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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>
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見えない幽霊
◆1
扉の開く音とともに、停滞していた店内の時間が動き出す。
開いた扉の向こうから風が運び込む人の気配に、レンは眺めていたカタログから顔を上げ、視線を向けた。
こちらを窺うように見詰める、小柄な少年と目が合う。年の頃は十六、七といったところだろうか。
「良かった、いたんですね」
安堵の笑顔と親しげな口調に、「ああ」とレンも彼が誰であるのかを思い出し、相好を崩した。少年はアトラス編集部のバイトで、名を桂と言った。
「誰かの使いかい」
その問いかけに彼は首を左右に振り、鞄の中から一冊の本を取り出し、テーブルの上へと丁寧な仕草で置く。
「今日はちょっと僕がレンさんに相談があって」
桂が持ち込んだ本はある女性霊能者のものだった。
もともとは桂の友人がその彼女に贈った代物らしいが、近頃その本の周囲で奇怪な出来事がおこるという。
曰く、幽霊が出る。
しかし不思議な事に持ち主である彼女にはそれが見えない。見えるのは彼女の客、つまり怪異に悩む依頼者だけらしい。
職業が職業なだけに、さて困ったことになったと相談を受け……ここを訪れるに到った、ということだった。
その本は世界に一冊しか存在せず、彼女自身も大切に思っているとのことで、損なうことなく事態の解決を試みたいという。
「草間のところに持っていけばいいものを」
眉を顰めながらも、レンはまじまじと問題の本へと視線を注いだ。
◆2
ふと気づけば、古びた扉の前に立っていた。
どうしてこんなところに、と思い、初瀬日和は自分の目前にそびえる建物を見上げる。そして、ああ、と溜息をこぼした。看板を確認するまでもない。日和が居るのは「アンティークショップ・レン」の前だった。
チェロの練習の息抜きに散歩でもしようと思い立ち、自分は家を出たはずだった。
涼やかな風に交じる金木犀の匂いに波立っていた心が落ち着き、日向で昼寝をする猫の姿に、知らず強ばっていた肩から力が抜けた。飼い主と共に散歩する犬の姿を見て、バドも一緒に連れて来れば良かった、そんなふうに思ったことまでは覚えている。
ここに……レンの店に来るつもりなど全くといってなかった。
どうやってこの店まで辿り着いたのかも思い出せない。
まるで何かに引き寄せられたような、自分の意識が誰かに操られたような感覚に、日和はふぅっと深い息を吐いた。そういう場所であることは了解してはいるものの、未だこの感覚に慣れることは出来ない。深呼吸を繰り返し、自分を落ち着かせる。
今回、自分を呼んだのはどんなものだろう。音楽関係の何かだろうか、それとももっと別の何かだろうか。
「それ」の期待に応えられるよう頑張りたい。「誰か」の力になれたら嬉しい、そう思う。
日和は年季の入った取っ手へと手をかけ、店の中へと足を踏み進めた。
薄暗く埃っぽい室内を見渡せば、店奥のカウンターで女性と少年が顔をつきあわせて何やら話している。
「おや……あんたが呼ばれたのかい」
声をかけてきたのは、この店の女主人であるレンだった。艶やかな笑みを浮かべた年齢不詳の店主は長い煙管で日和を招く。彼女の真正面に座っていた少年は日和の姿に目をとめると小さく頷くように会釈した。
あれ、と日和は彼に対して既視感と違和感を覚える。
どこかで会ったことがある。ここではないどこかで。
どこであったのだろうと記憶を手繰り、雑然とした編集部の中で立ち働く彼の姿が浮かんできた。碇編集長に注意を促される三下氏を、時に穏やかな笑顔で、時に苦笑を浮かべて見詰めている姿も。
「アトラス編集部の……」
日和の呟きに、なんだ知り合いかい、とレンが笑う。
「何度か編集部でお会いしたことが……。確か、初瀬さん、でしたっけ」
「こんにちは。ええと、桂さん?」
日和の言葉に桂は微笑み、いつも有り難うございます、と頭を下げた。こちらこそ、と日和も慌ててお辞儀をする。
「さて」
面白そうに二人の様子を眺めていたレンは、日和を桂の隣の椅子に座らせると、視線を少年へと戻した。
「じゃあ、この子にももう一度、今の話をしてやってくれるかい?」
「はい」
桂はテーブルの上の本を手元に引き寄せ、日和へと事の経緯を話し始めた。
◆3
「本の持ち主さんには見えないんですね……その幽霊が」
日和は首を僅かに傾げながらふぅと溜息にも似た息を吐き出す。
「ええ、とても力の強い霊能者であるにも拘わらず、です。そのかわりといってはなんですが、霊異に悩むお客さんの方にはそれが見えてしまう。この本から白い煙のようなものが立ちのぼっているそうなんです。人の姿に見えた、という人もいるし、動物のように見えたという人もいます。霊能者なのに幽霊が見えないなんて、職業柄人には言えないでしょう? それで僕と友人がこっそり相談を受けて」
桂の言葉に耳を傾けながら、日和は今聴いた話を整理するために、レンが用意したメモ用紙に依頼の概略を箇条書きする。自分の書いた文字を見詰めながら、頭に浮かぶ疑問点をその横に書き連ねていく。
この世界とは違う世界を見る力を持っている人にも係わらず、この本の幽霊だけが見えないなんてことがあるだろうか。
「その……依頼者の方からそういった力がなくなってしまった、ということではないんですよね?」
「ええ。見えないのはこの本のものだけなんだそうです。だから彼女も困っているんです」
能力の消失? と書いた部分に斜線を引く。
そして視線を桂の手元にある、問題の書籍へと注ぐ。柔らかな布製のカバーを掛けられた、世界に一冊だけしかないという本。果たしてそこにはどんな物語が紡がれているのだろう。
「あの、本をみせていただいても良いですか?」
「はい、どうぞ。すみません、本の内容について全くお話してませんでしたね」
見ていただければ分かると思うんですが、と云いつつ桂は日和へと本を差し出す。
開いた本の扉には、たった一文字「蛍」とあった。頁をめくり、日和は書き連ねられた文章へ視線を走らせる。
「これ、は……」
そこに書かれていたのは、日和が想像していた内容とは異なるものだった。日和は誰かが……たとえば大人が子供を思いやって綴った物語ではないかと考えていた。
失望をしている人に希望を与えるような、光ある物語なのだろうと。
けれど、この本の中に詰め込まれていたのは悲哀だった。書き手の悲しみが日和にも伝わってくる。奥付を開けば、この本が出来たのは、つい最近……ここ一年程前のようだった。
「……依頼者さんは、飼っていた犬を亡くしてしまっていたんですね」
日和は瞼を閉じ、こぼれ落ちそうになる涙を堪えた。
失われた命への悲しみと愛おしみの溢れた文章で記されたそれは、回想録、だった。犬と共に生きた十八年という日々、そして最後の一年を、著者は柔らかな筆致で描いている。
『逝かないで、と願うことが私のエゴだということは分かっていました。ホタルは天寿を迎えようとしている。安らかに向こう側にいけるよう、最期にはきちんと送り出すことが飼い主としての義務だということも私は知っていたのです。それは私が今まで多くの方に告げてきた言葉でもありました。
命は限りのあるものです。命あるものは必ず逝きます。それは覆すことなど出来ぬ摂理です。けれどもずっと傍にいてほしい、逝かないでほしい、私は荒い息を繰り返すホタルの姿を見詰めながらも、そう願わずにはいられなかったのです』
日和は本を閉じると眦を押さえる。
「十八年、最初から最期まで、共にいたそうです。とてもその犬を可愛がっていたそうで」 そういえば、と何かを思い出したような口調で桂が続ける。
「この本を作る時に友人が云っていたんです。悲しみを閉じこめた本だ、とかなんとか」
そうですか、と日和は桂に頷き、本の思いに心を沿わせるように抱きしめた。
「……私も、犬を飼っているんです。ここに来る直前に、その子のことを考えたりしていました。見る力はそれほど強くない私が、ここに呼ばれたのは……もしかしたら、そのせいかもしれませんね」
本の意志を感じ取ろうと、日和は意識を己の感覚へと集中させる。
本から滲むように伝わるのは筆者……依頼人の強い悲しみの気配。けれどもその気に紛れながら、優しい声のようなものが伝わって来る。
瞼の裏に浮かぶのは……草原を走る犬の姿。何かを訴えるように吠えている。
「元気を出して」
「……初瀬さん?」
日和は瞳を開くと、訝しげな桂を見つめ、はにかむ。
「私、植物や小動物の気持ちをなんとなく感じることが出来るんです。本ももとを辿れば植物でしょう? それに、その幽霊というのは、その犬さんではないかと思って。感じ取ることが出来ないかな、と思って試してみたんですけれど。……本当にこの本がそういっているかどうかは怪しいんですけれど……励ましてる気配が聞こえるんです」
日和は桂へと本を手渡し、深呼吸をする。
「私は依頼者さんに幽霊が見えないのは、その方が見ようとしないからだと思います。見たくない、と思っているから見えない、といった方がいいのかもしれません。この本は亡くなった犬さん……ホタルさんへの悲しみで作られているから。もしかしたら、依頼者さんはずっとこの本を開いていないのかもしれません。悲しくて、悲しすぎて。そんな飼い主さんを心配しているんじゃないかと思います、ホタルさんは。幽霊、というのは私、ホタルさんだと思います。……本を読んで、どれだけ自分がホタルさんを大切に思っていたか思い出せば、その幽霊さんが見えるようになるような気もしますし……その前に伝わる気がします。私でも感じとれた思いだから」
ホタルさんも飼い主さんのこと大好きだったんですね、と日和は目を潤ませながら微笑んだ。
◆4
「初瀬さんの話は辻褄が合いますし、僕はこれからちょっと依頼人の所にいって、お話させていただこうと思います。宜しければ初瀬さんも一緒にいかがですか?」
店を辞し、外に出れば、空はもう夕暮れの朱に染まっていた。
桂の申し出に日和は頭を緩く左右に振る。
「きっと私泣いてしまってお役に立てないと思うので」
「そうですか」
「それにバドの顔がとても見たくなってしまいました」
恥ずかしそうに告げる日和の言葉に桂が笑む。
「では、また、いつか。……有り難うございました」
「依頼者さんによろしくお伝え下さい」
そう告げて、日和は家へと向かって歩き出した。
END
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【3524 / 初瀬日和 / 女性 / 16歳 / 高校生】
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■ ライター通信 ■
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初瀬さま
お久しぶりです。ライターの津島ちひろと申します。
このたびはご参加頂き、有り難うございました。
プレイングを拝見しつつ、愛犬のバドさんを絡めたお話にさせて頂きました。
少しでも楽しんで頂ければ嬉しいです。
またお会いできれば幸いです。
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