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■ 『けもののきもち』へようこそ! ■
真柴・尚道(ましば・なおみち)は困惑顔で、目の前の建物を眺めた。
「PMHC(ペットメンタルヘルスクリニック)……けものみち?」
遠目にはファミレスと思われたのだが、看板からすると動物病院らしい。
どうして彼がこんなところにいるのかといえば、今しがた、カナルが入っていってしまったからである。
バイトの帰り道、いつのまにか傍らを歩いていたので、せっかくだから散歩でもしようといつもと違う角を曲ったのは小一時間ほど前のことだ。閑静というよりひと気のないひっそりとした住宅街の半ばあたりで、それまで左側をとことこと進んでいたカナルが急にはしゃぎだし、走り出した。なにしろ尚道がケージ代わりの出入り自由の身である。リードなどしていようはずもなく、呼びかけると立ち止まって尻尾を振るくせに、すぐに駆けていってしまう。テレビの動物番組なら「こっちこっち♪」とアテレコが入るところだ。やんちゃ盛りの子犬の気まぐれと諦め、追いかけているうちに、奇妙な構成の一角に出てしまった。
即ち、特大の豆の木に似た形状の塔のある霊園、高級車と重機がごちゃごちゃに並んでいる駐車場、そしてこの、『けものみち』。
「なにやってんだ、あいつ……」
尚道は財布を探った。お堅い仕事から危険なヤマまでこなしているため貯えこそ十分あるものの、多額の現金を持ち歩く習慣はない。案の定たむろしているのは野口英世が数人というありさまだったが、再度看板を確認すると、診察時間やら休診日やらに混じって分割OK・各種カード取扱いとあった。
「よし」
一応、心構えをしておくにこしたことはないだろう。うちの子が迷い込んだので引取りに来ました、はいどうぞ、で済めば大いに結構だが、いかんせん病院にしてはマニアックなバーじみた胡散くさい名称だ。
それに、と長い足で玄関ポーチの階段をひと跨ぎに上がりつつ尚道は思った。もしかしたら本当に診察が必要な可能性も捨てきれない。彼はカナルをペットとして見ているし、カナルも飼主として慕ってくれている。それでも、“カナルと名づけた子犬”の枠に収まらない部分は確かにあるのだ。具合が悪いようには見えなかったが、ことによると、自分の意志で来院したのかもしれない。だとしたら。
「……賢いじゃねえか」
いかん、俺は今、親バカな顔をしている――
照れくさげに頭をかき、尚道は自動ドアのマットを踏んだ。
「いらっしゃいませなのです!」
「うお近ッ」
至近距離の満面の笑みに、尚道は思わず一歩下がった。
出迎えたのは、やけにつぶらな瞳の大男であった。縦は身長190cmの尚道と張るが、横幅は倍以上ある。“助手とかいろいろ”というよくわからない名札を止めた白衣が、気の毒なほど似合わない。
「『けもののきもち』へようこそなのです! 初めての方なのですか?」
あ、けものみちじゃなかったのか、そりゃそうだよな、と納得したのも束の間、
予想とは違う意味で胡散くせぇ……!
尚道は苦笑した。もっとも、変えがたいとはいえの足もとまである波うつ黒髪にバンダナという風体の自分が言う筋でもなかろうが。
「悪ぃ、客じゃないかもしれねえんだ。うちのカナルが勝手に入っちまったんだが、いないかな? ガタイのいい真っ黒な子犬で、こんな――彼は自身のチョーカーを示した――首輪をしてて、ちょっとドーベルマン風だが断耳断尾はなし、走ると耳がひらひらして可愛い……」
尚道は言葉を切った。
「なあ、あれ、なんだ?」
指さした先、タイル張りの床の上を蠢くものがあった。テニスボールよりやや大きめの、もこもこした輪郭は小動物の後姿と取れなくもないが、色は渋い緑だし、動き方もどことなく不自然だ。よく見れば床といわず壁といわず、だだっぴろい待合室のそこかしこにいるではないか。
「ああ、あなたは見える人なのですね?」
年恰好のわりに無邪気な笑顔で不審な台詞を吐く男を問いただそうとした尚道は、しかし、彼方からいっさんに駆けてくる姿に目を奪われた。
「カナル?! おまえ、なにやってんだよ!」
真っ黒な子犬は元気に吠え、ちぎれんばかりに尻尾を振って主人の周りを飛び跳ねた。こう喜ばれては敵わない。尚道はしゃがんで、耳の後ろを掻いてやった。
「その子がカナル君なのですね? さっきからサビシーダマ集めをお手伝いしてくれているのです。いい子なのです」
「錆び……なんだって?」
褒めてくれるのは嬉しいのだが、一緒に変な言葉を聞いたような気がする。
ころんと転がったカナルの腹を掻きながら見上げる尚道に、白衣の色黒マッチョが答えた。
「サビシーダマは寂しい魂なのです。寂しくて構ってほしくて迷子になったのです。とりあえず人畜無害ですが、放っておくとどんどん増えて大変なので、全員集合して帰ってもらうのです。よかったらカナル君のおとうさんも手伝ってくれたら嬉しいのです」
「――つまり、もたもた這ってる毛玉をこう、かたっぱしから捕まえて、ここに積んでいけばいいんだな?」
尚道は受付カウンター横断を試みている一体を手に取り、待合室中央の山に加えた。一定量の仲間とくっつくと安心するのか、新参のサビシーダマは移動をやめ、キイキイピイピイと微かに囀りだした。
「助かりますなのです真柴さん。あとでお茶とお菓子をご馳走しますのです。辛いのと酸っぱいの、どっちが好きですか?」
「頼むから甘いの」
「了解なのです」
久朗(くろう)と名乗った“助手とかいろいろ”男が、にこにこと笑う。聞けば、このクリニックは霊道の“ようなもの”にぶちあたっており、“流れ”の加減で様々な現象が起ってしまうのだそうな。そういえば、かけもちバイト中に怪人白衣ババアなる鬼婆が支配するというご町内屈指のオカルトスポット話を耳にした記憶がある。人によって妖怪、宇宙人、地縛霊と正体が異なるので、単なるネタと流してしまっていたが……
改めてぐるりを見回しその気で探れば、なるほど、生身でなくなって久しい、あるいは生身であったこともない輩の気配が渦巻いている。害意が感じられなかったため、無意識に遮断していたようだ。
「たまにおかあさんの裏技の副作用がミックスされたりして、それはそれは大変なのです」
「今もじゅうぶん大変だと思うぞ」
大男二人がサビシーダマ果樹園の収穫よろしく椅子の上や壁からむしったのを腕に抱えて運ぶ一方、カナルはサビシーダマ牧場の牧羊犬と化していた。すなわち、床をにじる毛玉の小グループを追い立て、誘導するのだ。動こうとしない強情な奴や、はぐれた奴はそっと咥えて連れて行く。
賢い。さすがはうちのカナルだ――
「真柴さん、親バカさんな顔になってるのです」
「うるせえよ」
照れ隠しにせっせと集めて回った甲斐あって、ほどなくサビシーダマはうず高く積み上がった。標高およそ1.5m、清潔な室内の明るい灯火の下でうねうねと脈動する緑の稜線は、なかなかシュールだ。
「ところで寂しい魂って、なんの魂なんだ?」
「よくわからないのです。おかあさんも知らないのです」
「じゃ、マリモのぬいぐるみもどきなのは?」
「前に大発生した時に、構って欲しけりゃ万人受けしそうな格好をしろ、とおかあさんがお説教したのです」
「受けるかぁ、これ?」
ちょうどカナルが意気揚々と咥えてきた最後の一体とおぼしきサビシーダマを受け取って、尚道はしげしげと眺めた。なぜかほんのり林檎の匂いがするふさふさを試しにひっくり返すと、桃色をしたウレタンマット状の凸凹がびっしりついている。凸が“肢”、そのひとつひとつからふわふわとなびいている無数の和毛(にこげ)が感覚器官といったところか。
「はい。とっても愛らしくなったのです。最初はすごい臭いでうるさい音でこわい形だったのです。おかあさん、怒って踏ん潰しかけたのです」
「あんたのおかあさんて一体……」
こいつの母親なら身長5m、体重1tくらいありそうだ。おそるべし、鬼婆。
「おかあさんは僕のおかあさんですが人間だからほんとのおかあさんではないのです」
「……ええと」
返事に窮していると、手の中でカチカチと陶器がぶつかりあうのに似た音がした。見れば桃色マットに裂け目が入り、何重にも並んだ歯を噛み鳴らしている。
「おお、悪かったな」
いくら謎の物体でも逆さまは苦しかろうと、尚道はサビシーダマをもとに戻した。顔を上げると、久朗がこれ以上ないくらいの笑顔になっていた。
「なんだ?」
ふと尚道の頭を、尻尾をぶんぶん振っている超大型犬のイメージがかすめた。
「さすがカナル君のおとうさんなのです。もしびっくりして放り投げていたらちょっと困ったことになっていたのです」
「そういう注意は最初にだな……まあいいや。ちなみに他に気をつけることってあったのか?」
「毛を引っ張らない、悪口をいわない、お湯をかけない、それから」
「そんなにかよ!」
半ば呆れ半ば笑いながら、手にした一体を山のてっぺんに乗せた、そのとき。
どすんっ、と突き上げるような縦揺れが来た。次いで、激しい横揺れ。サビシーダマが耐え切れずにぼろぼろと崩れていった。足を取られぬよう、甲高い悲鳴とともに転がる毛玉の群れから飛びしさり、
「カナル!」
大急ぎで駆け寄ってきた子犬は彼の中に飛び込んだ。同時に派手な音を立てて、広い室内すべての蛍光管が弾け散る。揺れにあわせてテーブルや椅子が滑り、跳ね、倒れる。けれども、手近な椅子からクッションを取って頭を庇い、体を低くしたあたりで、揺れは唐突に止んだ。何事もなかったかのように、灯りが点く――確かに割れたはずの蛍光管には、ヒビひとつ入っていなかった。
「へえ、やっとオカルトスポットらしくなってきたな。お次は何だ?」
その手のバイトで場数を踏んでいる尚道である。地震もどきのポルターガイスト程度では動じない。こいつはきっと、大物登場の前触れに違いない。再び実体化したカナルを抱き上げると、こちらも主同様へいきのへいざだが、しきりに鼻をうごめかせている。
「どうしたカナ……」
問いかけて、尚道も漂う甘い香りに気づいた。上がりかけたテンションに水を差す、いやぁな予感がする。
「真柴さん、サビシーダマが!」
――なんで催促なんかしたんだ、俺。
のろのろと振り向いた先には、高さゆうに3mはあろうかという超大物のサビシーダマが、所在なげにもぞもぞしていた。
「……ちょっとベタすぎないか?」
身も蓋もない感想を述べる彼に同意するように、カナルが鼻を鳴らした。
「サビシーダマは物理的な衝撃を受けると、側にあったものと融合しちゃうのです」
久朗が言った。さすがのにこにこマッチョもげんなりした様子だ。
「相手が生き物だった場合、もう寂しくなくなって消えちゃうのです。器物だった場合は、もっと寂しくなって付喪神になっちゃうのです。仲間だった場合は……」
「巨大化するのか」
「匂いも林檎とシナモンとバターに変わるのです」
「アップルパイかよ」
尚道のつっこみにも勢いがない。カナルもすっかり気が抜けたのか、床に伸びていた。
「で、どうすんだ、あいつ」
「どうしましょう」
「いやぁ、育ったねえ! こりゃまいったわ、あっはっは」
不意に背後でどら声が響き、二人と一匹は飛び上がった。
奥から待合室へずかずかとやって来たのは、どう贔屓目に見ても堅気には程遠い雰囲気の、白衣の強面のおばちゃんであった。
「あ、おかあさん!」
「……案外小柄だな」
ほとんど“だいだらぼっち”化していたイメージを修正しつつ、尚道はひとりごちる。久朗は血が繋がっていないと言っていたが、ともに銀の短髪色黒でむやみに元気で、白衣が似合わないところまで実によく似ていた。
「ようこそ! ダイエットから痴情のもつれまで、ペットのお悩みどんとこい! 私が当クリニック院長の隨豪寺(ずいごうじ)です。さて、患畜はそちらのわんちゃんですかな?」
「違うのですおかあさん、真柴さんとカナル君はサビシーダマ集めの助っ人さんなのです」
久朗の説明に、隨豪寺は額の眼鏡を更にずり上げた。
「ああ、久朗のお友達かい、こりゃ失敬。そうかい、お疲れ様、大変だったろう。じゃあ、ケーキでお茶にしようか。苦いのとしょっぱいの、どっちがいいかね」
「素直に甘い物食わしてくれよ……お疲れ様ったって、ありゃどうするんだ。放ったらかしか?」
白衣をひるがえし、さっさと奥へ取って戻そうとした隨豪寺を呼び止め、巨大サビシーダマに顎をしゃくる。わずかの間とはいえかかわりを持ち、また生き物めいたところもあるだけに、誰にとっても予定外らしき姿がいささか哀れに思えたのだ。
おばちゃん院長はそんな尚道を見、巨大サビシーダマを見、カナルを見、また尚道を見て、ちらりと微笑った。
「もちろん連れてくさ。そのために苦労して道、繋げたんだから。ちょいと副作用でちまったけど」
その言いぐさに、ピンときた。
「あんたか、さっきの揺れは!」
「ご明察」
巨大サビシーダマ製造責任者は、しれっと答えた。
「まとまっちゃったなら多少頭もよくなるから話が通じていいやね。久朗、ご苦労だけど第三診療室まで頼むよ。私はお茶の支度をするから」
「了解なのです。さ、こっちに来るのです……ううん、そっちじゃないのです、こっちなのです」
俺は今日ほど呆れっぱなしな日はないかもしれない……
根気よく誘導する白衣のマッチョの後から、その図体が通るには狭い廊下をあちこちへこませながら器用に移動する緑のふさふさを、尚道は馬鹿馬鹿しくも感慨深く眺めた――
――が、呆れの種はまだ尽きてはいなかった。
「……どう見ても大草原です」
「ありがとうございましたなのです」
呟く尚道に久朗が間の抜けた口調で付け加え、男二人は呆然と立ちつくしていた。喜んでいるのは帰り道を見つけたのか一行から離れて這い進みだした巨大サビシーダマと、そよぐ夏草に飛び跳ねるカナルだけだ。
“第三診療室”の扉の向うは、爽やかな初夏の風渡る草原であった。それはもう目路の限り、360度の大パノラマだ。
「いやぁ、なんか、時空が歪んじゃってさ」
振り返ると隨豪寺院長がいた。彼女の背後には扉の形に切り取られたもとの空間――クリニックの廊下が見えている。しかし、コーヒーポットやらマグカップやらケーキの紙箱やらその他もろもろを両腕に抱えたまま、後ろ手ならぬ後ろ足で勢いよく扉を閉めたとたん、そこにあるのは青空だけになった。
「こないだ囀りマリモちゃん達を送り返した回線を開いたら、怪しげな海底神殿と混線しかけてさあ。慌てて裏技重ねがけしまくったら、まあなんということでしょう、こんな素敵な原っぱに」
とレジャーシートを敷いて皿を並べながら、怪人白衣ババアはヒヒヒと笑った。
「おかあさん……自由すぎなのです」
「結果オーライだよ。屋内に野外ドッグランのあるクリニックなんて、世界中探したってうちだけじゃないか。ねえ、真柴さん?」
そりゃ、どこに続いているかわからないようなドッグランが世界中にあったら問題だからな……
尚道は、今はもう点ほどになったサビシーダマを目で追った。草の海に見え隠れする姿は、波間をたゆたい遠ざかる海月を思わせる。
「大丈夫、ちゃんと帰れるのです」
隣で久朗がにっこりした。
「だよな」
尚道も笑顔で応える。と、ここで終わればそれなりに格好がついたのだが、
「お茶が冷めるよ。なんなら先に撮影するかい?」
台詞後半の不審さに見やれば、大あぐらでエクレアをぱくつく院長の横には、どこから出したのかデジタルカメラと三脚。
「撮影?」
ともあれ座ってコーヒーとアップルパイ(!)の皿を受取り、聞いてみる。
「ドッグランはじめました、ってポスターを待合室に貼るのさ。真柴さんとカナル君ならいい絵になる。勝手に撮るから、適当に遊んでてくれたらいいし、モデル代は今後このスペースの貸切使い放題。どうかね?」
「あやしい空間が使い放題でもなあ……」
「一定範囲しか行けないようにするし、必ずスタッフが付き添うよ」
尚道は肩越しに視線を落とした。彼が座ったことで長い髪がマントのように広がったのが面白いらしく、カナルはその上に寝転んでそのまま消えては水面に跳ねる魚よろしく勢いよく飛び出してと、飽かず繰り返している。しぐさはあどけない子犬のそれなのだが、やっていることは超常現象だ。
ここなら、こいつがいきなり出入りしたくらいでびっくりされることもないだろう。思い切り走らせてやることもできるし、副作用――この院長ならたぶん、またやらかす――とやらのせいでちょっとした探検もできるかもしれない……
「そういうことならまあ、いいかな」
渋々という風を装ったにもかかわらず、隨豪寺院長は見透かしたようににやりとした。
「いいねぇ、その親バカフェイス」
「ほっとけ!」
後日、『けもののきもち』待合室に貼られた“ぬばたまの髪をなびかせた美青年が漆黒の子犬と草原でたわむれる”ポスターは患者、患畜、野次馬の間で大評判となったのだが、デジタル技術を駆使したそのあまりに麗しい仕上がりに、モデル当人は「誰だこれは!!」と叫ぶや頭を抱えたという――
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【21581/真柴・尚道(ましば・なおみち)/男/21歳/フリーター(壊し屋…もとい…元破壊神)】
【NPC/隨豪寺・徳/女/54歳/動物心霊療法士】
【NPC/只乃・久朗/男/50歳/助手権雑用係】
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■ ライター通信 ■
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はじめまして、真柴・尚道様。
まずは、納品の遅れをお詫び申し上げます!
カナル君に大甘の尚道おとうさん、いかがでしたでしょうか。
NPCがアレなおかげですっかりつっこみ役になってしまいましたが、
親睦は深められたかと思われます。
それでは、またご縁がありましたら、よろしくお願い致します。
三芭ロウ 拝
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