い、ケーキ屋さんという舞台で格好良く注文を取ったりする所を書かせていただきました。ケーキが好きなので、色々な名前などを出させていただきました。お店の名前もケーキの名前から取ってます。
帰りには、仲良く幸せそうにケーキを食べるんだろうなと思い、ラストは幸せそうな感じになってます。
リテイク、ご意見はご遠慮なくお願いいたします。
またよろしくお願いいたします。