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<東京怪談・PCゲームノベル>


過去の労働の記憶は甘美なり

 喉の渇きを癒やすためだけであれば、糟汁を飲めばよい。
 落ち込んだり、悲しくなったり、腹が立ったりしたときは、酔うために飲めばよい。
 しかし、宵の物憂い気怠さを払いたければ、飲むのはお茶だ。
 ルウ・コウ 『茶の典雅』より

「いつ読んデモ、これは名文ですネ…」
 古いイギリスのティータイムに関する本を閉じ、濃紺のスーツに身を包んだデリク・オーロフは、とあるカフェで少し遅めの昼食を取っていた。
 今日は午後からの授業がない日なので、美味しい紅茶が飲める店という噂を聞きこの『蒼月亭』にやって来たのだが、目の前にある英国式のミルクティーとサンドウィッチはなかなか悪くない。
 硬水で入れた紅茶にクリームラインが出るほどのミルク、それにキュウリとミントバターや、スモークサーモン、ハーブ入りクリームチーズのサンドウイッチ…それを楽しみながら、デリクはカウンターの中にいる少女に声をかけた。
「もしかしてここの紅茶は、ミルクティーとストレートティーで水を換えてマスか?」
「はい、そうです。軟水で入れると茶葉の味がよく分かりますけど、ミルクティーだとミルクに味が負けてしまうので…お客様、紅茶に詳しいですね」
「ええ、私はイギリスから来てマスので。紅茶もサンドウイッチも美味しいデスよ」
 デリクがそう言うと、少女がまた嬉しそうに笑う。
「ありがとうございます。紅茶の本場からいらっしゃったお客様にそう言われると、嬉しいです」
 そんな事を話しながら、デリクは店の中に貼っている紙が気になっていた。
 『アルバイト求む』
 それは特に仕事の内容や時間などが書かれているわけではなく、ただ一言その文句だけが書かれている。そのたった一言の裏に、何か自分の好奇心を刺激する何かがあるのではないだろうか…そう思うとデリクの興味がそそられる。
 それが気になっていることに気付いたのか、少女が張り紙に目を向けた。
「あの張り紙、気になります?」
「エエ、条件も何も書いてないのは珍しいデス。何か裏に面白いことが隠れてそうナ、そんな予感がしマス」
 その時だった。
 消したばかりの煙草の香りと共に、キッチンの方から色黒で長身の男が現れた。そういえばデリクが店に入ったときは一緒にカウンターの中にいたはずだ。多分この男が店のマスターなのだろう。
「ナイトホークさん、どこ行ってたんですか?」
「ん?紅茶の邪魔になるから裏で煙草吸ってた…お客さん、その張り紙に興味があるなら、ちょっと話聞いてかない?」
 ニヤッと不敵に笑うナイトホークに、デリクも目を細める。
「元よりそのつもりデス。私も世間の皆サンと同じように、楽しくてやりがいのある仕事を求めているワケですヨ」
 これから話されることは、自分の心を刺激してくれるだろうか…そう思いながら、デリクはスモークサーモンのサンドウィッチを口にした。

 それはここ半月ばかり新聞や雑誌を騒がせている猟奇事件だった。
 獣のようなものに引き裂かれた死体が川の流れに沿って発見されており、それと同時に何人かの女性が行方不明になっている…。
 デリクもそのニュースなどをテレビで見たりして知ってはいた。
 おそらくこれは人の仕業ではない。なにかの魔物が川に住み着き、餌を求めているのだ。「そこから何とか逃げ切った奴の話では、それは巨大な獣の姿をしてたっていう。普通の事件なら警察の領分だが…」
「…普通じゃナイ事件というわけですネ」
「話が早いとありがたい。俺が受けたのは『行方不明になっいてる女性達を捜して欲しい』って依頼だけど、多分その為にはその化け物を退治しなきゃならないと思う。受けるも受けないもあんた次第だけど、どうする?」
 ケルトの妖精譚にはそうやって女性を惑わす魔物の話が出てくる。もしかしたらその手のものが水を伝って移動してきたのかも知れない。そういうことは往々にしてあることを、デリクはよく知っている。
「この仕事は『キケンな仕事』のようですネ」
「油断すると犠牲者の仲間入りだろうな。だから仕事を選ぶ選択はそっちにある。俺は斡旋はするけど無理強いはしないよ」
 ナイトホークがカフェエプロンからシガレットケースを出そうとして、またそれを押し込んだ。その仕草を見てデリクはふっと笑う。
「いいでしょう、その女性達を捜して来ますヨ。生きてるかどうかは、私には保証できまセンが」
 仕事はともかく、情報を全部出しておきながら「無理強いはしない」というナイトホークには興味がある。このような仕事を斡旋する者は何人か見たことがあるが、大抵仕事を受けるか聞いてから話をするものだ。最初からカードを全部出すということは、話をした者が仕事を受けるという確信でもあるのか、それともよほど自信家なのか。
「生死は問われなかったから、生きてりゃラッキーぐらいなんだろ。じゃ、詳しい話を始めようか…」

 水辺には魔が集まるという。
 それは流れる水というものに魔を避ける力があるとか、死者が集まるとか色々な説があるが、人気のない川岸を歩いているとそれもあながち間違いではないような気がする。
 それが夜であれば特に。
「流石に事件のセイで静かですネ…」
 二日ほど前までふっていた雨のせいか、水量はいつもより多いようだ。濁った水が音を立てながら海の方へと向かっていく。川の側に植えられている柳が風に揺れる。
「………」
 相手がどんなものかは分からないが、ここしばらく犠牲者が出ていないところを見ると餓えて獲物を探している頃だろう。川岸以外で犠牲者が見つかっていないのは、その何者かが水辺以外に生息できないからだ。デリクはそんな事を考えながら、自分の知識の中にある魔物を一つずつ口に出していく。
「ケルピー、サハギン…女性好きでしたらシルキーですが、アレは海ですか」
 そう呟きながらデリクは辺りの気を探っていた。
 風の音、川の流れ、そして何かの視線。ここには自分以外の人間がいないはずなのに、何かが自分を見つめている。それはある種の殺気と共に、自分が油断するのを待っているようだ。
 その気配を感知しデリクの口元がクッと上がる。
「…私を失望させないで下さいネ」
 キン…とした緊張感と共に背後で大きな水音がした。その爪が振り下ろされたであろう位置から、デリクは軽いステップで飛び去り振り返る。
「キイィィ…」
 そこにいたのは長い牙を持った、大きなビーバーのような魔物だった。鋭い爪がアスファルトに突き刺さっており、それを力任せに抜いている。口から吐き出される息は、獣特有の生臭さをまとわりつかせるようで、赤い瞳はデリクを睨み付けている。
 その怒りに満ちた目を見て、デリクがクックッと喉の奥で笑った。
「おや、ずいぶん懐かしいデスね…でも、アナタが女性をさらったというのであれば、少しは希望がモテますか?」
 デリクはその魔物を知っていた。
 アーヴァンク…普段は川に身を潜めて、人間がやってくると襲いかかって体を引き裂くが、美しい乙女の場合は殺さずに誘惑し身辺に侍らせておく魔物。自分が生まれたイギリスでは有名であるが、何処かからここに迷い込んできたのだろう。どっちにしろ迷惑な話ではあるが。
「迷い込むなら、タマちゃんぐらいにしていただきたいモノですネ…」
 ピチャ…と滴を垂らしながら、アーヴァンクがゆっくりと水辺から上がってくる。どうやらデリクを「獲物」として認識したらしい。それを確認し、デリクは自分の両手をスッと地面に向けた。
「あちこち壊したら迷惑デスからね。邪魔を入れさせずに対決と行きまショウ」
 何か金属のような物が地面に落ちたような音がした。デリクが自分の両掌に定着した魔法陣を使って辺りの空間を切り離したのだ。これだけの魔物と普通に戦えば何者かに見られてしまうかも知れないが、こうしてしまえば邪魔が入る心配もない。
「キシャアアァァ!」
 闇に向かってアーヴァンクが吼えた。毛は逆立ち、目には明らかに怒りの色が浮かんでいる。四つ足で飛びかかってきたその巨体を、デリクは紙一重でスッと避けた。
「………」
 …早い。流石に人食いの魔物なだけある。ある程度動きを鈍らせなければ、猫がネズミをいたぶるように自分が疲労させられるだろう。だがこれぐらい緊張感がなければ面白くない。
「束縛してみましょうカ?」
 振り下ろされる爪を避けつつ、デリクは宙に人差し指で何かを書き付けた。それが完成されると、アーヴァンクの足下に細かい糸のような物が絡みつくのが見える。
「人間め…こしゃくな真似を…」
「オヤ?ちゃんと喋れるじゃないですカ。タダの動物かと思ってましたヨ」
 二メートル以上あるアーヴァンクがデリクを見下ろす。口から糸を引くように流れる涎を避けながら、デリクは余裕の表情を見せた。次はどう出てくるだろうか…自分に取引を持ちかけてくるか、それともとにかく喰らおうとしてくるか。
 闇の中に光る赤い目が細くなる。
「貴様、魔術師か?俺はお前のような者が大嫌いだ…呼び出しては使役しようとしたり、欺こうとしたりする…人間風情が、俺達を使おうなど百年早い」
「………」
「だが、魔術師の肉は大好きだ。魔力がある者の血はそれだけで甘美な味がする…いい加減感づかれたようだし、最後にお前を喰らって別の所に移るとしよう!」
 ヒュンと風が鳴った。アーヴァンクの尻尾が振り回され、その風圧でデリクの体のバランスが崩れる。
「………!」
 束縛を力任せに剥がしてくるとは。スーツが汚れるのも構わず、デリクは受け身を取ると、次の刹那、そこからまた飛び退る。
「ハハハハ!子ネズミのように逃げ回るしか出来ぬか、人間!」
 だがデリクはその言葉をくす…と笑いながら聞いていた。見た目ではどう考えてもアーヴァンクの方が勝っているのに、そんな事を気にしないというようにデリクは軽い足取りで攻撃を避けている。
 さて、この魔物をどうしてくれようか。
 殺してしまうのは簡単だ。だが、それでは行方不明になった女性達を見つけられないかも知れない。まずはとにかく女性達を無事に助け出すことが重要だ…その為にもう少し走り回る必要がある。
「結界を作ったときには少しははやるかと思ったが、俺の見たて違いか?人間」
「ご安心を。ペテン師ではありまセンよ?」
 デリクがふっと笑った瞬間、闇が揺れた。そしてその闇がアーヴァンクを強く縛り付ける。
「先ほどの束縛はほんのご挨拶デスよ、本来の束縛はこちらデス」
「き、貴様…」
 先ほどの束縛はアーヴァンクの力を計るための罠のような物だった。あれで束縛されるのであれば、後は適当に封じるなどして終わりだろう。だが、引き剥がしてくるようなら話は別だ。それほど強い力があるのであれば、自分の糧にすることさえ可能だ。
 追われているように見せかけて、デリクは結界の中に更に強力な束縛の魔法陣を描いてたのだ。アーヴァンクがそれから逃れようともがく。
「無理デスよ。それは闇の力を借りた束縛で、私が得意としてイルものだ…さて、対等に話を始めようカ」
 もう下手に出る必要はない。先ほどとは口調すら変わっているデリクにアーヴァンクが怯える。その後ろに控えている魔力が、本能的に危険を告げるのだ。
 この魔術師を敵に回せば命はない…と。
「やめろ…俺が悪かった…」
「私が聞きたいのはそんな言葉ではナイ。まずお前が連れ去った女性を元の世界に戻セ…ここからでも出来るだロウ?」
 深い群青色の瞳が眼鏡の奥でスッと細くなった。その細い指を突きつけるようにデリクは伸ばす。
「さあ、今スグだ。私はあまり気が長い方ではナイ」
「分かった…全員解放する。だから…」
「無駄なお喋りはヤメロ」
 ビクッとアーヴァンクが怯え、結界の外に五人の女性が見えた。全員気を失っているのか、川縁で身を横たえている。
「こ、これで全員だ…俺を解放してくれ」
「分かった。私が受けた依頼はコレで終わりダ」
 自分が受けた依頼は『行方不明になっいてる女性達を捜して欲しい』だ。デリクが指をパチンと鳴らすと、アーヴァンクを束縛していた闇が解けた。
 だがそれと同時にアーヴァンクがデリクに向かって飛びかかってくる。
「馬鹿め!」
「…私は対等にと言ったはずダ」
 ざわっ…と何かがざわめいた。それは深い闇を抜けてきたように、アーヴァンクの体を足下から浸食していく。その闇に気付いたように逃れようとアーヴァンクがもがくが、それは深淵のようにまとわりつき、闇に溶け込ませていく。
「ソレで私を欺いたつもりだったカ?だとしたらお前が今まで食った魔術師は、相当お人好しのようダ」
 アーヴァンクの吠え声は闇に溶けていき、辺りには元の静寂と水の流れる音が響いているだけだった。

 それから数日後、デリクはまた蒼月亭のカウンターに座っていた。
 行方不明になった女性達が帰ってきたことが、ニュースやワイドショーを賑わせているようだがここのカウンターではそんな騒ぎすら聞こえてこない。
「English Styleのミルクティーをお願いしマス」
「かしこまりました」
 デリクが店内に入るとナイトホークは煙草をさっと消し、従業員の立花 香里亜(たちばな・かりあ)はポットやカップを温めるためにそっとお湯を満たしていく。
「やっぱり化け物退治しちゃったわけか。そのぶん請求しといた方がいい?」
「いえ、成り行きでやったようなものデスから、ソレよりも美味しい紅茶を頂ければいいですヨ」
「それはずいぶん謙虚な話だな…」
 ふっと溜息をつくようにナイトホークが笑う。
 アーヴァンクの魔力は充分自分を満たしてくれた。それにデリク自体金銭的に困っているわけではなく、興味と好奇心が満たせればいいのだ。それに美味しい紅茶があれば言うことはない。贅沢を言うと罰が当たる。
「デリクさん、レモンジンジャーのパウンドケーキと、ブラックベリーのタルトをどうぞ。イギリスのお菓子の本を読んで作ったんですけど、お口に合えば…」
「ありがとうございマス。…うん、レモンとジンジャーの風味が上手く溶け合っていて、美味しいですヨ」
 新たな報酬よりも、こちらの方がありがたい。
 宵の物憂い気怠さを払うためのお茶と、それに合わせるティーフード。それ以上の贅沢がどこにあるというのだろう。
 目の前に置かれたティーコジーが被せられたポットを見て、デリクが微笑みながら話をする。
「香里亜サン、紅茶に関する話を一つお教えしまショウ。『詩編の第五十一編をゆっくり唱えるよりも長く、茶葉を湯に浸しておいてはいけない』そう言われているんですヨ。知ってました?」
「えっ、それどれぐらいの長さなんですか?ナイトホークさん、聖書持ってます?」
「俺が持ってる訳ねぇだろ」
 その会話にデリクが笑うと、二人がつられて一緒に笑った。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
3432/デリク・オーロフ/男性/31歳/魔術師

◆ライター通信◆
初めまして、水月小織です。
ナイトホークからの「危険な仕事」と言うことで、川縁にいる魔物退治をしていただきました。まず相手の力量を計り、その後でゆっくり対峙するイメージがありましたので、最初は少し押されつつ、最後は鮮やかに…という感じになってます。
紅茶の話は色々と知っていそうなので、最初にその文を持ってきました…気怠さを紅茶で払うというのはなかなか優雅だと思います。
リテイク・ご意見はご遠慮なく言ってください。
またご縁がありましたらよろしくお願いいたします。