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ハプニングはコスプレで
「はあ〜……山歩きは辛いなあ」
ファルス・ティレイラは細い足を前に前に押し出しながら、うんざりとうめいていた。
「山の中にしかない材料をとってこいって……ひどい依頼だなあ……」
現在フリーターと言う名のなんでも屋な彼女は、逆に言えば仕事を選べない状況にいる。まだまだ若い乙女とは言え、重労働もしなくてはいけないのだ。
……若い乙女と言いながら、彼女は実は竜族なのだが。
彼女の紫の入り混じった黒髪が、汗で濡れる。
「や〜っ。べたべたするぅ……」
こんなときばかりは、自分の髪が長いことを後悔してしまうファルスである。
山はまだ中腹。目的のものはもっと上のほうにあると聞いている。
ファルスは近場の大きな木にもたれかかって、「疲れた〜!」と大声をあげた。
「はあ、もう早くうちに帰って思いっきりシャワーを浴びたーい!」
と、彼女が叫んだ瞬間――
ぽつ
ぽつ ぽつ ぽつ
「……へ?」
ファルスは思わず手を差し出してみた。
ぽつ
たしかに手にあたる覚えのある感触。そして、
ぽつ ぽつ ぽつぽつぽつぽつ
「わ、わ、ちょっと待、これはヤバ、」
ファルスの慌てぶりもむなしく、
ざーーーーーーーー
「雨ーーーーー!?」
ファルスはきゃああと頭を抱えた。天然シャワー、とか言ってる場合じゃない。
「ひどいひどいひどいー!」
こんなことになってもお給料はあがらないのに、などと思いながら、ファルスはとにかく目的地のある山の上に向かって駆け出した。
**********
デルタ・セレスは山頂から山を降りてくる途中だった。
はああ、とため息をつきながら。
「残念だなあ……うわさの金のりんご、やっぱり生えてなかった」
彼は無類のりんご好きだった。一日に二〜三個は食べている。
今日も、うわさの『金のりんご』を求めてこんな山を登ってくる最中に、もしゃもしゃとりんごを食べていた。
ふと手を見下ろすと、抱えてきていたりんご全部がなくなっている――
「あ、なくなっちゃった」
デルタはもう一度ため息をついた。
まだ山をくだり切るまでには時間がある。なんだか口寂しい。
足を止めて、うん、と伸びをする。
「うちに帰ったら……どうするかなあ……」
ぼやいた、そのとき、
『疲れた〜!』
どこからか、声が聞こえてきた。
若い女の子の声だ。下のほうから聞こえてくる。
『はあ、もう早くうちに帰って思いっきりシャワーを浴びたーい!』
「シャワー……かあ」
デルタはつぶやいた。「そうだよね。うちに帰ったらまずシャワーかなあ」
それにしても、声の主の女の子はまだ帰れない状況にあるらしい。いったいどんな用があってこの山に来たのだろう。ひょっとして彼女も『金のりんご』を求めているのだろうか。
そんなことを思っていたそのとき――
ぽつ
ぽつ ぽつ ぽつ
「……あれ?」
デルタは頬にかかってきた感触に反応して、空を見上げた。
ぽっ ぽっ ぽっ
頬に、たしかに覚えのある感触……
「わ、これひょっとして」
ぽつ ぽつ ぽつぽつぽつぽつ
「雨だ!」
言った瞬間に、
ざーーーーーーーー
「うわー本格的に降り出した……っ」
デルタは頭を抱えて、すべらないよう慎重に山をくだり始めた。
りんごを持ってなくてよかったと、そのときデルタは初めて思ったという。
**********
「あ〜やみそうにないよ〜!」
ファルスが頭を抱えたまま、そっと天を見上げるようなしぐさをしてつぶやく。
雨はざあざあと大降り、声も大きく出さなくては聞こえそうにない。と言って、聞かせる相手もいないのだが、ファルスは何となく大声でわめいていた。
「そうですねー!」
「どうしよう、今日中に仕事終えられるかなあ!」
「お仕事中だったんですかー!」
「今日中に『金のりんご』見つけてこいって――あれ?」
ようやく気づいて、ファルスは前を見た。
ほんの少し山を上にあがったところに、自分と同い年ほどと思える少年がいた。
ファルスはきゃっと飛び上がった。
「だ、だ、だ、誰!?」
「僕ですかー!? デルタ・セレスって言いますー!」
雨に負けないような大声で、デルタが自己紹介してきた。
こんな山の中で人を見つけられた。ファルスは嬉しくなって、
「すみませんー! 雨宿りできそうな場所知りませんかー!」
と少年に訊いた。
少年は少し上を指差した。
「あっちに! 無人の一軒屋があります! あなたの声が聞こえていたので、一応お知らせにと思っておりてきました!」
「〜〜〜〜〜〜」
何ていい子だろう。ファルスは嬉しくなって山を駆け上ろうとした。
ずるっべしょっ
……濡れた山道は、ファルスには優しくしてくれなかった。
**********
無人の一軒屋に入る前に、ファルスはこけて体についた泥を雨で流した。
少年が一軒屋の扉を開けて、こっちこっちと手招きしてくれる。
ファルスは慌てて、一軒屋に飛び込んだ。
一軒屋の中には、少年とファルス以外に誰もいなかった。
「カーテンがあるので、とりあえずこれで体拭かせてもらっちゃいましょう」
デルタが薄い布を持ってくる。
「あ、ありがとう。……自己紹介遅れちゃったね。私、ファルス・ティレイラです」
「いえ。雨に降られちゃった者同士、よろしくお願いします」
デルタの言い方に、ファルスは笑った。
カーテンで体を拭く、と言ってもやっぱりずぶ濡れには物足りない。
「ここ……昔は誰か住んでいたのかな」
ファルスは、山小屋にしてはしっかりしているその家を見上げる。
「じゃあ、服の替えもあるかもしれませんね」
デルタはぽんと手を叩いた。「この家の持ち主さんには悪いですけど、それを拝借しちゃいましょう」
「そうだね。後で乾かしておけばいいよね」
ファルスはその提案に乗った。
二人で服のありそうな場所をさがしていく。いくつかあった部屋のクローゼットをさぐってみると、あるひとつのクローゼットにだけ服が入っていた。
なぜか。
なぜか、セーラー服とメイド服。
いったいなにゆえこんな服だけしか置いてないのか、二人は真剣に悩んだ。こんなものを着ていたら、明らかなコスプレになってしまう。
……しかし、今着ている服は冷えて、冷たくなってきていた。
「風邪、引くより……」
「着替えるしか、ないですよね……」
ファルスとデルタは硬い表情で顔を見合わせて、
それから、意を決して「うん」とうなずきあった。
相談の結果、ファルスはセーラー服に、デルタはメイド服に着替えることになった。
ファルスはともかく、男の子であるデルタに異様にメイド服が似合っているのは問題だ、とファルスはひそかに思ったりしたが――
デルタはそんなことは特に気にする風でもなく、部屋に置いてあった鏡で自分の姿を見て、
「あ、こーゆー服着ると姉さんとか妹に似てる気がする」
などと言っている。
「お姉さんと妹さんがいるんだー」
ファルスは椅子に座って、ふうと息をついた。
濡れた服は、しぼって物干し竿にかけてきた。持っていた荷物は今、テーブルに置いてある。
デルタのほうは登山用具を持っていただけだった。
ファルスのほうは、自分が竜族だから体力では負けないと、大した登山道具は持ってきていない。代わりに――
ひとつの瓶を持ってきていた。
なぜその瓶を持っていたかというと……いざというときの護身用だったのだが――
「この瓶、割れなくてよかった……」
ファルスは安堵の息を吐く。
ふと窓から外を見やると、雨がざあざあとやむ様子もなく降っていた。
「あれ? ファルスさん」
デルタがふと振り向いて、テーブルの上に視線をとめた。
「その瓶なんですか?」
「あ、それは……」
問題の小瓶をデルタが持ち上げ、しげしげと見つめる。
青い小瓶だった。中身の色はよく分からない。
デルタは興味津々でそれをあらゆる方向から眺め回した。そして――
「あ、あんまり触っちゃだめ……!」
ファルスがデルタに向かって手を伸ばした瞬間――
つるっ
デルタの手から、青い小瓶がすべり落ちた。
こんっ
小瓶は床に落ちてふたが取れ、
ぱしゃっ
中身が飛び散った。
ファルスとデルタ、二人の足に――
その小瓶には、ファルスがよく仕事に行く先でもらった薬が入っていた。
いざというときの護身用。そう、中身をぶちまければ相手を石化させることのできる――
その日。無人の一軒屋にて。
セーラー服の竜族の少女と、メイド服の少年が。
ざあざあと降る雨の音に包まれながら、石化していた。
遅かった……とファルスは冷や汗をかいていた。
ひ〜、とデルタは泣きそうになっていた。
**********
雨の音がやんできた――
「……ルスさん。ファルスさん」
声が出るようになり、デルタはファルスにおそるおそる声をかけた。
「石化……解けてます?」
「動いてみて……」
ファルスはぐったりとしてその場にしゃがみこむ。実をいうとファルスは石化だのなんだのには慣れていたりもする。
デルタは静かに腕を動かしてみる。
――動いた。デルタはやったと心底嬉しそうに両腕をあげた。
鏡を見れば、石化していないメイド服の少年が映っている。
「動くって、嬉しいものですね!」
デルタは満面の笑顔でそう言った。
二人の元の服は、室内乾燥なので大して乾いてはいなかった。が、二人は即服を着替え、セーラー服とメイド服をクローゼットにしまった。
「――え? ファルスさん『金のりんご』を探しにいらっしゃったんですか?」
「うん」
「あれなら、生えてませんでしたよ。僕たしかめてきましたもん」
「ほんとに〜〜〜!?」
デルタの言葉に、ファルスは泣きそうな声で「こんなとこまで歩いてきたのに〜!」とわめいた。
「まあまあファルスさん」
デルタはのんびりと手を差し出してきた。
「『金のりんご』はなかったって僕も証言しますから、一緒に帰りましょう」
「ありがとう〜〜〜」
本当になんていい子なんだろうと思いながら、ファルスはデルタの手を取った。
びしょびしょの山道。滑って転ばないよう、二人で手をつないで歩く。
雨の後の日光が神秘的に木々の間に差し込んできて、悲惨な目に遭っていた少年少女を優しく、優しく照らし出していた。
―Fin―
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