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ケ・セラセラ
気付けば、あれほど嫌がらせのように鳴いていた蝉の合唱も、いつしかその勢いを沈めていく季節を迎えていた。
朝夕に吹く風は、もう夏のそれとは離れたものとなっている。
そろそろ半袖と長袖とを入れ替える時期なのだ。
――――と、いうわけで。
「ぃよっしゃああぁ! 衣替え、始めるぞー!」「きゅ・きゅうー!」
決起の声と共に両腕を高く持ち上げてガッツポーズなどとってみせる。特に意味はないものの、不思議と気合いがこもるというものだ。
鎮の家、鈴森家は、見た目こそごくごく『普通のご家庭』ではあるのだが、だがしかし。一見ごくごく平凡なご家庭であっても、それぞれにご家庭の内情というものを抱え持っているのと似たような事情が、この鈴森家にも存在する。
鈴森家の三兄弟の末っ子・鎮。鎮は今、肩にイヅナのくーちゃんを乗せて、自室のあちこちを引っくり返すという荒業に――いや、タンスの整理を行っているのだ。
「シャツの類は……うん、こっちでいいよな」
「きゅう」
「え? まじで? こっちにした方がいい? ……あ、ホントだ。すっげ、さすがくーちゃん!」
「きゅう!」
くーちゃんの巧みな指示も手伝ってか、それとももともとの量が少なかったのか。
鎮の洋服の入れ替えは、始めてからさほどの時間を要する事なく、ひどくすんなりと終幕するところとなった。
キレイに片付いたタンスの中を確かめて、鎮は満足そうな笑みを浮べる。
「ありがとな、くーちゃん。くーちゃんのおかげで、すっげ早く片付いたよ」
肩にいるくーちゃんに礼を述べると、くーちゃんは気恥ずかしげに「きゅー」と鳴き、小さな手のひらで鎮の頬をぺちぺちと叩いた。
「ぃよっし! ……問題は、こっちだよなあ」
くーちゃんの可愛らしさに目を細ませつつも、鎮は視線をちらりと、横に並ぶ小さなタンスの方へと向けた。
そこには人間が使うタンスにしては、少しばかり――否、随分とサイズの小さなタンスがあった。だが、引き出しの数だけを見てとるならば、今しがた終わらせたタンスよりも多い枚数を収める事が出来るようだ。……むろん、サイズの小さな服に限るだろうが。
「きゅ・きゅ」
「うん。いよっしゃ!」
くーちゃんに促され、鎮はニマリと頬を緩める。と、次の瞬間には、鎮の身体は人間の容とは異なるもの……イタチのそれへと変容したのだった。
「始めるか!」「きゅうー! きゅうー!」
再び、改めて高々とガッツポーズを決める。
――そう。これこそが鈴森家にあるご家庭の事情。
鎮は人間とは異なる種・妖怪に数えられる、鎌鼬の参番手なのだ。
カマイタチ姿をとった鎮は、くーちゃんとふたり、さっそくタンスの引き出しに挑みかかる。
「うぉりゃー!」
かけ声も勇ましく引き開けたタンスの中には、人間時用の服よりもはるかに多い数の衣装が――しかも種類も豊富に取り揃えられてあった。
一番初めに目についたミニチュアサイズのタキシードを両手でつかみ、
「あ、これこれ! こん時に食った菓子も美味かったよなあ〜」
「きゅ・きゅう」
言いながらタキシードを引っ張り出して、なんとはなしに腕を通す。
「くーちゃんも着てみなよ」
さらに、くーちゃん用のフォーマルドレスをつかみ、引っ張り出した。
「きゅう〜」
くーちゃんはかくかくとうなずきながら、鎮が差し伸べたドレスを身につける。
しばしの後に、タキシードを身につけたイタチとドレスを身につけたイヅナとが並んだ。
「おおお〜。なんかすげくね、これ。旦那様と奥様って感じじゃん」
全身が映る鏡(むろん、イタチサイズでの全身が映る鏡だが)を前に、ふたり並んでニッカリと笑う。
鏡ごしに見えるくーちゃんの頬が、心なしかしっとりとした紅を浮かべているような気がして、鎮は満面の笑みを浮かべて目を細ませた。
「よく似合ってるよ、くーちゃん!」
「きゅ・きゅう〜」
応えるくーちゃんの声は、視覚化すればきっと語尾にハートがついているに違いないというような、とてもとても甘い声だった。
それに気を好くした鎮は、タンスの中をさらに物色し、目についた二着をずるずると引っ張り出す。二着が抜け出たのと同時に、他の服もごちゃっと抜け出たが、それはそれでお構いなしにくーちゃんを見やる。
「ほら、くーちゃん、これこれ。次はこれ着てみよう」
引っ張り出したのは学生服とセーラー服。学生服には、学生帽がきちんとセットされている。
「きゅう」
こくこくとうなずいて、くーちゃんもセーラー服に腕を通した。
セーラー服は夏用のもので、襟部分に紺色の二本線が縫い付けられた、オーソドックスなデザインのものだった。
胸元でちょこんとリボンが揺れる。
鎮はセーラー服をまとったくーちゃんを確かめて、眩しげに両目を細めてのけぞった。
「かっ」
「きゅ?」
「かわいいっ!」
くーちゃんのあまりの可愛らしさに、思わず後ろへとのけぞった鎮だったが、そこで何事かを思いついたのか、はたりと動きを止めた。
「……学生服っつったら、次は体操服だよな」
独りごち、タンスの中に頭を突っ込む。程なくして引っ張り出されたそれは、やはりオーソドックスなデザインの体操服が二着。
「くーちゃんのはこっちな」
言いながら手渡したそれは、白い上着に紺色のブルマー。
「きゅ・きゅう〜!」
ブルマーを手にしたくーちゃんが抗議を口にした。
「え〜。ブルマーはいや?」
「きゅう!」
くーちゃんが激しくうなずくのを目にして、鎮はがっくりと肩を落とす。
「女子は難しいなあ。……じゃ、くーちゃんにはこっち」
差し伸べたのは体操服のズボン。
くーちゃんはズボンを鎮の手から奪い取り、さっさとそれに着替えを始めた。
次いで半袖と短パンに着替えた鎮は、そのままの恰好で部屋の真ん中に置いてある小さな丸テーブルの上へと飛び乗って、ぐらぐらと後ろへのけぞった。
「イナバウアー」
鎮が見せたそれは、フィギュアスケートの技のひとつ、レイバック・イナバウアー。
体操服を身につけてぐらぐらとのけぞる鎮に、くーちゃんがキャラキャラと笑い声をあげる。
くーちゃんが笑ったので、鎮はすっかり気を好くしてテーブルを降りた。
「次、次! 次はどれ着る!? だいたいは揃ってあるから、なんでも好きなの着てみようぜ!」
「きゅう〜!」
ふたりの勢いは、もはや誰にも止められない。
次いで引っ張り出されたのはシドを彷彿とさせるパンク&ロックなレザージャケットにシド・ネック・チェーン。それにスリムパンツを合わせて着れば、あっという間にロッカーの完成だ。
「どう? どう? 俺、シドみたい?」
くーちゃんを見ると、くーちゃんは目をきらきらと輝かせて鎮を見つめている。
「きゅう〜」
うっとりとうなずくくーちゃんに、鎮はてへへと照れ笑いなど浮かべ、頭を軽くかきむしった。
「そういえば、くーちゃん、これ買ったまま一回も着てないじゃん。せっかくだから着てみなよ」
シドなファッションでタンスに腕を突っ込み、引っ張り出したそれは、光沢のあるパールホワイト地に小花柄のなされたチャイナドレスだった。
「きゅうきゅう〜!」
くーちゃんの目がきらきらと輝く。
いそいそとチャイナドレスを身につけたくーちゃんは、スリッドも艶かしく、大人な空気の漂う女性へと変わる。
今度は鎮が目を輝かせる番だった。
「く、くーちゃん……っ!」
よろよろとよろけつつ、くーちゃんの肩をがしりと掴む。
「やっぱり、くーちゃんは最高だよ!!」
鎮の絶賛を、くーちゃんはただただ恥ずかしそうに聞き入っていた。
こうなると、もはやふたりの勢いは加速していくばかり。
「あ、これ! 次これにしようぜ!」
「きゅう〜!!」
そんなような会話は、部屋の外が真暗になるまで延々と続いた。
引き出しの多いタンスがすっかりと空になった頃、顔を上気させた鎮が満足そうに腰を落とした。
ちなみにこの時のふたりは、ベルサイユもかくやといわんばかりのフランス軍将校(むろん二角帽子は欠かさずに)とドレス姿だった。
豪奢な扇子でぱたぱたと扇ぐくーちゃんにかしずいたり、なぜかその恰好のままで再びイナバウアーをしたりと、まさに賑やかな数時間を過ごしていたふたりだったが――、
「……あれ」
イナバウアーついでに部屋の中を一望した鎮が、はたりと現実の中へと立ち戻る。
「……なんだこれ」
呟きを落としつつ体勢を元に戻し、唖然とした面持ちで部屋の中を見渡した。
つられて、くーちゃんも同じく部屋を一望している。
気付けば、当然の事ながら、部屋の中は強盗でも入ったのかと言わんばかりの有り様となっていたのだ。
ファッションショーで身につけた服、そのついでに引っ張り出されてきた服。それらが床の上と言わずテーブルの上と言わず、あらゆる場所で散らかっている。
部屋の中は、もはや足の踏み場もないような状態となっていたのだった。
フランス革命時の出で立ちをしたふたりは、しばしの間呆然と部屋を見渡して、やがてのろのろと互いの顔を見合わせた。
「……どうしよう、これ」
「……きゅ」
言葉を交わしあった、次の時。
階下から漂い流れてきた夕餉の気配に、ふたりはぴょこんと飛び上がる。
「夕飯食い終わってからでいっか!」
「きゅう!」
深くうなずきあうと、ふたりは急いで部屋を飛び出した。
この服装で夕飯を食べるのかと気がつくのは、もう少し後になってからの事。
―― 了 ――
Thank you for an order.
Moreover, I am waiting for the day which can meet.
2006 September 19
MR
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