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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


想い深き流れとなりて 〜3、いたずら小鬼の狂詩曲

 夏真っ盛り。これでもかというほどに青い空に、気が狂ったように照りつける太陽。
「暑いなぁ」
 弓削森羅はふう、と溜息をついた。絵に描いたような元気印の森羅でも、やはり暑いものは暑い。昼日中の外出は少し無謀だったのかもしれないが、まあ限りある時間は惜しいわけで。
 それでも、どこかの店に入って少しは涼もうかと、森羅は辺りを見渡した。
「すみませーん、誰かゴンタを捕まえてくれませんか?」
 通りの向こうの方から甲高い声が聞こえて来た。ペットか何か逃がしてしまったのだろうか。
 森羅にとって、困っている人間を見過ごす法はない。さっきまで暑さに辟易していたのも忘れて、声の主を探し始めた。
 声の聞こえた方向に急ぎ足で向かうと、一件の古本屋の前に、籠を持っている少女が、森羅と同じ年くらいの少年と話しているのが見えた。どうやら、あれが声の主らしい。
「なんか、ゴンタを探してくれとか何とか聞こえてきたけど……ここ?」
 果たしてそう話しかけてみると、少女は――近くで見れば、どうやらそれは少女ではなく森羅より少し年下くらいの少年だったようだ――期待に満ちた笑顔で振り向いた。
「あ、あなたもゴンタを捕まえてくれるんですか?」
「いいよ、協力するよ。で、俺「も」ってことは、こちらも?」
 森羅は任せとけとばかりに頷くと、もう1人の少年の方に目を向けた。
「そうです。この人もゴンタを捕まえてくれるんです。えっと、お名前は……」
 籠を持った少年は、いかにも無邪気な声で答えると、もう1人の方を振り返る。どうやら、まだ名前を聞いていないらしい。
「菊坂静(きっさかしずか)です」
「静さんですね。僕は李煌(リーファン)です」
 紹介してくれるのかと思いきや、李煌はそのままにっこりと静に笑みを返した。
「どうぞよろしく……」
 静にとっても予想外の反応だったのだろう、戸惑いがちに何とか挨拶を返していた。
「俺は弓削森羅。どうぞよろしく」
 些細なことを気にしても仕方がない。森羅は素直にその流れに乗ることにした。
「あら、あなたが弓削森羅くん?」
 と、そこに耳に心地よい女性の声が聞こえてくる。
「静くんもこんにちは。李煌くんはお久しぶりね」
「あ、シュラインさん! あの時はありがとうございました」
 どうやら彼女は静とも李煌とも顔見知りらしい。森羅にとっては、間違いなく初めて見る顔だが、「シュライン」という名は確かに聞き覚えがある。
「こんにちは。ええと、どこかで……」
「会うのは初めてね。ほら、こないだの朱美さんと愛実さんの件で」
 言われて森羅も思い出した。
「ああ、あの時はどうも」
 あの時に、愛実のフォローに回っていた森羅は、直接顔を合わせることがなかったのだが、確かに別行動で動いてくれていた人の中に、シュライン・エマという名前があった。そういえば静もその時に動いてくれていたはずだ。
「夕霧さーん、ゴンタを捕まえてくれる人が来てくれましたよー」
 奇妙な縁での再会にわいわいやっている3人を尻目に、李煌は店の奥へと駆け込んで行った。
「それにしてもゴンタって言われたらさあ、のっぽで工作好きなおじさんの相棒を思い出すんだけど」
 その後ろ姿をちらと目で追って、森羅はずっと胸の中でうずうずしていた感想をもらす。
「のっぽで工作好きのおじさん?」
 が、静にはわからなかったらしい。目を瞬かせながら、聞き返して来た。
「あ、知らない? いや、知らないならいいんだけど」
 確かに、森羅と同年代くらいなら知らなくてもおかしくはないかもしれない。雑学王の最大の敵、それは――同年代の相手にこれが生じるというのも妙な話だが――世代の壁。
「確かに、妙にフガフガ愛らしい名前ねぇ」
 後ろでシュラインがくすくすと笑う。どうやらこちらには通じたようだ。
「でしょ! でしょ! やっぱりゴンタっていったらアレですよね」
 森羅は、我が意を得たり、と手を叩く。
「わざわざ済みませんねぇ。うちのゴンタが手間をかけてしまいまして」
 どこかのんきな声が聞こえて、店の奥から細身の青年が姿を現した。どうやら彼が李煌の言う夕霧らしい。
「いえいえ。……で、そのゴンタというのはどういう犬なんですか?」
「犬?」
 静の質問に、夕霧は目を瞬いた。そして、李煌の方を振り返る。
「駄目じゃないですか、李煌くん。ちゃんと説明をしないと」
「はい、ごめんなさい」
「ごめんなさい、うちの子がお騒がせして。ゴンタというのは小鬼のことなんです。まあいわゆる天の邪鬼というやつの仲間だと思っていただければ結構です。ただ、本を書き変えるのを専門にしているだけで」
 軽い溜息の後に、夕霧は説明を始めながら3人を中へと案内した。とりあえず腰を落ち着けるよう、店の片隅に並んでいた丸椅子を勧める。
「小鬼かぁ……」
 どうやら勘違いを含んだままで、静は李煌と話を進めていたらしい。1人呟いた彼の声には、どことなく安堵と疲れの響きがあった。
「普段は、ごく罪のない悪戯をする子なんです。悲劇ものをハッピーエンドに書き変えるのが主なのですが、それも一晩程度で自然に元に戻ります。まあ、その程度の悪戯なので、たまにはストレス解消も必要だろうと、時々散歩に行かせるのですよ」
 そうしている間にも夕霧の説明は続いた。
「今回は半月程前に散歩に出たのですが、まだ帰ってきておらず、かつここ数日は本に入り込んだ形跡もないのです。本に入っているなら、居場所を突き止める術もあるのですが、そうでないとなると僕たちではお手上げなのです。それに……、どうも暴走しているようなのです」
「暴走というと?」
 どうやら事態は想像していたよりも深刻かつ興味深い様相を呈しているようだ。軽く言い淀んだ夕霧に、森羅は身を乗り出した。
「ゴンタは普段は悪戯する書物はちゃんと選んでいます。けれど、学術書や事実を記した書のような、書き変えてはいけない書物に手を出してしまったり、人に取り憑いてしまうこともあり得ます」
「人に取り憑くとどうなるんですか?」
 今度はシュラインが口を開いた。
「端から見れば、文字通り『人が変わった』ようになるのは確かですね。あと、その時のゴンタの状態にもよるのですが……、そうですね、何かの強迫的な考えに取り憑かれたようになる可能性が一番高いですね」
「つまりは、恐慌状態に陥っているような感じですか?」
 静が聞くと、夕霧はゆっくりと頷いた。
「ええ。ゴンタが直接人を襲うことはないのですが、そうなると憑かれた人が寝食を忘れたり、不注意で事故に遭ったりと、結果的に人に危害を加えてしまうことはあり得ます。ゴンタにとっても良い影響はありません……。ですから、ゴンタを連れ戻して頂きたいのです」
「うん、手伝うよ。それでさ、そのゴンタって店から出てどのくらいの範囲で行動するのかわかんねぇかな。ある程度絞り込めたら探すのも楽だと思うんだけど」
 森羅がさっそく口火を切る。
「ええ、それに加えて彼……でいいのかしら、本を書き変えるのにかかる時間だとか、連続で可能かどうか、あと過去に暴走した時のきっかけや状況とかも詳しく教えてもらえないかしら」
 シュラインがさらに何点か質問を加えた。
「ゴンタの行動範囲ですね……。すばしっこい子ですけれど、何分小さいので、そうですね、僕たちの感覚だと、自転車で行動できる範囲内といったところでしょうか」
 軽く首をひねりながら夕霧が答える。
「本を書き変えるのは、その時にもよりますが、長くても数十分くらいですかね。ゴンタは書き手と読み手の想いに反応して悪戯しに行きますから……、次が見つかれば早いですし、ゆっくりしていく時もありますね。そして、あまりに強い……というより狂おしい想いにぶつかると、暴走してしまうようです」
「じゃあ……、例えば死亡したばかりの方の日記に入って、その想いなんかにあてられてしまうこともあるのかしら?」
 シュラインが思慮深げな顔で言い募る。
「ずいぶんと具体的なたとえですね」
 夕霧が目を瞬く。
「いえ……ね。実は、最近、幽霊騒ぎが多くて、どうも三途の川が浅くなっている、という話も聞いたことだから。直接は関係ないのかもしれないけれど、時期的にどうしても気になって」
「そうですね……。ただ、日記というのはまずないと思います。先ほども言いましたように、ゴンタはどちらかというと読み手の想いに反応します。日記みたいに、読み手のいない書き物にはあまり潜り込まないと思うんです」
 夕霧がふーむ、と唸りながら答えたその時。
「夕霧さん、出ましたよー」
 李煌が紙束を手に、店の奥から出てきた。
「ありがとうございます、李煌くん」
 夕霧はそれを受け取り、ぱらぱらと目を通しているようだった。が、次第にその顔が険しくなっていく。
「どうやら、その三途の川の話と今回の一件も関係あるようですね……。ゴンタが悪戯した本をさかのぼって調べてみたのですが、ゴンタが最後に潜り込んだのは、四日前、この近くにある公立図書館の本です。そこで、かたっぱしから『死』という言葉を消しているみたいですね……」
「『死』を消す……」
 静が軽く眉を寄せて呟いた。
「ええ……、手当たりしだいにやっているようですから、この時点で既に暴走していたと考えるのが妥当ですね。そして、おそらく、図書館にきていた誰かに取り憑いたのでしょう」
「つまり、死を否定しようとする誰かの狂おしい想いにあてられた……と考えればいいのかしら?」
「おそらくは。ただ、図書館で膨大な量の本に潜り込んでいますから、その前まで辿るのには時間がかかりそうですが」
 シュラインの言葉に、夕霧は頷いた。
「とりあえず、ゴンタを捕まえるには、図書館の周辺を当たるしかなさそうだな。ところでさ、ゴンタが悪戯することが多い話の本って何? ひょっとしたら役に立つかもしれないしさ、持って行きたいんだけど」
 人に取り憑いてしまっているなら、憑き物を落とすのは森羅の得意分野ではない。けれど、本の方に移動してくれれば、捕まえるのはより楽になるだろう。
「そうですね。やっぱりゴンタが書きかえることが多いベストタイトルはこれでしょうね……」
 夕霧はゆっくりと立ち上がると、本の山の中から古びた絵本を引っ張り出した。そのぼろぼろになった表紙には丸みを帯びたロゴで「にんぎょひめ」と書かれている。
「人魚姫の幸せを願ったことのない人なんていないでしょうから」
「わかったよ、ありがとう」
 森羅は元気よく本と、ついでにゴンタの籠とを受け取った。
「じゃ、行こうか」
「よろしくお願いします。こちらではゴンタの足取りを引き続きさかのぼっておきますね」
 夕霧がぺこりと頭を下げた。小鬼の身を案じているのか、その顔は曇っていた。

「あれが図書館みたいね」
 蝉の大合唱を浴びながら真夏の太陽に炙られること数十分。前方に広がる公園の木立の向こうに垣間見えたベージュ色の建物を指差したシュラインの声には、安堵の色が混じっていた。
 3人揃ってドアの前に立てば、軽いモーター音を響かせて自動ドアは開き、図書館独特の静寂とほこりの混じった本の匂い、そして冷たい空気が流れ出た。
「ああ、涼しい。やっぱこれだよなぁ、図書館は」
 森羅は思わず呟いた。夏休みの図書館といえば、気兼ねなく涼める場所の代表格だ。ちまたでは、勉強などをしたりする場所でもあるらしいが、そんなことは森羅にとっては遠い世界の話である。
 いや、むしろ世の中森羅派の方が多いのではないだろうか。現に今、一階の絨毯スペースには子どもたちが思い思いの姿勢でくつろいでいるが、ボールやバット、虫取り網を持っている者はいても、本を手にしている者はほとんどいない。中二階の貸し出しカウンターの中では、職員が退屈そうにあくびをかみ殺していた。
「普通に考えたら、教えてもらえるとは思えないけれど……、一応聞いてみましょうか」
 シュラインがカウンターの方を指差した。森羅と静も頷いて、階段に足をかける。
「こんにちは」
 やはり退屈していたのだろう、視線が合うなりカウンターの中の中年の女性が声をかけてきた。見るからにおせっかいタイプという印象を受けるいわゆる「おばさん」だ。
「あの、ひとつお伺いしたいのですが」
 シュラインが改まって話を切り出した。
「最近、この図書館で人が暴れたというか、ちょっと騒いだとかそういうことはありませんか?」
「そうねえ……」
 それ自体は決して感心できる行為ではないが、今の状況としては好都合なことに、その女性は何の屈託もない様子で、記憶を辿っているようだった。
「ちょうど四日ほど前かしら……、ええ、四日前で間違いないわ。よくここの公園に遊びに来がてら涼んで行く男の子がいるんだけど、なんか下のフロアで叫んでたわね」
「男の子が叫んでた?」
「ええ、『コロは死んでない』とかそんなんだったんだけど、その叫び方が普通じゃなくって……、その子のお母さんは、飼い犬が死んだのがまだわからないみたいで、と言ってたけど、なんか目はすわってたし、ちょっと心配ねぇ」
 森羅たちは顔を見合わせた。四日前という時間の符合、そして、死を否定するというキーワード、かなり怪しい。
「できればその子に会いたいんですが……」
「夏休み中、毎日そこの公園に遊びに来てるわよ。あれ以来、友達とは喧嘩ばっかりのようだけど……、今日はまだ来てないわね」
 女性が窓の外を見下ろして言う。
「そうですか、ありがとうございました」
 丁寧に礼を述べ、3人はカウンターを離れた。そのまま、手近なテーブル席を陣取る。今はこのまま待つよりなさそうだ。
「やっぱり怪しいっすよね、さっきの話」
 沈黙で時間を持て余す必要もないだろう。森羅は声を潜めて静とシュラインに声をかけた。
「そうですね、僕もそう思います」
 静も頷いた。その落ち着いて丁寧な口調が友人の印象とかぶるような気がして、森羅は思わず聞いていた。
「ね、静くんて年いくつ?」
「15です……。高校一年生の」
「わ、なんだ、タメじゃん。じゃ、俺に敬語なんか使うのよそうよ。呼び方も『森羅』って呼び捨てでいいからさ。てか、俺も『静』でいい?」
「は、はぁ……」
「んでさぁ」
 同級生とわかれば、自然と森羅の気持ちも持ち上がる。あんな話、こんな話ももちかけようと、森羅が再び口を開いた時だった。
「外から言い争いの声が聞こえるわ。死んだとか死んでないとか……、例の子じゃないかしら」
 席から立って、窓の方へと移動しながらシュラインが言った。
「シュラインさん、耳いいすね」
 感嘆の声をもらしながら、森羅は窓辺へと近づいた。外からとは言うが、窓ガラスは全部密閉されている。森羅の耳には外の声など何も聞こえなかった。
 窓から見える公園では、小学校低学年くらいの男の子が1人立って、何かを叫んでいた。それに向き合うようにして数人の男の子が立っているのだが、どうも多対一の争いという感じではない。1人の子が叫んでいるのに、周りはどうやら戸惑っているようだ。
「行きましょう」
 シュラインの言葉に、森羅も静も頷き合った。

「だからぁ! 死んでない! 絶対死んでないんだ!」
 自動ドアが開くと、外の熱気と共に、甲高い男の子の声が飛び込んでくる。幼さを残した声、本来はどことなくほほえましく思えるはずの内容ながら、そこにはどこか背筋が寒くなるような鬼気迫る響きがあった。
「どうしたの?」
 シュラインがよく通る、それでいて柔らかい声色で声をかけた。少年たちが一斉にこちらを振り向く。叫んでいた男の子の顔が、森羅にもはっきり見えた。三白眼のつり上がった目には明らかに尋常でない色が宿り、何かに憑かれていることは間違いなさそうだ。
 森羅たちは足を緩めず、そのまま少年たちに近寄った。
「どうしたの?」
 再びシュラインが、優しい声で尋ねる。
 厄介な仕事を代わってもらえると思ったか、周りをとりまいていた少年たちがばらばらと去って行った。
「……死んでないんだ。絶対に死んでない」
 シュラインを睨み据えてそういう少年の手には、からからにひからびた蝉が握られていた。少年があまり強く握りしめるので、羽が欠けてぽろぽろとこぼれ落ちる。
「……そう、大丈夫よ」
 シュラインがなだめるように言うと、少年はぎょろりとした目をシュラインから森羅に、そして静に向けた。
 が、少年は突然くるりと踵を返すと、脱兎の勢いで駆け出した。弾かれたように、静がその後を追い、少年の身体をしっかりと抱きとめる。
「うわああああああ」
 まさしく恐慌状態に陥って、少年は静の腕の中で激しく暴れた。
「大丈夫、大丈夫、誰も傷つけたりしないよ、絶対に」
 静が少年を抱きしめながら、何度も何度も優しく囁いた。
「怖くないよ、怖くなんかないよ、大丈夫……」
 縛めから逃れようと伸ばされた少年の手を、シュラインがそっと握り、軽く叩いてさすってやる。
「大丈夫よ、大丈夫……」
 2人に抱きとめられて、完全に蒼白になっていた少年の顔に、少しずつ血の気が戻り始めた。少年が正気を取り戻しかけていると悟って、森羅は預かっていた人魚姫の本を開いた。
 ゴンタは読み手の心に反応して本に潜り込むという。ならば、人魚姫に幸せを。森羅は何度も何度も強く念じた。
 そうして、いかほどの時間が経ったろうか。手の中の本に確かな手応えを感じて、森羅が顔をあげると、少年は憑き物が落ちたようなぽかんとした顔をしていた。
「あれ……」
 その呟きを聞きとめたか、静がそっと少年から手を離した。
「僕……」
 自由になった少年は、目をしぱしぱと瞬いて、不思議そうに周囲を見回した。
「ゴンタならこっち来たよ」
 いまだ心配げに少年を見つめている静にそう言って、森羅はゴンタを本ごと籠の中へと入れた。
「そう、よかった」
 静も小さく息を吐く。
「あ、蝉……。死んじゃった……」
 ふと、手の中の蝉に気づいたのか、少年がぽつりと呟いた。
「そうね……。お墓、作ってあげましょうか」
 シュラインが優しく少年の肩を叩く。少年は口を引き結んだままで、小さく頷いた。
 誰もが黙ったままで、蝉の亡がらを公園の隅の木の根もとに埋めた。そこに太めの小枝を刺して、少年はそれをじっと見据えたままで手を合わせる。
「蝉、死んじゃったんだね」
「そうだね」
 ぽつりと漏らした少年に、3人はそれぞれゆっくりと頷いた。
「コロも……、死んじゃったんだ」
 抑揚のない声で、少年はさらに呟いた。
「そう……、悲しいわね」
 シュラインが穏やかに返す。
「でも、きっとコロも、死んでも君たちと楽しく過ごしたことは忘れないでいるよ」
 静が言うと、少年は初めて顔を上げた。
「本当?」
「ああ、本当だよ。だからあんまり悲しそうな顔してると、コロがかわいそうだぞ」
 森羅が悪戯っぽく片目を閉じた。
「そっか……」
 少年の顔がぱっと晴れた。
「じゃあ、僕、もう悲しそうな顔しないよ。お兄ちゃん、お姉ちゃん、ありがとう」
 少し張りの戻った声でそう言うと、3人に手を振りながら少年は帰って行った。
「さて、俺たちも帰るか」
 森羅は、ゴンタの入った籠を掲げてみせた。
「ええ……、あ、静くん、血が出てる」
 それに頷いたシュラインが、静の腕を指差した。
「あ……」
 どうやら、さきほど少年が暴れた時に、勢い余って引っ掻いてしまったらしい。静は、今気づいたというような顔をして自分の腕を眺めていた。
「大丈夫です、このくらい」
「駄目よ、手当はきちんとしておかないと。本屋に戻って薬箱を借りましょう」
「あ、これくらいなら何とかなるっすよ」
 治癒用の符が荷物の中にあったはずだ。森羅はごそごそと鞄をあさった後で目当ての符を見つけ出すと、それを静の腕にかざした。ほどなくして、傷はきれいに消えていった。
「へぇ……、符術ねぇ。見かけによらないわね」
 シュラインが妙な感心のしかたをする。
「ええ、まあいろいろとありましてね」
 森羅はひひひ、と笑ってみせた。
「あ、ありがとうございます」
「どういたしまして……、でも『ございます』はいらないっ!」
 静の不必要に丁寧な礼に、森羅はびしっと指を突きつけた。
「は、はぁ……」
 静は困ったような顔をして頭をかく。
「ま、戻るとしましょ」
 シュラインがくすくすと笑った。

「ありがとうございました。ゴンタは……、疲れて眠っているようですね」
 籠を受け取り、夕霧は深々と頭を下げた。
「ところで……、どうしてそんなに暴走なんてしちゃったんでしょう」
 静が心配そうに口を開いた。
「ええ、あれからゴンタが潜り込んだ本をさかのぼって調べてみたのですが、どうも、暴走のきっかけはこの本のようです」
 夕霧は傍らに置いてあった本を差し出した。
「あ、もちろんこの本自体じゃないですよ……。『希望の会』とかいう宗教団体が最近出した本ですね。中身は、強い想いがあれば、どんな苦難も乗り越えられるんだ、というようなことを実例を出したり、言葉を変えたりしながら強調しているような感じで、私たちと一緒に頑張りましょうという、まあ教団の宣伝本です。直接死を否定するようなことは書かれていないんですけどね……」
「そうですか……」
「まあ、何がどうなって、というのはわかりませんが、ゴンタがあまりに狂おしい想いにあてられてしまったのは間違いないでしょう。もともと、人の心には敏感な子ですし、世相が荒れると真っ先に影響を受けてしまいます。今回のことはゴンタにも辛かったことでしょう。しばらくは、籠の中で休ませてやることにします。本当に、ありがとうございました」
 再び、夕霧は深々と頭を下げた。
 結局、無事にゴンタは捕まったものの、今回の事件の背後にどことなく物騒な空気が漂っている、そんな黒雲のような予感が新たに湧いて来た。諸手を上げて万歳、という気持ちになれないまま、森羅たちは古書店「夜半の三日月」を後にした。 

<了>

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【5566/菊坂・静/男性/15歳/高校生、「気狂い屋」】
【6608/弓削・森羅/男性/16歳/高校生】

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■         ライター通信          ■
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こんにちは。ライターの沙月亜衣と申します。
この度は、当シナリオへのご参加、まことにありがとうございました。毎度のことながら納品がぎりぎりになってしまい、誠に申し訳ございません。
皆様のおかげで、ゴンタは無事捕まえることができました。ありがとうございます。シリーズとしては佳境に入りつつあるので、終わり方としてはすっきりしない部分も残っております。
今回もちょっとずつ違うものを皆様にお届けしていますが、間違い探し程度の違いでございます。お暇でお暇で仕方がない時にでも、他の方の分にも目を通して頂ければ幸いです。

弓削森羅さま

こんにちは。第一話に引き続きのご参加、まことにありがとうございます。
そうですよね、ゴンタといえばあいつですよね。ひそかににんまりした沙月でございます。

ご意見、苦情等ありましたら、遠慮なくお申し付け下さい。できるだけ真摯に受け止め、次回からの参考にさせて頂きたいと思います。

それでは、またどこかでお会いできることを祈りつつ、失礼致します。本当にありがとうございました。