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<東京怪談・PCゲームノベル>


過去の労働の記憶は甘美なり

「すいません、ここは短期のアルバイトを取ってますか?」
 ある日の夕方、ナイトホークが夜の営業の準備をしていると、金髪に緑の瞳をした少年が蒼月亭に入って来るなりそう言った。その真っ直ぐな瞳と、きっぱりとした言葉にナイトホークは吸っていた煙草を灰皿に置き、まずカウンターの席を勧める。
「えーと、ちょっと待て。話が見えないから、まず自己紹介からしてもらおうか」
「矢鏡 小太郎(やきょう・こたろう)です。神聖都学園の高等部二年生です」
 お互い顔だけは知っている仲だった。ナイトホークには河川敷ライブをやったときにジュースのケースを貸してもらった事があったし、その後小太郎はここに食事に来ている。
 だが、ナイトホークは怪訝な顔で小太郎を見た。
「短期のバイトって事は、何か急に金が必要なのか?」
「………」
 ナイトホークの言葉に小太郎が黙って俯く。
 早急にお金が必要な理由はあるのだが、それを口にすると断られそうな気がする。自分でも分かってはいるのだ…その「理由」が無茶である事を。
「ダメだったらいいんですけど…」
 小太郎の言葉を聞きナイトホークが煙草を吸う。そしてカレンダーを覗き込みながらこう言った。
「二日ぐらいでいいか?それぐらいでいいなら雇えるけど」
「お願いします。一生懸命頑張ります」
 それで充分すぎるぐらいだ。深々とお辞儀をする小太郎を見てナイトホークが苦笑する。「じゃ、カウンター入って。色々前もって説明しなきゃならない事があるから」
 ナイトホークに渡された青いシャツに黒のベスト、そして蝶ネクタイに着替えた小太郎は緊張気味に辺りを見回していた。カウンターの外からでは分からないが、中の足下には冷蔵庫があったりして、それら全てが物珍しい。
「まず挨拶は『いらっしゃいませ、蒼月亭へようこそ』な」
「はい。『いらっしゃいませ、蒼月亭へようこそ』ですね」
 小太郎が他に言われたのは、客が来たら夜の場合は水を出さずにおしぼりを出して注文を取る。コーヒーやソフトドリンクの客には冷蔵庫に入っている小さな洋菓子を出し、アルコールメニューの客にはカクテルグラスに入ったイカとトマトの冷製サラダを突き出し代わりに出すという事だった。
「カクテルとかは俺が作るから、その間に注文があったらしっかり聞いといて。基本的に笑顔忘れなきゃ何とかなるから」
「笑顔、ですか…」
 ナイトホークに言われ、小太郎がぎこちなく笑う。普段普通に笑うのは出来るが、意識して『笑顔』と言われるとなんだか急にそれが難しいもののように感じる。
「そう。ここに来る客は皆ゆっくり羽を休めにやって来るからな…それをもてなす俺達が無表情だったら休まらないだろ」
 そう言ってナイトホークがふっと笑った。確かにそうやって目を細めるだけで、自然と小太郎の緊張感も解けてくるような気がする。その時だった。
「こんばんはー。今日のお勧めは『カボチャのニョッキ』と『鯵の酢漬け』でーす…ってあれ?新人さんですか?」
 蒼月亭の玄関から少女が大きなタッパーを持って入ってきた。それを見て小太郎は慌ててカウンターから出て、タッパーを受け取る。
「ああ、二日ぐらい手伝ってもらう事になったから。こっちは従業員の立花 香里亜(たちばな・かりあ)な」
「矢鏡 小太郎です、よろしくお願いします」
 タッパーを持ったままお辞儀をする小太郎を見て、香里亜がにっこりと笑う。
「小太郎君ですか…よろしくお願いしますね。先輩風ぴゅーぴゅーですよ」

 香里亜やナイトホークと一緒に夕食を取ったあと、蒼月亭は夜の営業に入った。
「いらっしゃいませ、蒼月亭へようこそ」
 とにかく笑顔を忘れないように、小太郎は微笑みながらカウンターにおしぼりを出す。その後ろからナイトホークがそっと声をかけた。
「ご注文がお決まりになりましたらお願いします」
 最初に入ってきたのは女性客だった。常連なのか、メニューも見ずにスッと注文を告げる。
「『ギムレット』と、今日のお勧めの『鯵の酢漬けサラダ』を」
「かしこまりました」
 アルコールメニューなので、前もって言われたように足下の冷蔵庫から冷製サラダの入ったカクテルグラスを出す。それにフォークを添え客の目の前に差しだした。
「こちらお召し上がり下さいませ」
「ありがとう。見慣れない顔ね」
「あ、はい。今日入ったばかりなんです」
 突然話しかけられて戸惑う小太郎に、ナイトホークがシェーカーを用意しながらくすっと笑う。
「ヘルプで入ってもらってるんだ。だからあんまりいじめないでやって…小太郎、キッチン行ってきて」
「はい」
 そう言われ、キッチンに『鯵の酢漬けサラダ』を取りに行きながら、小太郎はそっとナイトホークを見た。シェーカーに大きな氷を入れ、冷凍庫からスッと瓶を出し計って入れる。それがなんだか絵になっていた。
 元々ナイトホークは長身なのだが、背筋を伸ばしてシェーカーを振っているとそれだけで独特の雰囲気になる。多分自分が同じようにシェーカーを振ってもああは行かないだろう。
「格好いい…」
 思わずそんな事を呟いていると、香里亜が笑いながらそっと皿を差し出した。
「ふふ…ナイトホークさんですか?カウンターにいると格好いいですよね」
「僕もあんな風になりたいです」
 ああいうのを大人の男というのだろうか。まだ子供の自分には分からないが、出来ればあんな雰囲気の大人になれたら…そんな事すら思う。
「小太郎君も格好いいですよ。はい、笑顔でお願いします」
「えっ?」
 その返事の代わりにサラダがの皿が差し出される。小太郎は少し赤くなりながら、言われたように笑顔でカウンターに向かう。
「お待たせいたしました、こちら本日のお勧め『鯵の酢漬けサラダ』になります」
 いつも学校で笑ったりしているのとは全く違う。ベストに引っ張られるように背筋を伸ばし、指先まで気を使いながらそっと皿を置く。横目でナイトホークを見ると、カクテルグラスに『ギムレット』を静かに注いでいた。
「お待たせいたしました、こちら『ギムレット』になります。ごゆっくりどうぞ」
 やっぱり何か自分と違うような気がする。
 グラスを置くと、ナイトホークはベストのポケットからシガレットケースを出しながら、小太郎に向かって微笑んだ。
「上出来だ。これから忙しくなるから、頼んだぞ」
「はい、ありがとうございます」
 その後もやる事はたくさんあった。
 空いたグラスを下げたり、物足りなそうにしている客に「何かお作りしましょうか?」と聞いたり、メニューの説明をしたり…仕事は思ったよりも楽しかったのだが、時間が経つにつれ小太郎には気になる事があった。
 ここに短期のアルバイトに来た理由。それは小太郎が河川敷で面倒を見ている動物たちの中に体の調子の悪い犬がいて、動物病院に連れて行ってやりたいからだった。寮暮らしでさほどお金を使う方ではないが、動物たちの餌を買ったりもしているので金銭的に病院に連れて行ける余裕はない。だから日雇いで何処かに雇ってもらう必要があったのだ。
 だが、今はどうしているだろう…苦しんだりしていないだろうか…そう思うと、つい考え込んでしまう。
「………」
「小太郎、手が止まってる」
 空いた皿を手に持ちながら思わず考え込む小太郎に、ナイトホークの声が小さく飛ぶ。
「どうした、何か気になる事でもあるのか?」
「はい…でも、仕事はちゃんと頑張ります」
 慌てて皿を流し台に置き、小太郎は小さく溜息をついた。ここでアルバイトをクビになるわけにはいかない。そんな事を考えながら皿を洗ったりしていると、カウンターの方から声がした。
「マスター『ドッグズ・ノーズ』一つ」
 それを聞き、小太郎の手からカクテルグラスが滑り落ちた。ドッグズ・ノーズ…犬…カシャン!と高い音を立て、グラスが割れる音がする。
「失礼いたしました」
 すぐにそう言ってナイトホークが小太郎の足下にしゃがんだ。小太郎も慌ててグラスの破片を拾ったが、なんだか急に胸が詰まるような気がした。
「すいません…弁償します」
 そう言って謝ると、ナイトホークがくしゃっと小太郎の頭を撫でた。
「それより怪我ないか?グラスの破片で手切るなよ」
「ごめんなさい…」
「少しキッチンに下がってろ。こっちは片づけとくから」
 それに無言で頷いて小太郎はキッチンに下がった。本当は何か言いたかったのだが、口を開くと涙が出そうだった。ナイトホークはその雰囲気に気付いたのだろう。
「小太郎君、どんまいですよ」
「………」
 ぎゅっと口を一文字にし涙をこらえていると、香里亜がキッチンの冷蔵庫からチョコレートのケーキを出した。それにフォークを添え、小太郎を椅子に座らせる。
「甘い物は人を少しだけ幸せにするんですよ。これ食べて少し休憩しましょう」
「はい…」
 その優しさが胸に染みる。本当だったら怒られてもいいはずなのに、どうしてこんなに優しいのだろう。ぽろぽろと小太郎の目から涙がこぼれる。
「このハンカチ使ってくださいね」
 そう言って、可愛い犬のワンポイントがついたタオルハンカチを差し出して香里亜がカウンターに出る。
「お待たせいたしました、こちら『ドッグズ・ノーズ』になります。ごゆっくりどうぞ」
 ナイトホークがカクテルを差し出す声を聞きながら、小太郎は涙を拭きながらチョコレートケーキを口にした。
 それは甘くて苦く、少しだけ涙の味がした。

「今日は早じまいだ」
 午前零時を過ぎ、客が丁度引けた所でナイトホークは店を閉めた。そしてベストを脱ぎながら小太郎にこんな事を言う。
「おい、河川敷に行くんだろ?一緒に行ってやるから早く準備しろ」
「えっ…」
 アルバイトの理由は言わなかったはずだ。なのに、何故ナイトホークはそれに気付いたのか…小太郎がそう思っていると、吸っていた煙草を消しながらナイトホークが溜息をつく。
「前に河川敷でライブするって言ってただろ。学生が早急に金策なんておかしいと思ってたんだが、『ドッグズ・ノーズ』でグラス落としたときに気付いた。あそこには犬や猫がいたはずだってな…急ぐんだろ」
 店の掃除を香里亜に任せ、小太郎とナイトホークは河川敷に向かった。ライブをしたときに刈った草はもうかなりの高さまで伸び、橋の下に敷いた段ボールの上に具合の悪そうな犬が横たわっており、その周りを他の犬や猫たちが心配そうにうろうろしている。
「大丈夫?」
「クゥーン…」
 そう言って鼻を鳴らした犬をナイトホークがひょいと抱え上げた。
「お前のバイト代はこいつに使う気だったんだな。二十四時間やってる獣医があるから、診せに行くぞ。そして小太郎、お前に話がある」
 病院に向かう間、ゆっくりと歩きながらナイトホークは小太郎に話をした。
 優しいのはいい事だが、この先ここにいる犬や猫をどうする気か…と。
「餌をやったりするのはいいが、避妊手術や予防接種、この先こいつみたいに病気になった奴が出たら、お前はその度に俺の所にアルバイトに来る気か?自分の面倒もちゃんと見れない奴が他の奴の面倒を見るなんて無茶もいいところだ」
「………」
 言い返す事が出来なかった。
 アルバイトなどで餌をやったりはしているが、全員の面倒を見きる事は出来ないだろう。これから冬になり寒くなったりしたらどうしようか…そんな事を思いながらも、どうしても小太郎はここにいる仔達を見捨てる事は出来なかった。人間の勝手で捨てられた犬や猫を、何とか自分が守ってあげたかった。だが、ナイトホークが言う事はもっともだ。
「ごめんなさい。でも、僕はこの仔達を見捨てられません…」
 くしゃっと小太郎の頭に大きな手が乗せられる。
「誰が見捨てろって言った。小太郎が面倒見てるのはあそこにいるので全部か?」
「そうです。犬が六匹に、猫が十二匹…」
 それを聞きナイトホークが天を仰いで溜息をついた。抱かれたままの犬は心配そうに小太郎を見ている。
「躾はちゃんと出来てるんだろうな?」
「はい。みんな大人しいし、ケンカもしないいい仔達です」
「じゃあ、俺も協力してやるから全部の引き取り手を捜すぞ」
 そう言ってナイトホークがふっと笑う。
「俺はずっと店にいるから飼ってやれないけど、俺の知り合いに丁度犬や猫が欲しいって言ってた奴がいるから、そいつにも声かけてみるよ。小太郎も自力で何匹か引き取り手探せよ…返事は?」
 小太郎はその声に顔を上げた。
 今までも里親捜しをしていたりしたが、ナイトホークが手伝ってくれるのならきっと全員幸せになれるだろう。冬になっても安心して過ごせる家を見つけられる。
 今まで一人で何とかしようとしていたが、それが間違いだったと言う事に小太郎は気付いた。自分一人でどうしようも出来ない事であれば、助けを求める事は悪い事ではない…おそらくナイトホークはそれを言いたかったのだろう。それがなんだかとても嬉しい。
「はい、ありがとうございます、ナイトホークさん…」
 目をこすりながら小太郎は何とか言葉を吐く。
「ん、優しいのはいい事だけど、それは時として残酷になる事だけは覚えとけ」
「はい…」
 突き放したような言葉だが、その意味を小太郎はしっかりと噛みしめていた。

 獣医に診せた犬は、ちょっとした風邪だったようで点滴と入院ですぐに元気になった。
 だがナイトホークと二人で里親を捜し、予防接種をしたり避妊手術をしたりしたせいで小太郎が考えていた以上に金額はかかった。
「ナイトホークさん、お金がかかったぶん僕がバイトして返します」
 だが、ナイトホークは笑ってそれを断った。
「俺が好きでやった事なんだから、学生が金の心配するな」
「でも、やっぱり申し訳ないです」
 今日は蒼月亭で猫を六匹まとめて引き取ってくれる人を待っていた。猫たちは大人しく大きな段ボールに入り、時々ひょこっと顔を出したりしている。そんな猫を撫でながら、ナイトホークは小太郎の方を見て溜息をつく。
「仕方ないな…じゃ、夕方から週に二回ぐらいバイトに入ってもらって、その半分だけ徴収するか。そうしないとお前の気が済まないんだろ?」
「ありがとうございます!僕も頑張ってナイトホークさんみたいに格好良くなります」
「…俺は悪い見本だから参考にするな」
 近くにいれば、自分もさりげなく優しさを見せられるようになるだろうか。
 苦笑するナイトホークを見ながら、小太郎は猫を抱き上げにっこりと微笑んだ。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
6615/矢鏡・小太郎/男性/17歳/神聖都学園 高等部生徒

◆ライター通信◆
ご参加ありがとうございます、水月小織です。
河川敷で面倒を見てる犬を病院に連れて行くために、蒼月亭でアルバイトをする…という事で、犬の具合を気にしつつ頑張ったり、ちょっと失敗したりという話になりました。
高校生で全部の面倒を見るのは大変なので、ナイトホークが説教をしつつ里親捜しをしていたりします。小太郎君は真面目で律儀な気がするので、ラストでアルバイトの約束など取り付けたりしました。全部払ってもらうというのはきっと、小太郎君的に気が済まないのではないかと思います。
リテイク・ご意見はご遠慮なく言ってください。
猫六匹を引き取ったお家は後々出てきますので、またよろしくお願いいたします。