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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


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 久しぶりに神崎美桜の住む屋敷へと来た都築亮一は、ベランダから外を眺める彼女の姿に目をとめ、不審そうにした。
 明らかに沈んだ様子である。何かあったのだろうか?
(……また深く考えて自滅してるんでしょうね)
 落胆する。美桜にはいつも明るく笑っていて欲しいのに。幸せで居て欲しいのに。
 涙を零している美桜は、遠くをじっと眺めている。
 亮一はその様子を目に焼き付け、家の玄関へと向かった。



 ドアを開けたのは、遠逆和彦。美桜の恋人である。
「あ……こんばんは」
 少し微妙な表情をした和彦に、亮一は「こんばんは」と挨拶するとお土産の栗金時を手渡す。
 不思議そうにする和彦に、亮一は頼んだ。
「お茶の用意をお願いします」
「…………」
 彼は紙袋を見下ろし、それからもう一度亮一を見遣った。何か言いたそうな顔をするものの、くるりと方向転換して台所へと入って行く。
 さて、和彦には席を外してもらった。亮一は美桜のいる部屋に入り、ベランダまで行くと、彼女に声をかける。
「美桜」
「……兄さん」
 振り向いた美桜は、涙を拭おうともしない。
 亮一は子供のように美桜を片手で軽々と抱きかかえ、そのままの姿勢で語りかけた。
「どうしました?」
「…………」
 美桜の様子に、亮一は悟る。
 彼女は感情がうまくコントロールできていないのだ。
「……気持ちが、伝わらないの。どうしても。どうしてなの……?」
「原因は? 話してみてくれませんか?」
「……ある人に、友達になって欲しいと言ったんですけど……私の気持ちは伝わりませんでした。
 私が口下手だから? 気持ちが、気持ちがうまく伝わってなくて、私、嫌な子だと思われて……」
 ダメな子なんだ。
 そういう表情をする美桜に、亮一は優しく微笑んだ。
 どうやら美桜は、気持ちが相手に伝わらなくてどんどん悪いほうへ気持ちが進んでいるらしい。とりあえず落ち着かせることが先決だ。
「いいんですよ、美桜」
「兄さん?」
「これ以上、無理をしなくていい。今は分かち合わなくても、おまえにとって必然ならいつかまた回り逢えるはずだから」
「……そう、ですか?」
 その言葉を信用していない美桜は、納得半分、疑い半分の口調で呟く。
「少しずつでいい、前に進みなさい。おまえには帰る場所がある。帰りを待っていてくれる人がいる。お前達は一人じゃないんだよ」
 おそらく和彦もそろそろこの部屋の前に着いているだろう。彼への言葉でもあったので、亮一は大きな声で言った。
 美桜は顔を歪めていたが、安心したように頷き、亮一にすがりついた。



 お盆にお茶と、亮一の土産の栗金時を皿に乗せ、和彦は彼女が居るであろう部屋まで向かう。亮一がおそらく彼女のもとへ行っていることは、なんとなく気づいていた。
 複雑な心境だった。
 片手で盆を持ち、ノックしようと右の拳を作ってドアを叩く瞬間――。
「いいんですよ、美桜」
 という、亮一の声が聞こえた。
 和彦は瞬間的に手を止め、ノックをするのを避けた。そしていつもの癖で気配を消していることに気づく。
 何もやましいことはしていないのに、癖というものは恐ろしい。美桜の前では無防備に気配を見せてはいるが、亮一の前ではそうはいかない。
(盗み聞きしてしまう……)
 そんなことはしたくない。和彦は慌ててそこから立ち去ろうとした。
「兄さん?」
 だが、そこから動けなかった。足が床に強力な接着剤で貼り付けられたように、動かない。
 聞きたくない、と和彦は拒絶した。嫌だった。
 彼女に選択を迫り、答えは出さなくていいと言ったが……それでも自分の中では解決していない。何も。
 自分からの言葉が聞けて安堵した美桜とは違う。彼女の中では何か解決していても、実際は何も解決してはいないのだから。
 解決したのは彼女の心の中でだけ。勝手に納得して、彼女はそこで終わりにしている。
 だが自分は?
「これ以上、無理をしなくていい。今は分かち合わなくても、おまえにとって必然ならいつかまた回り逢えるはずだから」
「……そう、ですか?」
 どうして。
 和彦は冷汗をじっとりと掻いた。
 もう嫌だと本能が訴える。口元が引くつき、喉が渇いた。
「少しずつでいい、前に進みなさい。おまえには帰る場所がある。帰りを待っていてくれる人がいる。お前達は一人じゃないんだよ」
 カッと頭に血がのぼった。今の言葉は、自分に宛てた言葉でもある。
(帰る場所? 待っててくれる人? 一人じゃない?)
 どこに? 誰が? いいや――。
(一人だ。俺は)
 ひどい孤独感に眩暈がした。
 今の会話を聞いたか? ほらみろ。彼女は俺を選ばない。彼女の横に立って慰めているのは俺じゃない。俺の慰めでは駄目なんだ。
 彼女に――――。
 和彦はかたかたと手を震わせた。目頭が熱くなる。鼻の奥が痛み、涙が浮かんだ。
(彼女に俺の存在は必要ない……)
 俺が居なくてもいい。都築さんが居れば、それでいいんじゃないか。決定的だった。
 彼女は頼ってくれと言った。それなのに。
 和彦は唇を噛み締め、逃げるように身体を反転させて、足音もなくそこから立ち去った。
(俺に頼らないくせに、よく言う……!)



 ノックの音がして、亮一は小さく返事をした。和彦がお盆を両手に持って入ってくる。
「遅かったですね」
 亮一の悪意のない言葉に和彦は無表情で「悪い」と呟く。
「お茶……どの葉が菓子に合うか、ちょっと考えていて」
「そんなの、どれでもいいですよ?」
「…………」
 なぜか暗くなっている和彦。
 亮一は眠ってしまった美桜を一瞥し、いい機会だと立ち上がって和彦に近づく。和彦は反射的に逃げようと一歩身を引く素振りをした。
「和彦君」
「……なんだ」
「ありがとう」
 その言葉に和彦が目を見開く。
「美桜がこんなに強くなったのは、和彦君のおかげです」
 そう言って和彦の頭を撫でようとするが、彼は素早く亮一と距離をとった。
 その様子に亮一は笑う。そして続けた。
「でも、過去は消せない。……蘇生された者たちはまだ生きている。もし能力がなくなったとしても、信用しないでしょう…………。
 だから、もう少し俺に時間をください。あと少しで彼女は、本当に自由になれるから」
 と、身の内の黒い炎を反映させた笑みを浮かべた。だがそれは一瞬のことで、すぐに元の笑顔に戻る。
「じゃあ、お茶にしましょう」
「…………」
 和彦は先ほどの彼の言葉を理解するべく思案していたが、ふいに呟いた。
「…………美桜が、言ったのか」
「はい?」
「本当に、あんたにはなんでも話すんだな」
(……ナイショだと、言ったのに)
 和彦は薄い笑みを浮かべてから、テーブルに盆を置く。
「茶が冷める。早く飲むといい。……毒は入っていないから、安心しろ」
「和彦君?」
「失礼する。俺は用がある」
 淡々とした声でそう言うと、和彦は盆を片手に持って部屋を出て行こうとした。
 ドアノブに手をかけた彼は、ふいに動きを止めた。迷うように。
 だがキッと前を向くとドアを開けて出て行く。
「?」
 残された亮一は不思議そうな顔をし、和彦が淹れたお茶を見遣った。湯のみを手にとり、口に運ぶ。
「……ん。美味しい。和彦君、お茶の淹れ方、上手いですね」
 驚く亮一は、お茶を再び口に含んだのだった。



 和彦は足早に『逃げた』。
 もうあの場に居たくなかった。亮一の顔を見るだけで、殺意が湧き上がってくるのだ。
(どうしよう……俺、俺……)
 自分がこんなに激情家だとは思わなかった。これは全て今までの反動だと、和彦は理解している。
 今まで黙って、ただ見守ることに専念していた。美桜が幸せならいいと。
 だが、溜まったものは、何一つ吐き出していない。
 なにより、冗談めかして言いはしたが…………。
(あの時の会話を、少なからず都築さんに言ってたなんて……!)
 言わないでくれと言ったのに!
 あれは第三者へ洩らすべき内容ではなかった。自分と彼女が本音を言い合った。それを洩らすということは……。
 美桜に悪気がなくても、和彦の心は抉られた。
 自分は言ったのに。彼女が亮一を頼ることが嫌だと、慕うことが腹が立つと。嫉妬してしまうと、言ったのに。
 ……なに一つ、自分の言葉は彼女に届いてはいなかったのだ。笑ってしまうじゃないか。
 やっぱり自分は不必要だ。それを再確認してしまった。
 彼女を助けるのは自分ではない。自分の言葉では彼女は落ち着きはしない。
 こんなに傍にいつも居るのに!
(都築さんの言葉で安心して…………俺の存在の意味は?)
 途中で駆け足になっていたのに和彦は気づかなかった。美桜の自宅から外に出て、温室を抜け、屋敷の周囲にある広い敷地を駆けた。
 そして途中で力尽きたように、転ぶ。
 受身も取らずに派手に転倒した彼は、ゆっくりと起き上がった。
 無様だった。
「俺……なんなんだろう」
 やっぱりどこにも存在意味はない。
 亮一は帰る場所があると言ったが、そんなものはない。亮一がそれを踏み潰したのを、彼は知らない。
 さっきの状況を見れば、自分の存在を無視されているのはわかりきっていたことだった。
 自分が視界に入っていない。美桜と亮一だけの世界だ。……まるで、この屋敷の中の世界のように。
「一番に見て、欲しい……想って、欲しい……」
 彼女の言っていた言葉を反芻し、和彦は立ち上がって衣服の砂を払う。そして空を見上げた。星が瞬くことのない、曇り空。その闇の深さ。月のない、夜の深さ。
「…………都築さんではなく、俺を頼って欲しかった」
 美桜は和彦に頼って欲しいという。だが和彦は誰にも頼りはしない。誰にも、だ。だが彼女は違う。亮一を、頼る。
 こんなに傍に居るというのに……彼女の中の優先順位は、やはりあの人。
 彼女は自分に「遠い」と言った。遠くに感じると。
 それは和彦も同じだ。彼女をひどく遠く感じる。
(決断の時が来たのかもしれない)
 ありがとう、という亮一の言葉が蘇る。和彦は「はっ」と小さく笑った。
「……ありがとう、って言葉は、感謝の意味の他に、もうこれ以上はいい、って意味もある」
 つまり。
「彼女にとっての俺の役目は、終わったのかもしれないな……」
 和彦は瞼を閉じ、それから開く。薄い紅色の瞳から、涙が一筋流れた。