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<東京怪談ノベル(シングル)>


やすらぎの指輪

 いつかその仕事を近くで見てみたい。
 陸玖 翠(りく・みどり)は、夜守 鴉(よるもり・からす)の「エンバーミング」という仕事を始めて見たときからそう思っていた。
 エンバーミングとは遺体に防腐、殺菌、修復処理を施し、遺体を限りなく生前の姿に近くするという技術のことで「遺体衛生保全」と訳される。
 初めて会ったときからその話はしていたのだが、先日鴉が依頼した事件に翠が関わっていたので、その報酬代わりに仕事を見せてもらうという約束をしていたのだが、なかなかその機会がなく、気が付くと空が秋独特の高さになるまで日は経っていた。
 もしかしたら色々と問題があるのだろうか…そんな事を思っていた頃、不意に翠の携帯に電話がかかってきたのだ。
「もしもし、礼の件だけど今日の午後二時に遺体が入るから、その気があるなら三十分前に俺の家に来て。時間厳守でよろしく」
 これを逃すと鴉は仕事を見せてくれなくなるかも知れない。翠はその言葉に従い、鴉の家の前までやってきていた。そこは見た目かなり古い洋館で、とてもではないが中に処置質があるようには見えない。
「七夜、お前は隠れていなさい」
 いつも連れている猫又の式神である七夜を隠し、翠は洋館のドアベルを鳴らした。
「どちら様?」
「私ですよ」
 両開きのドアが開くと、中から術衣姿の鴉が出てきた。病院以外でみる術衣はなんだか少し不思議だ。自分が立っている扉が日常と非日常の境目のような気さえもする。
「こんちは。急に呼びだしてごめんね。俺の仕事不規則だから、いつ頃って約束できないのよ」
「いえ、こちらこそ無理なお願いをしてしまったのでお互い様です」
 中は普通の作りのようにも見えるがだが、ストレッチャーや棺が通れるように廊下などが広く取られている。軽く会釈をしながら翠が中に入ると、まず応接間の方に通され缶コーヒーが出された。
「俺自炊とかって全くしないから、飲み物もこういうのしかないけど良かったらどうぞ」
「お構いなく」
 少し微笑みながら翠はそれを受け取り缶を開けた。
「飲みながらでいいから説明聞いてね。一応いろいろルールがあるから」
 鴉は術衣のままで、応接テーブルの上に白衣などの一式をぽんと置いてから説明をし始める。
「まず、処置室に入るときはこれに着替えてちょうだい。ちょっと重苦しいかも知れないけど顔を覆うバイザーやマスクもちゃんとつけて、途中で外さないで。どんな人でも例外はないから」
 それは感染防止のためだと鴉は念を押すように注意した。本来翠は不老不死なので感染などの危険はないのだが、例外はない…という言葉が、鴉の仕事意識の高さを感じさせる。
「私が病気などに感染しないと言ってもですか?」
 意地悪そうに少し微笑みながら翠がこう言うと、鴉は光彩が分かりにくい銀の目を細めて肩をすくめる。
「たとえ相手が神でも魔王でも例外はないね。それが出来ないのなら、俺の『聖域』には入れられない」
 聖域。
 確かにエンバーミングを施す場所は聖域とも言える場所だろう。そこに入った者は、よほど損傷がひどいものでなければ、時間が戻るかのように美しい姿に蘇ってその部屋を出てくる。翠が黙っていると、鴉はその緊張感を解くようにふっと笑った。
「まあ、それができないって人が『仕事見せて』なんて言うと思ってないけどね」
 他にも鴉は細かく翠に念を押した。
 遺体の身元に関して詮索しないこと、辺りの物を触らないこと、処置中に声をかけないこと。
「えっ?」
 前の二つに関しては翠でも理由は分かる。このような仕事には守秘義務があるし、個人的に調べたところではホルマリンなども使用するので、触られたら困る物も多いだろう。だが最後の「処置中に声をかけない」というのがよく分からない。
「それは、夜守殿に声をかけないと言うことですか?」
「そう。俺が死者と話せるってのも、エンバーミング中に話しかけながらやるってのも翠さん知ってるだろうけど、出来ればそれに集中したいから声をかけないで欲しいのよ。こっちの話が聞こえちゃうぶんには仕方ないんだけどね。それに話に熱中して手元が狂ったら困るし。俺にとっては数ある仕事の一つかも知れないけど、ご遺族や本人にとってはたった一度しかないことだから」
 それに関して拒否する理由はない。そもそも無理を言っているのは自分の方だ。翠は持っていた缶コーヒーをテーブルに置き、少し溜息をつく。
「分かりました。見せていただけるだけでもありがたいことですよ」

 白衣に着替え処置室の中に入ると、そこに横たわっていたのは四十代ほどの女性の遺体だった。部屋の隅には鴉が用意したのかパイプ椅子が置いてある。
「では、始めさせていただきます」
 黙祷を捧げ、鴉がエンバーミングに入った。硬直している遺体をマッサージし、表面の洗浄をする。やつれてはいるが、洗剤とスポンジで洗う様子を見ていると遺体だと言われなければマネキンと間違えそうなほど、その作業は淡々としている。
「…お疲れ様。大丈夫、俺に任せてくれれば世界一綺麗にするから」
『ありがとう。でも、貴方みたいに若い子に裸を見られるなんて恥ずかしいわ』
 それは死者との会話と言うよりも、ごく普通の日常会話のようだった。それを聞いた鴉がバイザーの下で笑う。
「お医者さんと同じだと思って。ちょっとメス入れるけど我慢してね」
 動脈から血を抜き、その代わりに水とホルマリン溶液などを混ぜた液体を入れていく。作業は淡々としているようにも見えるが、それでも冷たく見えないのは鴉と女性がずっと話しているせいだろう。
「うん、顔色が良くなってきた。マッサージは苦しくない?」
『優しいわね。でも私に聞かれても分からないの』
 その言葉を聞き翠は顔を上げた。そこには既に体から離れてしまった彼女の魂があり、翠の方を見て微笑んでいる。だが、鴉はその手を止めずに話を続けた。
「『魂の声』だけじゃなくて『体の声』も聞かないとね…っと、ごめん、ちょっとぶつけた」
 マッサージをした拍子にぶつかってしまった遺体の肘を、鴉はそっと撫でてからまたマッサージに戻った。彼女はその様子を見ながらくすっと微笑む。
『そこにいるのは貴方の彼女かしら』
「………!」
 翠と鴉が同じように首を横に振った。翠は声を出すのを一生懸命こらえたのだが、同じように首を振ったことに気付いたのか、鴉が翠の方を見て困ったように笑う。
「残念ながら、俺彼女いないんだよねー」
 軽口を叩きつつも、作業は淡々と続けられていく。
『そうなの?貴方ぐらい素敵なら、たくさん彼女がいそうなのに』
「それは病院で見るナースちゃんが可愛いのと同じ。多分街で見たら、瞳が銀色なのは全部白目に見えて怖いと思う」
 普段はおどけていたりしているが、こうやって話しているのはおそらく鴉の本音なのだろう。その意外な言葉に、翠は思わず聞き入っている。その時だった。
『そんな事ないわ。初めて貴方を見たとき、綺麗だと思ったもの』
「………」
『でも、生きているときに言えば良かったわね』
「そうだね、生きてるときにそれを聞きたかったよ」
 お互いそう呟いたきり、あとはただ機械の音や水音が処置室に響き渡るだけだった。

 アイキャップを入れ目が開かないようにしたり、口を接着剤で止めたりとやることはたくさんあった。遺体に残る注射の痕などはファンデーションなどで綺麗に隠していく。
 エンバーミングの最後は遺体に下着や服を着せ、髪のセットをし、最後の化粧をすることだった。翠は普段化粧をほとんどしないが、鴉がやっているのはなかなか興味深い。生前の写真を見ながら肌の色などを決め、何色も使いかなり厚く塗っているのに自然に見えるよう何度も確認しながら進めていく。
「『デースマンドレス(死装束)』が白だから、ピンク基調の化粧にしようか」
『お姫様みたいね』
 その姿を見て、翠は気が付いた。
 死装束などではない。白いドレスに結い上げた髪…それはウエディングドレスだ。それに気付いたのか、彼女が翠に向かって話しかける。
『私ね、ずっと結婚してなかったの。したくなかった訳じゃないけど、機会がないまま病気になっちゃって…せめて最後ぐらいは華やかにって、ホスピスにいたときに前もって夜守さんにエンバーミングを依頼してたのよ』
「………」
 声をかけてはいけない…それが前もって言われていたことだ。翠は黙って言葉を聞いている。すると鴉が振り返り、ちょいちょいと翠を手招きした。
 そこに近づいていくと、鴉は術衣のポケットから小さなケースを差し出した。中にはクリスタルで出来たピンクの花が着いている指輪が入っている。
『これをそこのお嬢さんにもらっていただけないかしら』
「えっ?」
 そう言ったのは翠ではなく鴉の方だった。鴉はケースを持ったまま、唖然と遺体の方を見る。そういえば、鴉は声は聞こえるがその姿を見ることは出来ないらしい。どうやら微笑みながら見下ろしているその姿も分かっていないようだ。
「俺、生前契約したときに『最後に男の人に指輪をもらいたい』って言われたから指輪買いに行って、その証人のつもりで翠さん呼んだんだけど」
『最初はそのつもりだったの。だけど、指輪もただ焼かれるためだけにつけられるより、生きている人に付けてもらった方が嬉しいと思ったのよ…お願い、付けてあげるところを私に見せて』
「…この人別に俺の彼女じゃないよ。ねぇ?」
「全くただの友人で、そんな関係は全くないのですが」
 困り果てる翠と鴉を見ながら彼女が悪戯っぽく微笑む。一体どうしたものか…そもそもこんな事になるとは思っていなかったので、翠が思わず苦笑いをしていると、鴉はその指輪を手に取った。
「仕方ない。俺からで良ければもらってやってくれる?」
「何か妙な会話ですねぇ」
 そう言いながらも翠は左手を差し出した。付けていたゴム製の手袋を外しその薬指にそっと指輪をつける。
「俺、翠さんの彼氏に怒られるんじゃないかな…」
 そう言って俯きながら困った表情をしている鴉と、それが面白くて笑っている翠の上からそっと声が聞こえた。
『最後のわがままを聞いてくれてありがとう…』

「今までの仕事の中で、超絶無茶な仕事だった…これなら一晩で四人エンバーミングとか、米軍基地のバイトの方が楽だ…」
 遺体を葬儀社に引き渡し、鴉は普段着に着替えぐったりしたようにソファーに倒れ込んだ。ただのエンバーミングならこんなに困らないのだろうが、ある意味鴉の素の姿を見られたことが翠はちょっと面白いと思っていた。
「翠さんもごめん。こんな事になると思ってなかった」
「いえいえ、なかなか面白かったですよ。ところでこれ、どういたしましょう?」
 翠が左手を見せると、鴉は何かをごまかすようにガシャガシャと缶を振る。だが思い切り振っているその缶は炭酸飲料だ。
「夜守殿、それコーラですよ」
「………」
 その言葉でやっと気付いたのか、鴉は動揺しつつ缶をテーブルに置いて深く溜息をついた。今までつかみ所がないか淡々としているかのどちらかだったのに、こんなに動揺しているのも珍しい。
「……好きにしていいよ。彼氏に問いつめられても困るだろうし」
「そんな人はいないので、素直にもらっておきますよ…勿体ないですしね。その代わりに質問をしてもよろしいでしょうか?」
「いいよ」
「不躾なことを伺いますが、夜守殿、『鴉』というのは本名ですか?」
 翠はそれが気になっていた。鳥の名を持つ者達と研究所…鴉もそれに関係があるのかも知れない。だが、鴉はきょとんとした顔で翠の方を見る。
「…そうだけど。壁に掛かってるライセンスにもちゃんと名前書いてあるよ。何聞かれるかと思ってドキドキしてたから、ちょっと拍子抜けした」
 それはアメリカの国家資格のエンバーミングライセンスだった。確かにそこには「Karasu Yorumori」と書かれており、鴉はそれを見て話を続ける。
「俺ん家、代々『カラス』って名前なんだよね。爺さんがそうしろって…爺さんは日本にいたらしくて、俺は爺さんにそっくりらしいよ。」
「そうですか…」
 もしかしたら、鴉自身は研究所とはあまり繋がりがないのかも知れない。今日の様子などを見て、翠はそう感じていた。研究所にいたような者ならもっと人生経験があるはずだし、こんな事で動揺はしないはずだ。もしかしたらその『代々カラスの名を付ける』と言った祖父の方が関係あるのかも知れない。
 鴉は振ってしまったコーラを冷蔵庫に戻し、別のジュースを開けながら翠の方を見る。
「そう言えばさ、翠さんって何やってる人なの?別に話したくなきゃいいんだけど」
「陰陽師ですよ」
 何事もなくさらりと翠が言うと、鴉も特に驚く様子もなくあっさり頷いている。
「ふーん…エンバーミングに興味あるって、もしかしてそっち方面?」
「施し方を見て呪に応用できないかと思ったのですが、かなり医療方面に特化してるんで驚きました」
 呪などに利用するには色々と面倒があるかも知れない。エンバーミングを施された遺体は、半永久的に美しい姿を留めていられるというが、それは技術あっての賜物であって翠が考えているものとはかなり系統が違う。
「医療だけじゃなくて、パテ使って欠損箇所の修復もしたりもするから造形もやるよ。もしかしたらそっちの方が応用できるかも知れないね」
 そう言いながら鴉が屈託なく笑い、ソファーから立ち上がった。
「あ、今日から俺のこと鴉って呼び捨てでいいよ。夜守殿って何か、戦国武将っぽくて落ち着かない」
「じゃあ、私のことも翠で。指輪も頂いた仲ですし」
「………!」
 指輪を見せながら翠が悪戯っぽく笑う。
 もしかしたらあの女性は、こうやって鴉と翠が友人になるための手伝いをしてくれたのかも知れない。左指に光るピンクのクリスタルガラスが光る指輪をそっと外し、翠はそれをポケットの中に滑り込ませた。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
6118/陸玖・翠/女性/23歳/(表)ゲームセンター店員(裏)陰陽師

◆ライター通信◆
シチュノベシングルの発注ありがとうございます。水月小織です。
前々からのお約束の「鴉の仕事風景を見せてもらう」という話でしたが、仕事風景を見つつもお互い友人として認識するという話にさせていただきました。その中でも少しだけ研究所などについても触れていますが、鴉自身は全くその事を知りません。
それにしても動揺激しいですね…生きてる人とはどうも付き合いが不器用な模様です。
リテイクやご意見はご遠慮なくお願いいたします。
今後とも、鴉とは友人として仲良くしてくださいませ。