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<東京怪談ウェブゲーム ゴーストネットOFF>


忌み言



 それは、ごくありふれた書き込みだった。
 ゴーストネットOFFではけして珍しくない、コックリさんの最中の異変報告と助けを求める声。
 気の向くまま流し読みをしていて、ふとその書き込みに目を留めたのは、ほんの偶然だった。
 そういった異変報告は、大抵が『集団ヒステリー』という名目で片がつくもので、本物の『霊障』とはまったくの別物だ。
 なのにその記事には、何故か目が留まった。

 一緒にコックリさんをしていた友人は、その日以来、昏々と眠り続けているのだと文字は語る。

 呼び出したコックリさんは、「自分は霊ではなく生霊だ」と告げた。そこにはそう書かれていた。
 それは何か探し物をしていて、自分達の呼ぶ声に引き寄せられて降りてきたのだと。
 そこでくだんの友人は、何か『口にしてはならないこと』を口にし、結果、今日に至るまで目を覚まさない。
 なのに、その場にいた全員が、生霊が求めていたものも、友人が口にした言葉のどちらもまったく憶えていないのだ。
 まるで、記憶を抜き取られてしまったかのように。

 ──誰か、助けて下さい。

 短い一文。ただの文字の羅列のはずのそれが、今にも震えて声を上げそうなほど悲痛なものに映った。



 面倒くさがりということではそう比肩する者のない陸玖翠が、珍しく重い腰を上げたのにはそれなりの理由があった。
 何しろ翠は筋金入りの面倒くさがりなので、それをいちいち口には出さないけれど。
 無駄な手順や挨拶をすっ飛ばして、翠は書き込みの主と対面する。相手は中学生の、神経質そうな細面の少女だった。
「こっくりさんは何がやってくるのかもわかりません故、好奇心でやるものではありません。以後これを固く心の奥にて覚えておいて下さい。絶対ですよ。その約束を守るのであればお助けします」
 口調は丁寧ながら、にべもない翠の言葉に、少女は目に涙を浮かべながらこくこくとうなずいて見せた。おそらくは、藁にもすがる気持ちなのだろう。
 依頼人の案内で、翠は目覚めぬ『友人』の家へと向かう。その足元に音もなく付き従う黒猫の姿を不思議そうに眺めながら、少女は一軒の家を示した。
 家人に話は通してあるというので、翠は遠慮なく問題の『友人』の部屋へ向かった。
 あらかじめ用意しておいた符を取り出す。人の形をしたそれは『撫で物』と呼ばれ、撫でたものの穢れや厄災を移し取る。今回の件に手っ取り早く片をつけるのに、一番都合のいい符だ。
 『撫で物』は時に、悪霊すらも吸い取ってしまう。翠が人形の符を眠り続ける少女の額に押し当てただけで、彼女は嘘のようにぱっちりと目を覚ました。
 依頼人の少女は、悲鳴に近い歓喜の声をあげて友人に取りすがる。取りすがられたほうは、何が何やらという感じできょとんとしていた。
「貴方はコックリさんをしていて、悪霊に取り憑かれたようです。記憶にありますか?」
 見ず知らずの翠に唐突に問われ、呆然とした様子で、それでも少女は答えた。
「あ……、はい。ええと……、確か、コックリさんが『鏡を探してる』って言って、あたし、『鏡なら持ってるけど、貸してあげようか?』って答えたんです……」
 友人の言葉で思い出したのか、それとも悪霊の影響から解き放たれたせいか、依頼人が同意するように首を縦に振る。
「そうでした。私、それを聞いて、霊を相手に物の貸し借りなんかしていいのかなって不安になったんです。その直後、この子がいきなり倒れて……」
 ぐすんと鼻を鳴らしながら、少女は友人に抱きつき、その無事を喜ぶように背中を撫でた。友人も、ようやく今まで自分が置かれていた状況の恐ろしさを実感したのか、涙ぐんでいるようだ。
「鏡、ですか……」
 翠は呟く。
「そうです。コックリさん、自分の姿が鏡に映らなくなって困ってるって言ってました。だから、自分の姿がちゃんと映る鏡を探さないといけないんだって。でも、あたしが出した鏡には、ちゃんと自分の姿が映らないって言って怒り出して……」
 それで腹いせに、この少女に害をなしたという訳か。手の中の『撫で物』を、翠はしっかりと握りしめた。
 書き込みの文字を見た時から、そんな予感はしていたのだ。
 少女達が呼び出したものは、『生霊』などではない。自分が死んでしまったことにすら気がつかない、哀れな亡者だ。
 どんなに鏡をのぞきこんだところで、その姿が生前のように映し出されることはないのに──。


 翠は少女達に、二度と興味本位でコックリさんをしないと誓わせてその場を辞去した。
 彼女達は殊勝にうなずいていたけれど、次はおそらく、また違う危険な遊びに手を出すのだろうという気がした。
 それを別段、責めようとは思わない。あの年頃の子供達というのはそういうものだし、一度痛い目を見ないと分からないなら、痛みに学べばいいだけの話だ。
 人目につかない場所を探すうち、翠は寂れた公園を見つけた。
 乗る者がなく、土ぼこりをかぶったシーソー。腰掛ければきっと、腐りかけた木のきしむ音が聞こえるだろう。錆の浮いたジャングルジムの隣で、だらんと下がったブランコが風に吹かれてキイキイと嫌な音を立てている。
 おあつらえ向きだ。翠は手の中の符を放す。少女の額に当てるまでは白かったそれが、ススでもついたかのように黒く染まっていた。
 これをこのまま水に流してしまえば悪霊祓いは終わりなのだが、どうせここまで重い腰を上げてやって来たのだ、腰を上げさせた相手の姿を見ておくのも悪くはないと思った。
 符は静かに乾いた土の上に落ち、そこから人の形をした黒いものが煙のように立ちのぼった。かろうじて人の形を留めてはいるものの、あきらかに普通の霊とは異なっている。
「貴方が探している鏡は、この先ずっと探し続けても見つかりませんよ」
 いっそ冷淡とも言えるほど素っ気ない声音で翠は言った。
「何故なら、貴方はもうこの世にはいない。貴方は生霊などではない。……死んでいるんです」
『嘘だ!』
 今にも人の形を崩してしまいそうな危うい影が叫ぶ。それも獣の唸り声に似て、やはり人の声からはかけ離れていた。
『俺はただ、幽体離脱したまま元の体に戻れなくなっただけなんだ! 体さえ見つかれば元通りになるんだ!』
 影がもぞりと動く。おそらくは頭を抱える仕種をしようとしたのだろうが、悪霊へと堕ちたその姿は、ただ揺らいだようにしか見えない。
『畜生……! 畜生! 幽体離脱してる間に、誰かが俺の体を隠したんだ! 俺はもう、自分がどんな顔をしてたのか、思い出せない……!』
 この悪霊がどういういきさつで体を離れ、誰によって葬り去られたのかは分からない。ただ、「幽体離脱」という言葉を当たり前のように口にしたところを見ると、この男は常習的に自分の体を離れて遊びまわっていたのだろう。
 これも子供の火遊びの部類か、と翠は内心で呆れる。
 その結果がこれだ。好奇心で始めた遊びの大きな代償。誰もそれを代わりに払ってなどくれない。そんなことにも気がつかずに、人は危ない遊びに手を染める。
 何故なら危険な闇の遊戯は、それが剣呑なものであればあるほど、好奇心をそそる甘やかな光を放って人を誘惑するのだから。
 闇と光は表裏一体。そんな当たり前のことに気がつくだけの分別のある者なら、そもそも軽々しくそんなものに手を出しはしない。
 翠は陰陽師ゆえに、万物が陰と陽──闇と光から成っていることを知っている。もしそうでなかったとしても、永すぎる生を歩む間に、それくらいの知識は身についただろう。
 だが、今はそれだけの分別を持ち得ることが難しい時代なのかもしれない、と翠は思った。
 だからこそ今回、翠はいつもなら焼かぬ世話を焼いたのだ。
 誰かが乱した闇と光の均衡を正すために。
 取るに足らない小さな闇の波紋が、いつしか伝染病のように広がっていってしまわないように。
 人々の暗い思念が、光を駆逐することのないように。
『鏡、鏡はどこだ……。俺の顔を映す鏡は……』
 また、影が揺れる。
『あの小娘が持ってた鏡も駄目だった……。鏡、鏡を探さないと……』
 翠は黒い目を細めて影に見入った。
 妄執にとりつかれた愚かな魂。親切心から霊に「鏡を貸してあげる」と言ってしまった少女はまだしも、この悪霊を救ってやる道理など翠にはない。
 好奇心は猫をも殺すと言うが、コックリさんに興じた少女が、生命を害されなければならないほど暗愚だとは思わない。
 彼女は愚かだったけれど、困っている者に手を差し伸べる優しさを持っていたから、救われるに値する。
 それに比べてこの悪霊はどうだ。悪い遊びを繰り返した挙句、自分のしたことが招いた結果を直視せず、自分の目に都合のいいものが映るものを探してさまよい歩いては、生者に害をなしてきたのだろう。
 救わなければならない道理はない。本当に、まったくと言っていいほど。
 それでも翠は懐から符を出した。それを見た悪霊の声音が低くなる。
『何だ、それは』
 翠は答えない。悪霊は震えているように見えた。
 怖いのだ。翠が手にしているものは、邪なるものをことごとく退けるのだと、邪なる故に分かってしまうから。
『俺の邪魔を……するな!』
 黒いものが、鞭のような動きで翠の脚をなぎ払おうとする。それを、翠は軽々と飛んでかわした。
 続いて二撃、三撃と繰り出される。間隙なく放たれる攻撃をものともせず、全部こともなげに避けきり、翠は独り言のように呟いた。
「このまま滅してしまっても問題はありません」
 翠にはそれができる。ただの悪霊としてこれを祓い、永遠にこの世から消してしまうことが。
「ですが、貴方はまだ間に合います」
 その言葉が聞こえていないのか、悪霊は攻撃の手をゆるめない。けれど、それは全て空振りに終わる。翠の動きは風花のように軽やかで、どうにも捕まえようがないのだ。
 かすりもしない攻撃に、悪霊がいらだったように黒い影を揺らめかせた。
 影は己の黒い思念をふくれあがらせるがごとく、その身を広げて翠におおいかぶさってきた。翠の式神、黒猫の七夜がひらりと躍り出て、主を守るかのように威嚇する。
「おやめなさい。それ以上暗い妄念に己を投じ続ければ、貴方はやがて悪霊ですらなくなってしまいますよ」
 翠は符をかかげた。ひるんだように影が引く。
「一度は黄泉路を通らなければなりませんが、完全なる死のあとでなければ、新たな生は与えられないのですから」
 彼は運がいい。ただ除かれただけならば他の場所で新たな罪を働いただろう。それは彼を、影の、決して光とは交われない部分に同化させることになる。
 そして、もしも『撫で物』と一緒に流されてしまえば彼は消滅し、無と帰す。
 けれど、翠は──。
「──逐怪破邪符」
 翠が言葉を発するや否や、符から放たれた光の洪水が悪霊を飲み込んだ。それに洗い流され、清められして、あとにはただ、白い光がぽつんと残る。
 それは、かつては人であり、一度は悪霊へと堕ちた者の魂魄だった。
「還りなさい、人の転生の輪の中へ。貴方は新たなる生を受けて、そこで今までの罪を償えばいいのですから」
 まっさらになった魂は、導かれるように空へと昇っていく。それを見上げて翠は、いつしかとっぷりと日が暮れていることに気がついた。
 夜の空には月が浮かび、闇をやわらかく押しのけている。月見酒を楽しむにはいい夜だ。
 労働のあとだ、さぞかし美味い酒が飲めることだろう。
 翠は足を、ふらりと友の住処へと向ける。今日の話くらいしか、酒の肴になるものはないけれど。
 友はそれを聞いて、珍しい翠のお節介に驚くだろうか。
 それとも、らしいと笑うだろうか。
 どちらにしろ、そう悪い気分ではなかった。
 七夜を伴い、翠は月の下を、美酒の味に思いを馳せながらゆっくりと歩く。
 友と酌み交わす酒はきっと、時に永遠の命に倦みそうになる翠の心を慰めてくれるに違いなかった。