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<東京怪談・PCゲームノベル>


人形博物館、見学 〜価値観〜

 針のような霧雨の降る。
 重い雲が覆う空から時折差す光が、無数の細い線を描く雨の間を縫うようにして。
 それらが、虹のような色彩を見せる。
 モノクロの世界に、虹色の薄いヴェールを纏わせたような。
 どこか現実感が伴わない、それはそんな日の出来事だった。

「……あー……そういや予報で、午後は降るって言ってたか……どうしよ」
 鷹邑琥珀は空を見上げた。その頬に水滴が当たって、首まで伝う。
 さっきまでは快晴とは言わないまでも、とても雨の降りそうな天気ではなかった。風が止むと、強めの陽射しにじんわりと汗をかくほどで。初秋らしい心地よさと暑さが混じった日。
 だと思っていた。
 上着を頭の上に乗せて雨を避けながら、裏通りの、少し薄暗い住宅街の中を走り出す。
 幸いなことに、仕事帰りだ。
 これから誰かに会う必要もない。多少濡れたって平気だし、この程度ならずぶ濡れにはならないだろう。この辺りの地理には疎いが、大通りに出れば雨宿りをするところもあるはず。
 と思っていた。
 その考えはどうやら甘かったらしい。

 十数分後。
「こりゃ、無理だな……」
 偶然見かけた小さな店の軒先を借りて、琥珀は呟いた。
 雨足はあっという間に強くなり。霧雨がその字の如く、霧が立ち込めるように周囲を包む。
 土砂降りではないものの、とても傘なしで歩ける状態ではない。
 と。
 ふわりと、柔らかい匂いが鼻をついた。
 木々の、草の緑が雨に打たれて放つ、どこか、懐かしいような匂い。
 目を向けると。
 正面――道路の向かい側に、周囲の古い住宅街から浮いた雰囲気の洋館があった。それまで、違和感に気づかなかったのが不思議なほどだ。
 低めの壁には蔦が絡み、その向こうには木立が見える。
 視線を動かしていくと、門が見えた。意外と綺麗に手入れがされている。
 『久々津館 -人形博物館-』
 表札には、そう書いてあった。入館料がその脇に。一人、五百円。
 別に、時間を急ぐわけでもない。傘一本と値段は変わらない。
 雨宿りにはちょうどいいだろう。
 どんなものが展示されているのか、ちょっと気になることだし。
 心の中でそう呟きながら。
 琥珀は雨に濡れる細い道を横切って、門を抜け、木立の向こう――久々津館に、足を踏み入れるのだった。

「へぇ……思ったより、綺麗な作りだな」
 大きな扉を開き、小さなホールのようなところに出ると、思わず声が漏れた。
 外観の古さのわりに、内装は地味ながらも清潔にまとめられている。
 手入れが行き届いている証拠だ。走り抜けてきたのでよくは分からなかったが、庭もそれなりに手入れはされている様子だった。この管理具合なら、展示も期待できるかもしれない。
 にしても――人の気配がない。
 入り口はこちら、と確かに扉の脇にはプレートが掲げられていたのに。
 辺りを見回す。カウンターのような、受付のようなものはあるが……。
「タオルを、どうぞ」
 突然。
 背後から、声がかけられる。それも、すぐ近くで。
 耳元と言っていいような距離。
「うひゃぁっ」
 想像の埒外の出来事に、おかしな声が出てしまった。
 振り向くと。
 そこにいた人影に、ぶつかりそうになる。
 女性、だった。
 白いブラウスに黒のロングスカート。きっちりとそろえられた、肩までの黒髪。落ち着いた、日本的な整った顔立ち。
 差し出されたその両手には、タオルが乗せられていた。そういえば、頭も濡れたままだ。
 ありがとうございます、と受け取り、軽く身体を、頭を拭く。
 しかし、この女性。
 どこか、違和感を感じる。
 何だろう。
 ――そうか。
 表情がないのだ。
 営業用の笑顔が張り付いているわけでもない。無愛想とも少し違う。存在していない。ただ顔の造作がある。言葉を出せば口が開く。ただそれだけ。
 それに、そう。
 もう一点、あることに気がついて、慄然とする。
 さっき、いきなりすぐ背後から声をかけられるまで、全く――気配を感じなかった。
 そしてそれは、今もそうだ。ここにこうしてその姿が見えているからこそ認識できているが、例えば目隠しされてしまえば、そこにいる、ということも分からないかもしれない。
 それでも、琥珀がただの一般人だったらそこまで気にはならなかったかもしれない。
 けれど、そうではなかった。
 退魔師。それが、さっき済ませてきたという仕事、職業だった。人外のものも含めて、気配を読むこと感じることについては長けていると、多少の自負もある。
 なのに、全く感じることができない気配。
 気になること、この上ないが――親切にしてもらっている相手に対して疑うのも悪いし、邪気の類ももちろん感じられない。
「見学、ですか? 五百円、に、なります」
 タオルを返すと、その女性はそう告げた。たどたどしい、しかし淡々とした調子で。
 それで、本来の目的を思い出す。
「ええと、ガイドブックみたいなものはあるんですか?」
 五百円玉を渡しながら、問いを投げかける。すると相手は、カウンターの上に置いてあった冊子を取り出し、そっと差し出てきた。どうやらその冊子が案内になっているらしい。
 それにしてもつい、相手に合わせて丁寧な口調になってしまう。どうも調子が狂う。
「顔に、何か、ついてますか?」
 ――っ。
 思わず、じっと見てしまっていたらしい。
「い、いや、何でも――ないです。入り口、こっちかな」
 いくら怪しいとは言え、女性の顔をまじまじと見つめては気まずい。慌てて冊子の最初のページにあった見取り図から入り口を見つけると、そちらを向いて目をそらし、歩き出した。
 後ろ髪を引かれながらも、ホールの奥にある扉をくぐる。

 展示は、なかなかのものだった。
 外見はいかにも軽そうに見えるが、実は、琥珀はこういった博物館などがかなり好きだった。実家が古い家で、幼い頃から各種芸事・習い事を叩き込まれたから、品物の良さ、味というものも分かるとは思っている。
 それからすれば、この博物館は――当たり、だった。
 人形という狭いジャンルに絞っているのに、量も質も、相当のものが揃っている。
 いや、逆にジャンルを絞ることで、深く掘り下げることができているのかもしれない。
 一つ一つの部屋は地域、年代ごとに纏められており、進むにつれて年代が新しくなっていく。同じ時代で世界各地にどんな人形が存在していたかを感じながら、その変遷を見ていくことができる。
 個々の展示物も興味深く、伝統的なものから、素人が作ったような手作りの人形まで置いてある。
 説明書きも細やかに付けられており、その当時の文化や歴史というものも垣間見える。
 アンティークドール、文楽人形、雛人形。ブードゥの人形もあれば、琥珀の仕事にも深く関係のある、形代――紙に人の形などを書き記したもの――などもある。
 気づけば、雨が止むまでの間ということも忘れて、のめりこんでいた。
 だけれど。
 それは、展示物の時代が近代に入ってきた頃だった。
「――ん?」
 気配のようなものを感じて、ガラスケースから目を離し、顔を上げる。さっきから、一度も他の客と会わないが、ようやく誰か来たのか、と部屋を見回してみるが――誰もいない。気配も、消えている。
 気のせいか――いや。
 器物でも、年月を経たもの、大切にされていたものには不思議な力や意識が生まれるものもある。人形は、その点から言えば『そうなりやすいもの』だ。もしかしたら、そうして『目覚めた』ものがこの中にもあるかもしれない。
 ひょっとしたら、仕事に繋げられるのかもしれないな。
 ある意味不謹慎なことだが、そんなことも思う。

 そして、次の部屋。もう終わりも近いのだろうか、時代は近代になってきているようだった。年代のプレートが、掲げられている。
 扉を開け、中に入る。今までと同じく、ずらりと人形たちが、硝子の向こう側に並ぶ。
 そのときだった。

 ――して。

 声が。
 聴こえた。
 いや、違う。聴こえたのではない。感じたのだ。声無き声。
 さっきのような気配ではない。微かだけれど、確実なもの。
 それだけではない。
 確実に、色濃く漂う――気配。人ならぬ存在の。
 それが部屋全体に、満ち満ちていた。
 とても、尋常な状態ではない。
 軽く自分の頬をはたく。気を引き締める。ポケットに手を入れた。そこには、仕事道具である札が入っている。
 札やその他の器物を介して式神を召喚し、それをもって魔を処する。それが琥珀の退魔法だった。
 こうなると、他の客がいないのは好都合だ。
 じっと、目を凝らす。
 感覚を研ぎ澄ます。
 普通は見えるわけもない気の流れ。それを掴み取るために。
 部屋全体に澱んでいるように見えるその気配を、少しずつたどっていく。
 ゆっくりと目を閉じて。そして、開く。
 琥珀の見る先には、順路の矢印とは別に存在する、小さな扉があった。
 そうは書いてないが、順路と書いていない以上、立ち入り禁止なのだろう。
 ――受付のあの子を呼んでくるか?
 逡巡する。
 しかし。

 ――ころして。

 先程は微かだった響きが、意味を成して聞こえる。
 ただならぬ、その意味を理解したとき。
 思わず、琥珀は足を踏み出し――扉を開けていた。

 細い通路になっていた。
 薄暗く、少し埃っぽい。それからしても、ここが客を入れるような場所ではないことが分かる。
 通路はすぐに行き止まり。今さっき開いたものと同じ扉が見える。
 もう、感覚を澄ますまでもなく。
 その扉の向こうから、禍々しい気配を強く感じる。
 邪念と――そう、死の気配がまざったような、独特のもの。
 警戒しながら、近づいて。
 高まる、嫌な予感。
 それでも半ば吸い込まれるようにして、扉に手をかけた。

 悲鳴のようなきしんだ音を上げて、扉が開かれる。
 ――うぁっん。
 表現しようもない、衝撃波のような無音の波が琥珀を襲った。
 思念が混ざり合って、澱んで、うねりとなって。
 混沌として、掴みようもなくなっているそれらから強く感じるのは、憎しみでも、悲しみでもなく。
 強いて言うなら――そう、強いて言うならばそれは――。
 絶望感。生への倦み。
 静かな禍々しさ。
 圧し潰されそうになりながらも、顔を上げると。
 小さな部屋には、一面に――小さな人形が置かれていた。
 隙間もないほど並べられた無数の人形たち。
 それらは、例外なく――禍々しい念を放っていた。
 ――殺して。消して。ころして。消えたい。こわしてけしてころしてころしてけしてきえたいころしてしにたいいなくなりたいきえたいはやくけしてつぶしてこわしてきえたい
ころしてしにたいきえたいおわりたいころしてこわしてきえたい――
 脳に直接響く。割れるように痛い。
 苦痛に顔をしかめながら、札を取り出す。
 式神を――。
 と。
 札を持った、その手の首をつかまれた。
 いきなり、背後から。
 慌てて、手を振り払う。道具を奪われるのは、琥珀にとって致命的だ。もちろん触媒となる道具は札だけではないが。
「勝手なことをされては困りますね」
 男の声。よく通る声。それは、生身の声だ。
 振り向いた琥珀の前に立っていたのは。
 帽子を目深に被り、黒いコートに、黒手袋。闇に溶け込むかのような姿の男。背は、琥珀よりも高い。
 慌てて、説明しようとする。上手く言葉にまとめられないながらも、この部屋の人形は全て尋常ではないと、信じてなどもらえないかもしれないが、自分は退魔師で、こんな状態のものはほうってはおけないと。
 帽子の鍔の奥で、冷ややかな瞳がこちらを見つめる。やはり理解できる話ではないのか。
 だが、そうではなかった。
「その類の職業だろうということは、雰囲気と、その札で分かりますよ。ただ……これらは私どもが管理しているものです。貴方がどなたかは知りませんが、依頼をした覚えはありません」
 明朗な口調。
 言い返せない。筋は通っている。だけれど。
「だからと言って……こんな状態のものを、放っておくなんてっ」
 絞りだすように、投げかける。
 にらみ合うように立つ、二人。その周りを、想念が絡みつく。
 ふう。
 大きなため息をついたのは、相手だった。
「まあ、落ち着きましょうか。少し休憩できるところにでもいきましょう。ここにいる人形たちは動くことはできないので、大丈夫です……事情を、お話しますよ」
 促されるままに、部屋を出る。通路を戻り、やがて、小部屋に通される。
 応接間――のような部屋だ。言われるままに、ソファーに座る。
 男は、鴉と名乗った。本名ではないのだろうが、そう呼べということだろう。琥珀も簡単に自己紹介をする。
 そして、早速聞く。「あれは、あの部屋は、一体何なのか」と。
 一拍の間を置いて。
 鴉は、ゆっくりと語り始めた。
「正直に言いましょうか。あれは、元――人間です」
 それは、琥珀もうっすらと感じていたことだった。器物が命を、精神を持ったにしては、『あれ』は、思念が生々しすぎる。
「彼らに、既に肉体はありません。全て了解の上で、この館に住む私の友人の能力で、身体から人形に移し替えたのです。もちろん、本人の了解を得てのこと。理由はいろいろです。世の中に絶望しているが、死にたくないという人。不老不死を望む人。人形になってしまうことによる不都合も、十分に語っていますし、疑似体験もしてもらっています。それでも、どうしても――という人に対して行うサービスです」
 じゃあ、何であんなことに。素直な疑問が口をつく。
「――そうは言ってもですね。早い方で数年ほどで……全員ではないのですが。人形でいることに、そうしてあり続けることが辛くなってしまう人がいるのです。あそこは――そうなりかけている人たちを集めた部屋なのです。もちろん、持ち直す人もいます。ただ、完全に意識が澱んでしまったら――残念ですが、あの部屋に溜まっているあの意識の望むままに……断ち切ります。魂ごと、消し去るのです。それも契約のうちではあります」
 内容はつかめてきた。ただ、それを許容できるかどうかは別問題だ。それに。
「そんなことをして、鴉さん、あなたに何の得があるんです?」
 視線を合わせる。逸らさずに。
「それこそが、必要だからです。私と、そしてその友人が生きていくのに。友人は、人の身体と魂を結びつける、生気を摂らないと生きていけない。私は……人の魂を、食らわないと生きていけない。数か月に一度、でいいのですけれどね。ただ、先程も言いましたが――決して、強要もしてませんし、騙してもいません」
 言葉から、嘘偽りは感じない。
 ただ、本当にそれは――正しいのだろうか。
 正しいとは、思えないが。糾弾できるほど、この館のことを知っているわけではない。
「今日、これから……あの部屋の中の何人かを、私が……消滅させますが。見て行かれますか? 止められるなら、抵抗させていただきますが」
 厳かに告げる鴉。
 琥珀は、頭を振る。見ることに対しての否定か、止めることについての否定か。琥珀自身にも分からなかったけれど。
「入り口まで送りましょう。良かったら、また来てください。これがあれば、博物館内もいつでも自由に入って頂けます」
 そう言って、小さなマリオネットを手渡す鴉。
 それを握り締めるようにして。
 琥珀は、久々津館を後にした。
 何度か、振り返りながら。
 いつしか、雨は止んでいた。

 自分の考えに、気持ちに決着をつけたら、また来るのか。それとも、それを決めるためにまた来るのか。もしくは、二度と訪れないのか。
 それは、今はまだ――分からない。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】

【4787/鷹邑・琥珀(たかむら・こはく)/男性/21歳/大学生(退魔師)】

【NPC/炬(カガリ)/女性/23歳/人形博物館管理人】
【NPC/鴉/男性/30歳/よろず人形相談・承ります】

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■         ライター通信          ■
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 初めまして。伊吹護と申します。
 発注ありがとうございました。
 思わず少し長くなってしまいましたが、いかがでしたでしょうか。
 しかも、久々津館そのものもかなりネタバレ気味です。
 お気に入りいただけたら、幸いです。
 またの機会がありましたら、是非是非よろしくお願いいたします。